« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

2010年4月30日 (金)

椿井市場(奈良市)

100418tsubai1
どなたから聞いたのだったでしょうか。
奈良に古くて面白いアーケードの市場があると聞き、奈良に行く機会があれば訪ねたいと思っていました。
ところが場所がうろ覚えで、なかなか見つかりません。
帰り道にようやく、「これらしい」という市場を見つけました。

「椿井市場」といって、有名な市場らしいです。

100418tsubai2
東側の入り口付近ではよく分からないのですが、進んでいくとこんな雰囲気になります。
トンネル路地が延々続いているような、絵馬堂のような(看板が)、味のあるアーケードです。

よそで紹介されている記事を読むと、昭和35年頃にできた、奈良市でもっとも古い市場らしいですね。

100418tsubai3
一部、建物が取り壊され、内と外の関係が逆転した不思議な部分もあります。

100418tsubai4
中央にはお稲荷さん。ますます内と外の交錯する不思議な空間。

100418tsubai9
反対側に出て気づきました。
「ここは率川橋の近くだ!」
左の道の奥が率川橋跡です。

100418tsubai5
もう一度中に入ります。

100418tsubai6
西側はプラスチックの半透明アーケードです。
道は西に向かってだんだんと低くなっています。

100418tsubai7
脇の路地もまた誘い込むような路地です。

100418tsubai8
これを見ると完全なシャッター街と思われるかもしれませんが、そうでもないんです。
この日が日曜日だったというのもありますし、夕方からおもむろに開店準備をする中華屋さんもあって、実は活動しています。

産業文化遺産のような商店街でした。


より大きな地図で 奈良 を表示

場所はここです。

(追記)
 アニメ「境界の彼方」第7話に椿井市場(がモデルの商店街)が登場したそうです。
 (2013.11.14記)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年4月25日 (日)

率川跡の散歩道(奈良市)

100418isagawa1
2〜3回に分けて奈良市の話を書きます。
(でも某博覧会とは全然関係ありません)
次回紹介する市場を探して奈良の街を歩いていると、ふいに「柳橋」と書かれた親柱に出会いました。この親柱以外は見ての通り普通の道路。別のスイッチが入って、川はどこだ?と探し始めました。

ちなみにこのシンプルな円柱の親柱は、後で考えると昭和初期のものだと思われます。

100418isagawa2
見るからにこれが川の跡です。

100418isagawa3
この道は公園の横をうねうねと西に向かっています。
ただ、こちらに向かうとどんどん街から離れてしまいますので、上流をたどってみることにしました。

100418isagawa4
上流側をたどると「長幸橋」の親柱がありました。
明治41年(1908年)と書かれていますから非常に古い橋です。角柱に四角錐が載ったこれもシンプルな橋。川の名前が率川(いさがわ)ということも知りました(読み方はさっき知りました)。
この写真は西から東に、道路目線で撮っています。

100418isagawa5
逆に南から北へ、水路目線で撮るとこうなっています。

100418isagawa6
さらに行くと水路跡に面して「いさ川幼稚園」の門。
脇に解説板が立っていて、平成3年に移築された旧楽人長屋の門だそうです。明和3年(1766年)に建てられ、楽人(雅楽の奏者)が住んでいた長屋だとか。なぜ移築先がここなんでしょうね。

100418isagawa7
瓦の模様が象形文字風の「宮」? 踊っているようでユニークです。

100418isagawa8
いさ川幼稚園のある通路を振り返ったところ。
この地蔵堂は川の中にあったんでしょうか。
このあたりの町名は小川町。


100418isagawa9
広幅員のやすらぎの道を渡ると川を見失いかけたものの、少し北寄りに「率川橋」がありました。
ここの雰囲気が一番面白いと思います。
写真では切れてしまいましたが、たもとに地蔵堂があります。
川の流れは奥から流れきて、カーブして左へ。

親柱が4本とも残っています。
荒く削って仕上げた角柱は、大正15年(1926年)の竣工。
今までに見たこの時代の親柱はセセッション風のことが多いのですが、これは違います。伝統的というのか、それが奈良らしさなのでしょうか。

100418isagawa10
川跡の道は「裏側感」があり、また「抜け道感」もあります。

100418isagawa11
このうねり具合がなんだか楽しい。

100418isagawa12
中街道を渡ると、ちょっと道がグレードアップして、遊歩道っぽくなります。
奥の建物からはガッチャン、ガッチャンと織機らしき音が聞こえていました。

100418isagawa13
それでもやっぱり裏側。

100418isagawa14
もちいどのセンター街の手前。このトンネルは面白い。

100418isagawa15
さらに舗装が良くなって、川跡に面して店が並び、もはや表になります。

100418isagawa16
カフェや甘味屋まで面しています。

100418isagawa17
今度はマンションのある一角に出て、また橋跡があります。

100418isagawa18
絵屋橋という橋でした。
昭和2年に竣工した橋で、シンプルな円柱。この時代ならもっと装飾的でもおかしくないのですが。
この写真は北から南へ、道路目線です。

100418isagawa19
絵屋橋から坂を上るとぱっと視界が開けて猿沢の池に出ます。
この展開は非常に面白い空間演出です。

100418naramap_s8
<昭和8年 奈良市全図> ※クリックすると拡大します


より大きな地図で 奈良 を表示
<率川跡をグーグルマップで>

絵屋橋脇にあった解説によると、率川(いさがわ)(または菩提川)は、春日山を源流とする小川で、平成4年に暗渠化されたそうです。つい最近まで開渠だったんですね。

率川跡は散歩道として面白いのですが、奈良のど真ん中を流れていた川が暗渠化されているのは惜しい気もします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年4月22日 (木)

市営住宅?長栄荘(東大阪市)

100418eiwa_map
<昭和16年発行 最新布施市街全図>

八戸ノ里に旧小阪町営住宅の東翠園を訪ねた日、事前に昭和16年の地図を確認したところ、東翠園のほかにもう一ヶ所、市営住宅と書かれている場所がありました。河内永和駅の近くの長栄寺です。
ついでなので、こちらも見に行ってみました。

100418choueisou1
長栄中学校と高井田東小学校に囲まれ、広いブロックではありませんので、すぐに分かります。すると、駐車場の向こうに古そうな住宅が。

100418choueisou2
表に回ってみました。
写真では分かりにくいと思いますが、戦前の住宅でしょう。玄関にはアーチがあります。これが市営分譲住宅だったのでしょうか。

100418choueisou4
向かいの家も、きれいにはされていますが、本体は古そう。

100418choueisou5
例えばベランダにこんな面格子が入っています。

100418choueisou12_2
うれしいことに一角に「長栄荘 長和会」の名前が入った石柱が残っていました。「昭和14年2月11日建之」の文字も入っています。「長栄荘」という名前の住宅地だったのでしょう。
こういう石柱は時々見かけるのですが、どういう機会に立てるものなんでしょうね。

100418choueisou6
気になる建物が目に入って、さらにもう少し北に足を伸ばしました。2軒の家をつなげたような印象的なシルエットです。

100418choueisou8
こちらが正面。なかなかすごい。
生垣も青々としています。

100418choueisou7
もう少し正面から。
うまく写真に収まってませんね。

100418choueisou9
この通りにはぽつぽつとコンクリートのゴミ箱が並んでいました。

100418choueisou10_2
さらに同じブロックに洋風の住宅があります。

100418choueisou11
さらにその隣にも和風の住宅。
昔の郊外住宅地の街並みを留めて、いい眺めです。

100418choueisou13
長栄荘の南には、こんな味のある裏木戸もありました。
竜山石でしょうか。暖かみのある低い石壁もポイントです。

長栄荘とその周辺の住宅については以上ですが、帰り道、ついでに近くも歩いてみました。

100418choueisou14
長栄荘の東には鴨高田神社があります。
「何かある」雰囲気を醸し出していましたので、立ち寄ります。
説明板によると平安時代からある式内社。
名前で分かるように賀茂氏系の神社です。

100418choueisou15
水に縁の深い賀茂氏のことですから、境内に水神が祀られていました。

100418choueisou16
摂末社によくある厳島神社とはどう違うんでしょう。

100418choueisou17
また境内の西側に、道をはさんで稲荷神社がありました。
こちらも意味ありげです。石を積んだ祠です。

100418choueisou18
これは関係ないですが、昭和29年に奉納されたえべっさん。
なんかええ感じの彫刻ですね。

100418choueisou19
鴨高田神社の北隣には、長栄寺の地名の由来になっている長榮寺があります。おそらく鴨高田神社とはセットの関係。創建は聖徳太子と伝えられるそうです。

賀茂氏、聖徳太子・・・
アースダイビングスポットの可能性濃厚です。

100418eiwamap_m19_2
<明治19年発行 大阪近傍中部>

最後に明治時代の地図で位置を示しておきます。
長栄荘についてはだいたいの位置。
なぜここに市営住宅をつくったのか、もう少し考えてみる必要がありそうです。

○関連記事
 「阪南町の下見板住宅群 〜大阪市営北畠住宅」
 「末っ子は洋風下見板 〜大阪市営杭全住宅」

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2010年4月21日 (水)

東翠園の周辺(東大阪市)

100418tosuien22
東翠園の旧小阪町営住宅地を見た後、少し近くの旧集落も歩いてみることにしました。
南に回ると、こんな立派なお屋敷があります。

100418tosuien23
屋敷が庭ごと低い石段で囲まれているのは、浸水を防ぐためでしょうか。

100418tosuien24
道を歩いて行くと愛宕社があります。
愛宕社というと火除けの神様ですが、ここではやや意味合いが違うようです。
・・・といったことが案内板に書かれています。

100418tosuien25
※クリックすると拡大します。

お堂に左にあるのが東大阪市の案内板で、あちこちで見かけました。
それによるとここは中小阪村の入り口だそうです。この集落が環濠集落であったとか、西を長瀬川(旧大和川本流)の支流が流れていたとか、興味深いことが書かれています。

100418nakakosakamap_m19
<明治19年 大阪近傍中部・東部> ※クリックすると拡大します

明治19年の地図に位置関係を落としてみました。

100418tosuien19
さらに西に進むと、いい感じの下見板張りの建物が。
床屋さんの床寅さんです。「床○」というネーミングは関西では珍しいような?

100418tosuien20
辻になっていて、地蔵堂があります。
床寅さんはこの日も営業していて、中には絵皿などが飾ってあるようで、内部も興味をひかれます。
「床寅」さんについて検索すると、ナムダーさんの「万華鏡 〜無音の爆走〜」(※現在は閉鎖)の記事がヒットしました。

ナムダーさんが調べられたところによると、ここはなんと元村営の床屋(村床)だったそうです。明治27年創業で、現在の建物は昭和9年のものだとか。なんとも歴史のある建物、しかも現役というのが素晴らしいです。一度散髪に行ってみようか。

100418tosuien26
さらに西へ。
脇道に目を向けると、どんどん誘い込まれそうになります。

100418tosuien15
弥栄神社に来ました。元は牛頭天王といいますから、明治の神仏分離で神社になったパターンですね。牛頭天王→八坂神社はよくありますが、弥栄神社も表記が違うだけでしょうか。
この左(西)を長瀬川(旧大和川本流)の支流が流れていたようです。高低差があります。

100418tosuien18
ここから弥栄神社を抜けて北へ。
途中ユニークなお宅がありました。
W洋館付き住宅です。左右で小屋裏換気口のデザインなどが異なり、格子のデザインなど、凝って建てられた住宅のようです。

100418tosuien17
それにこのお宅に続く道は緑あふれる道です。

100418tosuien21
小坂神社に着きました。
説明板によれば、この神社は江戸時代の元禄年間に、このあたりの原野を開拓した開拓民が吉野の水分神社を勧請したもの。大和川の氾濫だけでなく、後から来た開拓民のため、日照りの時も水の優先権が低く、干ばつの被害を受けやすかったようです。それゆえの水の神様です。
ここで引き返しました。

100418tosuien16
近くに旧司馬遼太郎邸(司馬遼太郎記念館)があるのですが、それはまた今度にします。
近くにあったこの住宅も古そうです。

(余談)
100418tosuien27_2
八戸ノ里駅前に珈琲工房という喫茶店がありました。
見た目にはとくに変わった喫茶店ではありません。

100418tosuien28
見ると閉店のお知らせが貼ってありました。
この珈琲工房というのは、司馬遼太郎さんの命名なのだそうです。
お店の方に伺うと、実際珈琲を飲みにこられたりもしたようです。
お昼ご飯をここでいただきましたが、オムライスは普通においしく、珈琲はマイルドで、落ち着いたいい感じのお店でした。店を引き継いでくださる方がうまく見つかればよいのですが。


| | コメント (8) | トラックバック (0)

2010年4月19日 (月)

旧小阪町営住宅・東翠園(東大阪市)

100418tosuien1
なおきさんから「八戸ノ里に日本初の町営分譲住宅がある」という情報をいただき、さっそく見てきました。

100418tosuienmap
<昭和16年発行 最新布施市街全図>※クリックすると拡大します。

八戸ノ里の南300mほどのところにあり、名前は東翠園住宅地です。
小阪町営で昭和11年に完成した住宅地だそうです。八戸ノ里駅はこの宅地開発に合わせて昭和11年に開業したらしい。住宅地の建設戸数は50戸で、外観は和風・洋風取り混ぜて11種類。共通ルールは生垣で囲うことと、5mおきにアカシアの並木を植えることなどでした。(小阪町は昭和12年に合併して布施市になるので上の地図には市営住宅として表示されています)

分譲住宅を建てていた自治体は大阪市だけではなかったんですね。

○参考HP
 大阪商業大学商業史博物館「八戸ノ里」の項(リンク先不明)

100418tosuien2
八戸ノ里から歩いていって最初に見たのはこの洋風住宅です。
ここは地区外かもしれませんが、戦前なのは確かでしょう。

100418tosuien8
逆方向から。良好な住宅です。

100418tosuien3
表通りで一番目立っていたのはこちらの洋風住宅。
お決まりのシュロが雰囲気を出しています。

100418tosuien4
しかし、売家になっています!
もったいない。どなたか買いませんか?

100418tosuien5
真正面から見たところ。

100418tosuien6
玄関部分。ほとんどオリジナルのままだと思います。

100418tosuien7
特徴的な壁の装飾。

100418tosuien9
こちらの家も表札が外されているということは、住んでおられないのでしょうか。
同じく洋風の住宅です。

100418tosuien10
門の形が戦前の住宅によくある形です。
門柱にタイルを散らしてあるのもそれっぽい。

100418tosuien11
こちらはかなり外壁をリフォームしていますが、和風の住宅です。

100418tosuien12
こちらも和風の住宅です。

100418tosuien14
地区の南側に細い通路があって、石柱が並んでいて何の境界だったのかなあと気になるところです。

なおきさん情報提供ありがとうございました。
ただ、グーグルマップでご紹介いただいた住宅は既にない?

周辺にももう少し面白いものがありましたので、あと1回、八戸ノ里を紹介します。

○関連記事
 「阪南町の下見板住宅群 〜大阪市営北畠住宅」
 「末っ子は洋風下見板 〜大阪市営杭全住宅」

| | コメント (7) | トラックバック (1)

2010年4月12日 (月)

堺東の60年代住宅

100404sakai60_1
※クリックすると拡大します

同じ街でも違うところに注目すると違った街に見える。
ということで、同じ南三国ヶ丘町4〜6丁で60〜70年代デザインに注目してみました。
(たぶんそうだろうということで、確かめた訳ではありません)

最初の写真はアパートなのですが、その鉄材の使い方にかっこよさ、軽快感すら覚えます(私だけかな)。階段にもつながる面格子パターン、1・2階の間のジグザグパターン、面格子のノコギリパターンなど。

100404sakai60_2
こちらも目立つ家ではないんですけど、よく見ると、面格子の斜め格子、門扉の輪を挟んだデザイン、市松のガラスブロック、明かり窓の動きのある木格子、玄関扉の型板ガラスなど、全体にデザインを感じます。

100404sakai60_4
続いて窓の面格子を何例か。
ありそうで、あまりないような○と菱の組み合わせ。
これをきれいに作ろうとしたら結構手間なのでは?

100404sakai60_5
手すりの面格子に花柄を入れたパターン。

100404sakai60_6
氷裂文の面格子。
こういうのは即興で作ってたら面白いなと思います。

100404sakai60_7
最後は向陵西町のアパートです。
とても典型的だと思いましたので紹介します。

100404sakai60_9
図解風にしてみました。
60〜70年代の要素が勢揃いといった感じ。
よくありますよね、こういう住宅。

でもいずれは希少になるのかもしれません。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2010年4月 8日 (木)

洋風・和風の長屋がいっぱい(堺市)

100404youfu1
堺市の南三国ヶ丘町4〜6丁について、前回の記事では2軒の紹介だけに終わってしまいましたので、もう少し紹介しておきます(一部中・北三国ヶ丘町などにも入っています)。

このあたりは洋館付き長屋が多いという印象を持ちました。洋館付き長屋というのは私が勝手に言っているだけですが、長屋で1階の突き出した部屋だけが洋風のもの、洋館付き住宅の長屋版です。堺周辺にはとても多いようです。

100404sakai_s13_2
<昭和13年 大堺市街地図>

その前にもう一度、昭和13年の地図を確認しておきます。
昔はこのあたりに三国丘病院があり(現在はもっと駅より)、堺東駅から道がついていました。このあたりは泉北丘陵から上町台地に伸びる台地の上です。昭和10年代に宅地開発が進んだようです。

100404youfu11
エリアの南側、向陵西町のあたりにはまだ畑が残っています。
畑の真ん中には井戸。台地で水の確保が難しかったのでしょう。一方、地区の西には旧天王貯水池(浄水池)があり、上水道は引きやすそう。宅地向きの条件です。

100404youfu4
三国丘病院の跡地は、今は広大な空き地になっています。新日鉄の看板があるのは、新日鉄の社宅だったのでしょうか。この後はマンションか商業施設か。

大きな変化の兆しはありますが、まだ周辺には古い住宅がかなり残っています。
順々に紹介していきます。

100404youfu7
赤い屋根の洋館付き長屋です。
古い住宅に特徴的な「目」の字の小屋裏換気口が付いています。

100404youfu10
同じく洋館付き長屋。これは規模が大きくて、大屋根の上に三角の破風が乗ります。破風に住友の井戸印が入っているのは偶然?

100404youfu3
洋風だけど屋根が和風の長屋。

100404youfu5
これは洋館付き住宅で屋根が和風。

100404youfu8
完全に洋館付き住宅(新しめの)。

こうして見ていくと、洋館付き長屋から洋館付き住宅まで、洋風が強いものから和風が強いものまで、かなりバリエーションがあります。

100404youfu9
完全な和風長屋。

100404youfu6
和風のええ感じの長屋。窓の手すりや玄関灯に情緒があってよいです。

100404youfu2
最後にコンパクトながら感じの良い戸建て住宅。

南三国ヶ丘町4〜6丁ではリフォームされている住宅は多いのですが、特徴的な「目」の字の小屋裏換気口が残っているのを見ると、意外と建て替えられている住宅は多くないようでした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010年4月 5日 (月)

借りるなら隣の方(堺市)

100404minamimikuni1
千里山の団地を見に行くつもりだったのですが、事情により行けなくなり、代わりに以前から目星を付けていた堺東の東側あたりをミニ探訪しました。

100404sakai_s13_2
<昭和13年 大堺市街地図>

今回探訪したエリアは、堺市の南三国ヶ丘町4・5・6丁のあたり。
中三国ヶ丘町1・2丁南三国ヶ丘町1・2丁は以前に探訪して、いいお屋敷をたくさん見かけたエリアです。南三国ヶ丘町1〜3丁は昭和6年以降、4〜6丁は昭和16年以降の町名で、開発時期の違いが反映しているようです。昭和13年の地図では既に街区が割られて建物が建ち始めています。

また、終戦直後の空中写真を見るとこのエリアは既に都市化していて、戦災も免れていることが分かります。北側の大阪刑務所にかけても長屋が建っています。
昭和28年の空中写真

トップの写真は南三国ヶ丘町5丁で、しかも空き家!
かなり傷んではいますが、外側もほとんど手が入っていないので補修すれば見違えると思います。

「貸家あります」と電話番号が書いてありましたので、思い切って電話してみました。
非常にタイミングの良いことに、大家さんは隣の家で作業中でした。ご自宅は離れているので、ほんとにたまたま。残念ながら、貸家というのは右側の家のことで、この家は物置に使っているそうです。でもせっかくなので、右の家を見せていただくことにしました。

100404minamimikuni2
この角地の家です。あまり詳しく聞かなかったのですが、この家も戦前のものではないでしょうか。

100404minamimikuni3
というのは、この八角窓。
木製桟のパターンといい、交差する鉄製のバーといい、戦前デザインです。

100404minamimikuni4
表に井戸の跡らしきものがあります。

100404minamimikuni5
煉瓦は五光星の刻印入り。浜寺昭和町で見た煉瓦と同じ刻印です。

この家は前の住人の方が出られたばかりだそうです。次の借り手を募集するにあたって、大家さん親子で、簡単な改修をされていたところでした。
家賃なども教えていただきましたが、そこそこ広くて、戸建てで駐車場付きですし、悪くないのでは?という感じでした。

100404minamimikuni6
・・・でもやっぱり隣の方がいい!
この家は昭和10〜12年頃に建てられたそうです。
「貸さないのですか?」と訪ねると、引き合いは多いそうです(やっぱり)。自分で改修するからと建築士を連れてきた方もおられるそうで、改修費用は1800万円ぐらいだろうとか。でも大家さんから「やめときなはれ」と断られたそうです。そうおっしゃる気持ちも分からないでもありません。かくして、今も空き家のまま。

100404minamimikuni7_2
玄関ポーチはアーチになって、腰までの豆タイル。

100404minamimikuni8
2階のサッシも木製で、右手にベランダもあります。

100404minamimikuni9
1階の窓。

100404minamimikuni10
壁面のタイルは網代のような模様です。郵便受もあります。

100404minamimikuni11
玄関は素敵な豆タイル・パターン。

100404minamimikuni12
表の柵はコーティングがはがれて煉瓦積みというのが分かります。

100404minamimikuni13
煉瓦の刻印は、近所の旧天王貯水池(上の地図の「浄水池」)などでよく見かける日本煉瓦(株)製らしき四弁花です。

などと未練がましく紹介してみました(笑)

私が隣の家のことばかり話すので、
息子さんが「せっかくなので見ていただいたら」とおっしゃって、中も拝見できました。
35年ほど空き家のままとのことで、室内の畳なども歩くと沈みましたが、建物本体はしっかりしているようです。素人目ですが、傾いたりはしていません。補修しようとするとかなりたいへんなのはよく分かりますが、それにしてもこのまま朽ちてしまうには惜しい。

大家さん、突然のお邪魔で見せていただいてありがとうございました。
どなたか興味ないですか?
右隣の家は問題なく借りられます。
堺東駅、三国ヶ丘駅、堺市駅、新金岡駅が徒歩圏内なので、交通はかなり便利で、静かな住宅街ですよ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年4月 4日 (日)

大阪港で巨大クルーズ船に遭遇

100328sunprincess1
今回はいつもと違う話題です。
先週たまたま天保山を訪れたのですが、外国人が多くていつもと何か様子が違う。
と思ったら、観覧車の向こうに大きな船が。

100328sunprincess2
サン・プリンセスというクルーズ船がやってきていたのです。
なんていいタイミング。
シドニー発中国・日本周遊42日間クルーズの途中だそうです。

100328sunprincess3
こんな大きな船を見るのは初めてなので、その存在感に興奮してしまいます。
ちょっと写真ではスケール感が分からないかもしれません。
7万7000トンの船で(私にはぴんと来ない)、今年大阪港に入ってくるクルーズ船では最大です。
日本の船で最大は「飛鳥2」の5万トン、タイタニック号は4.6万トンらしいのでそれ以上です。
全長は261m(タイタニック号は269m、戦艦大和は263mらしい)。

100328sunprincess6
外航船なので、船への出入りは二重にチェックされています。

100328sunprincess4
ただ、天保山マーケットプレースのデッキから間近に眺めることができます。
船というより、ビルを3つぐらいくっつけたような感じ。
デッキは10層もあって(10階建てのビルですね)、海面からの高さは50m近いそうです(タイタニック号は10m程度)。こんなのが動くのかというのが正直な感想。

下の方は長いホースでお掃除中です。右上は清掃用の横移動のゴンドラ。
救命ボートでさえボートというより普通の船です。

100328sunprincess5
天保山マーケットプレースにはデッキの休憩スペースがあるので、ここで船を眺めながら過ごすこともできます。ここからでは全体を写真に撮ることはできません。

100328sunprincess7
ではどこから全体の写真を撮れるかというと、天保山の渡船。
この日の渡船はカメラマンで鈴なりでした。

100328sunprincess8
渡船の対岸からはよく見えます。これならスケール感がよく分かるでしょうか。
右端の海遊館も隠れていますね。
ちょうどサンタマリア号が通りがかりました。
サンタマリア号も決して小さな船ではないのに。

100328sunprincess9
まして、キャプテンラインのキャプテン・シルバー号は、救命ボートとそう変わらないような(というと大げさか)。

この「サン・プリンセス号」について、大きい、大きいと書きましたが、これでも「中型船」で、パナマ運河を通行できる最大サイズだそうです。横浜には15万トンのクルーズ船もやってくるらしく、それってどんな感じなのでしょう。

「次は何が来るのだろう」といっぺんに船が気になり出しました。船に詳しい方には「そんなことで」と笑われるかもしれませんが。

(近代の大阪港について書こうかなとも思ったのですが、あまりに調べることが多すぎて今回はパスです)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 1日 (木)

こどもにちゅうい

Kodomo

夜道は暗いし、子どもには気ぃつけなあかん。

かなり昔に見かけた看板やけど。


 →本家「大阪 アホげな小発見。とか」はこちら

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »