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2010年2月

2010年2月28日 (日)

飛鳥山公園で空中散歩(東京都北区)

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日も暮れかかっていますが、王子(東京都北区)の飛鳥山公園を歩きました。
飛鳥山公園は明治6年に公園として指定された東京の5公園のひとつです(あとの4つは上野・芝・浅草・深川)。もともと徳川吉宗が鷹狩場だった山に桜を植え、元文2年(1737年)、庶民に開放したもので、それ以来桜の名所として知られていました。

さっそく歩いてみましょう。
JR王子駅から歩き始めると、目の前にガラスの建物があります。これは昨年(平成21年7月)にできた飛鳥山公園モノレールです。乗ってみたいのですが、既に運行時間を過ぎていました。

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仕方ないので(でもないけど)歩いて登ります。
公園の線路側には行楽地としての賑わいを偲ばせる店が並んでいます。

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※クリックすると拡大します

公園全体はこのようになっています。
博物館も3つありますし、渋沢栄一邸跡もありますので、見どころがたくさんあります。もう少し時間を確保して来るべきでした。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
※今だけかもしれませんがちょうど桜の季節に撮影されているようです。

グーグルマップで見るとこうなっています。
街に浮かぶ島のようです。

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頂上部の細長い山で、遊歩道が続いています。
桜の花どころか、冬なので枝ばかり。ただ、傾いた夕陽が美しい光と影を描いています。写真では分かりにくいと思いますが、木々の間から家並みが見え、空中散歩をしている気分で楽しい。

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公園の北端には飛鳥山の山頂モニュメントがあります。
標高25.4mらしい。

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公園の北にはさっき乗ってきた都電荒川線が走る旧音無川(石神井川)の谷、その向こうの丘には王子神社があります。

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公園の東側は崖で、昔はかわらけ(土器)投げをやっていたそうです。地上の的を狙って素焼きの皿を投げる遊びです。今やると電車に当たるので危険。

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公園内にはいくつも石碑が建っています。
まずこちらは飛鳥山の碑。飛鳥山の由緒が記されています。元文2年(1737年)に徳川吉宗の功績を称える目的で建てられたそうです。江戸時代から「読めない」ことで有名だったらしい。
石材は紀州徳川家献上らしいので、ひょっとして紀州青石?

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碑文を拡大してみました。
読めますか?

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次いでこちらは桜賦の碑(明治14年)。
門弟・吉田松陰の密出国の企てに連座して蟄居中だった佐久間象山が、桜の美しさにたとえて愛国の志をうたった詩を、勝海舟が命じて碑にしたものだそうです。

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これは船津翁の碑(明治33年)。
群馬出身の農事家で、明治10年に駒場農学校に招かれ、農事試験場の設置、植林と山林保護、養蚕業の改良、石垣苺の栽培法考案など、全国の農事改良に多大な功績があった人だそうです。

三碑三様というのか、それぞれに違った意義をもつ石碑ですね。

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公園の西側は緩やかな段差があります。
石垣が組まれ、石組みの噴水などがありました。

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この階段に使われているのは伊豆六方石でしょうか。
六角柱の石です。

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渋沢栄一旧邸は、既に閉まっていました。
左の建物は茶室の晩香廬(大正6年)。土曜日の午後に内部公開しているそうなので、公園内の渋沢史料館と合わせて再訪せねば。

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こちらは書庫の青淵文庫(大正14年)です。同じく土曜日の午後に公開。

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ところで、公園内に気になる石がありました。
これです。オブジェ風に構成されていますが、菱形の穴が2ヶ所ずつ開いていて気になります。

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ベンチにされているこの石も同じです。
この穴には木か鉄の棒が差し込まれて、公園の柵に使われた石材だったということも考えられそうです。

旧渋沢庭園に加えて、謎も残りましたし、いずれ飛鳥山公園は再訪したいと思います。

今回の東京編は以上で終わり、次回からまた大阪に戻ります。

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2010年2月26日 (金)

目白から王子へレトロの旅(東京都)

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目白の周辺を一回りして、目白駅に戻ってきました。
このあたりの山手線は切り通しで、駅舎は線路をまたぐ橋と一体です。関西の人には天王寺駅のような感じというと分かりよいでしょうか。大正12年に架けられた目白橋の高欄の一部が保存されていました。

もう日は傾いていたのですが、もう1ヶ所公園を回りたいと思い、王子の飛鳥山公園に行くことにしました。飛鳥山公園は、明治6年に指定された最初期の公園の1つです。

どうやって行くか。少し歩いて鬼子母神前駅から都電荒川線に乗れば、1本で王子まで行けることに気付きました。

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しばらく学習院大学脇の坂を下ります。
石垣は黒っぽくきめ細かい石の上に大谷石でしょうか。

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学習院の正門は明治41年の煉瓦づくり。

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学習院の端まで来ると千登世橋の立体交差橋です。
昭和7年の架橋。親柱のデザインが角角したアールデコです。

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続けて、都電がくぐる千登世小橋があるのですが、こちらは照明が丸いデザインで面白いと思います。

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電車に乗る前に鬼子母神ものぞいてみます。
ケヤキ並木が立派ですが、冬で葉が落ちてしまっているのでさびしい。

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鬼子母神前駅から都電荒川線に乗ります。
やってきたのはレトロ車両でした。車内広告までレトロで統一。でも車体は新型らしく、軽快に走るので見た目とギャップがありました。
レトロ車両2両のうちの1両で、2009年の1月から走っているものらしい。いいタイミング。

街中をすり抜けるように走るので、テーマパークのアトラクションに乗っているようです。

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飛鳥山をぐるりと回り込み、王子駅前駅に着く手前に音無橋があります(写真は後で撮ったもの)。
昭和5年の橋で、親柱は結晶体のような土台の上に楕円を基調とする街灯(復刻版?)が乗っています。

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橋のデザインはお茶の水の聖橋(昭和2年)と似ています。
橋の下は親水公園になっていました。面白そうですが、暗くてよく分かりません。

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さて、電車は坂を下って、JRをくぐり、急カーブして王子駅前駅に入ります。このあたりは実に楽しい。

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ちなみにこれが乗ってきた復刻版レトロ車両です。

もう日が暮れそうですが、急いで飛鳥山公園を見に行きます。

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2010年2月21日 (日)

大谷石のある風景(東京都新宿区)

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今回、目白・下落合を歩いてみて、あちこちの塀や門で大谷石(栃木県宇都宮市大谷町産の凝灰岩)を見ました。
中でもいいなと思ったのが目白第二文化村のこの家。
カーブがきれいです。

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カーブの部分。
路面に敷いているのは花崗岩でしょうか。

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穴にシダが生えたりするのもいい感じです。
(家の方は困るようで、穴を埋められてますが)

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マップに紹介されていたライト風の門。
スクラッチタイルとの組み合わせ。

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大谷石単独の門。

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婦人之友社ビル周囲の石塀。
大谷石の石材を使っているというだけでなく、ひざの高さまでの低い塀というのもあちこちで見ました。素材とあいまって開放的な印象を受けます。

東京はそれほど歩いていないので、大谷石の塀がどの程度の頻度で現れるのか知らないのですが、大谷石のある風景はいいものだと思います。

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<下落合氷川神社の狛犬>

石の話ついでに、今回思ったこと。
江戸の狛犬はほとんどがグレーの小松石(真鶴産の安山岩)なのですね。
以前から東京の神社はどうして厳粛な印象がするのだろうと思っていました。大阪の神社は和泉砂岩や花崗岩の明るい色ですので、穏やかに感じます。その違いが感覚に影響していたのかもしれません。

街の石材から知らず知らずに受ける印象は大きいですね。


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目白文化村とその周辺

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引き続き、『目白・下落合 歴史的建物のある散歩道マップ』を手に、郊外住宅地の目白文化村に向かいました。

いったん武蔵野台地の下に降りてみます。けっこう急坂。
おとめ山公園が気になり、寄ってみました。
「乙女山」ではなくて「御留山」。江戸時代は将軍家の狩猟地で、立ち入り禁止という意味の「御留」です。明治以降、西側を相馬家が所有して、大正3年に公園設計で有名な長岡安平が庭園を設計したそうです。武蔵野の谷が生かされています。結局公園になったというのが面白いところ。

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薬王院裏の階段を登って再び台地の上に出ました。
いい眺めです。
谷をもう一つ越えると目白文化村です。

目白文化村は堤康次郎(西武グループ創業者)が、大正11年(1922年)に分譲を開始した郊外住宅地です。開発会社は箱根土地(株)(いまのコクド)。
空襲被害を受けましたが、今も一部の住宅が残っています。
回った順はバラバラなので開発順に紹介します。

○関連ブログ
 目白文化村については、「目白文化村」サイトに非常に詳しく紹介されています。
 なので、この記事では簡単に。

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まずは第一文化村(目白不動園)から。
武蔵野台地に谷が入りくむ地形で、上の写真のような弁天社も住宅地に取り込まれています。
弁財天は水に関わりの深い神様です。

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このように窪地がそのまま住宅地の地形に反映されています。

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玄関と出窓の桟が美しい住宅。

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お隣も洋風住宅です。

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こちらも窓の桟が洋風の意匠です。

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第一文化村のすぐ隣にある住宅。
玄関扉がすてきです。

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第二文化村の大きな洋館ですが、表札が外されていて空き家のようです。
大丈夫でしょうか。

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第三文化村の最南端。
この広い空き地にもお屋敷があったようなのですが。

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裏にある下見板張りの住宅が見やすくなりました。
喜ぶべきことではないですね。

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第三文化村の近くにある画家の佐伯祐三アトリエ。
佐伯公園として整備されていますが、平成21年7月21日から平成22年4月27日まで、改修工事のため閉鎖されています。見られなくて残念。

北の方には長崎アトリエ村がありますし、画家が多く住んだのですね。
もっとも長崎アトリエ村は大部分が低湿地の借家らしいので、文化村周辺の方が条件が良さそうです。

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第四文化村内の階段です。
階段や門柱、塀などは残りやすい。

紹介した以外にも古い建物はあります。
各文化村は大きな道路で分断されていますが、中に入るととても静かです。
アップダウンが大きいので歩き回るのは大変なものの、眺めが良く、木々も多く、散策するのに魅力的な街でした。

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2010年2月18日 (木)

目白周辺の近代建築(東京都)

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東京での研修後、目白周辺を歩くことにしました。
以前、「目白・下落合 歴史的建物のある散歩道」のマップをいただいて、いつか歩かないとと思っていました。このあたりは情報も多いので、簡単に紹介します。

この日は見ての通り、冬晴れの良いお天気。
まず、目白というより池袋ですが、自由学園明日館です。
皆さん、おっしゃっていますけれど、こんなに小さい(かわいらしい)とは思いませんでした。フランクロイドライトと弟子の遠藤新の設計で、大正11年〜昭和2年にかけて建てられた学校です。そんなに古い建物とは思えません。内部もいいらしいですが、この日は結婚式が入っていて、内部見学はできず。

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門扉のデザインなども面白いですね。
(これは後からなのかな?)
柵が低いので道路からも眺めやすく、非常に開放的です。

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お向かいには関連して婦人之友社。遠藤新の息子さんの遠藤楽設計。1963年築の比較的新しい建物ですが、窓の桟が明日館に通じるものです。

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いったん池袋方面へ。洋館付き住宅などもあります。
豊島区立郷土資料館を見学しました。常設展は、雑司ヶ谷鬼子母神、駒込・巣鴨の園芸、長崎アトリエ村、池袋ヤミ市に絞ったメリハリある展示で見応えがあります。街歩き好き、近代好きにはぴったり。やや惜しいのは、「豊島区」なので、すぐ隣の新宿区は対象外ということです。

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再び南下して、徳川ビレッジ。とても緑豊か。
中には入れないので外から眺めるだけです。

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こちらは目白聖公会
昭和4年の教会です。外で眺めていると、掃除をされているご婦人に、「どうぞ」と言われましたので、中を見せていただきました。

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内部も昔の雰囲気をとどめた良い空間です。

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ステンドグラスから光が注いでいます。

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目白聖公会の床下換気口の面格子です。
アールヌーヴォーとアールデコの間ぐらい?

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そのままずんずん南下して、日立目白クラブ(旧学習院昭和寮)にぶつかりました。
昭和3年の建物だそうです。とってもモダン、というより前衛に近い?

関係者とご近所さん以外立ち入り禁止らしいのが残念なところです。

次はもっと小さな住宅などを見ていきます。

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2010年2月17日 (水)

御徒町の燕湯かいわい(東京都台東区)

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坂本町公園を見た後は、夜行バス明けですっきりしないので、御徒町の燕湯さんに向かいました。
下調べで、朝風呂をされていると知りましたので。

このような立派な建物で、登録文化財のプレートがはまっています。昭和25年の建築です。

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出張カバンを抱えた同じような利用者も多いようで、「手ぶらで入浴できます」というありがたい貼り紙があります。実際、貸しタオル、石鹸、シャンプー、かみそりを購入しても+140円ぐらいだったような。非常に助かります。

酔っぱらったおじいちゃんが入浴を止められていたり、入れ墨のおじさんがいたりとまさに生きた銭湯を目の当たりにしました。

お客さんがいっぱいで中の写真を撮るような状況ではありません。喜ぶべきことですね。脱衣場は格天井、浴槽の片隅には荒々しい岩の滝がしつらえてあって、ぜいたくです。
東京のお風呂なので関西人には熱かったのですが、さっぱりしました。

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このあたりは初めてで、物珍しいことばかり。
たとえば、御徒町の宝飾問屋街。仏具屋さんから発展したとのことですが、そういう発展の仕方もあるのですね。

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また、東京唯一の専門店という黒焼屋さん
あの「いもりの黒焼」とかの。歴史を感じます。
創業120年だそうです。

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燕湯さんの裏手には、こういうかわいらしい板壁の建物があったりもします。

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3階建ての倉庫。
この変わった風合いは何でしょうね。

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煉瓦倉庫もあります。
お店に転用されているようですが、まだ営業されているのかどうか。

なかなか素敵なものの残る街でした。

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2010年2月16日 (火)

坂本町公園(東京都中央区)

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東京駅に着いた足で、兜町の坂本町公園に向かいました。
公園のプレートに「SINCE 1889」と書いてあるのが読めますでしょうか。
1889年、つまり明治22年に開園した、東京で最初の市街地小公園です。当時は坂本公園でした。

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※クリックすると拡大します

公園には「坂本町公園の歴史」というプレートが設置され、解説とともに、明治時代の公園の様子が描かれています。

佐藤昌著『日本公園緑地発達史・下巻』も参考に補足すると、警視庁病院の跡地を公園にしたものです。設計は著名な公園設計者である長岡安平によるもの。当初は絵に描かれたような和風庭園で、中央の丘に東屋、その西に「一心亭」という茶店、盆栽の店があり、樹は桜を主体に梅・柳、榧・椎が植えられていたそうです。

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年表が読みにくいと思いますので拡大しておきます。

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<佐藤昌著『日本公園緑地発達史・下巻』、p396より>
※クリックすると拡大します

当初の坂本公園は大正12年の関東大震災で焼失。
区画整理が行われ、昭和4年に他の震災復興小公園と同様、小学校(坂本小学校)と一体の公園として再整備されます。それがこの図です。洋風の公園として生まれ変わりました。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
その後も戦災で焼失して昭和28年に復旧、平成9年にも再整備されています。
現在は上の写真のようになっています。

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東に円形広場、西に丘、小学校寄りに遊具、という大まかな構成は変わっていませんが、小学校のプールが設置されたり、位置がずらされたり、全体に改変されています。

朝の公園には出勤前のサラリーマンや散歩の人が集まっていました。

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丘と広場の境目あたり。
奥の坂本小学校とは今も一体的に見えます。

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桜の植わっている園路。
年月を感じさせる木もあります。
桜はこの公園にふさわしいといえます。

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この子供の像は昭和4年に設置されたもので、上記の図面にも示されています。
子供ながら、この公園では最古参になってしまったのでしょうか。

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※クリックすると拡大します

最後に阪本小学校についても触れておきます。
阪本小学校は明治6年に創設された非常に歴史のある学校です。「一番学校」とのことで、説明板も設置されています。
関東大震災で焼失しますが、昭和3年に鉄筋コンクリートで再建されました。

震災復興小公園と復興小学校がセットになっているのは貴重です。

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2010年2月14日 (日)

東京駅異景

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先月、研修で東京に行ってきました。
今回は時間の関係で、苦手な夜行高速バス利用です。
早朝の東京駅に着くとそこは異景でした。

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旧東京中央郵便局は映画のセットのような状態です。

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分断された空間。

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2012年完成予定で復原工事中の東京駅は、大きく工事の囲いが設置されていますが、その囲いには東京駅の歴史や工事についての解説パネルが設置されています(右手)。

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こういうものが全部で22枚ほどでしょうか。一通り写真に撮っておきました。

 →工事については、鹿島のホームページに詳しく出ています

新幹線で到着したらたぶん気付かなかったでしょう。
一気に目の覚める東京到着でした。


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2010年2月12日 (金)

緑ヶ丘公園とその周辺(伊丹市)

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石橋から伊丹まで西国街道を歩いた話の続きです。
寄り道して緑ヶ丘公園を見に行きました。

伊丹のすごいところは、いくつかの公園と公園が緑道で結ばれていることです。
計画だけなら、大阪の戦前の都市計画でも公園をグリーンベルトで結ぶ計画図は見たことがありますが、実現したものは少ないのではないでしょうか。

伊丹の場合は、昆陽池、瑞ヶ池など池を公園にしているものが多く、池と池を結ぶ水路や河岸段丘の段丘崖をうまくつかって緑道を整備しています。今回紹介する緑ヶ丘公園もその一部です。

私は伊丹坂から緑道を北上しました。
散歩をされている方に混じって、私はまず臂岡天満宮に向かいました。

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段丘の端に鋳物師という古くからの集落があります。古代に鋳物の職人集団が住んでいたのでしょうか。その隣に臂岡天満宮があります。

創建は平安時代の延喜年間(901〜923年)。菅原道真公が太宰府に左遷された際、ここで岡に臂(ひじ)をついて休まれたという由緒が語られています。

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天神さんには付きものの牛の像。
昭和11年の奉納ですので、台座も含めてそれっぽいデザインです。

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緑ヶ丘は昭和6年から緑ヶ丘土地建物が開発した郊外住宅地です。残念ながら今回は近代建築らしい建物は見つけられませんでした。

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緑ヶ丘公園の北側のアプローチは、深い小川を橋で渡ります。
おそらくこれが表の入り口です。

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<昭和4年修正測量 2.5万分の1「伊丹」を加工>

ここで地図を確認しておきます。
このあたりは段丘の中に谷が切れ込んでいるところです。
この小川が今も残っています。
谷の南にある2つの池は、もっと幅広かった谷を堰き止めて作られたのではないでしょうか。
昭和4年には鋳物師の集落があるだけで、あとは果樹園と水田とため池が広がっていました。

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<昭和4年修正測量 2.5万分の1「伊丹」を加工>

それが後にこうなります。
まず昭和6年から緑ヶ丘住宅地が開発されます。
非常に環境のいい場所を選んでいますね。

昭和16年には旧制伊丹中学校(現在の伊丹高校)が移転、千代田光学精工(のちミノルタ→コニカミノルタガラステック)の工場も昭和17年にできます。伊丹高校の周囲には昭和26年に警察予備隊、のちに陸上自衛隊伊丹駐屯地となり、周辺に宿舎もできます。

緑ヶ丘公園は昔のため池を利用していることが分かります。
緑ヶ丘公園は昭和38年にできた、伊丹で最も古い公園とのことですが、それ以前から緑ヶ丘住宅地と不可分の関係だったのではないでしょうか。

気になるのは緑ヶ丘公園と伊丹高校の正門をまっすぐに結ぶ軸線(道)があることです。強い計画性を感じさせます。

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これが公園から伊丹高校の方向を見たところです。

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緑ヶ丘公園は松林が茂る古風な公園です。
入り口を入ったところに石碑があります。

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「緑ヶ丘」と大きく書かれています。
右から左の文字なのでおそらく戦前ですね。
緑ヶ丘公園というより、緑ヶ丘住宅地の記念碑なのでは?

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向かって左には公園事務所、右には小さな緑ヶ丘神社があります。

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「松林逍遥」という言葉の似合う公園です。

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公園内の園路の柵。これは古くてもよさそう。

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下池には平成2年に姉妹都市の中国・佛山市から贈られた賞月亭や、昭和59年に建てられた伊丹市公館の鴻臚館(こうろかん)があります。古いものではありません。

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園内には梅林もあります。まだちょっと早かった。

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上池の外周園路です。右はすぐ民家で、公園に面して住宅が建ち並んでいるのが古い公園らしいなと思います。

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上池の南から北を見たところ。落ち着いたいい公園です。
冬だからとくに多いのか、たくさんの鳥がいました。

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ところで、上池にこんな動物がいたんですけど、これは何でしょう?

西国街道を歩いて伊丹に来たわけですが、伊丹周辺の都市化は興味深いので、今年は伊丹に注目してみようかなと思っています。

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2010年2月10日 (水)

阪和聖ヶ岡住宅地(和泉市)

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昭和4年(1929年)、阪和電気鉄道が天王寺〜和泉府中間で営業を開始(翌年和歌山まで開通)。信太山駅ができました。伯太村の野砲兵第四聯隊や泉北の物資、綿布の輸送と並んで、郊外住宅地開発も鉄道敷設の目的の1つだったそうです。(今回の記事は「広報いずみ平成21年7月号」の「阪和線開通80年」の記事を参考にしました)

信太山の弥生文化博物館を見た後、一駅戻って北信太駅で降りました。出口が1ヶ所の小さな駅です。
昭和7年に設置された葛葉稲荷停留場が、現在の北信太駅です。

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もともと信太の森の狐、安倍晴明伝説で知られる葛葉稲荷参拝のために設けられた駅です。かつて駅の西側に臨時改札口があり、鳥居は今もここから始まっています。

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一方、駅の東側には、駅開業の昭和7年に阪和電鉄自身により、当初千枝の荘、のち阪和聖ヶ岡住宅地が開発されました。開発面積は3万3千坪です。街区の方向が違いますので、地図で容易に判別できます。

もっとも、駅前ですので、このように商店街があって、郊外住宅地という趣きではありません。パチンコ屋さんもあります。

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駅前通には聖ヶ岡会館がありました。
窓枠が木製なので、それなりに古いのでしょうが、近代建築っぽくはない建物です。
聖ヶ岡の名前はこの会館と聖ヶ岡幼稚園に残されています。

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駅前通のレトロ感のある美容室。
玄関を斜めに傾けるスタイルは、昔の美容室や写真館でよく見かけますね。ブルーに塗られた扉もいい感じです。

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そのへんに転がっている煉瓦でも岸和田煉瓦の×印の刻印が入っていて、歴史を感じさせます。

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生垣のみごとなお屋敷。洋館付き住宅のスタイルです。

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こちらのお宅は玄関が洋風。

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表通りは今の街ですが、中に入るとこのように郊外住宅地らしい落ち着きある雰囲気が残っています。道もやや狭め。

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ちょっぴりスパニッシュの入っている住宅。
小屋裏の換気口の飾りが見どころです。

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昔風の和風住宅。石垣や門扉にも昔の雰囲気を留めています。

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こういう平屋の住宅も古いのでしょうね。換気口が「目」の字の形なので。
ただ、ここの住宅地は全般的に派手さはなく、戦後住宅に通じるものを感じます。実際、戦後の建物でないとはいい切れませんが。屋根が薄く感じるのも特徴かも。

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こちらは屋根瓦のカラフルな住宅。
こういうのって最初からそうだったんでしょうか。

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反対側から見ると、板壁が使われています。

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こちらも板壁の平屋住宅。
他にもあったのですが、建物が植え込みに隠れて、写真に撮れません。

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地区の一部には信太貝吹山古墳があります。
なぜか郊外住宅地は古墳と同居していることが多い気がします。

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古墳の近くにこんな、いい佇まいの門がありました。

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埋め込み型の門灯もいいんですよ。

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ちょっといいなと思った勝手口の門扉。
泡のようなデザインが軽やかです。

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最後に、これは最近のものかもしれませんが、小屋裏の換気口カバーが、ちょうちょのデザインでした。こういうの好きです。

阪和聖ヶ岡住宅地は、派手な住宅はないのですが、サラリーマンの暮らしぶりをいくらか感じることができる気がします。あと付け加えるなら、真珠加工の会社が2軒ほどあったことに地域性を感じました。

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2010年2月 8日 (月)

「大阪の二十世紀展」(弥生文化博物館)

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最近、「大阪の二十世紀展」のポスターをよく見かけます。
「なぜ弥生文化で20世紀?」という疑問はさておき、見に行ってきました。

大阪府立弥生文化博物館自体、訪ねるのは初めてです。
和泉市にあって、最寄り駅はJR信太山駅。駅から徒歩10分ぐらいです。

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企画展は2階の1室分だけです。
展示は大きく分けて、(1)近代大阪の写真・絵葉書、(2)軍・戦争関係の出土品、(3)近代大阪の印刷物(地図や号外など)です。(おまけで大阪万博)

展示品は少ないですが、楽しめました。
残念ながら、煉瓦の出展はありません。
泉州での開催だからか、大阪市だけでなく、堺の写真が比較的たくさんあります。
そこが私には収穫でした。

この企画展は3月22日まで。
弥生文化の常設展もありますし、近くに池上曽根遺跡の遺跡公園もあります。

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ところで、信太山駅から博物館へはカラー舗装をたどっていくと導かれる分かりやすい仕掛けです。
途中も焼き板塀の町並みが続き、楽しんで歩けるようになっています。

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2010年2月 6日 (土)

西国街道の近代(2)軍行橋〜伊丹坂

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西国街道歩きの話を続けます。
軍行橋という変わった名前は、明治44年(1911年)に猪名川をはさんで陸軍大演習が開かれた際、演習用に架けられた橋だからだとか。昭和9年にも架け替えられています。現在の橋はいつのものなんでしょう。

この橋の上からの眺めはほんとに広々としています。
さらに大阪空港を離陸した飛行機が、ちょうどこの橋の上を越えて左旋回していく、ダイナミックな光景が見られます(通常の離陸方向の場合)。

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このように大阪空港の着陸誘導灯が猪名川の河原まで伸びているのも面白い眺め。
大阪空港は、昭和14年(1939年)、大阪第二飛行場として開設されました。

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橋を渡ると工場地帯・・・だったのでしょうが、今は大きなホームセンターが建っています。
堤防上の道をしばらく歩きます。空が広い。
昔の西国街道は軍行橋より下流で川を渡っていました。

ちなみにこの先に伊丹市の北村水源地があります。
昭和11年からある、伊丹で一番古い水源地です。

明治までは軍事演習ができるぐらい何もなかった猪名川両岸は、昭和初期に急速に開発が進んでいったようです。

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土手の下に石碑が並んでいるのが見えたので近づいてみると、中央は「新建石橋碑」という記念碑です。なぜか年号が削られています。ここに石橋を架けて旅人の苦しみを除きたいという願文が書かれているそうです。この向こうあたりが西国街道の渡しです。

土手を降りて、北村水源地と松谷化学工業(昭和9年〜)の前を通り、JR宝塚線を越えます。
JR宝塚線のこの区間は、明治26年に軽便鉄道となった摂津鉄道に始まるようです。

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(いい写真ではありませんが)
目の前に壁のように伊丹台地の段丘崖が迫ってきます。見通しのきく明治時代まではかなり印象的な光景だったのではないでしょうか。

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段丘崖にたどりつく前に多田街道との辻があります。
その名も辻村という集落です。北にお堂が見えたので近寄ってみました。
辻の碑(いしぶみ)という石が祀られています。

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地面には摂津の国の絵図がはめこまれています。
これが何を意味するかというと、真ん中の赤い四角がここ辻村で、東西南北の赤い四角は摂津の国の端、つまり辻村は摂津の中心ということです。ちょっとうれしい。
伊丹市の案内板はいたれりつくせりですね。

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段丘崖にたどりつきました。ここは伊丹坂と呼ばれます。キリが良いのでここで西国街道歩きを中断しました。段丘崖の下を遊歩道が巡っていますので、そちらを歩くことにします。

このように以前は石橋と伊丹は同じ道で結ばれて行き来があったのに、鉄道路線を基準に考えるとずいぶん違った結びつきになってしまったものです。

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<昭和4年修正測量 2.5万分の1地形図「伊丹」を加工>

最後に今回歩いた道を昭和4年と現在の地図で示します。


より大きな地図で 旧街道 を表示

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2010年2月 4日 (木)

西国街道の近代(1)石橋〜軍行橋

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池田市の石橋駅をスタートして、西国街道を歩きました。
近代のものだけを取り上げるわけではありませんが、いつも通り近代のものに注目します。

道はゆるく下っていますが、このように西国街道(左側)は微高地を通っています。

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石橋で2棟並びの洋館付き住宅がありました。
やはり石橋は洋風住宅の多いところです。

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幹線道路を渡るとこんもりした森があります。
亀之森住吉神社です。
創建は宝亀元年(770年)。このあたりは昔は海で、亀の森は小島だったとの伝承があります。海がここまで来ていたのは相当昔と思いますので、猪名川の氾濫で水に漬かった状況を示すのでしょうか。住吉神社というと航海の神様ですが、今は向かいにインターチェンジができて交通の神様、「大阪空港の産土神」でもあるそうです。

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拝殿前の灯籠は嘉永2年(1849年)のもの。
龍のレリーフが施されています。

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このあたりは昔は北轟木という村だったようですが、現在は住吉という地区です。
小さな公園に22年前の「おもしろマップ」が掲げられていました。試みは面白いと思いますが、錆びて退色が進み、おもしろさが分かりにくくなっています。

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順正寺の前で振り返ったところ。
奥に見える森が、亀之森住吉神社です。
このあたりは水路がきっちり整っているようです。

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ちょっと寄り道して見かけた洋館付き住宅。長屋の一部ではないでしょうか。

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亀の森の次は駒の森。
駒の森十二神社です。十二神社というのは、熊野三山の十二所権現にまつわるものが多いそう。神社合祀政策で明治42年に合祀され、昭和21年に復活したそうです。

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境内には昭和18年につくられた防空壕があります。
長さ10m×幅3〜4m×高さ2mの大きなもの。
当時は神社ではなかったわけですね。
飛行場と池田のダイハツ工場に挟まれているので、空襲に備えるのは当然と言えば当然。

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この先、街道は中国縦貫自動車道に分断されているものの、街道の慣性か、地下道でつなげられています。地図でルート確認したときはどこで渡れるのか心配でしたが杞憂でした。

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※クリックすると拡大します

地下道をくぐれば旧の北今在家。
再び池田市による西国街道の案内板があります。
ちなみにトンドバは、小正月のとんど焼きを行った場所のことです。

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箕面川を渡ります。
天井川のようで、この時は水が見えませんでした。

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川の向こうは下河原。
伊丹市に入ります。

ずっしり感のある門が気になりました。
洋館の似合う門です。

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浄源寺の大銀杏は街道の目印。

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このあたりは歴史的景観が連なっています。

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金属を思わせる造形の持ち送り。
何製なんでしょうね。

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どの建物にも「伊丹市都市景観形成建築物」のプレートが貼ってあります。

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こちらは「下河原の旧地名」という案内板。

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こちらは文政(1818〜30年)頃の下河原の絵図の案内板。
市が変わると街道の案内板もがらっと変わるのが面白いところです。
池田市が歴史・民俗系とすれば、伊丹市は歴史絵図系。かなり力が入っています。

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軍行橋に到着しました。
視界が一気に開けて、開放感があります。

旧街道はもっと下流で川を渡っていましたが、今は渡れないので軍行橋を渡ります。
軍行橋以降は次回に。

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<昭和4年修正測図 2.5万分の1「伊丹」>

参考に今回歩いた場所を昭和4年と現在の地図で示しておきます。


より大きな地図で 西国街道 を表示

<関連ブログ>
 私の記事では省略した落語のことや下河原の建物を詳しく紹介されています。
 十三のいま昔を歩こう
 「西国街道を歩く(5)北轟木・北今在家」

 「西国街道を歩く(6)下河原の都市景観形成建築物」

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