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2010年1月

2010年1月31日 (日)

石橋の石橋(池田市)

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石橋の話の本題です。
変なタイトルですが、タイトル通りのお話。

関西の方には阪急宝塚線の石橋は馴染みがあると思います。
石橋のことを調べていて、『大阪府地名大辞典』の「石橋」の項目に次のような説明がありました。

「地名は、旧西国街道と旧能勢街道の交差点両側の溝にかけられた石橋によると伝えられる(北豊島村志)」

「具体的なものなんや」と思うとともに、実在するのかが気になります。
まずは位置を確認。

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<明治18年測図 2万分の1地図に加筆>

明治18年測量の地図では、西国街道と能勢街道の交差点はすぐ分かります。

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<昭和4年修正測図 2.5万分の1「伊丹」に加筆>

その後、明治43年(1910年)に箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚線)が開通すると、当時は路面を走っていた鉄道が、この交差点を突っ切る形になります。当然、周辺も整備されたのではないでしょうか。

あまり期待できませんね。場所は分かりましたので、念のため確認しに行きます。

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石橋駅を降り、商店街を南に歩いて行くと、高架下に西国街道・能勢街道の案内板がありました。

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もう一つ南側の踏切が街道の交差点です。
右奥から左手前が西国街道、踏切の向こうの右手から踏切を渡って左奥が能勢街道です。
踏切の向こう左手から私が立っているところまでくぐっている水路はありますが、残念ながらやはり石橋らしきものはありません。おしまい。


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・・・ではつまらないので、この水路を南に追っかけてみました。

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このあたりの家は玄関前に水路があります。
コンクリートブロックを組み合わせた橋や煉瓦を積んだ橋は工夫されていて面白いのですが、石橋ではありません。

ここで緊急事態。
カメラの電池を切らしてしまいました。

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西国街道を通って電池を買いに行く途中、地蔵堂のある場所を通りがかりました。
先ほどの古地図で神社の記号があったあたりです。

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※クリックすると拡大します。

ここに西国街道の案内板が掲げられていました。
好奇心をくすぐるような解説です。

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辻の地蔵堂と街道の間には別の水路が流れていて、地蔵橋という小さな橋が架かっています。
橋には昭和15年と書かれていますが、擬木の欄干はもっと新しいものでしょうね。

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水路に水はありませんので、ふと思い立って下に降り、この橋の裏をのぞき込んでみました。(真似はお勧めしません)
石橋が埋もれていました! 角柱を並べた簡単な橋ですけど。

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今度はこの水路をたどってみました。
こちらの水路は能勢街道の東側を南に流れていきます。
ここにも石橋はありません。

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100mばかり歩くと私有地の角に道標がありました。「右 妙見 すぐ(直進)西宮」かな。水路はここで西に折れ、阪急宝塚線をくぐって、踏切西側の水路と合流しています。2つの水路が合流する場所には、前に取り上げた石橋前池公園があります。

これという石橋は発見できませんでしたが、こういう石材は使い回されることが多いと思っています。別の橋に使われたり、石畳になったり、庭に使われたり、公園に置かれたりします。京都で三条大橋・五条大橋の石材が円山公園や五条児童公園、平安神宮で使われていたり、東京の日比谷公園で城門の石材が再利用されていたりする例があります。近くの公園は要確認です。

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果たして石橋前池公園に長さ1.5mばかりの大きな石の板がありました。
何の証拠もありませんが、これが石橋の石橋だったら面白いななどと思います。

(追記)
新之介さんからの情報によれば、この石橋前池公園の南側にある石橋南小学校には、石橋のいわれ石があるそうです。
 →石橋南小学校HPで左メニューの「この石何の石」をクリック

 「明治40年頃まで存在した」ということは、やはり箕面有馬電気軌道の工事に伴う撤去のようです。

 ・・・しかし、石橋はともかく伝承はあやしい。
   棒が立てられて、何らかの機能を果たしていたのではないのでしょうか。(2010.2.3記)


より大きな地図で 石橋 を表示
最後にこれらの位置関係を示しておきます。

次回から西国街道を伊丹まで歩きます。

○石橋の関連記事
 「東洋のマンチェスターから大大阪へ」
 「石橋の下見板の建物」
 「石橋荘園」
 「テーマは海底探検?」(石橋前池公園)
 「玄関のすてきな共同住宅」
 「西国街道の近代(1)石橋〜軍行橋」

<関連ブログ>
 その後の状況も紹介されています。
 十三のいま昔を歩こう「西国街道を歩く(4)瀬川〜石橋」


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2010年1月26日 (火)

1月の扉(大阪市福島区)

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この扉の色は、この季節のために選ばれたのでしょうか。

福島1丁目にて。

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2010年1月25日 (月)

東淀川の不思議空間(後編)

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東淀川の話の続きです。
高射砲台跡住宅を見た後、新幹線の高架をくぐり(実はここに中島大水道の碑があるのですが見落としました)、淡路公園をめざします。

このあたり、道が妙に広がったり狭まったり曲がったりと複雑なのは、中島大水道が流れていたからです。

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古い住宅地なので、和洋折衷の長屋なども残っています。

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しかし、それ以上に存在感があったのが、この建物です。
取り残された雰囲気の漂う建物。

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「淡路工業会」という看板がかかっています。
味のある建物でしょう?
後で教えてもらったところでは、昔は交番だったそうです。
またこの周辺にも水路があったそうです。



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実はこのはす向かいが淡路公園です。
昭和13年に整備された区画整理公園です。
古い公園は木が大きく育っていていいですね。

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公園の西から東を見たところ。
冬なのでさびしいですが、子どもは元気に遊んでいます。

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この公園で気になったのは藤棚、ではなくてその周りの柵。
藤棚自体は新しいですが、この柵はもう少し古くて、違った形をしていたように見えます。


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古い門柱など眺めながらさらに東へ進み、城東貨物線をくぐって、鳩ヶ瀬公園を見に行きました。
こちらも昭和16年にできた古い公園です。

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公園の東の方に記念碑のある一角がありました。
これはきっと区画整理記念碑です。

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淡路土地区画整理記念碑でした。
裏を見ると昭和14年に建てられたことが分かります。
碑文は区画整理のデータだけが示された素っ気ないものでした。

淡路土地区画整理事業は、昭和6年に設立認可され、昭和14年に換地処分(新しい区画に権利が移動)が完了しています。→図面

両公園ともこの区画整理によってできた公園です。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
両公園はこんな位置関係です。

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鳩ヶ瀬公園では、区画整理記念碑以外にも気になるものがありました。
このベンチです。妙に脚が細いと思いませんか? 座面も四角いコンクリートの板ですし、もしかして戦前あるいは戦後すぐの古いものではという気がします。
1つしか残っていません。

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公園の中にあったこの板も、「元ベンチ」なのでは?

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日も傾きましたので、淡路駅に向かって歩きかけました。その途中、そら家さんというギャラリー喫茶を見かけました。暖かい灯がともり、凧がたくさんあって楽しそうなので、ちょっと寄り道。

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古いものから新しいものまで、部屋いっぱいに伝統凧が展示されていました。
毎年この時期に『凧の世界』展を開催して12年目になるそうです。この企画展を企画された「凧の会・風人」のSさんがいろいろと説明してくださいました。

昔は各地にいろいろな種類の凧があったのが、徳島発の奴凧が全国に広まって消えていったこと。日本の凧は染料で染めるので陽に透けて美しいこと。凧は春にあげるものだということ。長崎にはハタという鮮やかなデザインの凧があり、互いの糸を切る競技をすること、など。

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奥には広い喫茶スペースがあり、絵本も読めるようになっています。
地域のアート、文化拠点にもなっているそうです。
この日はNPOの新年会の準備をされていました。

活動について詳しくはこちらのブログをご覧ください。
「NPO法人 自由空間倶楽部ブログ」

東淀川の不思議空間は、道路建設が途中で止まっていたり、水路の跡があったりするためですが、最後にこんなギャラリーに出会えたことも不思議なご縁と思います。
淡路公園前の元交番のこともここで教えていただきました。
たいへんお世話になりました。また立ち寄りたいと思います。

ギャラリーNOVA「自由空間」
所在地:大阪市東淀川区淡路5-10-7NOVAビル1階

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東淀川の不思議空間(前編)

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石橋の話は少し後に回して、東淀川の話を先にします。
JR京都線の東淀川駅から阪急京都線の淡路駅まで、気になる場所をめぐってきました。
そこは不思議な空間です。

出発点のJR東淀川駅については以前に取り上げたことがあります。

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東に歩いて行くと、工事中の幹線道路、そして神社の参道と交差します。
参道には寛政8年(1796年)の灯籠一対が立っていました。

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<明治18年測量の地図に現在の鉄道を記入(貨物線は省略)>
 ※線路の位置は自信ないので参考程度にご覧ください

昔の地図を見ると、この参道沿いが引江の集落だったことが分かります。

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参道と別の旧道が交差する角にはタバコ屋さん。
定位置ですね。茨木のセンダンの木陰のタバコ屋さんを思い出しました。

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参道は延長された幹線道路で分断され、その向こうに小さな森があります。今は神社ではなく、須賀の森公園となっています。大きなクスノキは楠木正成にちなむものらしいのですが、案内板の文字が薄れていてよく分かりません。

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公園の真ん中には須賀神社跡の碑が立っています。
裏には明治43年1月13日合祀と刻まれていて、明治末の全国的な神社合祀の際に合祀されてしまったことが分かります。淡路の氏神だった須賀神社は中島惣社(神社)に合祀されたそうです。

合祀後も境内は大事にされていたのでしょう。
昭和37年になぜか分かりませんが大阪市の要請で公園となったそうです。(須賀の森公園碑の裏に書いてありました)

その後、都市計画道路が通されて、公園も半分削られました。作りかけの道路というのは、不思議な空間です。今は静かな境内ですが、幹線道路はあと少しでつながりますので、そうなるとここも騒しくなるでしょう。

周辺にも所在なげな空き地があります。

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再び引江の集落へ。
これ何か分かりますか。「引江ゆ(湯)」と書いてあります、というか細長い金属板を曲げてあります。面格子に通じるもので、鉄工所の仕事でしょう。しゃれたデザインです。

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淡路駅に向かう道沿いには崩れかけた洋風長屋がありました。

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古そうな工場事務所。

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もう一つの目的地はこれです。
知っている人は知っている高射砲台跡住宅。
場所は確認していましたが、やっと来ることができました。どこからアプローチしていいか分からず、ぐるっと回って北側からようやく近づくことができました。

この写真で左右に1基ずつあるコンクリートのかたまりが台座です。全部で4基。昭和19年、柴島浄水場や延原兵器工場(延原倉庫)などを守るためにつくられたそうです。

ここも都市計画道路が迫っています。

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間は路地になっていて、なんとも不思議な空間。

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路地の反対側から見るとコンクリートの構造物が上をまたいでいて、これはなんでしょうか。
台座の一つは工場の中に取り込まれているのが見えましたが、工場内なので写真はやめました。

高射砲台跡住宅については、いろんな方が書いておられますので、詳しい説明は省きたいと思います。

○関連HP・ブログ
 大阪日日新聞「戦争遺跡の戦後」
 まちかど逍遥「奇跡の高射砲住宅」
       「柴島浄水場と高射砲住宅」
 ひろの東本西走「柴島浄水場、高射砲跡住居」
 十三のいま昔を歩こう「高射砲陣地跡と天然記念物」
  須賀神社跡もですね。

 ほか多数

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2010年1月21日 (木)

玄関のすてきな共同住宅(池田市)

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今日も池田市石橋の小ネタです。
昨日紹介した石橋前池公園のすぐ近くに、たぶん昭和初期の共同住宅があります。
2階が赤屋根で1階が青屋根という組み合わせが昭和初期的。

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表通りからはよく見えないので路地をのぞき込みます。
するとすてきな玄関が。

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拡大すると分かりますか?
玄関が丸柱で、足下に巻かれたボーダータイルが、飛び飛びに回り上っています。
同じボーダーのモチーフを玄関扉の窓にも使うとは心にくい。
すっきりした玄関照明もすてきです(これはオリジナルかどうか分かりませんが)。

石橋は何度か来ていますが、面白いものがあります。

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余談ながら、線路の東側まで歩いて行くと(実はカメラの電池が切れて買いに行ったのですが)、大型の洋館を見かけました。ここも石橋です。

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2010年1月20日 (水)

テーマは海底探検?(池田市)

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阪急宝塚線の石橋で、楽しい公園を見つけました。
駅の南の方にある石橋前池公園です。
公園の入り口では、カニ、クラゲ、ヤドカリ、フグと海の生き物たちがお出迎え。

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ヤドカリはこんな感じで、やや怖い。

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滑り台は深海艇ではないでしょうか。

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砂場にもフグ、クラゲ、タツノオトシゴがいます。

今ならプラスチックで作るところ、コンクリートですし、深海艇の未来志向は1960〜70年代かなと思うのですが、どうでしょう。
テーマは海底探検でしょうか。
テーマ性がある公園は見ていて楽しくなります。

--

先日、石橋〜伊丹まで西国街道を歩きました。
ちょこちょこと紹介していきたいと思います。


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2010年1月18日 (月)

相生めぐり(7)旭の社宅街

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相生めぐりの最後は旭地区です。
繰り返しになりますが、相生はIHI(かつては播磨造船所)の企業城下町で、旭地区はその中心です。ここに社宅街がありました。

南から、まず飲み屋街、そして行政地区などがあります。
IHI(そして播磨造船所)は湾の南にあり、橋が架かっていましたので、ここが会社の帰り道ということになりますね。相生での造船業の全盛期は昭和47年頃だったそうです。当時はかなり賑わっていたことでしょう。
(適切な写真ではありませんが)

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<大正14年測図 2.5万分の1地形図「相生」>
※クリックすると拡大します

大正14年の地図を見ると、市役所のあるあたりはまだ海です。
この頃、藪谷(今の旭)、那波村の南には整然とした街区が描かれていて、これが社宅街ではないかと思います。とくに藪谷ではメインストリートに商店街ができていることがうかがえます。



<現在の地図>

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再び現代へ。北に歩いて行くと、まず旭センター街のアーチが現れます。
商店が並んでいて、コープやスーパーもあります。

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さらに進むと本町のアーケードです。
大正14年の地図で濃く描かれているところで、古い商店街でしょう。

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今はちょっとさびしいですが。

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こんなお店もありました。
1938年というと昭和13年です。
「サ」が10個で「サトウ」という語呂合わせも戦前らしい。

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この商店街の両側に社宅街のおもかげを見ることができます。
右はモダンな銭湯の「辨天湯」。開いてないようです。
左奥には広めの戸建て住宅がありました。

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東側。2階建ての板壁の長屋がずっと並んで壮観です。

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西側。平屋の長屋が多数。夕方の光で懐かしい気分になります。

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冬の陽は傾くのが早く、ここで相生を後にしました。
入りくんだ地形と企業城下町という条件が掛け合わされて、相生は個性的な街になっています。
別にど根性大根で売り出さなくても、ほかに売れるものはありそうです。(よそ者がどうこう言うことではないですが)
次は連絡船に乗りに来たいと思います。


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2010年1月16日 (土)

相生めぐり(6)凸型ブロック塀

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相生の街を歩いていて気になったことがあります。
それはブロック塀。よそでは平面のブロックに穴あきブロックを組み合わせたブロック塀をよく見るのですが、相生ではそれ以外に凸型のブロック塀をちょくちょく見かけます。
例えばこういう塀です。

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この門などもそう。角の丸い長方形が浮き出ています。

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その変形として、菱形に飛び出ているものもあります。

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拡大するとこんな感じ。
そういう嗜好性があるのか、こういうブロックを作っているメーカーが地元にあったのか。

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またこういう塀もいくつか見ました。
セメント煉瓦なんでしょうか。白いブロック積みです。

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別の塀の拡大写真。
かつてあった三石耐火煉瓦相生工場と関わりがないかなと思うのですが、今のところ分かりません。

いずれにしても白い塀の気になる相生でした。

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2010年1月15日 (金)

相生めぐり(5)川の向こう側

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相生市相生地区は西に開けた谷間で、北の山際を大谷川が西流しています。
北東の荒神社は大谷川を渡って聖域に入る形になっていて、明確に空間が区切られています。荒神信仰は瀬戸内に多いそうですが、相生市だけで7つも。うち2つは相生地区にあります。
なんだか気になる・・・と思っていると、異様に白いんですね。全てが。

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対岸にはだんじり小屋がありました。
やはり播磨はだんじり文化圏。

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北には大将軍神社があります。
この神社、好きなんですよ。京都にあるのが有名ですし、大阪天満宮の場所にも菅原道真以前に祀られていました。この神社は道教に由来する方位の神様で、鬼門を守護していたりします。

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相生地区の鎮守といえるのが天満神社です。
ここも白いですね。荒神社と同じく、大谷川を渡ってのアプローチです。
創建は平安末の建久2年(1191年)。相模から播磨に移り大島城を築いた海老名家季が、陣中で拾った菅原道真公像を祀ったそうです。

蛭子神社もありますし、どうも平安時代を感じさせる神社の構成です。

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この神社には多くの玉垣があります。大阪、神戸、東京といった文字が見え(それ以外の読み方がよく分からず)、全国から崇拝されているのか、出身者が全国に出ているのか、全国区の神社です。

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狛犬には文政2年(1819年)の銘があり、なかなかいい姿ではないでしょうか。材質は凝灰岩系(?)の白い石です。

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こちらも同じく。石工は紫崎と読めますが、どこなのか不明。

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石の話で脱線すると、大谷川沿いの井戸ですが、井戸枠が凝灰岩系の青っぽい石に見えます。

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石垣も同様に青い凝灰岩のような石で、これが地場の石なんでしょうか。
場所によってはもっとカラフルな石垣もありました。

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さて、中世・近世の話題が続きましたが、次は近代です。
大谷川を下っていくと対岸に洋館付きの建築がありました。

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もちろん近くまで見に行きます。
『兵庫の近代化遺産』によれば、昭和8年(1933年)の(旧)中江歯科です。『日本近代建築総覧』の追補にも記載あり。旧を付けたのは、玄関に板が打ち付けられているから。ちょっと心配です。

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洋館部分はハーフティンバーで、とくに破風部分が凝った造形です。

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小さな持ち送りにも模様が彫られています。

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隣には下見板の建物があります。
寄宿舎のようなものでしょうか。

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路地を入っていくと煉瓦塀がありました。
工場か何かがあったようです。
車が止まっているので見えにくいですけど、アーチ型の扉が2ヶ所にあります。

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さらに大谷川を下っていくと、洋館付きの旅館か料亭のような建物がありました。
これもなかなか良いです。

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洋館部分を正面から撮ってみました。
しゃれた感じです。


改めて、相生地区で洋風建築のあった場所を確認すると、西側の旧集落外にまとまっていることが分かります。この先には播磨造船所〜IHIの城下町・旭地区があり、そちらの影響を受けて洋風建築が建っていったのかなと思います。なかなか楽しい町歩きでした(まだ少し続きあります)。

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2010年1月13日 (水)

相生めぐり(4)相生のレトロ商店街

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相生市相生(あいおい)地区の中心部に入ります。
昭和14年までは相生と書いて「あう」または「おう」と読みました。
言うまでもなく、かつての相生の中心です。

入り口にはランドマークのようにJAあいおい港支店が建っています。
垂直線を強調したアールデコ風看板建築です。

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なんだかカッコイイですよね。
とくに青空をバックにすると。
昔は入り江に面していたので、船からもよく見えたと思います。

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向かいには神姫バスのりばがあります。
左奥にバス回転場があるということは、手前にも建物が建て込んでいてもっと狭かったのだと思います。さらに左には蛭子神社があり、この日は宵戎でした。漁村らしい立地です。

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集落の中心を商店街が貫いています。

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昭和レトロの町並みがあり、たとえばこんな建物があります。
軒蛇腹が細かいので、大正か昭和初期かというデザイン。

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拡大してみると模様が細かいことが分かると思います。
両端にレリーフの飾りも付いています。

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どっしり風格のある破魔(はまや)呉服店。
名前にインパクトがあったので思わず撮影しました。

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こちらは懐かしい魚屋さんです。
もう1軒ありました。

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商店街と天満神社参道の交差点に相生町道路元標がありました。(新しそうなので復刻版かもしれませんが)
次回紹介しますが、天満神社が相生村の鎮守のようです。

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角のアールがモダンな化粧品屋さん。

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要塞のようなコープ。
スーパーらしからぬ重量感ですが、元は何だったのでしょう。

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南側の通りに入ると住宅地です。
この道も海からまっすぐ伸びています。
(この写真は海の方向)

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社宅のような住宅が並んでいました。
播磨造船所ができてからは、漁村ではなくなったのだと思います。

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都湯さんは相生市で唯一現役の銭湯だとか。
漁師さんや工員さんが多かったときは銭湯もたくさんあったはずで、さびしいことです。

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再び海の近くまで戻ってきました。
埋立で海が遠くなりましたが、まだ海辺の雰囲気は残っています。

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2010年1月11日 (月)

相生めぐり(3)相生の旅館通り

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いよいよ相生市相生地区に入ります。
旭地区と相生地区は岬で隔てられていたようですが、今は埋立が進んで、岬ではなくなっています。
ただ、その突端は今も道路1本でつながっています。

城のような石垣がそびえていました。

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頂上をうかがうことは困難ですが、洋館付き住宅が建っているようです。

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相生地区に入るとさっそく下見板張り白ペンキ塗りの洋館が出迎えてくれました。
大正12年(1923年)の旧水月旅館です。
海岸線に合わせて建物もカーブしていますので目立ちます。
(この写真は振り返って撮っています)

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お隣には洋館付き住宅。
郊外住宅地に建つイメージがあり、海岸沿いにあるとやや不思議です。

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間に旧中国製氷本社(昭和初期)があったようですが気付かず。
これはひふみ旅館です。昭和初期のモダンな表情。
なぜか相生では丸ポストをよく見かけます。

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左の和風の河内屋旅館(昭和初期)をはさんで、旧太陽軒の看板建築。
これは昭和6年(1931年)の建物だそうです。今なら中華料理店の名前ですが、何屋さんだったんでしょう。
太陽コロナにTYKの(?)ロゴマークが光っていますね。

皆さんお揃いでお出迎えありがとうございます、という感じ。
ここに旅館が多いのは、播磨造船所への渡船に近いので、出張者が泊まったのかなと推測します。

以上の名称や年代は、『兵庫県の近代化遺産』(2006年)で調べました。

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近代建築ではないのですが、こちらの床屋もいい感じです。
漁村だからでしょうか、あるいは工員さん相手なのでしょうか。理美容の店をよく見かけます。地図で確認すると、この集落だけで理髪店4軒、美容室4軒あります。

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もともとこれらの店は道路をはさんで海に面していたと思うのですが、今は埋め立てられてしまいました(上の写真で堤防の右側は元入り江)。ここに建物が建ち始めると昔の光景は思い起こしづらくなるでしょう。

奥に見えるのは、これから向かう相生の中心集落です。

<追記:関連HP・ブログ>
 旅ぽた「網干&室津&相生」から「相生のはずれ1」2002年
 旅ぽた「相生から赤穂」2002年
 道草画日記「相生<1>工業街」2005年
 (2010.1.23記)

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相生めぐり(2)相生湾を歩く

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前回の続きです。
赤穂城下道(赤穂街道)を離れ、相生湾に出ました。
相生湾もだんだん埋め立てられて、海が遠くなっています。
正面に見える森も、元は大島という湾内の島だったのが、宝永7年(1710年)の新田開発で陸地化しました。この島には源平時代や南北朝時代に大島城があったそうです。今は神社とお寺があります。

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海岸沿いに歩いて行くとマリーナがありました。
大島の向こう、対岸に見えるのは旭地区で、市役所はじめ行政機関などが並んでいます。

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背後には小さな赤煉瓦小屋がありました。
何に使われていたんでしょうね。

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背後の丘に登ると中央公園です。
中央公園は、三石耐火煉瓦の相生工場の跡地を利用して作られたらしい。
公園に来た目的は、この相生市立歴史民俗資料館です。

近代建築ファンなら「むむ」と思いますよね。
職員さんに聞いてみると、やはり近代建築を模したものです。
モデルは、明治18年に建てられた旧赤穂警察署入野分署。明治26年に鶴亀高等小学校として移築転用され、役所の支所として使われた後、民間人の手に渡って昭和61年に取り壊されたそうです。

開館時間は午後2時半までなので慌てて見学します。
もっとも、小さな資料館で、私が知りたい近代の展示はわずかですので問題はありません。

近代では(株)播磨造船所の昭和6年時の全景写真と解説がありました。解説によれば、もともと漁村だった相生(おお)村の村長が、大型汽船を呼び込めば賑わうだろうと、明治40年に播磨船渠(株)を創立したそうです。しかし建設中にドックが崩壊。この危機に出資者の一人が事業を再建、播磨船渠合名会社設立→播磨造船(株)→神戸製鋼に合併されるという変転を経て、昭和4年に神戸製鋼から分離独立したのが(株)播磨造船所です。

のち、昭和35年に石川島重工業(株)と合併して、石川島播磨重工業(株)(IHI)の相生工場になりました。現在もIHIのグループ企業が集中しています。

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資料館を駆け足で見学した後、相生湾にかかる相生大橋を渡りました。
この橋からの眺めはとても良くて、お勧めです。

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北を見たところ。
左の丘の上に建っているのがさきほどの資料館、中央の小山が大島、右が旭地区です。

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南を見たところ。
ここでは湾がY字になっていて、南側の対岸にはIHIグループの巨大な工場が並んでいます(完全な逆光ですみません)。パネル工場と表示されていましたが、現在はどうなのか分かりません。
写真がありませんが、手前右手には道の駅あいおい白龍城(ぺーろんじょう)があります。

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旭地区側に渡ると、ちょっと気になる建物がありました。
きれいですが、古いスタイルの建物に見えます。

余談ですが、手前にあるのはペーロンのモニュメントです。
元々は長崎で中国人が始めた船の競走を、長崎の造船所から播磨造船所に働きに来ていた工員が懐かしんで始めたのがきっかけらしいです。

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さて、先ほどの建物は、岡山の建設会社・大本組の相生営業所でした。
どう見ても近代建築のスタイルですよね。
なぜこんな建物なのか、詳しいことは分かりません。

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旭地区の南海岸は公園として整備されています。
隣には浮桟橋があります。私の手持ちの地図には、このあたりに皆勤橋という橋が載っているのですが、見当たりません。橋がなくなることってある?

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※クリックすれば拡大します

と思ったら、皆勤橋跡の解説プレートがありました。
なんと皆勤橋は、昭和18年に箱船10台を並べて浮桟橋でつないだものだったんだそうです。名前から分かるとおり、対岸の工場に通勤するための橋です。平成14年まではあったんですね。あったら絶対に渡ってみてるのに。
イベントの時にでも一時復活させませんか?>相生市さん

ここにはもう一つ珍しいものがあります。

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<浮桟橋の貼り紙>
※クリックすれば拡大します

それは通学のための連絡船です。こちらは現役。
白龍城とここ(相生)と湾口の坪根を結んでいます。陸続きなんですけどね。12人乗りのつぼね丸という連絡船が走っているそうです。
連絡船という響きがいいですよね。

ぜひ乗ってみたいと思ったのですが、そんなことをしていたら日が暮れてしまいます。かなり迷いましたが、まだまだ回りたいところがあるので、また次にということであきらめました(この時点ではあきらめてなかったけど)。でもいつまであるのかな。手持ちの地図(平成12年版)には坪根の対岸の鰯浜にも渡船があるように書いてあるのですが、こちらはなくなったようです。


大きな地図で見る

位置関係はこの地図を見てください。

最新の運航情報は相生市のHPでご確認ください。
ちゃんと一般の人が乗ってもいいと書いてあります(燃料代の足しにはなるのでは)。
ショートクルーズで楽しいと思います。車だったら、道の駅あいおい白龍城に止めればいいですし。

私はクルーズに未練を残しつつ、すぐ先にある相生地区に向かいました。

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2010年1月10日 (日)

相生めぐり(1)赤穂城下道を歩く

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<相生大橋から相生市内>

新年早々、更新が遅くなりました。
初歩きに兵庫県の相生(あいおい)に行ってきました。


相生というと、「新幹線の通過駅にあったような」という人が多いのではないでしょうか。

なぜ相生かというと、
地図を見て、前々から興味をそそられていたのです。
6km以上も深く切れ込む相生湾、陸地化した島、旧街道、駅から離れた中心市街地、石川島播磨重工の企業城下町・・・いろんな意味で魅力的です。しかも情報が少ない、となれば行くしかありません。

相生市街地は山と湾に挟まれた小さな平地・埋立地に、いくつかの集落が分散しています。
駅前の陸(くが)、旧赤穂城下道の那波(なば)、企業城下町で中心市街地の旭(あさひ)、旧漁村の相生(あいおい)などです。(埋立により一体化が進みつつありますが)

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山陽本線の相生駅から歩き始めました。
(冬の関西1デイパス(2900円)が使えたことに後で気づきました)

目の前にビジネスホテルがどーんとある、妙にすっきりした駅前広場です。巨大ないかりのモニュメントは造船の町をPRしているのでしょう。

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再開発された駅前の道をまっすぐ進むと、道標のある分岐に出ます。右が西国街道、左が赤穂城下道(赤穂街道)に向かう分岐です。
ここからがスタート。私は赤穂城下道を歩いて行きます。

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道は左へとカーブしていきます。
やはり旧街道は歩いて楽しい。車も滅多に通りませんしね。
ここで左手に気になる建物がありましたので脇道にそれます。
このあたりは栄町です。

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金谷医院という名前です。いかにも昔の個人医院。
前面の通りはかつて相生駅と旭地区、相生地区を結ぶメインストリートでした。(古い空中写真から判断すると)

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玄関はこんな雰囲気です。
使われてなさそうなのが残念です。

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外壁のタイルはパターン入りなので、昭和10年代かなと思うのですが、どうなのでしょう。

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お隣は元銭湯です。
残念ながら閉まっています。


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裏手に回ると社宅街らしき長屋群がありました。

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こちらも社宅っぽい。管理職向けの社宅に見えます。

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随分脇道に逸れてしまいましたが、再び街道に戻ります。
旧街道を歩いてきて振り返ったところです。
右下に小さな石柱がありますでしょう?

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やはり道路元標です。
「那波村道路元標」と書かれています。
那波村は明治22年〜昭和6年町制施行まであった村で、昭和14年に相生町に合併されました。
道路元標を見つけると「中心に来た」感じがして、うれしくなります。

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街道筋の町家です。
桟の入れ方が凝っていますね。

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井戸枠が石でできた井戸を見かけました。
のぞき込むと木の輪が4つ漬かっています。
前右とか後右とかラベルが貼ってありますので、だんじりの車輪ではないでしょうか。

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少し先にもっと大きな井戸枠がありました。
お城にあるような井戸です。馬でも洗ったのでしょうか。

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那波八幡神社の参道です。
本殿はずっと先ですので、遠目に見ただけで、参拝はしませんでした。規模からみて、ここが氏神さんのようです。

このまま歩いて行くと赤穂まで行ってしまいますので、ここで旧街道を離れます。

○関連記事
 2008年に赤穂・坂越(さこし)について書きました
 「赤穂でお散歩」
 「赤穂の塩の役所」
 「坂越のぼり、おり」
 

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2010年1月 1日 (金)

あけましておめでとうございます

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皆さま、新年あけましておめでとうございます。

改めてご紹介しますと、
このブログは、普段の町でも旅先でも、旅の視点で魅力を見つけていこうというものです。
とくにここ数年ずっと近代のものに関心が向かっているものですから、町の中にある近代のものを紹介することが主になっています。(建築とは限りません)

近代の公園や郊外住宅地の探訪は今年も続けますが、
今年はもう少し新たな試み(今まで取り上げていないテーマの紹介など)もやってみたいと思います。
また、もう少し読みやすさを考えます。

皆さんの大事な時間を使って見ていただくので、できるだけ中身を濃くとは思っていますが、一方、無理をせず続けることもモットーにしていますので、内容にムラが出ています。
更新ペースもまちまちです。
そんな気まぐれブログですが、今年もよろしくお付き合いお願いします。

なお、コメントは励みになりますので、お気軽に付けてくださるとうれしく思います。

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