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2009年12月

2009年12月31日 (木)

今年もお世話になりました

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これで本年最終の書き込みとなります。
地味な話題の多いこのブログですが、いつも見ていただいている皆さま、ありがとうございます。
ブログを通じて何人もの方と知り合うことができ、これが一番うれしく思っています。

今年は、2月の新潟に始まって、4月に答志島神島、5月に網干、6月に北海道、8月に東京友が島、9月に新居浜、11月に中万・射和・相可、12月に彦根とあちこち出かけました。また、堺市や大阪市内についても、公園や郊外住宅地を主な対象として、かなり歩き回りました。
旅行の面では非常に充実した一年でした。

カテゴリー分けや目次の作成など、記事を探しやすくはしましたが、まだ記事そのものが読みにくい場合もあるように思います。何か気づかれたことがありましたら、こっそり教えてください。

今年もたくさんの方に見ていただき、またコメントをいただき、ありがとうございました。
コメント大歓迎ですので、読むだけの方もぜひお気軽に書き込んでください。

それでは皆さま、良い年をお迎えください。

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津波・高潮ステーション(大阪市西区)

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津波・高潮ステーションって知っていますか?
今年9月、阿波座(江之子島)にオープンした大阪府の施設です。
オープン間もない頃にたまたま通りがかって入りました。
入り口は中央大通側ではなく、本町通側にあります。
(本町通がここまで続いているのにも驚きますが)

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展示内容は、津波・高潮の脅威とその対策PRです。
大きな声では言えませんが、無駄にお金をかけているような
近代ファンには、参考になる展示もあります。

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例えば、室戸台風、ジェーン台風などの浸水被害マップや被害写真など。
ダイビルが水に浸かっている写真なども展示されていました。

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私がとくに気に入ったのは、“安治川水門の模型”。
ちゃんと水門が動くんですよ。
アンケートに「何が気に入りましたか?」という設問があったので、「安治川水門の模型」と書こうとしたら、そういう選択肢はなかった(笑)

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庭にも展示物があります。
これは折れた淀川区域標。昭和6年、大川(旧淀川)の右岸の長柄に、大阪府と内務省の管理区域境界標柱として設置されたものです。

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これも何かの橋の親柱でしょうか。

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なお、隣には(大回りしないといけないけど)、旧大阪府立工業奨励館付属工業会館(昭和12年)があります。大阪府立産業技術総合研究所の前身です。
大阪府の江之子島アートセンター(仮称)として整備される予定ですが、進んでいるのでしょうか。

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向かいにある、大正8年のK邸も元気です。

津波・高潮ステーションにお出かけの際は、ぜひついでに。

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彦根レトロを探して(5)外馬場公園とまちなか建築

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銀座商店街を後に、彦根城に向かって、まちなかの探訪を続けました。
気の向くままに歩くうち、京町2丁目の外馬場公園に出ました。
公園については下調べしています。彦根城外堀を埋め立て、昭和31年(1956年)に完成した公園です。旧称・中央公園。

この公園がレトロ感たっぷりなんですよ。
公園は道路で「児童広場」と「ようじひろば」に分割されています。
とくに「ようじひろば」がいい。上の写真は「ようじひろば」です。
まずこのゲート。

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このお父さん・お母さん用のベンチもちょっといい。

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かにさんプール。
タイルでかにさんの絵が描かれています。

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一方、児童広場にはコンクリートの卓球台があります。

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児童広場には並木があり、「外馬場」という言葉の印象通りです。

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最後に外馬場公園のプレート。

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この外馬場公園の隣には、金亀会館(中央町)があります。
江戸時代の藩校・弘道館の講堂を大正12年に移築したものです。

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中央町を歩いて行くと、商工会議所の裏手に洋館付き住宅がありました。

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中央商店街を渡って西へ進むと、俳遊館があります。
旧彦根信用組合本店で、大正12年(1923年)の建物。
彦根はほんとに古い金融機関が多いですね。
滋賀県内での格の高さが分かります。

ちなみに彦根信用組合は、現在の滋賀中央信用金庫だそうです。花しょうぶ通りにある近代建築を銀座支店として使っています。

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直線的な中にも、柔らかさを感じさせるデザインです。
現在は、俳句をテーマとした資料館です。館内に入れます。

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ちなみに側面の入り口庇は、もともとのデザインを復元して補修しているように見えます。努力は感じます。

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同じ通りに見覚えのある建物がありました。
旧本町郵便局だそうです。大正13年の建築らしい。
旧彦根河原郵便局と細部は違うものの全体の印象がかなり似ています。

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正面から見たところ。
何かに使わないのでしょうか。

もうかなり暗くなり、写真撮影するには無理があるので、今回の探訪はここであきらめました。

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帰りに彦根城のお堀を通る頃には、あたりはかなり暗くなっていました。
やはりこの季節はあまり余裕がありません。

おおよその様子は把握できましたので、次はまた春になり、日が長くなった頃に訪れたいと思います。


○関連ホームページ・ブログ
 NPO法人スミス会議「彦根の近代化遺産」
 まちかど逍遥「彦根を歩く(前編)」
       「彦根を歩く(後編)」

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彦根レトロを探して(4)近代建築通り

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再び花しょうぶ通り(旧称・上恵比須商店街)に戻ります。
今度は街の中心に向かって歩いて行きます。
現在の花しょうぶ通りは観光スポットになっていて、戦国時代ファン向けの土産物店などがあります。

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この通り沿いに近代建築がいくつもあります。
まず最初に現れるのが、宇水理髪店(昭和11年)です。
『湖国のモダン建築』でも紹介されています。
同書には「内部見学可」と書かれていますが、お客さんがおられたので、外観だけ見学しました。
内部は、「まちかど逍遥」で紹介されています。

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アーチのてっぺんの飾りは、商店街のHPによれば、「バリカンと櫛」がモチーフだそうです。言われてみれば。バリカンは分かりますが、櫛はどの部分なんでしょう。

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宇水理髪館の斜め先のあたりにも近代建築があります。
後で調べると、大正期の旧彦根河原郵便局です。
茶色のタイルに白い御影石を組み合わせ、1・2階の間にセセッション風の装飾を付けた、大正時代らしいデザインです。
どの文献でも「旧」河原郵便局と紹介されているのに、郵便局のホームページには、普通に掲載されています。「旧」なんでしょうか。

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下から見上げるとこんな感じ。
出っ張りがひげみたい、と思ったら、ヨーロッパの王様の顔に見えてきました。

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こちらもメルヘンチックな近代建築です。
大正7年の建物。建築時は明治銀行・彦根支店で、現在は滋賀中央信用金庫・銀座支店です。ど真ん中の名前ですね。

花しょうぶ通りと芹橋雨壷山通り(登り町グリーン通りの筋)が交差する重要交差点に建つランドマークです。交差点は江戸時代に久佐の辻と呼ばれた繁華街でした。

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この先、花しょうぶ通りは幅員が広がり、銀座商店街へと名前を変えます。
地名も、この通りの両側だけが銀座町という名前で、特別扱いです。

この商店街は1960〜70年代の表情を見せています。3階で高さと窓が揃ったファサードは、左にカーブしていることもあり、水平線がどこまでも続いていくような錯覚を起こさせます。
完成時にはかなりインパクトがあったのではないでしょうか。
残念ながら、江戸時代の町並み以上に古びた印象を与えてしまっています。


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その先に滋賀銀行彦根支店があります。
これで大正14年の建築というのですから、モダンさに驚きます。『湖国のモダン建築』に載っていなければ、たぶん見過ごしていたでしょう。東京の曾禰中條建築事務所が手がけています。
かつての百卅三銀行本店です。この銀行は滋賀銀行の前身の1つですので、いわばルーツといえます。

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正面に回ってみると、中央ではなく、両側に入り口が設けられています。
昔の銀行なら4本の円柱が並ぶところ、単純な四角い柱が4本立っています。

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入り口に近寄ってみると、大正時代らしく幾何学装飾が施されていて、ほっと(?)します。
花しょうぶ通りから銀座商店街にかけては、これらの近代建築に見られるように、大正・昭和にかけての繁華街の表情を見せています。

なお、この滋賀銀行の裏側も面白い街です。
戦後すぐにパン屋さんを開業して、今は雑貨店の傍ら大判焼きを売っているお店、お寺、神社、レトロ感のある銭湯「山の湯」などがあります。元は彦根城の外堀だったらしく、「何か訳がある」と感じさせる街です。あわせて探訪すると面白いと思います。

○関連ブログ
 まちかど逍遥「彦根を歩く(前編)」
       「彦根を歩く(後編)」

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2009年12月29日 (火)

彦根レトロを探して(3)芹川の両側

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近江鉄道本社を見た後、花しょうぶ通りに入りました。
花しょうぶ通りは旧名・上恵比須商店街で、江戸時代以来の賑やかな通りだったようです。繁華街と逆方向に歩いて行くと、狭いながら出格子の趣きある家並が続きます。

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この通りが芹川にぶつかる手前に、唐突に洋館がありました。
明治・大正期の洋館に見えます。芹川沿いの道路側からも見えますので、電車からも見えるのではないでしょうか。詳細は分かりません。

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芹川を渡って南側にも回ってみます。
(それで時間がなくなるのですが)

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芹川沿いには、江戸時代に堤の補強として植えられて以来のケヤキ並木があります(樹齢400年とか)。
ケヤキはとても好きな木なのですが、既に落葉しているのでよく分かりません。

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芹川の南にも趣きのある路地があります。
こういう道はとくに大好きです。

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目地のシャープな石垣。

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路地を抜けると、中山道につながる七曲がりの仏壇店街に出ました。
大阪・関目の七曲がりと同じで防衛上の理由のようです。城下町はT字路が多いとよく言いますが、彦根は徹底しています。
彦根はほんとにいい街並みがあちこちにあります。

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街道筋を彦根城に向かって歩いて行くと、朱子学・陽明学研究所という建物がありました。さすがは彦根藩です。

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ちょっと気になったもの。
2階に帯状の瓦(何というんでしょう?)で「波うさぎ」の連続パターンが入ったものがありました。面白いデザインだと思います。

などと建物を楽しみながら街道筋をたどって行くと、芹橋で再び芹川を越えることになります。
この橋のたもとにえびす神社がありますが、上恵比須通りの恵比須とはここのことでしょうか。

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彦根レトロを探して(2)校舎が本社

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新快速が彦根駅に向かう途中、左手に古い木造建物が3棟見えます。
雰囲気的には工場かなと思いつつも、それが何なのか気になり、確認しに行きました。
途中、安清町など裏通りでも古い街並みが残っていて感心します。
佐和山小学校を回り込むとその建物はありました。
思ったよりきれいです。

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車寄せがあり、玄関の看板を見ると・・・近江鉄道!
近江鉄道グループの本社なのでした。これにはびっくり。
古い本社を使い続けているのかというと違って、彦根市立東中学校だった校舎を使っているとのことです。それはそれで珍しいことですが。

ではいつの建物かというと、いくつかの情報があります。
まず1900年(明治33年)という説。出典は不明です。
朝日新聞関西版のぷらっと沿線紀行「歩み111年 奇跡の経営 近江鉄道」(2007年7月7日)という記事には、「本社も73年に土地区画整理事業のため仮移転した築59年の元中学校の木造校舎を、一部補強工事をしただけで使い続ける。」と書かれています。
築59年が仮移転時か、現時点か分からないので、1914年(大正3年)または1948年(昭和23年)です。

窓の大きさなどを見ると、昭和23年が妥当かもしれません。
模型ですが、こういうものが出ています。
かなり近い。

昭和23年であっても、今となっては貴重なことに変わりありません。

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車寄せのガードもちょっとデザイン入っています。

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側面には三角形の補強(控壁)が入っていますので、横から見ると将棋の駒のような形に見えます。

この建物を使っている理由は「節約のため」だそうなのですが、それだけでしょうか。
決して誇ることはなく、普通に使われています。
来年には彦根駅東口に本社移転するようですが、せっかくですから、この建物も何か別の用途に使い続けていただきたいなと思います。

(追記)
 2010年に近江鉄道本社が移転した後、校舎は解体されたようです。
 続報が見つけられなかったので確認できていないのですが。
 
 →滋賀彦根新聞「近江鉄道 彦根駅東口に本社建設、元彦根東中校舎の元本社は解体へ」
 (2013.4.8記)

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2009年12月28日 (月)

彦根レトロを探して(1)整備された商店街に悩む

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年内最後の遠出をしました。
西か東か迷って、決めた行き先は彦根。何度も通過しながら、私には未踏の地です。『湖国のモダン建築』と地図を手に出かけました。

冬の湖北は曇りがちで、湖東の彦根はボーダーライン。あまりいい季節とは言えません。
朝、出遅れた上に、新快速が遅れて、薄暗い彦根に降り立つことになりました。

どうせ1日では回りきれないので、大まかに地理が把握できれば、ぐらいの気分で出かけたものの、思った以上に回れなかったことを最初に謝っておきます。ひこにゃんもヴォーリズも出てきません。裏を返せば、それだけ見どころがたくさんありました。彦根は江戸時代の町並みが売り物ですが、私はいつも通り、明治・大正・昭和初期のレトロ建築を中心に回りました。松江でも感じましたが、江戸時代の史跡が多い町はどうしても近代のものは後回しになるような気がします。

初めての街では、どちらに向かって歩きだすか悩むところです。
『湖国のモダン建築』で主要な近代建築は南にあることがわかるので、駅の観光案内所でマップを手に入れた後、南に向かうことにしました。

駅前通はまっすぐ彦根城に向かっています。
途中、佐和町商店街の筋で南に折れました。ここから銀座街まで4つの商店街が連なっています。
商店街の地図

おいでやす商店街に入ると雰囲気が一変(上の写真)。彦根は商店街の修景が進んでいると思うのですが、ここは町家風(漆喰壁に瓦屋根)に修景されています。写真では見にくいでしょうか、木製の看板が張り出しています。

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そして、このレリーフ瓦。「彦助」というキャラクターだそうです。
この彦助の瓦が各店の壁に使われています。
ちなみにここは何のお店か分かりますか?

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ちょっと引いてみましょう。
「いちばん」という看板が下がっていますね。

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正解は「パチンコ屋さん」でした。
徹底しています。

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京町の交差点で大きな通りとクロスします。
街歩きをしていると、「京町」というのはポイントになることが多い地名という気がします。
このあたりは東西に長い京町商店街です。

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途中の蔵で見かけた、松皮菱の木製留め具。
ちょっとおしゃれです。

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歩いていくと大きなお屋敷があって、塀の上にコンクリートの壁が見えました。
表札を見ると「滋賀銀行志賀寮」と書かれています。滋賀銀行の前身の一つは彦根の百卅三銀行ですので、誰か関係者のお屋敷だったのでしょうか。

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別の角度から見ると洋館付き住宅の洋館部分であることが分かります。大正末〜昭和初期か。

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登り町グリーン通り商店街に入るとまた雰囲気が変わります。
アールがついているので古い建物かもしれないけど・・・

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ここは茶色い壁(マリア・テレジア・イエローという色らしい)に修景してあります。

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足元には現代版スクラッチタイル。これも各店で共通して使われています。

商店街の整備は支持したいのですが、まち歩きをする人間には、どれが古いのやら、オリジナルなのやら分からずに悩みますね。

ちなみに登り町グリーン通りの終点は、江戸時代以来の繁華街「久佐の辻」で、滋賀中央金庫銀座支店(大正7年)が建っています。これは改めて紹介します。

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2009年12月27日 (日)

西平野の住宅地(大阪市東住吉区)

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旧大阪市営杭全住宅の周辺の話です。
ここは大美野田園都市で知られる関西土地(株)が、昭和4〜5年にかけて造成した西平野土地区画整理事業地(うち60%は平野荘園)です。住所でいうと東住吉区の杭全7・8丁目と今川2・3丁目にあたります。

JR大和路線の東部市場前駅から歩いて地区に入ると、さっそく2階建て洋館付き住宅が現れました。

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地区内には長屋が多く見られます。
それも様々なタイプがあります。
これは洋館付き住宅風。

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和風長屋。

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別の和風長屋の2階木製手すりの意匠。

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南北メインストリートの和風長屋。

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育和公園の向かいにある、洋風を感じさせる長屋。


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地区内にある育和公園は区画整理公園として整備されました(開園は昭和10年)。
蝶のように三角の公園が2つ連なった形をしています。
しかし、2001年に改装されたためか、木々を除けば、古い公園という感じはありません。

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公園の近くには、皇紀2600年(昭和15年)の平野西之町東町会の標柱が立っています。
昭和5〜53年までの住所は平野西之町だったようで、「平野西之町」の地名標識も残っていました。

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住宅地には戸建住宅もあります。
というより、こちらの方が特徴的です。
例えばこの3階建て住宅。増築されているかもしれませんが、門柱はスクラッチタイルですし、玄関脇には丸窓もあります。

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向かいには塀に丸窓のある住宅と、腰まで青磁色のスクラッチタイルを貼った医院が並びます。
この丸窓の塀は古い銭湯などで見かけますね。

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医院の窓面格子はひねりの入ったデザインです。

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面格子では、こんなデザインのものもあります。

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旧大阪市営杭全住宅の並びには、蔵付き洋館付きのお屋敷が2軒並んでいます。

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見えにくいですが、洋館付き部分が分かります?
右門柱の扇型貼石にも注目。

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こちらも見えにくいですが、洋館付きです。

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また、東の方にも近代の住宅が並んでいます。
洋館付き住宅の一種です。
アップは控えますが、洋館部分の1階にも2階にもステンドグラスが入っています。

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隣の長細い建物。寮か何かだったんでしょうか。

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最後にご紹介するのは正統派の洋風住宅・A邸です。
見どころは多様な面格子。

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こういう曲線の面格子や×印のような面格子などがあります。

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スクラッチタイルに縁取られた八角窓にはステンドグラスがはまっています。

地区を一周して、さすがは関西土地(株)の開発地という印象を持ちました。
皆さん、古い住宅を大事に使われているようですので、ぜひこれからも残していっていただきたいなと思います。


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2009年12月24日 (木)

近代建築ライトアップ(大阪市中央区)

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いま大阪では、中之島で「光のルネサンス」、御堂筋から堺筋にかけて「ミッドウェイ・オーサカ」というイベントが開催中です。
これに自主的なライトアップも加わって、どこまでがイベントなのか分からない状態です。
会社から近いので、このうち、ミッドウェイ・オーサカの一部である「近代建築と光の芸術」(近代建築ライトアップ)を2日続けて見てきました。
既に「ひろの東本西走」など、いろいろなブログで紹介されていますが、私も報告しておきます。

まず、東横堀川を越えるときに、東横堀川閘門(水門)のイルミネーションが目に入りました。
光のルネサンスの一環なんでしょうか。

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肉眼では光がゆらゆらと、もう少しきれいに見えます。

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北浜レトロビル前の光の芸術はねぶた?
ライトアップだと思っていたので、びっくりしました。
東大寺南大門の仁王像がサンタの顔をしている、ようです。
北浜レトロビルを開発から守っている形でしょうか。

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近くで見るとかなり巨大。
(こちらの白い光の方が実際の色に近いと思います)

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続いて、平野町の生駒ビル。
光の振り子がシンプルなアニメーションで揺れるほか、カーテンにもゆらゆらと光が投影されています。

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各ビルにはスタンプラリー用のスタンプがセットされています。
スタンプだけでも集める価値がありそう。

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少し戻って、伏見町の青山ビル。
昼間の表情と打って変わったけばけばしいライトアップです。
好みが分かれそうですが、建物を傷つけずに思い切ったことができるのがライトアップですので、それもありなのでしょう。色は次々に変わります。

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お隣の伏見ビルのライトアップは20時までで終了していました。
ビーナスの誕生のステンドグラスだけが光っています。

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最後に芝川ビルを訪ねました。
ここが一番正統派のライトアップをしています。
間接照明で、いったん水面に反射させた光を当てていますので、実際に見るとゆらゆら揺れています。

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凹凸のある壁面ですので、光を当てるといっそう目立ちます。

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中ではレリーフ修復記念品として、工事の際に切り出されたオリジナルの竜山石の板を売っていました。限定300個らしいです。コースターに使えそう。竜山石というところがうれしくて、1個買って帰りました。暖色系の色目のものと青みがかった色目のものがあります。

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最後は御堂筋に到着して終わり。
御堂筋はイチョウのイルミネーションです。

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でもこういう意図せぬライトアップも好きです。
光が当たる部分は、なかなか落葉しないんでしょうか。
(堺筋の旧小西儀助商店にて)

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2009年12月16日 (水)

末っ子は洋風下見板 〜大阪市営杭全住宅

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以前からとても気になっていた「西平野」(現在の杭全(くまた))を歩いてきました。

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※着色は私

きっかけは『大阪市土地区画整理図輯』(昭和6年)です。
その中の一枚に「西平野土地区画整理事業」の図面(上図)があり、2つの点で非常に興味をそそられました。
一つには、組合事務所が関西土地(株)(大美野田園都市で知られる)であること。
二つめには、大阪市営住宅が描かれていることです。

この大阪市営住宅の区画は終戦直後の米軍撮影空中写真にも写っており、現在のグーグルマップで見ても同じ区画が維持されているように見えます。(これは期待できる!)

調べてみると次の論文がみつかりました。
 穐山憲・蓮井睦子・宮岡大・小玉祐一郎さんの
 「大阪市営杭全住宅の住環境設計とその現状評価に関する研究 : その1 歴史的位置付けとその特色に関する考察(環境との共生,建築計画II)」(2001)
 宮岡大・穐山憲・小玉祐一郎さんの
 「大阪市営杭全住宅の住環境設計とその現状評価に関する研究 : その2 杭全住宅の現状調査(環境との共生,建築計画II)」(2001)

この2本の論文で、この市営住宅が、以前に出会った大阪市営北畠住宅と兄弟関係にある杭全住宅であることを知りました。以下、この論文を参考にさせていただいて説明します。

大正から昭和初期にかけて、当時の関一大阪市長は住宅問題の解決策のひとつとして市営住宅の建設と運営を実施したそうです。市営住宅には貸付住宅と月賦住宅、不良住宅改良(いわゆる軍艦アパート)のタイプがあり、このうち月賦住宅は5ヶ所に建設されました。

掲載表によると次の通りです。
(1)北畠住宅(住吉区天王寺町)
   大正15年12月建設、104戸
(2)高見住宅(西淀川区高見町)
   昭和2年2月建設、70戸
(3)都島住宅(北区澤上江町3丁目)
   昭和2年4月建設、60戸
(4)今里住宅(東淀川区今里町)
   昭和2年5月建設、88戸
(5)杭全住宅(住吉区杭全町)
   昭和3年2月建設、136戸

つまり、5人兄弟の長男が北畠住宅で、末っ子が杭全住宅といえます。
北畠住宅と杭全住宅が中産階級向け、残りは工場労働者向け住宅だったそうです。

2001年の論文の時点で、外壁・外観が維持されている住宅が24戸、躯体等一部が保存されているものが45戸、計69戸が現存とされ、地図も載っています。
この地図を片手に現存を確認してきました。

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現在の住所は東住吉区の杭全7丁目で、最寄駅はJR大和路線の東部市場前駅です。(初めて降りました)杭全の交差点を斜めに渡って、国道25号から中に入ると杭全の旧集落の向こうに西平野土地区画整理地区に入ります。ここにも興味深い物件は多数なのですが、それはまた改めて。
まっすぐ市営住宅のあった場所に向かいます。

杭全住宅地区の角で、改築はされていますが、さっそく昔の住宅が出迎えてくれました。
さきほどの論文によると4戸1ブロックの構成で、4戸の真ん中に中庭のような空間ができるプランだったそうです。

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これも古い住宅。
屋根が洋瓦(後で紹介します)でしかもカラフルです。
もともとそんな葺き方だったのでしょうか。

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こちらは外壁が下見板。
だんだんオリジナルに近づいてきました。

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この門柱はアールデコが入っています。
門柱は一種類ではなく、いろんなパターンがありました。

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かなりオリジナルに近い住宅です。

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この玄関扉など変わってなさそうです。
北畠住宅と比べてかなり洋風。

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取り外した洋瓦が庭に置かれていました。

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鬼瓦にはおなじみのパルメット(ナツメヤシ)模様です。
今まで見たことのあるパルメットの鬼瓦の中でもかなり美しく感じます。
屋根瓦も洋風なのが、和風瓦の北畠住宅との大きな違いです。

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この住宅は小公園に面して建っています(奥側の住宅)。

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小公園は2つあって、もう一方にはこれも古そうな集会所が建っています。こんなものもあるとは。これは住宅の建設後に建てられたそうです。

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「中町会会館」という表札がかかっています。
入口の屋根もちょっとしゃれた感じ。

ちなみにトップの写真はこの公園周辺の写真で、このあたりが一番、昔の雰囲気を感じられます。

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こちらのお宅は植栽がきれい。
1階の白い木製格子はオリジナルのようです。
門柱がまた違うパターンです。

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植栽によってまたかなり印象が変わります。

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もとの住宅への愛着を感じさせる増築例。
あえて、元々の下見板を見せています。

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最後に見つけたこの住宅が私のお気に入りです。
2階の白いベランダ手すりと白い窓による格子パターンがいい。
素敵です。

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玄関へのアプローチもいい感じです。

結局、外壁・外観が維持されている住宅が15戸、躯体等一部が保存されているものが39戸、計54戸が現存のようです。プラス集会所。あまり正確とも言えませんが、かなり残っていることは確か。

日没のため、関西土地(株)による西平野土地区画整理地区(うち60%は「平野荘園」住宅地)をほとんど写真に撮れませんでした。改めて天気の良い日に出直そうと思います。

まだ見たことのない方、お勧めです。

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2009年12月13日 (日)

街道の交差点・相可(三重県多気町)

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松阪市の射和(いざわ)とは櫛田川をはさんで対岸に、多気町相可(おうか)の町があります。
2つの町は両郡橋で結ばれ、今は一つの町のようです。
まさに2つの郡(飯野郡と多気郡)を結ぶ重要な橋ということでしょうね。
向こうが相可の町です。

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相可の町は、伊勢本街道と射和から渡ってくる熊野街道バイパスルート(たぶん)との交差点でした。
そのため、宿場町の雰囲気が色濃く残っています。

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両郡橋を渡る途中、相可側50m上流に見える煉瓦の橋脚が気になりました。
現在の両郡橋は3代目で、1代目は明治21年に、渡し船があった100mほど上流に架けられたといいます。明治41年に2代目、昭和32年に現在の橋が架けられました。
やや距離が近く思えますが、2代目両郡橋の橋脚でしょうか。

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川の中程にも倒れた橋脚のようなもの、対岸の射和にも煉瓦の橋脚が見えます。

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橋脚には階段が付いています。
これでは歩く人しか無理?

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ちょうど街道の交差点には道標が2つと井戸があります。
左右が伊勢本街道で、奥が熊野街道。

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こちらは同じ辻で伊勢本街道の奈良側を向いたところです。
街道らしい町並みが残っています。
「まつかさ餅」の看板が見えますでしょう。

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きれいに撮れてませんが、これがまつかさ餅です。
餅の表面に米粒が付いていてユニーク。
こしあんに黒砂糖が入っていて、やさしい味です。
相可を訪問された方はぜひ。1日しかもちません。

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さて、相可の伊勢本街道筋を奈良方面に歩いていくと、木造の古い医院がありました。
古い医院は残して、向かいに新築されたようです。

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軒先の瓦には透かしの玉が。
もとは獅子がいたんでしょうか。
鬼瓦も立派です。

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伊勢風の押し縁下見板の蔵です。

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この蔵も瓦を見ると軒に凝った飾りが入っています。
菊水でしょうか。

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食物調理科の高校生レストランで有名な相可高校を過ぎて、小川の手前で大きな椋の木が立っています。
宿場の目印になっていたのでしょうね。
こういう風景にはとくに心ひかれます。

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この橋を下から覗き込んでみました。
大正10年代の橋です。
こんな小さな橋ですけど、存在感がありますね。
町の境ということで、このあたりで引き返しました。

簡単な紹介にとどめましたが、伊勢本街道の街道筋はいい雰囲気の町並みです。

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ついでに近代建築ということでは、ちょっと離れた多気町行政ゾーンに、多気町郷土史料館として、昔の多気郡役所が移築(おそらく)されています。かなりきれいな状態です。

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てっぺんに獅子でしょうか、瓦の動物がいます。
瓦の飾りを見るのも、古い建物では楽しみのひとつです。

中万(ちゅうま)・射和・相可の訪問記は以上です。
それぞれに違う町並みが味わえました。この一帯から江戸に店を構える大商人が生まれたという背景を知るには、もう少し丹念に調べないといけないようです。


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2009年12月 8日 (火)

伊勢白粉の町・射和(三重県松阪市)

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松阪市の中万(ちゅうま)から射和(いざわ)に入ります。
射和は伊勢白粉(おしろい)または射和軽粉の生産で知られていた町です。
白粉の原料は水銀を含む土。上流の丹生では昔から水銀を産出していました。奈良の大仏に金めっきをするとき使われたのも丹生の水銀だそうです。

伊勢白粉は室町末期にピークを迎えたのち、薬用としての活路を見いだしますが、次第に衰退していきます。伊勢白粉で蓄積した富を元に、伊勢商人としていち早く江戸に進出したのが中万・射和の商人で、呉服商、味噌・醤油商、両替商などとして活躍したとのこと。多くの豪商を輩出しました。

その活躍は今に至っており、食品卸の国分株式会社のルーツは射和の国分家、ちくま味噌のルーツは中万の竹川家だそうです。

上の写真は少し洋風の入った、おそらく近代の町家です。

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懐かしい自転車やさんのある通りは駅前通の雰囲気。

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この道を歩いていくと、バス停に出ます。
ひょっとしてと思った通り、昔、射和駅があった場所らしいです。

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射和駅は、昭和39年に廃止された三重電気鉄道(三重交通)松阪線の駅で、大正元年に三重軽便鉄道大石線として開業したものです。大石の材木を、櫛田川に丸太を流していたのに代えて、松阪の大口港まで輸送する路線だったようです。
今よりずっと交通が便利だったことが分かります。

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再び射和の中心部へ。
このあたり、旧家が並んでいます。
右奥が国分家、左がいわば私設図書館の射和文庫をもつ竹川家。

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射和の町は櫛田川の水面よりかなり高いところにあります。
射和にとっては舟運が重要で、川に降りていく石畳の道が残っていました。

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対岸には多気町の相可の町があり、両郡橋で結ばれているのですが、その一本西側の道に道標が立っています。
左は「まつ坂みち」(松阪道)、右は「久ま野ミち」(熊野道)と書かれていて、ここが昔の大きな交差点だったように見えます。

今は静かな町ですが、かつての賑わいはそこここに感じられます。

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2009年12月 6日 (日)

豪商の中万(三重県松阪市)

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櫛田可動堰を渡った後、櫛田川左岸堤防の道を上流へ歩いていきました。
中万(ちゅうま)の集落に入り、最初に目にしたのは丸石積みの石垣でした。
川の側なので、それはそうでしょう。
建物は伊勢でよく見る、押し縁下見板(横板を縦の角材で押さえている)の壁です。

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集落の中央を貫く道を歩きます。蔵が現れてきました。
ここで注目したいのは、蔵本体より、土台の石垣です。

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亀甲に近い積み方をしています。
石垣の中でも亀甲積みは高価だと聞きます。

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こちらは伊勢風の美しい蔵。
やはり亀甲積みです。

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この蔵はT字路の突き当たりに建っているのですが、その向かいの道に洋風下見板の離れ(?)を見つけました。

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出窓もあり、デザインは戦前のものに見えます。

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元の道をさらに進むと道がクランク状になっていて、灯籠が立っていました。灯台のような灯籠です。大正7年建立の字が彫られていました。
ここでも切石の土台です。

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土壁がむき出しになった蔵。
それにしても蔵が多い。

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このあたりが中万の中心地でしょうか。
美しい伝統的街並みです。

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すぐ裏手は櫛田川の堤防です。

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この中万の中心地に富山家住宅があります。
この規模の大きいこと。

富山家は江戸にも呉服の店を出していた豪商だそうです。
「伊勢の射和(いざわ)の富山さまは、四方白壁八棟造り、前は切石切戸の御門、裏は大川船が着く」と江戸のわらべ唄に歌われたほどらしい。その雰囲気は十分感じられます。切石も歌い込まれているのが面白いところです。

射和と中万は、上流にある丹生の水銀を原料とした伊勢白粉(おしろい)の産地で、そこで蓄積された富が豪商を育てたようです。

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その勢いが明治にも続いていたことを感じさせるものがあります。
集会所の庭に保存されている古い鬼瓦です。
こちらは役場の鬼瓦。明治22年までは「中万村」でした。

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こちらは中万学校の鬼瓦。
なんとこの学校は、明治初年の開校です。

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最後に地図を示しておきます。
中万にも櫛田川の川港がありました。
中万も射和も町は川沿いに長く伸びて、ほとんど接しています。

次は射和に向かいます。


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2009年12月 3日 (木)

櫛田可動堰を渡る(三重県松阪市)

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先日、三重県の多気町に出かけました。
松阪市の南東にある町。シャープの多気工場があり、伊勢芋が特産です。伊勢に向かう街道の町でもありますが、それは改めて紹介します。

前日は松阪に泊まり、朝の列車でJR紀勢本線の多気駅まで行きました。ほんとは相可駅まで行きたかったのですけど、列車がなかったのです。

多気駅では地方の駅前らしいゲートが迎えてくれます。

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駅前通りには、こういういい感じの建物もあります。
昭和初期でしょうか。

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このまま進んでも面白くなさそうなので、櫛田川を北に渡ることにしました。
一歩、商店街を外れると田んぼが広がっています。
正面に見えるのは神山で、ここに一乗寺や神山神社、神山城址があります。
その手前を櫛田川が流れています。

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櫛田川左岸にある中万(ちゅうま)、射和(いざわ)、そして右岸の相可(おうか)を訪ねるつもりです。(揃って読みにくい)
しかし、橋があまり架かっていません。
地図を頼りに少し下流側に戻り、渡れるものか、堰を見に行きました。

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見えてきたのは、後で調べたところ、「櫛田可動堰」です。

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櫛田川の本流から、農業用水路である祓川(はらいがわ)が分かれています。

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櫛田可動堰はその狭さと長さで、わくわくするような堰です。
幸いなことに上を渡れるようです。

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非常に楽しい歩道です。

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ゲートが見えてきました。

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「ローリングゲート 昭和29年製造 東京・田原製作所」というプレートが頭上に掲げられていました。
櫛田可動堰の前身は、水を祓川に分水する櫛田頭首工で、1964〜69年に可動堰になりました。

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これがローリングゲート、だったものです。
平成16年から18年かけて、ローリングゲートをシェル構造ローラゲートに変える工事が行われたそうです。ちなみに田原製作所は、水門やダムを手がけてきた伝統ある会社でしたが、平成17年にダム・水門事業を豊国工業に譲って、解散してしまいました。

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歩道は曲がりながら、先へ先へ伸びています。

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さらに続く。

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上流をJRの列車が渡っていきます。

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最後もさらに屈曲して櫛田川左岸に着きます。

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川の左岸には櫛田川祓川堰碑が立っていました。

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振り返れば、櫛田可動堰は船が並んでいるみたい。
見ているとバイクが渡ってきました。バイク・自転車は通れます。

もう一度渡りたいぐらい。
遠回りでしたが、歩いた甲斐のある回り道でした。

次は中万(ちゅうま)を紹介します。

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