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2009年10月

2009年10月30日 (金)

「大阪市いちばん展」(大阪市公文書館)

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<近くにある細野ビル>

地下鉄などでチラシが配布されていますが、大阪市公文書館で、「大阪市いちばん」という特別展示と講演会をするそうです。チラシには地下鉄御堂筋線工事の写真や本庄公設市場の写真などが載っていて、何かいい写真や文書が見つかるかも。普段は平日にしか開いていないので、いい機会かもしれません。

「大阪市いちばん −全国にさきがけた事業−」
 大阪市が全国に先駆けて取り組んだ事業の一部を、所蔵の公文書や写真で紹介。

 日時:平成21年11月1日(日)〜11月12日(木)
    9:00〜17:30

 会場:大阪市公文書館(地下鉄西長堀駅7−A出口。大阪市西区北堀江4-3-14)
    ※分かりやすく言うと、大阪市立中央図書館の裏側です。

 ○講演会の一例
 「関一と大阪市の先進的社会政策」
  講師:大阪市立大学大学院教授 玉井金五氏
  日時:11月11日(水)14:00〜
  料金:無料
  定員:50人(当日先着順) 
 
 →大阪市公文書館HP

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<近くにある西長堀アパート>

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2009年10月27日 (火)

日比谷公園の昭和(東京都千代田区)

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昭和でも私の好みで昭和戦前期に注目します。
昭和時代のものかというと確証のないものが多いので、それは予めご了承ください。

日比谷公園で昭和というと日比谷公会堂市政会館でしょう。
この建物、あくまで市政会館が主で、公会堂が付いているんですね。
安田財閥の安田善次郎の寄附によって昭和4年(1929年)に建てられたそうです。
指名設計競技で一等を取った佐藤功一の設計をもとにしたもの。
大隈講堂と同じ設計者ときくとなるほどという雰囲気です。
こちらは外周道路側の正面です。

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公園側もまた正面になっています。
正面が二つあるというのも面白いですね。

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日比谷公会堂の入口。
この日も小さな催しが開かれていました。

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1階の庇には植物のつるの模様。
連続でとても存在感があります。

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前回紹介した第一花壇の、ペリカン噴水と反対側の門です。
花壇兼用の門柱デザインが昭和初期の雰囲気です。
セセッションになるんでしょうか、なんとなく文京区の元町公園のデザインに似ている気が。

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同じく第一花壇のオブジェ。こちらは新しいかも。
一応、載せておきます。

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第一花壇の門と向き合うように、壁泉がありました。
小音楽堂に登っていく階段がありますが、柵があるのでそこまで。

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このデザインも昭和初期っぽいです。

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元はこの顔から水が出ていたのでしょう。
この顔って何?

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三笠山には鋳鉄製の街灯が立っています。
明治のアーク灯に比べるとずっとシンプルですが、なかなかいいデザインだと思います。
時代は不明。上の笠の部分は新しそうです。
同様の形のものが第一花壇の写真にも写っていました。

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古参ということでは、この狼の像も。
昭和13年にイタリアから東京市に贈られたものだそうです。
ローマ建国の物語で、狼に育てられた兄弟の像です。

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雲形池に近いところにあるフラワーポッド。
生き残りという感じですが、いつのものかは分かりません。

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なんとなく気になる枡形の石です。
金具が付いているところがまた。
鉢なんでしょうか。

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最後にこれが謎だったんですが、人用の水飲場としている記事がありました。
雲形池の近く。足元に「KINSEI No.1」と書かれています。
古そうですが、これも年代は不明です。

探れば、まだいろんな発見があるのかもしれません。

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2009年10月25日 (日)

日比谷公園の明治(東京都千代田区)

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東京での研修の際、帰りを一日延ばして日比谷公園を歩きました。

日比谷公園は、明治32年に工事が始まり、明治36年6月1日に開園した公園です。この公園は大名屋敷跡の陸軍練兵場を東京市が公園化したものですが、明治22年に構想が生まれてから実現まで紆余曲折あり、最終的に、安寧健康上の設計は医学の石黒忠悳博士、樹木・道路・築山の配置は林学の本多静六博士、園芸花卉は農学の福羽逸人博士、水道・噴水は斉藤久進、設計総括は渡瀬寅次郎の分担で、全体総括は本多博士が担当したそうです。結果として、ドイツの公園を参考とした、日本初の近代式洋風公園となりました。(『日本公園緑地発達史・下巻』、p341〜344より)

今でも幅6間の大園路など、園路や池、庭園などの形に当初の名残を残しています。
この日比谷公園を数回に分けて紹介したいと思います。

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まずこれが幅6間の大園路、そして明治36年の開園時に植えられたイチョウ並木です。都内でも最も古いイチョウ並木の一つだそうです。

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雲形池も明治36年からのもの。
ここは和風の雰囲気です。鶴の噴水の向こうに東屋があります。

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これは戦前の絵葉書ですが、やはり鶴の噴水の向こうに東屋があります。

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鶴の噴水は明治38年頃、東京美術学校(今の東京芸大)の津田信夫・岡崎雪声両氏に依頼製作したものだそうです。公園等での装飾用噴水としては、長崎諏訪神社、大阪箕面公園についで3番目です。戦時中の金属供出により、銅の台座が石に変わりました。鶴は銅製でオリジナルということでしょう。(公園の説明板より)

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雲形池の東屋。いつのものかはよく分かりません。

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東屋の構造はこうなっています。

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もう一つの心字池も明治36年の開園当初のものです。
もっと遡ると、江戸のお堀の名残です。

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第一花壇も開園時の形式を踏襲しています。
福羽逸人博士のパートでしょうか。

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北側にあるペリカンの噴水です。
さすがに当初のものではないと思いますが。

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花壇は幾何学的で、広々とした芝生に園路が巡り、芝生がところどころぽこっと盛り上がっています。ちょっと今は見かけない感じ。

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園路と芝生の境目に石を積んで、深めの溝が切ってあります。

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もう少し細かく見ていきます。
公園の北西に明治36年当時の鋳鉄製の水飲場があります。
馬も水を飲めるデザインになっているそうです。
公園を馬車が走っていた時代だからですね。

ちなみに背後の丘は三笠山で、池を掘った土で作られました。
当初とは山の形が変わったそうですが、開園当初からあります。

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アールヌーヴォー?
装飾豊かで植物文の凝った水飲場です。

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すぐ近くにあるアーク灯も開園当時に10基設置されたうちの1基で唯一残るもの。ロウソク1200本分の明るさだったそう。他にガス灯が70基あったそうです。

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デザインは水飲場と似てますね。

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水飲場は雲形池の近くにももう1基あります。
頂部が欠けて不完全ですが。

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日比谷公園内には旧公園事務所が残っています。
明治43年に竣工したドイツ・バンガロー風の建物。
昭和51年に内部を改造して公園資料館となっていましたが、今は結婚式場のフェリーチェガーデン日比谷になっています。なのでちょっと入りにくい。でも入れないことはないです。

日比谷公園に関する資料が今も少し展示されていて、とくに明治36年、昭和29年、平成15年の公園配置図があるのはとても参考になります。年表や写真などもあります。
まずここで公園の概要をつかんでから回られることをお勧めします。

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事務所の南面。素敵ですね。

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気持ちの良いヴェランダがあります。
ここから第一花壇がよく眺められました。
(第一花壇の最初の写真はここから撮ったもの)

次は日比谷公園の昭和戦前期の名残を紹介します。


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2009年10月24日 (土)

再び学士会館に泊まる(東京都)

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2年前にも「学士会館に泊まる」で紹介しましたが、
今年、東京で研修の機会があり、1泊追加して再び学士会館に泊まりました。
前回も書いた通り、昭和3年の建築で、リーズナブルに泊まれる近代建築なのは変わらずです。
前回の宿泊後、すぐに改修に入りましたので、どう変わったのか、変わってないのか、そのあたりを紹介したいと思います(その実、よく分かってなかったりしますが)。

まずは夕方のロビーから。ロビーは変わってないのでは。

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朝のロビーと階段。

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客室の廊下。こころもち明るくなったような気がします。
ドア上の鴨居?と照明が以前はなかったのでは。

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鴨居?上の照明。

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客室です。きれいになったような気がします。
前回は隅の方が古びてましたので。
居心地が良くなっています。ビジネスホテルよりはかなり快適。

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天井照明の根元の飾り。透かしが入ってます。
これは変わらないと思います。

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ホテルの談話スペース。
変わってなさそう。

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2階の1室のドア。ステンドグラス入り。
たぶんきれいになっています。

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確か2階の、前回は見ていない部屋です。

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裏の階段です。

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さらに階段を登ったところ。
このへんは変わってなさそう。

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1階の手洗い。
手洗いでこの豪華さ。

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1階のステンドグラス。
前回もあったのかもしれませんが、記憶にありません。

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談話室はかなりイメージチェンジしました。
ソファから椅子に変わって、スペースに余裕ができています。
照明がゴージャスになりました。

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談話室のシャンデリアその1。

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談話室のシャンデリアその2。
オリジナルの照明に戻したのでしょうか。

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ちなみにセブンズ・ハウスの照明。
朝食は変わらず、セブンズ・ハウスで提供されます。

どんな風に改修したのだろうと気になっていましたが、
いい感じに改修されていて、より快適になったと思います。

ひろさんの記事もどうぞ
「学士会館での宿泊(その1)」
「学士会館での宿泊(その2)」

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2009年10月23日 (金)

浅香山の長屋など(堺市)

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今度は南海高野線・浅香山駅の東南側です。
今池町、北田出井町、中田出井町、南田出井町のあたりです。
このエリアには、近代建築としてスパニッシュの浅香山病院(旧堺脳病院)があります。ちょっと分かりにくくてすみません。

こちらが事務所棟の浅香山病院白塔。昭和12年の建築です。
堺脳病院は大正11年に発足しました。この丘の上には、他に大阪刑務所や浅香山浄水場があり、当時は全く郊外ですね。

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部分の拡大、も分かりにくいですね。
透かしや凸部のデザインなど凝っています。

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浅香山病院西病棟(手前の低い建物)は、当時、女子の1等病室だったそうです。同じく昭和12年の建築です。

ここから南に歩いていきました。

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今池町だったと思いますが、近代っぽい門です。

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北田出井町、中田出井町、南田出井町では長屋がたくさん見られます。
こちら洋風を感じさせる4+1戸建ての長屋です。

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小さな門柱の両脇にくるくるっと巻いた模様が入るのがかわいい。

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前面を洋風に改造した町家。

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この玄関引き戸はなかなかモダンデザインでしょ?
型板ガラスと磨りガラスの質感を組み合わせているのがいいです。

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洋風玄関付きの長屋です。
パルメット(なつめやし)模様を鬼瓦の平面と立体、Wで使っています。

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こういうのもありなのかという、和洋折衷長屋。
玄関ポーチの形がさっきの長屋と似ています。

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古いものというわけではありませんが、面白いコンクリートブロックの使い方です。

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純和風の長屋。

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南田出井町のお屋敷の塀。
凝灰岩で凝った透かしを入れています。

田出井町は堺の旧市街を取り巻く、郊外の近代長屋地帯の一部ということなのでしょう。大物はないですが、ちょっと魅力的な洋風のデザインを見ることができました。

ここからさらに南に行くと、
「堺東の和洋折衷住宅」「堺東の洋風住宅など」で取り上げた三国ヶ丘町へと続きます。

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2009年10月22日 (木)

浅香山のノコギリ屋根(堺市)

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堺市の浅香山駅の西側には古そうな工場などが残っています。
町名でいうと北清水町、南清水町など。
このあたりは環濠に囲まれた堺の街の外側です。

北清水町には幕末に始まる植木鋏屋さんの佐助さんがあります。
鋏はもちろん素晴らしいと思うのですが、この繊細な持ち送りに職人らしさを感じます。

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南清水町の下見板の工場。
裏に傾斜屋根の工場スペースを持っています。

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北清水町には下見板でノコギリ屋根の工場があります。
白いペンキ塗りの板壁に、濃緑のペンキを窓枠、門扉に使われていて、印象鮮やか。
(有)北村ジンク堂さんは、印刷用のアルミ板・亜鉛板などを作られているそうです。

(追記)
読売新聞によれば、2010年11月5日、火事で全焼してしまったそうです。人は無事。
数年前まで印刷の原版を製造していたものの、閉鎖されていたとのこと。
(2010.11.14記)

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北清水町のあたりは住工混在で、しかもいい住宅があります。
この建物などは、きれいにされていますが、洋館付き住宅ではないでしょうか。

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こちらもオーソドックスな洋館付き住宅。

古い建物が見られる地域ですが、駅から近いため低層集合住宅の建設が進み、この風景も次第に様変わりしていきそうです。

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2009年10月18日 (日)

住友の新居浜(3)昭和通りを歩く

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新居浜の山田社宅を見た後は、海岸に向かって歩きました。
途中にあったのは新居浜市立別子銅山記念図書館。
別子銅山開坑300年を記念して、1992年に住友グループ21社から寄贈されたそうです。
敷地は4000坪以上という旧泉寿亭跡(昭和12年築)で、玄関と客室の一部は、同じく300年記念でつくられた記念館・マイントピア別子に移築されているそうです。

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海岸近く、東川の向こうには住友金属鉱山別子事業所があります。
ここが別子での本部ということになります。

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この別子事業所の正門前から、V字に2本の道が伸びています。
1つは敷島通り。板壁の木造建築がちらほらと見られます。

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もう一つは昭和通り。
昭和初期にできて、住友金属鉱山事業所と社宅を結ぶ通勤路として、当時、新居浜で一番の繁華街だったそうです。残念ながらあまりその雰囲気を感じることはできません。戦災に遭ったわけではないようですが。戦前においてはこの通りから海岸側が市街地だったようです。
→国立公文書館HP「戦災概況図新居浜」
 ※全国主要都市戦災概況図というのが公開されているとは今まで知りませんでした。
  これは参考になりそうです。

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空き地の向こうに古い建物。休憩用にベンチが置かれています。この道を出勤した従業員の方も今はこのベンチで休まれたりするのでしょうか。

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海に向かって庇型アーケードの商店街がありました。
昔は賑わっていた通りのよう。

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1軒、看板建築らしきレリーフ入りの商店がありました。

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そこから1本入ったところには昭和の街角があります。

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右の建物は呉服店です。

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再び昭和通りで、60〜70年代風の一角。
商店街がアーケード型の集合建築に建て替えられています。

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昭和通りに直交する形で登り道サンロードという大きなアーケード商店街があります。
古くは別子銅山から銅鉱石が運び下ろされ、生活物資が銅山町に運び上げられた道のようです。

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この道の脇に、一宮(いっく)神社があります。
古くから大山積神を祀る由緒ある神社です。
境内は広く、大きなクスノキがあって、非常に雰囲気のよい神社です。

今回はこのぐらいで引き上げましたが、次に来ることがあれば、登り道のさらに先、別子銅山や海岸部の市街地、新居大島などを歩いてみたいと思います。

>西条編「水と祭りの伊予西条」に続く

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2009年10月17日 (土)

住友の新居浜(2)圧巻。山田社宅

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イオンモール新居浜から別子住友倶楽部を見た後、少し迷ってから丘の裏側を覗いてみることにしました。星越駅舎が残っているはず。

地図で見ると、丘の東側に、惣開小学校と新居浜電子工場の間を抜ける通路のような道(2車線の道路ですが)があります。

通路を抜けると視界が開け、不思議な光景が広がっていました。
小盆地の中には草の生えた区画が延々と。分譲地のように見えますが、立ち入り禁止のロープが張ってあって、「何かある!」と強く訴えるものがあります。

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視界を右に転じると向こうに同じような、それも古そうな戸建てが並んでいます。
時々、住宅地を車が走っているので、ためらいつつ見に行ってみることにしました。

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さらに右手にはもっとたくさんの住宅が並んでいます。
それもどことなく統一感のある住宅が。

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※クリックすると拡大します

で、後ろを振り返るとなんだこれはという工場建築です。
なんという建築! オブジェのようです。
工場の名前は、住友金属鉱山東予工場です。

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工場も気になりますが、住宅を先に。
近寄ると、まだ人は住んでいるようです。
(空き家もありますが)

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戸建てでみな生垣に囲まれています。

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玄関の上には「鉱○○」とナンバーが振ってあって、ということは鉱山住宅なのですね。

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鉱山住宅としても、戸建てですから管理職の人が住んだのでしょう。

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鬼瓦にも住友マークが入っています。

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こちらは空き家のようです。

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住宅の向こうに丘の工場が見えて、非常に不思議な景色です。

帰った後、『社宅街 企業が育んだ住宅地』を読んで、ここが「住友山田社宅」であることを知りました。「山田社宅のようにほぼ当時の建築状況を保ち、しかもいまだに人が住んでいる例は皆無である。本書で社宅街に関心を持った方は、まずは山田社宅にいそいで行ってほしい。」(p168)とまで書かれています。

山田社宅は、別子鉱業所支配人の鷲尾勘解治という方が主導して、星越選鉱場前の谷を残滓で埋め立て、昭和4年から建設されたそうです。庭付き一戸建て・二戸建てが250戸。外国人技術者向け社宅や所長社宅もあるようです。

残念ながら東半分は取り壊され、それが最初に見た草地だったわけです。
全て揃っているときに見たらどんなにすごい光景だったのだろうと思いますが、半分でも100戸ほどということですから壮観と言えます。ちなみに『社宅街 企業が育んだ住宅地』によれば、山田社宅は映画『船を降りたら彼女の島』でロケ地になっているそうなので、機会あれば見てみようと思います。

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※クリックすると拡大します

さて、工場の方に近づいてみます。
近寄ってみるとますます不思議な建築です。
ケーブル路線のようなものもあるのですよ。

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工場にまぎれて、下見板の事務所らしき建物もありました。
古そうです。

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その丘のふもとに旧星越駅がありました。
昭和52年に路線は廃されましたが、建物は丸ごと残っています。

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正面から。よく残っています。
今も住友さんの所有のようです。
観光資源になりそうなのですが。

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駅の正面には格子で住友のマークが入っています。

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車寄せ部分。ここに止まれのマークがあるのがいい感じ。

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足元に消火砂。これで消せる火は知れてますよね。

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駅前には交番だった建物も残っていました。
赤いランプがついています。

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後で新居浜市立郷土美術館に立ち寄った際、貼られていた空中写真に目が止まりました。
イオンモール新居浜も社宅の跡だったのです。
下の現在の様子(ただし、山田社宅の東半分が残っていた時期)と見比べてみてください。


より大きな地図で 郊外住宅地 を表示

新居浜出身の方に聞くと、山田社宅はいいお家があるところとして知られていたそうです。他にも一般社員向けの長屋の社宅などあったそうですが、もう取り壊されています。

この山田社宅、機会がありましたら、別子銅山の産業遺産と合わせて見に行かれることをお勧めします。山田社宅へはイオンモール行きのバスが便利です。


(追記)
2010年6月16日、残念なニュースが入ってきました。
上の記事でも紹介した新居浜選鉱場が8月から取り壊されるそうです。

愛媛新聞「惜別、銅山のシンボル 新居浜選鉱場取り壊しへ」

私が訪ねた時には既に稼働を停止していたのですね。
記事によれば、選鉱場は大正14年(1925年)に建設され、建屋は木造・鉄骨造で1万3000平米もあるそうです。しかしながら、2004年の台風で被害を受け、管理する住友金属鉱山が安全管理上の理由で撤去解体を決断するに至ったとのこと。

これだけの規模なので、安全性を言われればやむなしか。
「インクライン(傾斜道)や鉱石の一時的保管施設「大びん」や石積などは保存し、12年8月までに植栽などで整備する予定。」とされていますので、一部は残ります。

山田社宅とセットになった貴重な産業景観ですので、見に行くことのできる方は8月までに見に行かれてはと思います。

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※クリックすると拡大します

山田社宅内から見た選鉱場。

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※クリックすると拡大します

これがインクラインでしょうか。

※上記の記事内の写真も拡大するようにしました。

(2010.6.17記)

(追記)
 「まちかど逍遙」で最近の様子が紹介されています。
 →「東予の旅 新居浜のまちなかを巡る(1)」
(2015.1.8記)

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2009年10月13日 (火)

住友の新居浜(1)中心市街地?

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企業名をタイトルにするのはどうかとも思ったのですが、
異論の余地ない企業城下町ですので。

新居浜を見てきました。
仕事の関係で伊予西条に行く用事があり、日曜に前泊を入れました。新居浜は隣なので、そのついでです。高速バスで大阪から新居浜まで4時間・4700円。朝8時に出て、12時に着きます。
降り立った新居浜駅前は、12万都市とは思えないほど、さびしく感じられました。
下調べをする間がなかったので、駅で観光パンフレットや地図を入手しようと思いましたが、一つもありません。

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新居浜駅はごく機能的な駅舎で、石鎚山脈を背に立っています。
新居浜の発展はその山中の別子銅山から始まり、次第に鉱工業の中心地が里へ、海へと降りてきて、海岸部に新居浜の市街地を形成しました(一部は四阪島へと隔離)。新居浜駅はその流れの中間にあります。

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駅前では再開発の土地区画整理事業が進行中で、いっそうさびしく思えます。
いくつか古い建物が残っていますが、この老舗食堂も今年で閉店。日曜日のため、多くの店が閉まっていました。

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市中心部に出るバスも少なく、イオンモール行きのバスが来たので、とりあえずそれに乗ることにしました。新居浜では山に行けば鉱山遺構の観光ができますが、今回は観光旅行でないのでパス。街を見ます。

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駅前通りにはぽつぽつと新しい建物が建っています。
戸建て住宅が多いようでした。
大正10年開業の歴史ある駅(建物は昭和54年)なのに、駅前通らしい通りがないのも不思議です。

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市中心部を迂回するように走って市街地西部にあるイオンモール新居浜に到着しました。
「巨艦」という言葉がしっくりきます。とにかくでかい。

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イオンモールに入ってみると、中で「ゆめまちプロジェクト2009」というイベントをやっていました。フロア通路のところどころに市民団体がブースを構えて、スタンプラリーで巡るようになっています。こういうイベントは賑わいづくりのために中心商店街でやることが多いと思うのですが、もはやショッピングモールこそが中心市街地なのかと衝撃的でした。

それはともかく、まちづくり系団体の出展もありましたので、ここでまちあるきマップなど手に入れることができ収穫はありました。新居大島プロジェクトという活動があることも知り、次の機会には行ってみようと思います。

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マップを見るとすぐ裏に別子住友倶楽部があります。
偶然ですが、いい機会ですので、すぐ見に行きました。
丘を背にして、ゆったりした倶楽部の建物と敷地があります。
昭和11年にできた建物で、人材開発センター「星越館」として改修中だそうです。来年4月1日オープン。
 →住友金属鉱山プレスリリース

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石とタイルの門柱もなかなか渋い。

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植え込みなどもきれいに整えられています。
ある意味、ここは住友城の一角ですね。ここもある種の中心地です。

さてここからどこに向かうか。市街地中心部に向かうつもりだったのですが、マップを見て、この丘の裏側にある星越駅舎跡というのが気になり、迷った末、そちらを覗いてみることにしました。
そしてそこでは思わぬ収穫があったのでした。

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2009年10月12日 (月)

上新庄の瑞光寺あたり(大阪市東淀川区)

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松山神社の後、南の瑞光寺の方に回りました。
街中なんですけど、このあたりは樹林に囲まれています。
入口に「鯨橋 瑞光寺」と書かれています。鯨橋とは。

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入っていくと骨のゲートが。

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さらに進んでこれが「雪鯨橋」と呼ばれる鯨橋です。
イワシクジラの骨でできているそうです。

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なぜクジラの骨で橋を作ったのかというと、江戸時代の宝暦6年(1756年)、このお寺の住職・潭住知忍(たんじゅうちにん)禅師が和歌山の太地(たいじ)に立ち寄った際、不漁に苦しむ村民のために苦渋の決断で豊漁祈願をして、豊漁になったそうです。村民は感謝のしるしに瑞光寺に骨を納め、瑞光寺ではクジラの冥福を祈りました。その後も太地と瑞光寺の関係が続き、現在、6代目(平成18年架け替え)の橋だそうです。

詳しくは、
十三のいま昔を歩こう「瑞光寺・雪鯨橋」
に紹介されています。

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瑞光寺は昔はもっと観光名所だったのか、お寺の入口脇に写真屋さんがありました。
大隅神社の御旅所も隣接してあります。

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瑞光寺に立ち寄ったのはあと1つ理由があって、瑞光寺を囲む瑞光寺公園を見るためです。この公園は昭和10年にできました。

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さらに、この公園のプールが今夏で閉鎖になると、「十三のいま昔を歩こう」で知り、改修される前に見ておこうという訳です。手前の高架は新幹線。新幹線を眺めながら泳げるプールでした。

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反対側から。残念ながら、以前から改修が入っていたようで、古い公園らしさは見つけられませんでした。強いて言えば、瑞光寺を囲む、その不整形さでしょうか。

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上新庄に戻る道の途中、いくつか気になる建物がありました。
ひとつはこの2棟並びの住宅です。
まとめて開発されたようで、何か引っかかるものがあります。

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フランス瓦の住宅。
鬼瓦にもパルメット紋(ナツメヤシの模様)が使われていて、屋根だけ洋風です。

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とくに印象的だったのが、名付けて洋館付き住宅のダブル。
角に2階建ての洋館部、奥に平屋の洋館部があります。そして本体は2階建ての和館。角はあとから増設されたのでしょうか。

このあたりは昭和6年に工事を完了した、上中島土地区画整理事業の区域内ですので、昭和初期の建物かもしれません。

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2009年10月11日 (日)

上新庄の小松公園(大阪市東淀川区)

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夏の初め頃ですが、上新庄にある近代の公園をいくつか回ってきました。
阪急京都線・上新庄の駅前はビルが立ち並んでいます。

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しかし、一歩中に入ると古い街角もあるのでした。
昔の地図を見ると島頭町と書かれている集落です。
低地だからか、石垣を数段積んで家が建っています。

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駅前を北上して、まず小松公園を目指します。
商店街があるので、そこをたどっていきました。
アーケードのある稲荷商店街は薄暗い商店街。

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そこを抜けると小松商店街のきらきらスパンコールのゲートがお出迎えです(この写真は反対側)。松葉菱に小のマークとともに60〜70年代を感じさせます。今もある程度賑わっている感じ。

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小松町の旧集落のすぐ西隣に小松公園があります。
公園に何か立っています。

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これは、アールデコの記念碑!
「上中島区画整理記念碑」と書かれています。
これだけ立派な区画整理記念碑は初めて見ました。
かなり力の入った事業だったのではないでしょうか。
なぜか大阪府の近代化遺産報告書には載っていないようです。

東淀川区の区画整理地区図はこちら

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最上部には球を戴いています。

裏面には関一市長の撰による碑文がありました。

都市ノ相貌ヲ決定スル主ナル要素ハ都市ノ建築物
ナリ、然シテ都市ノ建築物ヲシテ醜悪ナラシムル
原因ヲナスモノハ実ニ都市ニ於ケル街郭及画地ノ
大小形状ノ適当ナラサルモノアルニ因ルモノニ
シテ過小ナル建築敷地ノ上ニ相当ナル品位ヲ保チ
得ル家屋ヲ建築シ不整形ナル画地ノ上ニ整然タル
建物ヲ建築スルコトハ共ニ是レ不可能ト謂ハサル
可カラス是ニ於テカ都市ノ相貌ノ品位ヲ備フル為
ニハ宅地トシテノ利用増進ヲ図ルヘク都市ニ於ケ
ル画地ヲ整理シ更ニ街郭ノ系統ヲ正シクスルコト
ハ必要欠クヘカラサルコトニシテ新ニ開発セラル
ヘキ郊外地ニ於テハ特ニ其ノ急務タルヲ感セスン
ハアラス、大正十四年大阪市ニ編入セラレタル
東淀川区小松、江口、北大道、上新庄、西大道ノ
五箇町ニ亘ル広袞十七万余坪ノ地域ノ関係者
九十三名ハ夙ニ此機運ヲ洞察シ本市ノ都市計画
事業ニ順応シテ合理的市街地ノ建設ヲ策シ大阪市
上中島土地区画整理組合ヲ組織シ、昭和四年三月
之カ設立認可ヲ得テ直ニ準備ニ着手シ、同年十月
工ヲ起シテ鋭意事業ノ建成ニ努メタリ。爾来年ヲ
閲スルコト二星霜十二万余円ノ巨費ヲ投シ組合
関係各位ノ熱誠ナル努力ニ依リ茲ニ其ノ完成ヲ
告ケ面目全ク一新シテ真ニ本市東北部ニ於ケル
理想的住宅地区ノ整備ヲ見、家屋ノ建設日ヲ逐フ
テ多キヲ加フルニ至レリ、乃チ之ニヨリテ本市ノ
過密状態ヲ緩和シ経済発展ニ寄与スルトコロ大ナ
ルモノアルヘキナリ。茲ニ竣工ニ当リ本事業ノ
記念トシテ本碑建設ノ挙アリ余不文ヲ顧ミス其ノ
由来ヲ叙シテ功ヲ後世ニ伝フト云爾。
 昭和六年十一月十八日  大阪市長 関一 撰


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。

上中島都市区画整理事業は、昭和4年に工事が始まり、昭和6年に竣工したということです。

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公園の入口には「小松公園」と書かれた標柱も立っていました。
側面に昭和19年3月竣功と書かれていて、区画整理工事完了に遅れて公園になっています。


より大きな地図で 近代の公園 を表示

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ちなみにまんじゅう型の滑り台もあります。
時々見かけますが、安全のために穴が塞がれているのですよね。

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次の公園に向かうのに、小松町の旧集落を抜けていきました。
かなり建物は更新されていますが、古いたたずまいも一部残っています。


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小松町の集落の東隣に松山公園があります。
見ての通り、松山神社の参道と一体化した公園です。
昭和17年に開園しました。

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逆からみるとこんな感じ。
緑豊かな公園ですが、これといった記念物は見つけられませんでした。

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小松の地名は、平安時代に菅原道真公が太宰府に流される途中、このあたりで数千株の小松が生えているのに感動して詩を詠まれたことに由来するそうです。松山神社は菅原道真公を祀る天満宮です。

この拝殿及び社務所は、昭和19年に四條畷神社から移築されたものだとか。

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裏手に回ると磐座があるので、それ以前から何か祀られていたのかもしれません。

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境内には各種摂末社、神牛舎、力石などいろいろ見るものがあり、そのうちの一つに「御復興記念碑」があります。
この神社は明治39年の全国的な神社合祀の運動により、明治42年に大隅神社に合祀されてしまったのですが、珍しいことに復興運動のかいあって昭和19年という時代に復興したのだそうです。
四條畷神社とはどういうご縁があったのでしょうね。

区画整理記念碑の立派さも考え合わせて、集落としての力の強さを感じさせます。

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2009年10月 9日 (金)

加太砲台跡など(和歌山市)

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「友ヶ島第4砲台跡」の続きです。
友ヶ島から加太港へは最終便の1便前に戻りましたので、まだ少し加太を散策する時間がありました。
岬に向かって歩いていくと、紀州青石積みの石塀がありました。荒々しく積んだ方が紀州青石らしいのですが、非常にきれいに加工して積んでいます。

紀州青石というのは和歌山付近で採れる緑泥片岩で、同様の青石は中央構造線に沿って、伊勢、阿波、伊予などでも見られます。

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さらに進むと大きな近代和風旅館の吾妻屋旧本館がありました。
昭和8年の建築だそうです。老朽化のため、残念ながら使われていません。

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その向こうには加太淡嶋神社があります。
友ヶ島のところで、元は神島にあったと書いた神社です。
拝殿の外廊下の上と下に何か見えますか?

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境内に夥しい数の人形。この神社は人形供養で有名な神社です。
ここは招き猫ばかりですが、タヌキばかり、舞妓さんばかり、博多人形ばかり、などなど人形ごとにグルーピングされています。ある意味、博物館です。

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ところで、神社の参道に江戸時代・文政13年(1830年)の千度石がありました。側面に「渡海安穏」とあります。廻船問屋が奉納したのでしょうか。
千度石というのもあるのですね。たいへんな願掛けです。

ちなみに参道にも紀州青石が敷かれています。

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まだ時間があったので、吾妻屋旧本館の脇から、山の上にある和歌山市立加太少年自然の家に登りました。1日の終わりには結構きつい登りです。
その入口前にあったのが、この建物。このシリーズを読まれた方はお分かりですね。便所です。
この手前にも数棟の民家があって、それも元は砲台の附属建物だったそうです。そう、ここも砲台跡なのです。

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「関係ない大人は入るな」という趣旨の警告にひるみつつ門をくぐると、すぐに砲台関連施設がありました。友ヶ島で散々見てきましたのですぐ分かります。
勝手に入るわけにはいかないので、事務室に出向いて見学許可をもらいました。ついでに砲台の位置を尋ねて地図をもらいました。砲台とは書かれていませんが、地図の形にははっきり現れています。

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メインの建物のすぐ脇には加太砲台跡があります。ここが砲座のようです。
加太砲台は明治35〜37年に建設された砲台なので、友ヶ島の砲台よりは10年ほど新しい砲台です。

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中に入れる部分もあります。
ここは観測所だとのこと。

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くぐり抜けて振り返るとこうなっています。

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ここから園内の歩道をさらに登っていった先に家族の広場とアスレチック遊具があります。
ここは同じく明治35〜37年に建設された田倉崎砲台跡だそうです。
アスレチックと一体で冒険心を増しています。

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棲息掩蔽部というそうです。
倉庫に使われている風。

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弾丸置き場のくぼみにはバーベキューの薪がぎっしり。
しっかり活用されています。

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極めつけはこの滑り台。
砲座跡の池と海を眺めながらの絶景滑り台。
すごいレイアウトやなあと思います。
子供がいなかったので、私も一回滑ってみました。

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戻る途中、来るときには気付かなかった遺構がありました。
右翼観測所の跡だそうです。

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この上は、みはらしの丘として紀淡海峡を眺めることができます。
さっき渡ってきた友ヶ島も全景が見えます。
この景色を目に納めて山を下りました。

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加太駅に向かって歩いていると、側溝になにやらゆらゆらするものが。
なんとイソギンチャク! しかし、いくら海が近いと言っても・・・

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不思議に思って川上に目をやると、貝屋さんがあって、海水を掛け流していました。なるほど。

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加太の集落にはこのような旅館風建築もあります。

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落ち着いた町並みがあって、加太の町を歩くのもまたいいと思います。
加太の集落については、このシリーズの最初「加太港へ」でも紹介しました。

肝心の六光星の煉瓦刻印は確認できませんでしたが、多くの砲台跡・附属建物など近代化遺産を見ることができ、とても充実した一日でした。加太・友ヶ島はかなりお勧めできます。
歩くには遠いので訪れませんでしたが、加太の北には深山第1〜3砲台跡などもあります。
こちらも元気がある方はどうぞ。

なお、由良要塞や友ヶ島砲台、加太砲台については、図解入りなど、もっと詳しい解説をされているページがたくさんあります。「由良要塞」、「友ヶ島砲台」などで検索すると見つかりますので、ご覧になってみて下さい。とくに「由良要塞」のHPが分かりやすいです。

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2009年10月 8日 (木)

再びセンダンの木陰へ(茨木市)

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3年前、「センダンの木陰のタバコ屋さん」の題で、茨木市奈良地区の懐かしい街角を取り上げたことがあります。
最近、茨木市の住民さんから、道路拡幅のためにセンダンの木とタバコ屋さんが撤去されると聞き、慌てて見に行ってきました。

現地に行ってみると既にタバコ屋さんはなくなっていました。
しかし、センダンの木はまだ残っていました。
こうして見ると傘だけが立っているようにも見えます。

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道路用地が手前まで迫っています。
以前、車の背丈ほどあったセンダンの木も刈られていました。

狭い道をひっきりなしに車が抜けていきます。
前に来たときもこんなに交通量が多かったのでしょうか。
これだけ車が通ると道路を広げてほしいという話も出るだろうなと思います。

この日、知ったのですが、この道は旧高槻街道なのだそうです。
ふと、(ここがそうというわけではなく)
カーナビが風景を変えることがないのだろうかという考えが浮かびました。
旧街道というのは連続性のいい道です。
多くの車がそのナビに従って集まったら・・・
逆にカーナビの設定次第で、旧街道が静かでいられるかも。

車の問題というとガソリン消費の問題ばかりが言われますが、
私は空間を大きく消費するのが問題だなと思っています。
・・・話が大きくそれてしまいました。

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前回は行かなかった春日神社にも行ってみました。
参道が近畿自動車道で分断されているので、かなり大回りになります。
比較的ゆったりした境内で、大きな松林が香ります。

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参道を振り返ると、センダンの木の側の鳥居までまっすぐ見通せます。

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再び、センダンの木の所へ。
100年を越えてもセンダンの木は若く、枝は横に伸びて垂れることがありません。今年も青い実を付けています。
センダンの幹に触れて別れを惜しみました。

この道(参道の道)をまっすぐ行くと奈良の集落があります。

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茅葺きの民家がある大きなお屋敷。
美しい塀が延々と続きます。

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門もたいへん立派。
豊かな農村だったのだろうと思います。

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先ほどの道を逆から。
落ち着いた町並み。

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どの家も門が立派です。

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そしてたいていの家に蔵があります。

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集落の中で見かけた看板には、「郷土芸能教室」と書かれていました。
「銭太鼓」ってご存じですか? 私は初めて知りました。
銭の触れる音を利用した楽器だそうです。

奈良の集落には、昔の農村集落の風情が残っています。


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2009年10月 7日 (水)

友ヶ島第4砲台跡(和歌山市)

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第3砲台跡を出れば、後は第4砲台跡のみ。
しかし、既にいろいろ紹介しましたように、島には砲台跡だけでなくいろいろな遺構があります。例えば、この穴などやはりわざわざ掘ったものではないでしょうか。ちょっと不気味。

他に探照灯(サーチライト)跡といって、夜間、敵艦を照らし出すための設備の跡があるのですが、入る道を間違えて下まで降りてしまいましたので、今回探訪はあきらめました。

下にはまた芝生のキャンプ場があります。
第4砲台跡は少し離れていて、島の東側の山にあります。
再びゆるやかな道を上っていきます。

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木々の切れ目から神島が間近に見えます。
以前にも書きましたが、加太淡嶋神社がもともとあったとされる島です。

この道は沖ノ島(この島)の東にくっついている虎島まで続く本道で、途中、鋭く切り返すように、第4砲台跡に向かう道がついています。

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歩いていくとすぐ壁が現れました。
昔は建物が建っていたのかもしれませんが壁だけ。

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そこから左に折れると門と、向こうに崩れた建物がありました。
瓦屋根が落ちてしまっているので中には入れません。

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崩れた建物の右横に掘りこまれた道があり、また弾薬支庫らしきものが現れます。
ここは小規模です。明治23年に着工して、明治25年に竣工した砲台だそうです。ただ、終戦まで使われていた他の砲台と違い、大正時代に既に放棄されたという記述も見ました。

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奥まで行って後ろを振り返ったところ。
ここには誰もいないので、遺跡に浸れます。

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またこれも第3砲台跡で見たような構造の地下入口と階段がありました。

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井戸の跡?

090815no4houdai9ここに刻印がありました。
放射状の五本線は堺煉瓦の刻印です。
これで大阪の代表的な煉瓦会社は揃い踏みです。

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井戸から先、道は左回りに台地を回って裏側には井戸のある広場がありました。
草に覆われて砲座の跡などもあるようです。
位置関係をよく把握できないまま撤退しました。

その後も落ちている煉瓦に気はつけていましたが、六光星の刻印はとうとう見つけることはできませんでした。
絶対ないのかというと、ないとも言い切れないのですが。
残念ながら、もう戻らないといけません。

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路側に石を並べて整備された道を歩きます。

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ちなみに路側の石は道路を開くときに出た石らしいというのが、この露頭を見ると分かります。

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ほぼ見るべき所は回りましたので、16時30分の最終便を待たず、15時30分の臨時便で加太に帰りました。

六光星の刻印の煉瓦を確認するという最大の目的は達成できませんでしたが、友ヶ島の砲台跡などの遺構群は非常に見応えがありました。友ヶ島砲台については、たくさんの人が私よりずっと詳しく解説され、美しく写真に撮られていますのでご覧になってみてください。そしてできれば実際に見に行ってみてください。懐中電灯をぜひお持ちになって。

六光星の刻印についてはまた別の手がかりを探そうと思います。

お読みいただきありがとうございました。
この旅はもう少し、加太の話を続けます。

この続きは、「加太砲台など」

(追記)
 2009年11月14日に南海電鉄が主催の友ヶ島ウォークが開催されるのですが、50人の定員が10月中に既に満席。人気が出ているんですね。(2009.11.1)

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2009年10月 2日 (金)

友ヶ島第3砲台跡(和歌山市)

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いよいよ友ヶ島第3砲台跡−最も規模が大きく、整っている砲台−に入ります。
タカノス山から降りてくると、2つの池が目に入ります。
まるで庭園のようですが、池になっているのはたまたまで、ここは大砲の置かれていた砲座の跡です。大砲が撤去されたくぼみに水がたまったという訳です。

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裏側なんですけど、降りてみることにしました。
大砲の据えられていた空間をぐるりと煉瓦の壁が取り巻いています。
向こうにトンネルが見えます。

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興味をひかれてトンネルをくぐってみました。

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トンネルの先にはまた大砲の置かれていた空間があります。
ここは乾いた庭です。

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さらにトンネルをくぐると沼地のような中庭。
映画だったら沼からワニぐらい出てきそうな不気味さです。
もう1つくぐってそれ以上進めなくなり、横の土手を登って表側の通路に降りました。

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表に出てみるとしっかりした案内板が立っていて、ようやくどうなっているのかが分かりました。私は右上のメガネ型の中庭(砲座)に降りて、左端の砲座までくぐったわけです。
こういう配置図があれば非常に分かりやすいのですけど、設置されているのはここだけです。
第3砲台は、明治23年に着工して明治25年に竣工したそうです。

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全体配置が分かったところで先に進みます。
通路は所々掘りこまれて地下に入口が口を開けています。
これは先ほどの砲座につながっていたと思われます。
今はふさがれていますが。

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階段は石で、角が丸められています。
丁寧に作られていますね。

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先に進むと一段下がって、弾薬支庫が連続する空間です。
友ヶ島の砲台ではここの写真が最もよく紹介されていると思います。
煉瓦の構造物、そして絡まる緑が美しいので。

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私が気に入ったのはこの階段です。
とても美しいカーブ。

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突き当たりは行き止まりのように見えて、左側にトンネルがあります。

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トンネルを抜けて振り返るとこんな感じです。
ルートが逆ですね。

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トンネルを抜けると、屋根の抜けた廃屋があります。
これは発電所の跡らしいです。

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そしてその斜め前には監守衛舎跡、あるいは将校宿舎跡。
煉瓦と木造折衷の住宅です。

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危険なので中には入れませんが、覗き込むことはできます。
ここは炊事場の土間でしょう。一部畳が張ってあったであろう床が分かります。

ここでもやはり煉瓦の確認を忘れてはいけません。
先ほどの煉瓦の弾薬支庫はきちんと残りすぎていて刻印は確認できませんでした。

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地面には住友マークの貝塚煉瓦、住宅脇の壁には×印の岸和田煉瓦。

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ここでは日本煉瓦(堺市)と推定される四弁花の刻印もありました。
しかし、これだけいろんな種類があるのにどうして六光星の刻印はないんでしょう。

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出口は切り通しになっていて、いざとなれば閉じられるようになっています。
いや出口ではなくて、ここが入口なんですね。
全く逆ルートをたどってしまいました。

この第3砲台跡はさすがに見応えがあります。
オンシーズンといってもここまで登ってくる人は少なく(多くは海水浴と磯遊び)、静かに煉瓦建築にひたれました。


*ところでこの記事で500本目の記事となりました。
 ここまで4年ちょっと。記事が1000本を越えるとステージが上がるそうなので、1000本に向けてこつこつ書いていきたいと思います。

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2009年10月 1日 (木)

友ヶ島第5砲台跡と展望台(和歌山市)

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海軍聴音所跡を見た後は本道に引き返し、山道を登ります。
途中、第5砲台跡を見るため、野奈浦の方に下る道をたどりました。
どこまで降りればいいのだろうと不安に感じだしたころ、森の中に煉瓦の門柱が現れました。
奥にはまたしても便所が見えます。

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これは洗い場でしょうか。

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第5砲台跡自体は草木に覆われてどこか東南アジアの遺跡みたい。
この砲台は最も新しく、明治36年着工、翌年竣工だそうです。
津守煉瓦(明治30年創業)が使われたとすれば最も可能性の高い砲台ですが。

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ドーム状の横穴の入口に、煉瓦の壁が立っています。
なんとか煉瓦の刻印を見つけようとしましたが、見つけられませんでした。

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横の山に登って全体を眺めると、ますます密林の遺跡みたいです。

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また本道に戻って山を登ります。
それにしても歩きやすい。軍用車両が通るからでしょう。このように平坦に整備されているので、想像したよりかなり楽に歩けます。
この道の向こうに小さな展望台がありました。

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野奈浦に泊まる定期船とその向こうに神島が見えます。

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道路の話をしましたが、路側はこのように石を組んで側溝がつくられています。すばらしい。

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登っていくと道の脇に便所がありました(もういいですか?)。

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第3砲台跡を横目に見つつ、まずは島の最高点・タカノス山に登ります。
頂上は芝生の広場で大展望台があります。しばし休憩。

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最高点だけあってさすがの眺め。
東の方は隣の地ノ島から紀伊半島につづく山並みが眺められます。

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西は淡路島、四国が眺められます。
さっきいた友ヶ島灯台が小さく見えます。

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最高地点には一等三角点が置かれていました。
標高119.9m。明治18年に設置されたそうです。
この石積は味がありますね。

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なお、このタカノス山の隣には航空用無線標識のVORがあります。
これは関西国際空港の開港時に設置されたそうです。
海だけでなく、空の交通でも要衝になっているのが面白いですね。

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