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2009年9月23日 (水)

加太港へ(和歌山市)

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終戦記念日の8月15日、行っておきたかった紀淡海峡の友ヶ島を訪問しました。一般の人には夏のキャンプ地、マニアには友ヶ島要塞(由良要塞)で知られる島です。
そして私にはレンガの刻印を確かめるという目的がありました。(→「六光星を追って津守へ」の続きです)

友ヶ島に行く船は加太港から出ます。加太港には電車の場合、南海本線で和歌山市駅まで行き、そこで加太線に乗り換えて20数分の終点・加太駅から歩きます。
加太線は思ったよりは混んでいましたが、多くの人は海水浴場がある駅で降りていきました。明らかに砂地の畑と住宅が続く紀ノ川沿いを走り、最後に目の前に現れる山に切り込むように加太駅に到着しました。

加太駅は開業時の明治45年(1912年)の駅舎で、のどかな雰囲気があります。

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駅前には昔ながらの土産物屋などが並んでいます。おにぎりを買おうか迷いましたが、海はまだ先ですので、お茶だけ買って、もう少し進むことにしました。

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幹線に出て道なりに歩いていくと、旧加太警察署があります。
これも加太駅と同時代で、明治末か大正初めの建物といいます。
当時は友ヶ島だけでなく、本土側にも要塞がありましたので、加太は自由に出入りできない地域だったそうです。駅が離れているのはそういう事情もあるのでしょうか。警察署の持つ意味も通常より重かったと思います。なんとなく筋肉質な印象も受けます。
戦後、警察署が移転した後は払い下げられて民宿「中村荘」となり、残念ながら今は閉じて個人宅となっているそうです。

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港への道は大阪に向かう幹線を離れ、静かな道に入ります。
角には道標が立っています。

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ところで、この家の玄関先の敷石が変わっています。
短冊状の石を並べていて、その石の手前一つ一つに凹みがあるんです。何かの再利用でしょうか。

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歩いていくとガレージに海藻を干していました。
調べてみると、どうもテングサのようです。
町中にも海苔など海藻関連の問屋の看板があり、この町の漁業には海藻が欠かせないようでした。

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脇道を覗き込むと漁港らしい、狭くうねる通路が私を誘いますが、時間に余裕はないので先を急ぎます。

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潮風に当たると古いものでなくてもたちまちレトロな雰囲気に。

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門前の商店街。右端の店に看板はなく、大鍋に揚げ油の用意をされていたので、何の店かなと思い、聞いてみるとあげパンの店だそうです。キシモト店というそうですね。有名店とは知らないまま、「帰りに寄りますね」と言って立ち去りましたが、帰りにはもう店じまいされていました。惜しい。

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道は海の香りのする川沿いの道に出ます。
下調べで見ていた洋館付き住宅がありました。
洋館を突っ込んだようにも見えます。

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同じ並びには煉瓦倉庫もあります。

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丸治醤油という醤油屋さんだそうです。
大正12年だとか。マークがきれいです。

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振り返るとこのような道になっています。
この川は運河だったのでしょうか。

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なかなか港にはたどりつきません。
生け簀で貝を売っている店や名物のよもぎ餅を売っている店があります。
気持ちがあせっているので買い物をする間なし。

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行き先を見失いかけたとき、右手駐車場の向こうに加太港が見えました。
ほんとに小さな港で、客船といえば友ヶ島行きの船だけです。
オンシーズンなので、既に島に遊びに行く人たちの行列ができていました。

いよいよ友ヶ島に渡ります。

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