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2009年9月27日 (日)

友ヶ島第2砲台跡(和歌山市)

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友ヶ島の話の続きです。
いよいよ遺跡めぐりに出発します。
砲台の遺跡は島に散らばっているので、まずは行きやすいところから、海岸沿いに歩いていける第2砲台をめざしました。

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歩き始めてすぐに神社がありました。
明治の中頃、陸軍による要塞工事に送り込まれた人たちが工事の無事を祈願して建てた神社だそうです。神社もまた近代化遺産です。

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道の脇を見ていると排水溝なども石できっちり組んであって感心します。

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用途不明の煉瓦建築がありました。
窓が小さいので倉庫でしょうか。

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道は非常に歩きやすい道です。
例えば、ここなど小さな入り江を突っ切って土手道がつくられています。軍用道路を踏襲しているのでしょうか。

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小さな岬を回ると淡路島との海峡が目に入ります。
左側の岬の先端に破壊された第2砲台跡があります。
タンカーの大きさと比べれば、海峡の狭さが分かるでしょう。

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岬の手前に旅館と食堂があります。

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第2砲台跡に到着。
当たり前ながら、どの砲台も目立ちません。

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間近まで近づいてようやくその様子が分かります。
友ヶ島第2砲台は明治31年に竣工したそうです。紀淡海峡防衛のために設置されたのですが、第2次大戦では船より飛行機が主体になったため、戦闘には関わらないまま終戦を迎えました。しかし、終戦直後に爆破されています。物騒だからでしょうね。

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さらに近づくと地下にもう1層あることが分かります。
明治の煉瓦建築は美しいですね。
残念ながら立ち入り禁止です。

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反対側に回ってみると、破壊されてごとごと崩れた様子が分かります。
廃墟の美を感じます。
私はイギリスの海岸のお城をイメージしました(要塞はフランス式らしいですが)。

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岬には芝生が張られていて気持ちの良い公園になっています。
ここでのんびり海峡を通る船を眺めるのも良さそう。

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さて、私の今回の目的は砲台を見ることではありません。
煉瓦の刻印を確認する(六光星の刻印*を探す)ことなので、もう一度戻ります。
一番崩れているところで確認します。
煉瓦の刻印はたいがい「平」の面にあって、きっちり積んであれば隠れて確認できません。だから崩れている場所がチャンスなのです。

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あちこち眺めてようやく1つ見つけました。


・・・が、×印の岸和田煉瓦・・・

落胆しつつ次の砲台を目指します。
今さらですが、津守煉瓦の創設は明治30年。第1・3・4砲台はそれ以前なので、明治27〜31年に建設された第2砲台、明治36年に建設された第5砲台しか該当しないのですよね。

*:これまでの経緯
 大阪で時々見かける六光星の刻印がどこの煉瓦会社なのか知りたくなった私は、消去法で津守煉瓦ではないかと推測しました。大阪の津守煉瓦工場跡では決定的な証拠を見つけることはできず、津守煉瓦が友ヶ島の要塞建設に使われたという噂をもとに友ヶ島に向かいました。
 →詳しくはこちら


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コメント

すごい場所ですね。
こんなに戦争の遺構が残っているとは…
砲台は明治時代のものなんですね。
とても興味深い。

行きたくなって来ました。

投稿: 新之介 | 2009年9月29日 (火) 00:05

新之介さん、こんばんは。
そうすごい場所なんです。
これでもまだ序の口です。
記事にするのが遅くて申し訳ないのですが。

投稿: びんみん | 2009年9月29日 (火) 00:27

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