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2009年9月

2009年9月30日 (水)

友ヶ島灯台と第1砲台跡(和歌山市)

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第2砲台跡を見た後は友ヶ島灯台のある高台に登りました。
昔は小島だったのがつながったのでは、と思う地形です。
ちょっとした坂道を登ると、ほとんど頂上近くで道の脇にトンネルが現れます。
残念ながら扉が閉じられていますが、これが友ヶ島第1砲台跡の入口です。

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扉の隙間から覗き込むと暗い煉瓦のトンネルの向こうに明るい中庭が見えます。

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階段を登り、中庭を上から覗き込むと、このようにいくつもの窓が中庭に開かれているのが分かります。上からも入ることはできません。
友ヶ島第1砲台は明治22年に着工して翌年竣工した、友ヶ島で最初の砲台だそうです。
(すみません、ピンぼけです)

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砲座だけでなく、両翼に観測所があり、このような装甲掩蓋まで残っています。先ほどの中庭からこの観測所までは浅い通路でつながれているようです。

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第1砲台跡の隣には友ヶ島灯台と旧吏員退息所があります。
この灯台は英国人技師ブラントンの設計で明治5年に建設され、明治23年に第1砲台の建設に伴って東に移設されたものです。

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高さ12.2mで、近くで見ても大きな灯台ではありませんが、
石造(花崗岩)の貴重な灯台です。
毎年5月と11月に一般公開されるようですよ。

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灯台にはプレートがはまっていて、

 明治五季六月廿七日初点灯於旧台
 明治廿三季八月五日再点灯於新台

とあります。先ほどの移転の記録です。

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旧吏員退息所は明治3年に建設され、昭和55年に改修されているそうです。
明るい石積みの建物。

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灯台の先は眺めの良い芝生になっています。向こうは崖。
この灯台にはもう一つ特徴があって、ほとんど東経135度上にあります。つまり明石の真南。東経135度・日本標準子午線の標識が近くに立っていました。また、東経135度が通る日本の陸地としては最南端なんだそうです。本州でも四国でもなく、ここ友ヶ島を通っているのも不思議で、いっそう特別な場所という感じがします。

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ところで、灯台のそばの地面を見ていて、刻印煉瓦が落ちているのを見つけました。
この刻印は丸に3本線の最大手・大阪窯業です。またしても六光星ではない。しかし、第2砲台跡では岸和田煉瓦でしたので、使われた煉瓦は1種類だけではないということですね。

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頂上を一回りして、別のルートで丘を下りました。
坂の途中の脇道に廃墟があったので寄り道をしました。
煉瓦の積み方からして便所かもしれません。

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丘の下は池尻浜のキャンプ場になっています。
池の脇に建物跡がありました。
住宅だったのでしょうか。基礎と便所らしき建物(またか)だけが残っています。

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島にはあちこち井戸が掘ってあります。
こんな風に年代物のポンプが今も現役です。
キャンプ場にはぴったり。

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ここからが本格的な山道(といっても知れていますが)です。
島の最高点に続く遊歩道を上っていくと、途中に分岐があって「海軍聴音所跡」の矢印があります。
興味をひかれる名称なので、もちろん寄り道します。
途中、唐突に上の写真のような貯水槽が現れました。
島なので水が貴重だったのでしょう。

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そして岬の先に海軍聴音所跡はありました。
いかにも軍事施設然としています。
昭和16年頃といいますので、砲台の作られた時期から50年ほど下ります。
島で唯一の海軍関連施設で、砲台はみな陸軍の施設とのこと。
なんと2002年に「発見」されたらしい。

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荒廃していてちょっと怖い雰囲気。
全く注意書きがなかったので、ずんずん入っていきましたが、もう少し注意を払うべきだったかもしれません。

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海が見渡せる部屋。なぜか壁の煉瓦はところどころ抜いてあります。節約のため?
海軍聴音所とは、紀伊水道に進入してくる潜水艦のスクリュー音を聴いて発見するための施設だそうです。実際に入ってきた潜水艦はなかったようですが。

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外から見ると目立たぬようになっています。
壁に石を積んでみたり、工夫をしています。

090815todai19海軍聴音所の前に赤煉瓦が落ちていました。刻印は、私は初めて見る分銅型です。東京の小菅集治監(監獄)製の煉瓦には、桜とともに分銅型があるそうです。海軍は調達先が違うのでしょうか。

刻印はいろいろ見つかるのに、肝心の六光星の刻印はありません。
ここである考えが浮かびました。砲台ごとに使われている煉瓦が違うのでは、という。
期待しつつ、第5砲台跡に向かいました。

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2009年9月27日 (日)

友ヶ島第2砲台跡(和歌山市)

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友ヶ島の話の続きです。
いよいよ遺跡めぐりに出発します。
砲台の遺跡は島に散らばっているので、まずは行きやすいところから、海岸沿いに歩いていける第2砲台をめざしました。

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歩き始めてすぐに神社がありました。
明治の中頃、陸軍による要塞工事に送り込まれた人たちが工事の無事を祈願して建てた神社だそうです。神社もまた近代化遺産です。

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道の脇を見ていると排水溝なども石できっちり組んであって感心します。

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用途不明の煉瓦建築がありました。
窓が小さいので倉庫でしょうか。

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道は非常に歩きやすい道です。
例えば、ここなど小さな入り江を突っ切って土手道がつくられています。軍用道路を踏襲しているのでしょうか。

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小さな岬を回ると淡路島との海峡が目に入ります。
左側の岬の先端に破壊された第2砲台跡があります。
タンカーの大きさと比べれば、海峡の狭さが分かるでしょう。

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岬の手前に旅館と食堂があります。

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第2砲台跡に到着。
当たり前ながら、どの砲台も目立ちません。

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間近まで近づいてようやくその様子が分かります。
友ヶ島第2砲台は明治31年に竣工したそうです。紀淡海峡防衛のために設置されたのですが、第2次大戦では船より飛行機が主体になったため、戦闘には関わらないまま終戦を迎えました。しかし、終戦直後に爆破されています。物騒だからでしょうね。

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さらに近づくと地下にもう1層あることが分かります。
明治の煉瓦建築は美しいですね。
残念ながら立ち入り禁止です。

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反対側に回ってみると、破壊されてごとごと崩れた様子が分かります。
廃墟の美を感じます。
私はイギリスの海岸のお城をイメージしました(要塞はフランス式らしいですが)。

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岬には芝生が張られていて気持ちの良い公園になっています。
ここでのんびり海峡を通る船を眺めるのも良さそう。

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さて、私の今回の目的は砲台を見ることではありません。
煉瓦の刻印を確認する(六光星の刻印*を探す)ことなので、もう一度戻ります。
一番崩れているところで確認します。
煉瓦の刻印はたいがい「平」の面にあって、きっちり積んであれば隠れて確認できません。だから崩れている場所がチャンスなのです。

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あちこち眺めてようやく1つ見つけました。


・・・が、×印の岸和田煉瓦・・・

落胆しつつ次の砲台を目指します。
今さらですが、津守煉瓦の創設は明治30年。第1・3・4砲台はそれ以前なので、明治27〜31年に建設された第2砲台、明治36年に建設された第5砲台しか該当しないのですよね。

*:これまでの経緯
 大阪で時々見かける六光星の刻印がどこの煉瓦会社なのか知りたくなった私は、消去法で津守煉瓦ではないかと推測しました。大阪の津守煉瓦工場跡では決定的な証拠を見つけることはできず、津守煉瓦が友ヶ島の要塞建設に使われたという噂をもとに友ヶ島に向かいました。
 →詳しくはこちら


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2009年9月23日 (水)

友ヶ島上陸(和歌山市)

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前回の続きです。
終戦記念日の8月15日、要塞のあった友ヶ島を訪れました。
目的は煉瓦の刻印を確認するためです。(→「六光星を追って津守へ」からの流れ)

友ヶ島は紀伊半島と淡路島の間、紀淡海峡に浮かぶ4つの島(沖ノ島、地ノ島、虎島、神島)の総称です。上の写真で左が沖ノ島、右が地ノ島です(奥が淡路島)。船が大阪湾に入る交通・防衛の要衝のため、明治22年以降、友ヶ島には紀伊半島側、淡路島側とともに砲台が設けられました。その砲台が煉瓦でできているわけです。以後、友ヶ島は第2次大戦の終結まで一般人の立ち入りが厳しく制限された要塞の島でした。

今回訪れたのは沖ノ島です。
今は海水浴とキャンプの島になっています。
(他の島には公共交通はありません)

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交通手段は友ヶ島汽船(株)の船のみ。
通常期は1日4往復、GWと夏場は7往復に増便されます。
(冬場は2往復のみ。火・水は運休)

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運賃は往復2000円でした。
戻ってくるしかないので往復で買います。
やや高めですが、やむなし。

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この日は夏休みなので50人ぐらい乗っていたでしょうか。
結局、弁当を買うことができず、港の売店でスナックを買って乗り込みました。
加太の漁港を後にします。

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船は地ノ島と小さな虎島の間を抜けます。この写真は虎島。
虎島は満潮時に水没する道でかろうじて沖ノ島とつながっています。
今回は訪ねませんでしたが、虎島にも保塁跡があります。

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沖ノ島の北側に浮かぶ小さな神島。
加太の淡嶋神社はもともとここに祭られていたそうです。
加太淡嶋神社はできれば後日紹介します。

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船は20分ほどで北岸にある野奈浦の桟橋に到着しました。
港はここだけです。先に到着している人たちもいて賑わっています。

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ここで地図を確認。左下が北なのでご注意を。
曲線の先が現在地・野奈浦です。

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さっそく砲弾がお出迎えです。
友ヶ島の第3・第4砲台に配備されていた8インチ砲の弾丸と説明されています。

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ここ野奈浦には民宿・友ヶ荘が冬季を除いて営業しています。
実は食堂があって、ここで昼食を食べることはできるのでした。
灯台の近くにもう1軒、冨士屋という民宿・食堂もあります。
島には何もないと思いこんでいました。
もちろん自販機もありますし、缶ビールすら売っています。

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あと、もう1つの思いこみは、見るべきものは5つの砲台だけだと思っていたことです。実際には他にも様々な建物・遺構が残っているんです。
例えば野奈浦の奥にもこのような建物群があります。
奥に煉瓦の煙突なども見えますでしょう。兵舎だったのでしょうか。

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近づくとこのようになっています。
当然ながら立ち入りは禁止です。
今はどう使われているのでしょう。

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この建物は恐らく便所。
島のあちこちで見かけました。
片側だけ腰まで煉瓦を積んでいるのが特徴です。

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広場の奥にある縦板の木造建築。

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押し縁下見板の木造建築。

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桟橋を振り返ると、ちょっとした芝生の広場が広がります。
この広場も軍事用に使われていたのでしょうね。
あるいはもっと建物があったのかもしれませんが。

一休みしたら島内の探索に出発します。

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加太港へ(和歌山市)

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終戦記念日の8月15日、行っておきたかった紀淡海峡の友ヶ島を訪問しました。一般の人には夏のキャンプ地、マニアには友ヶ島要塞(由良要塞)で知られる島です。
そして私にはレンガの刻印を確かめるという目的がありました。(→「六光星を追って津守へ」の続きです)

友ヶ島に行く船は加太港から出ます。加太港には電車の場合、南海本線で和歌山市駅まで行き、そこで加太線に乗り換えて20数分の終点・加太駅から歩きます。
加太線は思ったよりは混んでいましたが、多くの人は海水浴場がある駅で降りていきました。明らかに砂地の畑と住宅が続く紀ノ川沿いを走り、最後に目の前に現れる山に切り込むように加太駅に到着しました。

加太駅は開業時の明治45年(1912年)の駅舎で、のどかな雰囲気があります。

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駅前には昔ながらの土産物屋などが並んでいます。おにぎりを買おうか迷いましたが、海はまだ先ですので、お茶だけ買って、もう少し進むことにしました。

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幹線に出て道なりに歩いていくと、旧加太警察署があります。
これも加太駅と同時代で、明治末か大正初めの建物といいます。
当時は友ヶ島だけでなく、本土側にも要塞がありましたので、加太は自由に出入りできない地域だったそうです。駅が離れているのはそういう事情もあるのでしょうか。警察署の持つ意味も通常より重かったと思います。なんとなく筋肉質な印象も受けます。
戦後、警察署が移転した後は払い下げられて民宿「中村荘」となり、残念ながら今は閉じて個人宅となっているそうです。

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港への道は大阪に向かう幹線を離れ、静かな道に入ります。
角には道標が立っています。

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ところで、この家の玄関先の敷石が変わっています。
短冊状の石を並べていて、その石の手前一つ一つに凹みがあるんです。何かの再利用でしょうか。

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歩いていくとガレージに海藻を干していました。
調べてみると、どうもテングサのようです。
町中にも海苔など海藻関連の問屋の看板があり、この町の漁業には海藻が欠かせないようでした。

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脇道を覗き込むと漁港らしい、狭くうねる通路が私を誘いますが、時間に余裕はないので先を急ぎます。

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潮風に当たると古いものでなくてもたちまちレトロな雰囲気に。

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門前の商店街。右端の店に看板はなく、大鍋に揚げ油の用意をされていたので、何の店かなと思い、聞いてみるとあげパンの店だそうです。キシモト店というそうですね。有名店とは知らないまま、「帰りに寄りますね」と言って立ち去りましたが、帰りにはもう店じまいされていました。惜しい。

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道は海の香りのする川沿いの道に出ます。
下調べで見ていた洋館付き住宅がありました。
洋館を突っ込んだようにも見えます。

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同じ並びには煉瓦倉庫もあります。

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丸治醤油という醤油屋さんだそうです。
大正12年だとか。マークがきれいです。

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振り返るとこのような道になっています。
この川は運河だったのでしょうか。

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なかなか港にはたどりつきません。
生け簀で貝を売っている店や名物のよもぎ餅を売っている店があります。
気持ちがあせっているので買い物をする間なし。

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行き先を見失いかけたとき、右手駐車場の向こうに加太港が見えました。
ほんとに小さな港で、客船といえば友ヶ島行きの船だけです。
オンシーズンなので、既に島に遊びに行く人たちの行列ができていました。

いよいよ友ヶ島に渡ります。

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2009年9月22日 (火)

水都大阪2009・西回りクルーズ

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昨日に続いて水都大阪2009の記事です。
今回は、大阪水上バスの「水の回廊・特別コース」に乗ってきました。
大阪城港発の一周ルートの後半で、道頓堀〜大阪城港まで。西回りに道頓堀川、木津川、堂島川、大川、寝屋川、第二寝屋川を走り、実に38の橋をくぐる(一周すれば+18)クルーズです。道頓堀川水門もくぐります。これで1時間10分、料金1000円はかなりお得ではないでしょうか。(大阪城港発の一周なら約2時間・2000円)東回りのルートはいつでも乗れるので。

道頓堀の太左衛門橋船着場発は12:45という情報を得ていたのですが、大阪城港12:05発が始発でその降りる人次第のため、船の到着まで乗れるかどうか分からず、やきもきしました。結果的には余裕をもって乗れたのですが。

使われている船は屋根のない「水都号アクアmini」で、これもすばらしいところ。最前列5席を確保するなら大阪城港から乗った方がいいと思います。

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太左衛門橋船着場を出発、さっそく戎橋をくぐります。
あちこちで手を振ってくれます。なんで船だと自然に手を振るんでしょうね。

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戎橋の西側は遊歩道の延伸工事中です。
これが長くて結構面白い。

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湊町リバープレイスの船着場に寄港。
ユニークな形の浮庭橋が架かっています。

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住吉橋。結構、低い橋が続きます。
このあたりは道頓堀の喧噪を離れて静かなところです。

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道頓堀川水門に到着。

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水門の通航証明書をくれます。

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前の水門を開けて再び出航。1隻のためにこの操作をしてくれました。

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道頓堀川水門を抜けると広々した水面に出ます。ここから木津川。
左が大正橋で右が岩松橋、その間が大正区です。
写真には写っていませんが、右手に京セラドーム大阪があります。

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木津川では川幅と空が広がります。
アートのエリアで、左岸にはアーティストによるペイントが施されています。
右岸にはカフェなども。船着場が至る所に整備されています。

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お仕事船のエリアに入ります。
大阪市環境局の船などが泊まっています。渡船の事務所があるのもこのあたり。このクレーン付きの船は何でしょうね。

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大正8年築のK邸の裏側です。
その奥は大阪府工業奨励館附属工業会館(昭和12年)。

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左手には川口アパート(昭和5年頃)越しに川口教会(大正9年)が見えます。
川から見ると煙突が目立ちます。
レトロ建築エリアです。

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木津川最後の橋、昭和橋(昭和7年)。
これだけ大きいのに非常に低いです。

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続いて端建蔵橋。こちらも低かったものが昭和38年にジャッキアップされています。
橋脚の美しいアーチは明治42年?大正10年?

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大阪中央卸売市場も川から見ると全く違った表情を見せます。広い。

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堂島川に入ると最近開発の進んでいるエリアで、きれいなオフィスビル、マンションが並んでいます。左が堂島で、右が中之島。右手のヘリポートのある建物が大阪国際会議場です。
大阪国際会議場前港は降りる人がいないので通過しました。

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昨年5月開業のほたるまち。

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そして解体の決まっているダイビル。
見上げるようなビルが続きます。

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やがて高速道路が川の上を行き交うエリアへ。

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大江橋(昭和10年)が見えてきました。

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これも結構低い。
向こうには水晶橋が見えます。

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水晶橋は旧称・堂島川可動堰(昭和4年)。
普通の橋とは違う構造が見えます。

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難波橋(大正4年)が見えてきました。
この先が水都大阪2009のメイン会場です。

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すっかり名物になったラバーダックも間近に。
残念ながら9月27日までです。

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このあたりはとくにイベント船の頻繁に行き交う区間です。
ジープ型の水陸両用タクシーは初めて見ました。
川が浅いのかと思ってしまいそう。

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こちらは屋形船。

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大阪ダックツアーの水陸両用バスも。

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寝屋川に入って、OBPの先端。
すごく絵になる風景です。

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右手に船でしか近づけないコスモス畑が見えてきます。アクアminiの船長さんが許可を得て植えられたんだそうです。

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ここで大阪城が一瞬だけ見えます。

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砲兵工廠の水門跡です。

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ゴールの大阪城港が見えてきました。
出航するアクアライナーと入れ替わりで到着します。
このコースは、橋が見たい者にはありがたい、非常に充実したクルーズでした。かなりおすすめできます。

他には落語家さんの案内で一周するなにわ探検クルーズなどもあるようです。

水都大阪期間中はたくさんの船が走っているのですが、情報がばらばらでどこに行けば何に乗れるのか分かりにくいのが残念。川の駅のパンフレットが一番まとまっている気がします。

10月3日(土)には、ウキウキ船さんぽというイベントがあって、前売1500円で11コースの船(水都の船とは別)が乗り放題になるそうです。仕事がなければ絶対に行くのに。残念。

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2009年9月21日 (月)

夜の水都大阪2009

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大阪では水都大阪2009が開催中です。
職場から近いこともあって、一度に回らず、会社帰りなども使って少しずつ楽しんでいます。
これまでに歩いた夜の会場をまとめて(一部)紹介します。
ちゃんと撮れてない写真が多いのはおわびします。

まずこちらはミラーチップイルミネーション。
キラキラ光る金属片がアーチになっているE-DESIGNさんの作品です。
これは夜にきれいです。よく見ると短冊になっていて子供たちの願いごとが書いてあるんですよ。それを読んでいくのもまた楽しい。

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スタート間もない8月24日のライブ。
音楽は良かったのに、まだ認知度がいまいちでさびしいお客さんの入りでした。

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八軒家浜会場のナイトプログラム「水の回廊 時空の架け橋」。
水のカーテンに映像が投影されます。剣先の大噴水に続いて始まります。
9月3日の時点でもまだちょっと寂しい感じでした。

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ペットボトルでできたウミガメのオブジェ。
他にも船などいろんなものが作られています。
それにしてもさびしい。まさに産卵に帰ってきたウミガメみたい。

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ローズカフェの影絵。
夜はこんなのもあります。

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そして何度目かにして初めて気付いたのがこの「みんな何やってんの?」です。
何かをしている人の絵文字とボタンが並んでいます。
押すと光るらしいのですが、どこが光るのか分からない。
すぐ隣にある1つだけは分かるのですが。

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しばらく押してみてようやく分かりました。
近くばかり探していたのです。
向こう岸のビルで人影がライトアップされるのでした。
よく昔から博物館の展示でボタンを押すとジオラマの一部が光るのがあるでしょう、あの実物版という感じ。
シンプルですがやってみるととても楽しい。
おすすめです。長谷川仁さんの作品。

シルバーウィークに入ってからは、水都大阪がTVなどで取り上げられて浸透してきたのか、アヒル効果か、かなり人出が増えてきました。夜も多くの人が歩いています。

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予定していなかったのですが、バラ園のローズ・ポートを通りがかると、ちょうど八軒家浜港行きの水都シャトルの出るタイミングだったので乗ってみました。20分間のミニクルーズです。中之島のクルーズは初めて。

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旧大林組本社ビル前を通りがかると誰かがスイッチを押していました。
屋上に人影が浮かび上がります。

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単純に八軒家浜港に向かうと思っていたのですが、そうではありません。
それだと20分かかりませんよね。中之島公園の先端を回って難波橋をくぐります。
橋の下がライトアップされています。

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鉾流橋の手前で折り返して、再び難波橋。

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京阪シティモールと八軒家浜港を横目に、また今度も通り過ぎてしまいます。

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天満橋もくぐり、大阪城が見えるところまで来てUターン。

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最後に大噴水のライトアップを眺めて、ようやく八軒家浜港に入港します。
思ったより長距離を回るクルーズでした。

これから昼の川の回廊クルーズに乗ってみるつもりですし、夜の様子についても、また機会あれば紹介したいと思います。


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2009年9月17日 (木)

西九条のベランダ手すり(大阪市此花区)

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道を歩いていると時々気になる町工場があります。
西九条を歩いているとこんな工場がありました。

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この建物の2階ベランダ手すりは妙に凝った感じ。
これが気になると、周りも気になり出しました。

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この場合は戸袋も。

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技を見せるようなデザイン。

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最初のと似ていながらちょっとずつ違う。

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この建物には鉄工所の看板が掛かっていました。
西九条には鉄工所が多いので、もしかして手すりを自作している?

建物はストイックですが、
「ここだけは譲れない」と言っているようにも見えます。

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2009年9月11日 (金)

4周年御礼

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この9月10日で「日常旅行日記」は4周年を迎えました。
自分としては7、8年たったような気分なのですが。
記事本数でももうすぐ500本の区切りを迎えます。

見に来てくださる皆さま、本当にありがとうございます。
始めてから今まで「日記」だったことはほとんどありませんが、このまま名前は変えずに続けたいと思います。

できれば書きっぱなしではない場にしたいと思いますので、気軽にコメント、リクエストなどお寄せ下さい。今後ともよろしくお願いします。

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2009年9月 6日 (日)

初めての北海道(24)圓山開村記念碑(札幌市)

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北海道庁旧本庁舎を見た段階で持ち時間は残り1時間ほど。ここで切り上げようか迷いましたが、最後に圓山開村記念碑を見に行くことにしました。円山山麓には近代の郊外住宅地があると聞いていたので、記念碑をとりあえずの目的地にしてそのあたりの住宅を見ようということです。

地下鉄の円山公園駅から地上に上がると、きれいな町ですが、古いものは見当たりません。
あまり時間もないので、まっすぐ記念碑を目指します。

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すると目の前に古そうな形の木造住宅が期待に違わず。
きれいに補修されています。

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大型の下見板木造住宅も。今、駐車場になっているところにも立ち並んでいたのでしょう。

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この一角には木造住宅がまとまって残っています。

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そしてその一角の向かいに圓山開村記念碑はありました。

維明治三年開拓使移庄内之民三十戸于□営
円山下称円山村明年又移岩手及札幌之民各
六戸皆賜土地宅舎給糧食田器以辟草菜恩眷
甚厚爾来移家者益多加戸六十余得田四百五
十町以今茲廿期村民相謀建石供開村之記念
実廿三季五月
  紀元二千五百五十年
※旧字体は新字体に変更しました。

つまり、
明治3年に庄内から30戸が移住して円山村を開き、
明治4年に岩手と札幌から各6戸が移住、
明治23年までに60戸余り増えて、
計450町(450ha弱)の田を開墾したということのようです。

ちなみに圓山村は明治39年に山鼻村と合併して藻岩村、昭和13年円山町に改称、昭和16年に札幌市と合併します。

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また、隣には「善徳翁」の碑があります。
ちょっとこの写真では分かりにくいですね。
ついでに全文を載せておきます。(□の文字は読み取れませんでした)

          善徳翁

上田善七翁は南部藩士中村甚四郎の三男にして安政元
年四月盛岡に生る明治四年募に応じて兄萬平と共に円
山村に移住し開拓の端を啓く十六年円山村伍長となり
爾来円山学校世話係学務委員村会議員消防組頭等の公
職に従ひ公共事業に尽瘁すること四十六年其の功績偉
大なり官屡其の功を賞し又大正十三年紺綬褒章を授く
翁資性公明任侠父母に事へて至孝兄を輔けて□人を益
し世を救ひ事に当りて熱誠能く人を動す其の徳□□の
能たり今年村会の議に依り碑を建て其の功徳を□□す
 昭和三年八月
  北海道札幌師範学校長正五位勲三等柴垣則義記す

※旧字体は新字体に変更しました。

圓山開村記念碑とは関連していて、明治4年に岩手から移住した6戸に上田萬平・善七兄弟があり、彼らの功績が大きかったということのようです。

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時間もないので、碑を見るとすぐに戻り始めました。
こんな建物もありました。入口が2つあるのは元銭湯?

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現在の円山はおしゃれな雰囲気のある街で、パン屋さんなどがあちこちにあります。
こういうところが古い郊外住宅地の生活文化かなと思います。
こちらのブルクベーカリーというお店(本店らしい)のパンがおいしそうで、パンを買って帰りました。

あとは時間的に結構ぎりぎりで、急いで札幌駅に戻り、新千歳空港行きの快速に駆け込みました。

今回の旅行は北海道の広さを感じる目的で、列車の移動が中心でした。おおよその雰囲気はつかむことができたと思います。次はもっと近代建築のある、函館や小樽そして札幌の他の地区にも出かけてみたいと思います。

「初めての北海道」はこれで完結です。
またまた日記を逸脱した長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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2009年9月 2日 (水)

初めての北海道(23)北海道庁旧本庁舎(札幌市)

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赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎にも出かけました。
庁舎の正面にまっすぐ道路が延びていますので、遠くからもとても目立ちます。

090607docho2庁舎の前には札幌市の道路元標があります。ここが一つの基準点、というのがよく分かります。

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天井が高いとはいえ、2階建てでこの堂々とした建物です。
明治21年(1888年)に建てられました。
現在は重要文化財です。

上に八角ドームが乗っていますが、これは竣工後数年で撤去され、昭和43年に復元されたものだそうです。理由は設計変更で後から載せた無理のため。(さっぽろ文庫23『札幌の建物』)。でもこのドームがあってこその姿ですね。

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正面には壁の大きな車寄せ。破風には開拓の象徴・五光星(北極星)。
本体はもちろん赤レンガですが、建物の土台石・窓枠には安山岩の札幌硬石が使われているそうです。

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車寄せの中から。
まっすぐに視界が伸びていきます。

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中に入って正面階段。
私は軽やかな印象を受けました。

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木製の階段は側面にも線刻が施されています。

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もう一つの階段の親柱。

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廊下が一本、まっすぐ通っています。
館内は北海道立文書館、歴史ギャラリー(開拓記念館の出張所のようなもの)、樺太関係資料館などが入り、ちょっとした博物館です。

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北海道庁長官室は記念室として保存されています。

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天井には花のシャンデリア。
その土台は透かし彫りの磁器のようです。

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また違った透かし彫りのパターンも。
これは植物柄です。

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天井の壁紙は型押しされた細かなパターンで埋め尽くされています。

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カーテンレール頂部の飾り。

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窓枠の植物模様。

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再び外に出て、周囲の柵にも五光星が読み込まれています。

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南側から見た庁舎。
こちらから見てもちょっとした建物の正面に見えますね。

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ついでながら、北海道庁旧本庁舎から南に歩いていくと、北海道立文書館の別館があります。
元は大正15年に建てられた北海道庁立図書館です。
植物意匠がふんだんな赤れんが庁舎を見た後では、随分デジタルな印象を受けます。
残念ながら非公開です。

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北海道立文書館別館の入口。

このまま歩いていけば大通公園へ。
時間がなければこれだけでも十分観光になりそうです。

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2009年9月 1日 (火)

初めての北海道(22)大通公園の聖恩碑(札幌市)

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札幌の大通公園について書こう、と思ったのですが、今回は一部しか歩いていませんので、さわりと聖恩碑の紹介にとどめます。

全国的に有名な札幌の大通公園は、明治4年(1871年)に設けられた都市計画の火防線を由来とする公園です。明治42年(1909年)には、公園設計で有名な長岡安平を東京から招き、整備計画を依頼。逍遥地としての顔が整えられました。

大通公園は東西1.5km、南北(幅)65mの細長い公園で、東の端には内藤多仲が設計した、さっぽろテレビ塔(1957年)が立っています。

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芝生や花壇の連なる美しい公園。

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その公園の東寄りに巨大な聖恩碑が立っています。
西面にはめられた碑文によると、昭和11年に北海道で開催された陸軍特別大演習に昭和天皇が行幸されたのを機に、明治・大正・昭和3代の天皇の北海道開発へのご恩に感謝する意味で、昭和13年に建てられたものだそうです。

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ユニークなのは、北・東・南の各面にお面のような吐水口があることで、南北(北は未確認)が王冠をかぶったライオン、東が蘭陵王の面(たぶん)です。蘭陵王の面は中之島公会堂にもありますね。

蘭陵王というのは調べてみると、中国・北斉時代の美形の王で、兵士たちが見とれて士気が上がらなかったため、いつも恐ろしい面をかぶって出陣したという話だそうですね。
それは大演習に臨む昭和天皇の姿に重ね合わせていたのでしょうか。あと2頭のライオンは明治・大正両天皇を表しているのか。そこまでは私は分かりません。

大通公園についてはいずれ再訪したときに。

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