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2009年7月

2009年7月30日 (木)

千林大宮商店街の周辺(大阪市旭区)

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菖蒲と紫陽花(あじさい)の咲く頃、千林大宮に出かけました。
千林商店街はダイエー発祥の地で安売りの商店街として有名ですが、その続きに千林大宮商店街があります。簡単にいうと、地下鉄谷町線・千林大宮駅から東が千林商店街で、西が千林大宮商店街です。

千林大宮商店街はアーケードのない商店街で、建物に昭和レトロの雰囲気があります。

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例えば、このお店。
スクラッチタイルに覆われています。

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感心するのがうだつ部分まで丁寧にスクラッチタイルで覆われていることです。
平面部にはクリーム色のタイルも使われていますが。

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軒下に段を付けて金属でカバーする箱軒は昭和初期の特徴ですが、そんな箱軒の建物が多数並んでいます。

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ちょっと脇道のそれたところには屋根を3層に葺いた長屋がありました。
独特な雰囲気です。もっと古い長屋なのかもしれません。

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そのうちの1軒の前庭の美しいこと。
お花を生けたようです。

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蔵のある街並みもあります。このあたりはかつての南嶋村です。
敷地まで数段上がっているのは、水に漬かる土地だったからでしょうか。
淀川が今よりも近くまで迫っていました。

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町家改造型の喫茶店もあります。
建築事務所の看板もかかっているので、実験的なものでしょうか。

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そして、大宮の地名のもとになっている大宮神社があります。旧名は大宮八幡宮、また南島神社。

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社伝では、文治元年(1185年)、一ノ谷に向かう源義経がこのあたりで霊光を見たことが始まりとか。かつては11km南の京街道に一の鳥居があり、松並木が続いていたといいますから、まさに「大宮」です。大阪城の鬼門に当たるため、豊臣秀吉が社殿を造営し、江戸時代は大阪城代か名代が年3回、玉串を納めていたそうです。


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その境内の北続きに大宮中公園があります。開園は昭和15年。
大宮土地区画整理事業に関連する公園です。

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入口の正面にフェニックス(カナリーヤシ)というよくあるパターンです。
ここのはやや小ぶり。

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お気に入りの逆円錐型水飲み場があります。

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まんじゅう型滑り台も。

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公園の一角に大宮土地区画整理事業の竣工記念碑が立っていました。
昭和16年に建てられたものです。
大宮土地区画整理事業は、昭和4年に設立認可、昭和6年に工事が始まり、昭和18年に換地処分(整理後の土地に権利が移る)されています。昭和10年前後に建物が建ち始めているのではないでしょうか。

 →旭区の区画整理事業の地図

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大宮の区画整理地域を歩く前にちょっと寄り道。
区画整理から除外された地域(既に宅地化していた地域)に、洋風の長屋がありました。

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花、なんでしょうか。ワンポイントが効いています。

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大宮中公園の東側にある錦水湯。
外観は昭和初期です。大正区の菊水湯などに似ている気も。
中は昭和の半ばといったところ。

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洋館付き長屋とでもいいましょうか、和洋折衷の長屋などもあります。

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完成度が高かったのが、この町家(長屋の一部?)。
シュロと合わせて、その空間だけ絶妙にまとまっています。

千林商店街もいいですが、千林大宮商店街周辺もレトロで良いですよ。

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2009年7月28日 (火)

初めての北海道(16)網走の街

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もちろん、網走の街も歩きました。
網走は東に海が開け、北の網走川と南の丘陵地に挟まれて東西に長く延びた街です。
網走川にかかる橋から上流を眺めてみました。
整備された河岸には漁船が係留されています。

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逆に海の方も。
右岸には大型の倉庫が並んでいます。

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釧路と同様、元の駅は街の中に引き込まれていました。
大正元年に駅ができますが、昭和7年に現在地の駅ができると貨物駅の浜網走駅になり、昭和44年に廃止という流れまで、釧路駅と似ています。


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旧網走駅は川に近く、周囲には倉庫が集まっています。

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駅跡のすぐ近くに、よつば薬局があります。
どうも倉庫を転用したよう。
北海道各地に見られる札幌軟石造の倉庫のようです。
どうしてわざわざ遠くまで石を運んだのでしょう。
もう少し近くで石材が採れなかったのだろうかと思うのですが。

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近くには日通倉庫もあります。
一部を住宅として使っているのが驚き。

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網走の中心市街地はコンパクトですが、商業中心らしき南4条通にはアーケードがあり、商店街としてがんばっているようでした。昔の地図を見ると南6条通が官庁街のようですが、そちらは空き地が目立ちました。

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商店街に老舗菓子店の札幌千秋庵があり、2階の窓の桟などを見ると、古い建物のようです。

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そろそろ時間ですので、町外れにある網走駅に戻ります。
ちなみに網走駅が縦書きなのは、刑期を終えた受刑者が横道にそれないようにという意味だそうです。言われないと分かりません。いろいろと細かい心配りがあるのですね。
ここから一気に札幌を目指します。

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外を眺めていると、やはり駅周辺には倉庫などが目立ちます。
美幌にはコンビナートのような農業施設がありました。

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時々、気になる建物も。見に来れる日はあるでしょうか。

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久しぶりに水田を見ました。
水田があると景色が急に北海道でなくなったように思え、いかに田園風景を意識にすり込まれているかということに気付きます。

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札幌軟石らしきペアの倉庫。やはり多い。

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塔屋のある建物。

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菜の花畑。

今回はできるだけ昼間の移動を心がけたのですが、網走で多めに時間を取ったので17時18分の出発となり、遠軽をすぎたあたりで日は暮れて、あとは夜の世界でした。
22時36分、雨の札幌に到着。
急に日常の世界に戻ったような気がしました。駅前だけは。

大阪の記事のあと、札幌編に続きます。

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2009年7月26日 (日)

初めての北海道(15)網走市立郷土博物館

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網走で近代建築というと、網走市立郷土博物館は外せません。
『道東の建築探訪』の表紙も飾っている建物です。
非常にインパクトのある建物なので、てっきり街中で道路の突き当たりにアイストップとして建っている建物と思いこんでいたのですが、実際には街に背を向け、森にうずくまるように建っていました。
足元には青磁釉っぽいスクラッチタイル、色の付いた壁面もタイルです。


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永専寺から南へ、線路を渡った向こうにあります。
一面の森なのでちょっと道に迷いそうになりました。

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裏側(北側)には部屋が張り出しています。

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元々この建物は、昭和11年に北見郷土館として建てられました。
初代館長・米村喜男衛氏の収集した考古・民俗資料が基礎となり、網走の自然と歴史に関する資料が展示されています。剥製がいっぱい。
寄付金が足りなかったため、こう見えて木造だというので驚きます。設計者はフランク・ロイド・ライトの弟子の田上義也とのこと。

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中からの印象は外からと違って、ステンドグラスがカラフルな光を発しています。

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岩石標本の断面のような複雑なモザイク状で、何か文字が隠れているのでは?などと思わされますが、読み解けませんでした。

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階段室は白と焦げ茶でシンプルながら、とても複雑な造型で、らせん階段がドームの3階に続いています。残念ながら登れません。

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天井は中央が高くなっていて、やや独特。
展示には昔の網走の地図や写真、民具などもあり、興味深く見学しました。
分館としてモヨロ貝塚館もあるので、貝塚関係はそちらにあるのかもしれません。

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ここまで来たのでついでに網走神社にも立ち寄りました。
森の中に長い参道が続いています。
網走神社は文化9年(1813年)、近江の藤野四郎兵衛が漁場鎮護のために祭ったのが始まりで、明治41年に現在地に移ったそうです。祭神は市杵島姫命ほか。厳島神社の祭神です。釧路にしてもそうでしたが、住吉の神ではなく、厳島の神を祭るのですね。北海道の場合はそうなのでしょうか。あるいは近江の人が多いために、竹生島の神様を祭ったのでしょうか。

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社務所は、明治28年頃建てられた藤野家の迎賓館を移築したもの。
藤野家は網走の漁場持、豪商であったそうです。

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拝殿・本殿までは白い道が続いています。
これが白砂かと思いきや・・・

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ホタテ貝の貝殻!
白砂は手に入らないのかもしれませんが、むしろ網走の神社らしい参道になっていると思います。

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初めての北海道(14)網走監獄博物館

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網走といえば、冬の流氷を除けば、網走監獄が最も有名な観光地でしょう。
網走監獄は、網走郊外の天都山の麓に移築されています。
歩ける距離ではないのでバスに乗り、ついでなので、網走監獄を通り過ぎて、天都山でバスを降りました。ここには展望台があります。


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位置としては上の地図で旗が立っているところです。
標高207mと高くはないですが、急坂を登る感覚があります。

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東側は網走の街からオホーツク海、知床半島まで見渡せます。

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反対に西側は網走湖・能取湖が一望できます。まさに絶景。

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バスの本数が少ないので、ここからとっとこ坂を下りました。
坂がきついので逆ルートはやめた方がいいと思います。

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坂を下ること20分、「博物館 網走監獄」に到着しました。
監獄前の川にかかる鏡橋を渡るところから再現されています。
(ちなみにバスでは、現在の刑務所の前も通ります)

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チケット売り場を抜けて最初にあるのが監獄の正門。
大正13年に建てられた正門の再現構築です。
囚人の人形がお出迎え。

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移築復元された網走刑務所旧庁舎。
明治45年の擬洋風建築です。

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竪穴式住居にも見えますが、これは囚人が遠方で作業するときに建てた「休泊所」という仮小屋の再現です。

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中もちゃんと再現してあって、さらには一部の人形が動きます。

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メインは五翼放射状舎房です。
明治45年の建物の移築復元。

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その名の通り、扇の要にある中央見張から放射状に5つの翼が伸びています。

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翼の1つ。廊下の両側に雑居房・独居房が並んでいます。

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独居房の内部。

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監獄の浴室です。監視に都合良く作られているので、銭湯とはかなり趣が違います。

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大正8年頃につくられた独立の独居房。
イギリス積みの煉瓦造です。
懲罰用に窓がない房らしいです。

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教誨堂は明治45年の建物の移設復元です。

これ以外にも農場や裁判所など様々な建物があり、とても短時間では回れません。
今まで、ハノイのホアロー刑務所博物館青島ドイツ式監獄博物館を見たことがありますが、それらよりも規模が大きく、またテーマがハノイ・青島では植民地支配の歴史が主なのに対して、網走では開拓や刑の歴史、囚人の扱いが中心というのが異なります。
専用の展示館もあってかなり見応えがありました。
私は駆け足でしたが。

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再びバスに乗り、街中に戻りました。
街中に永専寺というお寺があり、その山門が上の写真です。
何となく見覚えがあるようなと思うかもしれません。
明治45年に建てられた監獄正門を、大正13年に移築したものです。
なぜお寺に?かというと、このお寺の住職さんが、監獄で一時教誨師をしたり、免囚者の保護事業に努めた方だったからだそうです。

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とくに両側に張り出したドーム屋根の番所が印象的です。

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煉瓦はフランス積みで、灰色煉瓦のストライプがアクセントになっています。

囚人は鉄道、道路、港、農地の工事に駆り出され、建物は今は観光地ともなって、監獄と街は深く結びついているようです。

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2009年7月25日 (土)

初めての北海道(13)釧路から網走へ

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釧路を後に網走へ。
今回は列車の旅なので、釧網本線を利用します。
釧網本線は幹線に見えるのに、普段は特急が走らないんですね。普通と快速のみで、直通は1日に5往復だけ。その貴重な(?)快速しれとこに乗りました。
1両でも混むほどの乗客はいません。観光客の方が多いでしょうか。鉄ちゃんらしき人も。
9時5分に出発します。

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釧路の街を離れると釧路湿原の側を走り始めます。
水門が見えてきました。岩保木新水門です。右奥に小さく見えるのが昭和6年に完成した岩保木水門のようです。木材輸送のために作られながら釧網本線が開通したため、一度も開けられなかったらしい。それでも近代化遺産に入るのでしょうか。
ここで釧路川と直流する新釧路川が分かれています。

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やがて左手に蛇行する釧路川が見えてきます。
付かず離れず。

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森がとぎれて釧路湿原が広がります。
線路はその際を走っているのでよく見えます。
天気が良ければ、阿寒岳などが見えると思うのですが。

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タンチョウが来るという茅沼駅。

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湿原を離れると山間に分け入ります。
屈斜路湖や摩周湖は見えませんが、水蒸気を上げる硫黄山のそばを通ります。
明治9年に釧路の佐野孫右衛門が硫黄採掘を始めたのがここです。のち経営権は安田財閥へ。囚人労働で採掘した硫黄は、最初は釧路川水運で運ばれましたが、これも囚人により標茶までの鉱山鉄道がつくられ、鉄道輸送に切り替わったそうです。しかし、明治29年には早くも硫黄が枯渇して閉鉱してしまいました。

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川湯温泉駅は昭和11年の建物。
観光拠点です。

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山間を抜けると、やがて右手に見えてきたのは斜里岳(1545m)。
知床半島の付け根です。

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知床半島の山並みが遠くまで続くのが眺められます。
知床斜里駅ではクラブツーリズムのツアーの方たちが20人ぐらい乗ってこられました。ローカル線に乗るのも観光の一部のようです。

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右手にオホーツク海が見えました。
海岸には草におおわれた砂丘が連なり、その向こうに海が見えます。この季節は穏やかそのもの。

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左手には汽水の海跡湖である濤沸湖(とうふつこ)があります。
原生花園駅(小清水原生花園)でツアーの方たちは下りてゆかれました。
再び静かな車内に。

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だんだんいいお天気になってきました。
釧路あたりとは気候が違います。
このとき北海道全体で天気が悪く、晴れていたのはこのあたりだけだったようです。

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網走が近づき、漁港が見えてきました。

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トンネルをくぐって網走へ。
12時5分、網走駅に到着しました。

この釧網本線は、湿原、火山、知床連山、オホーツク海岸、湖と変化に富んで、とても眺めの良いルートです。もう少したくさんの人が利用しても良いのにと思います。

網走では5時間の途中下車をしました。

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2009年7月24日 (金)

石橋荘園(池田市)

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阪大の博物館で「昭和12年のモダン都市へ」を見た後、前から確認したかった石橋荘園を見に行きました。
石橋では西国街道と能勢街道が交差しているので昔から集落がありましたが、加えて明治43年に箕面有馬電気軌道(今の阪急宝塚線)が開通して、沿線に郊外住宅が建っていきました。
なので石橋駅周辺には、明治とはいいませんが、昭和初期らしき住宅もちらほら見られます。
上の写真は天神2丁目のあたり。緩い傾斜があり、水の流れる住宅地だったと思われます。

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洋風の入った建物。お決まりのシュロとともに。

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天神1丁目にも洋風の住宅がありました。
屋根瓦が赤いフランス瓦(溝の切ってある瓦)です。

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玄関ポーチのアーチに、「目目」の換気口、鬼瓦のパルメット(なつめやし)模様と、近代の住宅らしさがいっぱいの素敵なお宅です。

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ここからが石橋荘園です。住所でいうと荘園町1丁目。阪急からも見えます。
石橋荘園は、大正末に日本住宅(株)が開発を始め、昭和4年に阪急が引き継いだ住宅地です(『新版池田市史 概説編』)

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洋館付き住宅の洋館部です。
何の模様でしょう。泡立つような模様です。

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道はやや狭く、生垣が特徴的です。

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木製持ち送りのある住宅。
門柱も切石張りタイプです。

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医院の建物。

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これも洋風の住宅。

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きれいに整えられた石垣と生垣。
これだけの長さできちんとしているのはすごい。

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大型の洋館付き住宅。
和館部分が入母屋のどっしりした住宅で、住宅地内でも大きい方の住宅だと思います。

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洋館部分も細かく見ると凝っています。

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こちらは壁・塀とのバランスが面白い住宅。
セルリアンブルーの瓦も多いですね。

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最後に和風の住宅。
好みで洋風の住宅を中心に撮っているという理由もありますが、石橋荘園には洋風の要素をもつ住宅が多い気がしました。
ご紹介した以外にもまだ古そうな住宅はあります。
阪大の博物館で見た「昭和12年の大阪」と同時代の建築も含まれるのではないでしょうか。

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最後に、ある家の塀に使われていた瓦をご紹介。
流れたような釉薬が面白い瓦です。

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2009年7月23日 (木)

初めての北海道(12)釧路湿原の馬車鉄道跡

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釧路の話の最後に釧路湿原のことを。
今回の旅行はタイトルにもあるように初めての北海道でしたので、より北海道らしいところということで、釧路湿原が行き先のイメージにありました。

調べてみると釧路湿原は非常に広くて、当たり前かもしれませんが、真ん中には入れないのですね。周囲から見ることになります。鉄道アクセスの東側か、バスアクセスの西側か、あるいは車や観光バスで一周か、ツアーで入る北側か。鉄道は網走に向かうときに通るので、バスアクセスの西側にしました。

この日はどんより金曜日。釧路の駅前から出るバスは、2〜3組の観光客と特別学習の小学生たち、そして病院通いの地元の人らが乗客でした。バスは大きく南に下りてから末広町のあたりを回って北に向かいます。それなら駅前まで行くことなかった・・・

バスは鳥取の町を抜け、湿原をかすめて丘に登ってゆきます。
小学生たちはそれぞれのミッションがあるらしく、数人ずつ、いくつかの停留所に分かれて下りていきました。この頃の小学校の授業というのは随分活動的ですね。
私と同じく釧路市湿原展望台で下りる子供たちもいます。


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私の選んだコースはガイドブックに紹介されていたものの1つで、釧路市湿原展望台から温根内ビジターセンターまで歩く、だいたい2時間コースです。逆コースは上りになるのできついでしょう。
バスも2時間に1本ぐらいあるので、うまく帰りのバスに乗るという算段です。

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最初は林間をぬう木の歩道を下っていきます。
そしてまた登る。

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着いたところはサテライト展望台です。
ここからの眺めが絶景。
湿原から数十mの高さがあり、湿原に張り出した岬のようです。

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横で都会からの(?)小学生たちにネイチャーガイドさんが解説するのに聞き耳を立てていると、「サバンナのような景色という人もいます」とまさにそんな感じ。でもずぶずぶ沈みますと。
色の薄いところはヨシが生えて水の流れているところ、濃いところはハンノキが生えているところです。昔に比べて随分、ハンノキの生えているところが増えてきているそうです。
姿は見えませんが、様々な鳥の鳴き声がします。
見えないところにタンチョウヅルの営巣地もあるそうです。

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小学生たちは引き返しますが、私は湿原に下りていきます。
後ろで「かさっ」と音がしたので振り返ると(ヘビかと思って)、丸太のステージにエゾシマリスが現れました。なんとかわいい。何かを一所懸命食べています。

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下りきると、小さな沢の中に降り立ちます。
といっても木の歩道がありますから快適ですが。
両側にヤチボウズが見られます。スゲ類のくさむらが凍結隆起と周囲の浸食を繰り返すうち、坊主頭のようにぼこぼこと盛り上がったものらしいです。逆にヤチマナコという水のたまった落とし穴状のものもあります。

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やがて湿原と丘の間を走るまっすぐな地道に出ました。
今は「釧路湿原探勝歩道」という遊歩道ですが、馬車鉄道が走っていた鶴居軌道の跡です。
よくこんなところに通したと思います。
歩きやすい道なんですけど、足元の草が濡れているので靴にしみますのでご注意。防水タイプの靴をお勧めします。

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説明板も立っています。
昭和3年に釧路駅の西隣の新富士駅から鶴居村の中雪裡駅まで開通したそうです。戦後はディーゼル機関車が走り、昭和48年に廃止されたと書かれています。

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道はまっすぐですが、林を抜け、草原に入るなど変化があります。川を越えるこのあたりなどとくに美しく、多くの鳥たちで賑やかでした。

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それにしても誰もいません。
「道の向こうに誰かいる」と思ったら、タンチョウヅルでした。
警戒心が強いのですぐ飛んでいってしまいましたが、それぐらい誰もいません。
このヨシ原のあたりです。

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このフキの化け物みたいな植物、どこにいってもあります。

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とうとう誰にも会わないままに、温根内のエリアに入りました。
ここは遊歩道が大きく湿原の中に張り出しています。

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その一番先。海辺にいるような気分です。
ここもまたお勧めできます。
この歩道整備には非常にお金がかかっているそうですが、入園料を取られるわけでもなく、これでいいんでしょうか。

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ワタスゲ。

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イソツツジ。
などとイラストや写真付きで表示板が備え付けてあります。

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途中には真新しく改修された歩道部分もありました
この後、サテライト展望台で会ったガイドさんに再会。ここにもいたのかと、ちょっと驚かれました。
このコースは遠望もでき、湿原の中にも入れるのでいいコースだと思います。

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温根内のビジターセンターに到着。
釧路駅で買っておいたおにぎりを食べました。

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帰りもまた小学生と一緒です。
途中のバス停で、先生や子供たちがどんどん乗り込んできました。

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バスは途中、鳥取の町を通ります。
その名の通り、鳥取藩が入植した土地です。
ここに鳥取神社があり、お城のような記念館が建っています。

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鳥取にはまた日本製紙など製紙工場があります。
このあたりも次に機会があれば歩くと面白いのではないかなと思います。
まだまだ再訪への楽しみも残しつつ、今回は釧路を後にします。

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2009年7月21日 (火)

初めての北海道(11)釧路で晩ごはん

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釧路の街については、私の見たところはだいたい書きましたので、最後に食事の話など。
今回、釧路で幣舞橋近くに宿を取って良かったのは、食事に行きやすかったことです。
上の写真は、釧路川の南から北岸の末広町を眺めたところです。このあたりが歓楽街で飲み屋・飲食店などが集まっています。洋食屋さんなどもありました。

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末広町は川南にあったそれまでの料亭・花街などに対し、昭和初期にカフェーなどができて台頭した歓楽街です。今も夜は賑わっていますので、唯一(?)、釧路の賑わいを留めている場所といえるかもしれません。

一方、北大通を挟んで西側、釧路フィッシャーマンズワーフMOOの周辺は観光客向けの飲み屋・飲食店などが集まっています。どちらかというと親子で入れる健康的なお店が多いです。観光客向けといいつつ、観光客の絶対数が少ないので、私の行ったときは地元の人がほとんどのようでした。(お店の人が「あの人たちは先生で・・・」などと教えてくれます)

釧路には2泊しましたので、1日目は末広町で、2日目はフィッシャーマンズワーフ内の屋台村で食事をしました。(とくに計画したわけではないですが)

やはりせっかくなので食べるなら、魚中心の料理。
気に入ったのが根室の氷下魚(こまい)の干物です。
めざしより苦みが少なくて、じんわりうまみのある魚でした。

お店の奥さんは、今年1月にスタートした「くしろ検定」を受験されたとのことで、釧路の人口(19万人)、産業、釧路湿原のことなどすらすら説明されて、ご当地検定も効果があるんだなと初めて実感しました。2日間の勉強会には数百人が参加されたそうです。

屋台村の方は、観光客向けなので、珍しい食材を試すには向いています。
こちらではツボダイの一夜干、レッドムーン(じゃがいもの一種)のじゃがバター、ザンギ(鶏の唐揚げ、中国語の炸鶏=ザージーからきているらしい)などをいただきました。

グループなら炉端でもいいんですけどね。
その場合は、釧路川を眺められる炉端村(?)もあります。
私はあまり食にこだわる方ではないので、こだわる方ならもっと豊富な食材を楽しめるかなと思います。


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2009年7月19日 (日)

初めての北海道(10)釧路の煉瓦倉庫群

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まだ釧路、です。
ずっと釧路川の南側を紹介しましたが、今回は北側です。
明治34年に鉄道の開通した川の北側では、道東から集めた雑穀などを選別後、船で本土・海外へ積出し、逆に船で入荷した物資を鉄道に積み替えて道東へという流れが生まれ、煉瓦倉庫がつくられていきました。
今も残る倉庫群などを見て歩きました。

最初の写真は、明治末につくられた元ヤマイチ本山商店の煉瓦倉庫です。当時は雑穀や塩の貯蔵に使われていました。いまは「ろばた煉瓦」という炉端焼きの店として営業しています(ちなみに炉端焼きは釧路発祥だそうです)。


より大きな地図で 北海道 を表示
開業当時の釧路駅は終着駅で、もっと街に近いところにありました。
釧路駅が大正6年に現在地に移転したあと、貨物駅の浜釧路駅となり、のち北に移転しながらも平成元年まで存続したようです。

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北海道立釧路芸術館は、新しい美術館ですが、倉庫群があった立地に合わせて煉瓦倉庫風に建てられています。

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今も煉瓦倉庫が多く残るのが、浪花町5丁目界隈です。
この3列は明治39年にできた旧中川倉庫。釧路で最も古い営業倉庫ではないかと言われています。今は釧路倉庫(株)の倉庫です。

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隣には明治43年頃の旧三上運送合資会社の倉庫があります。

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小ぶりな2階建て倉庫も。

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今はNPO浪花町十六番倉庫として、アート活動、音楽イベントなどに使われているようです。

○関連リンク
 西澤岳夫氏・角幸博氏・石本正明氏
 「釧路市浪花町十六番倉庫の保存活用と市民活動(建築歴史・意匠)」

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浪花町十六番倉庫の西の端から見たところ。
煉瓦倉庫が並んでいるのが良いです。

ちなみに「浪花町」というのは、(昭和7年の字地番改正の際に?)大阪の繁栄にあやかって名付けられたそうです。今の浪花町と今の大阪がダブる・・・

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旧中川倉庫から北に伸びる道沿いにも古そうな建物が残っていました。
これも小ぶりの倉庫のようです。
腰まで煉瓦が積まれています。

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こちらは昭和22年頃建てられたという下見板のT家住宅。
当初は荷車を製作していて、後に雑貨店を営みましたが、今はされていません。
荷車で駅から倉庫へ、倉庫から港へと運んでいたのでしょうね。
(『道東の建築探訪』)

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これも下見板の豆腐屋さん。

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角地に建つ太洋産業の事務所。

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今の駅に向かう途中の黒金町にあるS家住宅。
大正8年に建てられた近代和風住宅です。
S家は石川県出身の穀物商でした。家にこだわる北陸出身だからでしょうか、この家は材木と施工にこだわり、「釧路で一番大きく、節のない木材を使って造る」と宣言していたそうです。
今でも非常にしっかりしています。たぶん中を見せていただくとすごいのでしょう。

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木製の鬼瓦のような装飾が面白い。

倉庫や下見板の住宅が残ってはいますが、空襲被害を受けていることもあり、古い建物は多くはありません。鉄道がなくなった後、一帯は官庁街となりました。しかし、空き地も目立ちます。
開発圧力が低いのは喜ぶべきこととは言えませんが、倉庫を生かして転用するハードルが低いのはいいことかなと思います。

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2009年7月18日 (土)

春日出町住宅地(大阪市此花区)

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先日、此花区に大正時代の貸家経営地があったと、和田康由氏の「戦前期関西における土地会社の活躍−大阪北港(株)の場合−」(日本建築学会大会学術講演梗概集、2003年)で知りました。この土地会社が異色で、住友家が大阪市に「政府低利資金で中流階級向住宅を経営せよ」と言われて作った社会事業的な会社らしいのです。しかも、設計したのが建築家の小笠原祥光(住友出身)と知り、かなり興味を持ちました。以下、記事は和田氏の梗概を参考にしています。

酉島町住宅地(酉島3丁目)と春日出町住宅地(春日出北2丁目)の2ヶ所で、戦災地図で見るといずれも全焼の表示。しかし、戦後すぐの米軍撮影写真では、春日出町住宅地の北半分は焼け残っているようにも見えましたので、だめもとで見に行ってみました。最寄り駅は阪神なんば線の千鳥橋駅または伝法駅です。(私は西九条駅から歩きました)

春日出町住宅地の何本目かの筋にあったのが冒頭の写真です。
たぶんこの建物が一番古いと思われます。
下見板の壁、木製の窓の桟と2階の手すり、昔ながらの雰囲気を残しています。

春日出町住宅地は大正11年6月に197戸が落成しました。
中産階級のサラリーマン向けで、貸家は2階建て、2戸建か4戸建、建坪は8〜13坪、延坪15〜20坪、外観は大壁仕上の西洋館風、門塀を設けず開放的な前庭が特徴だそうです。
図面や写真など、詳しくは、雑誌「建築と社会」のVol.5 No.1pp.56〜63(1922年)とVol.12No.8pp.14〜22(1929年)に小笠原祥光自身が解説しています。

上の写真について、2階の窓で、上1本、下2本の桟を覚えておいてください。

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同じ通りには他にも、改修されてはいるものの古そうな住宅があります。
しかも、なぜか右半分だけの住宅が多い。
2戸建を半分に割ったのでしょうが、左側には何か問題があったのでしょうか(西日の問題とか)。この窓の桟を見てください。1階も2階も、上1本、下2本の桟です。明らかに共通するデザインです。

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もっと新しいですけど、シルエットは似てますね。

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こちらもまた然り。

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これは2戸建を1戸建に改造したような。
中央の継ぎ目がそう感じさせます。

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こういうのも看板建築というのでしょうか。
むしろ塀が大きくなったようです。
後ろには木製建具の建物が控えています。

春日出町住宅地としては以上です。

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これはよく分かりませんが、リズムが面白いので。

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デザイン性を意識しているような文化住宅。
この入ってすぐ90度曲がる階段がユニークです。どうしても真ん中に入口を置きたかったんでしょうね。
戸袋と壁面の浅い溝も、たぶんデザイン的こだわりでしょう。

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地区の東側には春日出商店街があります。
青蓮寺川に向かって登る坂道が逆に、土地の低さを思い出させます。

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青蓮寺川は改修の真っ最中。
説明を読んでもどういう工事なのかよく理解できませんでした。
非常に不思議な光景です。

このあと酉島町住宅地跡も見に行きましたが、過去の痕跡はよく分かりませんでした。

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<参考>
 参考までに、小笠原祥光設計の作品をあげておきます。
 昭和3年の原田商事(株)本店(大阪市中央区)。
 これが一番有名かと思います。私も好きな建物です。

○関連リンク
 植松清志氏「建築家小笠原祥光の経歴について(建築史・建築意匠・建築論)」
 植松清志氏「建築家小笠原祥光の設計活動について」…作品リスト
 植松清志氏「建築家小笠原祥光の作品の意匠について(建築史・建築意匠・建築論)」 

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2009年7月16日 (木)

西九条のこだわり貸家

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前から気になっていた、環状線の西九条から見える住宅を確認してきました。
2階のバルコニー部分にステンドグラスのような模様が見えたんです。
西九条の駅の北西側です。

実際は、ステンドグラスではありませんでした。

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数枚の凝灰岩?を組み合わせて六角形の太いステンレス枠にはめています。

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この住宅、上下が分かれる貸家ですが、背中合わせに同じデザインの建物です。
角の家も同じデザインモチーフ(ステンレス枠)が使われているので、もしかして大家さん宅でしょうか。
タイルを挟むステンレス枠もインパクトがあります。

どういう意図があるのかは分かりませんでしたが、こだわりをもって建てられているらしいことは分かりました。

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2009年7月14日 (火)

外山公園(堺市)

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日本伸銅堺工場の前の道を歩いていくと、すぐに(南海本線・七道駅から寄り道なしなら15分ほどで)、外山公園に着きます。どうやら電気工事中のようです。

外山公園(松屋町公園ともいうらしい)は、昭和17年に区画整理事業でできた公園です。南にある三宝公園とは同様の公園だと思います。つまりは室戸台風(昭和9年)の災害復興事業かと。

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東南の入口はアート風で左右非対称の門柱(?)でした。
工事のため、ここからは入れません。

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南側に回るとカナリーヤシ(フェニックス)があります。
公園を入ったここぞという場所にカナリーヤシを置くのは、戦後すぐの流行なのかなと思っていますが、まだ確証はありません。

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藤棚もあります。

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藤棚の下にはドーナツ型のベンチ。

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公園は緑陰部分と野球場部分に分かれています。
2つの部分を分かつように遊歩道があって、小さい割にいい雰囲気です。

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緑に囲まれて野球のできる野球グランドです。
気持ちよさそう。

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そんな公園の片隅の目立たないところに、小さな小西行長供養塔跡碑がありました。
小西行長は堺出身で、関ヶ原の戦いに敗れて斬首されたキリシタン大名です。
「南島墓地内にあった供養塔を昭和三十○年大和川工事の為三宝慰霊塔の場所に移○す」などと書かれています。ということは、ここは南島墓地だったということでしょうか。
死してなお、という感じでなんだか気の毒です。

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公園のすぐ北は大和川の堤防です。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
この公園の周辺は、こうなっています。
江戸時代にはここは南島新田、大和川の北側には加賀屋新田会所のある北島新田がありました。

ついでに田守神社まで足を伸ばします。

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神社の前で出会った野良ニワトリ。驚きました。
いや放し飼いでしょうか。

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田守神社は延享2年(1745年)、松屋新田を開発した松屋作右衛門が勧請した神社です。
まさに田を守るために。

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奥の祠は波除明神です。海岸に近いので高潮がくると大きな被害が出るという、まさに切実な願いが感じられます。

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境内の片隅に「竹中作右衛門君碑」という碑が建っています。
碑文には簡単にしか書いてありませんが、明治5年から地主が転々とする中で小作争議が続き、大正4年にようやく村内の和解が図られたことを記念した碑(大正5年)のようです。その後も室戸台風の被害を受けますし、いろいろあった土地のようです。
今後、この地下を阪神高速大和川線が通るようです。

後で知ったのですが、この神社には力石15個があるらしい。見落として残念です。

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2009年7月12日 (日)

南島町周辺の洋風建築(堺市)

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堺の戦前の公園である外山公園を訪ねて、七道に行きました。
公園の話は次回として、南海本線・七道駅から外山公園に向かう、鉄砲町、三宝町、南島町のあたりに洋風を感じさせる建物がいくつもあったので紹介します。

まず七道駅を出る前に、ホームから宏大な更地が目に入ります。
以前はダイセルの堺工場がありましたが、阪神高速大和川線の予定地として2008年に大部分取り壊されています。
ダイセルのルーツである堺セルロイド株式会社は明治41年にこの地で創業し、ここには明治〜大正期の煉瓦建築の工場が建ち並んでいました。

以前、網干のダイセル異人館の記事で取り上げた日本セルロイド人造絹糸など8社合併で、大正8年(1919年)、大日本セルロイド(株)、のちダイセル化学工業(株)となる流れです。

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今では1棟だけが残されています。
どう使われるのでしょうね。

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<1万分の1地形図 堺東部(大正10年測図)>

大正10年の七道駅周辺には、東側に大阪織物会社があります。西側には合併したばかりの大日本セルロイド(株)を除けば、南島の旧集落と畑地が広がるばかり。
しかし、その後、大正5年から11年までの耕地整理の実施や交通の発達で工場建設が進んだそうです。(『角川日本地名大辞典 大阪府』、p1167)

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高架駅のホームからもよく見えるのですが、駅前に洋館付き住宅があります。

090530nantou4屋根に2本、パルメット(ナツメヤシ)文様の立体の鬼瓦(?)が天を突いているのが目立ちます。

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そのまま西へ、三宝町を歩いていくと和風の中に洋風を感じさせる住宅がありました。
入口のアーチもそうですし、六角形の窓なども付いています。

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戸口上の桟がモダンな和風デザインになっています。

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また表通りには3軒並びの洋風長屋がありました。

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寄り道で、ちょっと面白いサボテンの生垣も。

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交通量の多い国道26号線をはさんで西側は南島町です。
ここに銅板張りの目立つ和洋折衷のN家住宅があります。

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門塀は堺らしく煉瓦積みです。
焼過ぎ煉瓦をはつって積んである風合いが美しい。

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ちなみに刻印は日本煉瓦(株)と推定される四弁花の刻印でした。

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南島町にも洋風長屋があります。南側に回ったところ。
『大阪府の近代化遺産』にも「南島町の貸家」として掲載されていて、昭和12年の建築だそうです。
どうもこの辺りには、洋風の雰囲気をもつ建物が多いようです。

これ以外に工場労働者向けなのでしょう、戦後の(関西でいう)文化住宅、アパートがたくさんありました。

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旧集落の外れにあった月洲(つきす)神社は今もあります。
案内板によると宝永元年(1704年)の大和川付け替えにより、この付近一帯に流砂が堆積して洲が形成されるにいたり(=築洲)、元文2年(1737年)、現松原市の土橋弥五郎により新田開発が行われるに際し、その無事を祈願してこの神社が創建されたそうです。
ちなみにこのクスノキは堺市内最大らしい。

その新田が近代には堺の工業地帯となっていきます。

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静かな道を歩いていくと日本伸銅(株)本社がありました。
昭和13年に設立された大阪黄銅(株)が前身で、戦時中はジュラルミンを生産していたそうです。かつての軍需工場ですね。
その事務所棟として古い建物が残っています。

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玄関はタイル張りの丸柱に、雷紋のような装飾も入っています。
しかし、この裏も阪神高速大和川線のルートですので、果たして残るでしょうか。
・・・と思ったのですが、大和川線はほとんどの区間、トンネルなのですね。
騒々しくなりませんようにと思います。

(追記)
 後で知ったのですが、南島町には長屋カフェがあるのですね。
 機会あれば行ってみたいと思います。

 ○アカリ珈琲(食べログ)
  堺市堺区南島町2-59

(2009.8.17記)  

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2009年7月11日 (土)

「チェコのキュビズム建築とデザイン1911-1925展」(INAX大阪)

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ひろさんの記事で知って、「チェコのキュビズム建築とデザイン1911-1925展 ホホル、ゴチャール、ヤナーク」を見てきました。8月20日まで大阪・本町のINAXギャラリー大阪で開催中です。

キュビズム建築を撮り続ける写真家の写真と、食器、椅子などの実物展示です。
ホホル、ゴチャール、ヤナークという3人の建築家を取り上げています。
いつもながら、INAXギャラリーの企画展は狭いスペースに中身の濃い展示をしてくださいます。

私の場合はチェコに行ったことはなく、チェコにしかないというキュビズム建築についての知識もなかったのですが、今回の展示でいくらかイメージができました。
意外だったのは前衛的なイメージの割に、従来の建築と親和性があることです(とくにゴチャールに感じました)。
従来の建築を温めて再結晶させたような。
インターナショナルな四角い建築とは違って、水平・垂直がなくて斜線ばかりなので、設計も施工もたいへんなようですが。

キュビズム建築の中でも、ロンド形式という、チェコの伝統を踏まえた色づかい、造型の建築にはその過剰な繰り返しに目がくらみそうでした。

キュビズム建築はチェコにしかないということなので、出会うことはないかと思いますが、結晶形などには日本の1960〜70年代の建築に通じるものがあって、そういう楽しみ方もありそう、などと思いました。

まだ8月20日までは会期がありますので、皆さまもどうぞ。無料です。
ただし、日曜日は休み。御堂筋線の本町駅からすぐ南です。
 →開催概要

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初めての北海道(9)釧路の春採公園

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竹老園・東家総本店のあと、すぐ近くの春採(はるとり)公園に向かいました。
春採公園は、海岸段丘に囲まれたひょろ長い海跡湖の春採湖周辺の公園です。
もとは大正5年に造園家の本多静六が設計した釧路公園の一部で、昭和12年に再度、改良設計が加えられているそうです。今は網走市立博物館も建っています。


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春採公園、春採湖は変化に富んだ景勝地で、西側は住宅地、東側は炭鉱街です。
湖の南岸を石炭運搬用の鉄道が走っています。

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博物館はどちらかというと自然系がメインです。
それでも釧路の産業関連の展示もあります。
これは霧笛。

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産業用の道具の壁面展示。
製材(枕木など)、製紙、馬産、漁業、石炭など。
石炭に関しては、別に炭鉱展示館もあります。

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博物館の前から春採湖越しに炭鉱街の方を見たところ。
炭鉱街と炭鉱展示館も見たかったのですが、今回は時間がありませんでした。

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博物館から春採湖の南側を見たところ。
春採湖の西は暮らしの場、東は仕事の場、そして南は・・・

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春採湖の南側は岬のような丘で海と隔てられ、丘の上には墓地があります。
まるで映画に出てきそうなロケーション。
明治20年に街中から移転した紫雲台墓地です。
望郷の念が、太平洋を望むこの場所に墓地を置かせたのでしょうか。

春採公園には釧路の縮図が見えるようです。

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2009年7月10日 (金)

初めての北海道(8)釧路の老舗そば店

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釧路での昼食。
どこか面白いところがないかなと探すと、近代建築好きには(一般の観光客にも?)格好の竹老園東家総本店がありました。
旧市街からは丘を挟んで向こう側の、春採湖近くにあります。
私はバスで富士見まで行き、坂を下りました。

上の写真は、坂を下る途中に見た普通の住宅です。
地元では当たり前でも、大阪から来た私には物珍しい。
煙突というと、近代建築か伊達かという地方から来ると、普通に煙突が付いているだけで新鮮です。
ただ、新しい住宅では電化のためか、煙突のないものも多いようでした。

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木の柵にたんぽぽ。
こういう景色にも心ひかれます。

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竹老園東家総本店はすぐ見つかりました。
一般客向けの店舗部分とは別に、(昭和初期の?)石積の武骨な門が総本店の座敷への入口です。

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正面の唐破風付きの建物が、昭和2年にできた主屋です。
建築家は細貝熊吉とのこと。主屋以外の建物は昭和10年以降の増築だそうです。
当時は建物の前まで春採湖が迫り、人家は少ない風光明媚な場所で、蕎麦屋「東家」の当主・伊藤竹次郎の隠居の場として選ばれたはずが、完成後には蕎麦屋を再開して、総本店となったそうです。
(『道東の建築探訪』、p75)

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主屋前に架かる橋は、欄干に木の枝や竹を摸した柱がはさまって不思議な趣味です。

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お店の方にお願いして、建物の中を見せていただきました。
インパクトがあるのが、増築部の廊下が折れる突き当たりにあるステンドグラスです。

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斜めから見れば分かるでしょうか、皿状に凹んでいます。
この部分が特に凝っています。磨りガラスもそれぞれ、いろいろなものを組み合わせていますね。

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廊下は折れ曲がりながら続き、たくさんのお座敷があります(別料金で、こちらでも食事できます)。

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斜面を生かして建てているので、高低差もあります。

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階段も廊下も長く、かなり広いお店です。

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もちろん食事もいただきました(一般向け店舗で)。
奥がソバ寿司、手前が鶏のスープです。
変わってますでしょう。
緑のソバ寿司はさっぱり、スープはこってりした味でした。

東家自体はチェーンで、市内のあちこちで見かけましたが、建築やお庭も見られますので、時間があれば総本店で食べた方がいいかなと思います。


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2009年7月 8日 (水)

初めての北海道(7)釧路の眺めの良い住宅地

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釧路市立博物館から丘の上を伝って歩いていたとき、富士見町で気になる区画を見かけました。

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まずこちらのきれいな建物。
『道東の建築探訪』によれば、昭和20年代に建てられたI家住宅で、釧路市の都市景観賞も受けています。

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向かいの建物は改修の手が加わっていますが、屋根の形といい、似たような雰囲気です。

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その隣の、一番古そうに見えるこちらの建物。
木塀も含めて、古い住宅地の雰囲気を留めています。
このあたりは住宅地としてまとめて開発されたのでしょうね。

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富士見町には、富士見神社もあります。
真っ赤っかのすごいインパクトで、本州の神社とはちょっと違います。

なお、「富士見」の名前ですが、釧路から富士山が見えるわけはなく、「阿寒富士」(阿寒岳)が見えるからだそうです。天気が良ければ。この日は見えなかったのが残念でした。

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同じく富士見の釧路ハリストス正教会は、最初、明治31年浦見に設置され、昭和7年に2代目の教会が建てられていたものが、平成4年に現在の教会に建て替えられています。
この場所の意味を感じさせる教会です。


より大きな地図で 北海道 を表示
富士見のほか、湾を眺める浦見という地名もあります。
このあたりはみな丘の上です。

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弥生町まで歩くと、南斜面に素敵な住宅がありました。

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表に回ってみると、下見板の住宅の妻壁にシンプルな玄関があります。

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このように木の柵に囲まれた住宅というのが、釧路の住宅の原風景ではないでしょうか。
そう感じるだけで根拠はないのですが。
柵の外に花が咲いているのがまた素敵です。

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木の柵のある坂道は延々と海の方まで続いていました。
ここもまたお天気が良ければ海が見えるでしょう。
今回の釧路で一番のお気に入りの場所です。

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弥生米町通を下っていくと、腰折れ屋根の下見板住宅がありました。

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釧路では木柵が多く、あまり石積みを見かけなかったのですが、斜面造成に平たい石を積んだ石垣がありました。

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下見板の住宅はあちこちにあります。
海辺に近い住宅は、南大通の海寄りで見かけた住宅と似ているようです。

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坂を下りきると、目の前を横切って石炭運搬用の線路がありました。

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線路を越えるとすぐ、霧が出てものわびしい海。弁天ヶ浜と呼ばれます。
お天気の良い日に丘上から眺める海は、もっとのどかなものかもしれません。
眺めの良い住宅地から海を眺める休日を想像しました。

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2009年7月 7日 (火)

「前衛都市モダニズムの京都展1895-1930」(京都国立近代美術館)

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京都国立近代美術館で開催中の、「前衛都市モダニズムの京都展1895-1930」を見てきました。
前日がいわば「モダニズムの大阪展1937」でしたから、その前の時代になります。

今回の企画展でメインになっていたのは、まさに美術館のある岡崎公園で開催された第四回内国勧業博覧会です。都市建設と美術の関係、伝統美術と西洋美術の関係などが提示されて、また新しい見え方が現れていました。

例えば建築パース。
初めて試みる人にとっては新しい絵画表現なのですね。
樹木が水墨画のようで美しい。
琵琶湖疎水工事を描いた絵画、図解も興味深いものでした。

日本のモチーフを洋画の構図で描いた絵、
逆に洋画の掛け軸なども、言われてみれば、と影響に気付かされます。
今まで見たことのある絵もあるのだけれど、違って見えます。

第四回内国勧業博覧会(1895年)の展示では、とくに平安神宮の紹介に多くを割いていました。
木子清敬・伊東忠太による設計の図面がたくさん出ているのですが、躍動する青龍と白虎をそのまま池の形にした図面には、思わず航空写真を確認してしまいました。残念ながら明確には分かりません。
伊東忠太のアイデアなのでしょうか。

ワグネルが化学面で指導した七宝、陶芸などの展示は、伝統工芸の伝統イメージを変えるものでした。

京都のまちなかに散在する近代建築のイメージにとどまらず、
京都の伝統というイメージをかなり変えてくれる展覧会になっていたと思います。

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最後に1階に戻ってデトロイト号を見ました。
これだけは撮影可能です。
島津製作所社長が通勤に使っていた電気自動車で、島津家の○に十字の家紋入り。
自宅はインターナショナル建築の島津邸(現・日本バプテスト病院)ですのでかなりモダンな生活を体現しています。(旧島津邸は会期をもって解体と書いてあったような)

この展覧会は7月20日(月・祝)まで。
京都・岡崎公園の京都国立近代美術館で開催中です。

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2009年7月 5日 (日)

初めての北海道(6)釧路の原点

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釧路の旧市街は釧路川の南にあり、岬のような地形です。
前回書きました南大通は岬の北側の平地です。
事前に地図は見ていましたが、実際に訪れるとその起伏の大きさに驚きました。

その丘の先端部に「佐野碑園」という公園があります。
「江戸時代末期、ここに釧路の漁業と交易をすすめる「久寿里会所」があり、明治時代にはこの付近に釧路初の学校の「丸太学校」や「電信分局」も建てられました。また、明治41年(1908年)に釧路に滞在した石川啄木がしばしば訪れた料亭「喜望楼」もこの地にありました。」(解説板より)
いわばここが釧路の原点です。(久寿里=クスリは、江戸時代の釧路の呼称)

 →釧路の歴史について、詳しくは「釧路歴史散歩」を参照

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佐野碑園には、「佐野氏紀功碑」、「久寿里会所の跡石碑」、「丸太学校風休憩所」、「東北海道電信創業記念碑」、「石川啄木歌碑」といった記念碑が並び、ちょっとした歴史博物館です。

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中でも「佐野氏紀功碑」は、昭和10年に立てられたもので、江戸時代末期から明治初めにかけて、久寿里場所の請負人(漁場持)として釧路地方の開発にあたった佐野孫右衛門(1841-89)の功績を顕彰したものです。佐野家は新潟の寺泊から移って代々場所請負人を任じられてきましたが、孫右衛門は、昆布漁業振興、自費での道路開削、川湯の硫黄採掘事業も行い、釧路の発展に貢献が大きかったそうです。(解説板より)

釧路の主な産業は、当初は昆布採取、のちに漁業、道東の産物の集散(雑穀の輸出など)、製紙、枕木の製材、石炭採掘だったそうです。
このうち、漁業については新潟漁民の功績が大きかったようです。


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この佐野碑園のあたりから、岬の周辺に街が広がっていきました。

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米町1丁目には、古い町家を曳家・改造した米町ふるさと館があります。
旧称は渡辺虎蔵家住宅で、海産仲買商の店舗兼住宅です。明治33年(1900年)に上棟された釧路市内最古の町家だそうです。
喫茶併設の資料館ですが、訪ねた時間は閉館後でした。残念。

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米町ふるさと館から米町本通をはさんでその先はまた丘になっています。
丘の上には、米町公園があり、昔の釧路崎灯台の形を摸した米町展望台、石川啄木歌碑(昭和9年)、釧路港修築碑(明治42年に滋賀県からの移住者が建てる)があります。

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ほんとは港や米町を一望できるはずなのですが、これも釧路名物の霧の襲来を受け、なんだかよく分かりません。
佐野碑園や港の方を見ています。いちおう。

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丘の並びには、県社の厳島神社と護国神社があります。
江戸時代に佐野孫右衛門が漁場の安全と大漁祈願のため、安芸の厳島神社から勧請したのが始まりで、元は佐野碑園側の高台(南大通7丁目)にあったものが、明治24年にこちら側の高台に移ったそうです。
住吉神社じゃないんですね。

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さらにその先は寺町になっていて、4つのお寺が並んでいます。
海に背を向けた斜面に街を見下ろすように立っています。
どれもかなり大きなお寺です。

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丘の海側には釧路崎灯台があります。
今は管理棟の建物と一体化して、あまり灯台らしくありません。

霧が出ては灯台の光は役に立たず、霧笛がぼおと鳴ります。
釧路らしい情景、音風景です。
GPSの発達で霧笛は廃止の方向らしいですね。
住民の方には騒音なのかもしれませんが、情緒がなくなるのは惜しい気が。

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米町本通の先には石炭運搬用鉄道の踏切があります。
釧路には国内唯一の炭鉱が残されています(露天掘りを除く)。
釧路コールマイン(株)が、2002年に閉山した太平洋炭礦(三井系)の事業を引継ぎ、中国・ベトナムなど海外への採炭技術継承のために残されているそうです。
炭鉱街は釧路の東にあり、坑道は斜めに太平洋の下に潜っています。
石炭の輸送は、太平洋石炭販売輸送(株)が担っています。採炭施設と積出港を結ぶのがこの鉄道です。

しばらく待ってみましたが、貨物列車が来ることはありませんでした。
めったに動くことはないようです。
太平洋は霧にかすみ、カラスが一羽、視界をよぎりました。

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「昭和12年のモダン都市へ」(阪大博物館)

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「十三のいま昔を歩こう」の記事で開催を知って、
「昭和12年のモダン都市へ 観光映画「大大阪観光」の世界」展を見に行ってきました。
石橋駅(池田市)東の大阪大学総合学術博物館・待兼山修学館で開催されています。

昭和12年に制作された大阪市電気局と産業部による観光映画「大大阪観光」をもとに、そこに描かれたもの、描かれなかったものを多くの資料で見せてくれるものです。
だから映画を観ていることは前提で、この会場でも上映され、多くの方が観ていました。私はあまり時間がなく、以前、大阪・アート・カレイドスコープ2008のときに観ていましたので、展示のみを見ました。展示を見るだけでも、地図や絵葉書、チラシの情報などを読んでいるとかなり時間がかかります。

昭和12年というと、関一市長による大阪市の各種の都市改造が終わった段階です。ひとつの時代に注目した展示なので、時代のイメージをつかみやすいメリットがあります。
三越の手拭いに描かれた都市風景など、大胆に省略されたイメージが印象的でした。

映画を観たときに、一番はっとさせられたのが木津川の水上生活者の姿でした。
水上生活者や煤煙公害といった都市問題についても展示では紹介されていました。

この時代については、街を歩きながら気に掛けていますので、こういう展示が常設であって、時々確認に来れたらよいのにと思われました。

この展示は、7月11日(土)まで開催されています。
開館時間:10時30分〜17時 日祝休館
入館料:無料
皆さんもぜひ。

図録も販売されています。

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待兼山修学館は近代建築で、昨年記事にしていますのでよろしければそちらもどうぞ。

この日はこの後、気になっていた石橋荘園を歩きました。
また後日報告します。

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2009年7月 3日 (金)

初めての北海道(5)釧路の南大通

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今回は釧路の旧市街である南大通周辺を紹介します。
この写真は釧路キャッスルホテルから、南大通の方向を見たところです。
南大通は明治・大正時代の釧路のメインストリートでした。
かつては幣舞通や真砂通などと呼ばれていたようです。


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南大通は幣舞橋から港に向かっていく通りです。

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南大通の前にちょっと寄り道。
明治41年、わずか2ヶ月間でしたが、石川啄木が釧路新聞社勤務のため、釧路に滞在しました。
その釧路新聞社社屋が平成5年に復元されて、港文館という郷土資料館・休憩施設になっています。
※話の流れで実際に回った順とは逆に紹介しています。
 既に閉館後で中は見られませんでした。

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港湾部なので古い蔵も残っています。

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ここから南大通です。
ちょっとレトロな雰囲気の建物がありました。
KAビルディングと書かれています。
もともと北陸銀行釧路南支店だった建物を、南大通の雰囲気に合わせて修景したものだそうで、1994年に釧路市の都市景観賞を受賞しています。
今年1月に南大通ギャラリーという画廊・カフェが入っています。
これからこんなお店が増えたらと、ちょっと期待させられます。

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向かいの坂の途中にある建物は、半屋外の通路が木の手すり・柱で雰囲気があります。

(追記)
釧路在住の方からの情報で、2010年11月に解体されたそうです。(2010.12.3記)

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通りでラスカベツという紅茶専門店を見つけました。
15年も前から営業しているそうです。その頃からフェアトレード製品を扱っていたとのことで、今も無農薬の紅茶やフェアトレードのチョコレートを扱う、かなりのこだわりの店です。
元は祖父母の代から酒屋さんをされていたのだとか。

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こんな洋風の店舗もあります。
残念ながら使われていないようです。

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木枠の縦長の上げ下げ窓で、補修したらかなりきれいだと思うのですが。
軒下の持ち送りは、北海道の特徴でしょうか。

(追記)
 釧路在住の方からの情報で、2010年11月頃に解体されたそうです。ショック。(2010.12.3記)

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同様の建物で、(有)キヨエさんという事務所があります。
船具を扱っているそうです。

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やはり軒下の持ち送り。

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この建物などもそうです。

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南大通りから港の方に入っていくと、下見板の住宅などが残っています。

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釧路では瓦の建物はほとんど見かけません。
しかし、他でも見たのですが、なぜかこのような鬼瓦風の木の彫り物が乗せてあります。
鬼瓦の代わりなのでしょうか。

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これも下見板の事務所のようです。
港関係の事務所、倉庫などがあります。

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これは新しいかもしれませんが、やはり下見板の建物。

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これも。

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この建物は押し縁下見板です。
『道東の建築探訪』に載っていて、昭和25年のH家住宅です。
海運と港湾荷役業を営んでいたそうです。
古い港町によく似合います。

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最後に蔵を一つ紹介します。
洲崎町なつかし館「蔵」として活用されている旧佐々木米太郎商店倉庫です。食糧雑貨店の倉庫だったそうです。珍しい瓦葺き。大正4年築の蔵でかなり傷んでいますが、市民有志が地道に補修をしながら郷土資料館に活用されているそうです。

南大通周辺はかつて賑わっていたというのが信じられないぐらいに空き地が目立ちます。けれど、気になる建物はちょこちょこと残っていますし、実際、活用もされはじめているようでした。

(追記)
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釧路の古い絵葉書が入手できました。
南大通のあたりかなと思います。
かつてはこれだけ建て込んでいたのですね。
(2017.6.25記)

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2009年7月 1日 (水)

大阪市阿倍野区の2つの小公園

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阿倍野区で2つの小公園を訪ねました。
いずれも天王寺土地区画整理事業の地区内にある公園です。地区では16の公園が計画され、実現しているものもいくつもあります。

地区の西の端は庚申街道です。
天王寺駅で分断されているので分かりにくいのですが、四天王寺の南門から平野区の長吉川辺町まで続く街道です。四天王寺門前の庚申堂にちなむ街道名です。天王寺駅・阿部野橋駅は出口によって多彩な顔を見せますね。近鉄・阿部野橋駅の東口が、ちょうど庚申街道の線上にあり、私もここから歩き始めました。

最初に気になったのが、JRの宿泊所「安倍乃荘」。
石張りの門柱、石垣、路側の切石が古そうでいい感じです。

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旧街道らしく蔵のあるお屋敷などもあります。
ターミナルのすぐ近くなのに。

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街道から東に外れるとすぐに常盤公園に着きます。
昭和5年に大典記念で設置された区画整理公園です。
公園のために土地を提供するには理由がいったようですね。
南に隣接して常盤小学校分校があります。

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公園の北側の道はカーブしています。
ここにあったため池のカーブのようです。
公園の一部はため池の跡です。

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とくに気になるものとしては、国旗掲揚台がありました。
天王寺町壽町会によるもの。皇紀二千六百年記念なので、昭和15年頃設置されたようです。


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公園の位置関係はこうなっています。
左側を南北にうねりながら通る道が庚申街道です。

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そのまま東へ、あびこ筋を渡り、三明町に入ります。
ここは古い長屋が建ち並んでいました。

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昭和初期と思われる、うろこ状の銅板に覆われた長屋もあります。

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このあたりには前庭をおいて、開放的な門塀を構える長屋が多いようです。見どころと思ったのは、門塀です。
例えば、2色のスクラッチ風タイルを使った洋風の門塀があります。

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三明町北公園という昭和10年にできた公園を見るのが目的だったのですが、いまひとつ見どころを見つけることができませんでした。
向こうに見える高架は近鉄南大阪線です。


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こういう位置関係です。

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むしろ周囲の長屋が魅力的でした。
この長屋は公園の東隣にある長屋で、とても雰囲気があります。

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長屋をバックに植え込みが映えて、人手がかかっている美しさです。
ここは煉瓦の門柱が立っています。

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またすぐ近くにはこんな長屋も。
同じく開放的な門塀があります。
一軒一軒、使うブロック塀、張る石などが違うのが面白いところです。

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同じ並びの長屋。
門柱や幾何学模様の門扉もいい感じです。

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帰りはJR阪和線の美章園駅に向かいました。
高架下建築もまた古そう。

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美章園駅は昭和6年の開業当初から高架だったらしく、ホームを支える鉄骨が独特の景観を見せています。

周辺にはまだ古い小公園や住宅地があり、また訪ねてくる必要がありそうです。

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