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2009年6月30日 (火)

大阪の区画整理公園第一号・都島公園

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大阪の区画整理公園の第一号という都島公園(当初は都島小公園)を見てきました。
桜ノ宮駅方面から(桜之宮公園探訪のついでで)のアプローチです。
このあたりは、廃線跡あり、廃河川跡ありで、いろいろ気になるものはありますが、それは省略して、一路公園へ。
公園の隣に自動車教習所があって、公園も教習コースに組み込まれているみたいです。

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都島公園の北側入口から。
子供たち、犬のお散歩などに結構利用されています。

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公園は大きく3つの部分に分かれていて、それぞれ道路で隔てられています。
もとは小さかった公園(884坪)が戦後に拡張されました。
都島土地区画整理事業の記念碑が建つ北側部分が一番古い部分です。

(追記)
都島の事業が始まったときは公園面積に関する規定がなかったので、後で各団体が土地(組合約370坪、澤上江町有地250坪、道路事業50坪、電気局公舎用地215坪)を提供しあって、公園用地を確保しました。

ここで都島土地区画整理事業について、簡単に紹介します。
事業については、大阪市都島土地区画整理組合編『都島土地区画整理組合事業誌』(昭和14年)に詳しいのでこれを参考にしました。

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<大正3年発行 大阪市街図 に着色>

都島は大阪の中心部に隣接しながら、旧淀川に阻まれて都市化の進まない低湿地でした。
大阪市の第1次市域拡張(明治30年)で都島区の南半分が大阪市に編入されますが、明治28年に大阪市最初の水道施設として、この地に「桜の宮水源地」(写真)が置かれていたため、工場の設置が制限されていました。

しかし、大正3年(1914年)に柴島浄水場が完成、翌大正4年(1915年)に桜の宮水源地が運転を休止(大正9年廃止)してからは、開発の機運が高まります。

大正11年7月に都島橋が完成、大正13年に第2期下水道事業が行われて、市街化の条件が次第に整いました。

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<大正14年頃? 二万分大阪市街全図>
(赤い線は地下鉄の計画線)

大正14年(1925年)に大阪市第2次市域拡張が実施されます。
第1次市域拡張で編入された地域のほとんどで秩序ある市街地形成ができなかったこと、また大正12年の関東大震災とその後の復興計画も踏まえて、第2次市域拡張地域の開発の“模範”として、都島の土地区画整理事業が計画されました。

都島土地区画整理事業は、大正14年に認可され、昭和2年に工事着工、昭和4年5月に工事完了、昭和11年に換地処分(新しい区画に権利が移動)が行われました。善源寺町・澤上江町・中野町・東野田町の総面積234892.17坪(約77.7ha)が施行区域です。ほとんどが低湿な水田のため、排水工事には苦労したようです。

最初期の区画整理だったため、道路幅員が十分でないなどの課題も出ましたが、それも含めてモデルとしての役目は果たしました。

工事完了を記念し、昭和4年に区画整理記念碑が設置されました。
内容が重複しますが、碑文を紹介しておきます。

 宅地ノ造成ヲ目的トスル土地区画整理ハ都市
建設事業ノ基本ニシテソノ都市計画事業ノ消長
ニ関スル所甚タ大ナリ
 而モソノ事業ノ実施ニ方リテハ必ズヤ幾多ノ
障碍ヲ伴ヒ之ガ完成ノ至難ナルコトハ普ク識者
ノ首肯スル所ナリ
 由来都島方面ハ明治三十年本市第一次拡張ノ
際本市区ニ編入セラレシモ地勢ノ関係ニ加フル
ニ至ル所殆ト水田地ニシテ排水頗ル困難ノ状態
ナリシヲ以テ依然農耕地トシテ存在スルコト久
シカリシガ大正十三年六月地方有志胥諜リ区画
整理組合ヲ組織シテ鋭意土地ノ改良ニ着手シ
翌年五月組合設立ノ認可ヲ得タリ、当時組合員
数七十五名ニシテ北区善源寺、澤上江、中野、
東野田ノ四箇所ニ亘リ面積七十八町歩余ヲ有セ
リ、之ノ実ニ阪南土地区画整理組合ト相並テ
本市ニ於ケル該事業ノ嚆矢タルノミナラス全ク
此種事業ノ先駆ニシテ其ノ裨益スル所単ニ地方
ノ開発ニ止マラズ惹テ社会ニ及ボス影響甚大ナ
ルモノアリ
 当時本市ハ該方面ノ下水改良計画ヲ実施セム
トスルノ時ニ際セルヲ以テ特ニ本組合設立ノ
美挙ヲ賛シ本市ノ事業ト相俟テ著々該地方改良
ノ功果ヲ収メムトシ大ニ其ノ事業ノ達成ヲ冀望
セリ
 爾来年ヲ閲スルコト三星霜関係各員ノ誠ナル
努力ト公共的精神ノ発露トニ因リ下水道工事ノ
竣功ト略ボ期ヲ同クシテ其ノ工事ヲ了ヘ今ヤ
市内東北ノ一角ニ区画整然タル住宅地ヲ出現シ
漸次家屋ノ建設ヲ見ルニ至レリ
 時恰モ曠古ノ大典ニ際セルヲ以テ永ク聖代ノ
慶福ニ浴スルノ記念トシテ茲ニ本碑建設ノ挙ア
リ、余故ニ不文ヲ顧ミズ略ソノ由来ヲ叙シテ功
ヲ後世ニ伝フト云爾
  昭和三年十一月    大阪市長 関一撰


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。

 なお、記念碑の石は仙台産根底川石(稲井石?)、台石は生駒の花崗岩だそうです。

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<昭和7年発行 最新大大阪市街全図>

昭和7年にもなると、都島区はすっかり都市化しています。
桜の宮水源地跡地は大阪市電の車庫(桜の宮車庫/都島車庫)と国鉄貨物線の淀川駅になりました。
大阪市電は、大正15年に都島本通まで、昭和6年には守口まで開通しました。

都島土地区画整理事業は、阪南地区に次いで、大阪市で2番目に認可された土地区画整理事業です。
阪南地区には当初、公園の計画がなかったので、大阪では都島小公園が区画整理公園第一号、というわけです。もっとも都島小公園にしても当初から公園用地が確保されていたわけではなく、昭和2年に昭和大典記念と組合の区画整理記念で設定されたそうです。(丸山宏著『近代日本公園史の研究』)
区画整理面積の3%を公園に充てることというルールができるのは昭和2年のことです。
これ以後、区画整理事業に合わせて、計画的に公園が整備されていくことになります。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
公園の全体はこのようになっています。

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<大阪市都島土地区画整理組合編『都島土地区画整理組合事業誌』(昭和14年)より>

開設当初の公園の配置図です。
児童公園の体裁をとっています。植栽はヒマラヤスギ、クスノキ、プラタナス、ヤツデ、珊瑚樹、ウバメガシなどだったそうです。

公園の北西隅に壁泉と渉水池、南に水飲台(竜山石製)がありますが、昭和14年の時点で既に、子供のいたずらで使えない状態だったようです。遊具や藤棚の配置も今とは違い、全体の平面こそ変わりませんが、現在は記念碑を除いて様変わりしています。
(2009.12.23記)

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それでは公園を探訪していきましょう。
まず気になったのが、公園の真ん中にある丸い防火水槽。
昔の水路上にあるようです。

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最近、改めて訪れたときに撮った藤棚。

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南北の公園の間の道も、緑に覆われて実質公園化しています。

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南側の公園部分。これも最近のもの。
光の状態によって随分印象が違います。

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西側拡張部分はうっそうとして、ここだけ人気(ひとけ)が少ないのはなぜでしょうか。

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灯籠のパーツのようなものが転がっていて、ますます気になります。

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阪南の土地区画整理地区は、今も長屋が残ることで有名です。
それなら同時期の都島も、と期待するのですが、残念ながら戦災地図などを見ると全地区が真っ赤。恐らく長屋が建ち並んでいたのでしょう。全て焼失してしまったようです。

公園の北西に、戦後間もないと思われる医院がありました(推測ですが)。
せり出すような窓が付いています。
窓枠はスチールサッシ。

しかし。

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個々に見ていくと古そうな家もあります。
この家などは板壁にセメント瓦です。

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そしてインパクトのあったのが、この建物。
大きな空き地の片隅にありました。
家ではないでしょう。事業所でしょうか。

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凄みがありますでしょう?
入口の曲面、町家風の屋根など、戦前からの建物ではないでしょうか。

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なにより腰までスクラッチタイルです。
横縞のスクラッチタイルを縦に貼っていて、少し特殊ですが。

耐火建築なので焼け残ったのでしょうか。(あくまで推測)
戦災地図で赤く塗りつぶされていると、戦前のものは何もないと思ってしまいますが、実際にはひっそり生き残っている建物もあるのでしょうね。
それ目的に探し歩くのは時間がかかりすぎますが、こうしてふいに出会うことができるとうれしく思います。

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