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2009年6月

2009年6月30日 (火)

大阪の区画整理公園第一号・都島公園

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大阪の区画整理公園の第一号という都島公園(当初は都島小公園)を見てきました。
桜ノ宮駅方面から(桜之宮公園探訪のついでで)のアプローチです。
このあたりは、廃線跡あり、廃河川跡ありで、いろいろ気になるものはありますが、それは省略して、一路公園へ。
公園の隣に自動車教習所があって、公園も教習コースに組み込まれているみたいです。

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都島公園の北側入口から。
子供たち、犬のお散歩などに結構利用されています。

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公園は大きく3つの部分に分かれていて、それぞれ道路で隔てられています。
もとは小さかった公園(884坪)が戦後に拡張されました。
都島土地区画整理事業の記念碑が建つ北側部分が一番古い部分です。

(追記)
都島の事業が始まったときは公園面積に関する規定がなかったので、後で各団体が土地(組合約370坪、澤上江町有地250坪、道路事業50坪、電気局公舎用地215坪)を提供しあって、公園用地を確保しました。

ここで都島土地区画整理事業について、簡単に紹介します。
事業については、大阪市都島土地区画整理組合編『都島土地区画整理組合事業誌』(昭和14年)に詳しいのでこれを参考にしました。

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<大正3年発行 大阪市街図 に着色>

都島は大阪の中心部に隣接しながら、旧淀川に阻まれて都市化の進まない低湿地でした。
大阪市の第1次市域拡張(明治30年)で都島区の南半分が大阪市に編入されますが、明治28年に大阪市最初の水道施設として、この地に「桜の宮水源地」(写真)が置かれていたため、工場の設置が制限されていました。

しかし、大正3年(1914年)に柴島浄水場が完成、翌大正4年(1915年)に桜の宮水源地が運転を休止(大正9年廃止)してからは、開発の機運が高まります。

大正11年7月に都島橋が完成、大正13年に第2期下水道事業が行われて、市街化の条件が次第に整いました。

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<大正14年頃? 二万分大阪市街全図>
(赤い線は地下鉄の計画線)

大正14年(1925年)に大阪市第2次市域拡張が実施されます。
第1次市域拡張で編入された地域のほとんどで秩序ある市街地形成ができなかったこと、また大正12年の関東大震災とその後の復興計画も踏まえて、第2次市域拡張地域の開発の“模範”として、都島の土地区画整理事業が計画されました。

都島土地区画整理事業は、大正14年に認可され、昭和2年に工事着工、昭和4年5月に工事完了、昭和11年に換地処分(新しい区画に権利が移動)が行われました。善源寺町・澤上江町・中野町・東野田町の総面積234892.17坪(約77.7ha)が施行区域です。ほとんどが低湿な水田のため、排水工事には苦労したようです。

最初期の区画整理だったため、道路幅員が十分でないなどの課題も出ましたが、それも含めてモデルとしての役目は果たしました。

工事完了を記念し、昭和4年に区画整理記念碑が設置されました。
内容が重複しますが、碑文を紹介しておきます。

 宅地ノ造成ヲ目的トスル土地区画整理ハ都市
建設事業ノ基本ニシテソノ都市計画事業ノ消長
ニ関スル所甚タ大ナリ
 而モソノ事業ノ実施ニ方リテハ必ズヤ幾多ノ
障碍ヲ伴ヒ之ガ完成ノ至難ナルコトハ普ク識者
ノ首肯スル所ナリ
 由来都島方面ハ明治三十年本市第一次拡張ノ
際本市区ニ編入セラレシモ地勢ノ関係ニ加フル
ニ至ル所殆ト水田地ニシテ排水頗ル困難ノ状態
ナリシヲ以テ依然農耕地トシテ存在スルコト久
シカリシガ大正十三年六月地方有志胥諜リ区画
整理組合ヲ組織シテ鋭意土地ノ改良ニ着手シ
翌年五月組合設立ノ認可ヲ得タリ、当時組合員
数七十五名ニシテ北区善源寺、澤上江、中野、
東野田ノ四箇所ニ亘リ面積七十八町歩余ヲ有セ
リ、之ノ実ニ阪南土地区画整理組合ト相並テ
本市ニ於ケル該事業ノ嚆矢タルノミナラス全ク
此種事業ノ先駆ニシテ其ノ裨益スル所単ニ地方
ノ開発ニ止マラズ惹テ社会ニ及ボス影響甚大ナ
ルモノアリ
 当時本市ハ該方面ノ下水改良計画ヲ実施セム
トスルノ時ニ際セルヲ以テ特ニ本組合設立ノ
美挙ヲ賛シ本市ノ事業ト相俟テ著々該地方改良
ノ功果ヲ収メムトシ大ニ其ノ事業ノ達成ヲ冀望
セリ
 爾来年ヲ閲スルコト三星霜関係各員ノ誠ナル
努力ト公共的精神ノ発露トニ因リ下水道工事ノ
竣功ト略ボ期ヲ同クシテ其ノ工事ヲ了ヘ今ヤ
市内東北ノ一角ニ区画整然タル住宅地ヲ出現シ
漸次家屋ノ建設ヲ見ルニ至レリ
 時恰モ曠古ノ大典ニ際セルヲ以テ永ク聖代ノ
慶福ニ浴スルノ記念トシテ茲ニ本碑建設ノ挙ア
リ、余故ニ不文ヲ顧ミズ略ソノ由来ヲ叙シテ功
ヲ後世ニ伝フト云爾
  昭和三年十一月    大阪市長 関一撰


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。

 なお、記念碑の石は仙台産根底川石(稲井石?)、台石は生駒の花崗岩だそうです。

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<昭和7年発行 最新大大阪市街全図>

昭和7年にもなると、都島区はすっかり都市化しています。
桜の宮水源地跡地は大阪市電の車庫(桜の宮車庫/都島車庫)と国鉄貨物線の淀川駅になりました。
大阪市電は、大正15年に都島本通まで、昭和6年には守口まで開通しました。

都島土地区画整理事業は、阪南地区に次いで、大阪市で2番目に認可された土地区画整理事業です。
阪南地区には当初、公園の計画がなかったので、大阪では都島小公園が区画整理公園第一号、というわけです。もっとも都島小公園にしても当初から公園用地が確保されていたわけではなく、昭和2年に昭和大典記念と組合の区画整理記念で設定されたそうです。(丸山宏著『近代日本公園史の研究』)
区画整理面積の3%を公園に充てることというルールができるのは昭和2年のことです。
これ以後、区画整理事業に合わせて、計画的に公園が整備されていくことになります。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
公園の全体はこのようになっています。

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<大阪市都島土地区画整理組合編『都島土地区画整理組合事業誌』(昭和14年)より>

開設当初の公園の配置図です。
児童公園の体裁をとっています。植栽はヒマラヤスギ、クスノキ、プラタナス、ヤツデ、珊瑚樹、ウバメガシなどだったそうです。

公園の北西隅に壁泉と渉水池、南に水飲台(竜山石製)がありますが、昭和14年の時点で既に、子供のいたずらで使えない状態だったようです。遊具や藤棚の配置も今とは違い、全体の平面こそ変わりませんが、現在は記念碑を除いて様変わりしています。
(2009.12.23記)

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それでは公園を探訪していきましょう。
まず気になったのが、公園の真ん中にある丸い防火水槽。
昔の水路上にあるようです。

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最近、改めて訪れたときに撮った藤棚。

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南北の公園の間の道も、緑に覆われて実質公園化しています。

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南側の公園部分。これも最近のもの。
光の状態によって随分印象が違います。

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西側拡張部分はうっそうとして、ここだけ人気(ひとけ)が少ないのはなぜでしょうか。

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灯籠のパーツのようなものが転がっていて、ますます気になります。

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阪南の土地区画整理地区は、今も長屋が残ることで有名です。
それなら同時期の都島も、と期待するのですが、残念ながら戦災地図などを見ると全地区が真っ赤。恐らく長屋が建ち並んでいたのでしょう。全て焼失してしまったようです。

公園の北西に、戦後間もないと思われる医院がありました(推測ですが)。
せり出すような窓が付いています。
窓枠はスチールサッシ。

しかし。

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個々に見ていくと古そうな家もあります。
この家などは板壁にセメント瓦です。

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そしてインパクトのあったのが、この建物。
大きな空き地の片隅にありました。
家ではないでしょう。事業所でしょうか。

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凄みがありますでしょう?
入口の曲面、町家風の屋根など、戦前からの建物ではないでしょうか。

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なにより腰までスクラッチタイルです。
横縞のスクラッチタイルを縦に貼っていて、少し特殊ですが。

耐火建築なので焼け残ったのでしょうか。(あくまで推測)
戦災地図で赤く塗りつぶされていると、戦前のものは何もないと思ってしまいますが、実際にはひっそり生き残っている建物もあるのでしょうね。
それ目的に探し歩くのは時間がかかりすぎますが、こうしてふいに出会うことができるとうれしく思います。

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2009年6月27日 (土)

初めての北海道(4)釧路の土着的建築

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今回、釧路で泊まったのは、幣舞橋の南たもとにある釧路キャッスルホテル(HP)でした。
できれば近代建築や古いホテルに泊まれたらと探したのですが見つけられず、なんとなく選んだのがこのホテルです(そういうときはローカルホテルを選びます)。1987年の建築です。
船の形をしたホテルというのは、ふーんと読んでいたものの、毛綱毅曠(もづなきこう。毛綱モン太とも)という建築家の作品というのは後で知りました。
この方は釧路出身で、釧路には多くの作品が残されています。
いつもの近代建築と違って、現代建築を紹介します。

まず釧路キャッスルホテルから。
釧路川を望んで立っています。
船と言えば船ですが、色合いもあって、もっと土でできたような土着的なものに見えます。ちなみに右のモダンな建物は日本銀行の釧路支店です。

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ロビーに入ると、天井には布のドームがあります。
土や布の素材を感じさせて落ち着く空間で、私は気に入りました。

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何段にもなったエレベーターの壁。近代建築にも通じるデザインですね。
「掃除しにくそう〜」というのが最初の印象でした。

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部屋(ツインルーム)はこんな感じです。
2色に塗り分けられています。何でしょう、壁の斜めの段差は。

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天井で2つの色がぶつかる部分に小さな波頭が立っているんです。
芸が細かい。他の部屋はどうなんだろうと気になります。

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幣舞橋をはさんで斜め向かいにある釧路フィッシャーマンズワーフMOO(1989年)も毛綱建築です。
とくに夜、照明が入ると未来的な感じがします。

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丘の上にある釧路市立博物館(1984年)もまたそう。
タンチョウヅルが羽を広げたイメージだそうですが、ここも土を感じさせる(古代的なといってもいいかも)建物です。

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釧路市湿原展望資料館(1984年)も土を感じさせます。
モデルはヤチボウズという植物の塊だそうです。

私は地域に根ざした、個性によらない建物を見て回ることが多いのですが、地元出身の建築家が個性的であったがために、個性的な建物群ができてしまったというのも面白いことだなと今回思いました。

余談ながら、毛綱毅曠氏は丸亀の小学校もつくっていて、さすがバサラの丸亀と感心しました。


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初めての北海道(3)釧路の幣舞橋

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再び道東編。
釧路駅に着いた頃には、北国の長い日も既に沈んでいました。
駅前通は北大通りといい、元はメインストリートとして賑わったようですが、今は商店街という雰囲気でもなく、低い通りに銀行が残っています。

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まっすぐ歩いていくと1kmほどで、釧路川にかかる幣舞橋にたどりつきます。
読めますか? 「ぬさまいばし」です。

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釧路を代表する橋で、その存在は、新潟の萬代橋や松江の松江大橋などに似ているかもしれません。旧市街と鉄道駅のある新市街を結んでいること、古くからあり何度も架け替えられていること、近代のデザインであること、町を代表する橋であることなどが共通するためです。規模は小さいですが、存在は大きい。

大阪を代表する橋というと答えはたぶん分かれますね。
難波橋か、淀屋橋か、戎橋か、それ以外か。
幣舞橋はもっと文句なし、な気がします。

幣舞橋は、その前身である愛北橋から数えると6代目です。
順に紹介すると、

○愛北橋(明治22〜31年)
 名古屋本社の愛北物産会社により架設された有料の木橋。
 全長210m、幅3.6m。当時、北海道で一番長い橋だったそうです。明治31年に崩落しました。

○初代幣舞橋(明治33〜42年)
 これ以降、国が架設し、無料橋に。全長203.4m、幅4.2mの木橋。明治34年には橋北に鉄道が開通したそうです。明治42年に崩落。

○2代目幣舞橋(明治42〜大正3年)
 全長203.4m、幅4.5mのトラス型木橋。橋脚につけられた緩衝機能が仇となり、増水、流木・流氷の衝突、凍上で短命に終わったそうです。大正3年に崩落。

○3代目幣舞橋(大正4年〜大正13年)
 全長201.6m、幅7.2mの木橋で、橋脚部は桁橋・二重桁橋の混合橋(図解しないと分かりませんね)。
 永久橋への架け替えのため、大正13年に役割を終えます。

○4代目幣舞橋(昭和3年〜昭和50年)
 全長113m、幅18.3m。初の鉄橋です。短くなったのは、治水の進展で川が埋め立てられたから(これも萬代橋と似ています)。四隅に花崗岩の親柱、袖高欄、袖柱がつき、4基の橋脚は花崗岩で化粧され、その上にはブロンズ製の小塔が乗っていたそうです。この4代目が、札幌の豊平橋、旭川の旭橋と並ぶ北海道三大名橋のひとつでした。道路拡幅のため、昭和50年に架け替え。

○5代目幣舞橋(昭和51年〜現在)
 全長124m、幅33m。4代目の親柱を存続、高欄意匠も引き継がれました。これに加えて、初めて彫刻が載せられた橋だそうです(道東の四季像)。

 ですので、今の幣舞橋は昭和3年のデザインが基調です。

(以上は、釧路市地域史料室編『街角の百年〜北大通・幣舞橋〜』(釧路新書25)、平成20年第2版を参照しました)


より大きな地図で 北海道 を表示
位置関係を地図で見てみましょう。
南が釧路発祥の旧市街に続く南大通りです。
北が駅からのメインストリート・北大通り。
それを結ぶのが幣舞橋です。

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これが4代目幣舞橋を引き継いだ親柱です。
アール・デコのデザインで、これはよく残してくれました。
突き詰めれば、この親柱が橋のイメージになっています。

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橋を下から見たところ。中央に立っているのが「道東の四季像」4体の1体です。
高欄は四角、円、斜線を組み合わせた幾何学模様です。

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なお、4代目の親柱の頂部は戦争時に飛ばされて川に落ちたものが後に引き上げられ、釧路市立博物館に展示されています。ついでにいうと、博物館の門柱にも幣舞橋親柱のデザインが使われていました。

こういう思い出に残る橋をもつ街は恵まれていると思います。

(追記)
この記事は、釧路新書の釧路市地域史料室編『街角の百年〜北大通・幣舞橋〜』を参照しました。
釧路新書は、1977年に第1巻『東北海道物語』が発行されて以来、現在に至るまで、28巻+別冊が発行されているそうです。
安い値段で発行できるのは、釧路市が負担しているのでしょうか。
市史以外に、こうして継続的に地域の記録に残していく取り組みがあるのは素晴らしいことだと思います。
さっぽろ文庫の例などもありますし、北海道の文化なのでしょうか。
(2009.7.9)

(追記)
100228toyohirabashi
<参考:札幌の豊平橋(現存せず)>(2010.3.20記)

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2009年6月21日 (日)

毛馬桜之宮公園(2)木と煉瓦(大阪市)

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桜宮橋(銀橋)を越えて、再び大川敷の公園に降りました。
このあたりは大正12年の当初から公園(淀川公園)だったところです。

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傍らに「青湾」という石碑が立っています。
このあたりの淀川の水がきれいだったことから、豊臣秀吉が湾を掘って茶の水を汲ませたことによるそうです。一時よりきれいにはなりましたが、飲めと言われても無理。
これは文久2年(1862年)に立てられた碑です。

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やがて板壁の倉庫が見えてきます。
さて何の倉庫でしょう。

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土台には煉瓦積みが使われているので古いのでしょう。

090509sakurapark25sちなみに刻印は大阪窯業。

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この倉庫は、ボートの艇庫として使われています。
このあたりの大川は、大学ボート部の練習場になっていますので。
元は何のための倉庫だったんでしょうね。

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土手を上がると、このあたりの地名の語源となっている桜宮神社があります。
もともとこの神社は東成郡野田村にあったものが、1620年の洪水で流され、この近くに漂着したのでそこに社殿を建て、宝暦6年(1756年)に高い現在地に移されたそうです。野田村の人はそれで良かったのでしょうか。

静かな参道が確保されていますが、周囲はラブホテル街に囲まれるという特異な場になっています。

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再び公園を歩いていくと、池にぶつかります。
これはただの池ではありません。

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<大阪中部実測図(大正10年測図)>

大正10年(1921年)の地図を見ると、ここは貯木場。
大阪営林局の貯木場があったのだそうです。
(追記)製紙工場の場所を示すため地図を大きくしました(2009.6.23)


より大きな地図で 近代の公園 を表示
今の地図と比べてみても基本的にはほとんど変わりません。

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このあたりの遊歩道がまた素敵なところです。

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メタセコイヤでしょうか。
マングローブのようなしっかりした根を張っています。
ここってほんとに大阪?というような光景です。

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巨大なユーカリの木もあります。

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源八橋をくぐると向こうに環状線。
環状線の内側とは思えません。

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環状線までくれば今回の探訪はほとんど終わり。
すぐ右手に桜ノ宮駅があります。

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でも最後にひとつお楽しみが残っていました。
環状線の高架の手前に、煉瓦の橋脚が2つあるのが分かりますでしょうか?
恐らく、奥が明治28年(1895年)に大阪鉄道の玉造駅−梅田駅間が開通したときの淀川橋脚、手前が大正3年(1914年)に城東線の玉造駅−天満駅間が複線化されたときの橋脚と思われます。そして現在の橋脚は、昭和8年(1933年)に城東線の桜ノ宮駅−大阪駅間が高架化されたときのものでしょう。

090509sakurapark38l 090509sakurapark38r
  <フランス積み>   <イギリス積み>

面白いのが、左の橋脚がフランス積み、右の橋脚がイギリス積みということです。
鉄道のフランス積みはだいたい明治30年代には消えるらしいので、左の方が明治、右の方が大正の橋脚とみていいでしょう。
→小野田滋氏・清水慶一氏・久保田稔男氏
 「鉄道構造物におけるフランス積み煉瓦の地域性とその特徴」

フランス積みとイギリス積みが見比べられるところって珍しいのでは?

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大正3年の橋脚の方は、上に登ってみると刻印が確認できました。
べたべたとほとんどの煉瓦に刻印があります。
「壹」はすぐ分かりますが、その右は何でしょう。

090509sakurapark36s_3 090509sakurapark36s 090509sakurapark36s_2
<四弁花の中に何か><岸和田煉瓦?><○の2ヶ所欠け?>

岸和田煉瓦以外は分かりにくいです。
煉瓦は、刻印が分かってもいつのものなん?ということが多いので、こうやって年代が特定できるのはいいですね。

木と煉瓦の観察できる毛馬桜之宮公園でした。
景色も良くてお勧めできます。
この日の探訪は桜ノ宮駅で終了しましたが、残りの区間についても改めて歩いてみたいと思います。


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毛馬桜之宮公園(1)庭園と銀橋(大阪市)

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毛馬桜之宮公園は、淀川の毛馬閘門から天満橋まで大川両岸に細長く伸びる公園です(都島橋から下流は桜之宮公園とも)。
延長4kmですから両岸で8kmもあります(連続はしてませんが)。
そのうち、下流の左岸、天満橋から桜之宮駅まで歩きました。

公園らしいのは川崎地蔵尊のあたりからです。
かつては川崎の渡しがあり、大阪城の京橋口につながっていたので、もっと人通りが多かったのでしょう。

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このあたりは公園の幅が狭く、気持ちの良い緑道です。
時々ランナーが駆け抜けていきます。

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大川縁まで出てみるとこんな感じ。
遠くにOAPのビルと桜宮橋(銀橋)が見えます

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しばらく歩くと細長い池が現れ、向こうに白い建物が見えます。
大阪市公館です。昭和34年に迎賓館として建てられました。
今は結婚式場としても使われているようです。
その庭と公園は一体化しています。

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池の周りに森があって、なかなかいい雰囲気になっています。
池には釣り人が大勢。

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池の中にちょっと気になるものがありました。
コンクリート製の入母屋民家。
側面には三日月の窓も開いています。
何かの設備だと思うのですが、分かりません。
吐水口などでしょうか。
古そうです。

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赤い橋がかかっていて、まだ池は続きます。

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<大阪市パノラマ地図(大正13年発行)>
※白い文字は私が追加したもの

ここで古い地図を確認してみましょう。
地図では左手に淀川公園が確認できますが、今よりもずっと狭く、この池があるところは川縁まで藤田邸となっています。大阪を代表する実業家の一人、藤田伝三郎男爵邸です(当時既に故人)。敷地は今では大阪市公館、藤田美術館、太閤園などになっていて、一部は毛馬桜之宮公園に取り込まれたように見えます。
別の地図では、藤田邸の庭には逆U字型の池が描かれているので、公園の池はもしかするとその名残なのかもしれません。

ちなみに左手にある淀川橋は、明治35年から桜宮橋(銀橋)が架かる昭和5年頃まで、泉布観の上流に架かっていた橋です。
淀川公園、淀川橋の名前で分かるように、当時の大川はまだ淀川で、今の淀川は新淀川と呼ばれていたようです。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
現状はこうなっています。淀川公園と藤田邸跡の間の水面も埋め立てられていますね。

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さて、藤田邸の庭園の一部は、再整備されて藤田邸跡公園として公開されています。久しぶりに桜之宮公園に来ましたので、こんな公園になっているとは知りませんでした。2004年にオープンしたそうです。

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幽谷というとオーバーですが、まちなかとは思えない谷があります。

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藤田邸跡を通り過ぎると、河川敷に張り出す3階建ての集合住宅があります。
昭和7年のH家貸家です。

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高低差があるので道路側から見ると2階建て+地階です。
赤、黒、白という和風モダンなカラーリングは、のちのものでしょうか。

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斜めに入る窓の格子が古い住宅らしいデザインです。

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桜宮橋(銀橋)のたもとまで来ました。

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親柱はささやかですが、煉瓦風タイルと石で紅白となる凝ったもの。
昭和5年9月竣工と刻まれています。
奥に見えるのが、左が武田五一の桜宮橋(銀橋)で昭和5年、右が安藤忠雄の新桜宮橋(新銀橋)で平成18年。建築家の競演となっています。2つあると思わせないようなデザインですが。

→関連HP
 大阪国道事務所HP「銀橋」

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銀橋の周辺は当初から淀川公園でした。大正12年(1923年)に開園した古い公園です。古い絵葉書で見ると、洋風の庭園であることが分かります。右に銀橋、左奥が造幣局の建物ではないでしょうか。

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橋のたもとの構造物は、地味に今もあります。
絵葉書と同じ構図で撮ろうとしたら、木々で覆われて橋が全く見えませんでした。

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逆に対岸のロマネスク風の昇降塔は存在感を発揮しています。
左岸にあった片割れはなくなってしまいました。
なぜここまでのものを作ったんでしょうね。
銀一色の金属構造物らしい橋とは対照的です。

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階段はらせん階段になっています。

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対岸から見たところ。
橋上から見ると多少控えめです。

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銀橋には「昭和5年 汽車製造株式会社製作」のプレートが打たれていました。
汽車製造株式会社は機関車メーカーで、昭和47年に川崎重工業に吸収されたそうです。
そんなところが橋を造っているというのも面白いですね。

後半に続きます。

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2009年6月14日 (日)

初めての北海道(2)帯広に寄り道

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遅くなりましたが、北海道旅行の報告の続きです。
新千歳空港の非日常に留まるのはもったいない気がして、すぐに一駅先の南千歳に向かいました。ここで途中下車。しかし、意に反して駅前にあるのは巨大なアウトレットモール・レラ(公式HP)のみです。通路のテーブルにはトランプをしている(たぶん)香港からの観光客。ここが帰国前の最終立ち寄り地点になるのかもしれませんね。
私はフードコートで札幌ラーメンだけ食べて戻りました。

ここから特急とかちで、帯広をめざします。

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新千歳空港の近くにはレンタカー各社の巨大な駐車場が並んでいます。
ここが北海道の入口であることを視覚的に実感させます。
(これ以降、車窓越しの写真で汚くてすみません)

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車窓はすぐに郊外の風景に転換。
これからエゾシカなど野生動物の多い区間を走るので急ブレーキをかけることがあるというアナウンスが流れます。
各座席に車内販売のメニューがあって、JR北海道の車内販売は妙に充実しています。

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列車は日高山脈を抜けて十勝平野へ。

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十勝平野に入ると、駅ごとに煉瓦倉庫が目に付きます。

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退屈する間もなく帯広に到着しました。
帯広に立ち寄ることに決めたのは出発後だったので、実は何の下調べもありません。
(持参したガイドブックは帯広のページがないという)
帯広に六花亭の本店があるのは、行ってから知りました。
小豆、小麦、牛乳、バターなど、農畜産物が豊富で、スイーツなどが充実してるんですね。
(私にはあまり関係ないけど)

釧路行き特急の出発までは1時間あります。まず駅の観光案内所でマップと情報の収集をしました。
「帯広の旧市街地はどこですか?」と尋ねると、「旧市街というべきものはないけれど、発祥地は市街北東部で河川港に近い水光園のあたり、昔は大通がメインストリートで、今は駅前通の西2条通が中心」と教えていただけました。
時間の許す限り、北東方面に歩くことにしました。

○関連情報
 →帯広市HP「語り継がれた帯広の歴史」
  帯広市HP「帯広市の都市計画のあゆみ」
  帯広がどこから発展していったのかが分かります。

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がらんと街頭放送が響く西2条通を歩き、藤丸百貨店の4つ辻を曲がって、タウン8広小路という唯一らしきアーケード街に入りました。古そうな商店街があります。

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銀座通あたりには60〜70年代テイストのデザインが見られます。

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アーケードを抜けると薬局。
タイルの赤十字、角の曲面、3本の帯など、印象に残るデザインです。
戦後の古い時代の建築ではと思います。

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ここで左手に、強力に時間を引き戻す下見板の住宅が目に入りました。

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あまり改造されていないようで、これはすごい。

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庭木に隠れて出窓もあります。
上げ下げ窓で手すりも洋風。和洋折衷の住宅です。

・・・そのときはこれだけで満足していたのですが、帰ってから『道東の建築探訪』(2007年)で調べてみると、旧野口医院の住宅部分らしい。でも素晴らしい洋館(昭和4年)が記憶にない。なぜ?とネットで調べると、かたろうさんのブログ「おいしい北海道」で「旧野口医院解体」の記事を見つけました。昨年(2008年)7月に解体されていたのです。
見たかった・・・。見逃しただけだったらまだましだったのに。

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さらにその先の角には改造された洋館がありました。
腰折れの屋根窓が遠目にも目立ちます。
北海道の建物は瓦屋根が少ないので、壁から下が同じでも、受ける印象が違いますね。

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円柱にメダリオン(メダル型装飾)、曲線で交差する格子と、なかなかすてきです。

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窓の下のバルコニー風レリーフに花柄のレリーフなど、細かくみると装飾的。
大正時代っぽいデザインに見えるんですが、どうなんでしょう。

このあたりで時間なので、大通まで引き返します。

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十勝信用組合は文句なしの近代建築。手入れも行き届いています。
かつての安田銀行帯広支店で、昭和8年につくられたそうです。
これが見られたら、寄り道した甲斐があるというもの。

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ペディメント(窓上の半円部)は何やら海の生物を思わせる軟体性の模様です。

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大通を駅に向かうと、商家の町家を改装したような吉川商店がありました。馬具商というのが北海道らしいです。

急ぎ足で帯広駅に戻ったのですが、乗るべき特急は20分遅れだとのこと。
最初から分かっていれば、もっと足を伸ばしたのに。

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余った時間は駅ビルの店を見て回りました。
こういうとき、地元書店で郷土の出版物を見るのが楽しみです。
北海道はとくに地方出版物が多いようですね。

でも書店で気になったのが「宝塚コーナー」
いったいどんな縁が?と思って店員さんに尋ねると、宝塚ファンのサークルがあって、その方々の要望が多かったのでコーナーをつくったのだそうです。
まさか帯広で見かけるとは。

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約束通り(?)20分遅れで特急おおぞらが到着。
後で乗客の会話を聞いたのですが、遅れた理由は、線路に子牛が迷い込んだためらしいです。北海道らしい。

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やがて線路は丘陵地を抜け、太平洋岸に出ました。
後で知りましたが、帯広と釧路を直結するこのルートが、十勝川河口の大津を衰退させ、釧路を繁栄させたそうです。

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20分あった遅れを6分まで縮めて、釧路に到着。
夏の遅い夕暮れも、既にこの地に訪れていました。

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2009年6月 9日 (火)

初めての北海道(1)はじめに

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3泊4日の北海道旅行から戻りました。
今回は往復とも飛行機です。
ただ、行きは神戸空港発で、帰りは関西空港着。
神戸空港を利用するのは初めてです。

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神戸空港は、空港から六甲の眺めがいいですね。
絵になる眺めだと思います。

施設が小さいので歩く距離が短いのもいい(私の家からは遠いけど)。

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この日(6月4日)はあいにく、全国的な曇りや雨で、富山上空を除き、延々と雲を眺めていました。
上の写真は佐渡島上空を抜けて、新潟あたりです。

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広々した新千歳空港に着いてもやはり曇り空。
旅行中、網走以外は、ほとんど曇りや雨で、お天気の面では残念でした。

初めての北海道ということで、今回の行き先は道東メインにしました。
(なんとなく、「より北海道っぽい」というイメージで。建物を見るなら、小樽や函館が良いのでしょうけど。)
かつ、うんざりするほど景色を眺めようと、列車の旅にしました。
新千歳空港駅から釧路・網走経由で札幌行きの切符を買い、南千歳と帯広で1時間ずつ途中下車、釧路で2泊(1日強滞在)、網走で5時間の途中下車、札幌泊(1日滞在)というパターンです。

滞在中はひたすら歩きに歩きました。
いい風景にも出会えました。

今回、とくに印象に残ったのは「倉庫」、です。
どこの駅にも巨大な農業倉庫があって、牧場にはサイロがあって、港には煉瓦倉庫、漁業倉庫があって、街中にも札幌軟石の倉庫があって。鉄道から見た風景だったからというのも理由かもしれません。
作って,貯めて、送り出す。

これまでの記事がたまっていますので、間に挟みながらぼちぼちと報告していければと思います。


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2009年6月 3日 (水)

明日から北海道

皆さま

いつも日常旅行日記をご覧いただき、ありがとうございます。
お知らせですが、明日から日曜日まで、初めての北海道に出かけます。
釧路、網走、札幌と回る予定です。
そんなにまち歩きの時間は取れないかもしれませんが、
また報告もしたいと思います。

では行ってきます。
(携帯でブログのチェックはできそうです。)

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2009年6月 1日 (月)

浪速区の2つの公園

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津守煉瓦跡を見に行ったついでに、浪速区の戦前の公園2つを訪ねました。
まず、浪速西3丁目にある浪速西公園(浪速栄公園)です。
昭和16年に開園しました。

小さな公園で、公園は浪速神社の境内と一体です。

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北側から見ると全てが神社みたい。

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神社の本殿。
浪速神社は、中央区の坐摩神社の境外末社です。
ここは昔の渡辺村にあたり、渡辺村の人たちが、元々の渡辺の地(大阪城の近く)から移ってきたことと関わりがあるようです。天満橋には坐摩神社の旧社地があります。
でも現在地に神社ができたのは、そう古くはないようです。

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<大正10年測図 大阪・中部実測図>

緑で囲んだところが公園です。
大正時代の地図を見ると、ここには学校があったことが分かります。
昔の渡辺村の南側にあたります。

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<大正13年発行 大阪市パノラマ地図>

パノラマ地図では、前に十三間堀川が流れている様子がよく分かります。
学校が移転した後に公園になったのでしょう。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
現状です。

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もう少し公園の中を見てみます。
土俵があるのが戦前の公園らしい気がします。

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その隣には忠魂碑があります。
日清・日露戦争での戦病死者の名前が刻まれているとのこと。
これもどこかから移されたのでしょう。

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境内末社に並んで、空襲犠牲者の供養塔(昭和52年)、無縁仏供養の五輪塔(昭和60年)など。

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その中に橋の親柱がありました。
行書体で読みにくいのですが、芦原橋?
でもこんなに小さい?
大正風デザインに見えます。

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公園北側の東西道路には、「渡辺道」の標柱が立っていました。
昔は渡辺村と大坂の町を結ぶ唯一の道だったそうです。

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また近くには帆掛け船をかたどったモニュメントがあります。
渡辺村は皮革の集積地であり、西日本一帯の皮革の海の玄関口であったことを解説しています。


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次は、久保吉の芦原公園です。
昭和18年に開園しました。
この写真は南側から見たところ。

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あまり人のいない静かな公園です。

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シンプルなデザインの水飲み場。
こういうデザインは好きです。
人造石研ぎ出しのようです。

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<大正13年発行 大阪市パノラマ地図>

この場所は、元々は大日本紡績工場でした(赤で囲んだ範囲)。
その一部を買収して芦原公園になっています。
福島区の下福島公園のケースと似ています。
ちなみに南隣は、新田長次郎の新田帯革製造所(ベルト製造)。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
現在の様子です。

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公園の東の入口。

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公園の中には野球場があるのですが、その周りがジョギングコースになっています。実際、ジョギングをしている人もいました。

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なかなかいい雰囲気のジョギングコースです。

しかし、公園内に記念碑など興味深いものは発見できず。
昭和18年では遅すぎるようです。

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公園の北側には、久保吉水防用具庫がありました。
この辺りも対岸の大正区同様、水害の備えが重要な地域ということでしょう。
水に流されないようにか、外側に擁壁を立てた独特な形です。
味のある建物だと思います。

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