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2009年3月

2009年3月29日 (日)

中から京都市美術館

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円山公園を訪ねた同日に京都市美術館に入りましたので、それもついでに紹介しておきます。
外観については、岡崎公園を訪問したときに少し紹介しました。

京都市美術館HPによれば、京都市美術館は昭和3年の天皇即位大典記念事業を機に、昭和8年に設立された「大礼記念京都美術館」が前身だそうです。東京都美術館に次ぐ、日本で2番目の大規模公立美術館でした。

美術館本館は、「日本趣味を基調とすること」の条件で公募され、一等に入賞した前田健二郎の設計図案を基に、昭和6年に着工、昭和8年に竣工したそうです。洋風の建物に和風の屋根が載る、いわゆる帝冠様式です。

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門柱には「京都美術館」の古いプレートが残ります(戦後の接収をへて、昭和27年に京都市美術館と改称)。さらにうっすらと「大礼記念」の文字跡が残っているとのこと。

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正面玄関を入ると、天井にはたくさんのレリーフの花が並んでにぎやかです。

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エントランスホールの正面には2階に上がる階段があります。階段は茶色い大理石で、親柱は灯籠のような和風。人が多いので、ホール全体は撮っていません。

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大きな吹き抜けにはなっていませんが、横からは華やかな2階の様子がうかがえます。

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2階の天井は花のステンドグラスで埋め尽くされています。格天井+和風のステンドグラスという組み合わせ。

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1階ホール脇にはモダンな格子のステンドグラスがあります。色合いは落ち着いています。

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1階天井の梁と大型の照明器具。梁や天井周りはけっこう細かく装飾が入っています。

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北側階段ホールの照明器具は少し小ぶり。

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北側階段ホール。カーブを描くゆったりした階段で、普通の建物ならこれが正面でもおかしくないぐらい。

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東側の1室の天井部分。この部屋の柱は黒っぽい大理石が使われています。ちょっとぜいたくなつくりです。

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2階の柱の上の部分を見てみると、雲型など和風をもとにしながらも、かなり幾何学的なデザインが入っていました。セセッション風が入っている?

内部もずいぶんと立派な京都市美術館でした。

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2009年3月28日 (土)

外から長楽館(京都市)

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1月に京都の円山公園に出かけたとき、側にある長楽館も外から眺めました。ひろさんが「関西洋風建築めぐり・長楽館」として内部を紹介されていたのに関連して(かなり前ですが)、外観を紹介しておこうと思います。

長楽館は、明治の煙草王と呼ばれた実業家・村井吉兵衛が、迎賓館として1909年(明治42年)に完成した建物です。長楽館が起工された1904年は、日露戦争の戦費調達のために煙草専売制が敷かれた年で、その後、村井は莫大な補償金をもとに銀行、印刷などに事業を展開して財閥を築いていったそうなので、迎賓館は転機を迎えた彼にとって重要な意味を持っていたのだろうなと想像できます。

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まずは門から。門柱には花瓶のようなものが乗っています。

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門を入って東側の入り口。こちらは四角くてあまり飾り気がありません。

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床下換気口の格子(グリル)は、アールヌーボーっぽいデザイン。植物模様です。

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北面の出窓はゆるやかなカーブを描いています。
足元にはなぜか朝鮮風の?石像が並んでいます。

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2階には列柱、そしてまたアールヌーボー風の格子がはまっています。

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南側から見るとかなり奥行きのあるのが分かります。

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南側にも北側同様のゆるやかな出窓があります。

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疾駆する帆船を描いたステンドグラス。
夕陽に向かって走っているようです。
もうすっかり日が暮れてきました。

これだけ紹介してもあまりかぶらないぐらい、見どころの多い建物です。
次はお茶でもしながら内部を見たいと思います。
繰り返しになりますが、見事な内部については、ひろさんの記事をご覧下さい。

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2009年3月26日 (木)

多治見散歩

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多治見の昭和町を見た後も、多治見の市街を散歩しました。
そこで見かけた、コンクリートブロックサイズのタイルを貼ったブロック塀、なんでしょうか。ちょっとおしゃれなブロック塀です。

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古びたビルの1階がトンネル路地のように、向こうの路地に続く不思議な通り。

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アーケードのある銀座商店街には、大きなお屋敷もあって、歴史を感じさせます。石組みが美しい。

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これは少し離れた場所ですが、屋号の入った丸い門灯です。
上のお屋敷も含めて、あちこちで見かけました。

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小路町に出て、洋品店のみの周さん。
クリーム色のタイルが年代を経てきた雰囲気です。

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この青白の磨りガラス、木製桟の分割パターンは、ショーウィンドウでも見かけるものです。どこかの時代の流行かと思いますが、まだ分かりません。

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お向かいも似たような感じの下廣商店さんがあります。
こちらは化粧品・石けん・洗剤のお店だそうです。

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テラコッタらしき飾りが2ヶ所付いています。
解像度が悪くて何の図案かよく分かりませんが。

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多治見は蔵がたくさん残っていて、なおかつ活用されています。
この場合は飲食店になっていました。

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これはなんだか不思議な蔵でしょう?
写真に撮っていたら、そばにいた方に声を掛けられたんですが、実はその隣にいた方がオーナーさんで、これは蔵を改造したチャペルなんだそうです。3月にオープンとおっしゃってましたから、もうオープンしているでしょう。ある意味、現代版擬洋風の感がないでもない。

伝統的町家から70年代建築まで、多治見は散歩して楽しいところです。
また5月か6月に出かけようと思います。


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2009年3月16日 (月)

多治見の昭和町

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多治見の出張最終日。
あいにく雨の日でしたが、仕事が終わる頃に雨も上がり、日も長くなりましたので、少し町を歩きました。

多治見の真ん中を北東-南西に土岐川が流れています。元々の多治見の町は川の南側(写真の右側)で、多治見駅のある川の北側は昭和9年に合併するまで豊岡町という別の町だったようです。

この写真は駅前通の陶都大橋から撮っています。向こうの橋は昭和橋で、右に渡ったところは昭和町です。多治見は面白いことに昭和町、大正町、明治町が揃っています。
今回は旧の多治見町側にある昭和町を紹介します。

右手にこんもりしたヒマラヤ杉が見えますでしょうか。

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近づくとこういう洋館があります。
Reverie(レヴェリ)という、雑貨店、レストラン、ギャラリー、英会話教室の複合施設です。
ホームページによると、元は大正末期から昭和初期にかけて建てられた演劇場らしく、その後、税務署、裁判所、陶器関連の会社事務所などに使われ、空き家になっていたところを活用されているそうです。

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陶器の町・多治見だけあって、タイルがふんだんに使われています。
とくに玄関の柱はびっしりと豆タイル。

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廊下はずっとこの市松模様です。
下にはギャラリーが入っています。
お話でも聞こうと思ったのですが、無人でした。

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2階建てでギャラリーは地下室なのかと思うと、裏から見ると3階建て。違う建物に見えます。
表は土岐川の堤防に面して建てているので、2階が入り口になっているのですね。

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ちなみに、Reverieさんが入られたときに敷かれたのかと思いますが、玄関前には耐火煉瓦が敷かれています。焼き物の窯にたくさんの耐火煉瓦が使われているので、その再利用だと思います。KTK、TRC、STR、YRKなどと刻印がありますが、何という会社の略号なのか分かりません。

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また近くに旧昭和橋郵便局があります。
昭和9年頃の建物らしい。
残念ながら今は使われているふうではありません。

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すごいのがタイルで埋め尽くされているところで、軒裏にもびっしりタイルです。
一部スクラッチタイルも使用。

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昭和町から少し外れます。
町家もまたびっしりとタイルが貼られています。

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こんな感じです。
右端は改築部分のようです。

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上は浴室用タイルのような気がしないでもないですが。

昭和町はその名の通り、昭和レトロの雰囲気ある町でした。


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2009年3月15日 (日)

洋風玄関の丸保園(堺市)

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堺の住宅地ミニ探訪のつづきです。
前回の永山園から中央環状線(国道310号線)を挟んで南側に丸保園があります。
上の写真では左が永山園(森は永山古墳)、右が丸保園(森は丸保山古墳)です。
丸保園は、北丸保園、南丸保園があり、永山園と同様、昭和8年からの町名です。

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道を渡ると陵西通でした。ここも和洋折衷住宅が建っています。
遠目には戦後建築でもあるタイプなのですが、

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木製の窓枠や玄関などを見ると戦前のものなのでは?と思わされます。
とくに玄関扉は矢羽根の模様に刻まれています。

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お向かいの門扉も手斧ではつったような仕上げで、きっちり積まれた石塀とレトロな門灯が雰囲気十分です。

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丸保園に入ると、このように見事な生垣があり、上質な郊外住宅の表情です。

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こちらが今回のお気に入りNo.1です。
入母屋の和風住宅に玄関だけが洋風というのがユニーク。
生垣も庭木もきれいに整えられていて、全体として美しいバランスです。

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玄関部分を拡大するとこんな風です。
真ん中にはメダリオンが入っています。

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またこちらは2軒並びの洋風玄関付き住宅。
玄関は洋風ですが、2階の窓手すりなど和風です。
右は歯科医院をされています。看板が昔風でしょう?
玄関のデザインがさっきの家とかなり似ています。

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左の家の玄関に立つ門柱は、上部にスクラッチタイル、残りに波状のタイルを散らした門柱で、たぶんオリジナルでしょう。生垣の陰に隠れて右の門柱も残っています。

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こちらの家も全体的にはそんなに古そうに見えないのですが、

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軒裏が木製で、小屋裏の換気口も木製なので古いものなのでしょう。形もハの字ですし。

これらのほかにも分かりにくいけれど戦前の住宅ではないのだろうか、というものがいくつもありました。案外残っているものです。

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帰りには二条通の洋風長屋を見て帰りました。
改めて一条通〜七条通も歩いてみないとと思います。
洋風長屋のいろいろが見れるはずです。

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2009年3月12日 (木)

洋風付きの永山園(堺市)

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久しぶりに大阪の話題です。
以前から、堺に永山園・丸保園という地名があるのが気になっていました。
名前からしていかにも郊外住宅地です。南海高野線が堺東駅を出て、上町台地から仁徳天皇陵に連なる台地を切り通しで抜けるあたりにあります。以前取り上げた中三国ヶ丘町南三国ヶ丘町の住宅は線路の向こうです。2月の初め、現地を確かめに行きました。

三国ヶ丘駅からスタート。
駅舎は昭和17年?
ほぼ高野街道に沿って歩いていきます。

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永山園に入っても最初はそれほど古い住宅がありません。
左側が東永山園です。期待外れかという気持ちに。

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永山園の中には永山古墳があります。永山園は永山古墳、丸保園は丸保山古墳にちなんだ名称なのでしょう。永山古墳は百済から来日した学者・王仁の墓という伝承もあるそうです。今は、堀が釣り堀になっています。

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中永山園でようやく郊外住宅地らしい住宅が現れました。
杉皮壁の和風住宅です。一体的な生垣もそれらしい。

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赤、青の瓦の取り合わせが美しい住宅。
小屋裏の換気口が木製なので、それなりに古そうです。

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ついに洋風の住宅が現れました。
間違いなく近代の郊外住宅。

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門扉のデザインから、丸窓、腰壁の下見板、木製の玄関扉、軒を支える柱、持ち送りまで、古い意匠を残しているようです。

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洋館部分に派手さはありませんが、洋館付き住宅のタイプでしょう。

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そして思わずぞくっとしたのが、五連の洋風長屋。
右端の家だけ間口が広くて、大家さんなのかもしれません。
一軒一軒デザインが微妙に違うのが面白いところです。

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鮮やかなスカイブルーで縁取られた一軒。
多少高台にあるのですが、さらに盛土されています。
階段に汲み取り口が?

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向かいにもまた洋風の住宅が並んでいます。同様に盛土で石垣が積まれ、階段で出入りする形になっています。

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こちらは蔵のようなブロック積みの建物。
事務所として使われています。

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これも和洋折衷の住宅。
盛土に石垣、石の門柱を立てています。
住宅本体は腰までタイル張り。
残念ながら空き家です。

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立派な洋館付き住宅もありました。
洋館部分は洋風控えめですが。

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この住宅の見どころは階段のカーブ。
美しく仕上がっています。

気になるのは永山園の開発時期ですが、永山園・丸保園の町名ができるのが昭和8年ですので、その頃が開発時期かと思われます。見た目にもそんなところですので。
思った以上に古い住宅が残っていました。

次回は丸保園を紹介します。

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2009年3月11日 (水)

新潟ふゆ歩き(6)下町(しもまち)へ

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今回、新潟の旅の最後は下町(しもまち)方面に歩いていきました。
とくにテーマもなく、とりとめなく。
Uさんから下町はいかがですかというご提案をいただき、お勧めには無条件に従ってみる方針の私は、そちらに向かったのでした。新潟で上というと白山神社の方で、下は水路の下流なんでしょう、北の方です。下町方面は、昔は花街があったようです。
(写真の順番は分かりやすく入れ替えてあります)

まず本町通を歩いていきました。
気になった片桐小路の朱色のダクト。
とてもインパクトがあります。

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御祭堀のK邸。大きなお屋敷です。

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波模様のブロック塀に海が近いことを感じます。

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少し離れて湊町通の裏手。
蔵のようで、洋館風でもあり、でも新しそうな不思議な建物。
最近の流行なのでしょうか、古い洋館風の新築をちょくちょく見かける気がします。

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彌五左衛門金刀比羅(ことひら)神社。
文政4年(1821年)、廻船問屋・鈴木彌五左衛門の船「白山丸」が、島根県大海崎沖で暴風雨に遭いました。船が沈没寸前になったとき、金刀比羅大権現が現れて、暴風雨が止み、船に金の御幣が残されたそうです。その御幣を祀ったという神社です(説明板より)。
北前船の港町ならではの神社といえるでしょう。

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古いはずがないけれどレトロ感の漂う住宅。
もしかして洋館付き住宅を建て替えたときに元の意匠を生かしたのでしょうか。

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元祝町の願随寺。
湊口にある大きな寺ということで外国使節の接待場所とされ、安政6年(1859年)4月22日に来航したロシアの軍艦ジキット号、翌日来航したオランダの軍艦バーリー号(案内板の説明ではどちらと会談したのかよく分からず)、10月に来航したイギリス船2隻の船長たちとの会談場所となり、新潟の最初の対外交渉の場となったそうです。

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方向転換場所かもしれませんが、ちょっと考え込む丸印。

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海岸の松林。
海沿いには砂丘だった丘があり、松林が続いています。

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その向こうには寒々とした(実際は寒くないのですが)海岸が広がっていました。

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昼間はいいお天気だったのに、既に冬の空。
さあ帰りましょう。
次はどの季節に新潟を訪ねることになるでしょうか。

新潟の皆さまにはたいへんお世話になりました。
とりとめない記事となりましたが、お読みいただいた皆さまもありがとうございます。


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2009年3月 9日 (月)

新潟ふゆ歩き(5)ラーメンとイタリアン

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今回は珍しく食べ物の話です。

新潟の2日目。宿泊に朝食を付けなかったので、外に食べに出ました。
喫茶店でモーニングでもと考えるのが大阪人的発想なのですが、ビジネス街だったためか、日曜日は喫茶店が開いてません。
でも街中を歩いていると、人の出入りしている店がありました。何かなあと近寄ってみるとラーメン屋さん!

こちらは「くら田」さんというお店です。
新潟のラーメン屋さんは朝7時からやってたりするんですね。そして午後3時には閉店だったりする。ラーメン=昼・夜のイメージだったので意外でした。
私はワンタン麺をいただきましたが、とてもあっさりして朝にはぴったりでした。

考えてみると中国だと朝からラーメンは普通です。ワンタンもあります。
そしてあっさりしたスープです。
新潟が大陸への窓口だったことと関係あるのかなあなどと想像するのですが、確かめてはいません。

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前日、「昼ご飯は何がいいですかねえ」と地元の方に相談すると「みかづきのイタリアンを食べてください。新潟のソウルフードです。」と教えていただきました。

「文化祭で出された、冷めてまずいイタリアンが思い出。でも暖かければおいしいはず」というような微妙なお勧めもいただきましたが。どこで食べられるかというと「万代のバスターミナルの2階」をまず挙げておられて、たぶんシチュエーションも大事なんだろうなということで、そちらの「みかづき」さんに行きました。

カフェテリア風のファーストフード店です。

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これがみかづきのイタリアン。320円。安いですね。
期間限定越後みそ味とか、カレーソース、ホワイトソースなどもあるんですが、ここはスタンダードなトマトソースを。
このイタリアン、なんと焼きそばにトマトソースがかかっているというものです。焼きそばは普通にソース味の焼きそばなんですが、あっさり味なのでマイルドです。一口食べると「う」と思いますが、何口か食べると慣れます。

見ている間にもまとめてテイクアウトしていく方がいて、このバスターミナルから思い出の味が方々に散っていくのかもしれません。

みかづきのイタリアンについては、みかづきさんのホームページに解説があります。
昭和34〜35年に誕生したんですね。

こういう食文化は行ってみないと(そして教えてもらわないと)分からなくて楽しいものです。

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2009年3月 8日 (日)

「まちかどの近代建築写真展 IN 大阪IV」がスタート

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皆さま、こんにちは。

 今年も大阪・天保山の天満屋ビル「お茶と雑貨のハaハaハa」で、
 「まちかどの近代建築写真展」が開催されています。
 私も設営をちょっとお手伝いしてきました。
 昨年に続いてのレンガの特集です。
 ぜひお立ち寄りください。
 (コピーさせていただきました>前村さん)

「まちかどの近代建築写真展 IN 大阪IV」(第14回)
 ―今回はアンコール!さらに新たなレンガ造りの建物を中心に
  (「海岸通建物物語4」関連企画)
      
会期:2009年3月9日(月)~4月17日(金)
会場:お茶と雑貨のハaハaハa
   大阪市港区海岸通1-5-28 天満屋ビル2階 東展示室
時間:7:30~18:00、土・祝は11:00~18:00(定休日:水・日)
主催:お茶と雑貨のハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト

 また4月からはこちらも恒例の海岸通建物物語が、
 お隣の商船三井築港ビル「ステムギャラリー」で開催されます。
 同じく赤レンガがテーマです。

「海岸通建物物語4―赤レンガに会いに行こう!―」
会期:2009年4月1日(水)~4月18日(土)
会場:ステムギャラリー
   大阪市港区海岸通1-5-25 商船三井築港ビル1階
時間:11:00~19:00(日曜休廊)

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会場の天満屋ビル。

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会場の様子(一部)

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おみやげには、ハaハaハaさんとタイアップ企画のかわいい赤煉瓦クッキー(レンガチョコクッキー)をどうぞ。

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クッキーもレンガをイメージした素朴なブロックタイプ。
ほろほろした食感でおいしいクッキーです。
欲を言えば、刻印が入っていれば(笑)

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ところで、今日は野田を歩いたのですが、ところどころに煉瓦敷きの路地が残っていて、そのうちの1つに「岸×泉」の刻印煉瓦がありました。岸和田煉瓦の「×」印だけのものは見たことがあるのですが、このタイプは初めてです。泉州・岸和田の略なんでしょうね。
この「岸×泉」の刻印は、同志社女子大学のジェームズ館にも使われているそうです。
同志社女子大学のジェームズ館紹介

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2009年3月 7日 (土)

新潟ふゆ歩き(4)港の方へ

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朝の怪しい雲行きはどこかに去り、いいお天気になりました。
沼垂を自転車でさまよった後は、かつての栗の木川跡に沿って河口まで出ました。

そこには万国橋という地名と片方の欄干が残っています。しかし、もはや橋ではありません。
名前からして、昔は港に向かう重要な橋だったんでしょうね。
欄干には鉄の幾何学模様が入っています。

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河口部には漁船がつながれ、冷蔵倉庫があり、漁港の様相です。

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ここから東は新潟西港の港湾地区です。このような港らしい雰囲気の事務所も建っています。ちょっと覆面をかぶったような派手な見た目ですが。

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港には倉庫が立ち並んでいます。その中でもこの日通倉庫のたたずまいが気に入りました。一番左の倉庫には「南六号倉庫」の木札が掛かっています。

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さらに港に入り込むと新潟西港の記念公園があります。
開港百年記念碑、新潟港開発先覚者・川原乙松翁寿像、スクリューなど様々な展示物があり、さながらミニ野外博物館のようです。

新潟は江戸時代、西廻り航路の重要な港町でした。近代の新潟港は開港5港の一つとして、明治元年に開港、明治2年に新潟運上所(税関)が開設されます。ただ、河口港のため水深が浅くて外航船が入れず、改修の連続でした。大正6年に着工した県営埠頭が大正15年に完成、昭和4年に北朝鮮航路が開設されると、大陸への玄関口として栄えました。それが今の新潟西港です。しかし、終戦後は荒廃します。

川原乙松翁寿像の碑文によれば、弱冠31歳で川崎汽船の外航船船長となった翁は、昭和4年、37歳の時に新潟県の招きで港務嘱託・初代の水先案内人となったそうです。81歳まで43年間、港一筋に水先業務を行い、多くの水先案内人を育てました。新潟港の改修に超人的精力を注ぎ、とくに終戦後、廃港寸前だった港の復興改修に努め、新潟港が国際貿易港となるのに大きな功績があったそうです。

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前回紹介した昭和9年の地図をもう一度。
この時代は鉄道が港まで伸びています。
東京と満州を結ぶルートとして賑わい始めた時代の新潟港が描かれています。

大陸への玄関口だった新潟の港を体験するには、船で出港してみるのがいいかもしれません。

(追記)
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<絵葉書 満州航路があった頃の新潟港>(2010.3.20記)

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2009年3月 2日 (月)

新潟ふゆ歩き(3)沼垂をさまよう

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新潟の駅前通りをまっすぐ進むと分岐路にぶつかります。左斜め方向に曲がると、万代地区の繁華街を左に見つつ、萬代橋で信濃川を越え、新潟の中心部に向かうメインストリートです。右に曲がると延々と古びたアーケードが続いています。この道は沼垂(ぬったり)に向かう道です。

沼垂(ぬったり)。
足を踏み入れると抜け出せないような響きをもつこの町は、今では新潟市の一部ですが、江戸時代の終わり頃までは対岸の新潟と信濃川河口の権利を争うような港町でした。新潟は長岡藩、沼垂は新発田藩の町だったそうです。

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昭和9年の地図を見ても、はっきりと一つの町であることが分かります。
新潟港の後背地のようにも見えます。
沼垂駅ができたのは明治30年で、北越鉄道の終着駅として、旧新潟駅(明治37年)より先に設置されたそうです。しかし、昭和33年には旅客営業はなくなりました。

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拡大するとこのような感じ。
この町が今どうなっているのか気になり、またレンタサイクルを借りて出かけました。

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まずアーケードを走っていくと、古くていい感じの美容室が目に留まりました。入り口を斜めに構えています。

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「伊原美髪館」と右→左の文字で、戦前のもののようです。(小道さんによれば昭和初期)

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角のアールがモダンです。

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沼垂の町に入ると今度は写真館がありました。

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正面はスクラッチタイル張りです。

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「勝山写真館」という名前です。
スクラッチタイルは凹凸を付けて貼られています。スクラッチタイルが傷んだところも新しいスクラッチタイル(でこぼこの小さいもの)で補修しているようでした。

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2階隅の屋根瓦は松のデザイン。

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この脇の道は「ぬったり古町通り」の名前で修景された道です。

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その「ぬったり古町通り」には看板建築らしき建物がありました。
オレンジ一色に塗りつぶされていますが、2階にエンブレム状の装飾(メダリオン?)が見えます。

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かつての栗の木川に面して、倉庫のような建物が並んでいます。

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南の方を見たところ。この道路がかつて栗の木川で、この川をはさんで沼垂の町がありました。

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昔の川跡を東に渡ると「沼垂定住三百年記念碑」が立っています。
要約すると、沼垂の発祥は、日本書紀・大化3年(647年)に登場する渟足柵(ぬたりのき)で、以後、日本海の物流拠点の商港として発展したのですが、阿賀野川・信濃川の浸食で再三・再四の移転を迫られ、ようやく貞享元年(1684年)に現在地に定住し、300年になるということです(昭和59年建立)。

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その近くにいい建物がありました。
桟入りのガラスがふんだんに使われている近代の商家です。

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とくに角の部分がみどころ。
何の商売をされていたんでしょう。

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さらに近寄るとこんな感じ。
角は違い棚のあるショーウインドーのようで、もうお店はされていませんが、夫婦の松の盆栽が飾られていました。

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南の方に行くと、新潟同様(かなりコンパクトですが)、大きな寺が並ぶ寺町があります。

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寺町の南には市場の並びがありました。
この市場の背中側は飲み屋が並んでいます。新潟絵屋のUさんに伺ったところでは、ディープな飲み屋だそうです。

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ところで、市場の店先で面白いものがありました。
漁にでも使う物かと思ったのですが、新潟絵屋で伺うと、田んぼに苗を等間隔で植えるための道具だそうです。なぜここにあるのかは不明。

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向かいの家では1階の屋根の上下にこの道具を吊していました。

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東に向かうと錆びた線路にぶつかります。
昔は港に直結していた線路も途中で切れて、今は最果て感が漂います。
向こうは大規模な石油工場や製紙工場の世界。
この線路が結界のようです。

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線路の向こうには古い煉瓦倉庫がありました。
沼垂日石の赤煉瓦倉庫で、大正時代のものだそうです。

沼垂の町は、新潟の町に比べてさびしい感じがしますが、味のある街並みです。もう少しゆっくり歩き回っても良いかなと思いました。

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