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2009年1月

2009年1月25日 (日)

京都で最初の円山公園

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先日、京都で一番古い公園である円山公園に出かけました。
明治6年に江戸時代以来の遊覧の地を公園とすることを定めた太政官布告で、「・・・京都ニ於テハ八坂社、清水ノ境内、嵐山ノ類、総テ社寺境内除地或ハ公有地ノ類・・・」と例示されていたほどですが(八坂社の周囲が円山公園)、開設は明治19年(1886年)12月25日です。

円山公園といえば枝垂桜。
右にあるのが、よくテレビに映る枝垂桜ですが、冬なのでさびしい姿です。
もともと八坂神社が祇園感神院と呼ばれていた頃の坊、宝寿院にあった桜らしいですが、昭和22年に枯死して、現在の木は昭和初年生まれの2代目です。(案内板より)

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今回撮り忘れたので、2000年に撮った八坂神社です。

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<明治22年発行地図>

明治19年に開園した当初は、上のハッチのあたりが公園だったと思われます(正確な地図ではないのでご注意)。現在の公園の範囲には建物も建っています。


より大きな地図で 近代の公園 を表示

明治22年以降の第一次拡張、明治41年の第二次拡張の土地収用によって、円山公園は現在の広さになりました。現在は86600m2です。

なお、明治41年の第二次拡張は、明治12年に外国人用ホテルとして建てられた「也阿弥ホテル」が明治39年に焼失したことをきっかけとしています。当時は今以上に茶屋などで賑わっていたようです。

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拡張された公園の向こうには知恩院が見えます。

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公園の南には、明治のたばこ王・村井吉兵衛が明治42年に建てた長楽館があります。設計はジェームズ・M・ガーディナー。焼失した也阿弥ホテルの後を継いで外国人も宿泊したようです。

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円山公園に隣接して多くの茶屋、料亭などがあります。明治時代の公園は、上野公園や住吉公園などでも料亭などが建っていたようですが、今もその雰囲気を残す円山公園は貴重ではないでしょうか。

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第二次拡張後、京都市は円山公園改良計画案を武田五一に依頼、公園改良工事が大正2年から3年にかけて実施され、京都を中心に数多くの作庭を手がけた小川治兵衛による回遊式庭園が整備されました。
このひょうたん池もそのときのものです。

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(追記)戦前の絵葉書より。大正の改良工事後の姿です。樹木が少なめですが、基本的には今と変わりない風景に見えます。(2009.5.13)

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同じくひょうたん池。
碾き臼のような円柱と長方形の石材の組み合わせは、小川治兵衛の好みなのでしょうか。いろんなところに使われています。

(追記)琵琶湖疎水などについて詳しく調べられている「そすいのさんぽみち」kankanbowさんの記事によると、円山公園には三条大橋・五条大橋の橋桁が多数再利用されているらしいとのことです。三条大橋が解体されたのが大正元年なので、ちょうどタイミングが良かったのですね。そんな由緒あるものとは。
 →山野祥子さんの論文「京都・三条大橋橋脚の築造と「馬淵石工」」(PDF)によれば、三条大橋がつくられたのは天正期(1573〜1592)、秀吉の命によるものだそうです。なんと。
 →国立国会図書館HPの、
   明治の三条大橋の写真
   明治の五条大橋の写真
(2009.3.29記)

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ひょうたん池に注ぐ小川を遡っていきます。
ところどころに石橋がかかります。面白い組み方。

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こちらの石橋は角材を斜めに。

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飛び石にも円柱と自然石を組み合わせて。

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階段の縁にも丸と自然石を使っています。

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小川を逆にたどっていくと小さな滝がありました。

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庭に建っていたむっくりした面白い灯籠。案内板で「善導寺型灯籠」ということを知りました。これって前に羽衣浜神社(高石市)で見た謎の灯籠と同じでは?と帰って確認したら、やはりそう。謎が一つ解けました。京都にある知恩院派の善導寺の灯籠に由来するそうです。火袋に茶道具(茶碗・茶筅、炭斗・ 火箸、茶釜・柄杓、五徳など)が刻まれているのが特徴で、上の写真の場合は、左が炭斗で右が五徳ではないでしょうか。

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園路沿いの柵として薬莢型の石柱が並んでいます。

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ちょっと南に外れて、京都市円山音楽堂がある場所も円山公園です。
音楽堂は昭和2年の開設。音楽堂自体は建て替えられているようですが、「京都市音楽堂」と刻まれている門柱は当時のものではないでしょうか。

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園内に立つ「名勝 圓山公園」の石柱は昭和17年に立てられたもの。
昭和6年の名勝指定を示す石柱です。

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不思議なことに、大きな石の角柱が、公園のあちこちにごろんごろんと置いてあります。

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公園の中にはこんなものもあります。何か分かりますか? ラジオ塔(ラヂオ塔)というものだそうです。前に見たときはただの記念碑と思っていたのですが、NHKがラジオ放送の普及のために各地に立てたもので、ここからラジオが流れるというもの。街頭テレビの前には、街頭ラジオがあったんですね。ちなみに第一号は昭和5年、大阪の天王寺公園に設置されたようです。

このラジオ塔は昭和7年、NHK京都放送局の開局時に設置されたもの。ラジオ体操や野球中継に人が集まったようです。戦時中に資材を供出しましたが(金属部分か)、昭和57年に修復されました。(説明プレートより)NHK京都放送局のJOOKの文字があります。

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そういえば、松江でもラジオ塔を見ていたのでした。
松江放送局開局記念で、昭和7年のもの。

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中之島公園にもあるとのことで、たぶんこれでしょう。
前から何だろうと気になっていました。
今は公園に入れないので外から撮りました。

言われてみれば他にも見ていたことに気付きます。
大阪城公園のラジオ塔
新潟・白山公園のラジオ塔

今まで気になっていた疑問が一気に解けました。
それぞれ似ていますが、形が違うのが面白いですね。
公園にあることが多いようなので、これからもラジオ塔には出会いそうです。

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しかし、また新たな謎が。
円山公園の地下には駐車場があります。
その出入り口はこんな石積になっています。

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この石の山が何カ所もあるのですよ。
換気口といえばそれまでですが、駐車場の設備としてはどうもしっくりこないものがあり、何か別の意味があるのではという気がするのです。昭和10年代の防空壕とかそんな雰囲気が。

どなたかご存じないでしょうか?


※ちなみにこの記事で400本目の記事です。
 皆さま、今後ともよろしくお願いします。


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2009年1月20日 (火)

葉っぱの昭和ビル(神戸市)

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神戸元町の栄町通に出かける用事がありました。
栄町通の表通りはかつて金融街だったようですが、海岸通との間にある裏通りに丈の低いレトロビルが散在し、小さな雑貨店・セレクトショップが集まっています。

現在の住所は栄町通や海岸通ですが、昔は「内海岸(通)」、通称「乙仲通」といって、海産物問屋や通関業者があったようですね。→神戸市HP「神戸建築物語 第5回」

そんなビルの一つが昭和ビルです。
名前からして昭和の初めに建ったんだろうなと思いますが、『兵庫県の近代化遺産』によると、やはり昭和10年の建物です。

お店が入っているので、中も見られますが、もう薄暗いので今回は入っていません。

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表から見ると比較的飾り気が少なく、3階のアーチ窓と、面格子にジグザグ・デザインが入るのが目に付くぐらい。

館内の案内に「南側」を分けて表示してあったのでどういうことだろうと回ってみると・・・

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細長いビルで、反対側の細い道にも面しているのでした。
2階にバルコニーまであってこっちの方が面白い。
装飾が多くて、表との統一感がなく、こちらは2階ですし、こちらが先で、表は増築(あるいは改築)なのでは?

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軒蛇腹は葉っぱで、角にも葉っぱ。
ここまでストレートな葉っぱデザインはありそうで少ない気がします。

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とにかく至るところに葉っぱ、葉っぱ。
裏通りの楽しい葉っぱのビルです。

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2009年1月18日 (日)

岡町住宅地の玄関・側溝(豊中市)

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阪急宝塚線の岡町駅の西側には、岡町住宅会社により、大正4年(1915年)に開発された岡町住宅地が広がっています。開発面積は75400坪。このような和風の落ち着いた街並みが今も残ります。

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中にはシンプルな洋館が付くものもあります。

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美しいのが玄関周りで、大きめの花崗岩を橋と入り口に使い、間をカラフルな敷石で埋めています。

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裏に入った通りには一列分、昔の門構えが残っていました。これは壮観。

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また、側溝の底に浅いU字の陶器を敷いている部分があります。その上には煉瓦積み。

090114okamachi6s煉瓦の刻印は六光星。見たことがある気もしますが、どこの会社のでしょう。

足元にもこだわりを感じる住宅地です。

(追記)
豊中市教育委員会が発行している「文化財ニュース豊中」No.35(2009年3月31日発行)に、「岡町住宅経営地の遺構 −煉瓦溝からたどる近代郊外住宅地ー」という興味深い記事が掲載されています。
岡町住宅経営地全体の側溝を調査されていて、側溝の分布はほぼ開発地の範囲に一致していたそうです。
また、刻印は、大阪窯業が多く、岸和田煉瓦、貝塚煉瓦、日本煉瓦、また製造会社の分からない六光星や二本線、旭日の刻印もあるそうです。
地図も掲載されていますので、ご興味のある方は入手してみてください。
(2011.12.24記)

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2009年1月13日 (火)

少しだけ額田山荘(東大阪市)

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豊浦の後、郊外住宅地の額田山荘に向かいました。
額田山荘は、額田駅の東北に昭和7年(1932年)、大阪電気軌道(のち近鉄)が開発した5000坪の住宅地。終戦後の米軍撮影空中写真をみると、緑豊かな住宅地です。

近鉄奈良線の額田駅前にはちっちゃなロータリーがあって、それだけで郊外住宅地気分が高まります。

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でも歩いていても、明らかに古いという住宅は見当たりません。いかにも「洋風建築です!」という住宅は、ということですが。

目立つのは、屋根の傾斜がかなり緩い住宅。大阪の街を見下ろす眺望が売りのこの地域で、互いに視界をさえぎらない工夫かもしれません。

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こんな感じです。

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歩道のない道路に街路樹が植わっていて、近代の住宅地らしくなってきました。今ならこういう植え方はできないですね、たぶん。

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いよいよ額田山荘の中心部へ。
この通りは山荘の名にふさわしい、ロックガーデンのような石垣・生垣です。

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額田山荘会館の前に、山荘自治会の案内板が立っていました。
額田山荘の範囲は分からないのですが、だいたいこの自治会のあたりだと思われます。
「山荘」の名前も生きているものの、住所でいうと東大阪市山手町です。

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ちょっと気になる石積がありました。
暗くて分かりにくいですが、両脇に円筒形の石積があります。何か案内板でも立っていたのでしょうか。

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少し坂を上がって、ようやく洋館付き住宅を1軒見つけました。
眺望のいい位置で、サンルームに仕立てられています。

ここで日没タイムアウト。額田山荘は建て替えが進んでいるのか、半分ほど歩いて、あまり収穫なしでした。

石切方面まで歩こうと思っていましたが、それはまたの機会として、それも含めて、もう少し周辺を歩き回る必要がありそうです。

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2009年1月11日 (日)

東大阪ものづくりの源流−豊浦界隈

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枚岡公園の後の話です。
枚岡公園の入り口、豊浦川の脇には休憩所のようなお店があります。ひと休みして豊浦川沿いに国道308号(これでも国道です)を下りかけ、ふと左の建物を見ると、うっすら墨で「伸線」の文字。もしかしてと、休憩所に戻ってご主人に確認すると、やはり水車工場だったそうです。豊浦川の上流にはさらに3つの水車工場があったとのこと。

枚岡の伸線工業は、天保年間終わり頃(1840年代後半)、行商人の車屋利兵衛が始めたそうです。最初は人力でした。当時、生駒西麓の谷では水車による製粉や搾油などが行われていましたが、幕末からこれに伸線も加わりました。明治10年代から豊浦谷の水車を利用した伸線製造が盛んになっていきました。(大阪商業大学図書館「枚岡の伸線工業」より)

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見ての通り、高低差があり、向こうには大阪の街が見えます。
水車工場を建てるには適地だったわけです。
大正3年に大阪電気軌道(のち近鉄奈良線)が枚岡経由で奈良まで開通すると、昔の電鉄会社によくあるように周辺に電力が供給され、水車工場は電化されるとともに、より広い土地を求めて扇状地に下っていきました。雨量に左右される水車工場と違い、通年操業できる電力によって伸線工業は発展し、東大阪のものづくり集積へとつながっていきました。

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枚岡の中心である豊浦では、このような下見板の古い工場を見ることができます。

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話が先走ってしまいましたが、豊浦川沿いに下っていきます。
豊浦川はこんなに川幅の狭い川です。古くから開発されていただけあって、あちこちに石橋がかかっています。

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大正8年に枚岡土地が枚岡駅東北の生駒山裾に住宅別荘地を開発した(「大阪府の近代化遺産」p66)そうなのですが、あるいはこのあたりのことなのでしょうか。2階に眺望部屋をもつ近代和風建築らしきものが建っています。

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風流な円窓をもつ家もあります。茶室でしょうか。

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豊浦川は豊浦の集落に入りジグザグに扇状地を下っていきます。ここからは川を離れ、豊浦の集落を歩きました。

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枚岡神社があることから分かるように豊浦は古くから開けていた土地ですが、その後も暗越奈良街道のルートとして要地でした。集落内に枚岡中央公園があります。ここは室町時代以来の豊浦村の有力者・中村氏の屋敷跡。そして、大阪夏の陣でここに家康の本陣が置かれたそうです。なるほどここなら大阪の街が一望できます。

ちなみに右手に見える楠は、大正13年の皇太子殿下ご成婚記念植樹との石碑があります。

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また近くの豊浦公民分館には、昭和30年の産業戦士像が横たわっています。銘板を読むと、この台座は昭和9年のもので、大楠公像が立っていたそうです。戦時の金属供出で撤去されたため、娘さんが改めて寄贈されたのだとか。それぞれの時代の報国の忠臣といえるかもしれません。

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少し上手の小公園には、昭和13年の恐らく国旗掲揚台がありました。「祈武運長久」と書かれています。

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でもそんな雰囲気と一線を画して、旧枚岡町役場(大阪東信用金庫東大阪営業部豊浦出張所)があります。枚岡村が昭和14年に町制施行して枚岡町になりますが、そのときの建物らしいです。

ぷにょさんが、まちかど逍遥「枚岡公園のサプライズ」で書かれているのを見て訪ねました。

明るいスパニッシュ風。昭和13年に国家総動員法が制定され、既に戦時の物資統制が始まっているのに、そういう時代の雰囲気を感じさせない建物です。眺めるには素敵な建物。それが当時の枚岡町の雰囲気だったということでしょうか。

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豊浦にはこんな建物も。下見板の建物に前面を看板建築的に改築しているようです。シンプルながら、縦3本ラインの桟に統一感と品の良さを感じます。

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豊浦を後に、今度は額田川に沿って再び登っていきます。
これもぷにょさんが紹介されている洋館付き住宅。
白に赤い縁取りの三角形がモダンで、どこか近代建築の写真で見たことのあるデザインなのですが、何だったか思い出せません。

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さらに登っていくと、線路脇に「大師橋」という古そうな石橋が架かっています。
橋板に刻まれた文字を読むとなんと文久4年(1864年)。
江戸時代とは思いませんでした。

坂を登り、大正時代の額田山荘へと向かいます。

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2009年1月 7日 (水)

元演習林の枚岡公園(東大阪市)

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枚岡神社のあと、北隣にある府営枚岡公園を探訪しました。
枚岡公園は、昭和13年(1938年)に当時の枚岡村から寄付された土地と現大阪府立大学の演習林を合わせて、府営公園として開園しました。
公式ホームページ
暗越奈良街道(今は国道308号)が通る豊浦谷とその両側の尾根が森林公園になっています。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
まさに山でしょう?

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北側にある正門から入ると、古い門柱が立っていました。
右→左の文字なので戦前でしょうね。
武骨な石積です。

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そこから豊浦谷の方に歩いていくと、あれ?、これは!
昔のものらしい休憩所が残っています。
奥が店舗だったのではないかと思いますが、よく壊さずに残してくれたものです。

手前の丸いテーブルみたいなものは、先ほどの門柱に共通するテイストで、丸石が貼られています。
真ん中にパイプが通っていますから、水飲み場だったようです。

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休憩所の中央には十字のベンチ、四隅にL字のベンチが置かれています。

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縁の部分に柱の基礎が残り、もともとはひさしが差し掛けられていたようです。

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縁の部分は、石が敷かれて煉瓦で縁取られています。

090103hiraokakouen6煉瓦の刻印は、日本煉瓦(株)(推定)の四弁花か。

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西面の換気口は丸に十字。北面、南面は長方形×2のタイプです。

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腰の部分は幾何学的な石張りでこれも色合いがきれい。

この建物だけで来た甲斐があったと満足してしまいました。

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豊浦谷の谷筋にはいくつかお寺があります。
こんなところに塔があると意外性を感じます。

前から生駒の谷筋にたくさんのお寺があるのが気になっていたのですが、最近、「朝鮮寺」というキーワードを知りました。昭和20〜40年代に(意外と新しい)、在日韓国・朝鮮人の人たちが信仰するお寺が、生野区からの便が良く、聖地である生駒の谷に多数作られたそうです。その数、20ほどもあるとか。水車工場から寺院への転換もあったようです。まだまだ知らないことがたくさんあります。
 →wikipedia「朝鮮寺」

誤解を招きそうですが、上の写真の寺は違うようです。
暗越奈良街道沿いということでのお寺ではないでしょうか。

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谷沿いに遊歩道が続き、赤い豊浦橋なども架かっています。

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ちょっとしたハイキングで、南側の枚岡山展望台に登ってみました。
! 大阪平野はもちろん、北摂、六甲、淡路島から泉南の山まで見渡す、非常にいい眺め。私の好きな曇りがちの空で、光の帯がうつろって、いつまでも見飽きません。

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<淡路島から四国>

勢いで、北側の額田山展望台にも登ってしまいました。
額田山の方が視界が開けていますが、足下がなくてベンチのある枚岡山展望台の方が存分に眺めを味わえていいような気がします。

煙突の煙がシルエットになるドラマチックな夕空が見られました。ちょっとこの眺めは私にはうまく表現できません。肉眼ではもっとよく見えますが。

冬なので特に良かったのかも。非常にお勧めできます。

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2009年1月 4日 (日)

枚岡神社に初詣(東大阪市)

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今年の初歩きをどこにしようかと迷い、行ったことがなくて、お正月らしく初詣のできるところということで、枚岡を歩くことにしました。枚岡には枚岡神社のほか、枚岡公園、郊外住宅地などがあり、見どころが揃っています。

生駒山地を目指して走る近鉄奈良線は、東花園駅を出ると徐々に高度を上げ、瓢箪山駅を過ぎると大きくカーブして山麓に取り付きます。ぐんぐん登って枚岡駅。枚岡駅の標高は50mほどで、上の写真のように大阪平野が見下ろせます。

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駅のすぐ西側には山小屋風の元銭湯の建物があります。
何にも使われていないようです。
→ひろさんが「近鉄枚岡駅裏の元銭湯」で書かれていますのでそちらをご覧下さい。

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また駅のすぐ東側には洋館付き住宅が建っています。
駅を降りたとたんに期待を高めてくれます。
手前は交番ですが、この柵なら和洋折衷下見板の交番が似合いそう(想像)。

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傾斜地なので階段は必須ですが、ちょっとした通路にもちゃんとした石段があって、行き先を確かめたくなります。

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堅牢でほれぼれするような階段一体の石垣。年季が渋さを加えています。

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よそ見し出すときりがないので、邪念は抑えて神社にお参りします。
参道は駅のすぐ東側から始まっています。
というより、二の鳥居の場所に駅ができたらしいので、参道を分断して駅があるといった方が正しいのでしょう。

「元春日平岡大社」と書かれた石柱が立ち、下に「左なら」と書かれています。
枚岡神社は河内国一の宮(律令制で各国の序列一位の神社)で、社伝によれば、創建は紀元前3年に神武東征の折り、山上の神津嶽に天児屋根命・比売命の二柱(中臣氏の祖神)が祀られたことに始まり、650年に平岡連(中臣氏の支族=藤原氏系)らが現在地に神殿を建て、祭神を遷座したとされています。その後、768年に奈良の春日大社(藤原氏の氏神)が創建される際に、この神社の二神と鹿島神宮の二神が分霊されたので、「元春日」というわけです。

なお、この場所は難波から奈良に抜ける最短ルートの暗越奈良街道が通っていますので、そういう位置の重要性と無関係ではないのでしょう。

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参道は上り坂と階段で、正月なので両脇に屋台が並んでいます。
しかし、それほど長い参道ではありません。
すぐに拝殿が見えてきました。

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春日大社などと同じく、神の使いとして、鹿の石像が置かれています。

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対で母子の鹿も。
残念ながら(?)、境内に本物の鹿はいません。

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この神社には禊場(みそぎば)もあります。
隣にちゃんとした脱衣場がありましたから、利用頻度も多そうです。

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本殿は4つの社殿が並ぶ春日大社式。
春日大社か鹿島神宮から778年に二柱の神様(藤原氏の守護神)を勧請して、春日大社と同じ神様を祀るようになったそうです。

神社の合祀などによって集まった神社も多く、それほど広くない境内ながら、歴史を感じさせる神社となっています。

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2009年1月 2日 (金)

心斎橋の残りもの

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<心斎橋そごうの東50m>

まだどこにも出かけていませんので、
昨年紹介しきれなかったものから少し。
心斎橋のまちなかにある残りものを紹介します。

まず心斎橋そごうの近くにある石畳の路地です。
植木や水盤があるのがいいですね。
奥には蔵もあります。

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<心斎橋大丸南館の南側>

心斎橋大丸の近くにも石畳。
ここはそれだけが残っています。

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<ビッグステップの南50m>

ビッグステップの近くにある細い通路を入ると蔵があるのが見えました。


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表に回ると「オービットステージⅢロジック」という昨年12月にオープンしたばかりの商業施設でした。横の通路を入っていくと・・・

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蔵自体は、飾りのように、きれいにして残されています。

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<原田産業ビルの向かい>

こちらは南船場ですが、原田産業ビルの向かい側。
ガラスブロックが1個だけ残っています。

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この前まではこれだけ残っていたのですが。
中華料理店ができたときに改装されたようです。

まちなかでも案外、いろんなものが残っています。
上の商業施設のように、アクセントとしてうまく取り込んでもらえるとうれしいのですけど。

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2009年1月 1日 (木)

あけましておめでとうございます

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皆さま、明けましておめでとうございます。
(新年から暗い写真ですみません。)

2005年の9月にこのブログをスタートしましたので、約3年4ヵ月になります。
マイペースながら、毎日たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございます。

今年の予定としては、
冬は住宅地、夏は公園を中心に回りたいなと思っています。
春は遠出で、秋は公開文化財という感じかと。
関心のあるテーマは、郊外住宅地、近代公園、旧街道、港町などで、それは変わりません。

できれば、「何もない」という町から、いろんなものを見つけていきたいと思います。
どんな場所でも楽しいものを見つけ出すという原点を忘れずに。
そして、もっと皆さんとコメントのやりとりができるような話題提供ができたらと考えています。

 参考まで、2008年年間の検索ワード上位を紹介すると、

 1.学士会館
 2.サイクリング
 3.しまなみ
 4.大阪
 5.旅行

 検索ワード/フレーズでは、
 1.しまなみ+サイクリング
 2.山東省煙台国際海運公司+倒産 
 3.学士会館
 4.学士会館+ホテル
 5.学士会館+宿泊

 学士会館かしまなみサイクリングか、という結果です。
 海運会社の倒産はこのブログには関係ないのですが、情報がないのか、
 夏頃にかなりのアクセスがありました。
 もう少し短期間(1ヵ月とか)の方が旬の話題が見えそうです。

それでは、今年もよろしくお願いいたします。

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