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2008年11月

2008年11月29日 (土)

国道2号の夙川橋

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以前、玉江橋(尼崎市)の紹介で書きましたが、新阪神国道(昭和2年開通。国道2号の一部)の建設に際して、一斉に多くの橋が架けられています。
西宮市の夙川橋もそのとき、大正15年(1926年)に架けられました。
その名の通り、夙川に架かる橋です。

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赤茶けた親柱はシンプルで、その上に今風にいうと携帯アンテナのような街灯が乗っています。
親柱と欄干の色が違うのは、欄干が改修されているからでしょうか。欄干も形は踏襲されているのではないかと思います。

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橋の4隅はセットバックして、さらに柱が立っています。デザインは親柱と同様ですが、何も乗っていません。

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玉江橋と関連性を感じるのは柵の鉄格子のデザインです。似ているけど違う。そこが見比べる面白さになっています。このデザイン、打ち出の小槌じゃあないでしょうね。

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2008年11月28日 (金)

伊勢竹原の駅前セット

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三重の津市美杉町(旧美杉村)に出かけた帰り、コミュニティバスで伊勢竹原駅に降り立ちました。この駅前は、「懐かしの駅前」のセットのようです。

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駅舎はこじんまりしています。
昭和10年に開業したときの駅舎で、「伊勢竹原驛」と右→左に書かれたタイル、洋風長屋でよく見る丸窓に二本の手すり状金具といったものが残っています。トイレも古い。

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待合室から駅前通りを眺めると、ここが自分の田舎ではないのに、田舎に帰ってきた感覚があります。

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駅前には総2階建ての大きな商家。

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2階の戸袋に壺の絵が残っています。
昔はお茶を商っていたのでは?


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タバコのショーケースには、木格子でアールデコ調のデザインがありました。
こういうデザインを何というのか知らないのですが、歯車などが読み込まれて、「工業万歳」の気分が感じられます。

懐かし気分に浸っても乗り遅れにはご注意。
次は2時間後です。

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2008年11月26日 (水)

彫刻づくしの京都府庁

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翌週また京都へ。
まだ見てなかった京都府庁の秋の一般公開を見に行きました。
府庁前は釜座通りのけやき並木で、ここだけ見たらパリみたい。そこまで見せることにこだわった計画をしています。
京都府庁旧館は、明治37年(1904年)に竣工した100年前の庁舎です。

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正門前には浅い堀があり、石橋を渡って入ります。こんなとこまで、しっかりつくっています。

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近くで見るとますます立派な建物。
柱に車寄せ、三角破風に装飾がふんだんに施されています。
屋根は天然スレートだそうです。

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窓に石柱・石梁を使っているのが面白く思います。

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玄関を入ると正面には立派な階段ホール。
大理石のぜいたくな階段です。

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正面以外の階段手すりは木製ですが、やはり細かい彫刻が施されています。柱頭のアカンサス(ハアザミ)のモチーフは館内あちこちに用いられています。

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特徴的なのがアーチとベランダで、とくにアーチは至るところにありました。こういうところを歩いていると府庁の中という気がしません。

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2階正面は正庁になっています。この日はクラシックコンサートが開かれていました。天井の高い大きなホールです。

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府庁内部は思った以上に見るところが多く、とくに食堂、そしてこの知事執務室がもとの雰囲気で残されています。奥が知事の机です。この2部屋はボランティアらしき方がついて説明してくださっていました。

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知事室の扉の上の飾りです。こんな目立たないところにも細かい彫刻を使っているんですね。

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暖炉ももちろん凝ったものです。
知事室の暖炉は木とタイルと鉄でできています。

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金属の覆いには可憐な植物模様が刻まれています。ひなぎくでしょうか。

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貴賓応接室の暖炉は大理石でできています。
それも彫刻でいっぱい。ためいきが出ます。

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この繊細さです。
なんと手間をかけていることか。

京都府庁旧館は木・石・金属の彫刻がみごとでした。
このような彫刻の数々は、今なら許されないぜいたくでしょうが、100年も使ってまだまだ価値をもつのを見ると、果たして壊しても問題ないものを作るのとどちらが無駄なのかななどとも考えさせられます。

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美しいものを見た後でこういうものも。
昭和3年に設置された知事・部長登退庁表示灯というものだそうです。

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なお、府庁と同じ敷地に京都府警察本部(昭和4年)も立っています。
明治建築と比べると当然ながら装飾は少ないですが、玄関のアーチなどにセセッション風(?)の幾何学模様が入っています。
ここにある限り、ずっと脇役というのが気の毒なような。

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2008年11月24日 (月)

栗原邸(旧鶴巻邸)の見学会(京都市山科区)

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かなり前のことですが・・・
11月8日・9日と、山科にある栗原邸(旧鶴巻邸)の一般公開があり、参加してきました。
(この建物については、ひろさんやぷにょさんも紹介されていますが、伏せ字にされてますのでリンクはやめておきます。)
栗原邸は御陵の駅から坂道を登りつめた先にあります。山科盆地でもかなり高いところといっていいでしょう。すぐ上を琵琶湖疎水が流れています(後述)。

(追記)
 2013年5月25日(土)・26日(日)・6月1日(土)・2日(日)にも一般公開されるようです。
 詳しくはこちら →京都発大龍堂通信
 (2013.5.15記)

私は旧東海道と疎水に寄り道したので裏からのアプローチでした。外観からコンクリートブロック積みの建物なのですぐ分かります。
正直なところ裏から見ると魅力は感じにくいのですが・・・

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表に回ると全く違った表情で、半円のポーチと2階サンルームは皆さんが紹介されています。
竣工当時はほとんど庭木がなかったそうですが、今は森に囲まれています。

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事前予約が必要にもかかわらず、たいへん盛況でした。すごいでしょう、この靴。
このときは撮影に関しては何も言われませんでしたし、・・・というよりほとんどの人が写真を撮っていて撮影会の様相でしたので、内部の写真も紹介します。

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まず客間でギャラリートークを聴きました。
講師は京都工芸繊維大学の西村征一郎名誉教授と笠原一人先生、そして配線と照明を担当されたヤマギワの方です。

まずこの建物の概要ですが、昭和4年(1929年)に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の校長だった鶴巻鶴一氏の自邸として建てられました。設計者は同校の教授だった本野精吾で、(正面玄関の半円部以外に)中村鎮式コンクリートブロック*を使ったモダニズム建築です。外観はコンクリートがむき出しの斬新なデザインですが、内部はうって変わって木を生かした落ち着いた空間です。染織家であった鶴巻鶴一氏の襖絵などもあります。

この建物はその後、1941年に広告業・萬年社社長であった栗原伸氏に売り渡されます。ところが1945年に終戦で米軍に接収されてしまいました。1957年にようやく返還され、再び栗原家の所有となっています。米軍接収時代にペンキを塗られたり、建物が傷んだようですが、照明や家具などはもともとのものが残っているとのことです。

ギャラリートークの最後にDOCOMOMO Japanから栗原邸が優れたモダニズム建築物として選定されたパネルの授与式が行われました。ご当主の栗原さんは背筋のしゃんとした方です。散会後、奥さんは説明に残られたのですが、建物や調度品について熱心に説明されて人垣が絶えませんでした。

*中村鎮式コンクリートブロック:L字やT字のブロックを組み合わせ、間に鉄筋コンクリートを流し込んで仕上げる、現場で型枠不要の合理的な建築構法。1920年代初めに中村鎮が発明し、関東大震災でその耐震性が実証された。

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ダイニングルームは襖を開けると客間と一続きになります。襖には桜の絵、奥には大理石の暖炉があります。この日はあいにくの曇天で、元のままの照明が非常に暗いので、写真を撮るのはなかなかたいへんでした。よく元のままに使ってきてくださったと思います。

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ダイニングルームのランプシェードは模様入りのステンドグラス風。

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2階の階段。階段も手すりも親柱も床も全て木です。非常にきれいな状態でした。手すり子はそろばん玉状のシンプルなデザインです。

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この家で一番気に入った部屋はここです。谷の向こうに山科盆地を見下ろすことができます。天気のいい日ならもっと気持ちがいいことでしょう。

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2階の寝室。このベッドなども本野精吾のデザインだそうです。なんでもやってしまうんですね。

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2階の照明は非常にシンプルで、何か足りないのかと思ってしまったのですが、もともとこういうものなんだそうです。白い反射板はプラスチックではないですよ。大理石だそうです。

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1階の染色部屋の天井。ところどころ、天井が剥落して、コンクリートブロックや鉄筋などの構造が分かります。この日もカンパが募られていましたが、ご本人だけでは維持していくのはたいへんかなと思います。

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屋上は眺めの良いテラスになっています。裏側からは疎水を眺められます。
ひさしが出ているのが画期的な工夫だそうです。

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栗原邸の裏側です。向こうに水門が見えますが、その向こうが琵琶湖疎水です。
なぜこんな不便なところに家をと思うのですが、当時、鶴巻氏は校長を退任されていますので、水が豊富なこの地で、染色に没頭したいということだったのかも、などと想像しました。染色部屋はダイニングのすぐ脇に置かれています。

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ついでに疎水の構造物を紹介しておきます。
第2トンネル東口。題字は井上馨の「仁者は山を以て悦び、智者は水と為るを歓ぶ」。山を水が流れれば、どちらも喜ぶということか。

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第2トンネル西口。題字は西郷従道の「山に随いて水源に至る」です。

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第3トンネル東口。題字は松方正義の「過色松色を看る」です。
デザインされ、題字が彫られることで、一大国家プロジェクトであることがよく分かりますし、ただの土木構造物以上のものになっています。

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なお、第3トンネルの手前には、日本最初の鉄筋コンクリート橋(明治36年)という、ささやかなアーチ橋がかかっていました。対岸には立派な記念碑まで立っています。鉄筋コンクリートブロック住宅の近くに、最初の鉄筋コンクリート橋、面白い偶然です。

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栗原邸が建った当時、眼下に住宅はなかったそうです。
坂を下りていくと石畳のある和風郊外住宅地がありました。下に行くほど住宅が新しそうで、今では下まで住宅が一続きになっています。
しかし、疎水を背にした静かな環境は今も変わりません。

<関連記事>
 「旧ジョネス邸の内覧会に参加(神戸市)」
 「旧伊庭家住宅を見学」

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2008年11月20日 (木)

止まれのある風景(三重県津市一志町)

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まちかどのいろんなものに興味を持つ人がいます。
飛び出し坊やであったり、マンホールであったり、禁止表示であったり。
私の場合は、足形などで示される、歩行者用の「止まれ」表示です。
所によって表現やタイミングが違う、テンプレート・手描きの味わいが好きです。

 →出雲市の場合
 →大阪狭山市の場合

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2008年11月18日 (火)

近代産業発祥の村(四日市市室山地区)

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四日市市の四郷地区は近代産業発祥の地のひとつだそうです。
四郷の4つの集落の中でも、産業は室山地区に集中しています。
室山地区には小さな集落には不釣り合いなほど大きな酒蔵、工場が建ち並んでいます。

産業の源流は、江戸時代の明和元年(1764年)に味噌・醤油の醸造業を始めた初代伊藤小左衛門にたどれるようです。伊藤家の醸造業から様々な業種が派生しますが、醤油は享和元年(1801年)に創業したヤマコ醤油(旧株式会社伊藤醤油部)に引き継がれて、今も製造されています。

多いのは造り酒屋で、上の写真はその一つ、天保3年(1832年)に創業した合資会社笹野酒造部「白梅」です。道になだれ込んでくるような大屋根が見事です。残念ながら2008年3月31日に廃業されました。近くに「ザ白梅クラシックガーデン」という広い敷地の結婚式場がありますが、関連しているのでしょうか。

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こちらは山手にある神楽酒造で、安政5年(1858年)の創業。清酒「神楽」をつくっています。隣では昭和30年に酒造権を復活させた(株)ナカムラが、清酒「三瀧川」などをつくっています。

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同じ醸造で、田中酢店というお酢屋さんもあります。少なくとも明治にはさかのぼれるようです。

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でもやはり地区で目立つのは製糸業です。
文久2年(1862年)に五世伊藤小左衛門が始めた家内の手繰り製糸は、明治7年(1874年)に工場となり、後を継いだ六世小左衛門と甥の小十郎が器械製糸を完成、明治16年(1883年)に蒸気機関化しました。伊藤製糸場は明治33年に焼失してしまいますが、その後、明治36年(1903年)に建てられたのが上の伊藤製糸場新工場です。のち昭和16年に亀山製絲と合併して亀山製絲(株)室山工場となり、平成7年に操業停止するまで現役でした。壊される計画もありましたが、幸いまだ残されています。白い下見板の擬洋風の工場です。正門も当時のもの。

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旧伊藤製糸場の南側玄関の三角破風には、華やかな植物のような装飾が入っています。

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同じく南面の2階の軒には、ブックエンドのような持ち送りが並び、軒下には透かしなど、工場なのに(?)凝っています。2階屋根から飛び出た部分は通風用でしょうか。

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南側から見ると建て込んで見えるこの工場も、北側から見ると広々した空き地が広がっています。文化財の工場以外が取り壊されてしまったためです。

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一部煉瓦の構造物が残されていました。
旧伊藤製糸場は、おそらく傷みが激しくて大幅に補修しないと中が利用できないのではと推測しますが、せっかく残ったので活用していただければと思います。

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工場はまだあります。集落の遊歩道を歩いている見えてくるノコギリ屋根。

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東洋紡績グループのトーヨーニットの倉庫です。
十世伊藤傳七が明治13年(1880年)に北隣の川島村で始めた三重紡績所(川島紡績)は苦しい経営でしたが、明治19年(1886年)に渋沢栄一の援助を受けて三重紡績(株)として再出発、明治21年に四日市の浜町工場、明治23年に第2工場を立ち上げ、経営が軌道に乗ると周辺の紡績会社を次々買収、大正3年(1914年)には、大阪紡績(株)と合併して東洋紡績(株)になりました。

このトーヨーニットの倉庫は、もとをたどると十世伊藤傳七が創設した伊藤メリヤスの第1工場です。大正12年(1923年)に建てられました。下部は煉瓦で、上部は鉄筋コンクリートという、時代の過渡期を表すような構造です。
名古屋で設立された伊藤メリヤス商会は、明治37年(1904年)にここ室山工場を新設、明治39年にはこちらに本店を移して伊藤メリヤス合資会社となりました。

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隣に立つ第2工場(大正13年(1924年))の下部です。
周辺の民家と同じ川石の石垣が積まれ、花崗岩の切石、煉瓦、そして鉄筋コンクリートが重なっています。地層のようです。

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この道は第1・第2工場から続く構内道路で、右手に古そうな下見板張りの建物が並んでいます。この先にかつて室山駅がありました。明治44年(1910年)に村の有志の出資により軽便鉄道(三重軌道(株))の工事が開始され、翌大正元年に八王子〜室山〜日永間が完成。大正5年には四日市まで線路がつながりました。貨物主体の鉄道だったようです。

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再び西日野駅から帰りの電車に乗り込むと、今度は学校帰りの高校生で賑やかでした。
四日市駅では入れ替わりに四日市の高校生が乗り込んできて、今は高校生がこの電車の主役になっているようでした。

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2008年11月13日 (木)

紡績で建った旧四郷村役場

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四日市で用事を済ませた後、市内の四郷地区に向かいました。
産業遺産の村をみるのが目的です。

近鉄四日市駅で八王子線に乗ります。
高架駅の他の線とは別に、八王子線と内部線だけ地上です。
やってきた電車はおもちゃみたい。軽便鉄道の生き残りなんだそうです。軽便鉄道の名前は郷土史などに出てきますが、ここでは現役。

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もちろん中も狭くて一列ずつの座席しかありません。座席の向きが←−→の三両編成で短い路線を行ったり来たり。ワンマンなので終点に着くと運転手さんがかばんを持って反対端の車両へ。

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のんびり3駅で終点の西日野駅に到着します。
昼の小雨はやんで、空も明るくなってきました。
駅を出たまま、まっすぐ天白川沿いを歩きます。

今は四郷という地名はありませんが、明治22年から昭和18年までは四郷村がありました。天白川沿いに東から東日野、西日野、室山、八王子の四つの集落があるので四郷村です。四郷村は昭和18年に四日市市に合併されます。しかし、今も地区としての一体感を持っているようです。

天白川は低い丘陵地に細長い平地をつくって流れ、旧集落は川の北側に並んでいます。
昔は八王子まで線路が伸びていましたが、昭和49年の豪雨で道床を崩され、短縮されてしまいました。

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途中、丘の上に塔が見えます。
室山地区まで歩いてくると右手(北)に坂道があり、登っていくとこの建物が建っています。
旧四郷村役場の建物で、今は四郷郷土資料館になっています。開館日は土曜日のみ。ここがとりあえずの目標です。

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この役場は大正10年、東洋紡績社長だった第十世伊藤傳七翁が、地元に6万円を寄付して建てました。当時、全国一の村役場ともいわれたそうです。伊藤傳七翁は室山の出身で、四日市で三重紡績を興し、三重紡績と大阪紡績が合併して東洋紡績となったのでした。ちなみに綿業会館建設に多大な寄付をした東洋紡績の岡常夫専務も、三重紡績出身だったようです。寄付に積極的な気風があったのでしょうか。

設計者は野田新作といわれます。

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床下換気口を覗き込むと、ユニークなデザインです。
○に×のマークに意味があるような、ないような。
「四」が5つで「四郷」・・・というのも苦しいか。

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館内に入ると、地元のおじさま方が事務所に詰めておられました。
ボランティアで入っておられるようです。
無料なので記名だけして、「四郷ふるさと史話」という冊子があったので買い求めました。

近代化遺産の日の一斉公開に入っているので、2階にも登れないかなあと淡い期待があったのですが、普段通り1階のみの公開でした。2階は傷んでいて危険があるそうです。「二階にはアールデコ風の装飾が施された天井をもつ村会議場や小会議室」があるそうなので、見れなくて残念です。

階段も眺めるだけ。
踊り場の大きなアーチ窓がポイントになっています。
面白いのは木の階段の手前の部分に、雷紋?の布地が貼ってあることです。もしかして地元の絹でしょうか。

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裏側から眺めると1階は下見板、2階はハーフティンバー(木の骨組みを露出させた様式)の縦長格子に窓がぴったり納まっています。リズムのある壁面。

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展示室はいくつかに分かれていて、展示品がぎっしり。
それも養蚕、製糸、製茶、醸造(酒・醤油・味噌)、農業など、産業関連のものがいっぱい。ここ四郷は、近代産業発祥の地のひとつと言われています。明治の「殖産興業」という言葉が目に見える形であります。

四郷の近代化には、伊藤小左衛門翁(生糸と茶の工場生産)、伊藤傳七翁(紡績)という2人の先覚者の功績が大きかったそうですが、何が彼らを生んだのか、それが気になります。

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吉田初三郎風の鳥瞰図も飾られていました。
もう一枚、さらに大きな鳥瞰図もありました。
村のレベルを超えています。

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旧四郷村役場のある丘からは四日市の工場群を眺めることができます。
この村の人たちは役場の塔の3階から、発展していく四日市の様子を見ながら、自分たちの始めたことを誇りに思っていたかもしれません。

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2008年11月 9日 (日)

諏訪公園と旧四日市市立図書館

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四日市に用事がありましたので、ついでに諏訪公園を見てきました。

近鉄四日市駅の東は繁華街で、幾筋ものアーケードが縦横に走っています。
イオングループの前身・岡田屋の店舗もこの一角にありました。しかしイオンなどの郊外店化でこの四日市駅前も寂しくなり、創業の店も閉鎖されて空き地になっています。

そのアーケードのひとつは旧東海道です。四日市の産土神である諏訪神社が旧東海道沿いにあり、参道として賑わっていたからでしょう、表参道スワマエ商店街となっています。

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こちらが諏訪神社。1202年に信州の諏訪大社から勧請されて創建と伝えられています。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
この神社を鍵型に囲むように諏訪公園があります。
日露戦争時の明治37年(1904年)、諏訪神社がつくった「保光苑」という公園が前身のようです。(1905、6年という説も)明治40年(1907年)に四日市市の公園になりました。

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神社側から公園に入ると目に入ったのが大きな石の山。
「富士塚」か?と思ったのですがそうではなく、近寄ってみると「誓之御柱」と書かれています。
石段があって登れますが、登って何をするのでしょう。

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てっぺんには五角柱が建ち、「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ」に始まる「五箇条の御誓文」が刻まれています。よくあるものなんでしょうか。私は初めて見ました。誓之御柱は、琵琶湖の多景島に立つもの(大正14年)が有名のようです。

この御柱は、四日市で肥料・製油・石炭・運送などの事業を手がけた村山清八氏により、市民壇(今は南部丘陵公園に移築)・国旗掲揚塔とともに私財を投じてつくられたもののようです。(『発掘街道の文学四日市・楠編』)市民壇は昭和9年だそうですので、同時期でしょうか。

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公園にはどの方向からも入ることができます。南側部分は1990〜95年に、地下調整池を設置するのに合わせて、中世ヨーロッパ調に改修されています。ただシュロがたくさん植わっているのは元からではないでしょうか。

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その広場に向かって、スクラッチタイルの建物が建っています。
立ち上がる4本の柱が印象的。
旧四日市市立図書館です。昭和4年(1929年)に昭和天皇御大典記念として、地元の実業家・熊澤一衛氏が建設・寄贈したものです。熊澤一衛氏は、昭和6年には四日市銀行(のちの三重銀行)、伊勢電気鉄道など37社もの会社経営に参画、四日市を代表する財界人でした。

この図書館はその後、様々な用途に使われます。
もともと諏訪公園には大正5年に建てられた木造の図書館がありました。

(追記)

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奥に見えるのが木造の図書館かと思います。(2010.1.3記)

しかし、昭和20年の空襲で木造建物は蔵書もろとも焼失、鉄筋建物は空襲負傷者収容のため、市立病院に転用されます。昭和24年に返還されて、昭和48年の新図書館建設まで図書館、昭和51年から児童福祉施設「こどもの家」、平成15年に登録文化財に指定されるとともに大改修を行い、すわ公園交流館として生まれ変わり、今に至ります。

以上、すわ公園交流館の概要を参照しました。

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この建物、結構いろいろと遊び心ある装飾があるんです。正面2階には本の形のレリーフに2588と刻まれています。起工の年である紀元2588年=昭和3年を示しているそうです。
軒下の飾りも装飾的です。

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左の壁にはモチをつくうさぎ。熊澤氏の雅号「月台」に由来するそうです。銅像を建てるより、こっちの方が素敵です。

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右手には藤川勇造作「小児像の噴水」。最初からあったものだとか。藤川勇造はロダンに師事した彫刻家です。
2階バルコニーもいいですね。

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内部はかなりきれいになっていて、昔の様子はよく分かりません。東側の階段室の手すりも真新しいものでしたが、デザインは踏襲されているかもしれません。窓からは公園の緑が目に入ります。この軸線上に誓之御柱があります。

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面白いのは、図書館の裏に1階分の盛り土があり、2階に直接入れるようになっています。のちの改造だとは思いますが。2階では子供たちが卓球で盛り上がっていました。

諏訪公園には、昭和戦前期を物語る寄贈物が並んでいます。時代背景にも関わらず、親しみやすい旧四日市市立図書館は、これからも愛されつづけることと思います。

○関連ブログ記事
 ぷにょさんのまちかど逍遥「近鉄内部線」

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2008年11月 8日 (土)

国道2号の玉江橋(尼崎市)

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尼崎に行ったついでに玉江橋を眺めてきました。
尼崎の国道2号線にかかる橋です。
国道2号線の阪神間部分は、昭和2年に開通した軌道併用の新阪神国道を踏襲しています。
長さ十間(18m)以上の橋が51もあったそうで、この玉江橋も大正15年ですから、そのときに架けられた橋です。

玉江橋はスマートな親柱が目立ちます。てっぺんにはラジエーターのような飾り、ピラミッド型の照明?、足下には格子模様が入って、大正時代らしくモダンで装飾的。

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落下防止が後から追加された以外はよく原型をとどめているそうです。

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親柱から、柵、欄干の柱まで、格子模様が連続するのが見どころのように思います。

電車から見ていても、国道2号線の橋は見どころが多いので、一度、自転車で2号線の橋巡りをしたいと思っています。

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2008年11月 6日 (木)

近代の郊外住宅地と別荘地、社宅

今までに紹介した近代の郊外住宅地と別荘地、社宅のインデックスです。
住宅地の名前のないものも、固まっていれば入れています。
年は開発開始年です。

○京阪神
<明治期>
 明治43年 池田室町住宅地(池田市)
 明治44年 桜井住宅地(箕面市)
<大正期>
 大正3年 鶴之荘住宅地(川西市)
 大正4年 岡町住宅地(豊中市)
 大正5年 雲雀丘住宅地(宝塚市)
 大正7年 満寿美住宅地(池田市)
 大正8年 キャラバシ園(高石市)
      浜寺住宅地=浜寺昭和町(4丁5丁)(堺市)
 大正9年 千里山住宅地(1丁目4丁目5丁目)(吹田市)
      田辺町住宅地(大阪市住吉区)
 大正11年 住宅改造博覧会跡(箕面市)
      春日出町住宅地(大阪市此花区)
 大正13〜14年 深江文化村(神戸市)
 大正14年 百楽荘(箕面市)
      稲野住宅地(伊丹市)
 大正15年 小倉町住宅地(京都市左京区)
      石橋荘園(池田市)
      旧大阪市営北畠住宅(大阪市阿倍野区)
 大正期 ニッケ社宅街(加古川市)
<昭和戦前期>
 昭和初期 浜寺昭和町1〜3丁(堺市)
      浜甲子園経営地(西宮市)
 昭和2年 旧大阪市営高見住宅地(大阪市此花区)
 昭和3年 旧大阪市営杭全住宅(大阪市東住吉区)
      藤井寺経営地(藤井寺市)
      甲子園住宅地の外側(西宮市)
      石切山荘園?(東大阪市)
 昭和5年 洛北(京都市左京区)
      桜ヶ丘経営地(高槻市)
      西住之江の洋風長屋(大阪市住之江区)
      上野芝向ヶ丘住宅地・前編・後編(堺市)
 昭和6年 大美野田園都市(第一期第二期)(堺市)
      浜甲子園健康住宅地(西宮市)
        入口1丁目2丁目3丁目
 昭和7年 額田山荘(東大阪市)
      千枝の荘→阪和聖ヶ岡住宅地(和泉市)
 昭和8年 二条通・三条通四条通・五条通
      六条通・七条通永山園丸保園(堺市)
 昭和9年 南海初芝住宅地(堺市)
      山本住宅地(八尾市)
 昭和10年 桜ヶ丘住宅地(箕面市)
 昭和11年 旧鐘淵紡績社宅(高砂市)
      園田住宅地(尼崎市)
 昭和12年 呉羽の里住宅地(池田市)
 昭和15年 狭山住宅地(大阪狭山市)
 昭和17年 住宅営団初芝住宅(堺市)※住宅記事なし

<不明>
 大正〜昭和? 箕面4・5丁目(箕面市)
 大正~昭和? 助松住宅地等()(泉大津市) 
 昭和初期? 池田室町住宅地の周辺(池田市)
 昭和初期? 聖天坂通〜晴明通(大阪市阿倍野区)
 昭和初期? 堺東駅の東()(堺市)

○関東
<大正期>
 大正11年 目白文化村(東京都新宿区)

 大正12〜14年 東京市営真砂町住宅(東京都文京区)

<昭和戦前期>
 昭和4年 同潤会上野下アパート(東京都台東区)

○四国
<昭和戦前期>
 昭和4年〜 住友山田社宅(新居浜市)

◆海外
○中国

 1930年代 八大関(青島市)

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2008年11月 5日 (水)

多治見60年代

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出張で多治見へ。
あまり時間はありませんが、駅前の下街道(善光寺道)を少し歩きました。
中山道=上街道に対する下街道というネーミングだそうです。

通りには多治見ながせ商店街と表示されています。
この通りには60年代の匂いを感じました。
商店街の店舗数のピークが昭和40年代だそうですので、その頃に建築・改修された建物が多いのでしょう。

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レトロな雰囲気ですが、売り物になっていないレトロ。

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古そうな陶器屋さんですが、きれいにされています。
上の窓には型板ガラスがはまっています。

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左が下街道で、右から別の道が合流しています。
間の壁面を装飾されていて、ガラスブロックがやはり60年代風です。

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そちらの道に入ると、全面、型板ガラスのはめられた町家がありました。中から洩れる光がとってもきれい! 
よくこれだけ割れずに残っていることと思います。

型板ガラスは1960年代半ばに大流行しますが、今はほとんど使われません。
時代を特定するのに役立つ化石を示準化石といい、ある時期に急激に増えて、急激に滅んだものが適していますが、型板ガラスなどそれに近いかもしれません。

今回初めて知ったのですが、大阪板硝子販売(株)さんのページで、型板ガラスのデータをまとめておられます。これは便利。
ここで、今まで時々見かけたこの型板ガラスが1964年製造の「のみち」という型だと知りました。名前と時代が分かってなんだかとってもすっきりしました。ありがたいことです。

多治見にはまた行く機会があるので、もう少し歩いてみたいと思います。
土岐川の南には古い街並みがあるようですし、明治町、大正町、昭和町も揃ってます。

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2008年11月 3日 (月)

裏庭的公園−江成公園(大阪市福島区)

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大阪市福島区吉野にある江成公園に出かけました。
江成(町)というのは、かつてのこのあたりの地名です。
この公園は戦時中の昭和17年にできました。

東から公園に入るとツタの絡まる白い壁がどどーんと。福島区民センターです。右手には消防署、左手には西野田幼稚園(昭和4年開設)、向こうには旧福島区役所がある福島区の行政中心。もっとも福島区ができるのは昭和18年なので、公園のできた当時は此花区でした。
公園のできた経緯を知りたかったのですが、今のところ分かりません。分かりましたら追記したいと思います。大正時代の地図では市街地なので何か理由があったはず。

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公園の中には象徴的にカナリーヤシ(フェニックス)が植えられています。新森中央公園でもそうですが、カナリーヤシはここぞというポイントにアイストップ的に単独で使われるようです。

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木々がよく成長して、うっそうとした木陰をつくっています。

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公園の端には八角形の藤棚。
福島区なので野田フジではないでしょうか。


より大きな地図で 近代の公園 を表示

ここで江成公園を上から見てみましょう。
北の一辺で、線で道路に接していますが、あとはぐるりと建物に取り巻かれている奥ゆかしい公園です。こういう形は珍しいのではないでしょうか。

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でも閉鎖的かというとそんなことはなくて、出入り口はたくさんあります。
この入り口はそのまま路地につながっています。

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こちらもお屋敷と西野田幼稚園に挟まれた通路の形で、道につながっています。

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そして、こういう子供が一番好きそうな裏口もあります。
形も不整形で、閉じたようで開かれている不思議な公園でした。

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ちなみに周辺は福島区らしい古い住宅地です。
このT字路の連続模様。福島区は路地の魅力にあふれています。
この公園はそんな町の裏庭といえるかもしれません。

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2008年11月 2日 (日)

ぐる博2008

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今年も、河内長野市の文化財公開事業「ぐるっとまちじゅう博物館」(略してぐる博)が開かれています。一昨年昨年に続いて参加しました。今年は加賀田地区が対象です。

会期は11月3日(祝)まで。
公式ホームページはこちら

今年も自転車で出かけました。
昨年とほぼ同じルートで加賀田川を遡ります。
まず内見橋(昭和6年)を渡ります。

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親柱に飾りのように猫が座っていました。
欄干はホームベース型の窓がくりぬかれています。
シンプルなコンクリート橋でも歳月を経ると味が出ます。

※槙平橋などの橋は昨年と重なりますので省略。

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最初に見学した公開文化財は伝大江時親邸跡。
大江時親は楠木正成に兵法を教えたとされる人物です。また、安芸の毛利氏の始祖ともされるそうです。

大和棟の民家は江戸時代中期のものとか。内部見学は初めてでしたが、建具や簀の子天井など古いものが使われているのを見ることができました。衝立や屏風などに文化の香りも感じられます。

屋敷の隣に明治35年の顕彰碑も立っています。戦前において、やはり楠木正成関連の史跡は特別です。

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川沿いに走っていくと、製粉工場がいくつもあります。
昔、この川には水車がたくさんあり、水車動力で製粉をした名残です。今は消えてしまいましたが、私も昔、水車が動いているのを見たことがあります。

後で紹介する旧加賀田村役場で、河内長野市の水車についての特集展示をしていました。
かつて河内長野には明治後期から昭和にかけて130余りの水車があり、半分が産業用、半分が精米用だったそうです。産業用というのは、製粉(線香材料の杉葉粉、漢方材料など)、製釘・伸銅、木工、さらしなどです。大阪東部の生駒山系でも同様に、電化前の産業用動力として、水車が大きな役割を果たしていました。のどかなイメージが強い水車ですが、近代化遺産の側面もあるわけです。

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道はどんどん山の中に入っていきます。
間伐作業が行われていて、ヒノキのいい香りが漂ってきました。

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次の会場の岩湧寺は標高500mもあります。昔来たことがあるのですが、そこまで大変だった記憶がなく、かなり消耗しました。

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岩湧寺は深い森の底にあります。
これは樹齢400年以上、高さ20m・幹周り6mというカヤの木。

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本堂と多宝塔。岩湧寺は役行者が大宝年間(701〜703)に開いたと伝えられる、山岳仏教(修験道)の重要な霊場でした。多宝塔は室町時代のものとされています。
この多宝塔の本尊・大日如来像が里帰り展示されていました。

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このような高い木に囲まれて、非常に厳かな雰囲気が漂っています。
疲れた身体に気持ちいい風が吹きます。

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自然公園となっている岩湧の森のすぐ外に、「ちぇるしー」というカフェがありました。土日祝日だけの営業だそうです。こんな山の中にあるとは。食事できるところはここしかありませんので、入ってみました。(すぐ近くにもう1軒、喫茶店があるのですがお休みでした)

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紅茶に力を入れているのが嬉しいところ。
店名になっている甘い香りのチェルシーなどを置いています。
私はスペシャルトーストセットにスコーンをプラスしてみました。水は湧き水を使い、地場野菜のサラダが付くなど、凝ってます。
山の緑を眺めてゆっくりできそうです。(私は先を急ぎましたが)

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延々と下って上東部集会所(旧加賀田村役場)へ。
大正11年に建てられた近代建築です。

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以前に撮った入り口の写真。

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この扉の木目が美しいでしょう?

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内部を見るのは初めてです。一度見てみたかったのでうれしい。
そんなに装飾などはありません。
1階の2部屋を使って加賀田村についての展示と水車についての展示が行われていました。
2階もありますが、非公開です。

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このカウンターは役場時代のものだそうです。
床の高さがかなりあって、「見下ろされるようですねえ」と解説の方がおっしゃってましたが、昔の役場との関係はそんなものなんでしょうか。

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最後に加賀田神社を見学しました。
石の参道・石橋・階段と灯籠に一体感があって美しい。
脇の社務所では、昔の絵図、絵馬を展示していました。

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本殿は元禄時代の建物とされています。
でも彩色は桃山風の派手さ(だと思う。復元すれば)
正面の彫刻をみてください。

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なんだかユーモラスに思える虎、龍、獅子でしょう?
また会いに来たいと思います。


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