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2008年10月

2008年10月29日 (水)

ひねりのある蔵

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豊中市の岡町のあたり、能勢街道脇に大きなお屋敷があります。
ちょっとまちなかとは思えない雰囲気。

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そこに、ひねりのある蔵がありました。
丸窓2つの蔵は見たことがありますが、ひねっている装飾は初めてです。
ひさしの瓦までひねりが入っています。
水の表現でしょうか、どんな意味が込められているのか知りたいところです。

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2008年10月28日 (火)

初瀬街道の近代−榛原

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長谷寺に詣でた後、まだ日暮れまで時間があったので、近鉄・長谷寺駅からもう一駅先の榛原駅に足を伸ばしました。初瀬街道でも長谷寺〜榛原間は国道165号と重なっています。わずかな道のりですが、ここが大和川水系と木津川水系の分水嶺になっています。

榛原に行こうと思ったのは駅の東に、近鉄の車窓から見える気になる建物があったからです。
それが上の建物で、はっきりしたことは分かりませんが、南都銀行の支店だったようです。白い壁面にアーチ窓の並ぶ銀行らしい建物です。石造っぽいデザインですが、土台以外はモルタルに目地を切っているだけのような気も。切り妻屋根なので骨組みは木造かも。軒が妙に幅広なのも気になります。

角には「左あをごえ道(阿保越え道) 右いせ本かい道(伊勢本街道)」と書かれた古い道標が立ち、ここが街道の分岐点だということを示しています。阿保越え道は初瀬街道で、伊勢神宮に向かう新しい道です。この辻は「札の辻」と言われ、ここ萩原の宿場町の中心でした。

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玄関部分に近寄ると、三角破風を載せた柱はくびれや飾りが多く、奈良の寺院っぽいデザインのようにも思います。木と金物で作っても違和感ないぐらい。

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そして、目立ちませんが、榛原町の道路元標も立っていました。これも町の中心である証です。
気になるのは、大正9年の記録で、榛原町の道路元標の設置場所が「郵便局前」とされていること。銀行以前は少なくとも大正9年まで郵便局があったようです。

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T字路の突き当たり、銀行の向かいには古い旅館のあぶらやがあります。

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「明治・大正・昭和初期の古民家を大切にする会」の設置した「登録古民家 中川家住宅」の表示があり、江戸中期の建物であることが示されています。ここ榛原では、独自の古民家の登録制度があるようです。これとは別に本居宣長が宿泊したことを示す看板も掲げられています。

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札の辻に立つと、どちらに行こうか迷います。辻は鍵状になっていて、西に行くと丘の上に榛原福祉会館(大正時代の旧県立蚕業試験所)(→日本建築学会近畿支部による保存要望書)があるようです。見逃しました。

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長谷寺方面の北に向かいます。どんどん引き込まれそうな街並みです。

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引き返して今度は東へ。こちらも古い街並みが続きます。

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石垣で固められた水路が古い民家を巻いて流れています。洗濯場でもあったようです。
この道の先がまた雰囲気が良かったんですが、住民の方がおられたので、写真は控えました。

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2階の手すりが宿屋だったらしいことを示しています。

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こちらも旅館らしき建物。明治初期の奥田家住宅です。

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持ち上げられたランプが看板になっています。

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向かいには染物屋さん。
広く窓を取って、見せる染物屋さんです。
これ以上深入りはせず、引き返しました。

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札の辻を南に行くと神宮の常夜灯があります(振り返ったところ)。

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昭和5年に参宮急行電鉄の榛原駅が開業します。
それ以後、町の中心は札の辻から線路の南側へ移ったようです。
駅の南に昔懐かしい雰囲気のお医者さん「成田医院」がありました。

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下見板の木造にパステルカラーのペンキ。
大正っぽい雰囲気を醸し出しています。

榛原は戦災も受けていますが、街並みは見どころがあります。
旧県立蚕業試験所も見たいことですし、近いうちに再訪したいと思います。

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2008年10月26日 (日)

初瀬街道の近代−長谷寺

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長谷寺門前町の門をくぐると(長谷寺の門ではありません)、旅館、旅館風の建物が連なり、長谷寺に着いた気分が強く感じられました。参道は結構、距離があります(1kmほど)。国道ではサイクリングの自転車と多くすれ違いましたが、ここでは徒歩の参拝客・観光客が多く行き交っています。意外と一人旅の人も多いようでした。

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歩いていくと、右手、川向こうの尾根上に長谷山口坐神社があります。長谷山の鎭(しずめ)の神社で、大山祇の神をまつり、また元伊勢(伊勢神宮が現在地に落ち着くまでに転々と遷座したという伝承の地)の磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域の碑も立っています。仏教以前の歴史の重なりを感じさせます。

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参道の左手に、茶房長谷路という和風喫茶店がありました。山田酒店という古い酒屋さんの併設です。
門を覗き込むとそこは池のある和風庭園。その向こうに登録有形文化財の茶房座敷(大正初期)などがあり、そこで食事やお茶をいただくことができます。

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池の飛び石をぴょんぴょん渡りながらのアプローチが素敵です。お客さんはお庭を眺めているので、注目されてちょっと恥ずかしいんですけどね。縁側には猫も座っています。

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道はだんだん坂道になり、側溝の水は走るように流れています。門の脇に洗い場が残っていて、こんなしつらえが私は好きです。

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やがて、伊勢街道との分岐に差し掛かりました。
古い道標が立っています。伊勢街道はここで初めて山越えに入ります。

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伊勢街道が大和川を渡るところには、伊勢辻橋が架かっています。重量感がありつつ細やかさも感じさせる装飾は昭和10〜20年代ではないでしょうか。あくまで印象ですが。

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再び参道に戻ります。左手に今度は白髭神社が見えます。白髭神社は猿田彦神をまつり、やはり伊勢とのつながりを感じます。白髭神社は渡来人との関係も言われています。

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参道は川の流れに合わせてほぼ直角に左折するのですが、左折せずまっすぐ行くと、天神山のふもとにある與喜(よき)天満神社に至ります。初瀬の地主神であった滝蔵権現が天神に社地を譲ったという伝承があります。聖地として様々な信仰が重層する場であることが分かります。

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参道が曲がると草餅などを売る土産物屋が増え、ゴールが近いことを感じさせます。
ふと目に入った高い石垣をもつ蔵。

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長谷寺が見えてきました(右上山中が本堂)。
ずっとお寺が視界に入らず歩いてきて、角を曲がると上空にぱっと見えるというのがいいです。平安時代の人がここまで来たときの喜びは相当なものと思います。

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上りの最後には、有名な399段の登楼があります。

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登り切ると本堂(右)、鐘楼(左)があります。
本堂にある本尊十一面観世音菩薩立像(観音様)はたいそう大きなものでした。

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本堂のすぐ前には礼堂があり、舞台が張り出しています。
ここからはさっき登ってきた参道と境内、周囲の山並みが見渡せます。
長谷寺はなぜこの場所なのだろうと考えて、答えは出ませんが、大和川を遡った奥まったところというのが、鍵なのかななどと考えていました。
舞台は、とても気分の良い場所です。

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2008年10月22日 (水)

初瀬街道の近代−大和朝倉〜長谷寺門前

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桜井〜長谷寺の街道歩きの続きです。
国道165号に沿って歩き、近鉄をくぐると大和川にぶつかります。
そこに昭和14年の新佐野渡橋が架かっています。時代相応のシンプルなデザイン。
このあたりを走っていた大阪電気軌道初瀬線(旧初瀬鉄道)が昭和13年に廃止されていますので、その後に道路橋に仕立て直されたのでしょうか。

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旧初瀬街道は国道を分かれ、趣きある佐野渡橋を越えます。
橋の架かる前は渡しがあったのでしょうか。

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橋の欄干には尖頭アーチのまどが開いています。
年代は分かりませんが、昭和初期のデザインに見えます。

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慈恩寺・追分の集落には再び古い街並みが登場します。
2階の虫籠窓、格子、水槽、軒下の犬矢来ときれいに整っています。

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パステル色のレトロな理髪店と美容室が並んでいます。
ご夫婦でされてるんでしょうね。

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集会所のような雰囲気の建物。少し荒れています。

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街道筋に小さな橋が架かっていました。

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築紫原橋です。大正5年(1916年)の橋。
親柱だけが古いようです。玉を載せたようなデザインがかわいらしい。

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黒崎のあたりに旧朝倉村の小さな道路元標(かつての道路里程の基準点)がありました。
このあたりが旧朝倉村の中心だったのでしょう。
この小さな道路元標を追い求める人もいます。

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玄関先を見ているとよく「八十八」と書かれたしゃもじが貼られています。
米寿のお祝いのしゃもじを玄関に貼る風習があるようです。
数が多いのはいろんな人にもらうから?

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蔵のような重厚なお宅もありました。
石造の門柱が近代風です。

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黒崎の白山神社。雄略天皇泊瀬朝倉宮伝承地の解説板と歌碑が設置されています。

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ちょっと脇道にそれて、コスモスの咲く橋がありました。
自然に生えたのなら素敵だし、植えたのならなかなかのセンスです。

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旧街道は再び国道165号線と重なります。
しばらくは国道を歩かないといけません。交通量が多くて落ち着きませんが、周りの田んぼを見るとのどかな田園風景です。
このあたりは美しい谷です。

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出雲の集落には十二柱神社があります。その名の通り、十二柱の神様をまつる神社。相撲の野見宿禰にちなんだ伝承もあるようです。出雲という地名といい、古代色の強いところです。

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出雲を抜けると長谷寺参道の門が見えてきました。
いよいよ長谷寺です。

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2008年10月16日 (木)

初瀬街道の近代−桜井

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以前、「初瀬街道の近代」として白山町(今は津市)の榊原温泉口駅から大三駅まで歩いたり、初瀬街道の宿場町・名張の町を歩いたりしましたが、今回は近鉄大阪線・桜井駅から街道の目的地である長谷寺まで約7kmの道を歩きました。(なお初瀬街道は伊勢街道でもあります)長谷寺に行くだけなら近鉄大阪線・長谷寺駅で降りれば近いのですが、旧街道歩きが主なので。

近鉄からJR線を越えて南側に出ると、すぐにこの洋館の離れらしきものが。
非常に状態はいいのですが、スタイルから見ると古そう。
後で気付いたのですが、ぷにょさんも取り上げておられます

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ポーチのゆるやかな曲線がいいです。
窓辺を飾ったりされていましたが、どう使われているのでしょう。

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すぐに本町通商店街の入り口があります。この通りが初瀬街道です。
初瀬街道=伊勢街道は、もともと奈良から山辺の道を南下して三輪の山裾を巻いていきますので桜井は通っていませんでした。三輪の方が賑わっていたようです。桜井は江戸時代、津藩領の宿場町でした。桜井の発展には明治26年の大阪鉄道開通が大きかったようです。山と都市を結ぶ桜井は木材の集散地として発展しました。また大阪方面から来る人の長谷寺の玄関口ともなりました。

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商店街を歩きながらふと横を覗き込むと古い銀行らしい側面が。表はトタンで覆われているので、見過ごしそうです。こちらもぷにょさんが取り上げておられます

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軒蛇腹は植物風の凝った模様の下に歯形もあり。

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窓には木製の格子がはまっています。
ここにもデザインが施されています。
雰囲気的に大正時代でしょうか。

昼時でもあり、斜め向かいのお好み焼き・焼きそばの「ときわ」さんでブタ玉を食べながら、若い2代目ご主人に聞き込みしました。この銀行は20年ほど前から閉まったままで、倉庫になっているそうです。「最初は聞いたこともないような名前の銀行で、何度か名前が変わって、最終的には京都相互銀行だった」とのことです。京都相互銀行は、昭和産業無尽→昭和産業相互銀行→1964年に京都相互銀行と商号変更しているらしいので、その関係か別の銀行か。

30年ほど前までは、宇陀・榛原方面からのお客さんが多く、本町通は土日は肩をぶつけ合うぐらいの賑わいだったこと、築地のルーツになったとも言われる歴史ある魚市場があり、クジラの解体ショーが行われていたことなど、貴重なお話を伺えました。こんな内陸で魚市場というのに驚きます。

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今はところどころ空き地もあります。
ボーリングのピンも寂しげです。

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商店街の途中では中央通商店街の道がクランク状に交差し、このあたりが賑わいの中心だったと思われます。この道は南の多武峰に続いています(写真は北向き)。

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このように広く街道に面して構える古い店もあります。

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アーケードが切れてからは、昔ながらの街並みが増えます。
こちらは山本五平薬局。雨樋はふつう両端にあるように思うのですが、この店は中央に立派な銅の雨樋が鎮座しています。看板代わりなのかも。

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「県下で一番古い 創業1845年 松田タンス店」という看板。江戸時代ですね。残念ながら閉まっているようです。木材の町らしい業種です。

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貯水槽などもちょくちょく見られました。
町を歩いていても車などは通らず、スーパーカブが一台通ったぐらい。
心おきなく町歩きを楽しめます。町としてはもっと賑わってほしいでしょうが。

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花模様の入った鉄の手すり。なかなかいいです。
脇道にも街並みは続き、際限なく吸い込まれそうなので、寄り道したい気持ちを抑えてまっすぐ歩きました。(でも改めて桜井の町を見に来よう)

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街並みがとぎれるところに現役の製材屋さんがありました。
「米松 梁(平角)専門」の文字が見え、専門分化が進んでいたようです。

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ここで交通量の多い国道165号と交差します。
国道には城山橋が架かっています。欄干をハシゴのような鉄パイプが串刺しにしていたり、親柱は円筒型にスリットが入っていたり、面白い形の橋です。昭和初期ぐらいじゃないでしょうか。

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国道165号との交差点は、宇陀が辻と呼ばれて、宇陀方面に通じる道が分かれています。途中に舒明天皇陵があり、右の石柱には舒明天皇御陵道と書かれているようです。
真ん中の立派な石碑は、碑文が漢文調で難しいのですが、武村彌七という人が、長年、粟原山の入会権でもめてきた集落間の調停を行った記念の明治36年の記念碑のようです。試しに「武村彌七」で検索してみたら、博徒として名前が挙がっていました。古き時代の情景が浮かびます。

ここまでで行程の3分の1ぐらいでしょうか。
楽しみながらあっという間です。

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2008年10月14日 (火)

博覧会跡の岡崎公園(京都)

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京都国立近代美術館で「アーツ&クラフツ展」を見た日のこと、この機会に岡崎公園を歩いてみました。岡崎公園には京都国立近代美術館をはじめ、大きな建物が建ち並んでいますので、公園というイメージは薄いかもしれません。でも明治に始まる古い公園なんです。

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<明治22年陸地測量部発行・京都中部実測図より>
公園ができたきっかけは、明治28年にこの場所で開かれた第4回内国勧業博覧会と平安遷都千百年紀年祭です。平安神宮もこの年に竣工しました。博覧会開催に合わせて日本最初の市街電車として京都電気鉄道会社が開業、会場までの路線もできました。ちなみに琵琶湖疎水は明治23年で、明治24年にできた蹴上の発電所が電気を供給しました。

その直前の様子を示すこの地図を見ても分かるように、用地買収をした当時は田んぼや空き地の広がる土地でした。もっともそれ以前、加賀前田藩の屋敷があった場所なので、不便な場所だったわけではありません。

博覧会場の跡地を整備して、明治37年に岡崎公園となりました。
現在の面積は10万2688㎡。
緑の枠で囲んだのが公園の位置です。

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<大正13年・京都衛戌地図より>
大正末にもなると建物が建ち並び、周辺も都市化しています。
しかし、よく見ると動物園は今と同じですが、図書館は今よりゆったりと建ち、京都市美術館は商品陳列場ですし、桜馬場があります。なにより、今は野球場になっている場所が博覧会場と書かれています。

岡崎公園では、大正時代に2つの大きな博覧会が開かれています。
大正4年の大正天皇即位大礼記念の「大典記念京都博覧会」と大正13年の「東宮殿下(昭和天皇)御成婚奉祝万国博覧会参加50年記念博覧会」です。この後者の建物ではないでしょうか。

以上、博覧会についてはこちらを参考にしました。


より大きな地図で 近代の公園 を表示
岡崎公園の現在の様子です。
今では初めに紹介した建物に加え、京都会館、京都市美術館別館(旧京都市公会堂東館、昭和5年)、京都市勧業館(みやこめっせ)などが立ち並んでいます。

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公園の南と西は疎水に囲まれています。

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京都市美術館から順に見ていきましょう。
京都市美術館は、昭和3年の昭和天皇即位の大典(大礼記念京都大博覧会を開催)を契機に、昭和8年「大礼記念京都美術館」として完成しました。
洋風の建物に和風の屋根が載る帝冠様式です。
正面の門はずしっと重量感があります。

 >内部についてはこちらの記事をどうぞ

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裏側に回ると和風庭園があります。
この美術館、4面ともに入り口があり、隙がありません。

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裏手には同じ配色の事務所(昭和8年)も建っています。

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裏門には表門と違ってこぢんまりした石柱が立っています。
気になっていたら、建築探偵つきのたぬきさんによれば、武田五一設計の京都陳列館の門柱だそうです。なんと。

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クローズアップで確認してみてください。

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京都市美術館が長くなりましたが、向かいは京都府立図書館です。
明治42年に武田五一設計で建てられた図書館を一部保存しています。
やわらかいアーチがやさしい印象。

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さて、公園は平安神宮の参道としての役目も果たしています。
そこにそびえる大鳥居は昭和4年の完成なのでこれも大典記念なのでは。

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参道を歩いていくと、右手に煉瓦と石の柱があります。
意味ありげなのに何の説明もありません。
この柱についても、建築探偵つきのたぬきさんが説明しておられます。すごい推理。
大正4年の「大典記念京都博覧会」の会場ゲートの門柱なのだそうです。それならプレートでも設置したらいいのに。

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参道の左側が一番、「公園」らしい場所かもしれません。
緑に覆われ、木が並ぶスペースです。

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最後に京都市動物園についても。
動物園は明治36年(1903年)開園です。
写真は昭和2年のカバ舎を外から見たところ。塀は煉瓦壁でしょうか。
他に大正12年のゾウ舎もありますし、また中にも入ってみたいと思います。

このように数多くの博覧会が開かれてきた岡崎公園には、様々な博覧会、記念事業の痕跡が残っています。

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2008年10月11日 (土)

ビルマニアカフェ2008

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10月11日・12日と2日間開催されたビルマニアカフェ2008に行ってきました。
会場は西谷ビル2号館3階です。

写真の正面は昭和32年建設(4階部分は昭和37年の増築)の本館、左は昭和40年の2号館、その左は昭和28年の1号館、右は昭和40年の3号館です。増築でできた複雑な構造です。
西谷ビルをもつ西谷商事さんは金属関係の商社で、自社ビルを兼ねてテナントビルを経営されてきたそうです。テナントは繊維関係の会社が多かったとおっしゃっていました。このビルができた頃、周囲にビルというと百十四銀行大阪支店と長瀬産業ぐらいしかなかったとのこと。

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このイベントは、戦前建築に比べて評価されにくい1950〜70年代の戦後建築の魅力を伝えてくれるイベントで、大バンさんの企画です。

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私はその中の館内ツアーに参加しました(11日のみ)。
ガイドは高岡伸一さんで、西谷商事の方も同行されました。ツアー参加者は20〜30代の方々のようで皆さん熱心に写真を撮られていましたので、あちこちのブログやホームページに載ったりもするのでしょう。
まずは一番古い、1号館(昭和28年)から。玄関ホールからいい雰囲気が漂っています(ここはコース外)。

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階段室にはガラスブロックのトップライトから自然光が差し込むようになっています。

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そして1号館のみ、中庭があります。
採光に気を使っているようですね。

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次に1番新しい3号館(昭和40年)。それでも手すりは木製です。ねじりが入って、丁寧に作られています。

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参加者から感嘆の声が上がった空室。かなり高い位置に窓があり、明るい雰囲気です。「もっと天井の高い部屋もありますよ」とのこと。

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最後に本館(昭和32年)。ここが一番の見どころです。玄関からして曲線を使った魅力的なデザインです。

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渋い書体のビル名プレート。

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4階から見下ろした変形らせん階段。増築した部分もちゃんとらせん階段を継ぎ足したのですね。このらせん階段は見る位置によっていろいろな表情を見せてくれます。すばらしい。

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ツアーが終わり、2号館(昭和40年)に戻ります。
人造石研ぎ出し(テラゾー)の床が見どころとのこと。品の良い美しさです。

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カフェスペースは結構賑わっていました。
一角では戦後建築のスライドショーが次々と流れ、写真展、資料展などもあります。スライドショーでは、私のなれ親しんでいるビル・リバーセンターが多く取り上げられていて嬉しく思いました。
食べ物、飲み物、関連グッズもいろいろあります。
来場者がもらえる、ビルマニアカフェ2008のパンフレットは、戦後建築の見どころ解説なども付いてよくできています。

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さて、ここまで来たついでに近くの堀江公園を見に行きました。
戦後建築の後は戦後公園。昭和25年の公園です。
60年近くたった公園は木々も大きく育ち(とくにヒマラヤ杉など)、魅力を増しています。雑誌モデルの撮影(たぶん)も行われていました。

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その一角にある堀江会館。戦後建築っぽくないですか? スリット状の窓などが。

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アールの入ったひさし、ブロック状の2階の窓、なかなかいいです。

ビルマニアカフェで戦後建築の魅力を教えていただき、ますます街のいろんなものに反応してしまいそうで危険です。

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2008年10月10日 (金)

中国趣味の藤井有鄰館(京都)

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京都国立近代美術館に「アーツ&クラフツ展」を見に行った日、時間に余裕があったので、ついでに向かいの藤井有鄰館を見学しました。
通常の開館は、「一月、八月を除く毎月第一、第三日曜日の正午~午後三時半まで」なので、後から考えるとタイミングも良かったようです。
表に建つ第一館は、大正15年(1926年)に、滋賀県五個荘(近江商人の町ですね)出身の藤井善助翁により、蒐集品をもって設立された中国文化の私設美術館です。

建物は武田五一の設計によるものです。
屋上の八角塔は実は展示品で、北京・紫禁城の一角にあった建物が道路拡幅で削られると藤井翁が聞き、建設途中で引き受けたものだそうです。北京から京都の屋上に引っ越しとは不思議な縁です。
残念ながら屋上は公開されていません。
公開部分は向かって右側の展示室で、左側も非公開です。
3階角のベランダが気になりますが。

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入り口には中国風の獅子がにらみを効かせています。これも収蔵品なのでは? こちらも目立っています。第一印象を収蔵品に持って行かれて建物の印象が後回しになりますが、2頭の昇竜が宝珠を争うレリーフは迫力があります。(先ほどから入り口と言っていますが、美術館としての入り口は裏です)

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上下の窓の間には伝統的な花模様を挟んでいます。
中国文化の展示にふさわしい装飾といえます。
それでいて、この位置の装飾はセセッション風ともいえるでしょうか。

一通り、表を眺めたら中に入ります。
入館料は第一館だけで1000円となかなかします。収蔵品の質と私設であることを考えるとやむなしでしょうか。残念ながら館内は撮影禁止です。各階の展示室入り口の上部には桃の並ぶ図案のステンドグラスがはまっています。

展示室も広間のようで、時代を感じさせるものです。
収蔵品は仏像や書画、青銅器、陶磁器、文房具、印、古銭など、古い時代のものがごろごろ。全然知識がないので、私には貴重さがよく分かりませんが、すごいものらしいというのは分かります。よくこれだけ集めてきたものだと思います。

建物としての見どころは3階展示室で、天井部分に大きなステンドグラスがはまっています。中之島公会堂の特別室で見たステンドグラスにタイプが似ているように思いました。もう少しパターン化された連続模様です。行きつ戻りつ天井を見上げました。

貴賓室もあるようなのですが、見られませんでした。
いつ公開されるのでしょうね。

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藤井有鄰館には第二館もあります。
明治20年頃にフランス人が設計した、金沢の横山男爵邸の一部を昭和3年に移築したとのことで、ルネッサンス風でアールヌーヴォー様式が見られる木造建築とのことです。
入り口の休憩室はこれも展示品のようですね。
第二館は入館料400円です。

中に入ると木製手すりの階段がゆったりと2階に上がっています。
洋館でありながら、展示品は日本のものというのが不思議です。
展示品よりも古い椅子や家具、暖炉などの方に気が行きました。
そんなにアールヌーヴォーという印象を受けなかったのですが、ドアや窓が曲線でなかったからかもしれません。
1階にはホールがあり、コンサートなどに使われているようです。

かたや中国、かたやフランス+日本、時間限定の不思議空間の美術館です。

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2008年10月 8日 (水)

尼崎近代建築ラリー

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尼崎運河博覧会を見たあとは、元浜の旧集落から阪神武庫川駅へと出ましたが、長くなるのでそれは省略して阪神尼崎駅から始めます。尼崎中心部にある近代建築ラリー(比喩です)をしました。

近代建築巡りの前に、駅の南に少し寄り道しました。老舗のヒノデ阿免(あめ)本舗さんがあります。「何を売ってるんですか?」と聞くほど無知な客でしたが(ヒノデ河虎と読み間違うし・・・)、試食させていただいて説明も聞いて水飴を買って帰りました。商品は水飴と固形飴のみ。とくに水飴は原料がもち米だけというシンプルさ。やさしい味がしました。

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途中、道路に気になるコンクリート柱がありました。
多角形の装飾で金属を巻いてあって、由来が気になります。

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駅からは外堀を兼ねる庄下川を挟んで尼崎城跡の石垣(模擬復元)が見えます。

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渡ったところにはレンガ倉庫があります。
ここから近代建築ラリーをスタート。
明治37年の旧阪神電鉄発電所です。

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道のすぐ脇に立っているので煉瓦をよく味わえます。触ることもできます。

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ひろさんに教えていただいた、うさぎはりの門柱のうさぎ。すぐに分かりました。駅と学校の間なので学生たちの思い出の風景ではないでしょうか。

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地味ながら、尼崎市立城内高校(昭和12年)の裏門です。
両側に溝を切ったシンプルなアーチ。

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一方、旧尼崎警察署(大正15年)の裏門はてっぺんがラジエーターのような角柱。

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大正らしくデコレーションが豊富です。
なんとなくミニミニ大阪府庁という感じがしたのですが。同い年です。

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旧尼崎警察署の隣から裏は三の丸公園で味のある雰囲気になっています。
これで警察署が活用されればいうことないのですが。

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向かいには旧尼崎高等女学校(昭和8年・13年)。この日は休日だったのですが、車で入っていく先生(?)がおられたのでその隙に。玄関脇に八角形の窓が見えます。

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城跡をぐるっと回って、尼崎藩主桜井松平家を祀る桜井神社へ。
ここに博愛社(のちの日本赤十字社)記念碑があります。それは西南戦争の際に尼崎藩主桜井忠興が私財を投じて医師・看護夫を派遣し、敵味方の区別なく負傷者を手当てしたことをきっかけとする博愛社設立に深く関わっていたためで、日本赤十字社の事務所は当初東京の桜井邸に置かれたそうです。明治20年のことです。日本赤十字のルーツが尼崎にあったとは初めて知りました。

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また明治22年には尼崎で最初の幼稚園として、桜井神社の中に博愛幼稚園が生まれたそうです。幼稚園に安置された博愛地蔵が神社にあります。(桜井神社自体は国道43号線の建設で移転して現在地に来たそうです)

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庄下川の開明橋を西に渡って、大正6年の大津表具店(旧向井眼科院)。
ほとんど飾り気がありません。壁面に「開明医院」の文字が消え残っていました。

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向かいは船のような旧尼崎市立開明小学校(昭和12年)。今は尼崎市役所の出張所になっています。もとの運動場が公園として開放されていますので、外観をよく見ることができます。

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そのまま西に進んで寺町に入ったところを南へ。
旧尼崎信用組合本店(明治33年頃)のかわいらしいまでに小さなレンガ建築があります。今は尼崎信用金庫記念館です。元の位置からは50m北に移設されているそうです。

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その並びには旧尼崎信用組合新本店(昭和5年)です。角の取れた丸っこい建物。

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そのさらに並びには本町ビル・旧尼崎共立銀行本店(大正12年。プレートにはなぜか大正5年と書かれています)。椿本ビルとも呼ばれていました。
びっくりしました。というのは、ガイドブックに出ていた色と全然違うから。『近代建築散歩 京都・大阪・神戸編』(2007年)に「2階へ直接入るための外部階段や赤い塗装がいただけない・・・将来の美改修に期待」と厳しく書かれているのですが、それに応えたのでしょうか。外部階段は取り払われ、白とグレーの外観に吹き付け塗装をされています。

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玄関上部の装飾。マス目にうずまきの抽象的な模様が入っています。
近代建築巡りはここまで。

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旧中国街道に沿って西に進み、貴布禰(きぶね)神社に立ち寄りました。ルーツは京都の貴船神社で、長洲の貴布禰神社→北城内の尼崎貴布禰宮屋敷→江戸時代に現在地と移って来たようです。尼崎の惣氏神として尼崎藩主に信仰されたような立派なお社です。
その境内に備前焼(伊部焼)の狛犬がありました。備前焼の狛犬を見ると瀬戸内海海運とつながっていたことがイメージできます。

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また寺町の南の筋を戻ってきたところで、この見つけものがありました。
もとはお医者さん? 洋風町家といえましょうか。花のような窓のレリーフに、アーチやバルコニーのようなレリーフ、近代建築ビルのモチーフを貼り付けたような町家です。
どこかで見たような気がするんですけど、何でしょう。山内ビル(外部リンク)でしょうか。他にも見たような。

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ちょっと面白いなと思ったのは1階庇のなみなみが、そのまま2階出窓下のなみなみに続いているようなところ。花のような窓には斜めに格子が入っています。

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窓の木の格子も何かで見たような。家具かな。

この建物があるのは、旧尼崎信用組合本店のすぐ近くです。
最後に予定外のものがあって満足なまち歩きとなりました。

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2008年10月 5日 (日)

うんぱく2008の運河クルージング

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昨年につづき、今年も尼崎運河博覧会2008(うんぱく2008)に出かけました。
今年は規模を縮小して開催しているようです。
写真は会場の様子で、漕いでいるのはEボート。

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昨年は蓬川の運河バスを利用して、次々に橋をくぐる体験をしましたが、今回は運河クルージングが目当て。北堀運河の港橋を乗り場として、北堀運河〜蓬川〜旧左門殿川を往復する30分コースです。
船は2隻あって、こちらの4人乗りボートと、

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こちらの7人乗り(+船長)のボートです。
1時間ほど並んで、私はこちらのボートの順番に当たりました。

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さあ、出発。ガイド兼操船は、あまけんのTさんです。
ライフジャケットを着込んで乗り込みます。
お客さんは小さな子供連れの方が多いようでした。

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北堀運河を振り返って。
重い空模様です。

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蓬川で積み込み作業中の台船。

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荷物の上げ下ろしをする装置ですが、間近で見ると巨大です。
表からは単調な塀が続く工場ですが、裏の顔はとてもダイナミックです。

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やがて見えてくるのは尼ロック(尼崎閘門)。高潮防止のため湾内の水位を低く保ちつつ、船が出入りするための装置です。水面からではよく分かりません。
このあたり、広い水面が広がって開放感があります。

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ここから旧左門殿川へ。
可動橋(跳ね橋)の東高洲橋が見えます。
背景と重なってちょっと分かりにくいでしょうか。
手前の緑と赤の橋ですよ。

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川の上までせり出す工場も。

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大きな工場が次々と現れます。
工場好き向きの景色です。

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旧左門殿川が東に折れるところで折り返しとなります。
この左手はもう尼崎の旧市街地です。

大きな工場を眺めつつ広い水面を走る今回のクルージングは、昨年とはまた違った運河の顔でした。

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青島・煙台の旅(30)旅を終えて

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最後に青島で一番大きいという海員広場の書城(書店)に行こうとしましたが、遠すぎるということで断念、そのまま空港に向かいました。

地形の制約でしょうか、青島の空港は市街地のかなり北方にあります。
タクシーで空港に向かう途中、あれだけ深かった霧は晴れ、明るい日差しが見え始めました。タクシーの運転手の話では、霧を避けて(?)郊外に家を買う人も多いそうです。
途中、広幅員道路の開発区もありました。
青島の赤い屋根は郊外にも広がっています。
赤い屋根の余韻が次々と流れ去っていきました。

今回青島で歩いたのは旧市街の一部で、まだまだ見るべきものはあります。
いずれ青島には再訪することになると思います。

たった4日間なのに報告に5ヵ月もかかってしまった青島・煙台の旅をお読みいただきありがとうございました。
ちょっと肩の荷が下りた気がします。
また本来の日常旅行にお付き合いください。

なお、青島・煙台の旅は、
旅行の概要:青島・煙台から戻りました
煙台編:(1)青島から煙台へ 〜(15)煙台から青島へ
青島編:(1)青島から煙台へ と(15)煙台から青島へ 〜(30)旅を終えて
 となっています。
 言い訳ですが、煙台の情報が少ないこともあり、煙台編の方が詳しく書いています。青島については情報が多いので、いろいろ当たってみてください。ヨウタロウさんの中国・青島@建築探訪記は建築の解説が詳しく、写真も美しくお勧めです。

○青島・煙台の旅の記事一覧
 (1)青島から煙台へ
 (2)煙台の近代建築に泊まる
 (3)煙台の近代と建築
 (4)煙台・海岸街の西側
 (5)煙台山の建物−1
 (6)煙台山の建物−2
 (7)煙台を眺める
 (8)煙台山の建物−3
 (9)煙台山の結婚撮影
 (10)煙台の旧金融街−海関街
 (11)煙台・海岸街の東側
 (12)煙台・東太平街
 (13)煙台の旧繁華街−朝陽街
 (14)煙台の旧市街
 (15)煙台から青島へ
 (16)青島の近代建築に泊まる
 (17)青島の桟橋周辺
 (18)青島の広西路
 (19)青島ドイツ総督府と邸宅街
 (20)青島の街を見下ろす公園
 (21)青島の奇怪な官邸
 (22)青島の石畳の街
 (23)青島の家と海を眺める公園
 (24)青島第一海水浴場
 (25)青島の石の別荘
 (26)青島八大関をさまよう
 (27)青島駅から中山路
 (28)青島ドイツ監獄など
 (29)青島湖南路から孔子記念館へ
 (30)旅を終えて

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青島・煙台の旅(29)青島湖南路から孔子記念館へ

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青島のドイツ式監獄博物館を見た後は、ホテルへの道を引き返します。
もとの道を戻っても仕方ないので、江蘇路を通って、湖南路を歩きました。
まず広西路1号にある総督府学校教学楼が目に付きます。1906年の建築。完全に霧にかすんでますが、石で縁取られた五角形の窓に特徴があります。軍関係の学校らしく、制服を着た学生が歩いていました。

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江蘇路と湖南路の角(湖南路4号)に立つ滙豊銀行(今の香港上海銀行)青島支店の支店長宅。青島支店の開設が1912年らしいので、その頃の建築でしょうか。滙豊銀行はイギリス系の有力銀行なので、イギリス企業との取引が多く、支店長は国際倶楽部、英国商会、英国学校などの理事を兼任したそうで、この家にも来客が多かったといいます。
太平洋戦争勃発後は、逃げ遅れた英米人の臨時強制収容所ともなりました。

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このあたりは邸宅地だったようです。

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湖南路6号にはこの重みのある建物があります。
中国式の灰色煉瓦と石で建てられています。
(こちらは正面ではないのですが)

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裏手には「1899」の文字。1899年というと青島の建物の中では最初期のものです。
これはかつての総督府学務委員会(教育委員会)の建物です。委員会は翌1900年にドイツ人子女向けの総督府小学校を設立したのを皮切りに、中国人向けに26ヶ所の小学校、さらには1909年に徳華大学(上海にある同済大学のルーツの一つ)を設立したそうです。たまたま朝つけたTVで徳華大学の歴史を紹介していました。

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その斜め向かいの湖南路11号には、赤い壁面のインパクトが強い旧黒氏飯店があります。1924年建設のフランス式建築です。その後つぶれて1932年には徳華大学を卒業した姜如心が買い取り、如心医院となったそうです。

今は幼稚園となり、基壇の石積や階段などがカラフルにペイントされてしまっています。案外、幼稚園にも似合う気がします。

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湖南路で見かけた飾りの多い扉。

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総督府の前まで戻ってきました。
これは前日に撮った写真ですが、青島路1号の旧ドイツ領事館、今は南園孔子記念館となっている建物です。木が茂っていてかなり見づらいですね。
この建物はもともと1900年に建てられたドイツ人の住宅だったようです。ドイツ撤退後、日本の第一次占領期をへて青島が中国に返還されるとドイツ人が戻り始め、1926年から1945年までドイツ領事館として使われました。その後、孔子の末裔が住み、1986年に青島市に寄贈されて孔子記念館となりました。

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南園というのは、孔子の末裔がこの住宅に付けた名前です。門は花崗岩で固められています。

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孔子記念館の玄関。
入館料は1元(15円)です。

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中に入ると飾り気は少ないのですが、広い吹き抜けがあります。

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2階への階段。残念ながら孔子記念館は1階の一部だけで、他は事務所として使われています。2階へは上がれません。

記念館には孔子に関する文物がいろいろと展示されています。係の方も丁寧に説明をしてくださいます。実はそんなに関心がないのですが、さすがに建物が目的で来ましたとも言えず、ふんふんと説明を聞いていたのは係の方には内緒です。

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再び広西路に戻ってきました。
オリンピックに向けてか、通常の業務なのか、古い建物の改修工事が行われています。

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このように補修されて、青島では今も古い建物が使い続けられています。

霧のためにまち歩きは少なめ。それでもたくさんの近代建築を見ることができました。名残惜しいのですが、青島の探訪はここまで。
最後に近くの新華書店で資料を買い込み、チェックアウトのためにホテルに戻りました。

○参考資料
 竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
 魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社 
『中国近代建築総覧 青島篇』、1992年、中国建築工業出版社

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2008年10月 2日 (木)

青島・煙台の旅(28)青島ドイツ監獄など

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旅行4日目の朝。最終日です。
前に書きましたが、桟橋・王子飯店に泊まっています。
霧は昨日以上に深く、目の前の壁が霞んでいます。
これではまち歩きどころではありませんので、屋内を見られるところを目指すことにしました。
海岸通りの太平路を東へ。

写真の建物は太平路と江蘇路の角です。
1902年に建設された(山東鉄道会社と)鉱務会社の事務所だそうです。

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江蘇路の対面、太平路23号には旧坂井貞一宅があります。
1929年に建てられたそうですが、坂井貞一という人物については、日本商人であること以外分かりません。(「中国近代建築総覧・青島編」にはM.高橋宅となっていますが、2003年に青島市が設置したプレートが坂井宅になっているのでそちらを採ります)

なかなか素敵な建物ですが、開放されているわけではなさそうなので、門のところから眺めるだけです。

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その隣には青島天后宮。かなり古くて、明の成化3年(1467年)の建物です。航海の神様、媽祖を祀っています。天后宮(あるいは媽祖廟)は中国や台湾などの沿岸部によくあります。日本でいうと住吉神社みたいなものでしょうか。
恥ずかしながら、媽祖が実在の人物だと初めて知りました。宋代(10世紀)に生まれ、病を治すなど奇跡を起こした女性だそうです。

極彩色の伝統建築です。

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そしてこれが目的地の青島ドイツ式監獄博物館です。入場料は25元(375円)(閑散期はなんと5元)。
ここは欧州人の囚人を収容する監獄として、1900年に建てられたようです。
中国人を収容する監獄は公安局の近くにありました。

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これが博物館の配置図です。
仁・義・礼・智・信の5つの監房と工場、浴室、事務棟、裁判所があります。
上の3つの建物はレストランなどに使われているようですが、そこも監獄の一部とは気付きませんでした。

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裏から撮ると素っ気ないこの建物は、旧ドイツ膠澳帝国裁判所です。
内部には「青島司法歴史沿革陳列展(1897-1949)」が展示されていて、ドイツ租借時代、第1次日本占領時代、北洋政府・国民党政府時代、第2次日本占領時代、中華民国時代(アメリカ軍駐留時代)、中華人民共和国時代へと目まぐるしく支配者の入れ替わる青島の司法の歴史が展示されています。

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いよいよ監獄へ。
円錐屋根を載せた丸い塔が印象的な「仁」字監房。

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側面から見たらこんな感じです。
塔の部分が取って付けたような感じでもありますが。

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展示室は上から順に見ていきます。
鉄扉をくぐって囚人房へ。

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囚人房の扉。この博物館の開館は昨年の4月と新しく、のぞき窓からのぞくと、ドイツ人囚人の様子が写し出されるなど映像的な演出があります。

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開放されている囚人房。波打つ天井になっています。
壁は冷たいですが、そんなに居心地が悪そうでもない?

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一部、装飾的な部分も見られます。暖房装置?

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表から見た円筒部分は、らせん階段の階段室です。
ぐるぐる降ります。

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下の階は第二次日本占領時代の展示です。
これは水牢。拷問室もありました。凄みがあります。
つらい展示です。

前にハノイのホアロー務所博物館を見たときもそうでしたが、植民地の監獄というとどうしてもそんな展示になります。

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一通り見ると運動場に出ます。
裏側から眺める監獄。
眉毛のような窓の上部が単調さを救っています。

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右が「義」字監房、左が「礼」字監房。「礼」字監房は1924年に建てられました。
右手前の見張り室は戦後のものです。
実は1995年までこの監獄は現役でした。それはそれですごい。

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手前の赤い花崗岩張りの監房は「智」字監房で、1931年に建てられています。
こちらの方が古いのかと思いました。

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最後に監獄浴室です。
監獄本体と同じ1900年に建てられています。

監獄を見るのは気分のいいものではありませんが、歴史の一面がよく分かる場所ではあります。
霧に包まれて、いっそう厳かな雰囲気が漂っていました。

○参考資料
 竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
 魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社 

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