« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月29日 (月)

青島・煙台の旅(27)青島駅から中山路

080525qingdaozhan1
青島旅行記のつづきです。
八大関を歩き回ったあと、歩き疲れたので東海国際大厦発の214路(系統)のバスに乗りました。終点の雲南路はどこか分からなかったんですが、途中の地名で西に行くことは分かったので深く考えずに乗り込みました。

ここで困ったのがバス料金が分からないこと。
とりあえず乗り込んで他の人が払うのを見よう、と思ったのですが、みなICカードで支払うので分からない・・・。

バスはそう混むこともありません。八大関をひとめぐり、海沿いの道を走り、江蘇路から弧を描くように上海路、小港をへて、結局、青島駅の裏手(西側)にある雲南路に到着しました。ここならホテルから徒歩圏です。
結局、到着すると女性運転手はさっさと出ていってしまうし、適当に払ってバスを降りました。

青島駅はオリンピックに向けて大改修中(この日は5月25日)。上の写真がそうです。
随分大がかりやなあと感心して工事中の写真を撮っていると、地元のおばさんに声を掛けられました。この方、青島駅の拡張工事で立ち退きさせられた方で、工事中の写真を撮っている私も同じ境遇と思われたようです。「せっかく持ち家だったのに移転させられて・・・」とご不満そうでした。
旅行者なんですというと、中山公園と小青島公園を勧めてくださいました。理由は「タダだから」。高い公園料金にやはり市民は不満のようです。時間があったら行くのですが、残りは半日です。「案内しましょうか」ともおっしゃってくださいましたが、お礼を言って辞退しました。

080525qingdaozhan2
行きたいところは線路の向こう側です。
幸い、この場所に鉄道をくぐる地下通路がありました。
通路の両側は小商店街になっています。

080525qingdaozhan3
線路の東側の通りを歩いていると、お茶屋さんがありました。
青島東泰茶葉有限公司という名前です。
品揃えの半分は地元の嶗山茶、後の半分は鉄観音、ジャスミン茶、龍井茶など全国ブランド。嶗山というのは青島の東にある観光地です。中国の茶産地としてはかなり北の方。もしかしたら青島の霧が茶に良いのかも。嶗山茶の2番目ぐらいのを買いました。50gで36元(540円)。

080525qingdaozhan4
新しい青島駅の駅舎はほぼ完成しているようでした。
やはりドイツ風で、かなり長い建物。駅前のホテルも建設中です。
それにしても霧がひどい。全景が分かりません。

080525qingdaozhan5
東に向かうと、湖北路にある青島市公安局が霧の向こうに見えてきました。もとは警察署と地方裁判所の建物です。時計塔の目立つ変わった建物。ネオ・ニュルンベルグ派とのこと。1904年から1905年にかけて建てられました。この街区は六角形をしていて、いかにも重要な場所という印象を受けます。警察署以前は清軍の兵営があったそうです。

080525qingdaozhan6
河南路と中山路には古い銀行の建物がたくさんあります。
河南路にあるこの建物、右は旧中国実業銀行、大きなアーチのある真ん中は旧青島銀行同業公会、左は旧金城銀行です。青島銀行同業公会とは、1931年に中国系8銀行で成立した同業組織だそうです。1932年に青島市政府は第四公園の土地を売却することを決め、中国系7銀行が共同でこの土地を買い取りました。当時館淘路にあった外国金融区に対抗するため、1934年に中国金融区として中国系7銀行と銀行公会が集まり、青島のウォール街と呼ばれました。それがこのブロックです。

080525qingdaozhan7
そのまま中山路側に出ました。
中山路は古い繁華街です。
ここには旧大陸銀行があります。右隣は先ほどの旧金城銀行です。大陸銀行も1934年に建設されました。設計者は中国人の羅邦傑、施工は新慎記営造廠です。角を正面として階段状に高くなる装飾がありますが、全体にシンプルなデザインです。
ちなみに大陸銀行は1919年に天津で設立された銀行で、青島には1923年、最初は天津路に進出したそうです。青島支店は預金・信託・外貨兌換・貸付など商業銀行の一切の機能を持っていました。

さらに大陸銀行の左に旧上海商業貯蓄銀行(1934年)、旧山左銀行(1934年)、旧中国銀行(1932年)と並んでいます。上海商業貯蓄銀行は中低所得者を顧客としていたので、お客さんが入りやすいようにものものしい入り口は避けたそうです(一方で外国大企業の預金獲得にも頑張ったようですが)。左端の旧中国銀行だけ3階建てなのは、当時の建築規制によります。設計者は中国人の陸謙受・呉景奇です。中国銀行青島支店はこう見えて、1936年の預金額第一位の銀行で、貨幣も発行していました。

080525qingdaozhan8
同じく中山路にある旧大清銀行(のちの中国銀行)青島支店。今は中信銀行。こちらはもっと古くて、ドイツ時代の1906年から1909年にかけて建設されました。イオニア式石柱、メダリオン、軒蛇腹など装飾はいろいろ付いていますが、小ぶりなので親しみやすい感じがします。

大清銀行青島支店は、関税の一部代収と、公金の出し入れをしていました。大清銀行の消滅後、1928年には預金・貸出・為替業務を主とする義聚合銭荘がここに開業し、1938年には華北臨時政府の中央銀行青島支店となり、戦後、中央銀行に接収されました。

080525qingdaozhan9
同じく中山路の旧交通銀行です。今は中国建設銀行になっています。コリント式の列柱が6本並ぶ、いかにも銀行建築という建物。1929年から1931年にかけて建設されました。設計者は庄俊で、中国で最も早期の建築留学生かつ中国建築師学会の創始者・会長だった人だそうです。
交通銀行は紙幣を発行し、膠済鉄道のお金を収納し、一般の預金・貸付業務も行いました。

080525qingdaozhan10
中山路には中国電影院(旧山東大戯院)という古い映画館もあります。
青島では映画は最初、ホテルの音楽ホールなどで上映されていましたが、専門の映画館として1921年、中山路に福禄寿電影院、1931年にこの山東大戯院がオープンしました。山東大戯院は中国資本、上海の建築家による設計の映画館で、750〜800席あり、主に国産映画を上映しました。京劇やスペイン歌舞団、上海女子歌舞団も上演されたそうです。
山東大戯院は1938年、日本人により国際劇場と改称され、日本映画専用の上映館となりました。さらに1945年には青島保安隊に接収され、中国劇院となりました。

劇場の上部の装飾はラジエーターを思わせます。
この写真では見えませんが、突起の間や玄関上の半円部には細かな模様が描き込まれています。

せっかくなので、ここで映画を観ることにします。
現在は3スクリーンあり、「功夫之王」(「ドラゴン・キングダム」)が上映中でした。チケットは25元(375円)です。

080525qingdaozhan11
上映まで時間があるので周辺を散策しました。
裏手に回ると映画セットのような街並みです。石畳の坂を登ってゆくと、丘の上には霧に霞む双塔の聖ミハエル大教会がそびえ、ぞくぞくするような光景です。

○関連ブログ
 ヨウタロウさんの中国・青島@建築探訪記「チンタオの天主教堂」

080525qingdaozhan12
こちらは博山路3号にある旧天主堂医院です。1907年に建設されました。ここでいう天主堂はカトリックの教会ですが、聖ミハエル大教会が完成するのは1934年なので、それより前のものです。
この医院は中国人向けのもので、修道女によって担われました。医薬品はドイツから輸入し、経費は主に教会が出して、医院は無料で診療を行っていたそうです。

080525qingdaozhan13
坂のある街はいいものです。
街中でも生活感があります。

080525qingdaozhan14
さて「功夫之王」(ドラゴン・キングダム)は、ジャッキー・チェン、リー・リンチェイ、アメリカ人の少年が主演のカンフー映画です。アメリカ映画なんですが、ジャッキー・チェンが酔拳を披露したり、リー・リンチェイが僧の姿で登場したり、カンフー映画に対する愛を感じます。神話時代の中国にタイムスリップしたアメリカ人の少年が、ジャッキー・チェンらの助けを借りながらカンフーの腕を磨き、悪逆非道を尽くす将軍のもとに乗り込んでいくという、分かりやすい映画でした。

しかし、それにしても・・・
観客が私1人だったんです。上映期間の最後だったのかもしれませんけど、そんなので大丈夫かと思いました。第3スクリーンは全席ペアシートで営業努力は感じましたが。

080525qingdaozhan15
夜に入ってもまだ霧。
街灯がにじむ幻想的な道をホテルまで歩いて帰りました。

○参考資料
 竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
 魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社
 魯海『老街故事』、2003年、青島出版社

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年9月23日 (火)

池田室町住宅地の周辺

080920muromachisoto1
池田室町住宅地は前回紹介したとおりですが、その周辺にも古い住宅などが残っています。池田室町住宅地は明治43年に開発が始まりましたので、その周辺に大正や昭和の町があっても不思議ではありません。今回は周辺を紹介します。

まず池田室町住宅地と一体的にあるのが、このダイハツのアヤハクラブ。純和風の落ち着いた門構えです。広い庭のある和風建築のようです。ダイハツ(当時は発動機製造(株))は戦前から池田市で操業しています。

080920muromachisoto2
住宅地の南側は少し低くなり、小川が流れています。

080920muromachisoto3
その南には落ち着いたお屋敷がありました。整形の室町住宅地と違って、屈曲する道を生かしながら建物を建てています。

080920muromachisoto4
奥のお屋敷はどっしりした洋館付き住宅です。

080920muromachisoto5
一方、室町住宅地の東側(池田駅側)には、こんなにいい感じの一角が残っています。室町住宅地に啓発されたのかなと思える住宅地です。

080920muromachisoto6
どっしりした和風住宅の洋館付き住宅。

080920muromachisoto7
向かいにある、こちらも洋館付き住宅。

080920muromachisoto8
建物は古そうに見えないけど、丸窓の残る住宅もあります。この格子のデザインは槍でしょうか。洋風長屋で丸窓にプロテクターのような格子をはめている家がありますが、もしかしてこういうのが原型かも(根拠はありません)。

080920muromachisoto9
南にはアパート群もあり、銭湯もあります。
シュロがすっくと立つ、明るい雰囲気の池田温泉。足下はスクラッチタイルです。銭湯好きには知られた温泉だったようですが、残念ながら2005年に廃業されたようです。「池田」の文字が落ち、煙突は安全上の理由か途中で切断されています。いい字体なので取っておいたらいいのになあ。

080920muromachisoto10
南に抜けると急に視界が広がって、広々したダイハツ本社工場第一地区があります。昭和14年(1939年)にここに工場を構えました。周辺には従業員の方も住んでおられたのでしょうね。

080920muromachisoto11
駅に戻る途中、ひっそりと残る3棟続きの洋風長屋を見つけました。
とくに手前のものは屋根瓦(セメント瓦?)も古そう。

080920muromachisoto12
近くにもう少し原型が分かりやすい形で残っているものがありました。
コンパクトながらなかなかきれいです。
洋館付き住宅の洋館部分を取りだしたようにも見えます。

池田室町住宅地は和風住宅ですけど、周辺にも様々に影響を与えていたんじゃないかなと思います。
周辺部も歩いて楽しい池田室町でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

池田室町住宅地

080920muromachi1
池田に用事があり、少し早く出かけて、日本初の郊外分譲住宅地として知られる池田室町住宅地を歩いてきました。箕面有馬電気軌道(のちの阪急)の小林一三氏が、明治43年(1910年)、大阪梅田と宝塚・箕面を結ぶ鉄道開通に合わせて開発した住宅地で、鉄道会社による住宅開発、住宅の月賦販売の先駆けでもあります。(この記事は吉田高子さんの「池田室町/池田 小林一三の住宅地経営と模範的郊外生活」(『近代日本の郊外住宅地』所収)に依っています)

住宅地の場所は阪急宝塚線・池田駅のすぐ西側で、線路沿いに歩くルートもありますが、私はこの池田中央市場の左を抜けて中央大通りにつながる道を入りました。

080920muromachi2
この道が中央大通りです。右手にさっそく洋館付き住宅があって、期待が高まります。

080920muromachi3
住宅地の中心には室町会館があります。住宅地開発の翌年、明治44年(1911年)に建てられた和風の室町倶楽部が前身で、昭和11年(1936年)に外観を洋風に大改造し、現在に至っています。ぴょこんと飛び出た屋根や焼き板張りの壁は和風の名残でしょうし、直線的なモダンデザインに玄関脇のアールが昭和10年代らしく、一風変わった建築になっています。

室町倶楽部の建物には、購買組合も入り、米穀・薪炭・酒・醤油・味噌などを販売していました。倶楽部・購買組合ともうまくいかなかったようですが、住民組織の室町委員会(のち室町会)は機能しています。

なお、玉子を縦割りにしたような石碑は池田室町住民憲章の碑(平成17年)です。

080920muromachi4
室町会館には社団法人室町会が入っていて、池田室町住民憲章の碑の説明板が掲げられています。そのまま紹介します。

 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 

私たちの町池田室町は 明治43年阪急電鉄(株)創設者小林一三氏の発想により わが国最初の郊外住宅地として「建売分譲」「長期割賦」方式により販売せられ 開発以来90有余年の歴史を持っています

 そして私たちの先輩は このまちづくりの精神と理想に則り「自分たちのまちは自分たちの手で」をモットーに社団法人「室町会」を設立し 自主的に平和で安全なまちづくりに取り組んできました

 整然とした町並みと 五月山の緑 猪名川の清流に囲まれ 呉服神社の森 家々の樹木や生垣は 四季を通じて私たちの目を楽しませ 温かく迎えてくれるまちでもあります

 今後も常に 緑化と美化に心がけ住宅環境の保全に努めると共に隣人や町の人々との交わりを大切にして 明るく仲むつまじい豊かなまちづくりに努めます

 この度 住民の合意による住民憲章の制定を記念して「池田室町住民憲章」の碑を建立します

 平成17年5月吉日

 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 住民意識の高さが窺えます。

080920muromachi5
床下換気口のグリルもチェック。シンプルですが、若干のデザイン心が入っています。

080920muromachi6
室町会館周辺はこんな感じです。離れてみると呉服(くれは)神社の森を背負って会館が建ち、和風住宅が並ぶ当時の雰囲気が少し感じられます。

080920muromachi23
この呉服神社は機織・裁縫・染色の技術を伝えた渡来人・呉服媛にちなむ神社で、仁徳天皇の時代に創建されたとされる由緒ある神社です。住宅地開発前、神社の森は田園に浮かぶ島のようでしたが、池田室町住宅地に取り込まれて、公園の役目も担っています。

右手にある室町幼稚園は大正11年にできた「家なき幼稚園」をルーツとするもので、昭和25年から室町会の事業となりました。


大きな地図で見る
住宅地の環境はこのようになっています。
呉服神社を中心に北東を阪急の線路、北西を猪名川に囲まれています。線路の北側には池田の旧市街が広がっています。
住宅はみな北東から南西に向かう道に沿って建っています。

080920muromachi8
初期の開発は全て和風2階建ての住宅地でした。
207区画のうち83区画がまず分譲され、うち77区画は基本4タイプの住宅だったそうです。1区画は約100坪の正方形、建坪は約20坪です。

焼き板塀の町並みが初期の風景ではないでしょうか。
池田室町住宅地は100年近くたっているので建て替えも進んでいますが、「焼き板塀」、「杉皮張りの和風2階建て住宅」、「2階建ての蔵」、「洋館付き住宅」が印象的です。順に紹介します。

080920muromachi7
この建物の門塀はモダンなので、時代は少し下りそう。
杉皮張りの壁は明治の住宅地の雰囲気です。

080920muromachi9_2
蔵をもつ家がたくさんあるのも古い住宅地ならではでしょう。

080920muromachi10
そのなかに煉瓦の蔵もありました。
(逆光で見にくいですが)

080920muromachi11
例によって床下換気口を覗き込みます。
これはどこかで見覚えが・・・と思ったら新潟の鍋茶屋の蔵で見たものと同じデザインでした!ちょっと感激。

080920muromachi121080920muromachi122
また足下に煉瓦を敷いていたので刻印煉瓦もチェック。日本煉瓦株式会社(堺)と推定される四弁花の刻印がいくつかと十字(?)の刻印が1つありました。

080920muromachi13
続いて洋館付き住宅です。当初の和風住宅に増設したんでしょうね。

080920muromachi14
小屋裏換気口が尖頭アーチを組み合わせたような変わった形です。ハート型の植物模様の鬼瓦はよく見かけます。

080920muromachi15
これも洋館付き住宅。白い洋館はハーフティンバーで、黒い和館はどっしりと、かなりギャップがありながら美しく建っています。

080920muromachi16
こちらの洋館部分はかなり傾斜の緩い屋根です。屋根の持ち送りがS字カーブで変わっています。

080920muromachi17
2階建ての洋館いくつかに改造が加わって独特な姿に。
なお、この通りは中央の大通りで、左に街路樹が1本立っています。アオギリかな? 昔は街路樹があったそうですが、今はこれだけです。大通りといっても広くはないので、車の通行の邪魔になったのかもしれません。

080920muromachi18
これも洋館付き住宅で、セセッション風の(?)門柱がありました。
地区の南西の端あたりです。

080920muromachi19
この一角はコンクリート塀で、また違った雰囲気。
左が先ほどの洋館付き住宅、右が次に紹介する洋風住宅です。

080920muromachi21
和風的要素があるとはいえ、丸々の洋風住宅は、住宅地内ではこれだけではないでしょうか。窓枠など木製建具が残っています。

080920muromachi22
小屋裏に2つ開いた換気口にデザイン化された格子がはめられています。

建て替えが進んでいるとはいえ、池田室町住宅地は当初の純和風住宅・蔵付き住宅から増築された洋館付き住宅、洋風住宅まで見ることができます。規格化が持ち込まれていても単調ではなく、見どころの多い住宅地でした。

<関連記事> 他の郊外住宅地のインデックスはこちらです。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2008年9月21日 (日)

箕面の郊外住宅地〜箕面4・5丁目

080914minoo9
これまで箕面の郊外住宅地として、桜井住宅地桜ヶ丘住宅地住宅改造博覧会跡を含む)、百楽荘を紹介してきましたが、もう一つ、箕面4・5丁目のあたりにも古い住宅があると聞いていましたので歩いてきました。

この地域の特徴は南北に1本、古い桜並木の通りがあることです。全体に緩やかな南傾斜なので、桜の坂道になっています。両側から枝が伸びてトンネルになっていて、桜井住宅地の桜並木より状態がいいようです。

080914minoo13
肝心の古い住宅については、建て替わっているものが多いようです。
全地域を歩いたわけではありませんが、見つけたのはこの洋館付き住宅。雨戸を閉めると真っ白になってしまうという蔵のような、窓の少ない洋館部分です。

080914minoo14
そして、この洋館付き?住宅です。サイディングに覆われてしまっています。普通、洋館付きは端に付くので位置的に不自然な気もします。

080914minoo15
それでも美しい石垣はいくつも見ることができました。
例えば、こちらは玄関の石塀が美しい。

080914minoo16
前衛的な雰囲気も漂う石張りの塀。

080914minoo17
野石の乱積の目地をコンクリートで固めたもの(?)で、塀も門柱も統一しています。

もっと興味深い建物がないともいえませんので、とくに4丁目の東の方が要確認です。

080914minoo10
ただ、地域外に本格的な洋風住宅がありました。
箕面4・5丁目の北の端に東西の水路が流れていて、桜並木があります。さきほどの南北の桜並木と交差するところにこちらの大屋根をもつ住宅があります。

080914minoo11
付け柱というよりレリーフに近いものですが、柱頭付きの柱がはめこまれ、一部下見板も張られています。窓の桟は木製。

080914minoo12
さらに同じ交差点のはす向かいには、もう少し明るい雰囲気の洋館付き住宅があります。洋館付きでも屋根が二重で、大きな洋館部です。むしろ和風部分が増設なのかも。門柱はカラフルな切石積みでした。

まとまった郊外住宅地以外にもこのように洋風住宅があります。
箕面の主要な郊外住宅地4ヶ所を回りましたが、単独では駅西にもっと大物があるようですし、もう少し探索の余地があるようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月20日 (土)

箕面公園への道

080914minoo1
石橋を歩いた日、ついでに箕面まで足を伸ばしました。
箕面は住宅と観光の街です。観光の方は、箕面駅から土産物店の並ぶ坂道が箕面公園・箕面の滝に向かっています。まずはそちらに足を向けました。
(土産物街の写真を撮るのを忘れていました)

080914minoo2
駅からも、何ごとかと思うほど目立つ巨大なエレベーター。山上に見える箕面観光ホテルのエレベーターです。1993年まで手前の坂を登っていたケーブルカーに代わって、ホテルへの交通手段となっています。後で知ったところでは有料(100円)で利用できるらしいので、それなら気兼ねなく使えます。次は乗ってみたいと思います。

080914minoo3
川沿いの道を歩いていくと、「ここより名勝 箕面山」の石柱がありました。昭和5年に名勝に仮指定されたときの記念碑です。(本指定は次に出てくる一の橋から先らしい)だんだん公園に近づいている気分がします。

080914minoo4
やがて一の橋、そして橋の手前の橋本亭が見えてきます。明治43年に建てられた旅館でしたが、今はまちづくり拠点のギャラリー・カフェ、貸スペースとして営業しています。

この橋を渡ると箕面公園です。箕面公園は明治31年に府営公園となりましたが、それ以前から実質公園だった、府内でも古い公園の一つです。もちろん見てみたいのですが、日も傾きかけているので今日はここまでとして、橋本亭でひと休みすることにしました。

080914minoo5
ここは谷の出口に当たりますので、窓を開け放つと、谷を流れる涼しい風が自然クーラーとしてそのまま流れ込んできます。緑も広がる最高の場所です。

080914minoo6
さて、もと来た道を駅近くまで戻りました。
脇に古そうな道がありましたので、そちらに曲がると、これも古そうな四つ辻がありました。街道の趣があります。真ん中の道は中の坂と呼ばれて、西江寺をへて、同じく箕面公園に続いています。

080914minoo8
四つ辻のところにちょっと凝った分水施設 兼 洗い場があります。
水路が建物の下をくぐっているのもユニークですし、ちょっとした庭園みたいで面白い。でもこんなところで、洗い物をしていたら、知り合いに会ってばかりで一向に進まなさそうですね。旅人が顔を洗ったりもしたのでしょうか。

080914minoo7
駅まで戻って駅前再開発ビルの、みのおサンプラザ1号館地下1階にある箕面市立郷土資料館に入りました。ビルの地下1階にある郷土資料館は珍しいのではないでしょうか。と思ったら、スーパーが抜けた後、2006年に文化センターとともに移転してきたらしいです。

このような郷土資料館は、地域の成り立ちを全体的に知ることができるので重宝します。私の興味がある近代では、ラケット型と呼ばれた(折り返し型でなく、ラケット形の線路を回って運行)かつての箕面駅周辺の模型、桜ヶ丘の住宅改造博覧会会場(探訪済み)の模型、昔の写真パネルなどがあります。写真パネルでは、箕面にあった動物園の写真、大観覧車からの写真、櫻井住宅地(探訪済み)の写真などなど興味深いものがあります。旧街道についても分かります。
料金は無料。

展示品を見ているとまた歩き回りたい気持ちが高まってきました。
さて、もうひと歩き!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月18日 (木)

大阪大学の五角窓

080914handai
大阪大学豊中キャンパスに行きましたので、登録文化財の共通教育本館(イ号館)を見てきました。
キャンパスの中でも阪急石橋駅に近い高台にあります。6月に訪れた大阪大学総合学術博物館とは近所です。

近づくと、タイトルにもしましたが、五角形の窓が目に刺さります。ネオ・ゴシックと説明されている資料もありますが、アーチを突き詰めていくと五角形になったということなんでしょうか。

この建物は、1929年(昭和4年)に、旧制府立浪速高等学校の高等科本館として建てられました。

080914handai2
玄関周りはとくに凝っています。玄関の庇には電波のような模様が入り、門灯はクラゲをロケット化したような形。未来的な雰囲気があります。玄関扉も五角形が組み込まれ、上部にはステンドグラスも。
こういうのはアール・デコではないんでしょうか。

080914handai3
見上げると立体方向にもとんがっていることが分かります。

080914handai4
玄関ホールに入ると大きな五角形窓から日差しが差し込みます。ここではどうしても五角形を見せたかったんでしょうね。

080914handai5
階段の親柱もとんがっていれば、手すりの窓も五角形。

080914handai7
五角形の内側にはさらに幾何学模様が入っています。

080914handai6
上層階からは北摂平野を望むことができます。
丘の上にできたばかりの旧制高等学校−−上昇する気分と五角形には関係があるのかな、などと考えました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年9月17日 (水)

石橋の下見板の建物

080914ishibashi1
阪大に用事があって石橋に出ました。
そのついでに以前、大阪大学総合学術博物館を見に行ったときに気になっていた一角を歩きました。

石橋は西国街道と能勢街道が交差するところで、少し北の西国街道上に瀬川宿という宿場町がありました。また1910年(明治43年)に梅田~宝塚・石橋~箕面間の箕面有馬電気軌道(阪急の前身)が開通したときに石橋駅が誕生しました。昔から交通の要所として賑わったところです。

今回歩いたのは池田市石橋3丁目のあたり、石橋駅の東側(阪大側)です。さっそく、とても気になる建物があります。
下見板張り2階建ての木造建築で、ひと気なく静かに立っています。

080914ishibashi2
玄関の雰囲気からは事務所のよう。
2階にうっすら残る文字は、私には石橋衛生研究所と書かれているようにも思えます(気のせい?)。隣は大阪空港関係の寮なので何か公的な建物かとも思いつつ、分かりません。
どなたかご存じでしょうか。

080914ishibashi3
裏からもよく見えます。裏には同じく下見板張り2階建ての倉庫らしきものが立っています。
庭に草1本なくて、駐車場のようなのが不思議。

<追記>  2010年からこの建物は、陶芸&カフェJiJiとして再生活用されているそうです。  建物は昭和23年頃で、診療所としてスタートし、のちに保健所の仕事を手伝うようになって、石橋衛生研究所の名前になっていたらしいです。ちなみに裏の小屋ではモルモットを飼っていたそうです。  →陶芸&カフェJiJi  (2013.7.15記)

080914ishibashi5
この一角は石垣を見ても古い雰囲気が漂っています。

080914ishibashi7
石垣の下にも石を張り詰めて几帳面なこと!
この張り方は大正時代っぽい感じです。

080914ishibashi4
そして洋館付き住宅の数々があります。
見にくいですが、緑の瓦屋根の洋館部分が付いています。

080914ishibashi6
こちらも洋館付き住宅らしい。
屋根は葺き替えられています。

080914ishibashi8
そしてもう一つ小ぶりな洋館付き住宅。
狭いところに集中しています。

080914ishibashi9
このあと、踏切を渡って駅の西側を少し歩きました。
商店街のアーケードから気になるものが見えたのでそちらへ。
さびてかすれた看板に阪急石橋市場の文字があります。

080914ishibashi10
その背後には大きな下見板張りの建物。
随分前からありそうです。
この小路は今は飲み屋街になっています。

080914ishibashi12
建物の脇には狭い通路があり・・・

080914ishibashi11
裏には隠れた路地がありました。

どこか謎めいた石橋かいわいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月15日 (月)

青島・煙台の旅(26)青島八大関をさまよう

080525badaguan16
青島の八大関にある花石楼を見た後は、八大関を散歩、というより行き当たりばったり、さまよいました。

八大関の中には、このように美しく整備された池のある公園もあります。そしてそこはやはり撮影スポットです。

080525badaguan2
<八大関の街路・建物配置図>
八大関の説明がまだでした。
八大関は1930年代初めから開発された高級別荘地です。1922年から1937年までは、青島が中国に返還されていた時期だったので、領事館関係者や外国企業の支店長などが住んだようです。

八大関という名前は、中国の有名な関所の名にちなんだ8つの道路(例えば函谷関路、山海関路など)があるためです。今は10関に増えているそうです。

080525badaguan17
たとえばこんな住宅。塀には青島の花崗岩が使われ、多少の幾何学的装飾もありますが、基本的に直線・曲線で構成されたモダン建築です。

080525badaguan18
交差点の角地なども無理に宅地化せず、緑地にされていたりします。ほんとにゆったり。

080525badaguan19
松林の中にあるこの建物は、今は療養施設になっています。いくつか療養施設の看板を掲げている建物がありました。レストランになっている建物もあります。『青島と山東半島』によれば、この地区にあるホテル「八大関賓館」が11の建物を運営していて、予約すれば泊まることができるそうです。交通は不便ですが、そういう過ごし方もいいかもしれません。

080525badaguan20
この建物は栄成路と武勝関路の角地にあります(栄成路19号(番地))。山小屋みたいでいかにも別荘です。1931年に、王節堯の設計で建てられました。門柱のてっぺんに家が乗ってるのがかわいい。

080525badaguan26
先ほどの写真では木に隠れていましたが、ヨーロッパのお城風の石塔が隅に立っています。

080525badaguan21
このまま栄成路を海に向かって歩いていきました。
栄成路は「関」が付いていません。1920年代に道が開かれて、1930年代に建築が始まり、八大関開発の端緒となった通りなのだそうです。「建築博覧会」の称号もある通りなのだとか。

同じ並びの住宅です。シンプルで、丸窓があるのが1930年代ぽいかな。

080525badaguan22
栄成路33号。鉄の門飾り、テラスが軽やかです。
(ちなみに中国の地番の付け方は道路が基準で、片方が奇数、もう片方が偶数です)

080525badaguan23
栄成路34号のこのお宅は、1930年代後半に三菱株式会社青島支社の青山喜一支社長が住んでおられたそうです。窓枠のブルーとくに楕円形の窓と、モダンデザインの門扉が印象的です。

080525badaguan24
フェンスのデザインは摩天楼をかたどっているのか、面白いデザインです。

いくつか住宅を紹介しましたが、八大関の代表的な建物というわけではなくて(八大関を外れてそうだし)、むしろもっと他に有名な建物があります。なにしろ樹木に隠れて見通しがきかないので、どこに魅力的な建物があるか分かりにくい状況です。下調べして住所を手がかりに回った方がよさそうです。反省を込めて。

080525badaguan25
八大関をさまよったあと、海岸にも出てみました。
海からやってくる霧でほとんど先が見えません。

磯遊びしている中年カップルに思い切って声を掛けてみると、地元青島の人でした。ビニール袋の中の「獲物」は、小魚やカニ、ヤドカリなどでした。童心に帰って楽しそうです。
高級別荘地の八大関も今は気軽な遊び場になっているようでした。
そしてもちろん結婚写真の撮影地にも。

○参考資料
 『青島と山東半島』(旅名人ブックス)、2007年、日経BP企画 
 『中国近代建築総覧 青島篇』、1992年、中国建築工業出版社
 魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社

| | コメント (2) | トラックバック (0)

青島・煙台の旅(25)青島の石の別荘

080525badaguan1
青島の別荘地、八大関に入りました。
八大関は岬を利用した海辺の別荘地です。街路樹と庭園の緑、海岸緑地の緑が一帯となり、圧倒的な緑に埋もれています。そのため住宅の姿はよく見えません。

向こうからぞろぞろと歩いてくるのは結婚写真撮影の皆さん。海あり、森あり、洋館ありの八大関は結婚写真のメッカになっているようなのです。(中国や韓国では結婚の際に、新郎新婦の写真アルバムをつくります。撮影には非常に力を入れます)

080525badaguan3
まず八大関で一番の観光スポットである花石楼に向かいました。
八大関でも一番端の海沿いに建っています。
花崗岩で固められた姿はヨーロッパの古城のような重々しさです。

花石楼は1930年から1931年にかけて建てられました。設計者は劉耀宸、施工者は王雲飛です。もとはロシア貴族レイビッチの別荘で、1936年頃にレイビッチが亡くなったのち、イギリス人保険商の手に渡りました。イギリス領事も利用したようです。1949年には青島駐留の米軍を頼ってきた蒋介石が一時滞在したこともあります。新中国になってからは接待施設として使われていました。

今は入場料6.5元(約100円)で公開されています。

080525badaguan4
裏側はこんな感じ。こちら側にも丸い塔が立っています。

080525badaguan5
花石楼の名前は、室内の壁に滑石(ロウ石)が張られていること、外壁に花崗岩が使われていることから、中国語で滑石と同音の花石を当てて、花石楼と呼ばれるそうです。

080525badaguan6
暖炉までが石の塊。室内にまで石を使っているとやや重苦しい気がします。

080525badaguan8
表の円筒部は階段室になっています。
らせん階段にほっとします。

080525badaguan9
階段室の窓には色ガラスが使われています。
階段室だけ妙に明るい。

080525badaguan10
階段は途中から、室内に入っていきます。
うねるようなカーブに引きつけられます。

080525badaguan11
円筒の塔の最上部は展望室になっています。
まるで見張り塔のよう。ここからは第2海水浴場が見渡せます、が今日はこの霧です。

080525badaguan12
第2海水浴場は、磯場へと続いています。
白い点がたくさん見えるのは、結婚撮影のカップルです。幻想的といえば幻想的なんですけど、この霧で写真が撮れるんでしょうか。

080525badaguan13080525badaguan14080525badaguan15
実は花石楼も、結婚写真の撮影用に道具立てを用意しています。
どんな写真を撮るのか分かります。
新郎新婦のドレスはほとんど白(純白あるいはクリーム色)なのですが、花石楼内では青いドレスの美しい新婦さんが撮影していました。

煙台の煙台山と全く同じ状況です。
人数でいうと煙台以上です。

○参考資料
 竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
 『青島と山東半島』(旅名人ブックス)、2007年、日経BP企画

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月12日 (金)

青島・煙台の旅(24)青島第一海水浴場

080525haian1
さて、青島の小魚山公園で霧に巻かれた後、山を下りて再び別荘地の八大関をめざしました。
そこは滙泉湾(ドイツ時代はヴィクトリア湾)に面する第一海水浴場と呼ばれるビーチです。海に向かって、堂々たる旧海浜旅館が建っています。プリンツ・ハインリッヒホテルと同じ会社の経営だったそうです。1903年から1904年(一説には1907年)に建てられたといわれる、青島初のリゾートホテルです。

ドイツ時代、南側の海岸はヨーロッパ人の遊泳区で、中国各地在住のイギリス人、アメリカ人、ロシア人、フランス人がこのホテルに泊まり、海水浴や日光浴、オープンカフェでの休息を楽しみました。

それにしても随分ゆったりと海岸との距離をとったものです。こちら側には海を眺めるベランダが並んでいます。逆にホテルの裏側には競馬場があったそうです。

今もホテルだったら良いのですが、今は建設会社が入っています。

080525haian2
同じ写真を拡大してみました。
面や手すりは幾何学模様で構成されています。線の目立つデザインです。

080525haian3
第一海水浴場には多くの人が遊びに来ていました。
ビーチバレー、潮干狩り、海藻拾い、砂遊びなどなど。
それほど透明感のある海ではありません。
5月なのでまだ泳ぐには早い季節です。

なお、第一海水浴場のあるのは滙泉湾です。太平湾には第二海水浴場、浮山湾には第三海水浴場と湾ごとに海水浴場があります。

080525haian4
海岸沿いにはボードウォークも整備されていて、そぞろ歩きもできます。

080525haian7
海岸沿いに住宅が並んでいて、何棟かは修復工事中でした。
こうして青島の景観は維持されています。

080525haian5
この海岸通りは南海路と呼ばれます。このあたりの建物は海に向かって建ち、ゆったりした雰囲気があります。

080525haian6
海岸では新婚さんの結婚写真撮影が行われていました。
これは序の口だとすぐに知ることになります。
滙泉角の岬を越えると、もうそこは別荘地・八大関です。

○参考資料
 竇世強・李明『画説 青島老建築』、2004年、青島出版社
 魯海『老楼故事』、2003年、青島出版社

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月10日 (水)

箱木千年家の床(神戸市)

080824hakogi1
先日のこと、箱木千年家に連れて行っていただきました。
神戸市などというとかえって誤解を招きそうな、六甲の北側です。

江戸時代から千年家と呼ばれてきましたが、実際は築700年ぐらいらしいです。それでも古い。
元あった場所が呑吐ダム建設で水没するため、1977年から79年にかけて現在地に移築されました。移築の際に、より古い姿(母屋と離れが別々)に復原されています。移転前の周辺の模型を見ると川沿いの丘に建つ家で、その眺めが見られないのは残念です。

かやぶき屋根を深々とかぶっていて、頭をかがめて入ります。

080824hakogi2
気に入ったのが、座敷の床。
昔はかんなが使われていなかったので、手斧(ちょうな)で仕上げられています。黒光りする床に行灯の光が反射すると月夜の水面のよう。とても素敵でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 9日 (火)

近江今津の十字路

080906imazu1
針江生水の郷を歩いた後は、電車で一駅、近江今津に移動しました。
Oさんの提案で、ひつまぶしを食べようということで、西友(にしとも)というお店の駅前店に入りました。阪神間や泉州のイメージか、無意識のうちに駅の海側が表と思ってしまうのですが、どうもここでは違うみたい。山側の駅前です。危うく間違えそうに。

注文を受けてから焼かれるうなぎはぱりっと香ばしく、のりも同じく、ごはんはもちっと、とても満足な昼ご飯でした。これで1300円台です。

後で歩いていて気付いたのですが、近江今津は川魚の魚屋さんの多いところです。西友も魚屋さん(佃煮屋さんも?)兼営です。うなぎも同じジャンルなんですね。

(そうと意識せず)旧江若鉄道の廃線跡に沿って歩き、江若鉄道の旧近江今津駅舎の前を通って(まさか岩陶浴の店になっているとは)、若狭街道(九里半街道)にぶつかりました。

080906imazu2
若狭街道は琵琶湖から西に、熊川宿を通って若狭に抜ける街道で、このあたりは街道の面影を留めていました。近江今津ではかつて辻川という川が流れていたので「辻川通り」、また中央商店街の名前もある昔の繁華街のようです。

通り沿いに大きな町家があり、裏手の蔵に目が止まりました。ぴったり積まれた石垣から、扉の裏に描かれた白黒の鏝絵までみごと。扉を開け放して画が完成するというのが面白いところです。

080906imazu3
通りがカーブするところには変わった町家がありました。

080906imazu4
JR湖西線の高架をくぐると、ヴォーリズ通りとも呼ばれる通りになります。それは通りに3軒のヴォーリズ建築があるから。それを見るのがとりあえずの目的でした。

まず昭和11年の旧今津郵便局です。倉庫になっていて、痛々しいまでに傷みが目立ちました。
埋め込まれたアーチが特徴的。

080906imazu5
次に日本基督教団今津教会会堂。昭和9年に建てられて、今も教会、幼稚園です。
煉瓦を散らした門柱はヴォーリズ好みですし、3つの建物では、たたずまいが最も美しい、ヴォーリズらしい建物です。庭の手入れも行き届いています。

080906imazu6
3つめは今津ヴォーリズ資料館になっている旧百卅三銀行(今の滋賀銀行)今津支店です。大正12年に建てられました。模型を見ると当時は後ろに和館部分が続いていたようです。昭和54年から町立図書館となりましたが、平成15年に改修されて記念館になりました。記念館内部にはパネルや模型展示と、喫茶コーナーがあります。

ここで休憩中の今津教会の牧師さんにお会いするというハプニングもありました。

080906imazu7
さらに琵琶湖に向かって歩いていくと長い石垣がありました。この形式だと洋風建築が建っていたのではないでしょうか。

080906imazu8
若狭街道は終点(起点)でカーブして、北国海道(西近江路)となります。宿場の名残でしょう。宿屋がありました。もっともこのあたりが栄えたのは明治時代以降のようですが。

080906imazu9
街道の間の路地を抜け、石段を下りると琵琶湖岸です。
静かな湖面をボートが行き来していました。

080906imazu10
表は北国海道に面していますが、裏はどの家にも琵琶湖に降りる階段があります。
湖からは洋館部分をもつ建物を見ることができました。
大正から昭和初期にかけての建物に見えます。
表からは気付かないところ。

080906imazu11
再び琵琶湖岸に平行して走る北国海道に出ます。
こちらも街道の名残があります。
昔はこのあたりに今津桟橋があったようです。
北国海道に、若狭街道、そして琵琶湖航路で十字路になっていたわけです。

080906imazu12
まだ日暮れには時間がありますので、タクシーを拾って、高島市新旭町饗庭にある水鳥観察センターに向かいました。ここにある旅のカフェでお茶をするのが目的です。ここもOさんが下調べされていました。

冷房は使わず、窓は開け放たれています。
ヨシ原や干潟が整備されていて、絵のような風景。
オーガニックのアイスコーヒーを葦のストローでいただき、貸していただいた双眼鏡で水鳥を眺めながらのんびり過ごしました。

080906imazu13
のんびり。

080906imazu14
帰りは湖岸沿いに近江今津まで歩いて戻りました。
二ツ石大明神の鳥居。沖合100mのところに2つの石があって、渇水の時に現れるそうです。

080906imazu15
やがて、北国海道に合流し、湖岸の立派な松並木の道となります。

080906imazu16
やがて、琵琶湖の観光船のりばへ。
竹生島経由で対岸の長浜に渡る現在の十字路です。

私たちは十字路を逆に折れ、近江今津駅から帰途につきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 8日 (月)

湖西の湧き水の郷

080906harie1
Iさんにお誘いいただいて、滋賀県の高島市新旭の針江地区(針江生水の郷)に出かけました。
昔、福井に住んでいたので、湖西線はよく通りましたが、いつも通過するばかりで、新旭駅に降りたのは初めてです。

080906harie2
駅前はそんなに特徴的なわけでもありません。
途中下車しようとは思わない感じ。

でも面白いのは街路樹です。Iさんが気付いたのですが、カイヅカイブキでしょうか(名前を聞いたのですが忘れてしまいました)、ふつう生垣で足下まで茂っているのに下の方が刈り込まれています。妙な感じです。

30分ほど歩いて針江地区に着きました。

080906harie3
目的の針江地区は、湧き水の里として、最近知られるようになり、TVや雑誌に紹介されているそうです。この日も毎日放送が取材に来ていました。私は湖東の醒ヶ井は知っていましたが、こちらは知りませんでした。
無秩序な観光化から生活を守るためか、地区を見て回るのにはガイドツアー(里山水辺ツアー)に参加することを求められます。通常のツアーは1000円で90分のツアーです(1日3回催行)。食事付きのツアーもあります。詳しくはこちら。収益は保全に使われるそうです。

私たちもツアーに参加しました。
参加者は私たち3人と若い女性グループ5人の計8人、ガイドは地元のおばさんお二人です(お一人は見習いでの参加だったみたい)。

080906harie10
集落は焼き板壁に白壁の落ち着いた町並みです。

080906harie4
最初に共有の湧水に案内されました。
針江は山からはかなり離れているのですが、比良山系に降った水が伏流水となって地下20mのあたりを流れて琵琶湖に注いでいるようです。その地下水を鉄管を打って湧き出させています。
水温は年間13度で一定しているそうです。

080906harie20
次に「おさかな旭」というお店に案内されました。
鮎やマスの佃煮、ふな寿司など。とくにふな寿司は1000円ぐらいからと非常に安いです。

080906harie5
普通の溝を流れる水もとてもきれい。

080906harie6
正伝寺で湧き水をいただきました。
この竹のコップは参加者に1人1個もらえます。

080906harie7
正伝寺の亀ヶ池はまた湧水を使っていて澄んでいます。
昔は亀がいたそうですが、今はいません。
亀は濁っている方がいいのかも。

080906harie8
お寺の前には梅花藻が少し咲き残っていました。
6月〜8月が花期で、6月に満開になるそうです。

080906harie9
もう一つの湧水。ここが地区で一番おいしいと言われているそうです。
飲み比べましたが、私もこちらの方がまろやかでおいしく感じられました。

080906harie11
水は様々に利用されています。
小さな水車があって、サトイモの皮むきなどに使われているそうです。
これには「ほしい」という声も。水がきれいでないとできませんね。

080906harie12
さて、以上のものは歩いていても見られますが、ここからが針江独特のかばた(川端)と呼ばれるシステムです。多くの家に自家湧水があって、その水を利用したシステムです。家の中にあるので、ツアーでないと見られません。

まず正伝寺のかばたです。
石組みは200年前のものだとか。
上の丸い水だまり(壺池)から順々に水が誘導されて、端池から水路につながります。洗顔から野菜洗い、食器洗いまで、それぞれ適切な場所で行われます。

080906harie13
そこには金魚や鯉もいます。
これは観賞用にいるわけではなくて、残飯の処理係です。実に合理的。

080906harie14
こちらは豆腐屋さんのかばた。
豆腐を漬けるのに使われています。
かばたは、そのまま外の水路とつながっています。まさに川端。

080906harie15
お茶を冷やしたり、野菜、西瓜を冷やしたり。

080906harie16
地下水の冷気を利用して漬物置き場にも利用されています。

080906harie17
こちらには大きな鯉がいます。
鯉もきれいな水だけでは生きていけませんから、持ちつ持たれつ。

080906harie18
このかばたは離れになっています。
かばたは家の一部に作ってあったり、このように独立していたり、形態は様々です。

080906harie19
水路には一面に藻が生えています。
年に1度は藻を刈らないといけないので、藻刈り(もーかり)ツアーというのをやっているそうです。たいへんな作業をしゃれにする、その遊び心がいいです。

080906harie21
さて、針江地区はただの農業集落ではありません。
クレープの製織など繊維関係の工場がたくさんあって、昔はがっちゃんがっちゃんとうるさいぐらいだったという話を聞きました。なので下見板の工場や倉庫建築もまた集落内で見られます。

080906harie22
こちらも面白い建物。

080906harie23
宿泊したい方には空き家を利用した、かばた付きの宿泊施設も用意されています。1泊3000円で泊まれるそうです。なかなかいいですね。

080906harie24
水がいいところなので、立派な造り酒屋「川島酒造」もあります。

水を存分に利用した針江の集落は、たたずまいとしても美しいものでした。
観光地ではありませんとは言っておられますが、案内してくださった方は四季折々の魅力を語って、お誘いいただきました。とくに6月は梅花藻が咲き、ゲンジボタルが飛ぶ良い季節だそうです。次に来るなら6月がいいかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年9月 5日 (金)

明石の港

080824akashikou1
明石公園を見た後は、港の方に行ってみました。
南に歩いていくと海にぶつかります。港は入りくんでいて、フェリー乗り場があり、船だまりも。この右手に船がたくさん並んでいました。屋根付きの船が多いです。

080824akashikou2
あまり古い建物などはないのですが、伝統的な駒寄せのある町家がありました。
材木町なので、このあたりは材木商があったのでしょうか。

080824akashikou3
角の部分まできちんと処理しています。
行き届いたところに美しさを感じます。

080824akashikou4
蔵の軒下には獅子の頭がありました。
このような蔵はお寺で見かけるような気がします。

080824akashikou5
港には歴史のある岩屋神社があります。
成務天皇の13年(西暦でいうと143年)に淡路島の岩屋神社から勧請されたとされる神社です。正確な年代はともかく、明石で古い神社には違いありません。境内から今も淡路島を見ることができます。

神社は空襲で焼けています。
明石の町を歩きながら、歴史のある割に古い建物は少ないなと思いました。後で知ったのですが、明石は川崎航空があったため、兵庫県で最も空襲被害が大きかったのだそうです。

080824akashikou6
港近くにちょっとした丘。
石畳の坂道に期待しますが、それ以上の収穫はなくて残念。

080824akashikou7
いよいよ港の先まで来ると、古い灯籠のようなものがありました。
こんなに小さくても灯台です。明石港旧灯台と言われます。
江戸時代の明暦3年(1657年)に初めて設置された灯明台です(近畿で4番目の灯台)。
昭和7年に改修が行われて灯台となり、昭和38年まで現役だったそうです。

080824akashikou8
石積の突堤もまた残されています。あるいは復元?

080824akashikou9
ちょうど有名な、たこフェリーが出航していきました。

080824akashikou10
今はこの白い灯台とペアの赤い灯台が明石港の口を示しています。昭和37年12月初点のかわいい灯台です。この先は明石海峡のみ。

080824akashikou12
もう少し港に沿って歩いてみました。
さびしげな倉庫があります。

080824akashikou13
4つ足のクレーンは港のテクノスケープ。

080824akashikou14
港町には広さの割に神社・祠がたくさんあります。
狭い街区そのままに建物は新しくなり、漁師町の雰囲気は薄いのですが、たくさんある戎神社が漁師町らしさを伝えています。

080824akashikou15
それでも、ふと古いタバコ屋があったりします。
濃厚というわけではないのですが、港町の雰囲気を感じながらのまち歩きでした。

080824akashikou16
余談。帰り道、旧山陽道に洋菓子店キャネットというお店(明石市樽屋町5-20 ホワイトスワン1F)がありました。いろんな種類の手作りアイスもなかを売っています。ぶどう(105円)をいただきましたが、なかなか美味でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 2日 (火)

駅前の城跡公園(明石公園)

080824akashikoen1
ふと思い立って明石に出かけました。
JR明石駅のホームに降り立つと目の前が明石城跡=明石公園です。
ここまで近いのは珍しいのでは?

公園の入り口は城門です。

明石公園は、公式には大正7年開園です。
しかし、それ以前にも公園だった時期があります。

明石城が明治6年に廃城となった後、櫓の取り壊し反対運動(もともと天守閣はなかった)を機に、明治14年、士族による公園開設申請が出され、明治16年に許可が下り、士族の私設公園として明石公園保存会が管理する明石公園が開園しました。明治20年に中央園路の西側が拡張、この時点では公園の範囲は明石城の本丸〜三ノ丸から南側だけです。明治21年には明石駅が開業しました。

拡張により経費難となった保存会は、明治29年、公園を明石郡に買い取ってもらいました。郡立明石公園です。同時に敷地内に兵庫県簡易農学校が設立されます(〜大正11年)。ところがここが皇太子(後の大正天皇)の臨海避暑地の候補となり、明治31年に宮内省に買い取られることになりました。
様々に整備を進めて、さあ明石離宮の建設、というところで明治45年に明治天皇が崩御、大正天皇が即位してこの計画は消えてしまいました。

その後もしばらくは宮内省が保有していましたが、幾度もの払い下げ請願の末、県の借り受けが決定し、県立明石公園が開園したのが大正7年のことです。


より大きな地図で 近代の公園 を表示

080824akashikoen2

現在では城跡から北にも公園が広がっています。
再開された明石公園は本丸〜三ノ丸+東側の現在の公園外でした。大正11年の第一次拡張で、現在の公園の南半分まで拡張され、昭和7年の第二次拡張でほぼ現在の大きさになりました。

080824akashikoen3
さて、公園内に入ると芝生越しいっぱいに石垣がそびえ、東西の櫓が両脇を押さえています。天守閣のないのがかえって広がりを感じさせていいようです。実は明石城の建物としてはこれが全てなのですが、最大限の存在感を示しています。

080824akashikoen4
お城には右手から回り込みました。
右手(東側)には、武蔵の庭園があります。初代城主の小笠原忠政の命で宮本武蔵が、城内の今の陸上競技場付近に「樹木屋敷」を造り、明石城下の町割をしたと言われているそうです。そこまで多才だったのでしょうか。

大正11年の明石公園拡張の際、樹木屋敷の庭園材料や樹木がこちらに移されたといわれていることから、平成15年に整備されたのが、武蔵の庭園ということです(案内板より)。

この橋、なんとなく大正っぽい気が。

080824akashikoen5
東側の登り口から登ると三ノ丸付近に出ます。
なお、明石城の石垣は一部、阪神淡路大震災で崩落しています。
刻印の入った石がたくさんあって面白い。

080824akashikoen6
この日は運良く巽櫓が内部公開中(1階のみ)で、中に入れました。外は震災後に補修されてきれいですが、中は古い部材が支えています。

080824akashikoen7
巽櫓から見た公園。緑の海という感じで、不思議な心地よさがあります。向こうに見える山は淡路島です。昔は海が見えてかなりの絶景だったでしょうね。

080824akashikoen8
こちらは天守台から見た坤櫓です。森に浮かんでいるよう。

080824akashikoen9
裏側に回って桜堀です。堀というより、どこか深い山の池のようです。

080824akashikoen10
園内には太い園路が行き渡っていますが、林の中にも小径があって、静かな散歩も楽しめます。

080824akashikoen12
ロータリー。公園内にロータリーが必要なのかと思いますが、昭和7年の拡張時にロータリーができています。時代の気分、でしょうか。

080824akashikoen11
園内は人工の川が流れています。
この橋は昭和7年の拡張時でしょうか。

080824akashikoen13
昭和7年にできた楕円形の千畳芝。ひろびろ。
城跡というより普通の山に見えます。

080824akashikoen14
剛ノ池は園内最大の池で、城だった頃からあります。
ボートは昭和7年には既にあったようです。

明石公園は各種スポーツの公園でもあります。
むしろそちらがメインと言ってもいいぐらい。
この日(8/24)は野球に陸上にテニスなどなど様々な大会が開催中でした。
とくに明石球場(1932年完成)は、全国高校軟式野球の主会場で、この日はちょうど大会中でした。
駅前にあるので、スポーツの会場としては最適なんでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »