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2008年5月

2008年5月31日 (土)

新潟まち歩き(18)砂丘をサイクリング

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新潟ふるさと村に到着したわけですが、時間の関係でふるさと村はパスして、自転車で帰ります。
にいがたレンタサイクルは使い勝手がよく、市内20ヶ所のステーションのうち、自転車をどこで借りてどこで返してもいいんです。私は新潟グランドホテルで借りましたが、駐車場がステーションになっている場合もあってユニーク。料金は3時間100円、以後1時間100円と格安です。

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左岸の広い河原をもと来た方向に走り出しました。爽快。

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なかなか渡れる橋がないので、平成大橋まで戻って右岸に渡りました。


大きな地図で見る
もともとこのあたりを走ってみたいなと思ったのは、地図を見ていて、数kmにわたってうねうね続く道、しかも林に囲まれた道が気になって、どんな風になっているのか見に行ってみたかったからでした。恐らく防風林のある旧集落が古い砂丘上に並んでいるのではないかなあという推測です。

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川を渡ったところにある鳥屋野の旧集落。鳥屋野神社の近くです。道は入りくんでいます。

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立派な蔵がありました。このあたりは、蔵の上に大きな屋根を架けるんですね。屋根との間に隙間が開いているようにも見えました。

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うねうね道を走り出すと木杭の列が。博物館で、「はさ木」を見たのですが、それに近いものでしょうか。昔、低湿地だった新潟の田では、並木を植えておいて、そこに棒を渡し、稲束をかけて乾燥させていたそうです。そういう並木を見たかったのですが、今回は見られませんでした(車窓からはそれっぽいのを見た気もします)。

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屋敷林はたいてい松でした。
防風林というだけではなくて、砂丘が動かないように固定する意味もあったかもしれません。

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道に沿って、煉瓦塀もありました。

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それぞれの屋敷は深い屋敷林に囲まれています。門柱がちょっと近代っぽい。

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ところどころ、こんな蔵もあります。新潟の蔵は、立派な蔵です。

うねうね道はやはり想像したような道で、ゆるいアップダウンがあり、車通りは少なく、サイクリングするにはいい道でした。ところどころ、大きな道を横断するために迂回しなければいけませんが。こういうところ、サイクリングコースにしたらいいなと思いました。地元の人には迷惑かな。

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さて、ここまで来たので少し寄り道して、鳥屋野潟を見に行きました。今では少なくなった潟の一つです。湖岸(潟岸?)には桜並木があり、桜の季節は美しそうです。

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湿地帯には多くの水鳥がいました。
朝方、夕方などとくに情緒がありそうです。

このあと新潟の町に向かって一直線に北上、ミニミニサイクリングを終えました。


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新潟まち歩き(17)信濃川クルーズ

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「新潟まち歩き(16)ハンノキ島を歩く」のつづきです。
水の都・新潟の堀は埋められてしまいましたが、まだ信濃川があります。
信濃川には信濃川ウォーターシャトル(株)の運行する水上バスが走っています。お勧めもあって、乗ってみました。萬代橋をくぐりたかったので、萬代橋西詰(新潟グランドホテル前)で乗船。始発はみなとぴあです。

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船はアナスタシア号でした。
前方は室内の椅子席、後方は木のデッキです。ちょっとした売店もあります。
風が気持ちいいので私はずっとデッキにいました。

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面白いのがデッキに自転車も積めるんです。
普通の自転車で200円、レンタサイクルなら100円で乗せられます。私もレンタサイクルを借りて積んでいきました。

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船は出航するとすぐに萬代橋をくぐります。
萬代橋は昭和4年に竣工した鉄筋コンクリートの6連アーチ橋で、全長は307mです。国の重要文化財に指定されています。

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橋の上部はこんな感じ。とても開放感があります。
現在の橋は3代目なのですが、初代、2代目は木造で782mもあったそうです。(十三大橋より長い木造橋ってぞくぞくします。)3代目になる頃には、大河津分水の完成で水量の減った信濃川の南半分が埋め立てられて、今の万代地区になっています。

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橋の欄干が低いので(腰の高さ)、非常に広々と開放感があります。

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信濃川の川岸は、やすらぎ堤と呼ばれる緑地になっています。この堤防の低いこと! 信濃川の水をこの高さの範囲でコントロールしているのですから。おかげで、圧迫感のない水辺になっていると思います。多くの人が散歩やサイクリングに利用していました。
信濃川の北岸にはマンションが並んでいます。南に信濃川を望む部屋は気持ちがいいでしょうね。

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この日は河原でお祭りが開かれていました。

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ちなみに、やすらぎ堤にはベロタクシー(自転車タクシー)も走っているそうです。
そんな感じの自転車を見たような。

※2012年3月18日営業終了

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船の乗降はこんな風に簡単にできます。県庁前の乗船場にて。

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クルーズのハイライトはこの信濃川水門をくぐるところ。この写真はくぐった後です。

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さらに離れるとこんな感じ。
信濃川水門の左が関屋分水路で、信濃川が増水すると水門を閉じて、水を関屋分水路から日本海に流すわけです。これがあるので、あの程度の堤防で大丈夫なわけですね。

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別の水上バスともすれ違いました。
調べてみると「湖姫」です。
運行区間、料金はほぼ一緒。

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最後に北陸自動車道のときめき橋をくぐります。

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このあたりまで来ると両岸に木が多くなってきます。投網を打っている人もいました。

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新潟ふるさと村の乗船場に到着。
ここが終点です。ここまで運賃は650円でした。50分ほどのクルーズですので、結構安いのではないでしょうか。

レンタサイクルと船との組み合わせでかなり行動範囲が広がると思います。

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2008年5月29日 (木)

島と港町

北前船の寄港地を中心に島と港町を訪ねています。
それぞれ内容を1文字で表現してみました。
(1,2・・・よりは分かりよいかと)漢字をクリックすると各ページに飛びます。

060716kasashimakou <香川県・塩飽本島笠島地区>

◆北前船の航路
<兵庫県>
 ○室津 宿
 ○赤穂 
 ○坂越 
 ○家島 
 ○男鹿島 
 ○網干 
 ○尼崎 
<岡山県>
 ○犬島 
<香川県>
 ○小豆島 
 ○豊島 
 ○高松大島
 ○女木島 
 ○男木島 
 ○直島 
 ○丸亀 
 ○塩飽本島 
 ○牛島 
 ○高見島 
 ○佐柳島 
 ○志々島 
 ○粟島 
 ○伊吹島 
<愛媛県>
 ○今治 
 ○大三島 
<山口県>
 ○下関 
<島根県>
 ○鷺浦 
<新潟県>
 ○糸魚川 
 ○直江津 
 ○宿根木 
 ○小木 
 ○赤泊 
 ○新潟 

<山形県>
 ○加茂 
 ○酒田 

◆大坂~江戸航路
<和歌山県>
 ○加太  
 ○友が島 
 ○新宮 
<三重県>
 ○熊野(木本) 
 ○白子 

 ○答志島(答志) 
 ○神島 

◆九州~琉球航路
<長崎県>
 ○長崎 
 ○佐世保 

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新潟まち歩き(16)ハンノキ島を歩く

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新潟の古町と信濃川の間に礎町通、下大川前通などのある緩い山型の街区があります。ここは江戸時代には榛島(はんのきじま)や梨島と呼ばれた信濃川の州で、明治以後、街区が割られて都市化した地域のようです。運河が埋め立てられて、今は完全に町の中です。

そこに木揚場教会があります。
以下、説明は新潟のDaaさんの紹介されている記事によります。
「木揚場」という言葉を私は、ここが材木置き場になっていたのかな、ぐらいに思っていたのですが、実はもっと特定の意味を持つ言葉だと後で知りました。つまり、明治の10年代、京都東本願寺の両堂を再建するために全国30ヶ所に設けられた用材の集積地=木揚場の一つだったということです。新潟の木揚場は明治14年に開場し、その作業を手伝いに来た方の説教場として教会が置かれたのが始まりなのだそうです。

新潟の木揚場は明治23年に閉鎖されますが、教会は残りました。現在の教会は大正14〜15年に再建されたものだそうです。洋風の教会といっても真宗大谷派の教会なのです。国の登録有形文化財でもあります。

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斜めから見ると、車寄せのように玄関部分が出ているのが分かります。

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玄関正面から。3本ずつの円柱が立ち、柱頭はデザイン化されています。玄関上部には石でアーチが組んであります。正面から見るとまるきり洋風なのですが・・・

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後ろから見ると真宗寺院らしい大屋根です。面白い折衷の仕方。

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さて、ハンノキ島を歩いていると、旅館、料理屋などが目に付きます。今は空き地も多いのですが、そこから昔の雰囲気が伺えます。

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こちらも旅館っぽい建物。

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石垣の彩りが美しいです。

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石垣ついでに、この黒い屋敷と白い蔵の対比が目立つお宅。

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木材のような縞模様の石を貼ってあるのが特徴的で、きれい。調べてみると、群馬の多胡石(砂岩)に近いようです。

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倉庫もまた港町・新潟らしい建物ではないでしょうか。
ツタの絡まる塀は、煉瓦塀です。

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最後に近代建築をひとつ。
ハンノキ島には風流な雪月花を冠した雪町、月町、花町があるのですが、その花町にある、ひらの理容です。

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妻部分の装飾が洋風で、何か意味が込められているのかと気になりますが、この日はご旅行とのことで不在でした。

通りなどに雰囲気のあるハンノキ島です。
(新潟の方がこの地域を何と呼んでおられるか分からないのですが。ハンノキ島ではないでしょうね。)

「新潟まち歩き(17)信濃川クルーズ」につづく

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2008年5月28日 (水)

新潟まち歩き(15)近代公園いろいろ

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「新潟まち歩き(14)白山神社とポッポ焼き」の続きです。
日本で最初の公園、白山公園を見たわけですが、新潟には他にも戦前の公園がありますので、見てきました。

新潟で2番目の公園は礎公園です。
礎町通六ノ町にあります。柳都大橋のたもとにひっそりと、誰もいませんでした。
大正13年に、当時皇太子だった昭和天皇のご成婚を記念して作られた公園です。ここに、明治11年、明治天皇の新潟巡幸で行在所(宿泊所)となった白瀬家の別邸があったことにちなんでのことだそうです(公園の案内看板より)。

左奥に見える幼稚園の敷地も公園内でした。

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公園の門柱は恐らく当時のデザインでしょう。

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そしてアールデコビルのようなご成婚記念碑。
大正13年につくられたもので、随分かっこいいデザインにしたものです。

ほかに昭和10年に立てられた明治天皇新潟行在所の記念碑もあります。

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こちらは礎町通五ノ町の大円寺公園。
新潟市下町案内所さんによれば、同じく大正13年にできた公園で、昭和天皇ご成婚記念の報時塔があったそうです。
ここ、明治時代の堀跡ではないのでしょうか。小さくて何もないけど、樹木が立派な、不思議な公園です。

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こちらは本町通十三番町の曙公園。
明治27年につくられ、大正元年に移転した湊小学校の跡地に、昭和5年につくられた公園です(公園案内板より)。

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ユニークにも相撲の土俵があります。

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どんな由来があるのか分かりませんが、入り口には石像。

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そして地盤沈下の観測所があります。

官のつくった公園と地域の人たちがお金を出し合って柵や樹木を提供した公園。対照的な3つの公園でした。

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2008年5月26日 (月)

青島・煙台から戻りました

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<青島・信号山公園より>

青島・煙台の旅行から戻りました。

青島では数限りなくあるドイツ風の街並みを堪能しましたが、濃くなる一方の海霧に巻かれて、写真を撮るのには難儀しました。写真には雨より霧が大敵と知りました。涼しくて快適ではあったのですが。
青島の街は、近代建築が残っているというだけでなく、後から建てる建物が大なり小なり(小は赤い屋根のみ)ドイツ風なので、その継続・徹底ぶりに感心します。

煙台は青島と比べれば高さ・面積ともかなり小規模ですが、近代建築が集中的に残っていて、その一帯は味がありました。

そして、日柄が良かったのか、この土日は驚くほど多くの新郎新婦を見ました。
中国の新郎新婦は結婚記念にアルバムを作るのですが、その撮影地として近代建築保存地区は絶好なのです。煙台は煙台山、青島は八大関、見かけた新郎新婦は100組はくだらないと思います。

また中国といえば、北京オリンピック。
まだ先だし、青島だから関係ないと思っていたのが甘かった。
青島はオリンピックのヨット会場です。長距離バスターミナル、青島駅は大改修の真っ最中、青島行きの長距離バスは、チケット購入に身分証を提示して記録を取られるというものものしさでした。

また最近では四川の地震。
テレビでは大々的に報道を続けていますし、地震特集の新聞を寄付金付きで販売する学生ボランティアが町のあちこちで活動していました。

いろんな意味で意義深いときに訪れたと思います。
詳しくは新潟旅行のレポートが終わってから、書いていくつもりです。

<旅行の概要>
5月23日(金) 午前、関空発、青島空港着
        マイクロバスで煙台へ。
        (煙台泊)
5月24日(土) 煙台山など街歩き
        午後、長距離バスで青島へ
        (青島泊)
5月25日(日) ドイツ時代の街並み、
        煙台山公園、小魚山公園
        八大関など街歩き
        (青島泊)
5月26日(月) ドイツ時代の街並みを歩く
        午後、青島空港発、関空着

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<煙台・煙台山灯台より>

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2008年5月22日 (木)

青島旅行準備中

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新潟まち歩きの報告途中ですが、中国の青島に旅行に行くため、いったん中断します。
5月23日(金)〜26日(月)の4日間で、青島と煙台を回る予定です。

参考資料としては「中国近代建築総覧」の青島編と煙台編。運良く両方入手できました。いずれも中国近代建築史研究会と藤森照信さんのアジア近代建築史研究会による、日中共同の調査で、日本側は青島編が村松伸さんと堀内正昭さん、煙台編は村松伸さんと井上直美さんのチームです。調査は1988年から90年の間に行われているようです。
このほか旅名人ブックスの「青島と山東半島」という本も、詳しそうなので入手しました。

さて、この20年でどれだけ残っているか。
帰ったらまた報告します。

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2008年5月20日 (火)

新潟まち歩き(14)白山神社とポッポ焼き

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白山公園と一体的に白山神社があります。白山神社は平安時代創建といわれ、新潟の総鎮守です。
境内には松林があります。

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参道の狛犬に備前伊部焼の大きな狛犬がありました。大正6年の寄進です。

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摂社の一つに住吉神社があります。言わずと知れた海上安全の神様。白山神社は舟運とも関連が深く、船を描いた大絵馬が奉納されています。ここも港町・新潟に縁の場所といえるでしょう。
上の写真は溝があって、太鼓橋などが架かっていますが、昔は水路で堀につながっていたのではと思われました。

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脇にやられていますが、出雲狛犬もあります。
ほんとに各地の文化が集まっています。

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本殿は立派な建物です。
(雨の中だったので実はよく見ていません)

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さて、話が変わりますが、ポッポ焼ってご存じですか?
私も知りませんでした。新潟絵屋のUさんに、「白山神社でポッポ焼を売ってたら食べてみてください。おいしいですよ」と教えていただいていたのでした。あえてどんなものかは尋ねず、楽しみに出かけました。
白山神社の参道にありました。ポッポ焼の屋台が。

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これです。ポッポ焼。
ベビーカステラを棒状にした感じで、ほんのり黒砂糖の甘みがあります。見た目に素朴ですが、やさしい味でとてもおいしいお菓子です。
9本300円。1本でベビーカステラ5個分ぐらいありそうなので、ベビーカステラ換算45個ぐらい?結構なボリュームですよ、これは。でも一人で食べました。

名称の由来には定説はないみたいです。
面白いものがあるものです。
皆さんも新潟にお出かけの際にはどうぞ。

「新潟まち歩き(15)近代公園いろいろ」につづく

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新潟まち歩き(13)日本で最初の白山公園

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新潟市の一番堀通町にある白山公園(旧新潟遊園)は、明治5年に起工し、明治6年にできた日本で最初の公園と言われています(外国人専用の公園としては明治3年の横浜山手公園)。今回の旅行の大きな目的が、この日本最初の公園を訪ねることでした。

この一帯は白山神社を含め、新潟のまちとは堀を隔てた島になっていて、江戸時代にはこのあたりが荷揚げ場だったようです。

詳しい話は後にして、まずは園内を歩いてみましょう。
裏口の東堀口から入りました。自然石の車止めがいい感じ。

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オランダ式庭園と言われているのですが、和風に見えます。
灯籠があり、庭石が配されています。
ここであいにくの雨模様。
でもどちらかというと雨の似合う公園です。

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人工の滝も作ってあります。
滝は当初からあったようです。

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ひょうたん池には藤棚の橋がかかっています。
ちょうど藤の花が咲いていました。


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池には噴水があります。
そのあたりは洋風。

(追記)
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噴水は古い絵葉書にも描かれています。(2010.1.3記)

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池はもう一つあります。藤棚、そして東屋があります。

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(追記)池の中に立つ屋根を持つ塔は、ラジオ塔らしいです。ラジオの普及を図るために全国に立てられたもので、塔からラジオが流れました。日本放送協会新潟放送局は昭和6年に開局し、開局1周年記念として昭和7年にこのラジオ塔が立てられたそうです。(2009.1.11)

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公園の真ん中に築山があるので、登ってみました。
この築山は当初からあります。
この石段が面白かったので、ちょっとお付き合いください。

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一段一段、石の配置が違うんですよ。面白い!(と思うのは私だけ?)。石臼も活用されています。角の石はまた緑色凝灰岩のようにも見えます。
雨が降りかけでまだら模様なのが残念。乾いてるか、濡れてるか、どっちかの方が良かったのに。

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他の登り口もまた違う石段なんです。

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こちらはノミ跡を付けた切石。これも緑色凝灰岩か。

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築山に登ると新潟県令楠本正隆の銅像が建っています。
彼がこの公園の発案者です。楠本正隆は長崎・大村藩出身で、明治5〜8年まで新潟県令として活躍し、新潟遊園をはじめ、国立第四銀行の設立など新潟の近代化に尽くしました。新潟での実績が評価され、明治8年に東京府知事に転任します。

明治6年には太政官布達16号が公布され、群衆の遊覧場所を公園に指定せよという指示が出たのに応え、全国25の公園が用地設定・開設されたそうですが、その一つに新潟遊園も指定されました。布達が出る前から取りかかっていたので、日本で初めてという訳です。

公園の設計には、同じく大村藩の長岡安平の関わりが推測されていますが、決定的な証拠は明らかになっていないようです。長岡安平は当時新潟におり、のち東京府知事となった楠本正隆により東京府の土木職員に任命され、東京の公園はもちろん、のちに全国の多くの公園を手がけました。

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築山にはもう一つ、「新潟遊園碑」も立っています。
新潟遊園の開園を記念して、明治6年に建てられたものです。公園で身体と精神を養って、勉強に励めという調子で、読んでいると当時は公園で憩うのも随分肩に力が入っていたのだと思います。
長いですが、解説板の読み下し文を引用します。




        新潟遊園記
         太政大臣従一位 三条実美卿表額
 嗚呼、園や遊ぶ可き也、鬱乎たる其の樹は酸素を噴き、
割乎たる其の境は大気を通ず。螺径は歩む可く、沼沚は、
眄む可し。亭樹は憩う可く、橋梁は倚る可し。以て其の
精神を養い、以て其の身体を健やかにす。神之養と体之
養とは勉強に資する所以也。夫れ人之世に在る也、貴と
無く賤と無く、皆な力むることを以て自ら食し、而して
人に求めず。貧と無く富と無く、天下を以て己の任と為
し、而して衆に譲らず。蓋し天下は人を以て立ち、独り
政府を以て立たず。故に一人一日之遊惰廃業は、即ち天
下一人一日之損傷に係る。若し幾千人幾百日之遊惰廃業
を以て之を計れば、則ち天下幾千万之損傷を招かん。
以て交際す可からず、以て戦闘す可からず。地の大なる
こと魯米の如きと雖も、何ぞ東洋の一孤島と異ならず物
の阜なること英仏の如くと雖も、北海の僻地に過ぎず。
故に余謂えらく、開化之本は勉強に在り。勉強之本は身
体を健やかにし、精神を養うに在り、遊園之設け其れ止
む可けん乎と。余嘗て海外を歴遊するに皆な遊園有り、
林樾は茂密、沼地は清瑩、異芳発して蘚は、麗しく佳木
は秀でて掩暎す。貴族は往き、豪商は馳せ、美女は玉の
如く車馬は織るが如し、恍として人の世間に亦、何の遊
観が有りて以て此に代る可きやと疑えり。而して荷蘭の
制は、博物館、動植物を其の中に寓し、運動之間に古今
を証し、物理を窮め使む。最も簡にして、且、該と為す。
今茲癸酉、余、越後に遊ぶ。新潟県令楠本正隆君は励精
して治を図り、凡そ、旧貫にして改む可きは亟かに之を
改め、新たな利の興こす可きは速かに之を興こす。県の
西南に隙地有り、周囲は寛宏、眺瞩明眉、信水は引流し
彦山は青を送る。天然の風景巻まりて園中に供せり。
詢に形勝之区為り。頃、政府に請りて、以て遊園と為し、
方に土工を興こす。官吏は給を捐て、費に責する者あり。
県民は金を醵まって、役を助くる者有り。而して、其の
規模は略ぼ、荷蘭之制に倣うに倚れり。乃ち、衆に告諭
して曰く、凡そ、此の園に遊ぶ者は運動を以て務めと為
し、遊惰を以て嬉しみと為すこと無かれ、養生を以て限
りと為し、業を廃するを以て恬と為すこと無かれ。汝の
精鋭を蓄えて汝の職業に施せ、是に於て、治下の民、奮
起せざる莫し、勉励して各、其の職に服す。夫れ、越後
は大国なり、山を負い海を枕とす。若し、夫れ、鉱を鑿
ち畜を牧し、港を整え、路を修める之類には、州民能く
力を勉めて従事し、県令の意を奉ずれば、則ち、越後全
州、一百里之内の民力は尽く挙がらん。推して之を日本
全国に及ぼせば、三千万之人民、皆な越人の如くならん。
則ち、三府六十県之民力は尽く挙がらん、夫れ此くの如
くして然る後、以て交際す可く、以て戦闘す可く、以て、
各国与並び立つ可し、遊園之設け、其れ止む可けん哉。
県令、余に属して文を為り、之を記さしむ。余、県令之
治に励み、州民之協力を美しとして、是に於て書す。
           従四位 秋月種樹 撰文

白山公園(旧新潟遊園)内には、他にも様々な石碑や灯籠、記念物などがあり、ちょっとした歴史資料館のようです。後から様々なものが追加されながらも、当初の公園の雰囲気をとどめているのを嬉しく思いました。

(追記)
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<大正2年 新潟市全図>

参考まで、大正時代の白山公園周辺の様子です。
西に新公園というのができていたんですね。
(2010.2.21記)

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2008年5月18日 (日)

新潟まち歩き(12)擬洋風の議事堂

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白山公園の一角に新潟県議会旧議事堂があります。
明治16年(1883年)に建てられた擬洋風の木造建築で、設計・監督は新潟県巻町出身の星野総四郎という方です。星野氏は鉄道関係の橋や建築の専門家として活躍されましたが、この建物が現存唯一だそうです。設計にあたっては旧大阪駅や東京の明治会堂を参考にしたそうですよ。

県会議事堂は各地に建てられましたが、これが府県議会開設期のものでは唯一の遺構とのことです。
今は新潟県政記念館として無料公開されています。
彩度を抑えた落ち着いた配色で、仏教風と洋風が混ざったような装飾が個性的です。堂々たる明治建築。

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門の前から。
正門は煉瓦の柱に屋根みたいな石が乗っています。

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玄関部分を斜めから。
中心には八角形の尖塔が乗っています。
なお、玄関前の敷石は、もともと県庁玄関前と県議会前の階段に使われていた花崗岩(倉橋島石・議院石)を再利用しているそうです。

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玄関軒下の拡大。
細かい透かし模様の板、軒下にも飾りが連続して擬洋風らしい装飾です。

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中に入る前にちょっと外観を見ておきます。
窓は上下窓。窓の周りには窓枠石が貼られています。解説によれば、津川産の谷沢石。でも谷沢石が何ものかは検索しても分かりませんでした。緑がかった柔らかそうな石で、緑色凝灰岩のようなんですが。渋い緑の色合いが落ち着きを与えています。

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そして例のごとく、床下換気口のグリル。
この細やかさが明治風です。緑青色と渋い煉瓦色、目地の白との組み合わせもいいですし、ほとんど円形のアーチも美しい。

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さて靴を脱いで内部に入ります。
天井には漆喰細工が施されている部屋もあります。これは「松」。

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この部屋は「梅」。

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多くの部屋が公開されているのですが、資料展示室に使われているので、写真は割愛させていただいて、見どころは何と言っても議場です。建物の向かって右側の部屋、2階まで吹き抜けの広々した空間になっています。開かれた議会、という言葉が浮かびます。奥が議長席。

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2階から1階に降りる階段と手すり。
左の通路は八角塔屋に通じる通路です。係の方に声をかければ、自己責任で入らせてもらえます。せっかくなのでお願いしてみました。

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両翼の大屋根にさえぎられて、そんなに眺めがいいわけでもないですが、こういう所に登れるというのも面白いものです。

この塔屋は平成16〜18年の平成の大修復で直されています。
地盤がゆるいため、不同沈下の対策工事も施されたそうで、貴重な古い建物を残していこうという意志には頭が下がります。

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議場の窓からは隣の白山公園の緑が眺められます。
こちらの眺めが一番快く思えます。白山公園は明治6年からありますので、変わらぬ眺めです。
次は白山公園に行ってみましょう。

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新潟まち歩き(11)花街のなごり

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本町通を歩いていたとき、小路の向こうにレンガの壁が見えました。
東堀通八番町のあたりです(つまり元は東堀沿い)。

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近づいてみると、レンガは釉薬がかかっているよう。後で調べてみると、施釉煉瓦は耐寒性があるそうです。新潟ならではかもしれません。全て小口を向けた積み方なので、あまりしっかりした積み方ではなさそう。

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例によって床下換気口のグリルを見ると、明治時代っぽい美しいデザインです。煉瓦で簡単なアーチまで作っています。

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さらに隣には巨大な和風建築が聳えていました。
普通の町家ではありません。

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気になったので、表側に回ってみると、料亭の鍋茶屋さんでした。創業は江戸末期の弘化3年(1846)。私が知らなかっただけで、登録有形文化財です。

主屋と煉瓦蔵、離れ土蔵は明治43年頃で、何度か増築がなされ、応接室棟と離れ座敷が昭和6年、表門と外塀が昭和12年の建築だそうです。昭和12年には主屋の増改築もなされています。いずれにしても戦前です。

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港町に花街は付きもの。新潟の花街は日本有数の花街だったそうです。
それを伺わせるのが、西堀前通九番町の三業会館。「三業」とは、料亭、芸者置屋、待合の3つの業種のこと。新潟には今も芸妓さんがいるそうです
緩くカーブするタイルの壁がインパクトのある昭和39年の建築です。建て替え計画があるそうです。

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本町通十一番町にある日本料理「大橋屋」さん。
江戸末期慶応2年(1866)の創業です。外観を見ても花街の雰囲気が漂っていますが、内部も趣向が凝らされています。内部はリンク先をご覧ください。
昭和10年完成で、登録有形文化財です。

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ちょっとこの写真はよくありませんが、古町通の両側に平行する裏通りとして、東新道、西新道があり、料亭・割烹、飲み屋が建ち並んでいます。

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古町通のアーケードには、2005年オープンの古町演芸場がありました。大衆演劇の劇場です。
このような芸能の場も、花街のなごりと言えるのかなと思います。

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新潟まち歩き(10)若者の上古町

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「新潟絵屋」さんで、上古町のあたりに若者の出している店が集まっているという話を伺い、見に行ってみました。上古町というのは、古町通の上=川上側です。
この写真は、ちょっと小路に入ったところの「カフェ砂場」。長屋カフェです。今回は休む間も惜しんで歩き回ったので入れなかったのが残念です。
見た感じ、大阪の中崎町や空堀のような、長屋を前面に出したカフェでもなさそう。

古町は繁華街ですが、上古町になるとちょっと外れ。
空き家があって賃料の安いところに若者が入ってきているのかなと思います。大阪のアメリカ村も始まりはそんな感じですし、他の都市でもあると思います。

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お隣も同様に、長屋改造型の、服のお店のよう。
雰囲気がつかめますでしょうか。

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こういう古い町家の1階がもともと商店で、そこに昔からの店に並んで、若者の店が入り込んでいます。

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また、コミュニティビジネス的な店も入ってきている様子。
元酒屋のスペースを利用した「ワタミチ」さんというお店。残念ながら、この日はお休みでしたので看板のみです。

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こちらの「もめんの花束」さんも文化発信型。なんと20年もされているそう。

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普通に昔からされているお店もあります。

昔からのお店と若者のお店とコミュニティビジネス的なお店が渾然一体となって、不思議な街の魅力になっていると思います。上古町には、面白いことが生まれてきそうな街という雰囲気がありました。

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2008年5月15日 (木)

新潟まち歩き(9)街なかの看板建築?

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引き続き街中の建物です。
上大川前通十一番町です。2階に4本並んだコリント式っぽい円柱が目立っています。タイルもスクラッチ風タイル。タイトルに「看板建築?」とあるのは、横をのぞき込むと後ろは普通の和風町家だからです。(どこまで看板建築と呼んでいいものか分からないので「?」を付けました。)
いいんですが、列柱の重みで庇がたわんでいるのが気がかり。

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意外と見どころの多いのが、この村田医院。本町通八番町にあります。
いろいろと凝ってるんです。まず1階左の茶色のボーダーになっている部分はスクラッチタイルです。

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1階の玄関上にはこの模様。
簡略化されていて分かりにくいですが、波に千鳥でしょうか。花に蝶でしょうか。

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2階正面には花かごがあります。

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そして2階窓の下には植物模様。

この建物も後ろは和風建築です。

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こちらは本町通四番町の建物。
大型の(前だけ)スクラッチタイル貼りの建物です。

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最後にこれも本町通四番町の建物です。上の建物の斜め前ぐらい。これは看板建築ではありません。見た目はそれほど変わってませんが、この建物も一部スクラッチタイルが使われています。

新潟の町家の丁字造りは、道路に面した部分だけを道路に平行にして、後ろは道路に直角の(在来の)建て方をしたといいますが、これら看板建築(?)も同様な発想に感じられます。あくまで私の感想ですので、根拠はありませんが。

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2008年5月12日 (月)

新潟まち歩き(8)街なかの近代建築

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新潟の街は、和風の町家(と現代の建物)が主体ですが、ちらほら近代建築も見られます。今回は、江戸時代以来の新潟の街とその周辺に建つ近代建築を紹介します。

まず本町(ほんちょう)通五番町にある(株)クワバラ社屋。昭和8年のアールデコ風建築で、設計施工は清水組です。登録有形文化財。
小道さんによると旧太平生命保険新潟支社なんだそうです。
昭和25年には(株)クワバラの支店になったようです。

(追記)
 (株)クワバラ社屋は、2010年5月の事務所移転に伴い、取り壊されたそうです。
 登録文化財でしたので、何らかの事情があったのでしょうが・・・
(2010.7.4記)

なお、本町通は名前通り、新潟町のメインストリートで、白山神社のある川上の一番町から十四番町まであります。今は古町通あるいは西堀前通の方がメインのようですが。

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逆光で見にくいですが、本町通十番町の健生薬局です。
周りがなくなって孤立してしまっています。反面、360度から眺められます。
基壇部は花崗岩貼り、上部はタイル貼り。左右対称のすっきり美しいバランスです。
あまり薬局っぽくない気もするんですが。

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この建物でちょっと気になったのが、建物前の石畳です。
玄関部分は花崗岩ですが、その両側の緑色の石材は緑色凝灰岩でしょうか。この色の石を今回、新潟のあちこちで見かけました。緑色凝灰岩の産地は限られ、新潟もその一つだそうです。石油層と関係があるともいいます。後日紹介しますが、旧新潟県会議事堂に緑色の石が使われ、説明によると津川の谷沢石と説明されていました。しかし、谷沢石がどんなものかがよく分かりません。見たところ、この石も同系統の石ではないかと思っています。

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古町通十番町の吉野印刷(株)。
ベージュ色に所々あしらわれたミントグリーンが爽やかな建物。きれいに手入れをされていて、気持ちのよい建物です。円柱に「吉野オフセット印刷所」と書かれていたのを塗り込めて、復原的にきれいにされていることからも、建物への愛着を感じます。

明治36年の創業で、大正5年に建てられた木造モルタル建築。新潟で初めてといわれるエレベーターも残っているそうです。

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正面のレリーフ模様です。
花のランプはおまけ?

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西堀前通三番町の角に立つ中村写真機店。
昭和11年の建物。スクラッチ風の白いタイルで覆われています。

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東中通一番町のJA新潟県厚生農業協同組合連合会。
飾り気は少ないものの、足下に連続模様が彫り込まれています。
昭和32年に移転してきたそうですが、その前は何だったんでしょう。
最後の最後に撮ったのでかなり限界です。

なお、この左にも近代建築があったはず。
確認してみると、昭和15年のやまと生命新潟支店。最近取り壊されて、マンションになります。新潟はそれほど街中の開発圧力が強いわけではないようですが、それでもマンションへの置き換えは進んでいます。

こじんまりした建物が多いものの、きれいに手入れされている建物が印象に残りました。

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2008年5月11日 (日)

新潟まち歩き(7)堀を想像する

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新潟の街は縦横に堀のある街でしたが、昭和30年代に全て埋められました。
しかし、街区割自体にはほとんど手を付けていません。
ですから堀跡の道路は、「堀があるものと想像して」眺めると、いろいろ見えてくるのではないかと思います(大阪でやってることの応用)。

ここは東堀前通九番町のあたり。東堀の跡です。
3軒の町家が並んでいます。それぞれ2階が張り出していて、川を眺める座敷になっていたのではと想像します。

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堀跡が道路になっていない珍しいケース。
白龍大権現は水の関係でしょうか。その後ろは商店街となっています。
ここは新津屋小路で、新津屋堀がありました。

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こちらは本間町二丁目のあたり。こちらは近代の堀ですが、堀に沿って倉庫が並んでいた様子がうかがえます。

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早川町二丁目のあたり。堀が蛇行する様が想像できます。

昔の様子を知って想像を加えると、ちょっと楽しい。

(追記)
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<堀があった頃の姿 戦前の絵葉書>
(2010.11.22記)


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新潟まち歩き(6)小路の魅力

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新潟の街の魅力に小路があるようです。
江戸時代の小路を今に引き継ぐ歴史性・・・によらずとも感じ取れる郷愁、生活感、潤い、そんな心地よさを感じます。大阪でいうと野田・福島に近いでしょうか。
例えば江戸時代の街並みが残っている、建築史的に貴重、とかなら公的に残す理由が立ちやすいですが、普通の小路を残す理由付けは難しいことと思います。やはり市民の「小路が好き」という感覚が鍵になるのでしょう。その意味で、新潟の市民グループが小路の魅力を発信し、それを新潟市がサポートしているのは画期的なことだと思います。

小路については個々に解説するのもなんですので、いくつか写真を示しておきます。
(どこの小路かメモるのを忘れたという事情もありますが)

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ところで、新潟の町家の特徴は、丁字造りというものだそうです。
改築されているのでいい例ではないかもしれませんが、上の写真がそうです。屋根の向きを見てください。表通りに平行した棟の後ろに、通りに直交する棟が続いています。そして全体の平面は長方形です。これが丁字造りです。元々、新潟は通りに建物が直交していた(妻入り)文化圏だったのが、明治以降、通りに平行して建てる(平入り)文化が入ってきて、表通り部分だけ変更したものらしいです。

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小路に面する町家にも見どころがあって、この近代町家など、各種の窓の組み合わせが魅力的です。

新潟は小路を巡るだけでも、十分楽しめると思います。


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2008年5月10日 (土)

新潟まち歩き(5)上から眺める

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港町の新潟で行っておきたいと思っていた場所が、日和山です。
日和山というのは港町に特有のもので、港が見渡せる小高い所です。江戸時代には、船乗りがここに上り、日和(天候や風向き)を見て出航の判断をしていました。
新潟の日和山は標高27m。今は街中で目立ちませんが、江戸時代は名所で賑わったそうです。
砂丘があるとはいえ、平坦な新潟では他に適当な場所がなかったのでしょう。

この階段を登れば山頂です。

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日和山の上には、日和山住吉神社があります。
昔はこの上にさらに船見櫓が組まれていたようです。
眺めは多少いいのですが、残念ながら海は見えません。
明治時代にはもっと海寄りの新たな日和山が使われました(そちらは今はなくなったそうです)。

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海の方を見ると展望台が。
ここまで来たら海が見たいと、この展望台(日和山展望台)まで足をのばしました。
標高は30mぐらいかな。海岸砂丘の上に立ち、ここはかなり眺めがよいです。
にいがたなじらねっとさんによれば、昭和11年に完成したそうです(のち改修)。

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東の方、日本海の海岸と、砂丘に守られているような新潟の街が眺められます。この先に現在の新潟港があります。海岸に構造物が多くて景観的には残念ですが、強い潮流に砂が浸食されるので、致し方ないのでしょう。

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いらかごしに遙か遠く、雪を抱いた山並みも望めます。

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新潟には他にも展望台がたくさんあります。
少し離れた海岸近くにあるのが日本海タワー。
1970年に設置され、展望台の高さは63m。20分で一回転する展望台です。
これ、下の建物は南山配水場という水道施設なんです。かなり意外な取り合わせです。


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万代地区にあるのが、レインボータワー。
2階建ての展望室が回転しながら上昇し、100mの高さまで登ってしばらく止まり、また降りてくるものだそうです(その間、約10分)。これはちょっと乗ってみたかった。
かなりインパクトのあるタワーです。
1973年の設置。大阪万博の時代を感じさせます。

(追記)
レインボータワーは2011年3月11日の東日本大震災の後、営業を休止していましたが、耐震工事に多額の費用がかかることから廃業することになったそうです。
→新潟日報「万代シティのレインボータワー廃業 運営断念、再活用法を検討」
(2012.2.4記)

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旧市街中心部のかつて新潟市役所があった場所に建つNEXT21、その19階に展望ラウンジがあります。
新潟の街のランドマークといってもいいでしょう。
1994年のオープンで、展望台の高さは101mだそうです。
北半分のみの展望(南側はレストラン)ですが、無料で夜遅くまで開いていますので、夜景スポットにもなっています。また、寺が並ぶ寺町を眺めるならここ、と教えていただきました。

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展望ラウンジからの夜景。万代方向です。

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新潟市で最新・最高の展望台は、万代島地区(信濃川の対岸)の朱鷺メッセにある万代島ビル31階の朱鷺メッセ展望室です。夜10時まで無料で開いています。展望室は125mの高さにあるそうです。
2003年のオープン。

ここには行ってません。

こうしてみると、平坦で、でも信濃川や日本海など地形の変化に富んだ新潟では、上から街を眺めたいという気持ちが強くて、こんなにたくさんの展望台がつくられたのかもしれません。まだ他にもあるはずです。


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新潟まち歩き(4)移築された銀行

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みなとぴあにある旧第四銀行住吉町支店です。
いかにも銀行らしい建物。
第四銀行は新潟の地方銀行ですが、第四国立銀行を前身とする、日本で最も歴史ある銀行だそうです。
第一銀行は東京、第二銀行は横浜、第三銀行は大阪(の予定が開業できず東京)で、その次ですから、当時の新潟の先進性が分かる気がします。

解説によると、この建物は昭和2年(1927)に竣工し、2002年まで銀行支店として使われてきましたが、都市計画道路のルートにかかるため解体移築が決定、2002年に解体、2003年に組立復原工事が竣工しました。元々の設計者は地元の長谷川龍雄、施工者も地元の武田組だそうです。

新潟市歴史博物館配布の解説に詳しく書かれていますが、鉄筋コンクリートの建物から表面の石材や青銅飾り、漆喰飾り、木の腰板、照明器具などを取り外したうえ、新しく作られた強化鉄筋コンクリートの躯体に取り付けたそうです。何という手間!

それでいて無料公開されています。

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花崗岩の壁面に所々銅が配されていてメリハリがついています。
外壁は茨城県笠間市の稲田石(花崗岩)だそうです。
私には花崗岩の違いはよく分かりません。

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正面、1階と2階の間には、鳩(?)の銅板がはまっています。

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内部は長いカウンターのある、2階までの吹き抜け大空間です。この広がりは私の腕では表現できません。2階にはぐるりとギャラリー。白・黒・茶のきれいな配色です。
カウンター内がレストラン「ぽるとカーブドッチ」で、カウンター外が自由観覧ゾーン(一部物販コーナーやカフェコーナー)になっています。

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カウンター外から。
カウンター天板は高知産の暁石(花崗岩)だそうです。
なお、失われた照明器具なども昔の写真をもとに製作されたとのことです。

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カウンター内から。

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天井もこのように装飾されているんですよ。

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カウンターの足下部分です。
床面モザイクタイルに、カウンター腰壁の大理石。大理石は岐阜県大垣市赤坂産だそうです。こうしてみると全国から石材が集められています。

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2階の会議室なども開放されているのですが、ここでは2階天窓のステンドグラスを紹介します。こんなところにきれいなステンドグラスを持ってくるとは。

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階段を登ってきて、ステンドグラスはこの位置にあります。なかなか意表を突いた使い方です。

こういう建物を残してほしいとは簡単に思いますが、実際に移転して残されたものを見ると、その労力の大きさに敬服せざるをえません。末永く使っていただきたいと思います。

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2008年5月 9日 (金)

新潟まち歩き(3)みなとぴあで歴史を知る

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1日目のハイライトは、みなとぴあ新潟市歴史博物館でした。
ここには博物館と旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉町支店(移築)が集まっています。
博物館は、明治44年に建てられ、昭和8年に焼失した新潟市の二代目庁舎の外観イメージを取り入れています。基壇部は中国産花崗岩、屋根は宮城の玄昌石(スレート)+銅板を使っているそうです。写真ではよく分かりませんが、手前には堀も再現されているんですよ。

常設展の展示では、ボランティアガイドの方が説明をしてくださいました。
よく分かりましたので、概略記しておきます。
何とも複雑な歴史です。

・新潟の地勢の特徴は、信濃川と阿賀野川という日本でも有数の流域面積を持つ川が1つの河口を共有して日本海に注いでいたこと、日本海岸に何列もの砂丘が連なり、広大な湿地帯を形成していたことです。

・室町時代になってようやく日本海海運と信濃川・阿賀野川の水運の結節点として、新潟の町が形成されます。職人が多く住む町だったそうです。この時点ではまだ農業には不適でした。

・江戸時代、新潟は長岡藩、信濃川の対岸の沼垂(ぬったり)は新発田藩の町で、港の権利を巡ってたびたび争ったそうです。新潟は、堀を巡らした水の都でした。1731年に新発田藩が掘削した阿賀野川分水が本流になったことで水量の減った新潟湊に土砂の堆積が進み、港湾機能が低下。

・幕末、薩摩藩への2度の密輸事件で新潟は天領に召され、それが幸い(?)して開港5港に選ばれることに。しかし、外国との取引は流行らず、居留地はできませんでした。新潟税関を設置。

・明治時代、信濃川堤の決壊による水害に悩まされますが、大正11年に大河津分水が完成してからは安定、流量の減った信濃川の埋め立てが進みます。

・昭和に入って港湾の近代化が完成。上越線も開通。満州開発が進むと、新潟は東日本から最短ルートの玄関口として賑わいました。

・第2次大戦中、空襲を受けなかった新潟は、原爆投下候補地でしたが、幸い無事に終戦を迎えます。(つまり多くの町家が残った)ただ、1955年の大火、1964年の地震など度重なる災害に襲われます。

・昭和30年代に、天然ガス採掘に伴う地盤沈下により堀の水がしばしばあふれるようになり、やむなく全ての堀が埋められます。(しかし、堀跡が車道となったことで、町割りはほとんど残りました)

 そして現在に至る・・・
 かなりはしょって不正確かもしれませんが、そう理解しました。

 ちなみに特別展で「酒蔵展」を開催していました。
 新潟は酒どころですが、新潟の街に酒蔵があるわけではないんですね。農村部に散らばっているようです。ただ、沼垂は北海道向けの酒造地として、日本酒や焼酎の酒蔵があったそうです。
 なかなか興味深い展示でした。

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旧新潟税関庁舎は、明治2年に新潟運上所として完成した、開港当時のものとしては現存唯一の税関庁舎です。形式は擬洋風の木造建築です。中央部がトンネル状になっていて、視覚的にも関所なのが面白く思います。

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白・黒・ベンガラの鮮やかな配色です。

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窓にはベンガラ色の鎧戸がはまっています。

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棟瓦部分の拡大です。かなり高くして瓦で青海波模様を作っているのが面白い。

ところで旧税関庁舎は博物館と一体的に入場料を取られるのかなと思っていたら、出入り自由で無料です。一部ですが、内部も公開しています。その気前よさにちょっと驚き。

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また、税関と同じ明治2年に建築された石庫(保税倉庫)も敷地内に解体・復元されています。
外壁は耐火用に福島県の野沢石だそうです。明るい青灰色の石みたい。

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石庫も裏に水路が復元されています。

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みなとぴあには、市の中心部から移築されてきた昭和2年の旧第四銀行住吉町支店があります。こちらも無料で内部を公開。長くなりますので、その紹介は改めて。

みなとぴあは、新潟の街の歴史を頭に入れ、近代建築を見るには最適な場所です。
信濃川河口に面して開放的で、対岸の佐渡行きフェリーなど行き交う船を眺めることもでき、気持ちのよい公園になっています。

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2008年5月 8日 (木)

新潟まち歩き(2)まずは新潟絵屋から

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今回、私には珍しく下調べをしました。
どうもギャラリー「新潟絵屋」に情報が集まっているらしい、ということが分かり、まずはそちらを目指しました。(実際にはあちこち寄り道してますが)
大正時代の町家を改造したギャラリーだそうです。

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期待通り、ここではたくさんのまち歩きマップ類が入手できました。
多くは市民グループの手になるものです。

左から、
○「改訂版にいがた湊下町めぐりマップ」
 2003年改訂。「市民の声の会」発行。300円。
 主な建物、味どころ、バス路線、堀の跡など、全般的な情報が載っています。

○「にいがた町家マップ2007」
 2007年、「新潟まち遺産の会」発行。200円。
 丁字造りなど新潟の町家の解説や、町家店舗の紹介。

「新潟の町 小路めぐり〈新潟市中央区本町通界隈編〉」
 2008年。企画製作「roji-ren niigata」、製作協力:新潟市まちづくり推進課。無料。
 新潟の本町通界隈の小路の名前の由来や特徴をイラストで紹介。これは画期的です。観光施設はもちろん、書店でも配布していました。

○「にいがた寺町から 「寺」まちあるき地図」
 2002年。「にいがた寺町からの会」発行。100円。
 寺町の各寺を紹介しています。

「まち遺産マップ 異人池・ドッペリ坂界隈」
 2006年。「新潟まち遺産の会」発行。100円。
 近代建築ファンにお勧め。西大畑地区の洋風住宅を中心に紹介しています。洋風、和風、洋館付き住宅が塗り分けられていて、至れりつくせり。

 と、まちあるきマップだけでこれだけ発行されているのですから、たいしたものです。

 さらに「新潟絵屋」の方には、おいしいものから見どころまで、懇切丁寧に教えていただきました。お勧めいただいたものはほとんどトライしました。ありがとうございました。

 このような資料に大いに助けられながら、手持ちの1万分の1地図、持って行くのを忘れましたが「新潟市全図」(昭和9年・コピー)、観光案内所の地図も参考にまち歩きをしました。

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2008年5月 6日 (火)

新潟まち歩き(1)新潟へ

<新潟まち歩きインデックス>
 (1)新潟へ
 (2)まずは新潟絵屋から
 (3)みなとぴあで歴史を知る
 (4)移築された銀行
 (5)上から眺める
 (6)小路の魅力
 (7)堀を想像する
 (8)街なかの近代建築
 (9)街なかの看板建築?
 (10)若者の上古町
 (11)花街のなごり
 (12)擬洋風の議事堂
 (13)日本で最初の白山公園
 (14)白山神社とポッポ焼き
 (15)近代公園いろいろ
 (16)ハンノキ島を歩く
 (17)信濃川クルーズ
 (18)砂丘をサイクリング
 (19)石油王の迎賓館
 (20)丘の上の近代建築
 (21)心ひかれる街角(完)

新潟ふゆ歩き(1)〜(6)>
 2009年2月14日〜15日の旅行もどうぞ。

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お知らせしましたように、GWの休みを利用して新潟に出かけました。
行きは寝台急行きたぐに、帰りは夜行バスで、現地1泊の1泊4日?の旅です。実質現地は丸2日。全て新潟市中心部のまち歩き(一部サイクリング)に費やしました。

急行「きたぐに」は私には思い出の電車です。以前、福井に住んでいたときにこれが大阪からの実質最終列車で、時々使っていました。途中から車内放送がなくなるので、乗り過ごしそうになって慌てたことも。いつかそんな心配をせずにゆっくり寝ていきたいという願いが実現しました。席もそのときのように自由席ではなくて、B寝台です。

大阪駅発は23:27です。

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急行なのにこんなロゴだと、なんだかすごくいい列車みたいです。ちなみに上にある楕円形のものはB寝台の窓です。

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狭いし、意外と揺れましたが、完全に横になれるのはかなり楽。夜が明けるともう新潟です。狭い窓から覗いた田園風景。新潟県に入ってからが長いですけど。

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8:30に新潟駅に到着。(最初のうち、カメラの設定がずれていて低解像度です。すみません)こちらが新潟駅の表側です。

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駅から駅前通を見たところ。大きなビルが整然と並んでいます。

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ちなみに駅の裏側では、再開発が進もうとしていました。

新潟の中心市街地は3つに分かれていて、この駅前のほかに、ショッピングセンターなどの集まっている万代、そして古くからの商業中心地・古町があります。新潟駅と古町は2kmほど離れていて、間に信濃川が流れ、万代はその手前です。旅行者からみて面白いのは古町地区ではないでしょうか。逆に新潟駅前では時間を潰すのに困りました。

今回、宿は古町に近いホテル・イタリア軒に取りました。(近代建築でもあればと思ったのですが、見つけられなかったので、由緒あるところということで)

1日目は写真を見ていただいても分かるように暑いぐらいの陽気、気温は26度まで上がりました。中心部のまち歩きと新潟市歴史博物館みなとぴあなど。
2日目はくもりで午後から雨。このため、近代洋風・和風住宅がたくさんある西大畑を回りきれなかったのが心残りです。朝からレンタサイクルを借りて、ウォーターシャトルに乗り、町はずれをサイクリングしたのも時間のなくなった一因ですが。白山公園や、雨やどりするように新潟県政記念館、新津記念館、砂丘館なども回りました。

けっこう回りましたが、まだまだ見残しはあります。
新潟の魅力の一つ(私にとってはかなり大きい)は、数限りなくある路地と趣きある木造町家だと思います。とても歩ききれません。もう一つの港町・沼垂(ぬったり)も見たいですし。

心を残しながら、新潟駅から大阪に向かう(苦手な)夜行バスに乗りました。
そうそう、往復とも夜だったので間の風景も見れませんでした。これも次のテーマ。
東京からだと新幹線もありますし、高速バスは1時間に1本ペースで出ています。でも大阪からだとバスは1日1本。昔は日本海航路で結ばれていたのに随分遠くなったものです。

それでも。
こんなに面白い街なので、遠からずまた来ようと思います。

ということで、新潟まち歩きの話をぼちぼちとつづっていこうと思います。

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2008年5月 3日 (土)

昭和の日の昭和町

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4月29日、昭和の日。大阪市阿倍野区の昭和町では、「どっぷり、昭和町」というイベントが開かれていました。今年で3回目だそうです。会場は、寺西家阿倍野長屋を中心にライブや展示、小学校や公園での落語や催し、そして通りに屋台が広がっていました。

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通りが狭いこともありますが、人でぎっしり! 幅広い年齢層の人が集まっていました。そして、学生スタッフの多いこと! とても賑やかでした。

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ライブは長屋の2階から身を乗り出すようにも行われています。観客席は通りです。長屋の表との近さを利用した面白い舞台装置だなと思います。

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長屋の中では昭和の展示をしていました。このあたりは昭和でも古い昭和。

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大学の研究室による街並みに関する展示もあります。阪南町の長屋や、堺市の兒山家住宅を手作りでミュージアム化しつつあるナヤ・ミュージアムの取り組みなどが展示されていました。

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黒く塗りつぶされているのが長屋。左が昭和63年、右が平成18年の昭和町の残存状況だそうです。かなり残っていますね。

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こんな感じの長屋があります。ここは会場外。

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ちょっと印象的な家がありました。透かしのレンガ塀に斜め格子の窓。洋風の雰囲気があります。

昭和町という名前を付けるのはだいたい昭和の初めでしょう。このイベントは全国の昭和町に広げたいと考えているそうで、各地の昭和建築が掘り起こされることになれば面白いことと思います。

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2008年5月 1日 (木)

聖天坂通〜晴明通を歩く

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昭和町で昭和の日イベントがあると聞き、出かけてきました。
でもその前に寄り道。前から気になっていた、聖天坂通を歩くことにしました。阿倍野の上町から天下茶屋にくだる東西の坂道の一つなのですが、その道沿いにはかつて天王寺村役場がありました。1897年(明治30年)に天王寺村の北半分が大阪市に取り込まれてから1925年(大正14年)に完全に大阪市に編入されるまでの約30年間です。
その間、この通りはいわばメインストリートだったのではと思ったわけです。
手許に「阪南郊外精図」(大正10年、大阪市立図書館所蔵)のコピーがあり、それも参考にしました。

私は天下茶屋から歩き始めました。
坂の下は阪堺線の聖天坂駅です。その向かいに鉄工所がありました。

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鉄工所なのに(なのにといっては失礼ですが)きれいな石塀です。

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聖天坂の登り口です。期待を抱かせます。そば屋や長屋があって雰囲気たっぷり。

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坂の下には日本基督教団の天下茶屋教会。大正時代には既にこの場所に教会があります。

080429shoten5h坂を登っていくと、○○庵、○○坊という名前の建物があります。なんとなく場所のイメージが伝わります。大正時代には周囲に丘や池があり、建物もそれほど建て込んでいません。

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坂を登り切ると朝暘幼稚園、向かいには晴明丘小学校があります。大正時代には第一小学校として存在しましたが、その一角に天王寺村役場もありました。このあたりが天王寺村の中心ということになるのでしょう。

幼稚園の門の奥には、「朝暘館」と書かれた石碑が立っていました。旅館でしょうか。

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ここで横道へ。晴明丘小学校の東を回り込みました。するとこんな住宅が。古いとも何ともいいがたいのですが、気になるデザインです。

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ハーフティンバー(壁面に木を露出)の意匠もですが、アーチ窓や丸みのある庇も気になります。

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さらに行くとこんな洋風住宅が。こちらも一部ハーフティンバーの意匠。でも煙突はないなあ。

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反対側から見ると小学校と緑のトンネル、さらに、なにわいばら(たぶん)が溢れるように咲き乱れています。なんて素敵な。

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お隣はレンガ塀の洋風住宅。新しいような、でも・・・
一帯はとても良い環境です。

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同じ家の蔵ですが、こちらでも左の小学校から緑のトンネルができています。

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さて、元の通りに戻ります。このあたりは晴明通になっています。純和風の不動産屋さんがありました。

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見どころは銅板の戸袋。麻の葉と七宝(?)の組み合わせです。繊細に仕上げられています。

080429shoten15hこの通りの路側は切石が並べられています。側溝の一部には煉瓦敷きもありました。刻印も一つだけ発見。六光星です。心当たりなし。

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阪堺電車上町線の東天下茶屋駅までやってきました。どちらも通りとクロスする位置に駅があります。そこにかわいらしい派出所が立っていました。正式名称は「阿倍野警察署東天下茶屋警ら連絡所」だそうです。

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晴明通の端まで来ました。古い町家をつかった骨董屋さんがあります。「工房チンチロリン」・・・松虫? 大正〜昭和初期のカップ&ソーサーを置いておられて、そのデザインがモダンなのに驚きました。普通に使えそう。一番いいのは、大倉陶園の大正時代のものだそうです。場所と時代が合っていてうれしくなります。向かいには若者向けに揃えた店も出しているそうです。

聖天坂通〜晴明通は期待した通り、趣のある通りでした。
今度は別の通りも歩いてみます。


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