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2007年8月

2007年8月26日 (日)

名張の街並み

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名張は初瀬街道の宿場町です。
初瀬街道は大阪側からみると初瀬(長谷)寺を通って伊勢に向かう道。
街道は名張の街をクランク状に通り抜けています。
上の写真は新町の街並み。

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<名張中心部の地図>

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旧市街の中心は、この宇流冨志禰(うるふしね)神社の鳥居がある交差点です。(分かりにくくてすみません)
この写真は北向き。初瀬街道は右から来て正面に向かいます。左手には大正11年(1922年)に開通した伊賀鉄道の名張駅(のち西名張駅)が1964年まであったそうです。昭和5年(1930年)に参宮急行電鉄(今は近鉄)の名張駅ができるまでは名張の表玄関だったようです。

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鳥居から宇流冨志禰神社に向かう道には唯一のアーケードがあります。
表通りだったのでしょうね。
今は空き地が広がって不安定な感じ。

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本町通りにはこのような大きな商家が並びます。
ここは大和屋という羊羹屋さん。

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初瀬街道筋の所々には、その付近の昔の写真が掲示されています。
その場にあるというのがポイントで、ありがたい配慮です。

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町家は奥に長く、裏には庭があります。
これは新町の町家。

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高台には名張藤堂家邸跡があります。
一部が残るのみですが、けっこう広い邸です。

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今回見た中で一番気に入った洋館はこちら。
シュロの木があって、お医者さんらしい。
お隣の米屋さんで聞いてみると、やはり、以前は耳鼻科のお医者さんをされていたそうです。大正時代の建築だろうとのこと。

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正面から。西日が強くて、これ以上下がって撮れませんでした。
この元耳鼻科があるのは元町通りで、映画館などもあるモダンな通りだったようです。

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元町通りには、3階建ての写真館「川地写真館」もありました。
そびえるような建物です。大正10年の木造モルタル塗り建築で、当時は2階屋上にテラスがあったそうです。昭和35年頃に内外装を改修、昭和45年には正面部分をタイル張りに改修したとのことです。元々は正面玄関にガラスの三角庇、窓枠はアーチ状だったらしいのでかなり印象が違います。

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写真館のてっぺんには鳩(の形の瓦)。
当時の店主の好みなのだとか。
なかなか楽しい建物です。
残念ながら現在は写真館ではなく、住居として使われています。
(※2008年6月20日に登録文化財に指定され、いろいろ情報が出ていましたので追記しました)

名張は近代の洋風建築はあまりなく、和風建築がほとんど。
街道筋には和菓子屋、酒屋、料亭などが見られ、松崎町のあたりは宿屋だったようです。街の西の方に行くと製材所が多く見られます。

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2007年8月19日 (日)

名張の水路

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猛暑の中、一度歩いてみたかった名張の街を歩いてきました。
名張は大阪のベッドタウンとして有名ですが、名張藤堂家の城下町(城ではなく藩邸ですが)や、初瀬街道の宿場町としての顔もあります。ベッドタウンとして開発されたのは周辺の丘の上で、旧市街の街並みはほぼそのまま残っています。

名張の街を特徴づけているのは水だと思います。
単に水に恵まれているというだけでなく、巧みに城下町に水を引き込んでいます。
上の写真は名張川から堰で導いた水の取水口付近です。

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取水口のすぐ近くには延喜式内社の宇流冨志禰(うるふしね)神社があります。
取水がいつの時代まで遡れるのか分かりませんが、位置的には水分(配水)の位置にあり、水と関係があるのではないかと思われます。
この神社は名張の鎮守的存在です。

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取り込まれた水は、城下(じょうげ)川として街を流れます。
面白いことに、このように家の下を流れている部分もあるんです。家の裏というのはよくありますが、家の下とは。鉄板の通路は奥の家に続いています。

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ここでは家の裏を流れています。
向こうに簡易な屋根付きの橋が見えますね。
どうも家の中の渡り廊下のようです。これも面白い。

小振りながら、このアーチの意匠はいい。
古びぐあいもいい感じ。
この橋は昭和7年(1932年)に架けられています。

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この橋も小さいながら、3連のアーチが刻まれています。
小さいのに名前は立派に「大手橋」。昭和5年(1930年)に架けられた橋です。

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このように修景された区間もあります。
城下川には、季節によっては花筏が飾られるそうです。

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水路はいくつにも分かれながら街を流れ、再び名張川へと帰ります。
名張では、この写真のような細い路地を「ひやわい」という涼しげな名前で呼ぶそうです。水が流れているといっそう涼しげです。

名張には造り酒屋も多く、水の恵み、だけでなく水の利用の巧みさを感じさせます。

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大阪で最初の住吉公園

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大阪で最初の公園、明治6年に設置された住吉公園を見てきました。
大阪で最初は間違いないところですが、住吉公園の管理事務所で配っている資料には、日本で一番古い公園と紹介されています。公園の定義によって諸説あるようです。
初期の公園は名勝地が指定されました。大阪では、住吉大社と四天王寺の境内です。
以下、この資料を参考に紹介します。

住吉公園のある場所は住吉大社から入り江の浜まで続く松林でした。
今以上に、立派な松が茂る景勝地だったようです。

上の写真は公園の西口で、メインの通りがそのまま参道となって、住吉大社まで続きます。
ですので、両側には灯籠が立ち並んでいます。住友家寄進だそうです。
住吉公園の石柱は古く、明治33年のものです。

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住吉公園のさらに西側には、この住吉の高灯籠が立っています。
人が写っていないとスケール感が分からないですね。かなり巨大です。
灯台の役目を果たすもので、海の神様らしい設備といえます。
昭和49年の建築(原型は江戸時代)。

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さて、公園に入るとこんな石のモニュメントがたくさんあります。
龍? 蛇? 波? 

ここで、簡単に住吉公園改修の歴史をたどるとー
明治18年 阪堺鉄道(現南海)が開通。
     周辺に民家が建ちはじめる。
     公園内には茶店や料理屋が建ち、
     排水不良、踏み固めで松が枯れ始める。
大正7〜8年 公園改修。茶店・料理屋の撤去、移転。
     公園施設の配置、池の統廃合、
     園路・運動場の新設。
     ※現在の姿はこの頃が原型のようです。
大正13年 国道26号線が園内を通過。
     失われた機能の回復のため、住之江公園を設置。
昭和63年 潮掛道(参道)の改修。
     ※モニュメントはこの頃のものか。
平成3〜5年 心字池、葉と水の広場の再整備

今の姿がどの時点の改修の反映か、分かりにくいところもあります。

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公園管理事務所前。
丸みを帯びた石の壁がいい味を出しています。

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公園内は、参道、子どもの遊び場、運動場、庭園などいくつかのゾーンに分かれています。
子どもの遊び場ゾーンは広く、遊具もたくさんあります。
その中でも古いと思われるコンクリの山+土管+滑り台の複合遊具。
懐かしい。

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元治元年(1864年)の芭蕉句碑。
「升買うて 分別かわる 月見かな」
芭蕉は亡くなる直前、住吉の宝の市で升を買ったそうです。

石の形といい、字体といい、面白い!
とくに月を●で表しているところなど、遊び心があっていいと思います。

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さて、日本庭園部分です。
公園の中の源流部分。石材が豊富に使われています。

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水はこのように細い水路を流れていきます。

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広くなって橋をくぐる。
石材に凝った面白い橋です。
雰囲気的に大正時代のものではないかと思うのですが。
とくに中央部に飾りを付けているところ。

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水は広い心字池に注ぎます。
こうしてみると庭園から公園への過渡期という感じがします。

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庭園にかかるもう一つの橋。
こちらはシンプルな造形です。
1900年(明治33年)発行の絵はがきに写っていましたので、初期のもののようです。

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水は最後にこの池に集まり、細井川へと流れ出ます。

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最後に公園周辺で気になる点を少し。
公園北側の道路はこのようにうねうねとカーブしています。
何のための道路なのか気になります。
スピードを出させないため?

もう一つ気になるのは、公園に周囲に家が建っていて、玄関が公園側にあり、どう見ても公園から出入りしていること。なぜそういうものが建ったのか不思議です。

日本最古の住吉公園はさすがに見どころ豊富でした。


(追記)
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住吉公園にラジオ塔があると聞き、確認してきました。
初代は昭和8年ですが、これは平成5年に新たにつくられたものです。
スピーカーが付いているので、ちゃんとラジオが流れるのでしょう。
果たして初代もこんなデザインだったんでしょうか?
違うような気が。
(2009.4.19記)

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2007年8月16日 (木)

細井川に沿って

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細井川というのは、住吉大社の南、上町台地を細く深く切り込んで流れる川です。
以前から気に掛かっていたので、熊野街道から住吉公園のあたりまで歩いてみました。
このように今では三面をがちがちに固められています。
しかし、湧水もあるようで、側面から流れ落ちる水音が聞こえ、水は意外なほど澄んでいます。

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途中、住吉大社の末社、浅澤神社があります。
その名の通り、昔は水が湧いていたようで、カキツバタの池に囲まれた神社。このような神社は大好きです。
その水は細井川に流れ込むことになります。
このあたりまで舟運があったそうで、信じられない気がします。すれ違えたのでしょうか。

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細井川に沿って歩いているとこんなユニークな建物がありました。
小さいのに妙にいかめしい風貌。

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こちらから見ると洋館付き住宅の一種のようですね。
博物館付き住宅みたいですが。

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表札がかかっていて、今も住宅として使われているようです。

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細井川は阪堺電車の阪堺線と交差します。
ここに細井川駅があります。

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こんな味のある建材店もありました。
煉瓦とコンクリートブロックが積んであります。
昔は船で運び込んだのでしょうか。

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2007年8月12日 (日)

谷五のスパニッシュ屋敷

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正確な住所は十二軒町です。
仕事の途中に見つけました。
こんな街中に大きなお屋敷があります。しかもスパニッシュ。

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門に近づいてみると狛犬?
玄関前は半屋外の3連アーチ。
写真には写ってませんが、等身大の人物像が建っていました。

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塀とともに家の壁もスペイン風の塗り壁。
煙突が丸みのある変わった形です。

どんな方が住んでおられるのか気になります。

(追記)
「大阪府の近代化遺産」に載っていました。
なんと大正年間につくられた建築家の木子七郎邸だったそうです。
木造2階建て。設計者不詳だそうですが、通常は自分で設計するのでは?
   (2008.6.29記)

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2007年8月 6日 (月)

文化的な文化住宅

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住吉区の上住吉で見かけた文化住宅(関西でいう文化住宅)。
異論はあるかもしれませんが、私はこういうデザインは好きで、文化的だと感じます。
工夫すればできるんだなあと。

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ガラスブロックもそうですし、階段に合わせて斜めにタイルを貼ってあるうえに、端はちゃんと三角に切って埋めているあたり。

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2007年8月 4日 (土)

帝塚山万代池公園の周辺

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戦前の公園を求めて、万代池公園に出かけました。
万代池は上町台地の谷をせきとめてつくられた灌漑池と考えられています。
こんな静かな雰囲気からは想像できませんが、大正時代には帝塚山共楽園という遊園地で、大プール、スケート場、食堂まであって、春夏は賑わったそうです(住吉区HP)。
昭和16年の地図にもまだ共楽園という表示があります。
昭和15年(1940年)、大阪市の万代池公園となりました。


より大きな地図で 近代の公園 を表示

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池の中には島が3つほどあって、そのうち1つには橋で渡れます。
島には古池龍王が祀られていて、「ああ、雨乞いの神様かな」と思っていると、管理に来ていた方が、「これは女の子を助けようと溺れた先生を供養するために近くの住職さんが建てたものです」。昭和28年のこと。その隣にある小さな灯籠は、「矢の刺さったアヒルとカモが埋められています」。伝統は意外と新しい。

この公園は帝塚山音楽祭の会場でもあるようで、あちこちに帝塚山音楽祭の名前入りの灰皿などがあります。

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公園の一角に「整地記念」の記念碑がありました。
昭和16年に住吉第二耕地整理組合が建てたものです。
碑文によると、周辺は錯雑した農地でしたが、住吉第一次(明治45〜大正3年)、住吉神一(大正14〜昭和3年)、住吉第二(大正14〜昭和16年)の3つの耕地整理組合による区画整理が行われ、碑文の建ったときには既に宅地化していたようです。総面積は36万2112坪、道路延長25.2km、水路延長8.8kmと記されていますから、かなり大規模。天下茶屋の南に続く宅地開発で、住吉第一は帝塚山中1〜3丁目、住吉神一はその南の4〜5丁目にほぼ該当します。住吉第二はその後を受けた熊野街道東側の大規模な開発のようです。今の地名では、帝塚山東、万代、万代東、大領あたりにあたると思われます。

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万代池の周辺を歩いていると、このような廃墟っぽい学校が目にとまりました。
しかも戦前のものらしい。

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表に回ってみるとこんな立派な校舎が現れました。
2階建てなのに3〜4階建てに思えます。

いろいろ調べてみると、大正14年(1925年)に完成した大阪府女子専門学校の校舎だと分かりました。
のち、昭和24年に大阪女子大学となり、その移転後は府立看護短大、府立貿易専門学校の校舎として使われて、2004年の専門学校廃校後は使われていないようです。ということは、大阪府の持ち物でしょうか。大阪女子大学の図書館は、大阪府公文書館として使われています。また南側のグラウンドには老人ホームが建っています。東側に1984年まで関西外国語短大があったそうですが、その位置はよく分かりません。あるいは万代幼稚園のあたりなんでしょうか。

もともと1923年(大正12年)に地主の山田市郎兵衛という方が、土地と建設費用の寄付を申し出たそうで、帝塚山開発の一環と言えるのかもしれません。

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玄関の上には壺が乗っています。

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こちらの入り口も立派なもの。
大正時代らしい意匠だと思います。

(追記)

120103joshisen1 久しぶりに通りがかるとこの校舎は既に解体され、特別養護老人ホーム・養護老人ホームが建設中でした。既に2009年には解体されていたようです。

120103joshisen2 かろうじて門柱の一部と塀に名残がありますが、これも最終的に残されるのかどうか。壊されるときに話題になったという記憶はなく、もともと土地・建物とも寄付で建てられた建物が、こうしてひっそりと取り壊されて売却されてしまっていることに悲しい思いがします。(2012.1.3記)

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ついでに周辺も見て回りました。
これは万代池の西に隣接する区画。住吉第一耕地整理組合の地区です。
郊外住宅の立ち並ぶ雰囲気が残っています。
ちなみにこの道路は熊野街道でもあります。

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こちらのお屋敷は新しいかも。
でも雰囲気あります。
住吉神一耕地整理組合の区域。

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こちらはたぶん古い洋館。
急傾斜の屋根が特徴的です。
こちらも住吉神一。

古い公園の周囲は要注目です。

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瓦屋さんの招き猫(河内長野市)

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河内長野市内にこんな瓦屋さんがあるとは今まで知りませんでした。
西高野街道沿いで、やはり旧街道沿いにはいろんなものが残っています。
屋号はもちろん電話番号もみな瓦で表現。
ここの瓦は淡路風にいぶし銀の瓦のようです。

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隅には瓦の招き猫が乗っていました。
塀の上に招き猫というのも珍しいのでは。
ほかにも定番のえびすさんに大黒さん、鍾馗さんまで塀の上に立っています。

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建物も塀も下見板張りで古そうでしょう。
でも中を覗くと瓦が積んであって現役なんです。
昔は街まちに瓦屋さんがあったのですよね。

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住宅部分の玄関にも鍾馗さんがおられました。
新しいもののようです。
まだまだ頑張って瓦を焼いてほしいところです。

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2007年8月 3日 (金)

東京・近代公園めぐり

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最近、近代の公園が気になっているので、東京でも戦前の公園を見てきました。
東京では関東大震災の後、昭和初期に新しい土地区画整理の手法によって復興小公園52ヶ所がつくられ、原型をもっとも留めているのが、文京区本郷の元町公園だそうです。昭和5年(1930年)の完成。
しかも、取り壊される計画があり、保存運動が進められているとのことなので、最優先で見に行ってきました。
公園は本郷台地が神田川で分断されるあたりの台地上及び斜面を利用しています。
最初の写真は斜面下の入り口です。

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見上げると、期待感を高めるテラス。
公園全体はセセッション様式だそうです。

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元町公園というと必ず登場する階段。
公園内の起伏をつかってうまく変化を付けています。

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神田川を望むテラス。
十字に窓が抜かれています。

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こちらは逆に十字の凸模様。
また逆円錐と扇形を組み合わせた水飲み場もユニークです。

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礎石のように見えますが、これは何か不明。

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砂場。奥側が助走路で、走り幅跳びができるようになっているようです。
ちなみに左側は、旧元町小学校の校庭と一体的になっています。小学校とセットになっているのが、復興小公園の特徴だそうです。

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見物の遊具は、この滑り台。
両側に滑り降りる左右対称のデザインです。
こんな美しい滑り台はあまり見ません。
子どもたちのことより、表現意欲が勝っているようではありますが・・・

(追記)
 ひろさんが最近の様子を紹介されています。
 まだ無事なようで安心しました。

 ひろの東本西走!?「区立元町公園」 (2010.7.22記)

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そしてこちらは旧元町小学校。昭和2年(1927年)に建てられた復興小学校です。
半円の柱が外壁にすっとのびています。
こちらも公園と一体的に取り壊される計画が。
歴史の記念物として、うまく活用してもらえないものでしょうか。


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もう一つ、こちらは本郷台地の先にある駿河台の斜面を利用した錦華(小)公園です。
元町公園と違って、斜面と斜面下の平地を利用した公園です。
入り口にこのような抽象デザインの門柱が残っています。
ちなみにこの位置から振り返ると山の上ホテルがあります。

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斜面を利用して日本庭園がつくられていて、広さの割に広がりを感じさせる公園です。
このような橋もかかっています。

大阪の区画整理公園の特徴はまだ捉えられていないのですが、東京の区画整理公園は、震災によって一気に整備された分、時代の特徴をはっきり示しているように思いました。

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2007年8月 2日 (木)

学士会館に泊まる(東京)

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先日、オフ会があり、東京に出かけてきました。
いつもはビジネスホテルに泊まるのですが、今回はちょっとこだわって、神保町の学士会館に宿泊。
高橋貞太郎、佐野利器による昭和3年(1928年)の建築です。旧帝大卒業生・教員の親睦のためにつくられた学士会の施設で、今はレストランなど一般利用できるスペースもかなりあります。
4階の宿泊施設は当初からあり、会員外でも利用できます。

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エレベーター・ホール。裏の(でも立派な)玄関から入るとここに出ます。
鋲を打ったような柱が変わってます。

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こちらがロビー。落ち着いた空間です。
照明器具のようにステンドグラスが使われています。

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階段室にもステンドグラス。

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エレベーターで4階に上がると、目の前には本棚。
大学関係者の宿泊施設らしいしつらえです。
表現も女子更衣室・男子更衣室に宿泊室。
この階は宿泊者と会員のためのフロアです。

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宿泊室のロビー。
奥の区画は女子更衣室で、クラシックな雰囲気。
ここにもステンドグラスがはまっています。

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あちこちに本棚が置かれているのが、普通のホテルとの違いといえるでしょう。それぞれ古いもののようです。

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廊下は至ってシンプル。

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室内も白黒基調の落ち着いた雰囲気です。洗面所、トイレ、バスと順に増設されたらしく、それぞれ独立しています。ユニットバスではありません。そして天井が高い。
現在、学士会館は改装中。また何か変わるのでしょうか。

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宿泊は9200円で和洋いずれかの朝食付き(一般価格)。
私は洋食を選んでみました。卵はスクランブル・エッグ、ボイルド・エッグ、オムレツから選べ、肉はハムかベーコンを選択、そしてサラダ、パン、シリアル、ジュース、コーヒー、ヨーグルトというしっかりしたボリュームです。
1階のセブンズ・ハウスで食べる朝食は空間も贅沢です。

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食後は談話室で新聞を読みながらのんびりと。
パブリックスペースがしっかりしています。
このほか屋上庭園もあります。

アカデミックな雰囲気なので、ちょっと場違いかなという感じもありますが、落ち着いて過ごせるホテルです。
ちなみに他の宿泊客は、(年齢層高めの)大学関係者と若い女性グループが多いようでした。

>2009年にも再び泊まりました。
 「再び学士会館に泊まる」

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