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2007年6月 4日 (月)

来待石の町(松江市宍道町)

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出雲旅行のつづきです。
出雲市から松江に移動する途中、松江市宍道町の来待(きまち)に立ち寄りました。ここは宍道湖南岸で、出雲石灯籠の石材である来待石の産地です。来待石は、凝灰岩質砂岩で、非常に柔らかい石材です。

その採石場跡地のひとつを利用して、平成8年にモニュメント・ミュージアム来待ストーンがつくられました。石切場跡、博物館、体験工房、陶芸館(来待石は石州瓦の釉薬にも使われる)などからなる施設です。

博物館には右下に見えるトンネルをくぐって入る演出があります。(私は知らずに、裏から回ってしまったのですが)

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来待石のトンネルを抜けるとこうなっています。
左に見えるのが「三才谷の大岩」と呼ばれた石切場跡。右に見えるのが博物館の建物です。
この石切場では、明治25年頃から昭和30年頃まで、10軒の採石業者によって来待石が切り出されていたそうです(解説板より)。今、広場になっている場所も、元は石山でした。左の壁の高さは約25m。

博物館は来待石の解説から、県内の他の石材まで展示してあって、石好きには参考になりました。
館長さんは熱心な方らしく、自筆の資料がたくさん置いてあります。

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片隅には石切用の機械も置いてあります。
大谷石用のチェンソーを改造したものだそうです。

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採石場跡の壁。四角い石材を縦に切り出していくので、このような形になります。表面にマサカリの跡がついています。この写真ではスケールが分かりませんが、間近で見上げると迫力があります。

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来待石の採れるのは、このような低い丘陵地です。
普通は車で訪れるところ、私は来待駅から歩きました。こういう道は、距離以上に遠く感じられます。

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来待石は江戸時代、松江藩で重用され、採石は来待、加工は松江、と分けられていました。明治以降、来待に松江の石工が呼ばれ、来待にも加工業が根付いたそうです。来待石は今も掘られていて、来待のあちこちに石材店があります。

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水辺に近いというのは、石材産地にとって有利な条件です。来待石が積み出された痕跡を見たいと、宍道湖岸を歩きましたが、ちょっと場所を間違えたようです。恐らくこの写真の右手の方。この写真の中央より左方向が松江です。

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宍道湖のしじみ漁の船がたくさん浮かんでいました。

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来待の集落。
来待石が塀として積まれています。

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地蔵堂にも来待石が使われていました。
来待石なので柔らかみがあります。夕陽が射してなお暖かみがプラス。出雲石灯籠はもっときっちりしてますが、この石灯籠は愛嬌があって、子どもみたいです。

石材産地では、石材がこのようにゆるく、ふんだんに使われていて、町の魅力になっています。
合併によって松江市の一部になりましたが、来待石の資源は、うまく活かしてほしいと思います。

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