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2007年4月27日 (金)

忘れられた鷺浦(島根県出雲市)

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ああ、なるほど。
湾口をふさぐような島(権現島または柏島)の存在が、一見して風待ちの港であることを示しています。
ここは“鷺浦”(さぎのうら)。島根県大社町の小さな港町です。
『北前船 寄港地と交易の物語』という本に、「これほどそっくり昔日の姿が残っている北前船の港町は、日本中探しても見当たらない」とまで書かれているのが気になり、出雲方面に旅行に行く機会に訪ねました。

大阪からは新幹線で岡山乗換え、特急「やくも」で出雲市へ、そこからバスで出雲大社、さらにタクシーでたどりつきました(少ないながらバスもあります)。タクシーで「鷺浦へ」と告げても「何か用事ですか?」と言われるぐらいで、「たまに鵜峠(うど)の分校に、カジカを見に来る人はいますけどね」とか。カジカより知られていないとは。
ガイドブックにも、地元で手に入れた観光パンフレットにも出ていません。

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行ってみて分かったのですが、鷺浦に行くには、出雲大社から、鹿がよく出るという細い山道を越えるしかありません。車の観光客が訪れたら、たちまちパニックになるでしょう。だから宣伝できないのかなと思います。
運転手さんは、映画「白い船」の舞台になったんですよと教えてくれました。

なお、隣の宇竜という集落も古くからの港町で、戦国時代には内外の交易港として栄え、北前船の時代には風待ち避難港、そして冬の松江藩お抱え船停泊港、杵築商人の交易根拠地として、鉄の一部や木綿がここから積み出されたそうです。

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鷺浦の集落は山と湾に抱かれ、小さな川をはさんで東西(向こうが西)に分かれています。

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海沿いの道が今の表通りで、こちらに面する家はみな日除け(風除け?)をかかげていました。

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集落は海岸線と山にはさまれて細長く伸び、海に向かって直交する、たくさんの短い通りがあります。

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また集落を貫く道があり、東で鷺隧道(昭和8年竣工)へとつながっています。(この写真は鷺隧道から西を見たところ)

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今では行くのがたいへんな鷺浦ですが、昔は日本の表通りでした。
この建物は塩飽屋という住宅。看板の説明には、「江戸後期より明治にかけての船主で塩飽本島(香川県丸亀市)の塩を売りさばき財をなした。この港に入った、塩飽の人が皆泊まったので塩飽屋の屋号を付けた」とあります。昨年の夏、塩飽本島に行ったところでしたので、これを見たときは、たしかにつながっているんだという感慨がありました。

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このように鷺浦には家の表札とは別に、屋号を掛けている家がたくさんあります。

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このような二連の蔵は塩飽本島でも見ました。豊かだったことが分かります。

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立派な鶴の鏝絵(こてえ)のある家もあります。

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1672年に西回り航路が開かれてから北前船の寄港地となり、江戸時代には22軒の船問屋がありました。北前船は、風向きが悪いと予め取り決めのある船宿に宿泊、宿では身の回りの世話を提供し、錨、綱、食料品などを供給、自ら船も持っていたとか。最盛期は江戸時代ではなく、明治10〜20年。明治40年以降は、電信・鉄道・汽船の発達で北前船はふるわなくなり、大正8年の寄港が最後でした。(『雲太のまちものがたり』)

しかし、この集落は北前船だけではありませんでした。
近くの鵜峠銅山では、明治初年から採掘が始まって、明治11年に最盛期を迎え、鉱山では360人が働き、3000人が暮らしていたそうです。やがて銅山も下火になりますが、20年後、好運なことに今度は銅と一緒に出る石膏がセメントに加える材料として売れるようになり、大阪や山口の大セメント工場から船がやってきたそうです。

たまたま集落を歩いていて、話しかけてこられたおじいさんは、昔、船員として働き、石膏を山口や九州へ、九州の石炭を新潟へと運んでいたそうです。まさに北前船のルート。おじいさんには、昨年亡くなった写真家の並河萬里氏が数年この集落に住んでおられたという話も伺いました。

いまは静かな港町。
海岸では、ワカメを干す作業が行われていました。

日の傾くころ、トラクターのようにゆっくり走るバスに乗って、鷺浦をあとにしました。

○関連ホームページ
 鵜鷺げんきな会のHP「北前船の港町・鵜鷺」

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コメント

先日山陰を歩いていて鷺浦にさしかかったとき、杉谷さんというお年寄りに町内を案内していただきました。お話では、100軒あまりの中で、40軒は空き家になっていて、この町並みをどうやって遺すか頭が痛いとおっしゃっていました。そこでお聞きしたいのは、県や市では鷺浦の町並み保存に何の意思表示もないのでしょうか、ということです。自分で確認すればいいのですが、詳しい方にお聞きしたくてお聞きいたします。以上

投稿: 勝野順 | 2008年7月 9日 (水) 00:02

勝野さま、コメントありがとうございます。
空き家率40%なんですか。たしかに静かでした。
町並みを残そうと頭を痛めておられる方がいらっしゃるのですね。

私も詳しくはないので、別に詳しい方にお尋ねいただきたいと思いますが、出雲市の景観計画を読む限りは、あまり優先順位が高いとはいえないようですね。
http://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1202801732657/files/keikanzenbu.pdf

投稿: びんみん | 2008年7月 9日 (水) 01:16

はじめまして。スクンビット総研と申します。
母方の祖母の生家が鷺浦にあり、子どもの頃から数え切れないほど訪れています。こちらの記事、大変勉強になりました。

町並みという遺産を残すのに、個々人の努力だけでは限界がありますね。

投稿: スクンビット総研 | 2013年5月 2日 (木) 17:14

スクンビット総研さま、はじめまして。
記事をご覧いただいてありがとうございます。
数え切れないほど訪問されているのですか。私は一日だけでしたが、長年の変化、様々な季節の鷺浦を見てこられたのですね。

町並みを残すのに、今は個々人の努力(あるいは不努力)に頼るところが大きいようですが、それでは限界があるのは確かだと思います。

投稿: びんみん | 2013年5月 3日 (金) 01:10

もう少し若かった なー鷺浦から 舟に乗って磯に向かい魚釣り 楽しみました 楽しかった よー

投稿: ねこ ね | 2017年3月10日 (金) 20:41

ねこねさん、初めまして。
磯釣りですか。海から鷺浦を見られたということでうらやましいです。

投稿: びんみん | 2017年3月13日 (月) 00:20

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