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2007年4月

2007年4月30日 (月)

2つの門前駅(島根県出雲市)

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出雲大社の門前には2つの駅があります。
正確には1つは路線が廃止されているので、今は駅ではないのですが、建物だけは残っています。
それがこの旧JR大社駅。見ての通り、非常に立派な和風の駅舎です。大正13年(1924年)に建てられ、平成
2年(1990年)に大社線(出雲市〜大社)が廃止されたあとも、こうして保存されています。

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位置関係を示しておきましょう。こんな感じです。
見ての通り、神社まではかなり距離があります。

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駅舎だけでなく、線路やプラットホームまで、そのまま残っています。
遙か彼方に白い鳥居が見えますか?
あれが大鳥居です。

なお、この駅舎には、建設当時、出雲大社の神苑拡張計画に携わっていた伊東忠太が助言をしたという説があるそうです。

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線路跡は道路に転用されています。
ちなみに左に見える尖塔は、江戸時代に砂丘地だったこのあたりを開拓した大梶七兵衛の紀功碑です。大正元年につくられたものを戦後復元したもの。

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大待合室はこのように広々としています。
折上の格天井に和風のシャンデリア。

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基本的に和風ですが、洋風の要素も加えられています。

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出札口にも破風がついています。
出札口は5つもありますが、説明板によれば、昭和47年には一日の平均乗降人員が4000人だったらしいので、それだけの必要があったのでしょう。

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こういう懐かしいものもあって、なごみます。


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そして、気に入ったのがこれ。
職人さんが、その場で思いついてバーナーで描いたような因幡の白うさぎです。

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大社駅前には、このような洋風の建物も残っていました。
近くに大正期の近代化遺産が2つ(川上食堂と高間旅館)あるそうです。
これが食堂に該当するかどうかは不明。

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さて、もう一つの門前駅は、こちらは現役の一畑電気鉄道(株)出雲大社前駅(旧大社神門駅)です。
一畑電鉄は元々、出雲市から宍道湖の北にある一畑薬師に参拝するための路線で、その後、松江市、そして出雲大社と結ばれました。昭和5年に路線が開通したときに建てられたこの建物は、斬新な洋風建築です。

「当時、風変わりな駅舎として評判だったようだ」(「島根県の近代化遺産」)とのことですが、今でも十分風変わり。

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昭和初期らしく、外壁にはスクラッチタイル。これは普通。

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なにより素晴らしいのはこの内部!
南・西・北の3面にはそれぞれ違う形の色ガラス窓がはめられ、刻々とその光を変化させます。
これは夕方の写真。南向き。
シャンデリアは最近のものだと思います。

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こちらは昼時の北向き。
天井の尖った教会のようなアーチが特徴的です。

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梁の部分などを見ても、それぞれ違った幾何学模様を彫り込んでいます。

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そしてこのカーブした出札口。

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もう少し近づくとこうなっています。
相当モダンなデザイン。正月3が日はこの窓口を使うという話もあります。

国鉄が伝統の“和”なら、こちらは先端の“洋”でという対抗意識をありありと感じます。
こちらは駅舎も小さいですし、あまりお金もかけてなさそうですが、この演出はかなり効果的なのではないかと思います。私はこちらの方が好み。
当時の一畑電鉄は、苦しい経営の中で昭和2年に電化、この大社線も当初から電化されていたそうです(JRの方は結局、電化されなかったのに)。

現在の一畑電鉄は、鉄道にとどまらず、バス、ホテルなどに事業を多角化し、今年オープンした島根県立古代出雲歴史博物館の運営まで担っています。地方の鉄道グループが気を吐いているのをみるとうれしくなります。

この駅をみるかぎり、その気概は創業当初からあったものではないでしょうか。

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2007年4月28日 (土)

静かな出雲大社参道(島根県出雲市)

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旧JR大社駅から出雲大社に向かって松並木が伸びています。
大正2年に整備された神門通りです。
それまでの参道は海寄りを通っていましたが、国鉄大社線の開通後、この新しい参道が整備されました。

家ごとにこのような「止まれ」の印が描いてあるのは、飛び出し注意なのでしょうか。スクールバスがあるのでしょうか。
平成2年に鉄道は廃止され、参道は静かです。

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江戸時代以来の参道にはひっそりと昭和の街並みが残っています。旅館は明治・大正期のものもあり、あまりコンクリートの建物に建て替えられていないので、昔の観光地の雰囲気が想像できます。ここに泊まれば良かったかもしれません。
(ちゃんとその写真を撮っていませんでした。上の写真は脇道)

しかし、多くの人は、出雲大社脇の駐車場に乗りつけ、参拝をすませると門前で買い物をして、すぐ帰ってしまうのだと思います。
さびしいのは、この日が平日という理由もありますが。
ずっと手前に車を置いて、いくつかの鳥居をくぐり、近づいていく景色と並ぶお店を楽しむことも含めての参拝になるといいのにと思います。

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2007年4月27日 (金)

忘れられた鷺浦(島根県出雲市)

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ああ、なるほど。
湾口をふさぐような島(権現島または柏島)の存在が、一見して風待ちの港であることを示しています。
ここは“鷺浦”(さぎのうら)。島根県大社町の小さな港町です。
『北前船 寄港地と交易の物語』という本に、「これほどそっくり昔日の姿が残っている北前船の港町は、日本中探しても見当たらない」とまで書かれているのが気になり、出雲方面に旅行に行く機会に訪ねました。

大阪からは新幹線で岡山乗換え、特急「やくも」で出雲市へ、そこからバスで出雲大社、さらにタクシーでたどりつきました(少ないながらバスもあります)。タクシーで「鷺浦へ」と告げても「何か用事ですか?」と言われるぐらいで、「たまに鵜峠(うど)の分校に、カジカを見に来る人はいますけどね」とか。カジカより知られていないとは。
ガイドブックにも、地元で手に入れた観光パンフレットにも出ていません。

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行ってみて分かったのですが、鷺浦に行くには、出雲大社から、鹿がよく出るという細い山道を越えるしかありません。車の観光客が訪れたら、たちまちパニックになるでしょう。だから宣伝できないのかなと思います。
運転手さんは、映画「白い船」の舞台になったんですよと教えてくれました。

なお、隣の宇竜という集落も古くからの港町で、戦国時代には内外の交易港として栄え、北前船の時代には風待ち避難港、そして冬の松江藩お抱え船停泊港、杵築商人の交易根拠地として、鉄の一部や木綿がここから積み出されたそうです。

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鷺浦の集落は山と湾に抱かれ、小さな川をはさんで東西(向こうが西)に分かれています。

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海沿いの道が今の表通りで、こちらに面する家はみな日除け(風除け?)をかかげていました。

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集落は海岸線と山にはさまれて細長く伸び、海に向かって直交する、たくさんの短い通りがあります。

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また集落を貫く道があり、東で鷺隧道(昭和8年竣工)へとつながっています。(この写真は鷺隧道から西を見たところ)

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今では行くのがたいへんな鷺浦ですが、昔は日本の表通りでした。
この建物は塩飽屋という住宅。看板の説明には、「江戸後期より明治にかけての船主で塩飽本島(香川県丸亀市)の塩を売りさばき財をなした。この港に入った、塩飽の人が皆泊まったので塩飽屋の屋号を付けた」とあります。昨年の夏、塩飽本島に行ったところでしたので、これを見たときは、たしかにつながっているんだという感慨がありました。

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このように鷺浦には家の表札とは別に、屋号を掛けている家がたくさんあります。

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このような二連の蔵は塩飽本島でも見ました。豊かだったことが分かります。

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立派な鶴の鏝絵(こてえ)のある家もあります。

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1672年に西回り航路が開かれてから北前船の寄港地となり、江戸時代には22軒の船問屋がありました。北前船は、風向きが悪いと予め取り決めのある船宿に宿泊、宿では身の回りの世話を提供し、錨、綱、食料品などを供給、自ら船も持っていたとか。最盛期は江戸時代ではなく、明治10〜20年。明治40年以降は、電信・鉄道・汽船の発達で北前船はふるわなくなり、大正8年の寄港が最後でした。(『雲太のまちものがたり』)

しかし、この集落は北前船だけではありませんでした。
近くの鵜峠銅山では、明治初年から採掘が始まって、明治11年に最盛期を迎え、鉱山では360人が働き、3000人が暮らしていたそうです。やがて銅山も下火になりますが、20年後、好運なことに今度は銅と一緒に出る石膏がセメントに加える材料として売れるようになり、大阪や山口の大セメント工場から船がやってきたそうです。

たまたま集落を歩いていて、話しかけてこられたおじいさんは、昔、船員として働き、石膏を山口や九州へ、九州の石炭を新潟へと運んでいたそうです。まさに北前船のルート。おじいさんには、昨年亡くなった写真家の並河萬里氏が数年この集落に住んでおられたという話も伺いました。

いまは静かな港町。
海岸では、ワカメを干す作業が行われていました。

日の傾くころ、トラクターのようにゆっくり走るバスに乗って、鷺浦をあとにしました。

○関連ホームページ
 鵜鷺げんきな会のHP「北前船の港町・鵜鷺」

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2007年4月25日 (水)

路地の物干台

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町を歩いていて思うのは、意外と昔ながらの物干台が使われていること。
これは新しい物干台ですが、どうも近所の鉄工所でつくってもらった感じです。
鉄工所のある町らしいな、などと勝手に想像。
新長田にて。

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2007年4月23日 (月)

見せる魚市場(下関・唐戸)

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ここはどこか分かりますでしょうか。
向こうに見えるのは関門海峡、そして関門橋。
そして、ここは・・・唐戸市場の屋上です。

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唐戸市場は魚主体の卸売市場なのですが、今や観光地となっています。
下関には他に有名な南風泊の市場があり、ふぐ(ふく)の卸売はそちらだそうです。
昭和8年に始まり、平成13年に建て替えられたこの市場は、2階がこのようにガラスの通路になっていて、市場が眺められるようになっています。一般客が買い物をすることもできますし、2階には観光客向けの食堂街もあります。
仕事先の方に、「下関に泊まるなら唐戸市場で朝ご飯を食べたらいいよ」とお勧めいただいて、ここに来たのでした。
すごく流行っている店があったのですが、朝ご飯に並ぶ気が起こらず、隣の空いている店でカレイの煮付けなどをいただきました。おばちゃん2人で切り盛りしているお店です。朝日を浴びながらごはんを食べていると、他のお客さんは渡ってくるとき寒かったなどという話をしていましたので、門司側から通っている人もいるみたいです。

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もともと行政地区だったこの唐戸は、今は門司と一体的に観光地化しています。
行政地区の名残としてまだ留まっている市役所は、JR下関、新下関、幡生(JR下関と新下関の間)などに移転の話があるそうで、地元では反対運動をしていました。
私は回れませんでしたが、昔の中心地なので、唐戸にはまだたくさん歴史ある建物があるようです。
観光地として整備されるにしても、せっかくある遺産は活かしてほしいと思います。

下関の紹介はここまで。
見逃したものもたくさんありますし、門司も行ったことがありませんので、ぜひ再訪したいものと思っています。


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2007年4月22日 (日)

2つの旧英国領事館(下関と長崎)

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下関の唐戸地区には明治39(1906)年に建てられた旧英国領事館があります。現存最古の領事館建築として、重要文化財に指定されています。
現在はギャラリーとして、家具なども昔の様子を再現するような形で公開されています。
設計者は英国政府工務局上海事務所建築技師長のウィリアム・コーワンという人だそうです。
コーワン氏は翌年、長崎の領事館も設計しているのですが、ちょうど昨年、長崎に行ったときに訪ねていますので、ついでに並べて紹介してしまいます。(前に紹介したと思ったのですがしていませんでした)

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こちらが旧長崎英国領事館。明治41(1908)年に完成しています。このときは、長崎市野口彌太郎記念美術館として公開されていましたが、建物の老朽化が激しく、この4月から閉鎖され、改修工事に入ってしまっているようです。

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下関の執務室。シンプルです。
プライベートの部屋はもっと生活感があります。

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長崎の場合、普通に撮ると美術品を撮ってしまうので、こんな写真だけ。

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下関の暖炉。ここからしばらく暖炉ばかりです。

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下関の暖炉のタイル。レリーフが入っています。

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下関の暖炉その2。
やはりレリーフのタイル。

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下関の暖炉その3。
これもレリーフ入り。

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長崎の暖炉。
シンプルなタイルを使っています。

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長崎の暖炉その2。
こちらもシンプルなタイル。
並べてみて、下関の暖炉の方が豪華に見えます。

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ついでに裏も比べてみましょう。
下関の裏。小さな建物です。裏の付属建物は喫茶店として使われています。お茶したかったのですが、営業時間前でした。

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長崎の裏にあるのは、職員住宅。
長崎の領事館の方が、建物も中庭も大きく、前庭があり、規模が大きい領事館です。
江戸時代から領事館が置かれていた格の違いでしょうか。

同じような時期に建てられた2つの領事館は、戦争の影響により、下関は昭和16年、長崎は昭和17頃という、こちらも似た時期に閉鎖され、その役目を終えました。

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おまけです。
下関の領事館の階段の柱は、こうやって見ると、人間みたい。
ユーモラスに見えます。

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自転車を換える

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私は最寄り駅までの通勤に自転車を使っています。
往復6km、高低差150m。普通のシティサイクルではきついので、サイクリング用の自転車です。
その自転車が3月の初めに壊れてしまいました。ペダルの軸の劣化による破損、修理は不能ということで、やむなく廃車。
10年乗っていて、走行距離は1万kmを越えるはずなので仕方ない面もありますが、扱いが荒かったのもたしかで、反省しています。

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その後継として、この自転車に買い換えました。
前の自転車は日本製で、今回は台湾製。
今は部品メーカーがほとんど海外になってしまって、日本製と言っているものも中国からの部品ばかりであったり、中国で組んでいたりするようです。
かなりコンパクトでキビキビ走れる感じです。

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知人にこちらの本格的な自転車屋さんを紹介してもらったのですが、予算的にオーダーメイドはきついので、アドバイスを受けて完成品を買う形になりました。
池田にあって、古い道沿いの古い蔵を改造した店舗なんですよ。面白いでしょう。
別に古い蔵が気に入ってというわけでもなくて、自宅に蔵があったからそれを使ったそうです。(といいつつ、うまく内装も工夫していますが)

新しい自転車もすぐに馴染んで良かったのですが、
前の自転車をあっさり粗大ゴミに出せずにまだ置いています。

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2007年4月19日 (木)

明治の下関

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<下関南部町郵便局(左・明治33年)と旧秋田商会ビル(右・大正3年)>

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<旧英国領事館(明治39年)>

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<関門ビル(旧関門汽船(株)ビル・昭和6年)>

唐戸交差点の近代建築群。

レトロな下関観光の中心は、明治の開港後に栄えた唐戸地区です。
その名前からして、外国(唐)への戸ということで名付けられたとか。
門司港レトロの向かい側にあたります。
中でも唐戸の交差点にかかる陸橋からは、明治、大正、昭和の建築がぐるりと見渡せます。

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その中から、下関南部町郵便局(旧赤間関郵便電信局)をクローズアップします。
とってもきっちりデザインされています。

ここは現役最古の郵便局だそうです。残念ながら朝早くて入れませんでした。
郵便局の前には丸ポストが立っています。実は、この近くに住んでいた俵谷高七さんという発明家が丸ポストを発明したのだそうです。他には郵便切手やハガキの自動販売機も発明。地方の発明家が考えたものが、全国的に採用されたというのは面白いことです。

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細かいところまできっちりつくってあります。
口もただの四角ではないという。
そういうきっちりしたところが明治らしさなんでしょうか。

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2007年4月18日 (水)

下関の石垣

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下関では海沿いを歩いていても、丘が迫り、大きな石垣が立ち上がっています。
この石垣は唐戸地区の亀山八幡宮という神社の石垣です。角の部分は平たく積み、間の部分は、何重にも弧を描くように石が積まれています。赤っぽい石が多いのですが、適度に白から赤までばらつきがあり、きれいです。

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これは別の場所ですが、ビルの間の空き地には石垣、そして高台に住宅。
こちらも同じ積み方です。
石垣にも街の表情が現れています。

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2007年4月15日 (日)

西住之江の洋風長屋

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南海本線住ノ江駅の南西側にある、西住之江の洋風長屋群を確認してきました。
ぷにょさんが“西住之江の洋風長屋めぐり”ということで、書いておられますので、できるだけ重ならないものをご紹介します。

まずこちら。非常にきれいだったので、改築してあるのかと思いましたが、隣と見比べるとあまり変わりません。サッシを変えて、壁を塗り直したぐらいでしょうか。今でも十分通用するデザインなのがすごいところです。

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この一角を歩いて思ったのは、庭のスペースを存分に使って植栽していること。やはり住む人の手入れが大事です。この向かいの家は空き家だったのですが、誰かがちゃんと植物を管理しているようでした。

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こちらは工房的なお店に活用されている例。
前面のスペースが十分なのでこんな使い方もできるということでしょう。

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ちなみに洋風長屋の裏側はこんなふうになっています。
屋根は葺き替えて不揃いです。左右がたぶんオリジナルに近いタイプ。

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あと、地区外(南側)になりますが、西住之江幼稚園があり、こんな山小屋風の建物でした。
洋風住宅地には洋風な幼稚園がぴったり。窓の桟が木製でしたので、そこそこ古いのではないかと思います。

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地区外(西側)をふと見ると3階建て洋風住宅の並びがありました。
洋風住宅の流れが脈々と続いています。

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2007年4月14日 (土)

我孫子前から清水丘へ

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先日、ぷにょさんが紹介されている西住之江の洋風近代長屋を、一度は確認しておかないとと見に行きました。
南海高野線の我孫子前駅からのアプローチで、今回はその前編です。

我孫子前は、紀州街道の我孫子道からあびこ観音に至る参道上にあるのでしょうね。
集落名は遠里小野(おりおの)で、古い農村集落と思われます。
このような豪壮なお屋敷がたくさんあります。

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感心したのは、この換気扇の屋外フード。
古いはずはないのですが、銅製で火炎の文様まで入れてあり、周囲とうまく調和させています。

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我孫子前から商店街を西に歩いていくと、ちょっと変わった門が目に付きました。
アールデコのシャコに見えますがシャコじゃないでしょうね。
この門からするとさぞユニークな洋館が建っていたことと思われます。惜しい。

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こんな趣きのあるランプを残している会社もあります。

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あべの筋を越えると商店街は谷のように下ります。
住所は清水丘。丘と付くと近代の住宅地の感じがします。
ということで、右手の丘(?)に寄り道してみました。

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一帯には和風の近代長屋がたくさんありました。
しかも長屋と呼ぶにはあまりに立派な家が多いようです。

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そして公園の南側に洋風の長屋もありました。
残念ながら住んではおられないようです。

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とくに丸窓の桟の入れ方、半円のひさしに特徴があります。

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窓の桟や手すりはこんな感じ。
シンプルなデザインで、西住之江や堺東の洋風長屋とは別系統のようです。

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おまけ。
中華料理のミンミンですが、“喜”の字を二つ並べる、おめでたい“双喜”の面格子を上下逆にはめてありました。“双喜到来”の意味でしょうか。

次は西住之江です。

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2007年4月 9日 (月)

天下茶屋迷宮

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天下茶屋はけっして美しい街ではありません。
しかし、何かが心をとらえ、奥へ奥へと引き込まれる感覚があります。
まるで迷宮のように。

今回は解説なしでお送りします。

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2007年4月 8日 (日)

最後のシネフェスタ

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動物園前の映画館「シネフェスタ」が3月31日に閉館しました。フェスティバルゲートという場所が場所だけに、それに実際お客さんの入りも少なかったのでいつなくなってもおかしくないとは感じていましたが、シネコンばかりが増えるなかで、個性的な映画館のなくなるのはさびしいことです。

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シネフェスタは珍しいポジションの映画館で、4スクリーンがあり、新作のメジャーな映画も上映すれば、ミニシアター系も上映し、アジア映画に手厚いという重宝な映画館でした。その上、新作映画でも1000円で見られ、5回見れば1回無料という強力な会員特典。仕事が忙しくなる前はかなり利用させていただきました。

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開場前で賑わっている写真も載せておきますね。

最終日にむけては、今までに上映して好評だった作品や投票による作品が上映されていて、私は最終日のラスト2、ファン投票による『ローマの休日』を観てきました。
ちゃんと観たのは実は初めて。思いやりの映画でもあるということに気づかされました。

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私からも“ありがとう”
グレゴリー・ペックみたいに振り返りながら、名残惜しく映画館を後にしました。

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2007年4月 6日 (金)

ベンチ交替

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いつも使う駅のベンチ。
駅舎工事のときも保護していたので安心していたら・・・

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工事完了とともに撤去されてしまいました。
木のベンチがプラスチックに。
こういうときに感じる寂しさは、単に古いものに価値を感じるというだけではなくて、新しくできたものが、往々にして安っぽかったり、“軽”かったりするためでしょう。新しい木のベンチに変わるのなら、そんなに思わないはず。それは建築でも同じ。

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こういうホーロー看板付きのベンチがありました。

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ベンチを側面から見たところ。
鉄道会社らしい質実ながら優美さもあるデザインです。

南海電車のベンチは、おそらく壁と一体の木のベンチ → 移動できる木のベンチ → 固定のプラスチックのベンチというふうに変わってきたのだと思いますが、できれば長く使える暖かみのあるベンチを置いてほしいなと思います。

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2007年4月 5日 (木)

シマウマ脱走(東横堀川)

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日曜日、いつものように今橋を渡りながら、川下の方を見ると・・・どきっ!
見慣れた光景にこんなものがあるとびっくりします。

見覚えのある方もおられるかもしれません。
大阪・アート・カレイドスコープの東横堀動物園で、おりに入っていたシマウマたちです。

どういう経緯でこうなったのか知らないのですが、イベントが終わってもこうして物語が続いていくのは面白いことです。(でもやっぱりこの風景はこわい)

(続報)
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今朝、橋を渡るときに見ると、既にシマウマは消えていました。本当に脱走してしまったようです。

まちの中であちらこちらに出没する像というのも、面白いかもしれません。

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「海岸通建物物語2」開催中

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今回はお知らせです。
天保山の商船三井築港ビル・ステムギャラリーで、昨年につづき、「海岸通建物物語2」が開催されています。
準備中のときに古い写真や地図をいろいろ見せていただきましたが、まちや建物に興味のある人にはとてもいい企画だと思います。私も実はまだですが、見に行くつもりにしています。

今度の土曜日には、『窓から読みとく近代建築』の著者である酒井一光さん(大阪歴史博物館学芸員)が講演をされます。ぜひこの機会に。


《海岸通建物物語2》のご案内

旧大阪商船ビル(現商船三井築港ビル)や天満屋ビル、旧住友倉庫など・・・、
当時の建物から戦前、戦後の天保山の街並みを浮かび上がらせる写真展。
特に去年には見つからなかった商船三井築港ビルの3階建ての写真がでてきました!
前年の「海岸通建物物語」の流れを汲み、より地域と密着したイベントを開催します。

期間:3月31日(土)−4月14日(土)
日曜休廊 時間:13時から19時まで

■「天保山トークショー」(円満字洋介氏・小林淳男氏)
テーマは「水上庭園としての天保山」
ベネチァのような水上都市だったころの大阪、
その玄関口が庭園だったという切り口から展開する。
日時:4月6日(金)午後7時-9時 要予約・お茶つき500円

■酒井一光氏(大阪歴史博物館学芸員)講演
テーマは「窓」。
商船三井築港ビルや天満屋ビルの窓を中心に
近代建築の窓についての一考を酒井氏が展開する。         
日時:4月7日(土)午後2時半−4時  要予約・お茶つき500円 
 
■天保山を熟知する人のトークショー」 
テーマは「あの頃の天保山」
天満屋ビルオーナー 清水融氏、
海岸通ギャラリー 岩根正尚氏によるトークショー。
戦前・戦後の天保山の様子をお聞きする。
日時:4月7日(土)午後5時−6時 要予約
※ 当初予定しておりました株式会社間口社長 間口良男氏が 事情により欠席されることになりました。
  あしからずご了承ください。

■「藤津紫さんトークショー」 
テーマは「庭へようこそ、ストウ・ダイアリー」
イギリス「ストウ」で体験した。戸外空間の楽しみについて。
日時:4月14日(土)午後2時−3時 要予約・お茶つき500円

■会期中展示
石川友子展(現代絵画作家・商船三井築港ビルにアトリエを持つ)
商船三井築港ビルスペースを利用して行う作品展。

◆天満屋ビル展
天満屋ビル「ハaハaハa」にて4月21日まで開催。

●お問い合わせ・予約
「海岸通建物物語・実行委員会」(ステム・ギャラリー内)
港区海岸通1-5-25 商船三井築港ビル1階
06-6599-2877
info@jkgraphis.biz
http://jkgraphis.biz/


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2007年4月 3日 (火)

湊川発電所の煉瓦塀

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新長田を歩いていると、遠くに気になる建物が見えました。
なかなかすっきり見える角度がないのですが、これが全景。巨大です。
ネットで調べると、旧関電湊川変電所、その前は旧有限責任会社神戸電燈湊川発電所で、大正元年(1912年)のものと紹介されているものがありました。
3000キロワットの発電機が2機備えられていたそうです。
(ってどんなもんなんだろう)

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塀があるので、こんな近づき方しかできません。

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敷地の南の方に煉瓦塀がありました。(煉瓦づいてますね)
出入り口をふさいだ跡もあります。
昔は発電所のところまで続いていたんでしょう。

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逆方向から。

最初の写真に戻りますが、建物内を利用しないまでも、これだけのスペースがあれば、イベント会場に使えるのになと思います。

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2007年4月 2日 (月)

大阪狭山の煉瓦隧道×6

『近代建築ガイドブック[関西編]』に「南海高野線狭山町池尻煉瓦造隧道」という明治30年代?の煉瓦トンネルが「5ヶ所現存している」と紹介されている(p122)のが気になっていたので、今回、確認してきました。

場所は南海高野線の大阪狭山市駅〜狭山駅間。狭山池の下流側にある谷を高い土手で埋めて渡る部分で、両駅のホームからホームまで桜並木が連続し、高いところを走るので眺めの良い区間です。

結果から言うと6ヶ所確認できました。
1ヶ所は水路専用なのでカウントされていなかったのかもしれません。
南の大阪狭山市駅側から順に紹介します。

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1番目のトンネルは遠目にはこんな感じ(西側)。

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近寄るとこんな風です。
背の低い私でも髪の毛がかするぐらいだったので、高さ1.7m弱でしょう。

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東側はこんなふうにコンクリートで固めてあります。
いずれも西側の方がきれいに残っています。
ただ、1番目のトンネルは東側からの方がアプローチしやすいです。

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2番目のトンネルが、6つのトンネルでは最大。
車の交通も比較的多いです。
煉瓦の積み方はオランダ積み。
アーチを受ける部分には、石材をかませています。

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3番目はうってかわって最小のトンネル。
水路専用です。近づくこともできません。


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4番目のトンネル。
これは比較的大きいものです。
とまれのマークがかわいらしかったので撮ってみました。

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5番目のトンネル。
ここもアーチを受ける部分に石材をかませています。
水路が通っているものが多いですが、トンネルをつくる理由として、むしろ水路を通す目的の方が大事だったかもしれません。

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石材は端から端まで通っています。

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これが6番目のトンネル。
低くて車は通れません。

ちょうど桜の季節ですので、見に行くにはぴったりでした。
煉瓦のトンネルは意外といい状態で残っていて、見応えがあります。

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最後におまけ。
狭山駅は気に入っている駅で、こんなベンチがいまだに残っています。
色合いもクリーム色とオリーブ色のやさしい組み合わせ。
狭山駅は1986年まで富士車輌の工場があり、賑わっていたようで、上りホームのベンチはその名残かもしれません。

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2007年4月 1日 (日)

新長田の路地の煉瓦

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今日は狭山の煉瓦トンネル群を見て歩きました。また、下関の話も残っています。
けれどどちらも時間がかかるので、短いものをご紹介します。

新長田を歩いていると、路地の煉瓦が目に入りました。
ぷにょさんが紹介されていたな、と。
煉瓦敷きにモルタルを塗ったのがはがれているのは同様。
ただ、敷き方はシンプルです。

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その中に刻印の判別できる煉瓦がありました。

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拡大するとこんな感じ。
「大」の刻印です。(2つあるのは、たぶん右の「大」を押すのに失敗して薄かったのでもう一回押しただけだと思います)
製造所が分かれば、あるいは来歴が推測できるかもしれません。
震災で建物は壊れても煉瓦敷きや石畳は過去の路地の記憶を留めています。

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