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2006年9月18日 (月)

学校になった公園

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大正時代の公園を見に行くシリーズも残りわずか。
大正7年にできた阿波座小公園(519坪)を探しに行きました。
大正天皇の即位御大礼記念の公園です。大阪市で10番目?
(実際に行ったのは夏の初めです)

たしかに公園はあります。阿波座南公園です。
しかし、阿波座小公園は、地図で見るとどうも明治小学校(写真)の位置らしく思えます。「南」というのも引っかかります。
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明治小学校から道をはさんで東側にヒントがありました。
この「明治小学校旧校舎跡」の記念碑です。

060702sekihiura
裏側に回ると経緯を示す銅板プレートがはめられています。
小学校は昭和20年に戦災で焼け、昭和32年に復興、昭和45年に現在地西側に新校舎落成と記されています。その西側の土地は?というと、公園が使われたと考えられるのではないでしょうか。それが阿波座公園で、だから南側の公園が阿波座南公園なのではないかと推測できます。

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これが阿波座南公園です。
緑豊かな公園で、ビオトープなどもあります。

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そしてシュロ!
大きなシュロが2本立っています。

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そして、また謎の平たい石が無造作にごろごろしています。
どういう状態で使われていたものなのか。
この石の疑問はまだ解けていません。

阿波座小公園がなくなったときに、公園にあったものは阿波座南公園に移された・・・と考えるのは想像に過ぎますので今のところは保留です。

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公園の話としては以上ですが、余談です。
明治小学校の南東隅に阿古島橋の親柱が残されています。阿古島橋というのは立売堀川に架かっていた橋で、明治41年に架けられ、昭和4年に架け替えられたそうです。川は昭和31年に埋め立て。この親柱は昭和4年のものでしょうか。橋の親柱というのはよく残されてますね。

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コメント

こんばんは。

公園さがし・公園めぐりではないのですが、この夏、子供の夏休みの宿題(社会科の自由研究)で西区の石碑・碑文めぐりをしたのを思い出しました。

西区全体だとかなり広いので、新なにわ筋より西側に絞って子供と一緒に自転車で探索しました。一応私がインターネットで下調べをしておいたのですが、結構面白がっていました。ただし、最後の方は暑さでバテて、「はよ、帰ろー」の連発でしたけれど。

投稿: ひろ009 | 2006年9月23日 (土) 00:03

ひろさん、こんばんは。

自由研究で、石碑・碑文めぐりをされるとは、しっかり教育をされてますね。
面白い収穫などありましたか?

石碑や碑文などというと、神社には比較的多くて、たまに面白いのがあったりします。例えば、東住吉区の鷹合神社には、明治半ばに経営基盤の弱い神社の合祀が進められたとき、合祀を免れるために銭湯を経営したと書かれている記念碑があります。
公園にもありますね。

投稿: びんみん | 2006年9月23日 (土) 02:34

石碑・碑文といっても小学生の自由研究なので簡単なものばかりです(汗)。

人のことや橋の跡、建物の跡のことを書いたものなどが多く、神社には行きませんでした。
安治川沿いにある「河村瑞賢紀功碑文」は高さ3mくらいの巨大なもので、これには子供もビックリしていました。

今後は個人的にも色々気を付けて見たいと思います。

投稿: ひろ009 | 2006年9月23日 (土) 21:35

ひろさん、こんばんは。
すみません、気にされなくてかまいませんので。
「河村瑞賢紀功碑文」は日本橋の「道頓・道ぼくの紀行碑」のようなものでしょうか。そちらは巨大な残念石に刻まれています。

投稿: びんみん | 2006年9月24日 (日) 03:50

明治小学校を検索していて、このページに着きました。
明治小学校には昭和36年に入学して6年間通ってましたんですが、私が入学した時点で、3階建ての鉄筋校舎がなにわ筋に面して建っており、その時点でかなり古い戦前の建物でした、地下室は立ち入り禁止になっていて、講堂があって、壇上壁面上には、写真が掲げられていたと記憶しています、今の校舎や運動場などは、全部校庭でした、(広すぎて、休憩時間終了の5分前には、校舎に向かって走らないと授業時間に間に合いませんでした。
昭和45年に今の位置に立て替えの時も、旧校舎を鉄球で壊しているのをこの目で見ていました。
阿波座南公園?は当時から有りまして、小学校の校庭と同じ長さで東西に広がっていました、(雰囲気的には、西区の厚生年金会館の、南側の公園とよく似た感じでしたね)
校舎そのものは、大正15年?に建ってから、少なくとも昭和45年迄は建っていたと思います、通学していたころは、名前の通り、明治時代に出来た学校だと、思ってました。
阿波座小公園はひょっとして、大正15年建築の時に学校の敷地になってしまったのかもわかりませんね?
現在の校舎になっていた部分は運動場の入り口とも言える所で、池や、藤棚があり、どこかの橋の欄干も、置いてありました。
なかなか懐かしい写真が見れてありがとうございました。

投稿: たけお | 2008年5月11日 (日) 08:14

たけおさま
お越しいただきましてありがとうございます。
当時の状況をご説明いただいて、イメージがいっそう鮮やかになりました。現場にある碑文などぐらいしか依拠していませんので、関係者の方からお話を伺えて、ありがたく思います。

上に沿革の写真を掲げていますが、不明瞭ですので、改めて書いておきますね。

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 沿革

明治五年   西大組第八小学校創立(阿波堀)
明治十一年  阿波堀小学校と改称

明治六年   西大組第九小学校創立(阿波座現在地)
明治八年   阿波座小学校と改称
明治十一年  安喜良小学校と改称

明治十七年  阿波堀安喜良両小学校を合併
       明治小学校創立(現在地)
大正十五年  鉄筋新校舎落成(現在地)
昭和二十年  戦災のため校区焦土となり学校閉鎖
昭和三十二年 旧明治・靭・広教三校区を校区として
       明治小学校復興(現在地)
昭和四十五年 現在地両側に新校舎落成
       移転(現在に至る)
昭和四十七年 旧校舎整理

 昭和五十七年四月建之
  中西○三書
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投稿: びんみん | 2008年5月11日 (日) 10:14

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