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2006年7月27日 (木)

塩飽(しわく)の休日

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塩飽(しわく)諸島は、備讃瀬戸の大小28の島からなる諸島です。
海の日の連休を利用して、この塩飽諸島の中心、本島(ほんじま)に出かけました。本島は周囲16kmで、広さでは第2の島。昔、繁栄していた街に興味があるのと、このところ江戸時代の西回り航路が気になっている関係で、かつて瀬戸内海の水運を握っていたという塩飽に行ってみたくなったのです。

塩飽本島は丸亀市です。丸亀港から8便のフェリーまたは旅客船か、本州側の岡山県児島港から4便の客船があります。離島としてはまずまずの便利さでしょう。どちらからでも20〜30分で着きます。
私は大阪から淡路島、高松を経由する高速バスで丸亀まで行き、昼過ぎの旅客船に乗るルートを採りました。

旅客船「ブルーオーシャン2」は、丸亀で買い物をして帰る人と荷物でいっぱいでした。乗客は高齢の方が多いようです。丸亀から本島までは片道530円。
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(この写真は牛島から)
瀬戸大橋を横目に見ながら走ると、本島の島影が大きくなっていきます。既に丸亀港からも島は見えているんですけどね。小さな旅客船は本島を目前に、牛島・里浦港にタッチして、何人かの人を降ろしてから、本島港に向かいます。

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本島港に入港したブルーオーシャン2。
前から見たらこんなにかっこいいんですよ。

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本島港の前には船会社の切符売り場と待合所、少し離れて本島パークセンターがあります。観光の拠点という本島パークセンターに立ち寄って、早くも悟りました。「この島は観光客には頼っていない」。レストランも普通に島の人がご飯を食べているようです。幸い、船会社の待合所にはレンタサイクル(1日500円)が用意されているので、それを借りて島内探索に出かけました。

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塩飽の語源は、潮流がぶつかって「潮湧く」から来ているという説があるそうです。
この島の船主は海流の難しい瀬戸での操船技術と、時の権力者への協力、戦闘ではなく海上輸送を業とする穏やかさで、信長・秀吉・徳川家に領地を安堵されたそうです。江戸時代は人名(にんみょう)と呼ばれる、650人の船方衆が島を統治する独特の制度を採っていました。選ばれた4人の年寄が、交代でこの塩飽勤番所という役所に詰めて、政治を行ったそうです。

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塩飽勤番所を正面から見たところ。立派なものです。
かなり大きな石材が使われていますが、隣の広島(塩飽諸島で一番大きな島)から運ばれたのでしょうか。
塩飽勤番所は、今は資料館になっていて、地図、朱印状、咸臨丸の資料などが展示されています。なぜ咸臨丸かというと、咸臨丸の水夫50人のうち、35人までが塩飽の水夫だったのだそうです。咸臨丸に乗りこんだ偉い人のことは一般に知られていても、名もない人たちのことは地元に行かないと分からないものですね。旅行の面白さだと思います。

では、アメリカ帰りの水夫たちが、帰ってから洋風の建築を建てたのではと期待するのですが、各集落を回ってもそんな建物は見つけられませんでした。どこまでも伝統的な建物です。昔、繁栄した港町なら、その余波で大正頃の洋風建築があっても良さそうなのに、見あたりません。
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唯一、気になったのが、泊集落にあったこの建物です。ごくシンプルなのですが、2階の窓(ゆるいアーチに縦の桟)が気になります。どういう建物なのか、よく分かりません。

この島の「繁栄の後」は、他の港町、たとえば御手洗などとはちょっと違うようです。
そのあたりの事情は、笠島地区の話をするときに紹介します。

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