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2006年7月

2006年7月30日 (日)

塩飽牛島・栄華のあと

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塩飽本島(しわくほんじま)の沖合には、周囲4kmの牛島があります。
旅客船で5分のこの島には、10世帯18人が暮らしているそうです(『シマダス』による)。

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桟橋に降りたのは私だけでした。一見して寂れています。
島を全周する道路はありません。東西の山の間を抜ける道が1本、両端の集落、里浦と小浦を結んでいます。

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港には崩れた公共建築がありました。

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今では寂しい里浦ですが、寛永年間(1624-44)から約100年、瀬戸内海随一の船持ちと呼ばれた丸尾五左衛門三代の屋敷があったそうです。たぶんこれが玄関。

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里浦にある屋敷は朽ちているものも多いですが、たいへん立派です。

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小浦に向かう道の途中、地図上に学校跡と書かれている場所があります。ヒマラヤスギがある場所が運動場だったのではないでしょうか。今では森の一部と化しています。
かつてはミカンの島だったそうで、道の両脇にミカン園らしきものに登る階段があります。

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森を抜けると水田があります。塩飽本島でも同じなのですが、道路脇に田んぼ1枚に1つぐらいの割合でこのようなため池があります。水の貴重な島ならではでしょう。石垣にはたいがい弓なりの石が刺さっています。水を汲むための仕掛けでしょうか。

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小浦の集落に入りました。集落の掲示板です。簡潔な伝達事項。

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人口の少ない島ですが、宿泊施設があります。それがこの「アイランド・ガール」。古民家を改築した施設だそうです。お話を聞こうと思ったのですが、出かけておられました。

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この島に住んでいるのは人間だけではありません。ヤギもいます。(牛は見ませんでしたが)
このヤギはひもでつながれていて、道の半分まで来るのが精一杯です。

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水田の先には湿地帯があります。鳥がいて、カエルがいます。ススキのさわさわという音が絶えません。
音を拾ってみました。1分あるので、やや長いです。
「ushijimashicchi.WAV」をダウンロード

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牛島の南の端には多くの墓が並んでいます。しかも、全て四国を向いて。墓石の見つめているのは、讃岐富士(飯野山)か、金比羅さんか、それとも故郷でしょうか。今、この島に住む人が少ないのも自然の流れに見えます。

この小さな島を2時間余り散歩して、塩飽本島に戻りました。
帰りの船には私だけ。私を迎えに来るためだけに船を動かしてくれたようなものです。
栄華の時代と現在の落差を思い、やや感傷的な気分でこの小さな島を後にしました。

「夕陽は海に沈まない」に続く・・・

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2006年7月27日 (木)

塩飽(しわく)の休日

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塩飽(しわく)諸島は、備讃瀬戸の大小28の島からなる諸島です。
海の日の連休を利用して、この塩飽諸島の中心、本島(ほんじま)に出かけました。本島は周囲16kmで、広さでは第2の島。昔、繁栄していた街に興味があるのと、このところ江戸時代の西回り航路が気になっている関係で、かつて瀬戸内海の水運を握っていたという塩飽に行ってみたくなったのです。

塩飽本島は丸亀市です。丸亀港から8便のフェリーまたは旅客船か、本州側の岡山県児島港から4便の客船があります。離島としてはまずまずの便利さでしょう。どちらからでも20〜30分で着きます。
私は大阪から淡路島、高松を経由する高速バスで丸亀まで行き、昼過ぎの旅客船に乗るルートを採りました。

旅客船「ブルーオーシャン2」は、丸亀で買い物をして帰る人と荷物でいっぱいでした。乗客は高齢の方が多いようです。丸亀から本島までは片道530円。
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(この写真は牛島から)
瀬戸大橋を横目に見ながら走ると、本島の島影が大きくなっていきます。既に丸亀港からも島は見えているんですけどね。小さな旅客船は本島を目前に、牛島・里浦港にタッチして、何人かの人を降ろしてから、本島港に向かいます。

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本島港に入港したブルーオーシャン2。
前から見たらこんなにかっこいいんですよ。

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本島港の前には船会社の切符売り場と待合所、少し離れて本島パークセンターがあります。観光の拠点という本島パークセンターに立ち寄って、早くも悟りました。「この島は観光客には頼っていない」。レストランも普通に島の人がご飯を食べているようです。幸い、船会社の待合所にはレンタサイクル(1日500円)が用意されているので、それを借りて島内探索に出かけました。

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塩飽の語源は、潮流がぶつかって「潮湧く」から来ているという説があるそうです。
この島の船主は海流の難しい瀬戸での操船技術と、時の権力者への協力、戦闘ではなく海上輸送を業とする穏やかさで、信長・秀吉・徳川家に領地を安堵されたそうです。江戸時代は人名(にんみょう)と呼ばれる、650人の船方衆が島を統治する独特の制度を採っていました。選ばれた4人の年寄が、交代でこの塩飽勤番所という役所に詰めて、政治を行ったそうです。

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塩飽勤番所を正面から見たところ。立派なものです。
かなり大きな石材が使われていますが、隣の広島(塩飽諸島で一番大きな島)から運ばれたのでしょうか。
塩飽勤番所は、今は資料館になっていて、地図、朱印状、咸臨丸の資料などが展示されています。なぜ咸臨丸かというと、咸臨丸の水夫50人のうち、35人までが塩飽の水夫だったのだそうです。咸臨丸に乗りこんだ偉い人のことは一般に知られていても、名もない人たちのことは地元に行かないと分からないものですね。旅行の面白さだと思います。

では、アメリカ帰りの水夫たちが、帰ってから洋風の建築を建てたのではと期待するのですが、各集落を回ってもそんな建物は見つけられませんでした。どこまでも伝統的な建物です。昔、繁栄した港町なら、その余波で大正頃の洋風建築があっても良さそうなのに、見あたりません。
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唯一、気になったのが、泊集落にあったこの建物です。ごくシンプルなのですが、2階の窓(ゆるいアーチに縦の桟)が気になります。どういう建物なのか、よく分かりません。

この島の「繁栄の後」は、他の港町、たとえば御手洗などとはちょっと違うようです。
そのあたりの事情は、笠島地区の話をするときに紹介します。

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2006年7月26日 (水)

西三国の石畳

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阪急の三国駅から神崎川を渡ったところにある西三国の一部。双葉温泉のあるこの一角が気になりましたので、ついでに歩き回ってみました。この写真でいうと手前が三国橋で、通りの右側は大阪市淀川区、左側は豊中市です。軒などに銅板を張った店が並んでいます。

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まず気になったのは、この石畳。扉がついていた雰囲気があります。

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(国?)威宣揚の文字が刻まれたコンクリート柱が倒れていましたから、昭和初期ではないかと思います。ブロックで開発された住宅でしょうか。

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石畳の道は向こうまで抜けていて、反対側からはこんな感じ。ゆったりした感じがする歩行者道です。
ここに限らず、一帯の家は、どの家も玄関先まで花崗岩の敷石があります。

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こんな倉庫もありました。周辺の川の堤防は高く、このあたりは増水時には水面下になると思われます。それで土台が高いのでしょう。倉庫自体は普通なのですが・・・

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階段が妙に立派です。ここまできっちり石を組むとは。

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川沿いにはどこへともなく下っていく路地もありました。

西三国のこのあたりは狭い区域ながら、敷石がよく残っていて、いい雰囲気の残る街でした。

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2006年7月25日 (火)

双葉温泉の柔と剛

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よく晴れた土曜日、間もなく取り壊されるという旧双葉温泉の見学会に参加しました。
場所は駅でいうと阪急宝塚線の三国駅。淀川区西三国4−11というのは、神崎川の向こうなんですね。三国橋を渡ったところに「忘れてました」と言わんばかりに昭和初期の街が残っていました。新聞にも載ったとのことで、双葉温泉の前には既にカメラを構えた人が歩き回っています。
解説によると双葉温泉は昭和11年に開業し、2〜3年前に廃業されたそうです。
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双葉温泉の名前は相撲取りの双葉山から。双葉山のタニマチだった関係で、双葉温泉なんだそうです。玄関上の屋根では双葉山の鬼瓦(?)が出迎えてくれます。吉祥の大黒さん、えべっさんも、双葉山の土俵入りに従えられているみたい。

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玄関を入ると格天井の重厚な脱衣所。ステンドグラスがはまった衝立や天井扇は銀行からの転用だそうです。ちょっとぜいたくな気分になります。

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脱衣所の天井は高く、衝立の上は大きく開いてますし、中庭まであって開放的です。男女それぞれに囲われた前庭まであります。

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衝立のステンドグラスは、瀬戸内のような情景ですが、どこなんでしょう。

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浴場に入るところにまたステンドグラスがあります。こちらは幾何学的なデザインに日の丸です。

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浴槽も石なら、洗い場も石。洗い場の石も銀行のものらしく、重厚感が出ますね。

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それを和らげる石の竹。ここから湯が注がれます。最初のステンドグラスが松でこれが竹。ロッカーの鍵はオシドリにツル、カランもツル。吉祥イメージがあふれています。

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見上げると天井は高い位置に天窓があり、直線的でシンプルです。

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内装はこのように手のかかったつくりで、こちらを柔とすれば、外観は剛。太いコンクリートの柱が力強く天井を支えています。

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このような機会ですので、裏方部分も見せていただきました。目にすることのないろ過機。ツルカメ濾過機は、天王寺の浴用機械メーカー、鶴亀温水器工業(株)の製品のようです。それでツルのイメージが多かった?
濾過と洗浄を切り替えるハンドルが重々しいです。こちらも剛。

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そして銭湯といえば煙突。でも真下から見上げるのはたぶん初めて。その肌はひび割れて、よく働く人の手のようです。長年ご苦労様でした。

このような機会を設定していただいた、大バンと所有者の皆さま、どうもありがとうございました。

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2006年7月 7日 (金)

神域になった公園

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福島区玉川にある野田恵美須神社は、地域の中心的な神社のようで、だんじり、太鼓、鯛鉾庫が並ぶのは壮観です。また境内に野田藤の藤棚があります。このあたり、野田城の中でもあったようです。
そんな神社の裏にはかつて西野田小公園がありました。(大正6年。大阪市で8番目の公園か)

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神社の裏手に回ると気になる一角が。
玉垣と木立に囲まれて大きな石碑が建っています。

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石碑に近づいてみると「神域拡張記念碑」と大阪府知事の名前で彫ってあります。いやな予感が。(この石碑、斜めから撮ってしまったので大きく見えませんが、巨大な一枚岩です)

裏側の説明文を読むと、果たして西野田小公園を取り込んで神社の神域が拡大したことを記念するものでした。地域は明治維新以来、急速に発展し、学校や道路は拡張が進んだのに神社が昔の神域のままでは畏れ多いと、皇紀2600年を記念して350余坪を(大阪市から)譲り受けたと書かれてあります。石碑は昭和18年のもの。今の感覚では、公園(しかも大正天皇の即位記念の)をつぶして神社を広げたことをそんなに誇るとは・・・と何ともいえない気分なのですが。時代の雰囲気の記録となっています。

(追記)
「福島区史」によれば、公園だった当時、植栽は椎・樫など約20種、720本、遊戯施設は鉄棒、滑り台、ブランコなどだったそうです。(2008.11.3記)

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