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2006年6月

2006年6月30日 (金)

閉じられた公園

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大正期の公園を求めるシリーズ。
次の行き先は、同じく大正6年の北野小公園です。大阪で7番目? パノラマ地図では、綱敷天神社の北隣に描かれています。このあたりは阪急東通り商店街を東に抜けたところ。綱敷天神社の北側って普通のビルじゃなかったっけ?とは思いましたが、一応行ってみました。
綱敷天神社は、菅原道真が太宰府に向かうときに、ここに綱を敷いて休んだといういわれの神社です。この写真でいうと左側に公園があったはず。やっぱりビルです。

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ところが、神社の裏手に回ってみると、神社の北側に何やら青々した木が。気になります。

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表に回ってみると、日本基督教団扇町教会でした。1910年(明治43年)の創設。調べてないので、現位置かどうかは不明です。ちなみに建物は1956年のものです。

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教会なら、と事情を説明すると快くお庭を見せていただけました。(職員さん、ありがとうございました)今は幼稚園の庭になっています。目をひくのは大きな2本の木。ハート型の大きな葉で、いんげん豆のような実がなってたんですけど、何の木でしょう。どなたかご存じないですか? これが北野小公園の名残だったらいいなと思います。

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ついでにもう一枚。こちら、正面の木は桜です。さっきの木の大きさが分かりますでしょう?

職員さんに伺うと「前の牧師さんから、この敷地は昔は公園だったと聞いています」という証言がえられました。まずこの場所で間違いないでしょう。
公園でなくなったのは残念ですが、大正期の公園の木が幼稚園の庭で園児と一緒に過ごしているとしたら、それも悪くないなと思います。

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2006年6月27日 (火)

御蔵跡の公園へ

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大正期の公園を訪ねて、日本橋街園に行ってきました。
しかし、「行ってきました」と言うまでもなく、今までに何度も来たことがある場所です。大阪の方なら分かりますでしょうか。日本橋(道頓堀にかかる堺筋の橋)の北側にある、このちょっとした緑地が、大正5年に道路改修で整備された日本橋街園と思われます。

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この安井道頓・道トの顕彰碑があるところです。

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そこから御蔵跡にある公園へ、廃川跡を歩いていきました。
高津入堀川という、道頓堀川から南に分岐していた川で、享保19年(1734)に掘られ、昭和32年(1962)に埋め立てられたそうです。
写真では分かりにくいかもしれませんが、路面がうねっています。

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この屋台は橋のたもとで営業していたのでしょうか。
左側が川筋です。

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川は小さくカーブを描いて、直角に東に曲がっています。
ちょっと裏側感のある町並み。

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道に面するのは裏口です。今の路面とは段差があり、ブロックなどで調整されています。

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川は再び直角に南へ折れてまっすぐ流れていたようです。今は高速道路の高架下になっています。公園になっていますが、囲まれていて通り抜けられませんので、今回はここまでとします。

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高津入堀川は、天王寺御蔵(高津御蔵)という幕府の米蔵につながっていたそうです。最初、公園のある御蔵跡を、今のなんばパークスのある難波御蔵の跡だと思ったのですが、1752年から1791年まであった天王寺御蔵という短命の御蔵跡のことでした。古い看板の地名に名残があります。日本橋電気店街の東側のあたりです。


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その一部が大正7年に整備された、この御蔵跡小公園。現在は日本橋公園。
ここでは記念碑などは見つけられませんでした。
ただ、そう思ってみると、この4本並び立つシュロの木など、モダンさを感じさせます。
この公園の場合、隣の日本橋小学校の校庭に敷地を提供しているようです。

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もう一つ気になったのは、盛り土の山と点在する石です。何かありそうですが、どう使われていたのかは分かりません。
謎解きはこの先の公園に求めるとしましょう。
(期待していただいても申し訳ないので念のため書いておきますが、伏線ではありません)

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2006年6月18日 (日)

大正期の公園を求めて

先日から大阪市の公園について、気になっていることがありました。今日の話はマニアックなので、興味ない方は読み飛ばしてくださいね。

それは、

□大阪市公園史

明治6年(1873) 太政官布達により公園の名称ができる。
明治24年(1891) 12月  中之島公園が市営第1号公園として開設される。
明治42年(1909) 10月  天王寺公園が開設される。
大正4年(1915) 1月    天王寺動物園が開設される。
大正6年(1917)〜7年(1918)  大正天皇大礼記念事業とし、九条公園等6公園の小公園が整備される。

(なお、府の公園では明治6年に住吉公園が指定されています)

・・・このあとも記述は続くのですが、唐突に現れるこの九条公園等6公園というのは、どんなものなのかが気になったわけです。しかも検索しても残り5公園はなんなのか分からない・・・

ということで、大阪市立図書館に調べに行ってきました。(その後は細野ビルの話につづく)

まず、丸山宏著『近代日本公園史の研究』
大正天皇の大礼記念事業のため、大正6(1917)年3月5日に大阪市起業による公園として土地収用公告が出されたのが清水谷公園、九条公園、阿波座公園、北野公園、西野田公園。同年4月11日に土地収用公告が出されたのが御蔵跡公園。この6公園ということのようです。他にも木津公園というのがあると紹介されています。 (※所在地は省略)

さらに『明治大正大阪市史第一巻』を見ると、明治大正期公園一覧表というのがあって、上記3+7公園に加え、次の10公園があげられています。
・大正5年 日本橋街園(道路改修に際し除地利用)
・大正6年 築港遊園地(港湾部住宅地経営に伴い施設。港湾部所管)
・大正8年 西九條小公園(芦分倉庫爆発災害跡を岩崎男(爵?)より寄付せるにより施設)
・大正11年 新世界街園(土地会社よりの返却地利用)
・大正12年 桜宮公園(河川改修による洪水敷地の利用)
・大正12年 扇町公園(大阪監獄移転跡の利用)
・大正12年 市立運動場(第6回極東選手権競技大会会場供用のため施設。教育部所管)
・大正12年 恵美須町街園(都市線路の拡張に伴い取得せし除地利用)
・大正13年 大手前遊歩道(陸軍省貸下地利用)
・大正14年 福島公園(葬儀所移転跡の利用)
(※所在地、面積は省略)

これで全て分かった・・・と思ったのはまだ早く、試しに古い地図で現在の九条公園の位置を確認してみるとどうも公園などあった形跡がない。ちょっと混乱してきました。

でも意外とすんなり確かめる方法がありました。復刻版の『大正13年 大阪市パノラマ地図』を見ると、九条公園等6公園、木津公園などには「公園」と表示されているのです。わざわざ書いてあるのは珍しかったからでしょうね。改めて素晴らしい地図だと思います。

そこまで分かれば確かめにいくしかありません。
後日、まずは九条小公園に行ってみました。現在の位置でいうと九条東公園のようです。

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ありました!
大正天皇の大典記念碑が!(その瞬間、一線を越えてしまったなという感覚が)

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裏側には、「大正七年七月建之 九條有志拾名」というシンプルな文言が刻まれています。
 

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ただ、公園はというと、悲しいかな南は斜めの幹線道路に切られ、北は幼稚園の庭に取られ(?)、かなり狭まっていました。そのうえ、阪神の延伸工事も。そうとうな受難です。記念碑以外に大正を偲ぶものは見つけられませんでした。樹木はどうなんでしょうね。

そのまま足を伸ばして、西九条小公園も見に行ってみました。

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ここはそのまま西九条公園。西九条の駅北にあります。こちら、現在は梅の名所のようです。北市民病院に敷地を提供したみたい。左手の祠は波除地蔵尊です。しかし平らな岩が数個あるのが気になった以外は、公園内に記念碑などは見つけられませんでした。あるいは北市民病院の周辺まで歩けば何かあるかもしれませんが。


期待して行った割にはあまり大正を感じることはできませんでしたが、かえってもっと確かめたいという気持ちは強まりました。そんなに数はないので、折りを見て回ってみようと思います。
(すみません、いつもの建築以上にマニアックで)

(追記)西九条小公園は、大正6年に三菱倉庫(東京倉庫(株))で起きた大爆発事故に際して岩崎小弥太男爵より提供された罹災者慰藉金の残金で大正8年に開設されたそうです。(2008.11.3記)

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2006年6月10日 (土)

任せることと守ること(細野ビルの66展)

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西長堀の細野ビルに立ち寄ったのは全くたまたまのことでした。大阪市立図書館での調べものを終え、気になる場所を見に行こうと歩いていたときに、偶然、この建物が目に入ったのです。コンクリート打ち放しのような凄みのある雰囲気ですが、ポスターや受付らしきものがあり、何かイベントを行っている雰囲気があるので、近づいてみると・・・

06061066ten66展Ⅳ」というイベントを開催中でした。この建物は、芦屋・六麓荘の開発(他にも大阪や神戸の築港工事など)を行った細野組・本社ビル(昭和11年竣工)で、築後66年を記念して始まったのがこの「66展」だそうです。今年が4回目。メインイベントは6月6日6時6分スタート、66人のアーティストによるアートイベントと徹底して「66」にこだわっています。

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今日はアート展示のみで、地下1階と2階が展示会場になっています。
とくに地下の展示は、地下室にこわいぐらい合っていて、地下のポンプや配管と一体化していたり、この写真のように舗道窓(道の脇にガラスブロックを埋め込んだ明かりとり)をトップライトに使って、絵を見せていたりします。(絵は勝手に写すわけにいかないのでなし)油絵の具のにおいも地下室にぴったりです。ちなみにこのガラスブロックは下面が四角錐になっています。

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もし建物に興味があれば社長室を見せますよ、とのことでしたので、もちろん見せていただきました。電灯以外は、アールデコの机も含め、使われていた当時のものがそのまま残っています。玄関を入って受付になっているスペースは事務所です。このビルの特徴を一言で言うと「非対称」だそうです。柱の間隔、柱の形や太さ、1階と2階の平面配置、みな違うそうです。「このスペース撮ってもいいですか?」と聞いて撮ったのがこの事務スペースの写真。「社長室はだめだけどね」(良かった、聞かなくて) どうも我がことのようにおっしゃるのが気になるので、確認してみると案内者はこのビルのオーナーさんでした(!)。他の部屋はテナントやイベントにかなり自由に貸しても、社長室だけは使用禁止だそうです。それが創業者への敬意です。他にも、イベントは自由に受け入れる、ホームページを持たない、案内書を出さない、など自由にまかせる部分と絶対譲れない部分をはっきり持っておられるようでした。このビルには吸い寄せられるようにたくさんの人が立ち寄るそうです。

現在、オーナーさんは、ビルを徐々に竣工当時の姿に復元中なんだそうです。気になる外壁について質問すると、残念そうに、「地下鉄工事のときにタイルの一部が剥落したので、全部剥がしてしまったらしい」とおっしゃっていました。記録によれば、外壁の1階は北木島(岡山県笠岡市)産花崗岩(現存)、2階・3階は淡クリーム色テラコッタ・タイルだったそうです。さらに1階窓には面格子が付いていて、恐らく戦時中に金属供出されたので、これを復元したいとおっしゃっていました。

さらに今まで知らなかったのですが、創業者の細野濱吉という方は、兵庫県家島の出身だったのだそうです。家島の石材を商うことから業を始めたと。知人に家島のまちづくりに関わっている人がいるという話をすると、家島の古い写真など出してきていただいて、その人に来てもらってくださいということになりました。
何か、全てが導かれているような一日でした。

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