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2006年5月

2006年5月28日 (日)

倉庫をおくる

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ベトナムの話ばかりが続きましたので(まだ続く)、記憶の薄れないうちに他の話題も書いておきます。

先日の日曜日、Iさんから教えてもらった「地力。」というイベントを見に三ノ宮まで出かけました。
戦後まもなく建てられ、6月には取り壊される木造倉庫(門屋ビル)で現代美術展を開く、というものです。
「ARTイマジネーションin KOBE磯上・2006」という名称も付いています。

これが磯上の会場全景。駅の近くにも同じオーナーのビルがあり、会場となっていました。(そちらは壊さない)周囲には同じオーナーさんによるIPSXの名を冠したモダンなビルが多数、存在感を示しています。

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対角線上から見るとこんな感じ。巨大な帆が屋根の上で回っています。
これを見て「悔しい〜」と言っている女性もいました。アーティストなんでしょう。
大阪築港の住友倉庫で見た現代美術イベントが、建物に目をこらし、耳を傾けるような展示だったのに対して、こちらは捨てる紙に落書きをするような展示にも感じました。

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倉庫と倉庫の間。左の建物は倉庫の雰囲気を生かしてワイルドな雰囲気のカフェになっていました。このようなスペースは、こういう使い方が生きるのかなと思います。このアジトっぽい雰囲気は、きれいに建てた建物に汚れた絵を描いても出ないでしょう。
右は展示会場です。

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門屋ビルの南側。こういう建物を見ると学校を連想します。

建物には申し訳ないですが、この建物をなんとか残してほしい・・・とは思いませんでした。なぜか。
でも、ひっそり、いつの間にか古い建物が消えていくのではなく、こうして記憶にとどめ、告別することはとても意味のあることではないかと思います。

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2006年5月 6日 (土)

10年ぶりのハノイ(14)タムコック川遊び、そして旅の終わり

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次の目的地はタムコック。3つの洞窟という意味だそうです。
桂林の漓江下りのような観光地と思ったんですが、ちょっと違ったみたい。(どう違ったかはのちほど)
ホアルーからは、山水画の世界を行く、夢のような抜け道を走りました。山を抜けると一面、水田の緑。やがて幹線道路にぶつかって、ほどなくタムコックの街に到着です。ここで地元風料理の昼食(山羊肉など)を食べ、日除けに菅笠を買いました。
通りを歩いていくと、池のような船だまりになっています。ここが乗船場。
ガイドさんに「これを最後にチップとして渡してください」と1ドル札をもらい、私とSさんの2人だけで船に乗り込みました。

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船はだいたい2人のおばさんが漕ぎます。農家の副業のようです。
桂林の漓江下りは、桂林から出発して、大きな船で延々下っていきますが、タムコックでは、手こぎの船で3つの洞窟をくぐり、また戻ってきます。1時間行って、1時間かけて戻るものです。
手こぎの船はトタン製のようで、これ以上、お手軽な船はないだろうと思いました。超軽量で、恐らく安上がり。合理的です。櫂も木の柄の先にトタンが付いた軽量版。私も漕がせてもらいましたが、想像以上に楽に漕げます。さすがに2時間は辛いですが。普通は手で漕ぐのですが、器用に両足で漕ぐ船もあります。

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ゆったりした流れの川を遡っていくと、やがて行く手に山が現れます。

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そう、山の下をくぐって川が流れているんです。これは奇観。洞窟の天井には手が届くぐらいで、これは小型のボートでないと無理です。3つの洞窟に入ると聞いて、入っては戻るのかと思ったのですが、川は洞窟を貫いて流れています。3つとも。

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面白いのは、川の両側が水田なんです。湿田で、川の水がひたひたと稲を潤しています。
手こぎですから、とても静か。ゆったり、のんびり気分・・・と思うでしょう?
帰りは違うんです。
まず折り返し地点で、ジュース売りがいます。「ジュースはいらないか」、いらなければ、「私たちにジュースを飲ませて」。戻りに入ると本格的な商売がスタート。なんと予め、船には商品が積み込んであり、おばさんの1人がそれを次から次へと取り出しては売り込むんです。そのための漕ぎ手2人。商品は、刺繍のテーブルクロスなどです。結局、買わなかったので、おばさんたちは非常に不機嫌でした。私はのんびりした気分を味わいたいのに。このあたりの商売の手口は「タムコック」で検索すると数年前からの話がいくらでもヒットしますので、詳しく知りたい方はどうぞ。全く変わりません。
途中、船を寄せて稲の成長具合を見ていたのは、やはり兼業なのでしょう。
船が到着する前になると、こちらが言うより先にチップを要求しだします。元々渡すつもりなのにげんなりしました。

060506dutchlady陸に上がると、暑かったので、ちょっとしたカフェ(?)で一服しました。「これは何?」と気になった、「ダッチ・レディ」。「牛乳。おいしいよ」という答えだったので、飲んでみました。バニラ・ミルクみたいで、確かにおいしい乳飲料(牛乳ではないですね)でした。横では店のおばさんが、「それ、息子の好物なのよ」と笑っています。子供向けです、たしかに。オランダ企業の製品で、ベトナムでは有名なブランドだそうです。

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いろいろあったタムコックを後に帰路につきます。
このあたり、大きな村ごとぐらいの頻度で、教会が建っています。古そうなので、フランス植民地時代のものなんでしょう。

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貨物列車も追い越します。ゆっくり走るので、車の方がかなり早いです。なおも走っていくと、線路を歩いている人がいて、それでいいんでしょうか。

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アヒルも追い越します。この運び方、かもとり権兵衛みたいですよね。羽ばたけば速そう(なわけない)。
ガイドさんは、ハロン湾では、バイクに水牛を乗せます、といいます。
それは見てみたい。
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ハノイに戻ってきたら、もう夕方。この写真はティエン・クアン湖の夕陽です。
ああ、帰るんだなあという気分になります。
あとはSさんとスーパーで買い物したり、食事したりして、旅を締めくくりました。

今回の旅行、10年ぶりに村を再訪して写真を渡すのが目的でしたが、目的の何倍もの経験ができました。ますます、ベトナム、そしてハノイは思い出深い場所になりました。
風を好むベトナムの人たちが、この先も変わらないのか。今度は10年と言わず確かめに来たいと思います。

長々した旅行記をお読みいただいた皆さま、ありがとうございました。

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10年ぶりのハノイ(13)古都ホアルー

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さて、ようやくハノイ最終日です。
この日は、バッチャンの回の最後にも書きましたが、たまたまお茶屋さんで出会った東京のSさんのお誘いで、ひょんなことから古都ホアルーとタムコックのツアーに参加することになりました。参加者2名に対して、運転手と日本語ガイドがつくというぜいたくなツアーです。

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古都ホアルーはニンビン省にあり、ハノイから真南に80kmばかり行ったところにあります。南に向かう道は、ホーチミンに向かう幹線国道ですので、道は整備されていて、両側にも街が長く続きます。ハノイから北に川を越えたとたん農村になるのとは対照的です。
しかし、予期せぬことが起こりました。ご覧の通りの大渋滞。こうなってしまうと避ける道はありません。さらに恐ろしいことに、路側帯を走ろうとする車が出る、対向車線が止まっている見るや、対向車線を走ろうとする車が出る、対向車線側の路側帯を走ろうとする車が出る・・・でもうたいへん。こうなると片側交互通行を始めても、うまくは流れません。みな、少しでも先に進もうと思って、かえって深みにはまっているような・・・
ガイドさんの話によると、ハノイ・ホーチミン間のバスは業者が乱立していて、みな少しでも目的地に早く到着しようとスピード競争になっているそうです。
かなり時間はかかりましたが、渋滞の原因になっている事故現場を通過しました。果たして、ガイドさんの話に符合するように、渋滞の原因は長距離バスの事故でした。運転席が大破し、近くにはむしろが・・・。後でニュースの内容を教えてもらったところでは、4人亡くなるような大きな事故だったそうです。
貴重な経験というにはゆううつな経験でした。

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さて、あとは順調にホアルーに到着です。ホアルーには986年から1010年に都がタンロン(ハノイ)に移るまで、丁(ディン)朝と前黎(レー)朝の都が置かれていたそうです。ホアルーの周囲には柵のように山々がめぐり、川が堀のように流れて、池や湿地帯が広がっています。まさに天然の要害の地。

入り口にあたる橋を越えると人が集まっています。ほとんどが売り子です。
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古都奈良どころか明日香村以上に何も見あたらないところで、今は広い平地が広がっています。そこに、のちに建てられた2つの廟、丁朝の初代皇帝と前黎(レー)朝の初代皇帝を祀った廟があります。17世紀の再建だとか。
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まず、丁朝皇帝を祀る廟へ。レンガ敷きの道が廟に向かって伸びています。

060506hoalu3廟内は所々、屋根の瓦が抜いてあって、光条が差し込むようになっています。暗くて分からないと思いますが、人物像が並んでいます。
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離れたところに、また前黎朝皇帝を祀る廟があります。こちらは若干簡素なつくりです。
廟の中では、ここを管理するおじいさんがよい香りのする花を配っていました。

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参道の脇には蓮池があり、ふと見ると女の子が水遊びをしていました。
こういう光景はいいんですけどね。他の男の子は物売りをしています。

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廟を正面にすると左手にはこのような光景が広がっています。
運転手さんが裏道を知っているとのことで、タムコックまで山水画の世界を行くようなきれいな田園を走っていきました。こういうのはツアーのありがたみかもしれません。

そうそう、ホアルーではちょっと面白いことがありました。
ホアルーの都の跡に、蘭と観葉植物と奇石の店があったんですが、ガイドさんが率先してお買い物してたんです。ハノイで買うと何倍も高いのよ〜と満足げです。ツアー客よりもたくさん買い物をするガイドさんって初めてみました。いいガイドさんに当たったなあという気がします。

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2006年5月 5日 (金)

10年ぶりのハノイ(12)オペラ座で芦屋に出会う

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ハノイにはフランス植民地らしく、1911年建設の立派なオペラ座があります。(当初の装飾は簡素だったそうですが)メインストリートの突き当たりに堂々と建つのはパリと同じ。
もちろん中も見てみたいのですが、現役のホールである、このオペラ座は、何か催し物があるときでないと入れないと聞いていました。

たまたま行きの飛行機で英字新聞を見ていると、オペラ座でクラシックコンサートがあり、無料券を配るという案内が! 演奏するのは芦屋交響楽団・・・。ハノイまで来て芦屋・・・。(芦屋交響楽団さん、ごめんなさい。)でも入れるんです。ありがたく、チケットをもらいに行きました。フールウ村に行った日の朝のことです。チケットの配布場所がベトナムの交響楽団本部で、非常に不便なところにあるため、タクシーで行かなければなりませんでしたが。
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危うく門番のおじさんに追い返されそうになりながら、なんとかチケットを入手できました。
下がチケットで、上はチラシです。親善目的のベトナム訪問で、演奏会は2日あり、1日目は子供向けのポピュラーなプログラム、私の行く予定の2日目は本格的なプログラムでした。

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入る前に外も確認しておきましょう。
これはオペラ座左手の入り口です。ひさしが装飾豊かです。

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先ほどの入り口の内側にはこんな強い曲線のドアがありました。
(なお、コンサートはハノイ3日目の夜でした。)

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ロビーは吹き抜けと階段の白い空間になっています。
イタリア産大理石を使っているそうです。

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せっかく入れたのだからと劇場内の探索に出かけました。
これは吹き抜けの上部。桟がゆるくカーブしてぬくもりがあります。

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貴賓室前のモザイクタイル。真ん中の図柄などちょっとベトナム風な感じもします。

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やっとホール内に入ります。これは正面部分。
正直なところ、思ったより小さいなというのが印象でした。

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060505opera9後ろはこんな感じ。中之島公会堂より小さいですが、空間は濃密。でも白を基調に、天井に雲と青空が描かれるなど、爽やかさを感じさせます。スピーカーなどもうまく装飾の中に溶け込んでいます。
始まる前や休憩時間には、けっこう他のお客さんもばしゃばしゃ写真を撮っていました。
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芦屋交響楽団の演奏を聴くのは初めてで、私はクラシックはよく分かりませんが、力の入った演奏だったと思います。
指揮者は本名徹次さん。
曲は、ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」作品9
ド・ホン・クァン「ベトナム狂詩曲」
伊福部昭「シンフォニア・タプカーラ」
アンコールが、ホーチミンの歌?でした。
(アンコール以外は芦屋交響楽団さんのHPで確認しました)

演奏が始まるとコウモリらしき鳥がぐるぐると飛び始めたのには、さすがに古い劇場だと思いました。
オペラ座の怪人も住んでいそうな感じ。
私の席は3階席で、フェルトの巻かれた手すりにもたれ、音楽と空間を堪能しました。

なお、コンサート後半、地元の若い女性グループが、通路が狭いので、「すみません、すみません」と言っては、きゃらきゃら笑いながら入ってきました。どうも日本語学習中の学生のようで、本名さんがあいさつしていても、「いま、「すみません」って言ったあ!」(たぶん)とまたきゃららと笑います。コンサートの後、私も「すみません」と言って、ちょっと会話をしてみました。彼女たちはやはり、日本語を学習中の学生で、ハノイ貿易学院の生徒だそうです。ちょっとした楽しいおまけでした。

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10年ぶりのハノイ(11)陶器の村

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水草の広がる水面をバックに陶器の積み込み作業が行われています。
バッチャンは素朴な絵柄の陶器で有名な村。
ベトナムの陶器といえばバッチャンというぐらいに、日本でもよく出回っています。
バッチャンはハノイ近郊にあるということもあり、今回出かけてみることにしました。

とはいえ、行き方がわからないので(とツアー自体にも興味があって)、ここはツアーを使いました。
ウェンディー・ツアーという日本語ガイド付きの20ドルのツアーです。前日に申し込んだところ、午後のツアーに席があるとのことで、乗せてもらいました。ホテルでのピックアップです。参加して初めて分かったのですが、他の参加者はパックツアーの一部としての参加でした。岡山からの女性2人と大阪からの女性2人の2組。滅多にパックツアーに参加しない私なので、かえって新鮮でした。ここぞと日本語ガイドにいろいろ質問します。

今回2度目のチュオンズオン橋(紅河にかかる橋)を渡るとたちまち風景は郊外から田舎へと変わり、堤防上の道を川下に向かって走っていきます。道はけっこうぼこぼこ。陶器を満載した自転車が走っていたりして、よく割らないものだと思います。広い河原には牛、道ばたにも牛。結婚式の車が止まっていて、その先にはまた牛。堤防上の道は右も左も見晴らしがききます。半円形の池、廟、寺、そして村。やがて、右手の田の中にレンガを積み上げたレンガ焼きの小屋が転々と見えてきます。

陶器の村というと、山の中をイメージしてしまう私は、バッチャンにも丘ぐらいあるのだろうと勝手にイメージしていたのですが、全く平坦な紅河沿いの村でした。村をぐるりと回り込むように車は走り、見学先の工房に着きました。

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見学先の工房では、一番入り口に近いところで、お椀のような器を作っているところでした。一握りの土をつかんで回転する臼の中にぱしっと投げ込み、上から押さえるともう形のできあがり。手で形を作ったりはしません。

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バッチャンで意外だったこと「その2」は製造に子供たちがたくさん関わっていることです。午後の訪問で、ベトナムの小学校は午前中だけというのもあるのでしょうが、とにかく子供が仕事を手伝っています。熟練したおじいちゃんが絵を描いている訳ではありませんでした。あるいはバッチャンの素朴さは子供が描くことにあるのでしょうか。2カ所見ただけで決めつけるのは早すぎますが。

レンゲは型からはみ出した部分を、子供が一つ一つ削っていて、レンゲを見る目が変わりました。買って帰りましたよ、レンゲ。

あとはお決まり、隣の販売所で買い物です。おみやげ用に蓋碗を買いました。あんまり安いようには思えません。
もう一軒、ビルになっている工房を見学し、また買い物。こちらでも子供たちが遊びながら働いていました。もう気は済んだので、むしろ窓からトップの写真の積み込み風景を眺めていました。

絵付けをさせてもらった大阪の2人は、その皿をただでプレゼントされたそうなのですが、焼いてない皿を渡してどうするのでしょう。(私は陶芸教室に通っているので、預かって帰りました)

帰り道、ロンビエンバスターミナルからバッチャン行きのバスとすれ違いましたので、次、来るならそれでもいいなと思いました。始発から終点までなので簡単です。

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行きがけにも見たこの長大な橋(全体の分からない写真ですみません)。日本のODAで架けられている紅河第4の橋(タインチ橋?)です。ハノイにいて目立つのは、援助国としての日本の存在の大きさ。泊まっているホテルの隣はベルマークで建った小学校でしたし、大きな交差点ではJICAの設置した時計・温度計を見ました。中国と違って、そういうのが目立つように掲げられています。

ハノイ市街に戻ると、引き続き市内観光になる他の人たちと別れ、ハノイ旧市街を歩きました。
その一角に、蓮の花茶を買いに行ったのですが、そこで意外な展開があったんです。
本来、最終日でもあり、翌日はまた美術館など、市内をぶらぶら歩こうと思っていました。しかし、同じくお茶を買いに来ていた日本人の方とお話するうち、ホアルー、タムコックに行きませんか?と誘われたのです。参加したいのだけど最少催行が2人なので困っていると。全く考えていなかったことなので一瞬迷いましたが、こういうのも旅の面白さかな、とOKしました。
流される快感とでもいうのでしょうか。今回の旅行の目的は達したのに、まだボーナスがあったようです。

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10年ぶりのハノイ(10)観光客にできること

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3日目のランチはちょっと変わったレストランに行きました。
旧フランス人地区の洋館を利用したフランス&ベトナム料理のレストランです。

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西洋人や日本人の客で庭のテーブルが賑わっていましたが、上も見てみたいということで2階に上がりました。
2階は静かで、テラスは広く、日除けの植物に細いチューブから時々しゅっしゅっと霧が吹かれるのが涼しげです。

060505lunch1ミニのコースを頼みました。最初は苦みのあるスープ。

060505lunch2お次は海老のクリーム煮とライス。

060505lunch3そしてデザートのプリン。
それぞれ2種類ぐらいから選べます。

ちょっと変わったというのは、古い洋館を使っているということではなく(それはハノイではよくある)、その運営のしくみです。

レストランの名前は、「ホアスア・トレーニング・レストラン」。ガイドブックにも大きく載っています。恵まれない家庭環境にある子供たちに無料で料理や給仕を学ばせ、手に職を付けさせては送り出しています。95年に活動を始め、これまで2500人以上を育てたそうです。

私にはにかみながら給仕してくれた高校生ぐらいの少年はここに来て6ヵ月とのことで、まだ初々しさがありましたが、もう後輩に給仕の仕方を教えていました。

トレーニングの料金も含まれているのでしょう、お値段の方はベトナムの物価水準からいうと安くはありません。でも日本に比べればどうということありませんし、観光客にとっては旅の思い出を手に入れることができます。ただ寄付をするというのでなく、料理を作り、いただくという関係なのも気持ちよいところで、互いにメリットのあるいいシステムだと思います。

この団体は、他にも「クロワッサン」というベーカリーや「バゲット&ショコラ」というカフェ、服屋さんを経営していて、それぞれに人を育てています。こういう観光ビジネスは他の国でもあってもいいなと思いました。

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10年ぶりのハノイ(9)塀の向こう

見てくださっている方、そろそろ飽きておられるかもしれませんが、ようやくハノイ3日目です。
この日もハノイ市街をぶらぶらと散歩。
(実際には蒸し暑いので、そんなに優雅ではありません)
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まず向かったのが、ホテルから近いこの建物。明るい感じの建物でしょう? でも監獄なんです。ホアロー刑務所博物館で、元の監獄が一部残されています。1899年建設。

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これは大部屋で、足かせをはめられた囚人(政治犯など)が入っていました。奥の方に人形が並んでいます。写真は省略しますが、独房、懲罰房、死刑囚の独房といった様々な部屋、フランスですからギロチンもありました。排水溝から脱獄に成功した人もいて、その排水溝の断面の展示などもあります。

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2階から見るとこんな感じ。中に入っていなければ、風もよく通りますし、快適です。庭に植わっている葉の大きな木は、アーモンドの木です。私は初めて見ました。応急薬になったり役立つ木なんだそうです。あとで外を歩いていると街路樹にも植わっているのに気づきました。
この監獄は最初、ベトナム人が囚われていましたが、ベトナム戦争期には米兵が収容されていて、その待遇がいかに良かったかという展示もあります。その部屋だけ扇風機が回ってるんですよ(笑)

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ホアローを出ると、再び暑い中を歩いていきます。バイクタクシーに声をかけられながら。
途中、踏切を越えます。ベトナムの列車は主に夜中走るらしく、昼間はこのように生活スペースに使われています。これでも幹線。

次の目的地は、古い城砦タンロンの遺跡です。北京で言うと故宮? かろうじて「地球の歩き方」にはコラムとして載っていたのですが、まだ試験公開のような段階で、普段は塀に閉ざされています。旅行社の人に電話番号を聞き、ホテルの人に頼んで電話で尋ねてもらったところ、今は開いているということでした。一帯は軍の管理する地域で、そこに向かうにも延々塀の続く道を歩いていきます。
060505thanglong10分ぐらい歩いたでしょうか。ようやくこの門を見つけました。ベトナム語なのでよく分かりませんが、1月から5月半ばまで公開されているようです。無料の割に訪ねる人は少なく、静かです。

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故宮と違うのは、元の建物が取っ払われて、フランス人によるコロニアルな建物があること。かなり軒が深いですね。1800年代の年号が記されていました。

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こういう2階建ての建物もあります。いずれもフランス人によるものでしょう。この建物などは今は役所の事務室に使われているようでした。

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階段に龍の彫刻があるのは、故宮と同じ。この上に王宮があったようです。今は洋風の建物が建っています。

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その建物に入ると地下に降りていく階段があります。

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地下にはこんな会議室。攻撃に備えた部屋です。ベトナム戦争の頃のもののよう。
地下は涼しく快適です。

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昼休みも近いので外に出て、城砦の北門に回りました。こちらはいつでも見られます。壁の穴は砲撃の跡でしょうか。実際に戦いの舞台になったようです。

本当ならもっと観光化されていても良さそうなのに、とても静かな塀の向こう側でした。

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2006年5月 4日 (木)

10年ぶりのハノイ(8)屋台

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3日目のシティービュー・カフェのあと。
揚げ春巻きをつまんだら、夕食はもう軽くてもいい気分になり、旧市街の屋台ですませることにしました。
ごく原始的に、流行ってそうな店を選ぶ方法で選択。
Bun Thanh/Pho Bo と書いてある屋台がとても繁盛していました。フォー・ボーの方はいつもの朝食の牛肉麺だけど、ブン・タンって何? 手がかりを探そうと周りを見渡して、フォー・ボー以外を食べている人を観察すると、隣でもりもりとレバー煮を食べている人が・・・。
(まさかね)
ひるんでいると、「ここどうぞ」と突然、日本語で席を勧められました。驚いてそちらを見ると若い女性と駐在員風のおじさんがいます。どうも私が席を見つけられないでいると思ったらしいのです。いずれにしても席は必要なのでありがたく座らせていただきました。

「よくこのお店を見つけましたね」と言われてうれしい私。
女性はベトナム人通訳(本業ではないかもしれませんが)でした。おじさんは数年前までハノイに駐在していた人で、休みを利用して遊びに来たそうです。

これ幸いと「ブン・タンって何ですか? 」と聞くと、「あっさりしておいしいですよ」という答えが返ってきました。レバーではないことを確認して、ブン・タンを頼みました。あっさりスープのビーフンです。フォー・ボーとの見分けはほとんどつきません。麺を食べ終えるまでの短い会話を交わし、今晩の飛行機で帰るというおじさんは女性と席を立ちました。


この日の晩には水上人形劇を見ることになっていました。非常にまっとうな観光でしょう?
専用の劇場がホアンキエム湖の北にあります。TVの付いた待合室に通され、時間が来ると2階の劇場に上がります。ちなみにカメラ持ち込み可で、持ち込み料を取るシステムです。

劇場には小さな池と向こうに宮殿風のセットがあり、左手に楽団が座ります。楽団が演奏し、歌い、台詞を語り、水の上では滑稽みのある人形が動き回ります。人形劇といってもアクション重視のところがあって、人の姿が見えないままに、人間や動物の人形が走り回り、花火を吹いたり、木に登ったり、釣りをしたりと、短い話が次々と展開します。

これはこれでいいんですが、星空の下、風に吹かれながら、田んぼで演じられる水上人形劇を見るのも気持ちいいでしょうね。


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10年ぶりのハノイ(7)スコール!

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来るな...
ベッドの中でばらばらという雨音に始まってゴウという大雨を聞いたのは昨晩のこと。この日、若干涼しくはなったもののまだ湿気を含んだ重い空気で満ちていました。
この写真の湖は、昔、国を統一した王が大亀に剣を返したという伝説のあるホアンキエム(還剣)湖です。この湖の南は昔のフランス人地区で、北はハノイ36通りと呼ばれるベトナム・中国人地区。博物館から旅行社をへて、この湖まで歩いてきたとき、空の色で夕立は間近いことを悟りました。スコールと言った方が南国らしいでしょうか。

湖の東岸を北に歩くうち、しだいに西風は強まり、街路樹の枯れ枝がほおに当たります。
ハノイ36通りに入ったとき、とうとう雨が降り出しました。
本格的に降られると手持ちの折りたたみ傘では通用しないので、開けていない店の軒下に、居合わせた数人とともに雨宿り場所を確保しました。

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最初はおとなしくぱらぱらと来るのですが、ぱらぱらがバラバラになると、向かいの英語塾から「きゃあああ〜」という子供たちの楽しさ混じりの歓声が狭い通りに反響して、右へ左へ駆け回ります。自転車やバイクの人は、どこからか大きなレインコートを引っ張り出してかぶり始めて、みな大あわて。

060504squall3周りの店の人は、商品を引っ込めたり、ビニールをかぶせたり、ハンドル付きの長い棒をひさしに当てがい、くるくるとアーケードをせり出し始めます。このハンドルは共通のものらしく、休みの店の分も出してあげるあたり、町の人情を感じます。

やがて、あれだけ道を埋め尽くしていたバイクはすっかりどこかに消え、たまに帰ってくるバイクがあるぐらい。同じ庇に雨宿りしている二人は日本人のようで、声をかわさないまま連帯感を感じていましたが、彼らはどこからか車を呼んでこの場を脱出してしまいました。

取り残された気分の私はやや小降りになったのを見計らい、近くの町家博物館まで移動しました。
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町家博物館は、町家そのものを保存している博物館です。
ハノイの町家はウナギの寝床と言われ(言ってるのは日本人ですが)、京都の町家のように間口が狭く、奥行きが長いものです。建物と中庭が交互に並び、非常に風通しがよいことは、このような天気の日にはよく分かります。とても快適。雨宿りですから、できるだけのんびりと中庭を見上げ、2階から見下ろし、部屋を見て回りました。

室内には、版画や焼き物、刺繍など土産物がぎっしり並べられていましたが、どうも買いたいようなものはありません。入り口まで戻り、受付のテーブルに、ウォーキング・マップやハノイの街に関する本が積まれているのを見つけました。雑多な本、冊子のベトナム語版、フランス語版から英語版を選り分け、それだけ買って帰りました。植民地期の街路図を載せた本など、役に立ちそうです。

雨もほぼ止み、博物館も閉館時間が近くなって、私は再び外に出ました。
隣の家では葬式をしています。今回の旅行で出会うのは、葬式ばかり。
旧市街の中を気ままに歩きながら、ホアンキエム湖の方へ戻っていきました。

ちょっと休みたいなと思っていたときに目に入ったのが、船の後部デッキを思わせるようなシティー・ビュー・カフェです。そこに上がってみることにしました。エレベーターで5階です。
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ここからの眺めは下から想像した以上の眺め。旧市街にはそれほど高い建物はありませんから、遠くまで見渡せます。私は交差点を見下ろす端の席に座りました。ホアンキエム湖側にもデッキとテーブルがあって、湖を一望できます。こちらも捨てがたい眺めです。

自分でもおっちゃんぽいなと思いながら、生ビールとサイゴン風チャー・ゾー(揚げ春巻き)を注文しました。これってビアガーデン? ともかく、スコールで冷やされたまま日没を迎える空気は心地よく、町の屋根越しに沈む太陽も見届けることができました。空はほとんど晴れ上がり、繊細な雲が夕陽を受けています。

雨が止み、涼しくなったので、バイクもさっき以上に町に繰り出してきました。そんな人、バイク、車が行きかうさまを眺めているとなんとも気分が良くなります。ゆっくりのびをするように、このカフェで時間を過ごしました。

夕方、ハノイの街でスコールに遭ったら、ぜひシティー・ビュー・カフェに上がってみてください。
(こんなことよくあるんだろうと思ったのですが、こういう激しいスコールはハノイでは珍しいと後で聞きました。)

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10年ぶりのハノイ(6)博物館の昼休み

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長々書いていますが、まだハノイ3日目(実質2日目)です。
この日は観光旅行らしく、博物館めぐりなどしました。
博物館めぐりといいながら、半分以上は建物を見るのが目的なんですけどね。

最初は、歴史博物館です。元々は1925-32年に建設されたフランス極東学院ルイ・フィノー博物館。エルネスト・エブラールによるインドシナ様式の建物です。インドシナ様式というのは、フランスの建築にインドシナ的要素(木造を模したベランダや屋根の支えなど)を折衷したものです。(堅い話ですみません)

上の写真は博物館のエントランスです。

060504juiceでもここまで長く歩いてきたので、中に入る前にひと休み。
庭の片隅にある売店で、ココナツジュースを飲みました。お茶派なのに、なぜかお茶より、フルーツジュースを欲してしまいます。

060504hmtree庭にはこんな大きな木(ガジュマル?)が植わっています。先ほどの建物と比べてみてください。

さて、博物館に入ろうと思ったところが、受付の娘さんに、ほんとにいいの? と確認されます。
なぜかというと博物館はあと15分、11時半に昼休みに入るから。すると1時半まで入れません。
いくらなんでも15分では見られませんので、入る前にのんびりしたことを悔いながら、また外に出ました。
それぐらい調べておくべきですね。

さてと周りを見ると向かいに革命博物館が。
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幸いにこちらは昼休みに入るのが10分ほど遅いようです。
展示物もそれほど多くないだろうしと飛び込みました。
この建物は元々20世紀初頭の税関です。すぐ向かいが紅河の岸辺。今では、河岸に建物が建て詰まり、河は見えませんが。

060504rm2階の廊下はこんな感じ。規則正しく並んだソファーと消火器が現代美術を思わせます。展示室はこの左側に一列に並んでいて、革命家の写真や遺品が時代順にたくさん収められています。1階に降りると、ベトナム戦争の展示とともに、工業製品の展示があります。自助努力を誇るこれら家電製品の展示も、私の目から見ると懐かしさを覚えます。ベトナムの人も懐かしさをもってこの展示を眺める日はもう来ているのでしょうか。あまり他の観覧者はいません。

革命博物館は文字通り駆け抜けました。
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こちらの建物は近くの地質博物館。ここは12時まで開いてますが、10分で見るのもなんですので、外を見るだけにしました。
向かいがミリタリー・ゲストハウスなので、中を覗いてみたのは前回の話で紹介したとおりです。

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表通りに出る道を歩いていくと、途中にコム・ビン・ザン(定食屋)がありました。賑わっているようですし、一度試してみたかったのでここでお昼にしました。皿にごはんをよそい、甘辛く煮たおかずを適当に指さして盛ってもらいます。不慣れですが、お店の人の方は、外国人にも慣れた様子。周りにつられてガシガシと食事することになります。時間を持てあましているというのに、あっという間に食べ終わってしまいました。1万ドン(約70円)。

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あてもなく表通りに出て南に下るとハノイ総合大学がありました。大学なら入れるでしょう(中国だと門番に呼び咎められますが)。中庭から見るとメインの建物はこんな感じ。どことなく、さっき見た建物と似ているのは同じくエルネスト・エブラールによるインドシナ様式の建物だから。1926年に建てられたインドシナ大学です。留学生のふりして中庭の縁石に座っていると、いい風が吹いてきて快適です。

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中庭をこのような建物が囲んでいて、静かです。時々、大学生が楽しそうに話しながら歩いています。
トイレもありますし、昼休みをのんびり過ごすにはいい場所かも。
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また元の道を戻りながら、道路脇のカフェで休憩。今度はマンゴー・ヨーグルトジュースで1.8万ドン(ってさっきの昼ご飯より高いですね)。パリのカフェのように、通りに向かって椅子が並べられています。屋外が好きなベトナム人とフランスの文化が自然に溶け合っています。
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再び歴史博物館に戻りましたが、まだ時間は1時半まで少しあります。
庭にも石造物中心にたくさんの展示があって、なおかつ、昼でも自由に出入りできます。ここで最後の時間つぶしをして、建物周囲の写真を撮っていると開館時間になりました。
歴史博物館は、石器に始まって、陶磁器、工芸品、戦いのジオラマなど盛りだくさんな展示がありますが、昼休みの方が印象に残った博物館めぐりでした。

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10年ぶりのハノイ(5)ホテル探検

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旅一番の目的は達成したので、翌日はのんびりホテルを探検しました。

今回、泊まったホテルはエデンホテルというエコノミーなホテルです。油断して、ホテルを押さえるのが遅れたため、古そうなホテルを当たっていって、第5候補ぐらいでやっと予約の取れたホテルでした。
ほんとはホアビンホテルという、1926年開業の中級ホテルに泊まりたかったんですが。

エデンホテルはフランス人地区の中にあり、フランス人地区が出来る前からあった細い斜めの道に面しています。(夜は寂しいんですよ)
いつ建ったかは分からない、3階建てのホテルです。1階の向かって右側がフロント。

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ホテルの部屋はこんな感じ。天井も高くて、広々しています。若干殺風景かな。
これだけではなくて、広いバスルームがあります。裏から共用のバルコニーにも出られます。
難点はエアコンをかけてもすぐには冷えないところ。

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面白いのは、入り口を入ると3階分、吹き抜けの中庭みたいになっていること。温室のような半透明の屋根がかかっているので、外のような内のような明るい場所です。部屋はこの中庭をコの字に囲んでいます。朝食はこの中庭で食べます。

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これは1日目の朝食。左がフォー・ボー(牛肉入りのあっさり麺)、右が固いオムレツ、奥が見たままのスイカ、そして左奥が渋〜いお茶です。(やっぱりベトナム人は渋いお茶好きなのか)
朝食のシステムは、リストに好きなだけ○を付けて選ぶシステム。ベトナム風ならフォー・ボー、洋風ならフランスパン、チーズなど。それに果物でパパイヤ、オレンジ、スイカ、バナナが選べます。普通、パパイヤを選ぶでしょう? でも固くて、味がないんです。バナナが一番まし、かな。

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4階の屋上にも上ってみました。屋上には洗濯物干し場もあります。同じような高さの建物、街路樹が並んでいるので、地面のような気持ちのいい空間。ここでは赤い屋根が続いています。開放的なつくりなので、生活が近く感じられます。
ちなみに反対側はビンミン(たぶん平明(黎明))小学校があり、こちらの屋上には金網に囲まれた運動場があるので、昼間は賑やかです。

以上が、今回泊まったホテルなんですが、よそのホテルも気になる。ということで町歩きの途中で目に付いたホテルに入ってみました。
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060504sofitelmaeこちらはハノイで一番有名なソフィテル・メトロポール。1901年開業で、5つ星の素敵なホテルです。写真は中庭のアーケード。建築的にも美しく、高級といっても華美ではありません。カフェでお茶でもと思いましたが、ゆったり過ごされる方が多いらしく、宿泊客の朝食とバッティングしたので遠慮しました。
さすがに1人ではもったいないですが、いつか泊まってみたい。

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そして、もう1軒。右上に1874-77と書かれているように、1877年に竣工し、フランス軍参謀本部として使われていた建物。ハノイ最古の西洋建築だそうです。
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<1873年のハノイ。出典:ベトナム建設省建築研究所,"Preserving Hanoi's architectural and landscape heritage",Construction Publishing House,1999。色の点を追記>
※青の点がフランス軍参謀本部で、その周辺(g)はフランス租界、aがタンロン城、hは造幣局、有刺鉄線のような線が城壁、その所々にある○が城門です。その時点では建っていませんが、緑でソフィテル・メトロポール、赤でエデンホテルの位置も示しました。

現在は国防省ゲストハウスという軍系列の宿泊施設になっていて、一般客でも50ドルで泊まれるそうです。正面(左手)の車寄せ部分は後からの増築で、1886-87の年号が入っています。
次回、ハノイに来ることがあればぜひ泊まりたいホテルです。


古いホテルの一つ、ザンチューホテルは取り壊されていたようですが、近代建築に泊まる楽しみもあるのがハノイのいいところです。


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2006年5月 3日 (水)

10年ぶりのハノイ(4)再会と出会い

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いよいよフールウ村へ。フールウというのは「ひょうたん」の意味のようです。大きな(でも交通量は少ない)道を渡り、墓地を抜けて、フールウ村に入ります。
ちょうど昼時で、くらくらしそうな暑さ。人影もあまり見ません。
狭い路地を歩いていると、道の向こうに水面が見えました。行ってみるとそこは昔、水路の船着き場だったようです。石段が水中に没していました。
今は船が着くわけではないようなので、引き返します。
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村のあちこちでは、漢字を目にすることができます(1919年以降、ベトナム語はアルファベット表記)。この石造物は「福」の字が刻まれ、中国的です。
道と壁にはレンガがふんだんに使われていました。

ふらふらと道を歩いていくと、昔見たお寺や集会所、広場を発見。
集会所からは大音量の音楽が聞こえてきます。ちょっと声はかけづらい雰囲気なのでここはパスします。

もう少し歩くと、池のそばに日除けをかけた露店がありましたので、休憩がてら立ち寄ってみました。瓶の豆乳を買うと氷の入ったグラスを渡してくれます。氷は怖いので溶ける前に飲み干します。
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<1996年>

上の写真など何枚か写真を見てもらうと、店のおじさんは最初は知らないよというふうでしたが、手伝いの若い人に見せたりするうち、斜め向かいの家を指さしてくれました。

その家は大きなガレージの奥にありました。最初出てきたおばさんには不審者に思われたのか、ドアを閉じられてしまいました。このまま引き返すのも問題なので、しばらく待つと、今度は足をひきずるおじさんが出てきました。手持ちの写真を見てもらうと、知っている人だと理解したようです。そしておっしゃるのは、「いない。みなハノイに行ってしまった」(ベトナム語なので推測ですが)ということ、まだよく理解してもらえてないようなので、向かいの日陰に移動して、プラスチックの椅子に腰をおろし、事情を説明しはじめました。(このおじさんはカーさん。後で分かったのは、写真に息子さんと娘さんが写っていて、2人とも今はハノイに出ているということ。当時10歳前後に見えますので、今は20歳前後でしょうか。娘さんはもうお子さんがおられるそうです。)

この時代、誰か一人ぐらい英語が分かるだろうと思っていた私が甘かったのですが、ほとんど通じません。何ごとかと思った人が一人、二人と増えてきて、ノートにベトナム語の単語を書き並べたり、ベトナム語会話の本を指し示したりして、相当難渋しながら、ようやく、私が日本人であること、10年前にこの村に来たこと、写真を渡せなかったのが心残りで渡しに来たことなど伝えました。やはり現地の言葉は大事です。

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再訪の目的をようやく理解してもらい、焼き増した写真を渡したところで、みなで日本から持って行ったお菓子を食べながら、お茶をいただきました。緑茶のようです。ベトナムのお茶は非常に濃く淹れます。

10年前の写真を見せられるのは本人によっては必ずしも喜ばしいことではないかもしれません。その懸念は訪れる前からありました。なんとか大方の人には懐かしく思ってもらえたようです。写ってない村人には面白いことなので、楽しんでもらえたみたい。10年前の村の様子をいろいろ言いながら見ていました。

雑貨屋の店先のこの場所は、人がたまりやすい場所のようで、誰かが来るたび呼び止め、だんだん人が増えていきます。先ほどの写真でいうと、真ん中の男の子、右の女の子にも会えました。真ん中の男の子はレー・ヴァントゥアンさん。20歳で、いま大学生だそうです。ほかに店のおばさんのレーさんや別の女の子グエン・ティートゥーさんも。小学校は昼までなので、何ごとかと興味を持った子供たちもやってきます。

静かに見える村の一日にもいろんなことが起こります。突然、白い鉢巻きをした若者がバイクで現れると、チャルメラを持ったおじさんも現れ、向こうからバスが登場。葬式が始まるようです。

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日が傾くとおじさんが、向こうへ行こう、と池のそばに誘います。みな、プラスチックの椅子を持ってぞろぞろ移動。池を渡って、先ほどはなかったいい風が吹いてきます。時間によって、風の吹く場所を知っているわけです。またそのように村が配置されているのかもしれません。
子供たちが指さす方を見ると、派手な凧が一つ空に舞っていました。

ベトナム語と一部英単語でのコミュニケーションですので、思うようにいきませんが、日本での仕事のこと、今回の旅行のこと、いつから来て、いつ日本に帰るのかなど筆談、指さし、ジェスチャーでの会話をしました。電話番号を書いてくれる人がいるのですが、それはちょっと無理?

ここに泊まってはどうかと旅館らしき建物を指す人もいましたが、頃合いと思ったので、お暇することにしました。無邪気だった子供たちも、シャイなベトナム人になっていて、今回は写真を撮っていません。でも住所は書いてもらいました。今回は拙くてもいいから早めに手紙を送らないと。

村が夕陽の色になるころ、カーさんに、「帰ります」と声を掛けると、近くのバス停まで自慢のバイクで送ってくれました。バイクの後ろに乗り、みんなに手を振ります。「次はもっと早く再訪してね」と言ってくれるくれる子もいて、うれしいことです。

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この村は幹線国道沿いで、ハノイ行きのバスも頻繁に出ていることをようやく知りました。
ハノイ市街地北部のロンビエン・バスターミナルまでは3000ドン(わずか20円ほど)。30分余りで着きます。
後から振り返ると簡単なこと。ちょっと荷物が軽くなりました。

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10年ぶりのハノイ(3)都神社

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見た目にそれほど変わらないこの村ですが、このような大きな道が建設中でした。

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10年前は最初にたまたまフールウ村に入り込んで子供達との出会いがあり、その後、ディンバン村まで戻りました。今はその逆の道をたどろうとしています。村の路地を抜けると見覚えのある運河が現れました。
1010年にベトナムで初めて独立王朝を打ち立てた李朝がここディンバン村を本拠としていたそうです。そしてこの運河はハノイにつづく運河の名残なのだとか。
その意味でこの村はやや特殊です。

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<1996年>

 実は前回に来たときにこのような弧を描く堤があって、これは何だろうと気になっていたんです。今回、その謎が解けました。

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 このDEN DO(都神社)の一部だったのです。
DEN DOは、李朝8代の皇帝を祀る神社だそうです。対仏の独立戦争時に破壊されたそうで、最近、修復がなったところ。前回、気づかなかったのも無理ないわけです。
入口でお供え物(モチ)と線香を売るおばさんがいて、しきりに勧められ、いつもは断るのですが、思い立って買うことにしました。中に入っていくと、管理者のおじいさんがおられて、お参りの仕方を教えてくれます。まず正面で線香を供えて拝礼、次に左手の建物に供えて拝礼、最後に奥に入って、8人の皇帝像が並ぶ前で、お餅と線香を供えて拝礼します。神社とはいいながら、中国の道教的なお参りの仕方です。
お参りしておいて言うのもなんですが、私が李朝の皇帝に何をお願いすれば良いんでしょうね。

060503dendotizu本殿には境内の見取り図や周辺の地図が掲げられていて、疑問がどんどん解けていきます。来て良かった。この図でお分かりのように、建物の前面で、運河を丸く囲み取っているのです。それが堤の正体でした。

建物の南側に半円形の池を掘るというのは風水的な発想です。それが運河の一部を切り取っているというのは面白い構造ですね。
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正門を背にするとこのような眺めになります。中軸線上に一直線に建物が配置されています。
この建物は水亭と呼ばれるそうで、1000ドンコインの図案に同様のものがあると、帰ってから知りました。

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中軸線上の一番先(つまり半円のてっぺんあたり)には、このような碑が建っています。
そしてその向こうには運河と遙かな水田。すばらしいロケーションです。皇帝達はここから遙かにハノイを望んでいるのでしょうか。

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10年ぶりのハノイ(2)再訪、ディン・ディンバン

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翌日、今回の旅の最大の目的を果たすため、ハノイの郊外に出かけました。
目的というのは、10年前に訪れた村を再訪すること。私は偶然訪れたその村で、せがまれるままに子供たちの写真を撮ったのですが、書いてもらった住所をなくしてしまい、写真を送れませんでした。それがずっと心に引っかかっていたのです。
その村に向かう前、ハノイ市劇場でのコンサートチケットをもらいに行ったのですが、その話はまた改めて。
時間短縮のためタクシーを使いました。

ハノイ市街の北には紅河が流れていて、そこに大きな橋が3本かかっています。そのうちで一番下流にあるのが、写真のチュオンズオン橋(彰揚橋)。この橋を渡り、ハノイ市から北東に18km、バクニン(北寧)省に入ってすぐのところに当面目指すディンバン村はあります。

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<2006年>
 10年前にこの村にきたのは、このディン・ディンバンを見るためでした。ディンとは村の集会施設のことで、ディンバン村のディンということになります。

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<1996年>
これが10年前の様子。周囲が寂しいような気もします。写真は省略しますが、この池は今もあります。建物の前に池を置くのは風水的ですね。
ディン・ディンバンが建設されたのは、1736年だそうです。この手の建築としてはかなり立派なもの。

060503ddb2前回は戸が閉まっていて入れなかったのですが、今回は開いていました。
足下にはこんなかわいらしい獅子がいます。
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正面の祭壇両脇には亀に乗った鶴?鳳凰? 
このように宗教色がありますが、ここは重要な会議が開かれた革命史跡でもあるようで、左の部屋には革命家らしき写真などがたくさん飾られていました。右の部屋ではおじいさん、おじさんがのんびり番をしています。
入っていってもとくに気にされません。

この村ではもう一つ、確かめたいことがありました。
たまたま通りがかった家でお祝い事をしていて、一緒に写真を撮ったりなどしたのです。
目印の路地の写真をもっていましたので、最初は記憶を頼りに見つけようとするのですが、どうも見あたりません。そのときの写真を見せて、村の人に尋ねるとあっちだ、こっちだとそれでもなかなか見つからず、10人ぐらい聞いてようやくたどりつきました。思った場所とは全然違っていて、記憶はあいまいなものです。

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<2006年>

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<1996年>
これが目指す路地。そんなに変わっていません。
とくに右の門が目印になっています。
その家も訪ねたのですが、留守番の少年だけで、どうも事情が分からない様子。
でもせっかくですから、写真を託しておきました。
ひとまず小さな目標は達しました。
目指す村はまだ隣です。

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2006年5月 2日 (火)

10年ぶりのハノイ(1)ハノイへ

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10年は区切りの時間。
今回のベトナム旅行は前回96年3月の旅行から10年目を意識して決めた旅行でした。
前回はグループ旅行で、今回は一人旅。無事に目的は果たせるだろうか、ベトナムが様変わりしているのではという不安に、関空のぐずついた天気が輪を掛けます。
ハノイへは、10年前と同じく、関空発ホーチミン経由のベトナム航空で向かうことになりました。

出発は11時。やや遅めにチェックインしたところ、指定された席はビジネスクラスでした。ビデオが見れるわけでもないので、席が広いだけですが、よく休めましたから、ありがたいことです。席はほぼ満席のようで、アンコールワットなどに向かう人も同じ飛行機です。
ホーチミンのタンソンニャット空港には14時20分着。時差2時間ですから、所要5時間20分。
タンソンニャット空港では新ターミナルを建設中でした。

ホーチミンは34度。暑い。蒸し暑い。
突き上げるような積乱雲が熱帯を感じさせます。
昔と変わらぬ広い空と滑走路。

ホーチミンからは国内線でハノイへ。
トップの写真はそのときの写真です。17時なので既に夕暮れですね。ぐっと機内が海外らしくなった飛行機は、19時にハノイ・ノイバイ空港に到着しました。
10年前には神戸市バスに迎えられたので密かに期待したのですが、もう代替わりしたようでした。
バスに乗ることもなく、直接ターミナルに入ります。

ノイバイ空港は街中から少々離れています。
市の中心部には10ドルのタクシーで向かうか、2ドルのミニバスか。もう今晩は予定もないし、ミニバスに乗ってみることにしました。乗ってはみたものの一向に出発する気配なし。聞くと、20分後(の次の到着便を待つ)というので、ターミナルに戻って涼んでました。

実際には30分ほど待ち、10人満載して出発。
空港からしばらくは大きな広告看板が並んでいます。ほかの明かりは少ないので、夜空に巨大な板が浮かぶような不思議な浮遊感があります。ベトナム企業の広告にISO9001:2000を強調しているのが多い気がするのですが、ベトナムでは権威があるのでしょうか。そういえば、機内サービスのおしぼりもハノイ空港で買ったツバメの巣ジュースもISO9001対応でした。

やがて懐かしいベトナムの住宅が目に入り、徐々に増えてきます。バルコニー、ポーチに円柱の付け柱といったどこかテーマパーク的な建築がベトナムに来たことを実感させます。
ちょっと背が高くなったかな。でも面影は昔と変わりません。

すっかり街中に入ったとき、印象的なシーンがありました。
急に警備員らしき人に車が止められ、ゴロゴロと赤白の柵が狭い道路を堰き止めます。
そして警備員のおばさんがランタンをかざすと、キキキ、キキキ、と車輪をきしませてスローモーションで深緑の列車が現れ、オレンジ色の客室の灯が乗客のシルエットを幻想的に浮かべます。
ゆっくり列車が道を横切ると、再び警備員がゴロゴロと柵を転がして道を空けました。

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ミニバスはホテルにほど近い、ベトナム航空オフィスに到着しました。
やはり蒸し暑い。それは旅行プランから抜け落ちていました。
そして、その後、毎日干渉されたバイクタクシーのおじさんにさっそく声をかけられました。
通りにはバイクの流れが出来ています。排ガスで余計に暑いのでは。
市中心部のホアンキエム湖の外周道路は昔と変わらず、バイクがぐるぐる周回していました。

ちょっと回り道はしましたが(この後、毎日のように道に迷うことになります)、今回宿泊したホテル、エデンホテルに到着しました。このホテルは、旧フランス人街区を斜めに走る細い道に面しています。
入ると、暑!。ホテルの中は中庭で、屋根が掛けてあるので熱がこもってます。
部屋も暑くてどうしたものかと思いました。さんざん探してTVの裏側にエアコンとTVのリモコンを発見し(なぜそんなところに置くのかな)、ようやく一息つけました。大丈夫かな、今回の旅行。

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といって、部屋にいても仕方ないので、散歩に出てみました。
ホテル前は店が少なく、暗い道です。ひとまず大通りに出てしばらく行くと、カフェの固まっている一角がありました。そのうちの静かな1軒に入りました。上の写真、分かりますでしょうか。植民地時代のものと思われる2階建ての洋館を改造して1階の壁を取り払い、庭と室内と2階テラスにテーブルを並べ、カフェとして営業しています。ハノイビールとスナック(選択ミス)で1.7万ドン。ざっと1万ドンで75円ぐらいなので、130円ぐらいです。
お客さんはベトナム人と白人。庭の植物越しに通りを眺める、かなりいい雰囲気の店です。
翌日からの街歩きに期待を持たせるお店でした。(ぼろうとしなければ、もう少し宣伝するのに)

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