2019年7月20日 (土)

西町公園・白鳥西公園(名古屋市熱田区)

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名古屋市の公園めぐりの続きです。
前回の神野公園に続き、熱田区の西町公園を訪ねました。

西町公園は、『名古屋の公園』(昭和18年)によると、西郊土地区画整理組合によって設置された公園で、昭和14年に寄附され、同年11月10日に開園しています。広さは3672.59㎡。施設にはブランコ、滑り台、国旗掲揚柱があり、桜などが植えられたそうです。

訪問日:2018年10月8日

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公園名は公園入口の真ん中に、手書き風の文字で刻まれた自然石として置かれています。
大きくはないですが。

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この公園で気になったのは「工場殉職者之碑」です。

「生前衆ノ模範トシテ職務ニ精励シ拮据産業ニ貢献スル所アリ
 不幸ニシテ終ニ其ノ職ニ殉ス
 真ニ感激痛悼ノ至ニ堪エズ
 乃チ愛知県下工場主並ニ従業員一同資ヲ醵シ碑ヲ営ミ
 以テ深ク哀弔ノ意ヲ表シ永ク英霊(ノ)冥福ヲ祈ル
 昭和十年乙亥四月               」

と書かれています。

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また裏面には、

「題 字 愛知県知事正四位勲三等 篠原英太郎
 撰 文      従五位勲六等 石田元季
 書 者         移山  佐分清之
 建設者 愛知県工場会           」

と書かれています。

工場で事故に遭った人を合同で慰霊しているのでしょうか。

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碑の横には石の橋のようなものがあってこれも気になります。
庭園のようになっていたのでしょうか。

古そうなのは以上で、後は比較的新しそうなものです。

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飛び石の遊具。

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ここにも個人的グッドデザインの水飲み場がありました。

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回転するジャングルジムもあります。

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こちらは幾何的な山型遊具。

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ベンチは木のシンプルなベンチがありました。

ここから南へ、白鳥西公園をめざします。

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途中、渋い木造アパートがありました。
成田荘と書かれています。
ネットで建築年は1963年(昭和38年)というデータが出ていました。

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玄関周り。装飾が多い訳ではないですが、直線的なデザインの中、玄関両脇に鉄平石を貼っているのがアクセントになっています。

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このあたり、和風の長屋がたくさんありました。

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白鳥西公園に着きました。
こちらも天然石に公園名が彫られています。
何となく書体が西町公園より新しく感じます。

白鳥西公園は、『名古屋の公園』によると白鳥線土地区画整理事業の際に整備されたもので、広さは2397.59㎡。昭和13年に寄附されて、同年12月12日に開園しています。公園には檜などが植えられ、施設として二人用ブランコ、滑り台、藤棚、露壇等があると記載されています。

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現在の公園はこんな感じ。置かれている遊具は新しいものです。
残念ながら古そうなものは確認できませんでした。

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公園と一体的に熱田社があります。この神社に合わせて公園を置いたのでしょう。
実はここが熱田社になったのは明治維新の時で、それ以前は三十番神だったそうです。
下記のページによると全国の有力神社から神様30柱を集めて、日替わりで1日1柱の神様に守られるという信仰だそうです。明治の神仏分離令の際にこの教えが禁止されて熱田社になったとのこと。
三十番神というのは初めて知りました。

→参照:名古屋神社ガイド「熱田社(二番町)」

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昭和●十二年(32年?)に薪炭商店に寄附されたかがり火の柱。

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公園隣の民家に公園に向けて時計が設置されていました。
こういう配慮いいですね。

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もうしばらく周囲の長屋などを見て回りました。
下見板張りの長屋です。

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こういう長屋が残っていて、周囲は落ち着いた住宅地でした。

熱田社の南側は幹線に面していて賑やかです。

 

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2019年7月17日 (水)

井笠鉄道跡(岡山県笠岡市)

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笠岡のまちを歩いていると路地と交差してゆるやかにカーブする道。
これはもしかして?と思ったらやはり線路跡でした。
隅田川とはだいたい併走しています。

大正2年に営業を開始した井笠鉄道(当初は井原笠岡軽便鉄道)の跡です。
内陸の井原と笠岡を結んでいた鉄道だそうです。
廃止されたのは昭和46年なので意外と長く走っています。
軽便鉄道なのでこんなに線路跡も細いのですね。

鉄道関係は詳しいページがたくさんあるので、ここではさらっと現況を紹介します。

訪問日:2019年6月30日

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同じ交差点を逆方向に。こちらが笠岡駅方向です。

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笠岡山の山号を持つ威徳寺の門前から見下ろす。
この横切っている道が線路跡です。
踏切があったのでしょうか。

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しばらく進むと線路は高い所を走っていきます。
線路跡脇に3階建ての民家。

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さらに進むと石碑が見えてきました。

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表にはシンプルに「記念碑」
裏面には「道路新設世話人 昭和九年一月」その下には発起人12人の名前が並んでいました。
右手前の道が県庁通りに続くので、その道のことでしょうか。

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この近くに江戸時代の郷学「敬業館の跡」というものがありました。
寛政10年(1798年)にできて、明治16年まで存続したそうです。

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その一部、塾舎の一つが復元されています。

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線路跡に戻って、このあたりはまっすぐ。
多少の盛り土の上を走っていて、元々の道と並んでいます。
他の方のページを見ると、この先、鬮場(くじば)駅というのがあって、車庫もあったらしいのですが、1980年に放火により焼失という悲しい話が出てきます。

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このあたり建物の裏側をずっと。
町外れになってきたので、ここまでとしました。

ずっと先ですが、笠岡市井笠鉄道記念館というものがあったり、笠岡駅南の西ノ浜北児童遊園地には昔の車両が展示されているそうですので、ご興味のある方はどうぞ。

HP「井笠鉄道記念館」

今回の笠岡の紹介はここまでとします。
実は今回歩く時間がなかった、駅の南側の街(港)にも見どころがたくさんあるらしいですが、それはまたの機会とします。
北木島や白石島にも行ってみたいですし。

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       「笠岡駅前の建物など」

       「隅田川沿いの建物など」

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2019年7月14日 (日)

隅田川沿いの建物など(岡山県笠岡市)

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笠岡の街歩きの続きです。
再び称念寺橋からです。
この下を流れるのが隅田川です。
この隅田川を上流に向かって歩いて行きます。

訪問日:2019年6月30日

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川を遡る前に少し下流側。
ちょっと変わった建物がありました。
壁面が石貼りでアールになっていて、一部タイル貼りです。
関藤建設株式会社と書いてあります。
施工技術の宣伝も兼ねてのものでしょうか。

もしかして石材は北木石?

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改めて隅田川を上流へ。
隅田川には所々石橋が架かっています。
かなり昔からありそうです。

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変わった壁面のお宅がありました。休憩所のような設えで、所々本業タイルなどもはめこまれています。
お店なのかと思って伺うとお店ではないそうで、10年ほど前に(日本)鋼管の耐火煉瓦が県北で売りに出ていると聞いて買いに行き、工務店で施工してもらったそうです。日本鋼管は今はJFEスチールになっていて、笠岡やすぐ隣の福山の埋立地に巨大な工場があります。
地元にちなんだ素材をこうして活かしてるのは良いですね。

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本業タイルは20年ほど前に入手したとのことでしたが、出所の詳細は不明です。

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隅田川の東側、少し入ったところにあった住宅。
下見板張りです。元は工場ではないでしょうか。

 

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ここは元商店でしょうか。
短いアーケードがかかっています。

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川は県道34号線を渡ってまた北上します。
このあたりからしばらく、川の両岸がきれいに修景されています。
大仙院の前に架かる大仙橋。
親柱と欄干が古くて、明治45年と書かれています。

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川沿いに祠もありました。
水神さんでしょうか。

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古そうな町家。
2階の腰の部分に漆喰で枝のような模様が描かれています。
この地域ではこの部分の装飾に凝っているのかもしれません。
鞆の浦でも各種見ました。

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ちょっと隅田川から逸れますが、こういう連続模様があったり

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こういう松皮菱の模様も見ました。
なまこ壁の変形と言えるでしょうか。

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さらに上流に進むとノコギリ屋根の工場。

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ここで旧道と隅田川がクロスして分かれます。
さらに別の道も交差しているので、欄干が双曲線を描くように配置されていて橋らしくなくなっています。

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橋の親柱や欄干は昭和初期っぽいですが、橋名の板が金属供出されたのか名前はありません。

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旧道が分かれているような場所がありました。

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石橋がそのまま使われています。
この先は町外れになっていくのでこのあたりまでで引き返しました。

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おまけ。笠岡で見かけた瓦。
菊の花が立体的な透かし彫りになっていてとても繊細です。

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 日常旅行日記「古城山公園」

       「笠岡駅前の建物など」

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2019年7月13日 (土)

笠岡駅前の建物など(岡山県笠岡市)

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笠岡の話の続きです。
JR笠岡駅を降りると駅前にあったのは区画整理された街。
どちらに行って良いものか迷います。
少し先に歩いて目についたのがこの建物。
装飾や縦長の窓が古さを感じさせます。
カフェモヨラと書かれていて、フリースペースらしいです。

訪問日:2019年6月30日

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角の装飾のアップ。装飾は洋風ですが、屋根は日本の瓦です。

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カフェモヨラの前の通りを東に向いたところ。
この通りが旧街道筋=メインストリートのようです。

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そこでその道を西に進んでみることにしました。
広幅員の県道34号線を越えるところで気になる建物が。
交差点に向かって壁面が逆アールを描いています。
ただ、傷んでいて柵に囲まれていますので、次に来たときにはないかも。

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同じく、隣の角には新しそうな建物で、やはり逆アールの壁面です。
反対側の二つの角は普通の建物でしたが、かつては円形の広場的な空間を作っていたのでしょうか。
見たところ、この県道34号線が区画整理地区の境目のようで、この先、急に細く趣きのある道になります。

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この建物は正面に何か紋章のようなものが付いていた痕跡があります。

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こちらの看板建築っぽい建物。
先ほどのカフェモヨラと共通性を感じさせる装飾が付いています。
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ただし、なんとなく和風。2羽の鶴に波、上は花菱です。
花菱は家紋でしょうか。

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さらに進むと昭和初期風の橋が現れました。
称念寺橋と書かれています。建設年は書かれていません。

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片側がぐっと開いているのが特徴的です。
こちらの道も大事ですよと示しているようです。
この川は隅田川です。大事な川のようなので、次の記事ではこの川筋をたどります。

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この先、街道はクランクして続きます。
井戸に隣接してレンガ積みの防火水槽(たぶん)。

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昔お店だったと思われる建物。
この先で旧街道はJR山陽本線をくぐり、建物もまばらになっていきますので、ここで引き返しました。

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(この間、あちこち歩き回りましたが)
カフェモヨラから旧街道を逆に東に向かうと、区画整理地区が切れたところにこの建物があります。
笠岡チボリというパン屋さん。情報が出てこないのは、営業されてないのでしょうか。

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ここも似たような洋風の装飾があります。
○の左が切れていて高というのは昔の屋号でしょうか。
「岡山県の近代化遺産」によると昭和20年の木造建築です。

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この先は東本町えびす通り商店街で、古い街並みが続きます。
こちらの池田時計店は、売り物だったのか、展示なのか、カメラがビニールに包まれて並んでいます。

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商店街の終わり近く、魚宮という魚屋さんがあります。
見方によっては古いのかもと思わせるモダンデザインです。

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商店街を振り返ったところ。
つい最近、平成30年2月まで笠岡で最後のアーケードがあったそうです。
他のアーケードは区画整理事業に伴って、平成10年前後に撤去されたといいます。

なお、この街道筋を先に進むと、前回記事の古城山公園の入口に出ます。

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街道から少し外れた所にも近代建築があって、こちらは日本基督教会笠岡教会。
「岡山県の近代化遺産」によると、明治26年建築、設計は浅野富平・小林芳太郎、施工は小林芳太郎とのことです。
たまたま通りがかりましたが、塔屋が45度ふっているのが、何これと目をひきます。
どういう意図なんでしょうね。

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最後にもう一つ気になったものを。
公園の中にぽつんと多宝塔。
実は区画整理事業で昭和52年、ここにあった遍照寺が西の浜の埋立地に移転し、多宝塔は隣のイチョウの木とともに取り残されたのだそうです。
もともとお寺は鎌倉時代末期の元弘年間にこの地に移されたと言われ、多宝塔は慶長11年(1606年)に建てられて、隣のイチョウもその時、記念に植えられたものらしいそうです。亀腹が瓦葺きなのは、明治時代の改変らしいという説明もあります。
将来的にはお寺に移される予定とのことですが、貴重なランドマークですし、周囲を整えてこの場所でも良いような気もします。

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 日常旅行日記「古城山公園」

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2019年7月12日 (金)

古城山公園(岡山県笠岡市)

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先日、尾道でトークショーを聴いた帰り、岡山県の笠岡市に立ち寄りました。
そこそこ大きな、行ったことのない街ということで、いつものように下調べせずの訪問です。

訪問日:2019年6月30日

線路の北側を一通り巡った後(その話は次回)、景色が良くて、サル舎がある古城山公園というのがあると知り、行ってみることにしました。動物舎のある公園は古い公園が多いので。

ただ地図を見てもどこが入口か分からず、とりあえず旧街道を山に向かって歩いて行くと、鳥居と山に向かう階段がありました。
この参道、JR山陽本線を越えながら高架道路をくぐるという変わったルートになっています。

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参道の手前左には手水舎。井戸もあります。
手水鉢が面白い形。

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そして、参道狛犬として岡山県らしく備前焼狛犬があります。
妙なバランスに見えますが、ひざを立てて前足を置いてます。
裏側の銘を見ると天保九年(1838年)の作です。

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参道を登っていって振り返るとこんな感じ(写真は帰りに撮りました)。
かなり急で、下りは手すりをもたないと不安です。

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古城山稲富稲荷神社の拝殿。
弘治元年(1555年)にこの山にあった笠岡城の城主・村上氏(いわゆる村上水軍の一族)によって城内の鎮守として勧請されたとのこと。
現在の拝殿は文政2年(1819年)に再建されたものだそうです。

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境内で目を引いたのがこの亀趺。
宝珠に干鰯仲買中の文字が刻まれています。
階段の登る途中にも干鰯の文字を見ました。
このあたりの有力な産業だったのでしょうか。

ここから山頂へは拝殿の右からでも左からでも登れます。
左から登った方が道が良いです。

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左の道を登っていくと、途中、芭蕉の句碑があります。
隣の案内板によると「世の中はさらに宗祇のやどりかな」と彫られています。
安永8年(1779年)に立てられたそうです。

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またその隣には、宗祇の休石というのがあります。
連歌師の宗祇が明応3年(1494年)に山口に向かう途中、笠岡の陶山一族を訪ねて「山松のかけやうきみる夏の海」と詠んだという説明があります。石碑は寛保2年(1742年)です。

それぐらい、古くから名勝だったのですね。

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さて、山頂に登ると、こんなグラウンドのような場所になっています。

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こちらの説明板を読むと、明治40年末に、なんと埋立用土砂採取のために削られて城の遺構が消滅してしまったそうです。
笠岡市のHPによれば、経緯としては明治39年に保安林として官有地が払い下げられ、明治40年に山頂部が削られ、明治42年2月18日に保安林解除、8月31日に笠岡町の公園となったという流れになります。明治42年に開園した非常に古い公園です。

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公園の一角には恐らく展望台として削り残された岩山があります。

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裏側には日本庭園があり、石橋なども架かっています。

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入口には古城山という記念碑。

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側面には「岡山縣十勝地 昭和十年十一月 山陽新報社選」という金属プレートがはまっています。
「岡山県十勝地」って何かな?と思って調べると、岡山県立図書館が質問に答えているものがありました。

岡山県立図書館「岡山県十勝地について」

山陽新報社という新聞社の企画で、昭和10年に県内の十勝十五景の投票を行ったそうで、その結果を引用しておくと下記の通り。

  10,502,570票 鹿久居島(和気)
   7,344,577票 吉備津彦神社(御津)
   5,522,521票 天王山(和気)
   5,020,922票 高松常昌院瀧(吉備)
   4,979,351票 少林寺山(岡山)
   4,861,750票 井原の櫻(後月)
   4,762,763票 笠岡古城山(小田)
   4,276,528票 福山城址(都窪)
   4,022,049票 酒津水門(都窪)
   3,617,329票 三野公園(岡山)

笠岡の古城山は第7位です。
それにしてもトップの鹿久居島は1000万票超え、古城山でも500万票近くで、投票の白熱ぶりが伺えます。

また、選ばれた十勝地には金属製記念額を贈ったということで、さっきのプレートがまさにそれですね。

以前、徳島の鳴門の小鳴門公園で、昭和3年、徳島日日新聞が主催した大典記念の徳島名所十五景の記念碑を見ましたが、この頃、各地で同様の投票が盛んに行われていたのでしょうか。

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この岩山に登るとなかなかの眺めです。パノラマで。

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もう少し拡大するとこんな感じ。
この先にも新しい展望台があります。
向こうに見えるのはJFEスチールの巨大な工場とその先には鞆の浦の仙酔島?

手前には緑の土地が広がっていますが、実はこれ埋立地なんです。

試しに戦後の埋立地をブルーに塗ってみるとこんなことに。
海辺の街だった笠岡がすっかり内陸の街になってしまっているのが分かります。
また今は地続きの神島地区が大きな島だったことが分かります。

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さて、古城山公園の探索を続けます。
こちらがサル舎。数匹のサルがいます。

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東屋は何カ所かありました。

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古城山公園でも特異なのは東側のこの一角です。
戦争の慰霊碑などが集まっています。
この門柱は紀元二千六百年記念(昭和15年)に建てられたものです。

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こちらの招魂碑は明治34年なので、日清戦争の戦没者を祀っているようです。
他に征清記念碑(明治31年)や日露戦役記念碑もあるようですが、この時は見落としていました。

明治期以来の公園らしく、石碑類がたくさんありました。
何より眺めがいいので、機会ありましたら訪ねてみて下さい。
車で上る道もあります。

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2019年3月27日 (水)

神野公園の石柱(名古屋市熱田区)

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名古屋市熱田区にある神野(じんの)公園を訪ねました。

「名古屋の公園」(昭和18年)によれば、昭和12年に中野土地区画整理組合から用地の寄附の申し出があり、設備を整備して昭和18年に開園した公園です。「施設はブランコ、砂場等を設けアカシヤ始め八十本の樹木がある」とのことです。

訪問日:2018年10月8日

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公園の南側から見たほぼ全景。

地図で確認するとこの公園のあたりは昭和11年までは未開発の土地で、むしろもっと南の港の方が都市化が進んでいます。区画整理事業によって、都市化が進んだようです。

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ボックス型の公衆便所。
・・・が言いたいのではなく、その向こうの石柱が見えますでしょうか。
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これです。敷地の南東隅あたりに立っている小さな石柱。
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これだけ拡大すれば分かりますでしょう。
・・・って分かりませんね。
もしかして、戦後、文字が削られたのでしょうか。
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裏を見ると「昭和十五年十一月建之」とその下に「中野」「在郷」などの文字が見えます。
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そして側面には「皇紀二千六百年記念」の文字。
昭和15年とイコールです。
紀元二千六百年記念事業として作られた何かを示しているようなのですが、何だったんでしょう。
構造的に国旗掲揚台ではなさそうです。
公園の建設記念としては早すぎます。
記念植樹?
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他に気になったものとしては設置時期不詳ですが、円弧状に配された石積のベンチです。
やや風化しているので、ある程度の年月は経っていそうです。
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その外側にはまた円弧状の石畳。
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その先には木製ベンチもあります。
シンプルなタイプ。
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こちらも今となっては懐かしさを感じさせる木のベンチ。
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そしてここにも個人的グッドデザインの水飲み場があります。
遊具に関しては滑り台など新しいものでした。
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ついでながら、神野公園の近くにあった気になる建物も紹介しておきます。
なんとなく熱帯雨林の研究所を思わせます。
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村木鑿泉探礦株式会社という名称と社章がタイル上に表示されて、ねじねじボーダータイルで縁取られています。

全面に貼られた緑釉のスクラッチ風タイルも柔らかな色むらがあって、探検家の服装っぽく、社名にマッチしているような気がするのは考えすぎでしょうか。

 

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2019年3月24日 (日)

河川敷の大幸公園(名古屋市東区)

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名古屋の矢田川の河川敷にある大幸公園を訪ねました。
ここは皇太子殿下御誕生記念として大幸土地区画整理組合より寄附され、昭和14年(昭和13年?)に開園した公園です。
当初から運動公園で、現在も野球場があります。
残念ながら古そうなものは確認できませんでした。
この写真は敷地の西側から撮ったものです。
訪問日:2018年10月8日
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敷地の東側より。
野球場の横、堤防斜面に大きな木が見えています。
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大きな木陰をつくっていました。
昼寝に良さそうな公園。
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公園の西側部分は児童公園になっています。
グラウンドより一段高い場所にベンチ、遊具などが配置されています。
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児童公園から見た野球場。
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ベンチ2種。コンクリートと木製と。
シンプルなベンチです。
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赤坂公園で見たものと同様の、まんじゅう型の遊具ですが、こちらは派手なペイントのため、かなり印象が違います。
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強いて言うとこの砂場はやや古いのかなと思いました。
丸いコンクリートの縁です。
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壁状の遊具。こちらも真っ赤に塗られています。

 

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堤防をはさんで、大幸土地区画整理事業の区域が広がっています。
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途中で切断されながらも残された木製電柱。
広告も一緒に残っています。

 

 

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公園の西側付近では、堤防の上下でこれだけの高低差があります。
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やや古そうな街並み。
シュロの木がアクセントになっています。

 

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この建物も古めです。土地が緩く傾斜しているのが分かります。
大幸土地区画整理事業の区域ももう少し丁寧に歩けば発見があるかもしれませんが、この日は次の公園に向かいました。
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2019年3月11日 (月)

宮の腰公園と浄水場(名古屋市千種区)

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前回の記事に出てきた鍋屋上野浄水場の北側に、宮の腰公園という昭和15年に開設された小さな公園があります。
細長い公園の四辺が全て道に接していて、見通しの利く公園です。

この公園、附近の他の公園と違うのは、三菱から(県に?)寄附を受けてできた公園ということです。
工場地帯の防空公園として運動場・児童公園等が整備され、昭和19年に市に移管されましたが、空襲により完全破壊されてしまったそうです。(名古屋都市センター『戦前の名古屋都市計画史について』)

訪問日:2018年10月8日

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宮の腰公園の入口です。
現在、宮の腰公園という表記ですが、元々は宮ノ腰公園だったようです。

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公園内、あちこちトラフェンスで囲われていて、何が改修されているのか気になりました。

ストリートビューで確認すると、ここは雲梯とジャングルジムを組み合わせたような遊具があったようです。

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反対側から見るとこんな感じです。
ちょうど台風21号・24号の後でしたのでその復旧関係かなとは思いましたが。

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公園敷地の一番北側の囲い。

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砕かれた基礎のようなものが積まれています。

ストリートビューを見ると、時計の柱が立っていたようです。

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他にはよく見かけるグッドデザインの水飲み場。

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回転するジャングルジム。

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木製(脚は鉄製)のベンチなどがありました。

やはり空襲で完全破壊と言われる通り、戦前のものらしきものは確認できませんでした。

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公園に見どころがなかったので、ついでに鍋屋上野浄水場の写真も載せておきます。
この写真は浄水場南側の歩道橋からで、ここからは敷地内の様子がよく見えます。

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奥には緩速濾過池が見えます。
木曽川から引いた水を砂の層にゆっくり通す間に、池に住み着いた藻類や微生物などによって水を浄化します。

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緩速濾過池はもともとこのような姿でした。

大正3年に8つの池ができ、昭和3年に6つの池が追加されて、近年まで使われてきましたが、平成26年に新しい池に更新されました。

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敷地内に大正3年にできた旧第一ポンプ場。

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その浄水場の南西角に、平成6年(1994年)に水道通水80周年で整備された水道公園「水の丘」という公園があります。
この時は噴水は動いてませんでした。

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こんな感じで段々になっていて、水が流れ落ちていくので水の丘ということなんでしょうね。

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この丸いの気になりますでしょう?
陶丸=「鍋屋上野浄水場の急速ろ過池の下部集水装置に使用されていた磁器質の球」とのこと。

他にもこの公園には、浄水場の石積や沈殿で取り除かれた砂や泥を利用した煉瓦が使われているそうです。


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浄水場から東山配水場までの送水管の上は天満緑道になっていて、このルートは水の歴史プロムナードとして、案内板や小川などが整備され、所々にかつて水道施設で使われていたものが屋外展示されています。

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例えばこれは仕切弁。
イギリス製で、明治44年から約70年、鳥居松沈殿地で使われていたものだそうです。

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こちらはY字管。
昭和6年から鳥居松沈殿地で使われてきたものです。
水を2方向に分けるものだそうです。

こんな感じで水道の歴史にも触れながら歩けるようになっています。

公園を求めて行った訳ですが、思いがけず水道の歴史をたどることになりました。

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2019年2月21日 (木)

千種区の近代公園(名古屋市)

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<「大名古屋新区制地図」(昭和13年)より加工>

次は名古屋市の近代の公園を紹介します。
昨年の秋、名古屋市千種区の昭和戦前期の公園を見て回りました。
先にばらしてしまうと、これといった近代の遺構らしきものは見つけられませんでした。

昭和13年の地図では、このあたりです。
(場所は厳密ではありません)

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<「大名古屋市街地図」(昭和11年)>

ところが、わずか2年前はこんな状況で、鍋屋上野町には、旧村集落が残り、未開発地が広がっていました。
周辺には名古屋兵器廠、(三菱重工)名古屋機器製作所、名古屋製陶所、鐘ヶ淵紡績工場(鐘紡)、三菱電機製作所といった大工場が並び、相当多くの労働者が働き、住んでいたことが伺えます。

公園に割り当てられた場所は、だいたい旧村の周囲だったことが分かります。

(追記)地図に記載した公園のうち、弁天公園、下方公園の開設年は、『日本公園百年史・附表』から拾いましたが、それ以外の資料で確認できないので保留します。名古屋都市センター『名古屋都市計画公園緑地等の歴史(戦後〜S44)』によれば、下方公園は昭和40年、弁天公園は茶屋ヶ坂公園(昭和26年)から昭和42年に分離となっています。(2019.3.16記)

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まずは赤坂公園から。

「名古屋の公園」(昭和18年)によれば、鍋屋上野土地区画整理組合から寄附され、昭和12年に開園した公園です。
園内には松など165本、ブランコ、滑り台などがあると記されています。

現在の公園の表示は比較的新しいものです。

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公園は丘陵地に接するような場所にあります。
この写真は北東側から撮っています。
現在、東側にこのグラウンド、西側に遊具が配置されています。

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逆に南西側からの写真。
各種の遊具があります。大阪では使用禁止になっていることが多い回転するジャングルジムなども現役です。

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まんじゅう型の滑り台遊具。
板状のものの意味は不明。

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藤棚もありますが、新しいものでした。

国旗掲揚台などないかと思いましたが、確認できませんでした。

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西に歩いて、上野公園に移動します。
途中、緑道を越えて。

「名古屋の公園」(昭和18年)によれば、赤坂公園と同じく、鍋屋上野土地区画整理組合から寄附され、昭和12年に開園した公園です。園内には松など350本の木があり、滑り台、ブランコ2台、併用シーソー等の運動器具の他、パーゴラがあったと記されています。赤坂公園より設備が充実しています。

上野公園の表示はさらに新しい表示です。

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公園の北東側から見たところ。周囲を木々で縁取って、中央に広場があります。

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まんじゅう型の滑り台というのか、ヨーロッパの砦風の遊具がありました。

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公園の東側には高い区画があります。

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公園の中で変わった遊具として、これがありました。
タグボートのようなデザインの砂場、台です。

公園内に、近代のものらしきものは確認できませんでした。
周辺は戦災復興の都市計画で再整備されていますので、この公園も何か影響を受けているかもしれません。

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ここで次の公園に移動しても良かったのですが、水の道が気になって、少し寄り道しました。
周辺には古そうな長屋などもありました。

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洋館付き住宅。

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南に歩いて行くと、有名な東山配水塔(昭和5年)の下に出ました。
この屋根って、昭和58年に取り付けられたものなんですね。
もう少し古いものかと思っていました。

斜面に意味ありげに幅を取ってあります。
この下に水道管があるのでしょう。
この背中側に後で出てくる振甫プールなどがありました。

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逆に登っていきます。
東山配水場5号配水池(昭和9年)に出ました。
近代のデザインが残っています。

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そしてその近くに水の歴史資料館があったので、覗いてみました。

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展示物にあった、このあたりの水道施設の青焼き図面。
この水は遠く、犬山のあたりから引かれています。

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振甫プールの展示もありました。
水道の関連事業として、昭和8年に名古屋市で最初の市営プールとして建設されたそうです。
ずいぶん立派な飛び込み台、そして観覧席ですね。

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振甫プールの平面図。
本格的なプールであることがよく分かります。

もしかして、上に描かれているものが振甫公園なのでしょうか。

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残念ながら、現在プールはなく、区の施設などが建っています。

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現在、鍋屋上野浄水場と東山配水場を結ぶ水道の上は緑道になっていて、ちょうど赤坂公園と上野公園の間を横断しています。

両公園の周辺は水道に関わりの深い場所でもある訳です。

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2019年2月16日 (土)

アールデコの紫野柳児童公園(京都市北区)

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話の流れで、3年前に訪ねた京都の紫野柳児童公園も紹介しておきます。
昭和10年に区画整理事業でできた公園です。
地下鉄の北大路駅から近く、訪ねやすい場所です。
周辺の住宅地には近代の住宅もあり、周りをぶらぶらするのも楽しいと思います。

住宅地を歩いて行くと、紫野柳公園の低く長い塀が現れます。
既に遅い時間だったので写真が暗くてすみません。

訪問日:2016年2月6日

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東西に長い長方形の紫野柳公園は、南側に2つの入口があり、どちらも同タイプです。
アーチ型の門柱に、塀がアールを描いてつながっています。これは下鴨森ガ前児童公園とも全く同じタイプです。
新しい公園表示がかかっているところまで同じ。

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西側の入口だけが小振りで、内側に4分の1の円弧を描いているのが違います。

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この公園での鑑賞ポイントは、やはりラジオ塔のあるテラスです。
恐らくオリジナルのデザインが残されています。

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スリットやラジオ塔の尖塔アーチ、丸窓に格子といったデザインが盛り込まれています。

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ラジオ塔の正面には面格子のような飾り。

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ラジオ塔の背後には国旗掲揚の柱が取り付けられていたようで、国旗掲揚台を兼ねたデザインになっています。

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丸窓に鉄格子のデザイン。
これは地蔵本児童公園でも似たようなデザインを見ました。
(いずれ記事にします)

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象を抽象化したようなジャングルジム兼滑り台。
紙屋児童公園で見たのと同タイプの遊具です。
滑る面が手のひらの幅ぐらいしかなくて、よくこれで滑ることができると思います。

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そしてこの公園のもう一つのポイントは、洛北中部五地区土地区画整理碑(昭和10年)と、その右にある池田新兵衛・舩越嘉右衛門顕彰碑です。前者は(たぶん後者も)公園開設と同時に設置されています。

ありがたいことに京都市歴史資料館のデータベースに、碑文が紹介されています。
○洛北中部五地区土地区画整理碑
○池田新兵衛・舩越嘉右衛門顕彰碑

洛北中部の紫野門前(T10〜S10)・賀茂(T15〜S11)・紫竹芝本(S4〜11)・東紫野(S4〜11)・上堀川(S7〜12)の5つの土地区画整理組合が共同で建てていて、共同で碑を建てるのは珍しい気がします。
ちなみにこの公園があるのは、東紫野土地区画整理事業の施行区域です。

石碑を囲む石は石庭のようで、何かを表しているのでしょうか。

【参考】下村康史氏・飯塚隆藤氏「京都市の土地区画整理事業地における町割方法の歴史的変化について」(『ランドスケープ研究』7(5)、p559〜564、2014年)

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区画整理の碑と書かれています。


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それに続く部分は、楕円形のスペースで、幼児用の滑り台やベンチが置かれています。

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ベンチは中央が低いタイプ。

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中央には藤棚があり、テーブルとベンチが置かれています。
テーブルの方は下鴨森ガ前児童公園のテラスで見たものと同じ形で、これはオリジナルなのかもしれません。

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土管を縦半分に割ったような遊具?
六条院公園で見たものと同じ形です。

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そしておなじみ人研ぎの滑り台も。

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もちろん地蔵堂もあります。
他の公園より立派な出世地蔵尊が祀られています。

他にも遊具はありますが、気付いたところはこれぐらいです。

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公園の周辺には古そうな住宅があります。
南側の住宅は煉瓦の透かし塀付き。

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西側の住宅は門扉、玄関のアーチや丸窓が古いデザインを示しています。

公園のデザインとともに、周囲の住宅も当時の区画整理事業の雰囲気を伝えています。

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