2017年9月17日 (日)

ブログ12周年御礼

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皆さま、ブログ日常旅行日記をご覧いただき、ありがとうございます。
当ブログは9月10日に12周年を迎えました。

更新の少ないこのページを見ていただいてありがとうございます。
この記事で1088本目ですので、この1年で25本の記事を載せたことになります。
昨年度の22本から若干の改善ですが、自分としては、ややきっかけをつかんだかなと思っています。

この春から夏にかけて、北陸方面や四国方面など、あちこち出かけました。
これだけは伝えておかないとという内容は賞味期限が切れないうちに上げていくつもりです。

それでも劇的に更新ペースが上がることはないと思いますが、
今後ともよろしくお願いします。
昔の記事でもコメントいただけると非常にうれしいです。


写真は、京の夏の旅で訪ねた京都大学花山天文台本館です。
昭和4年の開設です。ドームだけでなくあちこちが丸いデザインになっています。
まだ9/30まで公開されていますのでどうぞ。
無料シャトルバスが運行されているので行きやすいです。


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2017年8月19日 (土)

モダンな船岡山公園(京都市北区)

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京都の北の方にある船岡山公園に、ラジオ塔見学を含めて出かけてきました。
京都盆地からよく見える丘です。

どこから入ればいいかよく分からないので、とりあえず北側の入口(大徳寺側)から入ってみました。
公園の入口には灯籠型の門柱が残っています。
その先には噴水跡?があります。

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これがその噴水跡?です。
ふと東京の元町公園(昭和5年)を思い出しました。
そこまで装飾が多くはないですが、それでも共通するものを感じます。

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※この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)から切り取ったものです。
 
船岡山の明治42年の様子。
船岡山は平安京造営の時に基準にしたという説もあったぐらい特別感のある丘で、市街地から目立っています。
平安時代には船岡山の北西は有名な風葬の地「蓮台野」で、応仁の乱では戦いの舞台(西軍の陣地=西陣)になり、戦国時代も度々戦場になった場所らしいです。そんな雰囲気は今はありません。あまり深く考えないことにします。

織田信長を祀る建勲(たけいさお)神社は船岡山の東半分を占めていますが、ずっとあった訳ではなくて、明治3年に東京に建てられたものが明治13年に船岡山に移ってきました。(社地は明治8年に賜る)
明治42年には大徳寺と一体的に見えますね。
その後、昭和6年に船岡山が京都市の風致地区に指定され、昭和10年に船岡山公園ができたという流れのようです。
現在は市街地に囲まれています。

船岡山公園で特異なのは受益者負担が導入されたことで、事業費の2割は、公園外周から4町(約430m)の範囲に住む人に、距離に応じて5段階に分けた負担をしてもらったそうです。

土井勉氏「京都市の公園形成史」(『土木史研究』第11号、1991年6月)

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北側入口にあった船岡山の分かりやすい見取り図。
南北逆なのでご注意下さい。

建勲神社作製のようで、こちらに元図らしきものがあります。
説明も参考にさせていただきました。
建勲神社HP「船岡山について」


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さて、公園内にはところどころ、照明器具として灯籠が立っています。
直線的なモダンデザインで、足元には小石を貼り付けています。

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ちょっと気になったのがこの蒲の池。
上から見ると半月型をしています。

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背面がこのように段々となっていて、半円の台が付いています。
ここも噴水などだったのでしょうか。
古そうです。

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他の入口も確認しました。
西側のこの入口がもっとも正面らしいと思います。
モダンな照明器具兼の公園門柱は、窓もちゃんとあります。

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進んでいくとまず、滑り台などのある広場に出ます。
滑り台は滑る部分が2つ並んでいる双子型です。
東京の元町公園にあるシンメトリーな滑り台(そちらは両側に滑りおりるタイプですが)を思い出しました。

階段を上がったところに通路兼用のパーゴラがあります。

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2段目は広場になっています。
木の根元を丸く囲んでベンチになっています。

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そして、私がこの公園一番の見どころだと思うのが、この広場の奥にある壁泉とその上のテラスにあるラジオ塔です。
今は水が張られていないのが残念です。
柵はなく、子どもが水遊びすることを想定していたようです。
ここがデザインの中心ではないでしょうか。

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この壁泉の両脇に、テラスに上がる階段があります。
ここのデザインも、途中までシンプルながら、途中から放物線状の縁石が連続しています。
アールデコのデザインです。

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テラスに上がってラジオ塔の場所から広場を見下ろします。
公園と同じく、昭和10年に建てられたものです。

しかも地元のラジオ体操クラブによって2015年にラジオが設置され、毎朝のラジオ体操に使われているそうなんです。(以上、『ラジオ塔大百科2017』より)

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ラジオ塔の後ろには野外演奏場があります。
こちらは1960年代でしょうか。

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公園は、野外演奏場-広場-遊具広場と続く谷を南北の尾根で挟み込む形になっています。
北の尾根には東屋があり、北側への眺望が開けています。

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南側の尾根に登っていくと、遊歩道から引っ込んだところ、建勲神社との境界に、国旗掲揚台が残っていました。
流れ落ちるようなデザインです。
ただ、なぜ広場ではなくて、こんな引っ込んだ場所にあるのか不思議です。


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南の尾根、山頂付近にも東屋。
柱の周りに腰掛ける板が巡らせてあるのが面白いです。
しかも中央と奥2つは丸、手前2つは直線でした。

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もう一つの謎の建造物がこのサイレン塔。
いつのものなんでしょう。警報を伝えるものでしょうか。
これも放物線デザインで、モダンさを感じさせます。
附属室の内壁にはコントロールパネルのような装置が付いていた跡がありました。
この煙突みたいなのが何の機能を持つのか気になります。
まさか発煙する?

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山頂(112m、比高45m)からは京都盆地を南の端まで見渡せて、とても良い眺望です。
戦いの場になったのが分かります。

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山頂付近にあったこの銅板は、周囲の山を案内しているのでしょうか。
摩耗しているので分かりにくいです。

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山頂付近もそうですが、西側斜面がとくに岩盤が露出していて、西側にはたくさんのお地蔵さんなどが祀られていました。聖地として磐座などがあったのでしょうね。

全体として、モダンデザインに見応えがある公園でした。

入るときは北側か西側から入るのが分かりやすく、帰りは南側に降りると、近くにカフェさらさ西陣船岡温泉があるのでお勧めです。

(関連記事)
*全国の近代公園
 「近代の公園」(目次)

 「小松原児童公園とラジオ塔」
 「萩児童公園とラジオ塔」
 「ラジオ塔のある大曽公園」

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2017年8月14日 (月)

加賀石の里めぐり(4)大聖寺の近代建築など

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2017年5月の加賀旅行の記事です。
今回は石はあまり関係ありません。

金沢に行く途中に大聖寺という駅があるのは知っていましたが、降りたのは初めてです。
かつてあった大聖寺という白山信仰のお寺が地名の由来であるものの、その存在感はあまりなくて、大聖寺城の城下町という性格が強いようです。江戸時代は加賀藩の支藩・大聖寺藩でした。

大聖寺駅のホームに降りると、古い工場建築が目に付きます。
チェーンを作っている大同工業の大きな工場が駅の南側一帯を占めています。

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このようにノコギリ屋根が連なっているのが壮観です。

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本社事務所も近代建築です。

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町は駅の北側に広がっていて、歩いて行くと塔屋のある建物があります。
現在はヘアーサロンオダです。
あまり古そうに見えないながら、写真に撮って後で確認すると、近代建築総覧にも載っていて、大正4年に建てられた旧物産館となっています。最初は旧八十四銀行としているページもありますが、未確認です。

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明るい色の蔵。
色合いからすると観音下石(日華石)でしょうか。

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やや行き過ぎて、旧市街に戻ってくると、旧大聖寺川に趣きのある橋が架かっていました。
福田橋という名前で、親柱には昭和11年と書かれています。鋼ボーストリングトラス橋という形で、大聖寺にはもう一つ同じ形の二天橋(昭和6年)があるそうです。私は未確認です。

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真横から見たところ。
美しくて、渡ったり、くぐったり、ぐるぐる回って眺めてしまいました。

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こちらは水口製材所さん。
小さな事務所があって、母屋から渡り廊下でつながっているのが面白いなと思いました。

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西に進むと大聖寺流し舟八間道船乗場。
左に電車が見えますでしょうか。待合室に使われています。
今回、舟には乗っていません。

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また旧大聖寺川を渡った先に、深田久弥山の文化館として使われている、旧山長織物会社の事務所がありました。
新緑の銀杏の大木との取り合わせが絶妙です。樹齢650年とか。

山長織物会社事務所は明治43年に建てられ、昭和50年代半ばに工場が移転した後も、平成10年までは住居として使われていました。その後、加賀市が取得して現在に至っています。

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敷地の端には、生糸保管庫として使われていた石蔵があります。
ここが展示室です。明るい石は観音下石(日華石)? でもちょっと時代が合わないかも。

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蔵の内扉には、打出の小槌の鍵穴隠しが付いていて、チャリンと小判の蓋を動かして鍵を差し込むという遊び心ある仕掛けになっています。

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深田久弥は山長織物会社とは関係なくて、もう少し南に行ったところに深田紙店という実家が残っています。
日本百名山の著者として知られています。
白山を眺めながら育ったのですね。

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大聖寺には立派な商家がたくさんあり、その一例として大野保平商店。
今も現役のようです。

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ちょっと面白い蔵の換気口金物。
泣いているみたいです。

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大聖寺中新道の西野縫製工場も古い工場のようです。

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そして大聖寺に行くなら訪ねて見たかったのが、彫金工房「月」・カフェサロン「銀」となっているこの建物。
昭和10年に建てられた牧野歯科医院をリノベーションしたものだそうです。
インスタグラムなどで見かけていて、ぜひ行ってみたいなと。
帰る日にお茶しに寄りました。

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廊下には長い栗材が使われていて、ほとんど狂いがないそうです。

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シャンデリアの根元の飾りも透かしの入ったモダンなもの。

今は彫金工房とカフェになっていますが、歯科医院時代の道具なども壁にオブジェのように飾っていて、うまく継承されているという印象を受けました。

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最後に帰る間際、たまたま通りがかった旧那谷医院。
小さくてとてもかわいらしい診療所です。
今はなんとタビト學舎という塾になっているそうです。
この時は写真の設定を失敗したので、改めて撮りに行きたいと思います。


大聖寺はゴールデンウィークというのが嘘のように静かでした。
街並みも美しく、もっと評価されていい街のように思いました。


<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院」
 「加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡」

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2017年7月28日 (金)

小松原児童公園とラジオ塔(京都市北区)

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特別公開されている本野精吾邸を見に行くついでに、ラジオ塔のある小松原児童公園に立ち寄りました。小松原児童公園は、昭和14年に開園した公園です。
上の写真は南東角から。木々の中にある記念碑のようなものがラジオ塔です。

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公園の門などは更新されていますが、北側の門に付けられた公園名表示は、元のものをそのまま使っているようです。

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まずはラジオ塔から。
台座の上に据えられた灯籠型です。

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「紀元二千六百年記念建設 心身錬成」と書かれてある、たぶん大理石の銘板がはまっています。
昭和15年に建てられたものということでしょう。

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向かって右側にも何か書かれていたようですが、今は何もありません。
ラジオ塔は三方に開口部があって背中側は壁のタイプが多い気がしますが、これは四方とも開口しています。

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ついでながら、遠目にはコンクリート製の台座部分ですが、煉瓦の表面にコンクリートを塗ったものであることが分かります。

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また別の角度(南西側)から。右の木の下にラジオ塔があります。

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この公園の見どころはラジオ塔だけではありません。
このアールデコのたぶん国旗掲揚台も、流線型でスピード感があります。

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一段高い藤棚にベンチとテーブルがあります。
保護者がここからグラウンドで遊ぶ子どもたちを見守るのでしょう。よく見かける構成です。

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ベンチは何タイプかあり、これは古そう。
丸みを帯びたデザインです。

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面白いのがこちら。
花壇になっていますが、どうも元は(幼児用の?)プール(あるいは噴水などの水遊び場)のようです。
周囲には柵か柱の跡があります。左の柱はシャワーかも。

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水色の縁が左側で一部低くなっていて、そこから溝蓋に水が溢れるようになっています。

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右側にあるパイプの跡。
ここから水を入れていたように見えます。

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砂場ももしかしたら古いかも。
全体に丸みがあります。

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懐かしい人研ぎの滑り台もあります。

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ついでながら公園アニマルも。
こちらは馬。目もたてがみもきれいにメンテナンスされています。

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カバ。こちらもきれいに塗り直されています。

最後の方はきっと戦後ですが、近代の公園の姿がよく残っていると思います。
本野精吾邸を訪ねられるなら、ついでにぜひ。

(関連記事)
*全国の近代公園
 「近代の公園」(目次)

 「萩児童公園とラジオ塔」
 「ラジオ塔のある大曽公園」

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2017年7月26日 (水)

本野精吾邸公開中(京都市北区)

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毎年楽しみにしている京都の文化財特別公開「京の夏の旅」
夏は住宅の公開が多いのですが、今年はなんと本野精吾邸が公開されると聞いて行ってきました。
9月30日(土)まで。

立命館大学の衣笠キャンパスのすぐ隣です。
私は阪急の西院駅からバスで北上し、衣笠校前で降りて歩きました。

以前、山科の栗原邸は見学したことがあり、そちらと同じく鎮ブロック(中村鎮氏の考案したL字型の部材を組み合わせて積み上げるコンクリートブロック)を積んだ外観です。
建築家・本野精吾の自邸として大正13年に建てられました。
このあたり一帯は当時、芸術村だったそうです。

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入場料は600円です。その価値は十分。
10〜16時の公開ですが、一部、休みの日もあるのでご注意を。

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本野さんの表札、モザイク状でいいですね。
角がアールの煉瓦を使っているのもこだわっています。

内部は木の床で、玄関周りやら金具やら暖炉やら、ディテールにこだわっていて素晴らしかったのですが、これから訪ねる方の楽しみに、しばらく公開は控えます。
内部の写真は自由に撮れましたよ。

モダニズム建築といいながら、ディテールにこだわっていたり、焼きすぎ煉瓦を使って色合わせをきっちりしていたり、合理的ではあっても平板ではないという印象です。かなり手間暇掛かっています。
そしてコンパクト。わざわざ2階を低くして、階段を短くしているというお話でした。

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私は知らなかったのですが、月に1回程度、映画上映会、音楽会などで1階部分は会場として公開されているそうです。
次回は8月19日(土)13:30から「ゴジラ」「シン・ゴジラ」の上映会という案内が出ていました。予約不要だそうですよ。


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ちなみに隣は元中村鎮建築研究所京都出張所の建物だと教えてもらいました。
右側部分、三角屋根は後からの増築で、壁は塗装されていますが、よく見ると鎮ブロックで積まれているのが分かります。

近くには他にも古そうな住宅がありますし、小松原児童公園は近代の公園で、ラジオ塔や国旗掲揚台などがありますのでぜひ。こちらもまた記事にします。

今回の京の夏の旅では、花山天文台も公開されていますので、そちらも訪ねてみたいと思っています。

<関連サイト>
 「第42回京の夏の旅 2017」

<関連記事>
 「栗原邸(旧鶴巻邸)の見学会」
 「京の夏の旅で住宅見学」 2016年の京の夏の旅
 「有鄰館 日本館の公開」 2015年の京の夏の旅
 「島原の輪違屋」 2014年の京の夏の旅

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2017年7月 3日 (月)

鳴門の石材

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鳴門の記事の(たぶん)最後に鳴門で見かけた石を紹介します。
鳴門を歩いていると、緑がかった石をよく見かけました。
上の写真は撫養町斎田にあるお寺の裏の石垣です。

「和泉砂岩ではないか」と教えていただいて調べてみると、和泉砂岩系の撫養石(むやいし)ということが分かりました。


(日本シームレス地質図より)

凡例が被さってて見にくいですが、
鳴門周辺の地質をみると、グリーンのところが和泉砂岩ということになると思います。
撫養石の産地は大毛島の真ん中辺りにある三ツ石だとのことです。

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撫養石の石垣がよく見られたのが、撫養街道から一本南側の通りです。

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撫養街道側が高くて、裏通りには勝手口から階段を下りる形になります。
昔は水路が流れていたのではないでしょうか?

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こちらも同じく。
石垣が表面がきれいに揃っています。
階段の色が違うのは耐久性重視で花崗岩を使っているのかもしれません。

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同じ並びに市杵島姫神社があって、ここの石垣も撫養石。

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一方、県立の鳴門高校の校門では阿波青石(緑泥片岩)が使われていました。
徳島=阿波青石ということで、地域の素材として使ったのだと思いますが、どのスケールで考えるかですね。現在撫養石は入手しにくいのかもしれませんが。


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他に、撫養川の東側(林崎のあたり)で、こういうカラフルな石垣がありました。
赤い石はチャートでしょうか。

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さらに塩田の町、鳴門町高島に行くとこんな美しい石垣がありました。
絵画作品みたいです。

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同じく高島の撫養石の石垣。
塀のカーブがきれいです。

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撫養町小桑島のあたりでしょうか。
石造のお地蔵さんの祠で、これも撫養石だと思います。

地元の石材が使われていると、町の色合いが出て良いですね。


<関連記事>
 「鳴門の近代建築など(1)」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「隠れた名所・小鳴門公園」

 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「来待石の町」
 「竜山石を訪ねて(1)石切場めぐり」

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2017年6月30日 (金)

鳴門の近代建築など(2)

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近代建築などを中心に、鳴門の記事の続きです。
これも2016年9月11日の記事です。

まずは撫養川に架かる文明橋から。
この橋、昭和13年に架けられたもので、渦潮のデザインが良いです。
この頃から既に渦潮を推してたんですね。

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出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
   「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

位置を確認します。
前回は撫養川の西側を紹介しましたが、今回は撫養川の東側から撫養港まで近代建築などを中心に紹介します。
お遍路さんの通り道である、撫養街道に沿う地域です。

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橋の欄干はアーチの連続です。

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橋の東側はちょっと広がって渦巻く装飾がありました。

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文明橋から撫養川に沿って少し北上すると、美奈登橋があります。こちらは昭和10年。「湊橋」と書けばよいところ、少し気取った漢字を当ててます。

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橋の下には雁木の荷揚場がありました。
左側の岸壁もアールの付いた縁石を使っていて古そうです。
ちなみに対岸右手に見えている丘は、これから向かう方向にある妙見山です。
その向こう側に撫養港があって、港の目印になる山です。

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撫養川を渡って、林崎の集落に入りました。
養老湯の跡を確認するためです。
ここには事前確認して行きました。
2009年末に廃業されたとのことで、緑の侵食を受けつつありました。

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2階の窓には色ガラスが使われています。
洋風の雰囲気です。

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この時はレンタサイクルでの移動なので、寄り道していると、北浜集会所というのがありました。昭和20〜30年代といったところでしょうか。潮風に色あせて味が出ています。

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撫養街道に沿って進んでいくと、モダンな住宅がありました。
古いようなのですが、かなりきれいにしています。

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玄関周り、水平、垂直の線で構成されていて、とてもシュッとしています。

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妙見山が近づいて来ました。
左側から回り込みます。

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港のすぐそばまで来ました。
これは元料亭などでしょうか。

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撫養港の周辺には今も旅館がありますが、関西方面から船でやってくるお遍路さんで賑わった昔は、もっとたくさんの旅館があったのでしょう。朽ちかけています。

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緑に埋もれている建物は、水の旅館の旧館です。
2棟のうち1棟は戦前の建物だそうです。
右に新館が建っています。

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小屋裏の換気口はちょっと変わったデザイン。
中を見学できれば良いのですが。

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水の旅館の前で撮ったパノラマ写真です。
左に大毛島、遠くに淡路島が見えています。
ここが撫養の港です。

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昔は船が着いたのですね。
フェリー待合室が閉め出されてトマソン化しています。

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前に「渡船の記事」で紹介した岡崎渡船
の隣に元幼稚園らしき廃屋がありました。
下見板張りです。

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左側の建物。
下足箱があるので、幼稚園かなと思ったのですがどうでしょう。
気になります。

鳴門で気になった主な建物は以上です。
よほど生育環境が良いのか、植物の強さが印象づけられました。

<関連記事>
 「鳴門の近代建築など(1)」
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「鳴門の石材」

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2017年6月29日 (木)

鳴門の近代建築など(1)

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随分間が空きましたが、鳴門の記事の続きです。
訪問日は2016年の9月11日。
鳴門の近代建築などを紹介します。

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出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
    「鳴門海峡」USAーM263-23 昭和22年米軍撮影 を加工

鳴門を訪ねるにあたって、事前に空中写真で旧市街を確認しました。
写真を見ると東西に延びる市街地と南北に延びる市街地があります。
その交点が上の写真の場所です。
道路元標を置くならここしかないという場所ですが、道路元標は見あたりませんでした。

まず東西の道は撫養街道です。関西方面から船でお遍路さんに来るとまず上陸したのが撫養港で、そこから撫養街道をたどって札所を目指したそうです。
南北の道は渡船場につながっていて、その先は高島です。

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まず南北の道を北上しました。
すぐに現れたのがこのピンクの建物。
とても目立っています。
窓の桟や水平線も主張しています。

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玄関脇にはダイヤの窓も。

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途中で裏道に入って、造り酒屋の花乃春酒造さん。
登録有形文化財のプレートを掲げておられました。
創業文化11年(1814年)で、正面に見えている仕込み蔵と左手にある瓶詰め蔵は昭和18年のもの。
お酒の販売もされています。

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撫養小学校の裏門。
元は正門だったのではないかという重量感があります。

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小学校の向かいにある斎田集会所はそこそこ古いのではないでしょうか。
サイディングに覆われていますが、後ろに回ると下見板張りです。

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撫養街道まで戻ってきました。
ダルマヤ薬局の磨りガラス文字。

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医院の建物に隣接してピンクに塗られた下見板張りの建物がありました。
元は医院関係で使われていたのではという気がします。

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またこちらも裏通りにある、住宅にしては立派な建物。

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玄関上の破風部分に亀甲模様が入っていたり、漆喰細工のようなものがあったり、凝っています。

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再び撫養街道に戻って、西に向かいます。
初めて見るとインパクトのあるおたふくさんの鏝絵看板。

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洋風付き町家。
町家で部分的に洋風なのが面白いです。

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これはたぶん銭湯跡でしょう。
屋根が落ちていて残念です。

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西に歩いて行き、三拍子酒造の煙突に誘われていくと、レトロな浜田煙草店がありました。大正9年の建物だそうです。

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玄関脇のこの小窓は何でしょう。
たばこの販売窓口?
このあたりで引き返しました。

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鳴門市街中心部に戻ってレンタサイクルを借りた後、渡船をめぐって、小鳴門海峡の北の入口にある北泊まで走りました。その途中にあった、瀬戸小学校の門柱。左側の門柱には「瀬戸幼稚園」と書かれています。

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堂浦の集落にあるよろず屋。
漁村にしっくりきます。

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玄関上の磨りガラスと桟が凝っていました。

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モダンデザインの塀。
建物がかなり傷んでそうで気がかりです。

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再び市街地に戻ってきて、古い排水施設。

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今では鳴門で唯一の銭湯となってしまった東浜温泉。
1965年の開業だそうです。
私も入りました。たぶん開業時の雰囲気が今も残っています。

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最後にもう一つ。
鳴門市役所の建物がかっこいいなと思ったら、1963年に完成した増田友也設計の建物だそうです。
docomomo Japan選定。
鳴門は増田友也の建築がたくさん残っているそうですが、この時の旅行ではそこまで回る余力はありませんでした。
ご興味のある方はこちらもどうぞ。

「鳴門の近代建築など(2)」に続きます。

<関連記事>
 「隠れた名所・小鳴門公園」
 「鳴門の渡船に乗る」
 
「大毛島から高島へ」
 「鳴門の近代建築など(2)」
 「鳴門の石材」


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2017年6月26日 (月)

ラジオ塔のある大曽公園(豊中市)

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半年前のことですが、「ラジオ塔大百科」で紹介されていた豊中市の大曽(おおそ)公園に行ってきました。
訪問日は2017年2月11日です。


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大曽公園のメインの入口は南西角にあります。

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公園の配置図。
広場が大きな面積を占めていて、東側が一段高くなり、遊具コーナーなどがあります。

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広場とはこれぐらいの段差があります。
雨水の貯留施設にするために掘り下げられたのかは不明。

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古い雰囲気を残している場所です。
緩い大階段で一段上がったところに、藤棚とベンチがあります。

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この手前に大曽公園建設記念碑が建っていました。
裏側に説明があって、この公園が昭和16年に建設されたことが分かります。

書き起こすと(送りがなはひらがなに直しました)、
「本公園は本市連合町内会隣組の結成を記念し、之が敷地を大字桜塚よりの寄付に求め、其の資金は市民の篤志に俟ちて建設したるものなり。
 昭和十六年十一月十四日
 大阪府豊中市長 従五位勲六等 中川種治郎」

地域と市民の寄付で出来たんですね。


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そしてこれがラジオ塔。
表には「豊中市大曽公園」と書かれています。

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裏側には「大阪中央放送局」と書いてあります。
恐らく上にラジオの収納部分があったのでしょうが、欠損しています。


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また隣には国旗掲揚台らしき御影石の柱があります。

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つまり全体としてはこういう配置です。
国旗が揚がり、ラジオ塔からラジオ体操が流れ、右側に集まって体操するという位置関係ですね。
戦前の公園の様子が分かります。

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藤棚については、いつの時代のものかは分かりませんが、六角形のコンクリートのベンチがあります。

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また、現在の藤棚とは別に柱の跡がありますので、こちらがもともと藤棚のあった位置ではないでしょうか。

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何かの基準点らしきものもありました。


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たぶん戦後の整備ですが、砂場があります。
周囲にはよく見るラクダやキリンの遊具。

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象やカタツムリのコンクリート製遊具もあります。

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周辺は古い住宅地で、こんな木造住宅もありました。
うろこ状の戸袋がユニーク。

(関連記事)
*全国の近代公園
 「近代の公園」(目次)

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2017年6月25日 (日)

加賀石の里めぐり(3)遊泉寺銅山跡

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※クリックすると拡大します(以下同様)

鵜川・遊泉寺地区で3ヶ所目、遊泉寺銅山跡を見に行きました。
ここには江戸時代から銅山もあったんです。
鵜川石切場跡を案内してくださった鵜遊立活性化委員会の方など地元の皆さんがこつこつと遊歩道を整備して、2006年から銅山の遺構を見て回れるようになりました。


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現状はというとこんな感じの森。
まさかここに銅山町があったなんてイメージできません。

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案内板によるとこんなに大きな町があったそうなんです。
大正5年頃には従業員1600人、人口5000人に達していたとか。

江戸時代の安永元年(1772年)に開坑し、盛衰はあったものの、加賀藩の有力な財源だったようです。

明治になると採掘権は、土佐藩の竹内綱のち長男の竹内明太郎氏に渡りました。
竹内明太郎氏は鉱山の近代化につとめ、明治40年には鉱山から小松までの軽便鉄道を敷設、神子清水発電所を建設して機械化を進めました。

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この方が竹内明太郎氏です。
氏はまた機械工業の重要性を認識し、諸外国を視察して、遊泉寺銅山の私設鉄工所として小松鉄工所を設置しました。

鉱脈の不足や第一次世界大戦後の不況を受けて、遊泉寺銅山は大正9年に閉山に追い込まれますが、小松鉄工所は銅山の施設・物資と人員を引き継いで、大正10年に小松製作所として分離独立しました。これが今のコマツにつながっています。
ー以上、遊泉寺銅山跡記念碑より。

あのコマツはここから出発したんですね。
今回初めて知りました。


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銅山跡の入口には立派なトイレが整備されています。
また駐車場もあります。
駐車場はもっと奥にもあります。

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このあたりは公園になっていて、遊泉寺銅山のカラミ石も展示されていました。
ここのは四角柱になっているのが特徴だそうです。
他の鉱山では大型の煉瓦の形だったり、尾小屋鉱山の場合は六角柱だと聞きました。

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最初に現れる遺構は真吹炉です。
銅鉱質の分析炉と説明されています。

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周辺にはシャガが群生していて、ちょうど花の季節だったため、写真を撮りに来られている方もいました。

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銅山町の跡は、石垣で階段状になっています。


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次に現れるのは、この銅山跡のシンボルともいえる、巨大煙突と煙道窓です。
煙突は高さ20mあるそうです。

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あちこちに立入禁止看板が立っています。
鉱山跡なのであちこち穴が開いていたりして、危険があるようです。

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例えば、これは分かりにくいですが、窪地になっています。

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遊歩道の足元には煉瓦やカラミ煉瓦が落ちていたりします。


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これは何か分かりにくいですが、鍛冶屋の炉跡です。

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竪坑跡。深さは150mあったそうですが、危険なため、今はコンクリートで覆われています。

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ここから遊歩道は上りになります。
急な登り坂です。

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登り切れば、平坦な尾根道になります。
精錬所から出るノロ(不純物)を引き揚げた巻き上げ装置の台座が残っています。

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尾根筋からは小松市街と海が見えます。

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今度は谷筋を下っていくと、水源地跡があります。
ちょっと分かりにくいでしょうか。
谷が堰堤で堰き止められています。


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解説のないところにも、斜面に穴が開いていたりしましたので、まだ遺構は埋もれているかもしれませんね。

遊歩道は一周1.5kmで、所要時間1時間程度です。

なお、小松市ではこの6月に5000万円の予算を盛り込み、今後5年かけて遊歩道を整備するそうです。
北国新聞社「遊泉寺鉱山跡を整備 小松市、煙突や炉巡る遊歩道」
今でも見て回るのに不都合はないので、こういう森の中の遺跡の雰囲気が好きな方でしたら、今のうちに行っておいた方が良いかも。

<関連記事>
 「加賀石の里めぐり(1)鵜川石切場跡」
 「加賀石の里めぐり(2)ハニベ巌窟院」

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