2020年3月20日 (金)

日吉公園と茶ノ木島公園(名古屋市中村区)

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名古屋市中村区の近代の公園を巡った話の続きです。
里山公園の後は南下して日吉公園(昭和10年)を訪ねました。

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公園の南西入口の門柱が独特で、橋の親柱のような形をしています。
もしかしたら当初の門柱なのかもしれません。

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公園の中はこのようになっていて、中央部に森があります。

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その実体は神社。現在の社殿はごく小さなものですが、日吉神社または日之宮といいます。

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隣に石碑があって、由緒ある神社だと分かります。
「日吉丸生母祈願乃址」とあって、つまり豊臣秀吉の母がここにあった日吉権現に、子どもが授かるようにと日参し、生まれたのが豊臣秀吉で、その感謝を込めて日吉丸という幼名を付けたという伝承があるそうです。

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公園の南側に鳥居があって、その横にも「日吉丸生母祈願の跡」という看板が立っています。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、昭和7年、名西土地区画整理組合が、敬神思想の助長・奨励と旧跡保存を目的に日の宮神社の境内を拡張して公園としたもので、昭和10年に名古屋市に寄附され、由来にちなんで日吉神社と名付けられたそうです。中村公園と似たようなルーツなのですね。
当初は設備が充実していて、公会堂(日吉会館)、四阿、公衆便所、橋梁2つ、国旗掲揚柱1基、ベンチ5ヶ所、滑り台、ブランコ、鉄棒、藤棚、芝生が整備され、吉野桜など633本の樹木があったとのことです。

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古いものとして、鳥居の前に国旗掲揚柱があります。

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裏を見ると昭和8年と書かれているようですので、これが『名古屋の公園』に記載のある国旗掲揚柱でしょうか。

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それ以外の古いものはよく分かりません。
ここにも懐かしい回転ジャングルジムがありました。
もちろん戦前ではありません。

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砂場がひょうたんの形なのはさすがに豊臣秀吉を意識していますね。

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ハードディスク型のトイレもありました。

続いて、名古屋駅に戻りながら、茶ノ木公園(昭和12年)も見に行きました。

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茶ノ木公園は防災公園の米野公園の一部になっていて、恐らくこの写真の左奥の部分がそうではないかと思います。
米野公園はこの時はまだ整備途中で、木々はまだ育っていませんでした。

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米野公園の案内板があります。
このうち「子どもの遊び場」となっているのが旧茶ノ木公園ではないでしょうか。

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なお、米野公園の案内板に「(整備中)」とあるように、実際の風景を見ると案内図のようになっていません。
右側のカーブする遊歩道が柵で囲まれた通路で分断されていて、奥には住宅まであります。2つの異なる風景がパッチワークされているようです。公園を断ち切って道が作られているようですが、もちろん逆で、整備できるところから盛り土して公園が建設されています。なんとも不思議な風景です。

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その隣に茶ノ木島公園はあります。

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ちゃんと茶ノ木島公園の表示が残っています。

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横にちゃんと茶ノ木島公園の解説板が設置されています。
こういうのはうれしいですね。

『名古屋の公園』によれば、日吉公園と同じく名西土地区画整理組合から昭和12年に寄附を受けたものです。当初の施設には、ブランコ、滑り台、鉄棒、藤棚等があり、ヒマラヤ杉など362本の樹木が植わっていたそうです。

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隣接して熊野神社があり、神社と一体的な公園だったようです。

日が沈んだこともあり、この日の名古屋市中村区の公園巡りはこれで終了しました。

 

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2020年3月 9日 (月)

里山公園(名古屋市中村区)

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名古屋の公園めぐりの記事、これも2018年です。
稲葉地公園を見た後、用事があったので一度中村区を離れ、また戻って中村日赤駅から歩き始めました。
元中村町のあたりは古い建物がよく残っていました。
こちらも洋間付きの長屋っぽい建物です。

訪問日:2018年12月8日

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正方形のタイルを埋め込んだ門柱なども。
なんとなく古そうなデザイン。

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こんな風にあちこちにあります。

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途中、遊歩道がありました。
地図を見ても分かるのですが、見るからに水路跡の遊歩道です。
庄内用水の中井筋(惣兵衛川)が暗渠化されて、中井筋緑道として整備されています。
昭和58年から整備が始まっています。

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ほどなく今回の目的地、里山公園(昭和10年開園)に着きました。
里山といいながら、平坦な街中の公園です。

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里山公園の表示は新しいもの。
昭和10年ということで期待したのですが、古いものは残っていないようです。

『名古屋の公園』(昭和18年)によると、中村土地区画整理組合が造成して寄附した公園で、滑り台や砂場があった他、檜・桜など樹木218本があったそうです。

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公園の南側から。奥行きはここから奥に見える住宅の手前まで。
小さな公園なのですぐ見終わります。

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整備工事中らしく、公園の一部が柵で囲まれていました。
この回転ジャングルジムは残ったのでしょうか。

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公園の一角にある集会所はある程度古いかもしれませんが、トタンに覆われていて分かりません。

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よく見かけるグッドデザインな水飲み場。

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何かないかと行ったり来たりするのですが、とくに気になるものはありませんでした。
むしろ奥の長屋が気になります。

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ということで、周辺の長屋などを見ていきます。
洋風の長屋というのか、四角く部屋が張り出していて、その上部の物干し台になっているベランダ柵や敷地境界の低いコンクリート柵にアーチのデザインが施されています。

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家の前がちょっとした前庭になっていて、こういうコンクリートの柵で囲まれているんです。

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玄関扉などもモールガラスを使ったすっきりしたデザインです。
昭和30年代ぐらい?

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並びには洋間付き長屋らしきものもありました。
コンクリートの柵が似ていながら少し違うデザインなのも面白いところ。

 

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次の公園に向かうため、ジグザグに南下していきます。
こちらも洋間付きの長屋のようです。

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このようなタイプが周辺には多いようです。

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とくに右端の一軒が古い姿を留めているようでした。
板塀も足元に四角い開口が並ぶ、洋風っぽいデザイン。

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こちらも下見板張りの洋間付きの長屋。

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こちらは真ん中の一棟が前に出ています。

公園自体に古さを感じ取ることはできませんでしたが、周囲の住宅に古くモダンな雰囲気を感じることができました。

 

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2020年2月11日 (火)

配水塔の稲葉地公園(名古屋市中村区)

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もう少し名古屋の近代の公園の話題を続けます。
日を改めて中村区の公園をめぐりました。

以前、中村公園には行ったことがあり、それ以来です。
「中村公園のラジオ塔?」
改めて確認したら、ラジオ塔を紹介しただけで、中村公園自体はちゃんと紹介していませんでした。
いずれ機会がありましたら。

さて、地下鉄の中村公園駅から西に歩いて行くと稲葉地公園に着きます。

北側正面から見るとなんとなくギリシャ風の列柱の向こうに、列柱に囲まれた名古屋市演劇練習館アクテノンが見えます。
この建物はもともと昭和12年に建てられた稲葉地配水塔で、この改修事例は有名なので私も写真では見たことがありました。
もちろん塔の列柱にちなんで、手前の列柱を並べたのでしょうね。

訪問日:2018年12月9日

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この公園の平面図を見ると面白い形をしています。
つまり公園が南北に突き出しているんです(右が北です)。
この南北軸は稲葉地配水塔の中心を通っていて、配水塔を中心に据えた設計になっていることが分かります。
現在の配置というだけでなく、当初の図面を見てもそうなっています。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、昭和13年に稲葉地土地区画整理組合から寄附を受け、昭和17年に着工、昭和18年に完成したとのことです。当初の設備としては、配水塔の他、池、野球場、花壇、徒渉池、ブランコなどの遊具があったそうです。

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こちらが北に延びる街路。

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こちらは南側に延びる公園から見たところ。
こちらは完全に公園です。旧配水塔が真正面に見えます。

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旧稲葉地配水塔は昭和12年にできました。名古屋汎太平洋平和博覧会が開かれた年です。名古屋市西部で区画整理による都市開発が進み、水需要が増大して市街地東部・東山の配水場ではまかなえなくなったため、市内2番目の配水塔として計画されました。当初は貯水容量590立米で計画されてもっとシンプルな形だったのですが、計画中に水需要の増大が見込まれたため、改めて4000立米のタンクに変更され、大きなタンクを列柱で支えるという特徴的な形になったようです。(『愛知県の近代化遺産』(平成17年)p242〜244より。以下も主に同書による)

しかしながら、昭和19年に市内西部に大治浄水場が完成し、配水方式がポンプによる圧送に切り替わったため、わずか7年で稲葉地配水塔は役目を終えてしまいました。

その後、水道局の管理のまま約20年間放置されていましたが、名古屋の一区一図書館の施策により、改修を経て、昭和40年に中村図書館として開館しました。この時、吹き抜けだった2〜4階にスラブを打つ改修が加えられています。図書館としては26年。中村公園内に新図書館が建設されたため、平成3年(1991年)に閉館しました。

しかし演劇関係者から市民向けの演劇練習場確保の要望を受け、大小の練習室を設け、2階中央のスラブや屋根スラブ、柱の一部を撤去して鉄骨で置き換えるなどの工事を経て、平成7年(1995年)に名古屋市演劇練習館アクテノンとしてオープンし、今に至っています。今年で25年ですね。もうすぐ演劇練習館としての利用期間が一番長くなります。

この日も演劇の練習で使われていて、わずか7年で役割を終えてしまった建物がこのように使い続けられるというのはありがたいことです。
ちなみに演劇練習館への改修を決断したのは当時の西尾市長。実は水道局出身で、中村図書館への改修の際に担当課長だったというのは不思議な巡り合わせです(施設紹介パンフより)。

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勝手に見て回ってもいい感じの建物ではないので、事務所で建物の見学に来ましたと申し出ると、職員の方が案内してくださいました。
1階には図書館時代を思わせる書架が並んでいます。
そして中央にはタンクを支えていた柱。

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柱は吹き抜けになった2階、3階を突き抜けています。

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4階が一番、配水塔らしさを感じられる空間です。
タンクを支える構造が見えています。

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さらに配水塔時代の配管が今も残されています。

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タンクだった5階にはリハーサル室があります。
この日も練習が行われていましたので、外して撮っています。

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5階の平面図。
当然ながらこういう丸い形の配置です。

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4階には、配水塔時代、図書館時代など時代ごとの写真・資料が展示されていました。

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4階からの眺め。
この下にはかつてプールがありました。
水道施設にプールは付きものみたいですね。

高層ビルが建ち並んでいるのが名古屋駅のあたり。

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紅葉の季節は過ぎていましたが、きれいな並木道がありました。

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公園を歩き回って気になった遺構も少しあげておきます。
こちらは公園の西側。ここにも入口があったのでしょうか。

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敷地の北西あたり。土管のようなものが突き出しています。
水飲み場?かとも思いましたが分かりません。

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こちらは私にはなじみ深いグッドデザインな水飲み場。

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名古屋らしく、富士山型遊具もあります。
赤富士です。

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懐かしい回転ジャングルジム。

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最後に、感心したのが名古屋には遊具を寄附する「まごころ遊具事業」という制度があるのですね。
私的なメッセージを書いたプレートを取り付けることができるのですよ。

稲葉地公園は今も配水塔が主役の公園でした。

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2020年2月 5日 (水)

港北公園と博覧会(名古屋市港区)

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このところ公園ブログみたいになっています。
古い話ですみませんが、名古屋の公園めぐりをした日のラスト、港区の港北公園を訪ねました。
白鳥西公園の後です。
既に日没で画像が暗くてすみません。

名港線の港区役所駅を降りると、すぐそこが公園です。
人工の築山に設置された滑り台が興味をひきました。

港北公園は昭和17年にできた公園です。
ただし今の形とはかなり異なります。

訪問日:2018年10月8日

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港北公園はこういうかなり変則的な形です。
東園と西園に分かれていて、地図上では移動させられていますが、西園は平和橋の左(西)に続いています。

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南端の港図書館のあたりから探索を始めました。
見たことのない大がかりなシーソー?があります。
ネットで吊されるタイプ。

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北に向かって進んでいきます。

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すると平和橋というアールデコデザインの橋があります。
橋といっても現在は陸橋。

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橋のたもとに解説板が設置されていました。
昭和12年に開催された名古屋汎太平洋平和博覧会にあたって約13万円を投入して建設された橋で、博覧会の記念として残る唯一のもの、とのことです。

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振り返ると、名古屋汎太平洋平和博覧会の写真入りの解説板もあります。
この博覧会は名古屋市の主催で昭和12年3月15日から5月31日までの78日間にわたって開催され、会場は現在の港北公園周辺の50万平方m、総事業費1600万円(博覧会自体には300万円)、国内の各道府県や外国29カ国が参加、総入場者数は約480万人という戦前の名古屋で最大規模の博覧会です。

解説の写真を見ると、運河の真ん中に掛かっているのが平和橋です。
主会場の西側部分はのちに東邦ガスの工場をへて、現在はららぽーと名古屋みなとアクルスとなっています。
たまたまこの時は、ららぽーとのオープン後10日ほどで、結構な人出でした。
また港区役所もこの会場跡地に建っています。

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名古屋汎太平洋平和博覧会の栞。
その序文を読むと「日本の名古屋から世界の名古屋へ!此の大飛躍の記念として花の“なごや”の春の空にありとあらゆる太平洋文化の粋を集めて築き上げる豪華なる文化の殿堂。これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。
 熱田神宮、釈尊遺骨奉安塔、名城の金鯱は云うも更なり、百十万を突破する人口、近郊を合わせて十一億円に達する年工産額、聖世の隆運に疆りなく伸び行く大名古屋に昭和十二年からは海の玄関たる名古屋港と、陸の玄関たる名古屋駅とが世界的都市に相応しい壮麗さを以て登場して新たに世界交通の要衝となる、その他、国際飛行場、観光ホテル、さては世界屈指の大動植物園、大水族館等が相次いで竣工し、今や新興名古屋は躍進日本を表徴しつつ文化に産業に世界的都市としての新たなる発展の段階に入らんとしている。そしてこの画期的大飛躍の首途に当たって、太平洋の平和と新文化の建設を目指す一大事業、これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。」
と当時の勢いを感じさせる非常に熱いメッセージが書かれています。

ちなみにこの時の参加国は、満州国、オランダ領インド、フィリピン、ブラジル、タイ、中華民国、オーストラリア、フランス領インドシナ、イギリス領インド、ビルマ、スリランカ、南アフリカ連邦、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、コスタリカ、サルバドル、パナマ、ヴェネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリ、アルゼンチン、マイソール(インド)、シンガポール、トラヴァンコール(インド)、カナダ、アメリカ合衆国、その他となっています。汎太平洋なので、アジアと北中南米、オセアニアということのようです。

名古屋汎太平洋平和博覧会については、あちこちに書かれているので深入りはしないことにします。
興味ある方は、下記のページなども見てみてください。

港区HP「ミナトガタリ 第10弾なごや古道・街角案内人 第7章 汎太平洋平和博覧会について」

 

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さて平和橋に戻ります。
親柱はアールデコのデザインで、ラジエーターのような形が取り込まれています。
会場のシンボルであった平和塔とも似たデザインのようです。

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昭和十一年十月竣工となっています。

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建設は名古屋市の石原鈼治郎となっています。


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現在、平和橋の下は、港北公園の東園と西園をつなぐ通路のようになっています。
橋の構造を下からも眺められるということになります。

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車止めはアールデコのデザインを踏襲しているようでした。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、港北公園は、名古屋汎太平洋平和博覧会の会長から寄附を受けた8万円で、敷地のうち4207坪を買収し、それ以前に港北土地区画整理組合から寄附を受けていた5000坪を合わせて工事費6万円で昭和16年に完成させたとのことです。当初は運河を短艇場として、そこを中心に北側に緑廊、露壇、運動場、相撲場を設け、南部にはテニス場、徒渉池、藤棚、ブランコ、滑り台等運動器具を備えていたそうです。

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また、平和橋の隣には公園の由来を示すこんな石碑もあります。

「港北公園は、中川運河の支線として開さくされた港北運河の一部を埋立て、公園として整備することにより、災害時における避難場所の確保、地域住民のレクリエーションの場の確保等“ゆとりとうるおいのあるまち”を目指し整備したものである。
 昭和59年3月 名古屋市」

 港北運河の東部が埋め立てられて港北公園が完成するのは、この石碑より後、昭和61年のことだそうです。(名古屋市HPの中川運河に関する年表

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平和橋の上から埋め立てられた運河の部分を臨む(東方向)。

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さて橋をくぐって西園にも行ってみます。

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平和橋をくぐった先にも遊歩道が続いています。
ここも埋め立てられた運河です。

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その先には運河の残りと、きれいな夕焼けがありました。
ここにはみなとアクルスの船着き場があって、中川運河の水上バスが着くようになっています。

今度は船で来ても良いかもしれません。

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2020年1月31日 (金)

北白川児童公園(京都市左京区)

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白川沿いに歩いた京都の近代公園めぐり、この日最後は北白川児童公園(昭和16年)でした。
既にかなり薄暗くなっています。
この公園の変わっているのは、北白川小学校に隣接しているというより一体化していて、校舎をコの字型に囲んでいることです。
今はフェンスで区切られていますが、元はもっと一体的だったのかもしれません。

訪問日:2019年1月14日

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公園東側の入口。門柱から続くアールの低い塀が招き入れています。

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読み取りにくくなっていますが、白い石に北白川児童公園と縦書きされています。

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内側から見るとこういう形。
階段と一体的なデザインです。

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北東隅にも入口の跡がありますが、今は塞がれて、柵の一部となっています。
一種のトマソン?

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こちらは右から北白川児童公園と書かれていて、戦前のものっぽいです。
なぜ塞いでしまったのかは不明。階段になっているので自転車で突っ込むと危ないからでしょうか。

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コの字の北側は遊具エリアになっています。
砂場やベンチ、シーソー、鉄棒などがあります。

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ここにも人研ぎの滑り台があります。
そしてブランコ。

昔の一般的な遊具が並んでいます。
あとジャングルジムがあれば完璧?

この公園での収穫は公園の門柱でした。

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日が暮れたので、この日は南田児童公園あたりまで戻って銀水湯に入って帰りました。

この日はこれで終了ですが、京都の近代公園めぐりはまだまだ続きます。

 

 

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2020年1月28日 (火)

南田児童公園(京都市左京区)

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京都市左京区の白川に沿っての公園めぐり、続いては浄土寺上南田町の南田児童公園(昭和16年)です。
私が写真を撮っている場所のすぐ背後が白川です。

冬場の公園というのは葉が落ちて公園らしさがないですが、全体の確認はしやすいですね。
南西角からの全景です。

訪問日:2019年1月14日

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南側正面入口。入口は台形です。

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南田児童公園の表札。
文字が左からなので戦後のもののよう。ただし大理石っぽくて、戦前のものと質感が似ていて、書体も古めなので、昭和20〜30年代かなあという気がします。

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公園は広場部分と一段上がった遊具部分に分かれています。
そこを区切るようにヒマラヤ杉(?)などの並木。

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敷地の端に気になるコンクリートの痕跡があったので撮っておきます。
何かは分かりません。

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砂場、なんですが、私にはこれは幼児プールの跡のような気がします。
一つは右側中央が切り下げられていて、ここから溢れた水を流していたように思います。
塗装も防水のためかと。

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もう一つはこれ。ここから水を入れていたのかなと。
砂場としては不自然でしょう?

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公園の北側入口。南側入口と対称になっています。

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公園のベンチ。少し真ん中をくぼませたコンクリートのシンプルなベンチです。

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もう見慣れてきた人研ぎの滑り台。

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そしてラクダと羊の遊具というかベンチというか。

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これだけではさびしいので、近くの近代建築もついでに紹介しておきます。
浄土寺東田町の内科・小児科岡本医院。京都市の近代化遺産調査によれば、大正から昭和初期です。
全体がクリーム色の溝タイルで覆われています。

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角から見たところ。裏側には丸窓もいくつか見られます。

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裏には和館も。
こちらがお住まいの部分でしょうか。

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勝手口もアーチ屋根のモダンなデザインになっています。

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次の公園に向かう途中、疎水分線が逆サイホンで白川をくぐる立体交差。

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銀閣寺前町の住宅。
気になったのですが、近くの工事の警備員の方がおられたのでさっさと立ち去りました。

日没との競争で次の公園へ。

 

 

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2020年1月22日 (水)

馬場児童公園(京都市左京区)

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京都市左京区の近代の公園めぐり。宮ノ前児童公園に続いて、馬場児童公園(昭和15年)を訪ねました。
デザイン的に見て面白いのは昭和15年までの公園かなという気がしています。

既に日が暮れかかっていて、見づらくてすみません。
開放的な公園で、外周の道路とは低い柵のみで隔てられているため、公園内の様子は外からもよく見えます。
道路に傾斜があるので、階段状の柵になっています。
この写真は東南隅から。

訪問日:2019年1月14日

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東側の入口が正面の入口のようです。
スロープで上がる入口。
門柱はアールを多用した左右対称のデザインです。

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コンクリートの門柱にそれほど装飾はありませんが、アールや段差など変化を付けてあります。

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馬場児童公園の文字が右から書かれているので、オリジナルのものかと思います。

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公園の北西入口。
階段を登って入るタイプの入口です。
先ほどの門柱と似ているものの形は違います。

 

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南側入口。こちらは階段を下って入る入口です。
階段の先に円柱が付いています。
道路と公園の高さ関係が変化するのに合わせて、入口のデザインも変化しているのが面白いところです。

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公園内部の植樹の縁石。
天然石らしく見えます。

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公園自体は2層に分かれていて、東側の下段はグラウンド、西側の上段には砂場など遊具が集まっています。
その間は緩くふくらむ階段でつながれています。

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以前、富小路公園で見たのと同じような、顔のプレイマウントがありました。
そして子供たちが遊んでいますが、動物遊具があります。
砂場をオアシスに見立てて、そこに集まる動物のイメージに見えます。

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こちら水浴しているゾウ

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居眠りするラクダ

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北西角にもう一つ砂場がありました。

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レーシングカーの遊具。前後どちらにもハンドル。
車体は抽象的ですが、タイヤは本物を使っています。

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ここでも人研ぎの滑り台。京都はほんとに多いです。

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トイレ前の手洗い場。
これも昭和中期ぐらいのデザインに見えます。

この公園の見どころは、よく残っている公園門柱のデザインということになるかなと思います。

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ついでに周囲の近代っぽい住宅も紹介しておきます。
こちらの住宅かなり傷んでいたので、もうなくなっているかもしれません。

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玄関引き戸に鶴の透かしが入っています。

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丸窓のある家。茶室なのでしょうか。

近代の公園を見に行くと、区画整理公園の場合、周辺の開発も同時期だったりするので、周囲の探索も楽しみです。

 

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2020年1月19日 (日)

宮ノ前児童公園(京都市左京区)

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これも1年ほど前ですが、京都国立近代美術館で「世紀末ウィーンのグラフィック展」を見た後、白川沿いに遡って、近代の公園を見て回りましたので、数回にわたって紹介します。まずは宮ノ前児童公園(昭和17年)です。

どこの宮の前かというと大豊神社のようです。
近くには泉屋博古館があります。

写真は敷地の南西角から。こちらが正面です。
残念ながら、こちら側の公園の表示は隠れているか、失われていました。

訪問日:2019年1月14日

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公園は底辺の短い三角形です。
面白いことに敷地の南半分にはイチョウがぽんぽんと立ち並んでいます。
グラウンドの中に木が並んでいるのは面白いですね。

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低い公園柵とグラウンドの間は並木のゾーンになっています。
それではその向こうにある木は?

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敷地東南隅の入口。階段で下りていきます。
ここにも公園の表示はありません。

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公園は北に向かって高く、細くなっており、北の端にも門があります。

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黒い石に刻まれているので読みにくいですが、ここには公園名「宮の前児童公園」と書かれています。
字体から見ても戦後のものでしょう。

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公園は階段で京都市立第三錦林小学校の校庭とつながっています。
そういうこともあって公園でグラウンドを広く取る必要はなかったのかとも思います。

公園成立の時代的に、小学校の校庭と一体で避難場所として考えていたのかもしれません。

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公園には高低差があるので、そこを利用してテラスと滑り台が設置されています。
この組み合わせは面白いです。
ここがこの公園一番の見どころ?

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テラスの後ろに砂場がありました。
縁のコンクリートが比較的古いもののように思われます。

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京都ではよく見かける人研ぎ(人造石研ぎ出し)の滑り台もありました。

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素朴なコンクリートのベンチ。

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これはよく見かけるタイプの、座面が凹んでいるコンクリートのベンチ。

あまりこれといった見どころを見つけられませんでしたが、今後何か補足できることがあれば補足します。

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(追記)さっそくの追記なんですが、これを投稿したところ、Uさんがこの小学校の卒業生とのことで、この正面あたり、今はコンクリートで覆われていますが、校庭の下に作られた防空壕の入口があったという情報を教えていただきました。
 昭和17年という時代、作られる公園は空襲に備える目的のものが多く、この公園についてもそういうことなのでしょう。
 ここに木が植えられているのも防空壕の入口を隠すため?などということも思いました(それなら常緑樹を植えるか)。

 

 

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2020年1月18日 (土)

石山寺公園(滋賀県大津市)

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大津市の長等(ながら)公園を訪ねた後、もう1ヶ所、ラジオ塔があったという石山寺公園を訪ねました。
京阪石山坂本線に乗って石山寺駅まで。ここに来るのは初めてです。
駅の裏に住友活機園はこちらという案内がありました。
まだ抽選に当たったことがありません。

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駅のすぐ前を流れる瀬田川に沿って歩いて行きます。
石山寺は意外と離れているんですね。10分ほど歩くことになります。
降りたらすぐなのかと思っていました。

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途中にあった大型の鳥瞰図。
「石山寺 岩間寺 西国巡礼道 石山温泉及び近郊全景鳥瞰図」と書かれています。
描かれている時期は、1988年(昭和63年)に開通した京滋バイパスが描かれていること、1995年(平成7年)に着工した大津放水路が描かれていないことから、昭和末から平成初期頃の様子なのかと思います。
後でもう一度触れます。

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石山寺の門前に小さな緑地があって、これが怪しいなと思います。

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公園の中に入るとこんな感じ。
右に見える建物は石山寺のバス停待合所です。
古い建物などはありません。
バス停の手前に銅像が立っていますので見に行ってみました。

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「堀田義次郎氏之像」と書かれています。

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裏側に読みやすい字で説明がありました。銅像ができたのは昭和59年。
説明によると、堀田義次郎氏は大正8年滋賀県知事となり、昭和8年から3期大津市長をつとめたそうです。
大事なところを抜き出すと、
「自然と歴史に恵まれた 大津市の特性を生かす道として 観光事業の重要性に着眼 名所旧蹟の整備拡充に積極的に取り組み 現在の大津市発展の基礎を築かれる なかでも 石山寺門前には二千四百余坪の公園を創設し 瀬田川流域の保全とともに 桜 楓 つつじなどを植栽し 石山寺の美観保持に盡力された」

ということで、ここが昭和初期の公園ということで間違いないよう です。
=石山寺公園ということなのでしょう。

下記論文で紹介されている『大津市観光施設調査報告書』(1933)によれば、料亭・茶店・土産物売店が建ち並び、車の往来が激しい石山寺門前を美化する意図があったようです。

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再び先ほどの鳥瞰図を見ると、石山寺門前に三角形の公園が描かれています。
白いのは桜が咲いているのでしょう。また3ヶ所ほど塔の先に白い点があるのは照明器具か灯籠ではないでしょうか。

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改めて確認すると公園内にはこういう遺構がありました。
これなど、ガス灯が仕込まれた灯籠という感じがします。
鳥瞰図に描かれている照明器具(上の1つ)かも。

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また公園西側はこんな感じで、いくつか灯籠が立っています。

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その灯籠の一つ。ラジオ塔などではなくて、普通に灯籠に見えます。
残念ながらラジオ塔らしきものは確認できませんでした。

石山寺公園は、大津市の観光開発の歴史を示す大事な場所ではあると思います。
この日訪ねた長等公園の改修や琵琶湖ホテル等湖岸の開発など、昭和初期の観光開発の一環ということで、いずれもう少し掘ってみたい気もします。

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せっかくここまで来たので、西国三十三ヶ所観音霊場第十三番札所である石山寺も見学しました。

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石山寺の境内図。谷と丘の上に各種の建造物が配置されています。

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中に入るといきなりこんなものがあります。
「くぐり岩」と書かれていて、説明によると大理石でできていて、くぐることができ、前の池は天平時代のものだとのことです。
私もくぐってみました。

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ここからは谷底の道で、右上に見えているのが本堂です。

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注連縄を巻いた岩がありますが、隣に解説板があって、ここは660年代、天智天皇の時代に飛鳥の川原寺の礎石を切り出した採石場で、この切り出し途中の岩は石山寺縁起絵巻の第4巻(室町時代?)にも描かれているとのことです。ずっとこのままなんですね。

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谷の奥には円形の池があり、八大龍王社が祀られています。
ここも石山寺縁起絵巻に登場するそうです。

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本堂は斜面に張り出すように建っています。
現在の本堂は平安時代の1096年に建てられ、滋賀県で最も古い建物という解説がありました。紫式部が源氏物語を執筆した部屋というのもあるようです。時代的に再建前のようですが。外陣は淀君の修補だそうです。

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境内は起伏に富んでいて、硅灰石の露頭があります。
硅灰石とは石灰岩が花崗岩と接触し、その熱で変質したものだそうです。通常は大理石に変化することが多いとのこと。
石山寺の名前はこの石から来ています。

以前訪れた那谷寺とも似たところがあります。

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境内には本堂とは別に琵琶湖を望む月見亭や鐘楼、多宝塔など各種の建物があります。

西国三十三ヶ所は、景色の良い特異な場所に建てられているという思いを強くしました。

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2020年1月15日 (水)

長等公園(滋賀県大津市)

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ほぼ1年前になりますが、ラジオ塔の探索のため、滋賀県大津市の長等(ながら)公園を訪ねました。
長等公園は浜大津の南西500mほどの山麓にあり、明治35年に国有林の払い下げを受けて大津市の公園として開園したものです。
先に結果をお伝えしておくと、ラジオ塔は見つけられませんでした。もっとも上のマップを見て分かるように敷地は非常に広いので、「ラジオ体操する場所はこのあたりかな」と目星をつけて回っただけで、全域を回った訳ではありませんので、ないとも言い切れずです。

以下の話は、このマップを参照していただければ多少位置関係が分かりやすいかなと思います。

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公園の一番下から見たところ。
右は滋賀県神社庁ですが、左はおそらく見えている範囲の山まで長等公園です。

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下から順に紹介していきます(実際の回り順は逆でした)。
公園の主要部分は谷に沿って作られており、段々になっていて、いくつかの池をせせらぎがつないでいます。
おそらく後年改修の手が加わって、上の写真のような現代的な庭園になっています。
あるいは石組みは当初からかもしれません。

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下から2段目にある石橋。
コンクリートではなく石橋なので古いのではないでしょうか。

 

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片方は石段になっています。

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橋を下から眺めたところ。
池には鯉が泳いでいます。

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主要部分の一番上の段。とはいえまだまだ序の口。
この公園は桜の名所として知られているそうで、この周りは桜かなと思います。

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振り返ると東屋。新しいものです。

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流れの底には玉石が敷き詰められていて、飛び石や所々の岩などは古いものかもしれません。

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せせらぎの最上部は滝のようになっています。
このあたりも古いかも。

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そして階段を登って振り返るとこんな景色。
向こうに大津市街と琵琶湖が見えます。

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この谷の反対側にはゲートボール場があります。
奥に見えるのは何だろうと近づくと。

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こういう構造物でした。
近づいても何かよく分かりません。

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園内で見かけたやや古そうな柵。
こういうのは残りやすいですね。

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改めて先ほどの階段を登ったところ。
ちなみにここの道、東海道自然歩道のルートの一部になっています。
谷の奥は長等不動尊になっていて、その両脇にさらに上に登る階段があります。

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左側の階段を登っていくと、桜広場というところに出ます。
ここには展望台と平忠度(ただのり)の歌碑「さざ波や志賀の都は荒れにしをむかしながらの山桜かな」が置かれています。
大正天皇御大典記念として、大津市により大正3年に建てられたものです。

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展望台からの琵琶湖。
ここまで登ると結構遠くまで見渡せます。

公園はまだまだ奥まで続きますが、山なので引き返しました。

公園内には、長等創作展示館・三橋節子美術館といった施設もありますが、今回は行っていません。

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再び公園の入口。最後に2つの記念碑を紹介します。
ここに柳谷観音両国寺というお寺があり、境内に「興利養化」と書かれた記念碑が立っています。
後で(というより最近)読んでみると、冒頭に「宇野保太郎君碑」と書かれています。
宇野保太郎という方は、日本の製麻業に貢献された方のようです。明治時代に海外の情勢を見て麻業振興の必要を感じて、近江麻絲紡織会社の設立(明治17年創業)に関わり、北海道製麻会社(明治20年創業)の取締役にもなり、合併により帝國製麻会社(現・帝国繊維(株))になってからも取締役として経営に腕を振るわれた方のようです。この記念碑は彼が大正6年に56歳で亡くなった後、大正8年に建てられています。
日本の製麻業が滋賀県から始まったというのは初めて知りました。

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この公園にはいくつか入口があって、先ほどの入口から東側にもひっそりした階段があります。
その途中、脇に登る階段があって、何か石碑があったので見に行ってみました。

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これも後で確認したのですが、「孝子宇野修自之碑」と書かれているそうです。
明治40年に建てられています。宇野修自がどんな方かというと、大垣の人で、幼くして母をなくし、兄も病気で失って、病弱な父を看病しながら大津地方裁判所の給仕として働いて家計を支えていたそうです。看病と家事と職務に励みながら努力が認められて職員に採用されたものの、22歳の若さで病気でなくなったということです。十年一日という言葉が出ていて、それが言葉通りなら12歳ぐらいから働いていたのでしょうか。碑文は大阪控訴院の部長が寄せていて、22歳の若者にこんな立派な石碑を建てたということに、職場の人の優しさ、彼を可愛がっていたこと、惜しむ気持ちを感じます。先ほどの石碑とは違って、歴史に名を残している人のものではないですが、印象深いものです。

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