2020年1月22日 (水)

馬場児童公園(京都市左京区)

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京都市左京区の近代の公園めぐり。宮ノ前児童公園に続いて、馬場児童公園(昭和15年)を訪ねました。
デザイン的に見て面白いのは昭和15年までの公園かなという気がしています。

既に日が暮れかかっていて、見づらくてすみません。
開放的な公園で、外周の道路とは低い柵のみで隔てられているため、公園内の様子は外からもよく見えます。
道路に傾斜があるので、階段状の柵になっています。
この写真は東南隅から。

訪問日:2019年1月14日

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東側の入口が正面の入口のようです。
スロープで上がる入口。
門柱はアールを多用した左右対称のデザインです。

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コンクリートの門柱にそれほど装飾はありませんが、アールや段差など変化を付けてあります。

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馬場児童公園の文字が右から書かれているので、オリジナルのものかと思います。

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公園の北西入口。
階段を登って入るタイプの入口です。
先ほどの門柱と似ているものの形は違います。

 

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南側入口。こちらは階段を下って入る入口です。
階段の先に円柱が付いています。
道路と公園の高さ関係が変化するのに合わせて、入口のデザインも変化しているのが面白いところです。

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公園内部の植樹の縁石。
天然石らしく見えます。

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公園自体は2層に分かれていて、東側の下段はグラウンド、西側の上段には砂場など遊具が集まっています。
その間は緩くふくらむ階段でつながれています。

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以前、富小路公園で見たのと同じような、顔のプレイマウントがありました。
そして子供たちが遊んでいますが、動物遊具があります。
砂場をオアシスに見立てて、そこに集まる動物のイメージに見えます。

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こちら水浴しているゾウ

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居眠りするラクダ

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北西角にもう一つ砂場がありました。

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レーシングカーの遊具。前後どちらにもハンドル。
車体は抽象的ですが、タイヤは本物を使っています。

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ここでも人研ぎの滑り台。京都はほんとに多いです。

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トイレ前の手洗い場。
これも昭和中期ぐらいのデザインに見えます。

この公園の見どころは、よく残っている公園門柱のデザインということになるかなと思います。

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ついでに周囲の近代っぽい住宅も紹介しておきます。
こちらの住宅かなり傷んでいたので、もうなくなっているかもしれません。

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玄関引き戸に鶴の透かしが入っています。

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丸窓のある家。茶室なのでしょうか。

近代の公園を見に行くと、区画整理公園の場合、周辺の開発も同時期だったりするので、周囲の探索も楽しみです。

 

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2020年1月19日 (日)

宮ノ前児童公園(京都市左京区)

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これも1年ほど前ですが、京都国立近代美術館で「世紀末ウィーンのグラフィック展」を見た後、白川沿いに遡って、近代の公園を見て回りましたので、数回にわたって紹介します。まずは宮ノ前児童公園(昭和17年)です。

どこの宮の前かというと大豊神社のようです。
近くには泉屋博古館があります。

写真は敷地の南西角から。こちらが正面です。
残念ながら、こちら側の公園の表示は隠れているか、失われていました。

訪問日:2019年1月14日

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公園は底辺の短い三角形です。
面白いことに敷地の南半分にはイチョウがぽんぽんと立ち並んでいます。
グラウンドの中に木が並んでいるのは面白いですね。

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低い公園柵とグラウンドの間は並木のゾーンになっています。
それではその向こうにある木は?

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敷地東南隅の入口。階段で下りていきます。
ここにも公園の表示はありません。

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公園は北に向かって高く、細くなっており、北の端にも門があります。

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黒い石に刻まれているので読みにくいですが、ここには公園名「宮の前児童公園」と書かれています。
字体から見ても戦後のものでしょう。

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公園は階段で京都市立第三錦林小学校の校庭とつながっています。
そういうこともあって公園でグラウンドを広く取る必要はなかったのかとも思います。

公園成立の時代的に、小学校の校庭と一体で避難場所として考えていたのかもしれません。

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公園には高低差があるので、そこを利用してテラスと滑り台が設置されています。
この組み合わせは面白いです。
ここがこの公園一番の見どころ?

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テラスの後ろに砂場がありました。
縁のコンクリートが比較的古いもののように思われます。

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京都ではよく見かける人研ぎ(人造石研ぎ出し)の滑り台もありました。

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素朴なコンクリートのベンチ。

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これはよく見かけるタイプの、座面が凹んでいるコンクリートのベンチ。

あまりこれといった見どころを見つけられませんでしたが、今後何か補足できることがあれば補足します。

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(追記)さっそくの追記なんですが、これを投稿したところ、Uさんがこの小学校の卒業生とのことで、この正面あたり、今はコンクリートで覆われていますが、校庭の下に作られた防空壕の入口があったという情報を教えていただきました。
 昭和17年という時代、作られる公園は空襲に備える目的のものが多く、この公園についてもそういうことなのでしょう。
 ここに木が植えられているのも防空壕の入口を隠すため?などということも思いました(それなら常緑樹を植えるか)。

 

 

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2020年1月18日 (土)

石山寺公園(滋賀県大津市)

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大津市の長等(ながら)公園を訪ねた後、もう1ヶ所、ラジオ塔があったという石山寺公園を訪ねました。
京阪石山坂本線に乗って石山寺駅まで。ここに来るのは初めてです。
駅の裏に住友活機園はこちらという案内がありました。
まだ抽選に当たったことがありません。

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駅のすぐ前を流れる瀬田川に沿って歩いて行きます。
石山寺は意外と離れているんですね。10分ほど歩くことになります。
降りたらすぐなのかと思っていました。

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途中にあった大型の鳥瞰図。
「石山寺 岩間寺 西国巡礼道 石山温泉及び近郊全景鳥瞰図」と書かれています。
描かれている時期は、1988年(昭和63年)に開通した京滋バイパスが描かれていること、1995年(平成7年)に着工した大津放水路が描かれていないことから、昭和末から平成初期頃の様子なのかと思います。
後でもう一度触れます。

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石山寺の門前に小さな緑地があって、これが怪しいなと思います。

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公園の中に入るとこんな感じ。
右に見える建物は石山寺のバス停待合所です。
古い建物などはありません。
バス停の手前に銅像が立っていますので見に行ってみました。

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「堀田義次郎氏之像」と書かれています。

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裏側に読みやすい字で説明がありました。銅像ができたのは昭和59年。
説明によると、堀田義次郎氏は大正8年滋賀県知事となり、昭和8年から3期大津市長をつとめたそうです。
大事なところを抜き出すと、
「自然と歴史に恵まれた 大津市の特性を生かす道として 観光事業の重要性に着眼 名所旧蹟の整備拡充に積極的に取り組み 現在の大津市発展の基礎を築かれる なかでも 石山寺門前には二千四百余坪の公園を創設し 瀬田川流域の保全とともに 桜 楓 つつじなどを植栽し 石山寺の美観保持に盡力された」

ということで、ここが昭和初期の公園ということで間違いないよう です。
=石山寺公園ということなのでしょう。

下記論文で紹介されている『大津市観光施設調査報告書』(1933)によれば、料亭・茶店・土産物売店が建ち並び、車の往来が激しい石山寺門前を美化する意図があったようです。

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再び先ほどの鳥瞰図を見ると、石山寺門前に三角形の公園が描かれています。
白いのは桜が咲いているのでしょう。また3ヶ所ほど塔の先に白い点があるのは照明器具か灯籠ではないでしょうか。

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改めて確認すると公園内にはこういう遺構がありました。
これなど、ガス灯が仕込まれた灯籠という感じがします。
鳥瞰図に描かれている照明器具(上の1つ)かも。

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また公園西側はこんな感じで、いくつか灯籠が立っています。

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その灯籠の一つ。ラジオ塔などではなくて、普通に灯籠に見えます。
残念ながらラジオ塔らしきものは確認できませんでした。

石山寺公園は、大津市の観光開発の歴史を示す大事な場所ではあると思います。
この日訪ねた長等公園の改修や琵琶湖ホテル等湖岸の開発など、昭和初期の観光開発の一環ということで、いずれもう少し掘ってみたい気もします。

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せっかくここまで来たので、西国三十三ヶ所観音霊場第十三番札所である石山寺も見学しました。

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石山寺の境内図。谷と丘の上に各種の建造物が配置されています。

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中に入るといきなりこんなものがあります。
「くぐり岩」と書かれていて、説明によると大理石でできていて、くぐることができ、前の池は天平時代のものだとのことです。
私もくぐってみました。

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ここからは谷底の道で、右上に見えているのが本堂です。

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注連縄を巻いた岩がありますが、隣に解説板があって、ここは660年代、天智天皇の時代に飛鳥の川原寺の礎石を切り出した採石場で、この切り出し途中の岩は石山寺縁起絵巻の第4巻(室町時代?)にも描かれているとのことです。ずっとこのままなんですね。

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谷の奥には円形の池があり、八大龍王社が祀られています。
ここも石山寺縁起絵巻に登場するそうです。

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本堂は斜面に張り出すように建っています。
現在の本堂は平安時代の1096年に建てられ、滋賀県で最も古い建物という解説がありました。紫式部が源氏物語を執筆した部屋というのもあるようです。時代的に再建前のようですが。外陣は淀君の修補だそうです。

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境内は起伏に富んでいて、硅灰石の露頭があります。
硅灰石とは石灰岩が花崗岩と接触し、その熱で変質したものだそうです。通常は大理石に変化することが多いとのこと。
石山寺の名前はこの石から来ています。

以前訪れた那谷寺とも似たところがあります。

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境内には本堂とは別に琵琶湖を望む月見亭や鐘楼、多宝塔など各種の建物があります。

西国三十三ヶ所は、景色の良い特異な場所に建てられているという思いを強くしました。

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2020年1月15日 (水)

長等公園(滋賀県大津市)

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ほぼ1年前になりますが、ラジオ塔の探索のため、滋賀県大津市の長等(ながら)公園を訪ねました。
長等公園は浜大津の南西500mほどの山麓にあり、明治35年に国有林の払い下げを受けて大津市の公園として開園したものです。
先に結果をお伝えしておくと、ラジオ塔は見つけられませんでした。もっとも上のマップを見て分かるように敷地は非常に広いので、「ラジオ体操する場所はこのあたりかな」と目星をつけて回っただけで、全域を回った訳ではありませんので、ないとも言い切れずです。

以下の話は、このマップを参照していただければ多少位置関係が分かりやすいかなと思います。

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公園の一番下から見たところ。
右は滋賀県神社庁ですが、左はおそらく見えている範囲の山まで長等公園です。

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下から順に紹介していきます(実際の回り順は逆でした)。
公園の主要部分は谷に沿って作られており、段々になっていて、いくつかの池をせせらぎがつないでいます。
おそらく後年改修の手が加わって、上の写真のような現代的な庭園になっています。
あるいは石組みは当初からかもしれません。

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下から2段目にある石橋。
コンクリートではなく石橋なので古いのではないでしょうか。

 

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片方は石段になっています。

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橋を下から眺めたところ。
池には鯉が泳いでいます。

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主要部分の一番上の段。とはいえまだまだ序の口。
この公園は桜の名所として知られているそうで、この周りは桜かなと思います。

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振り返ると東屋。新しいものです。

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流れの底には玉石が敷き詰められていて、飛び石や所々の岩などは古いものかもしれません。

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せせらぎの最上部は滝のようになっています。
このあたりも古いかも。

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そして階段を登って振り返るとこんな景色。
向こうに大津市街と琵琶湖が見えます。

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この谷の反対側にはゲートボール場があります。
奥に見えるのは何だろうと近づくと。

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こういう構造物でした。
近づいても何かよく分かりません。

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園内で見かけたやや古そうな柵。
こういうのは残りやすいですね。

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改めて先ほどの階段を登ったところ。
ちなみにここの道、東海道自然歩道のルートの一部になっています。
谷の奥は長等不動尊になっていて、その両脇にさらに上に登る階段があります。

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左側の階段を登っていくと、桜広場というところに出ます。
ここには展望台と平忠度(ただのり)の歌碑「さざ波や志賀の都は荒れにしをむかしながらの山桜かな」が置かれています。
大正天皇御大典記念として、大津市により大正3年に建てられたものです。

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展望台からの琵琶湖。
ここまで登ると結構遠くまで見渡せます。

公園はまだまだ奥まで続きますが、山なので引き返しました。

公園内には、長等創作展示館・三橋節子美術館といった施設もありますが、今回は行っていません。

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再び公園の入口。最後に2つの記念碑を紹介します。
ここに柳谷観音両国寺というお寺があり、境内に「興利養化」と書かれた記念碑が立っています。
後で(というより最近)読んでみると、冒頭に「宇野保太郎君碑」と書かれています。
宇野保太郎という方は、日本の製麻業に貢献された方のようです。明治時代に海外の情勢を見て麻業振興の必要を感じて、近江麻絲紡織会社の設立(明治17年創業)に関わり、北海道製麻会社(明治20年創業)の取締役にもなり、合併により帝國製麻会社(現・帝国繊維(株))になってからも取締役として経営に腕を振るわれた方のようです。この記念碑は彼が大正6年に56歳で亡くなった後、大正8年に建てられています。
日本の製麻業が滋賀県から始まったというのは初めて知りました。

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この公園にはいくつか入口があって、先ほどの入口から東側にもひっそりした階段があります。
その途中、脇に登る階段があって、何か石碑があったので見に行ってみました。

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これも後で確認したのですが、「孝子宇野修自之碑」と書かれているそうです。
明治40年に建てられています。宇野修自がどんな方かというと、大垣の人で、幼くして母をなくし、兄も病気で失って、病弱な父を看病しながら大津地方裁判所の給仕として働いて家計を支えていたそうです。看病と家事と職務に励みながら努力が認められて職員に採用されたものの、22歳の若さで病気でなくなったということです。十年一日という言葉が出ていて、それが言葉通りなら12歳ぐらいから働いていたのでしょうか。碑文は大阪控訴院の部長が寄せていて、22歳の若者にこんな立派な石碑を建てたということに、職場の人の優しさ、彼を可愛がっていたこと、惜しむ気持ちを感じます。先ほどの石碑とは違って、歴史に名を残している人のものではないですが、印象深いものです。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2020年1月12日 (日)

笠岡の海辺の建物(岡山県笠岡市)

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時系列では笠岡住吉のりばから笠岡諸島に向けて出発する前になりますが、笠岡の街の山陽本線より南側をぐるっと回りました。
線路の北側は、前に来たときに回っていたためです。>「笠岡駅前の建物など」 など
線路の南側は、江戸時代以来の干拓地・埋立地で、近代の倉庫などが建ち並ぶ港の風景です。

笠岡駅から港へはいったん線路沿いに東に進んだ後、地下道をくぐっていきます。
地上に出た後、最初に気になったのは、国道2号線に面する住吉理容院でした。
レトロな散髪屋さんらしい扉と窓です。

住吉はこのあたりの地名ですが、ふと思い返すと住吉神社を見た覚えがありません。
あれ?と思って調べてみると、もともと江戸時代に干拓された時にその先端に勧請されたのですが、恐らく明治時代に移転させられて、現在は古城山の麓の神社に合祀されているとのこと。道理で記憶にないはずです。
>(参考)かさおか遊歩さんの記事

干拓地に住吉神社というのは大阪と似ていますね。

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旅客船のりばのあたり、板張りの建物が多いです。
例えばこちらとか。アパートのようです。

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看板建築っぽい商店。
たばこの自販機やペプシコーラの看板があるので、雑貨店でしょうか。

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こちらも古い商店のよう。富士産業と書かれています。
灯油を扱われていたみたい。

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港に古そうな塔がありました。
燈台というには小さいですが、照明用ではありそうです。
石積の雁木もあります。

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港に板張りの事務所がありました。
笠岡渡船の待合所です。磯渡しや海上タクシーで今も営業中です。

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さらに西に進むと2つ近代の建物が並んでいます。
左の和風の建物が駒口肥料店の店舗(昭和12年?)、右が関藤商店店舗(昭和4年)です。
駒口肥料店の方は岡山県の近代化遺産総合調査報告書では住所が違っているのですが、そちらの住所に別にあるのか、誤記なのか不明。

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フォントの大きさがインパクトの大きい関藤謙治商店。
石炭・セメント・煉瓦・土管と書かれていて、明治29年創業の建築資材卸会社です。
現在も関藤商店(株)として、セメント販売を中心に営業されています。

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その関藤商店のすぐ裏には赤煉瓦倉庫がつながっています。
こちらは昭和14年らしいです。意外に新しい。

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そして関藤商店の向かい、跨線橋の下が笠岡市交通公園(現在は西ノ浜北児童遊園地)になっていて、保存車両が1台置かれています。
日本道路公団の立神弘洋夫妻が横浜で交通事故で亡くなられたのを悼み、ご遺族の寄附により昭和43年にできた公園です。
ということは笠岡にご縁のある方なのでしょうか。

保存車両は、車内の解説によると旧井笠鉄道のホジ9号です。
昭和7年に大阪の梅鉢鉄工所(のちの帝国車輌工業、東急車輌に合併)で製造されたそうです。堺ですね。
ガソリンエンジンで、前後に鮮魚台という荷台が付いているのが特徴だそうです。

旧井笠鉄道跡については、前に記事にしました。
>日常旅行日記「井笠鉄道跡」

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中にも入れます。
車窓から関藤商店を眺めながら弁当を食べられるかな、などと妄想。

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その先にある前川製材所事務所。古そうですが詳細不明。
笠岡はかつて桐下駄や家具などが特産だったそうで、それと関係があるのでしょうか。

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前川製材所はかなり広い敷地でたくさんの倉庫が並んでいます。
こちらもその一つで現在は貸倉庫になっています。
岡山県近代化遺産総合調査報告書で、明治45年の木造倉庫があるという記載ですが、どれがそれにあたるのか分かりません。

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ちょっと笠岡市郷土資料館にも立ち寄りました。入館料50円。
1室だけですが、販売の地図や資料などが充実しています。
屋外には江戸時代、笠岡港の船積み・荷揚に従事する浜仲仕が鍛錬し、力を競ったという力石を展示しています。
それで給金が決まったといいますから真剣勝負。

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再び西の浜に戻って、高野山真言宗の光明山遍照寺。
以前、街中で多宝塔とイチョウの木だけが残されているのを見たお寺です。
>日常旅行日記「笠岡駅前の建物など」
昭和52年に土地区画整理事業によりこちらに移転。
多宝塔を移築する予定なので、余裕のある境内です。
山門には仁王像もあって立派なお寺です。

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西の浜は江戸時代から昭和50年までという長い期間をかけて埋め立てられました。
おそらくこの堤防はその途中の名残でしょう。

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残されていた煉瓦塀。
竹原の吉名煉瓦らしき刻印がありました。

この向こうに旧井笠鉄道の関藤社長のお宅があったということで、隣の洋風住宅とともにグーグルストリートビューでは今も見られますが、残念ながら解体されていました。

>(参考)ぼっけえ笠岡「西の浜・倉庫群」

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このあたり土壁板張り、煉瓦、漆喰土蔵と様々な様式の倉庫がたくさん残っています。

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こちらは煉瓦と土蔵の倉庫が並んでいます。ともに第一金属倉庫で、煉瓦が大正10年、土蔵が昭和6年だそうです。

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最後に旧中備素麺同業組合事務所(昭和5年)。組合から笠岡市に寄贈され、現在はNPO法人ハーモニーネット未来(旧子ども劇場笠岡センター)が入居されています。
立ち寄りたかったのですが、船の出発が迫っていたので今回はあきらめました。

西の浜には、街の北側とはまた違った港らしい倉庫・建物の風景が広がっていました。

今回の笠岡の記事は以上です。
読んでいただきましてありがとうございました。

<関連記事>

 日常旅行日記「笠岡諸島へ」
       「古城山公園」
       「笠岡駅前の建物など」
       「隅田川沿いの建物など」
       「井笠鉄道跡」

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2020年1月 5日 (日)

北木島の金風呂(岡山県笠岡市)

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岡山県の笠岡諸島の旅で北木島の話の続きです。
(写真は実際回った順とは異なります)
豊浦からさらに先の金風呂(かなふろ)集落を目指します。
この両集落の間が最も盛んに採石が行われていた地域のようです。

この池、何かなと思ったのですが、バイパス(手前の道)ができたために海が区切られてできた池だそうです。
北木島のトレビの泉という別称まで付けられているらしいです(どれだけ広まっているかは不明)。
捨て石の浄化作用で水が澄んでいるのだとか。

他に今回通らなかった場所で、北木島のベニスと呼ばれる船溜まりもあるらしいです。

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バイパスではなくて山手の道を取ると採石場の前を通って行きます。
こちらは馬城採石場。

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建物の向こうに採石場跡と丁場湖(地下深く掘り進んだ穴に水が溜まったもの)が見えます。

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さらに隣に北木の桂林(今岡丁場跡)という場所があります。
わざわざ書いてあるので一応観光地となっているようです。

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なお、なぜ桂林かというと、削り残されている岩が屹立して、中国の観光地の桂林を思わせるからだそうです。
ここにも丁場湖があります。水深は40mあるそうです。

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別の入口から。
丁場跡には立入禁止のロープが張られています。
逆にいうと、ロープの手前までは行ってもいいのかなと判断しました。観光ののぼりも立っていますし。

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道の脇にはこんなものも。
採石の島らしく、削岩機の店があったのですね。

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さてここから金風呂の集落。
この写真は通り過ぎてから振り返って撮っています。
左手の大きく山肌が削られているあたりがさっき通ってきたところです。
そして右側の湾奥が金風呂の集落です。

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ここには現役の鶴田石材さんの採石場があります。
しかも、奥に階段が見えていますが、観光用に展望台まで設置されています。
ツアーに申し込まないといけないのかなと思って私は今回はパスしていたのですが、予約するか昼休みの12〜13時なら見学できるらしいです(有料)。機会あればぜひ見たいと思います。

>詳しくはこちら→ 鶴田石材HP

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現地に看板があって、実は裏から見るとこんなことになっています。
奇観ですね。

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この方が社長さんでしょうか。
北木石が使われている建物の一部が紹介されています。
大阪だとこの中央公会堂の他に、北浜の証券取引所や南海の難波駅などにも使われているようです。

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現役の採石場なので、こういう標識も出ています。
数字がちょっとイメージできません。

と、以上の採石場(跡)を衛星写真で見ると、こんな風に穴ぼこだらけです。

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さて、金風呂の集落についても少し。
金風呂はなぜか空襲を受けているそうです。
私は通り過ぎてしまったのですが、このストアーつるたの向こう側に昭和20年代後半から昭和42年まで営業していた木造の映画館を転用した「光劇場」があって、上映施設として利用されているそうです。

予約すれば見学できるらしいですよ。
>詳しくはこちら→笠岡市HP

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現在の北木小学校には石の二宮尊徳像がありました。
背面に「紀元二千六百年記念 昭和十五年四月建之 金風呂青年團」と刻まれています。

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せっかく自転車なので、金風呂からもう少し足を伸ばしてみます。
途中、石材の置き場などもあって、「ああ、山羊の石像などもあるのか」などと思っていたら本物で少しびっくりしました。

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ここまで来ると目の前に白石島が見えます。
その向こうに見えるのは本州です。これぐらい近い。

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白石島との海峡は川みたいです。

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こんな標識があって何かと思ったら、海底の水道管がここを通っているという表示でした。
うっかり切ったら大変なことですものね。

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最後にもう一つの丁場湖。
ここは手前が金網になっているので見やすくてお勧めです。
石を吊り下げたのか、簡易なクレーンのような遺構もあります。
自転車でないとちょっと遠いですが。

北木島及び笠岡諸島の記事としては以上です。
この後、大浦港まで戻り、定期旅客船で笠岡に戻りました。
今度は真鍋島まで行ってみたいなと思っています。
次回、笠岡の話が少し続きます。

<関連記事>

 日常旅行日記「笠岡諸島へ」

       「観光の白石島」

       「古城山公園」

       「笠岡駅前の建物など」

       「隅田川沿いの建物など」

       「井笠鉄道跡」

       「石の島・北木島の大浦」

       「北木島の楠へ」

       「北木島の豊浦」

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北木島の豊浦(岡山県笠岡市)

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笠岡諸島の北木島を訪ねた記事の続きです。
レンタサイクルで北木島の西海岸に回り込むと、テクノスケープというのか、採石・加工関連の施設が増えてきます。しかも今まで見てきたものよりも新しく見えます。山も採石による崖が目立ちます。


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こんな風に海岸に工場が並んでいます。
外周道路と海の間には広い空き地があり、ここに石材を積んであったのでしょうか。

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内側にも細い道があって、こちらを自転車で走りました。
工場の裏はすぐ丁場(採石場)です。

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石切場はどこもこんな感じで、崖の手前に池があります。
地下に掘り進んだところに水がたまったもので、すごく深いのではないでしょうか。

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ぽつんと立っていた鳥居。

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豊浦の集落に入るとすぐ、鮮やかな水色の近代建築が目に入りました。

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「公会堂」と書かれた古い額が掛かっていて、ここは豊浦公会堂(昭和9年)です。
現在も使われているようです。

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その隣には旧豊浦幼稚園があります。
見た感じ昭和20〜30年代の建物に見えるのですがどうでしょう。
現在は、NPOのかさおか島づくり海社が入っています。

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広いグラウンドがあって、片隅に備前焼の二宮尊徳像がありました。
刻印を見ると、伊部窯元の興楽園となっています。
大浦の神社で見た備前焼狛犬と同じ窯元です。

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ここには北木島小学校豊浦分校がありました。
明治15年開設で、昭和16年の古い校舎がありましたが、学校統合に伴い平成13年3月末で廃校となり、校舎は解体されて写真左に見える集会所が建てられています。
>出典「想いでの校舎 笠岡市立北木小学校豊浦分校」

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隣接して八幡宮があります。
ここの石灯籠がかなり巨大。

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さらに集落に入っていくと洋風な住宅がありました。
洋館付き住宅の一種と言っていいのでしょうか。

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逆の方向から。
独立した玄関があって事務所っぽいです。

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さらに北木島郵便局。古く見えますが、1957年(昭和32年)らしいです。
>(参考)文化遺産オンライン

出典が昭和32年に撮られた写真ということでもないのでしょうか。

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階段にも石材が使われています。
玄関ポーチ支柱の束石も。

この郵便局、島にとっては大事な意味を持っていて、後で出てくる畑中平之丞という人が、石材を全国に売って行くには郵便局が必要ということで明治31年に郵便局を作り、初代局長になったそうです。

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集落を歩いている面白い塀がありました。
これは舗装に使われるインターロッキングではないでしょうか。
実際、入口にはインターロッキングを敷いています。
こういう風景を見ると産地らしいなと思います。

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共同井戸とポンプ室らしきものもありました。

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港には畑中平之丞(天保14年〜昭和5年)の像というものがあります。
北木石の採掘と販路開拓の祖と呼ばれる方なので、こういう形で昭和54年に顕彰されています。
碑文によると児島湾干拓にも北木島の石が使われたのですね。
彼の尽力により、日本銀行本店、横浜正金銀行、靖国神社大鳥居など数々の有名建築に使われています。

>(参考)北木ノースデザインプロジェクトHP「北木石の先人達」

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最後に豊浦港の遠景。
この港には笠岡からのフェリーが入ってきますので、豊浦に来るならそれが便利。
海岸にある豊浦公会堂の空色は遠くからも目立っています。

豊浦は島の中でも近代建築的には一番見どころが多いと思います。

 

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2020年1月 4日 (土)

北木島の楠へ(岡山県笠岡市)

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年を越してしまいましたが、瀬戸内海の笠岡諸島の旅の話を続けます。
前回紹介した北木島の大浦集落を回った後、島の西海岸にある採石遺構を見に行くため、大浦の旅客船待合室でレンタサイクルを借りました。
1日500円だったと思います。保証金の代わりに帰りの船のチケットを買うことが条件という合理的なシステムになっています。

訪問日:2019年9月8日

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ちなみに帰りの切符。行きの船の切符と違って、昔、国鉄で使っていたような厚い硬券です。
何で違うんでしょう。

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走り出してすぐ石材工場が現れます。
海岸沿いに点々と工場がありました。
前回も触れたように、北木島は国会議事堂などにも使われている花崗岩「北木石」の産地です。
今は輸入石材を加工しているようです。

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石材の加工場跡。
石材を吊すフックが残っていました。

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スナックがあるのも賑わいの証拠でしょうか。
隣の表札には富士真珠株式会社の北木養殖場と書かれています。
真珠の養殖産業もあったのですね。少し調べてみると東京の会社で、元々の養殖場は三重にあったのですが、そちらの品質低下により、新たな養殖場として昭和35年に北木島と宇和島にも養殖場を開設したという流れらしいです。北木島では養殖だけでなく加工も行われていました。

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こういう採石の作業小屋?の跡も所々に見られます。

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これは石切場の跡のよう。
現在、採石が行われているのは金風呂の1ヶ所のみとのことなので、ここは休止しているはずです。

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海沿いの道は、採石遺構とともに、瀬戸内海の島を眺めながらのサイクリングになります。
二つ並んでいる左の島は大島。その右側に一部見えているのが今度行きたいと思っている真鍋島。その向こうが佐柳島(2013年に行きました)。左奥に見えているのは小手島で、その向こうの大きな島が広島のようです(そちらも石材の島)。

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走っていくと岬が見えてきます。
もともと島だったものが陸続きになったように見えます。
その付け根に楠集落と漁港があります。
ここに寄港する旅客船もあります。

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かつての旅館などもあります。
営業中の旅館は前回の天野屋旅館のみと聞いていますので、ここはやっておられないはず。

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楠集落の中心部。漁船が引き揚げられています。

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この中心部は帰りに寄ったのですが、映画のシーンに出てきそうな風景でした。

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こちらの商店などとても雰囲気ありますでしょう。
入ってみたかったのですが、誰もおられない様子だったので(また帰りの船の時間も迫っていたので)、様子を見ただけで立ち去りました。

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中心部には蛭子神社があって、その隣にはまた商店というセットのような風景です。

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行きの時は楠では立ち止まらず、先を急ぎました。岬の反対側も入江になっています。
湾口に杭が並べてあるのは、ネットで調べたところ、一時期金網を張ってフグ養殖をしていた跡だそうです。
出典(聞き書き)
砕石がまかれてあって、ここにも石材産地らしさを感じました。

 

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2020年1月 3日 (金)

住吉大社門前の道(大阪市住之江区)

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昨年のこと、大阪市住之江区の姫松温泉に行く途中、気になる建物を見かけました。ただ、夜中だったのでよく見えません。
住吉大社に続く道沿いにあるということで、他にも何かないか、後日、住吉大社から出発して歩いて行くことにしました。
スタートはここ住吉大社です。

訪問日:2019年12月8日

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振り返って歩き出すとすぐ南海本線の住吉大社駅です。
高架駅をくぐって灯籠が続いています。

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線路の向こうは住吉公園。
公園の中を真っ直ぐ参道が貫いていて、ここにも灯籠が並んでいます。

住吉公園については、以前記事にしたことがあります。
「大阪で最初の住吉公園」2007.8.19

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灯籠をのぞき込むとパイプが出ていて、もしかしてガス灯が仕込まれていたのでしょうか。

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公園を抜けた所には、昭和49年に復元された住吉の高灯籠があります。
とはいえ、この場所ではなくて約200m西側にあったそうです。

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元あった場所の近くに住吉高灯籠跡の石碑が建っています。
灯籠は江戸時代には既にあり、寛政年間(1789-1801)の摂津名所図会にも描かれているそうです。
明治まで度々改修を受けていましたが、戦後、台風被害により木造の上部を解体、基壇石積みも昭和47年に道路拡張により撤去されたと先ほどの説明板には書かれていました。

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左のシャッターの影に石碑があり、現在の高灯籠は突き当たりに見える森の左手前です。

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そのすぐ近くには「剣先船濱口村 立葭場請所 従是北四十五間」と書かれた天保3年の石碑があります。
ぴったりくっついて見えないので、ネットで確認しました。
このあたり、木津川と新大和川を連絡する十三軒堀川の船着き場があったようです。剣先船による物資輸送が主ですが、明治まで住吉詣での船も通っていたそうです。船で来た場合は、高灯籠のあたりから住吉大社に向かったのでしょうか。

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この阪神高速の下が十三軒堀川です。
ここから先(左)は江戸時代の新田、近代の新しい市街地ということになります。

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すぐにあるのが洋館付き住宅。
これは以前にも見たことがあります。

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さらに行くと半分改修された長屋。
左側が古い形を留めています。換気口の形が面白いですね。

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隣の建物を見ると同じ換気口が側面に付いています。
ここも元は一つながりの長屋だったのかもしれません。

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これが確認したかった建物です。
戦前からある住宅らしいです。

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丸窓のステンドグラスは外国の田園風景でしょうか。

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その並びには洋館付き住宅。洋館部が白基調、和館部が黒基調の鮮やかなコントラストです。

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その向かいには印刷工場の建物。
戦前とまではいいませんが、木製サッシで寄せ棟の屋根ですので、1950年代とか60年代ではあるかと思います。

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門前の道に平行して住吉川が流れています。
川とはいいながら、大正10年の地図には「住吉浦」と表記されていますので、むしろ埋め立てられて残った海といった方がいいかもしれません。

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住之江公園の近くの古い文化住宅。
以前、住之江公園を見に来たときに気になった建物がまだ残っていました。

住之江公園についても以前、記事にしています。
「代わりにできた住之江公園」2012.6.1

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この門前の道は新なにわ筋にぶつかって終わります。

門前と言えるのは旧高灯籠までにしても、その先の近代の住宅も参道を意識して飾っていたのかなとも思いました。

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2020年1月 1日 (水)

2020年もよろしくお願いします

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皆さま、新年明けましておめでとうございます。

今年も基本的な方針は変わらず、近代の公園に関することは優先的に投稿していきたいと思っています。
素材はたくさんあるので、ひとつでも多く投稿することが目標です。

写真は昨年、大阪市の東住吉区で撮った宝船の飾り瓦です。
おめでたいものということで。

本年もよろしくお願いいたします。

 

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