2009年7月10日 (金)

初めての北海道(8)釧路の老舗そば店

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釧路での昼食。
どこか面白いところがないかなと探すと、近代建築好きには(一般の観光客にも?)格好の竹老園東家総本店がありました。
旧市街からは丘を挟んで向こう側の、春採湖近くにあります。
私はバスで富士見まで行き、坂を下りました。

上の写真は、坂を下る途中に見た普通の住宅です。
地元では当たり前でも、大阪から来た私には物珍しい。
煙突というと、近代建築か伊達かという地方から来ると、普通に煙突が付いているだけで新鮮です。
ただ、新しい住宅では電化のためか、煙突のないものも多いようでした。

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木の柵にたんぽぽ。
こういう景色にも心ひかれます。

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竹老園東家総本店はすぐ見つかりました。
一般客向けの店舗部分とは別に、(昭和初期の?)石積の武骨な門が総本店の座敷への入口です。

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正面の唐破風付きの建物が、昭和2年にできた主屋です。
建築家は細貝熊吉とのこと。主屋以外の建物は昭和10年以降の増築だそうです。
当時は建物の前まで春採湖が迫り、人家は少ない風光明媚な場所で、蕎麦屋「東家」の当主・伊藤竹次郎の隠居の場として選ばれたはずが、完成後には蕎麦屋を再開して、総本店となったそうです。
(『道東の建築探訪』、p75)

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主屋前に架かる橋は、欄干に木の枝や竹を摸した柱がはさまって不思議な趣味です。

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お店の方にお願いして、建物の中を見せていただきました。
インパクトがあるのが、増築部の廊下が折れる突き当たりにあるステンドグラスです。

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斜めから見れば分かるでしょうか、皿状に凹んでいます。
この部分が特に凝っています。磨りガラスもそれぞれ、いろいろなものを組み合わせていますね。

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廊下は折れ曲がりながら続き、たくさんのお座敷があります(別料金で、こちらでも食事できます)。

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斜面を生かして建てているので、高低差もあります。

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階段も廊下も長く、かなり広いお店です。

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もちろん食事もいただきました(一般向け店舗で)。
奥がソバ寿司、手前が鶏のスープです。
変わってますでしょう。
緑のソバ寿司はさっぱり、スープはこってりした味でした。

東家自体はチェーンで、市内のあちこちで見かけましたが、建築やお庭も見られますし、時間があれば総本店で食べた方がいいかなと思います。


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2009年7月 8日 (水)

初めての北海道(7)釧路の眺めの良い住宅地

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釧路市立博物館から丘の上をたどって歩いていたとき、富士見町で気になる区画を見かけました。

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まずこちらのきれいな建物。
『道東の建築探訪』によれば、昭和20年代に建てられたI家住宅で、釧路市の都市景観賞も受けています。

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向かいの建物は改修の手が加わっていますが、屋根の形といい、似たような雰囲気です。

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その隣の、一番古そうに見えるこちらの建物。
木塀も含めて、古い住宅地の雰囲気を留めています。
このあたりは住宅地としてまとめて開発されたのでしょうね。

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富士見町には、富士見神社もあります。
真っ赤っかのすごいインパクトで、本州の神社とはちょっと違います。

なお、「富士見」の名前ですが、釧路から富士山が見えるわけはなく、「阿寒富士」(阿寒岳)が見えるからだそうです。天気が良ければ。この日は見えなかったのが残念でした。

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同じく富士見の釧路ハリストス正教会は、最初、明治31年浦見に設置され、昭和7年に2代目の教会が建てられていたものが、平成4年に現在の教会に建て替えられています。
この場所の意味を感じさせる教会です。


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富士見のほか、湾を眺める浦見という地名もあります。
このあたりはみな丘の上です。

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弥生町まで歩くと、南斜面に素敵な住宅がありました。

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表に回ってみると、下見板の住宅の妻壁にシンプルな玄関があります。

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このように木の柵に囲まれた住宅というのが、釧路の住宅の原風景ではないでしょうか。
そう感じるだけで根拠はないのですが。
柵の外に花が咲いているのがまた素敵です。

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木の柵のある坂道は延々と海の方まで続いていました。
ここもまたお天気が良ければ海が見えるでしょう。
今回の釧路で一番のお気に入りの場所です。

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弥生米町通を下っていくと、腰折れ屋根の下見板住宅がありました。

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釧路では木柵が多く、あまり石積みを見かけなかったのですが、斜面造成に平たい石を積んだ石垣がありました。

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下見板の住宅はあちこちにあります。
海辺に近い住宅は、南大通の海寄りで見かけた住宅と似ているようです。

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坂を下りきると、目の前を横切って石炭運搬用の線路がありました。

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線路を越えるとすぐ、霧が出てものわびしい海。弁天ヶ浜と呼ばれます。
お天気の良い日に丘上から眺める海は、もっとのどかなものかもしれません。
眺めの良い住宅地から海を眺める休日を想像しました。

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2009年7月 7日 (火)

「前衛都市モダニズムの京都展1895-1930」(京都国立近代美術館)

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京都国立近代美術館で開催中の、「前衛都市モダニズムの京都展1895-1930」を見てきました。
前日がいわば「モダニズムの大阪展1937」でしたから、その前の時代になります。

今回の企画展でメインになっていたのは、まさに美術館のある岡崎公園で開催された第四回内国勧業博覧会です。都市建設と美術の関係、伝統美術と西洋美術の関係などが提示されて、また新しい見え方が現れていました。

例えば建築パース。
初めて試みる人にとっては新しい絵画表現なのですね。
樹木が水墨画のようで美しい。
琵琶湖疎水工事を描いた絵画、図解も興味深いものでした。

日本のモチーフを洋画の構図で描いた絵、
逆に洋画の掛け軸なども、言われてみれば、と影響に気付かされます。
今まで見たことのある絵もあるのだけれど、違って見えます。

第四回内国勧業博覧会(1895年)の展示では、とくに平安神宮の紹介に多くを割いていました。
木子清敬・伊東忠太による設計の図面がたくさん出ているのですが、躍動する青龍と白虎をそのまま池の形にした図面には、思わず航空写真を確認してしまいました。残念ながら明確には分かりません。
伊東忠太のアイデアなのでしょうか。

ワグネルが化学面で指導した七宝、陶芸などの展示は、伝統工芸の伝統イメージを変えるものでした。

京都のまちなかに散在する近代建築のイメージにとどまらず、
京都の伝統というイメージをかなり変えてくれる展覧会になっていたと思います。

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最後に1階に戻ってデトロイト号を見ました。
これだけは撮影可能です。
島津製作所社長が通勤に使っていた電気自動車で、島津家の○に十字の家紋入り。
自宅はインターナショナル建築の島津邸(現・日本バプテスト病院)ですのでかなりモダンな生活を体現しています。(旧島津邸は会期をもって解体と書いてあったような)

この展覧会は7月20日(月・祝)まで。
京都・岡崎公園の京都国立近代美術館で開催中です。

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2009年7月 5日 (日)

初めての北海道(6)釧路の原点

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釧路の旧市街は釧路川の南にあり、岬のような地形です。
前回書きました南大通は岬の北側の平地です。
事前に地図は見ていましたが、実際に訪れるとその起伏の大きさに驚きました。

その丘の先端部に「佐野碑園」という公園があります。
「江戸時代末期、ここに釧路の漁業と交易をすすめる「久寿里会所」があり、明治時代にはこの付近に釧路初の学校の「丸太学校」や「電信分局」も建てられました。また、明治41年(1908年)に釧路に滞在した石川啄木がしばしば訪れた料亭「喜望楼」もこの地にありました。」(解説板より)
いわばここが釧路の原点です。(久寿里=クスリは、江戸時代の釧路の呼称)

 →釧路の歴史について、詳しくは「釧路歴史散歩」を参照

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佐野碑園には、「佐野氏紀功碑」、「久寿里会所の跡石碑」、「丸太学校風休憩所」、「東北海道電信創業記念碑」、「石川啄木歌碑」といった記念碑が並び、ちょっとした歴史博物館です。

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中でも「佐野氏紀功碑」は、昭和10年に立てられたもので、江戸時代末期から明治初めにかけて、久寿里場所の請負人(漁場持)として釧路地方の開発にあたった佐野孫右衛門(1841-89)の功績を顕彰したものです。佐野家は新潟の寺泊から移って代々場所請負人を任じられてきましたが、孫右衛門は、昆布漁業振興、自費での道路開削、川湯の硫黄採掘事業も行い、釧路の発展に貢献が大きかったそうです。(解説板より)

釧路の主な産業は、当初は昆布採取、のちに漁業、道東の産物の集散(雑穀の輸出など)、製紙、枕木の製材、石炭採掘だったそうです。
このうち、漁業については新潟漁民の功績が大きかったようです。


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この佐野碑園のあたりから、岬の周辺に街が広がっていきました。

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米町1丁目には、古い町家を曳家・改造した米町ふるさと館があります。
旧称は渡辺虎蔵家住宅で、海産仲買商の店舗兼住宅です。明治33年(1900年)に上棟された釧路市内最古の町家だそうです。
喫茶併設の資料館ですが、訪ねた時間は閉館後でした。残念。

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米町ふるさと館から米町本通をはさんでその先はまた丘になっています。
丘の上には、米町公園があり、昔の釧路崎灯台の形を摸した米町展望台、石川啄木歌碑(昭和9年)、釧路港修築碑(明治42年に滋賀県からの移住者が建てる)があります。

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ほんとは港や米町を一望できるはずなのですが、これも釧路名物の霧の襲来を受け、なんだかよく分かりません。
佐野碑園や港の方を見ています。いちおう。

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丘の並びには、県社の厳島神社と護国神社があります。
江戸時代に佐野孫右衛門が漁場の安全と大漁祈願のため、安芸の厳島神社から勧請したのが始まりで、元は佐野碑園側の高台(南大通7丁目)にあったものが、明治24年にこちら側の高台に移ったそうです。
住吉神社じゃないんですね。

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さらにその先は寺町になっていて、4つのお寺が並んでいます。
海に背を向けた斜面に街を見下ろすように立っています。
どれもかなり大きなお寺です。

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丘の海側には釧路崎灯台があります。
今は管理棟の建物と一体化して、あまり灯台らしくありません。

霧が出ては灯台の光は役に立たず、霧笛がぼおと鳴ります。
釧路らしい情景、音風景です。
GPSの発達で霧笛は廃止の方向らしいですね。
住民の方には騒音なのかもしれませんが、情緒がなくなるのは惜しい気が。

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米町本通の先には石炭運搬用鉄道の踏切があります。
釧路には国内唯一の炭鉱が残されています(露天掘りを除く)。
釧路コールマイン(株)が、2002年に閉山した太平洋炭礦(三井系)の事業を引継ぎ、中国・ベトナムなど海外への採炭技術継承のために残されているそうです。
炭鉱街は釧路の東にあり、坑道は斜めに太平洋の下に潜っています。
石炭の輸送は、太平洋石炭販売輸送(株)が担っています。採炭施設と積出港を結ぶのがこの鉄道です。

しばらく待ってみましたが、貨物列車が来ることはありませんでした。
めったに動くことはないようです。
太平洋は霧にかすみ、カラスが一羽、視界をよぎりました。

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「昭和12年のモダン都市へ」(阪大博物館)

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「十三のいま昔を歩こう」の記事で開催を知って、
「昭和12年のモダン都市へ 観光映画「大大阪観光」の世界」展を見に行ってきました。
石橋駅(池田市)東の大阪大学総合学術博物館・待兼山修学館で開催されています。

昭和12年に制作された大阪市電気局と産業部による観光映画「大大阪観光」をもとに、そこに描かれたもの、描かれなかったものを多くの資料で見せてくれるものです。
だから映画を観ていることは前提で、この会場でも上映され、多くの方が観ていました。私はあまり時間がなく、以前、大阪・アート・カレイドスコープ2008のときに観ていましたので、展示のみを見ました。展示を見るだけでも、地図や絵葉書、チラシの情報などを読んでいるとかなり時間がかかります。

昭和12年というと、関一市長による大阪市の各種の都市改造が終わった段階です。ひとつの時代に注目した展示なので、時代のイメージをつかみやすいメリットがあります。
三越の手拭いに描かれた都市風景など、大胆に省略されたイメージが印象的でした。

映画を観たときに、一番はっとさせられたのが木津川の水上生活者の姿でした。
水上生活者や煤煙公害といった都市問題についても展示では紹介されていました。

この時代については、街を歩きながら気に掛けていますので、こういう展示が常設であって、時々確認に来れたらよいのにと思われました。

この展示は、7月11日(土)まで開催されています。
開館時間:10時30分〜17時 日祝休館
入館料:無料
皆さんもぜひ。

図録も販売されています。

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待兼山修学館は近代建築で、昨年記事にしていますのでよろしければそちらもどうぞ。

この日はこの後、気になっていた石橋荘園を歩きました。
また後日報告します。

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2009年7月 3日 (金)

初めての北海道(5)釧路の南大通

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今回は釧路の旧市街である南大通周辺を紹介します。
この写真は釧路キャッスルホテルから、南大通の方向を見たところです。
南大通は明治・大正時代の釧路のメインストリートでした。
かつては幣舞通や真砂通などと呼ばれていたようです。


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南大通は幣舞橋から港に向かっていく通りです。

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南大通の前にちょっと寄り道。
明治41年、わずか2ヶ月間でしたが、石川啄木が釧路新聞社勤務のため、釧路に滞在しました。
その釧路新聞社社屋が平成5年に復元されて、港文館という郷土資料館・休憩施設になっています。
※話の流れで実際に回った順とは逆に紹介しています。
 既に閉館後で中は見られませんでした。

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港湾部なので古い蔵も残っています。

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ここから南大通です。
ちょっとレトロな雰囲気の建物がありました。
KAビルディングと書かれています。
もともと北陸銀行釧路南支店だった建物を、南大通の雰囲気に合わせて修景したものだそうで、1994年に釧路市の都市景観賞を受賞しています。
今年1月に南大通ギャラリーという画廊・カフェが入っています。
これからこんなお店が増えたらと、ちょっと期待させられます。

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向かいの坂の途中にある建物は、半屋外の通路が木の手すり・柱で雰囲気があります。

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通りでラスカベツという紅茶専門店を見つけました。
15年も前から営業しているそうです。その頃からフェアトレード製品を扱っていたとのことで、今も無農薬の紅茶やフェアトレードのチョコレートを扱う、かなりのこだわりの店です。
元は祖父母の代から酒屋さんをされていたのだとか。

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こんな洋風の店舗もあります。
残念ながら使われていないようです。

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木枠の縦長の上げ下げ窓で、補修したらかなりきれいだと思うのですが。
軒下の持ち送りは、北海道の特徴でしょうか。

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同様の建物で、(有)キヨエさんという事務所があります。
船具を扱っているそうです。

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やはり軒下の持ち送り。

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この建物などもそうです。

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南大通りから港の方に入っていくと、下見板の住宅などが残っています。

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釧路では瓦の建物はほとんど見かけません。
しかし、他でも見たのですが、なぜかこのような鬼瓦風の木の彫り物が乗せてあります。
鬼瓦の代わりなのでしょうか。

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これも下見板の事務所のようです。
港関係の事務所、倉庫などがあります。

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これは新しいかもしれませんが、やはり下見板の建物。

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これも。

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この建物は押し縁下見板です。
『道東の建築探訪』に載っていて、昭和25年のH家住宅です。
海運と港湾荷役業を営んでいたそうです。
古い港町によく似合います。

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最後に蔵を一つ紹介します。
洲崎町なつかし館「蔵」として活用されている旧佐々木米太郎商店倉庫です。食糧雑貨店の倉庫だったそうです。珍しい瓦葺き。大正4年築の蔵でかなり傷んでいますが、市民有志が地道に補修をしながら郷土資料館に活用されているそうです。

南大通周辺はかつて賑わっていたというのが信じられないぐらいに空き地が目立ちます。けれど、気になる建物はちょこちょこと残っていますし、実際、活用もされはじめているようでした。

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2009年7月 1日 (水)

大阪市阿倍野区の2つの小公園

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阿倍野区で2つの小公園を訪ねました。
いずれも天王寺土地区画整理事業の地区内にある公園です。地区では16の公園が計画され、実現しているものもいくつもあります。

地区の西の端は庚申街道です。
天王寺駅で分断されているので分かりにくいのですが、四天王寺の南門から平野区の長吉川辺町まで続く街道です。四天王寺門前の庚申堂にちなむ街道名です。天王寺駅・阿部野橋駅は出口によって多彩な顔を見せますね。近鉄・阿部野橋駅の東口が、ちょうど庚申街道の線上にあり、私もここから歩き始めました。

最初に気になったのが、JRの宿泊所「安倍乃荘」。
石張りの門柱、石垣、路側の切石が古そうでいい感じです。

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旧街道らしく蔵のあるお屋敷などもあります。
ターミナルのすぐ近くなのに。

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街道から東に外れるとすぐに常盤公園に着きます。
昭和5年に大典記念で設置された区画整理公園です。
公園のために土地を提供するには理由がいったようですね。
南に隣接して常盤小学校分校があります。

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公園の北側の道はカーブしています。
ここにあったため池のカーブのようです。
公園の一部はため池の跡です。

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とくに気になるものとしては、国旗掲揚柱がありました。
天王寺町壽町会によるもの。皇紀二千六百年記念なので、昭和15年頃設置されたようです。


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公園の位置関係はこうなっています。
左側を南北にうねりながら通る道が庚申街道です。

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そのまま東へ、あびこ筋を渡り、三明町に入ります。
ここは古い長屋が建ち並んでいました。

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昭和初期と思われる、うろこ状の銅板に覆われた長屋もあります。

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このあたりには前庭をおいて、開放的な門塀を構える長屋が多いようです。見どころと思ったのは、門塀です。
例えば、2色のスクラッチ風タイルを使った洋風の門塀があります。

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三明町北公園という昭和10年にできた公園を見るのが目的だったのですが、いまひとつ見どころを見つけることができませんでした。
向こうに見える高架は近鉄南大阪線です。


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こういう位置関係です。

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むしろ周囲の長屋が魅力的でした。
この長屋は公園の東隣にある長屋で、とても雰囲気があります。

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長屋をバックに植え込みが映えて、人手がかかっている美しさです。
ここは煉瓦の門柱が立っています。

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またすぐ近くにはこんな長屋も。
同じく開放的な門塀があります。
一軒一軒、使うブロック塀、張る石などが違うのが面白いところです。

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同じ並びの長屋。
門柱や幾何学模様の門扉もいい感じです。

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帰りはJR阪和線の美章園駅に向かいました。
高架下建築もまた古そう。

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美章園駅は昭和6年の開業当初から高架だったらしく、ホームを支える鉄骨が独特の景観を見せています。

周辺にはまだ古い小公園や住宅地があり、また訪ねてくる必要がありそうです。

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2009年6月30日 (火)

大阪の区画整理公園第一号・都島公園

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大阪の区画整理公園の第一号という都島公園(当初は都島小公園)を見てきました。
最初は桜ノ宮駅方面から(桜之宮公園探訪のついでで)アプローチしました。
このあたりは、廃線跡あり、廃河川跡ありで、いろいろ気になるものはありますが、それは省略して、一路公園へ。
公園の隣に自動車教習所があって、公園も教習コースに組み込まれているみたいです。

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都島公園の北側入口から。
子供たち、犬のお散歩などに結構利用されています。

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公園は大きく3つの部分に分かれていて、それぞれ道路で隔てられています。
もとは小さかった公園(884坪)が戦後に拡張されました。
都島土地区画整理事業の記念碑が建つ北側部分が一番古いと思われます。

都島土地区画整理事業は、大正14年に認可され、昭和2年に着工、昭和10年に竣工しました。善源寺町・澤上江町・中野町・東野田町の総面積234892.17坪(約77.7ha)が施行区域です。
(以上、記念碑文より)

ほとんどが低湿な水田で排水工事には苦労したようです。

都島土地区画整理事業は、阪南地区に次いで、大阪市で2番目に認可された土地区画整理事業です。
阪南地区には当初、公園の計画がなかったので、大阪では都島小公園が区画整理公園第一号、というわけです。もっとも都島小公園にしても当初から公園用地が確保されていたわけではなく、昭和2年に昭和大典記念と組合の区画整理記念で設定されたそうです。(丸山宏著『近代日本公園史の研究』)
これ以後、区画整理事業に合わせて、計画的に公園が整備されていくことになります。


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公園の全体はこのようになっています。

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さっそく探訪していきましょう。
まず気になったのが、公園の真ん中にある丸い防火水槽。
昔の水路上にあるようです。

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最近、改めて訪れたときに撮った藤棚。

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南北の公園の間の道も、緑に覆われて実質公園化しています。

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南側の公園部分。これも最近のもの。
光の状態によって随分印象が違います。

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西側拡張部分はうっそうとして、ここだけ人気(ひとけ)が少ないのはなぜでしょうか。

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灯籠のパーツのようなものが転がっていて、ますます気になります。

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阪南の土地区画整理地区は、今も長屋が残ることで有名です。
それなら同時期の都島も、と期待するのですが、残念ながら戦災地図などを見ると全地区が真っ赤。恐らく長屋が建ち並んでいたのでしょう。全て焼失してしまったようです。

公園の北西に、戦後間もないと思われる医院がありました(推測ですが)。
せり出すような窓が付いています。
窓枠はスチールサッシ。

しかし。

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個々に見ていくと古そうな家もあります。
この家などは板壁にセメント瓦です。

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そしてインパクトのあったのが、この建物。
大きな空き地の片隅にありました。
家ではないでしょう。事業所でしょうか。

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凄みがありますでしょう?
入口の曲面、町家風の屋根など、戦前からの建物ではないでしょうか。

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なにより腰までスクラッチタイルです。
横縞のスクラッチタイルを縦に貼っていて、少し特殊ですが。

耐火建築なので焼け残ったのでしょうか。(あくまで推測)
戦災地図で赤く塗りつぶされていると、戦前のものは何もないと思ってしまいますが、実際にはひっそり生き残っている建物もあるのでしょうね。
それ目的に探し歩くのは時間がかかりすぎますが、こうしてふいに出会うことができるとうれしく思います。

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2009年6月27日 (土)

初めての北海道(4)釧路の土着的建築

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今回、釧路で泊まったのは、幣舞橋の南たもとにある釧路キャッスルホテル(HP)でした。
できれば近代建築や古いホテルに泊まれたらと探したのですが見つけられず、なんとなく選んだのがこのホテルです(そういうときはローカルホテルを選びます)。1987年の建築です。
船の形をしたホテルというのは、ふーんと読んでいたものの、毛綱毅曠(もづなきこう。毛綱モン太とも)という建築家の作品というのは後で知りました。
この方は釧路出身で、釧路には多くの作品が残されています。
いつもの近代建築と違って、現代建築を紹介します。

まず釧路キャッスルホテルから。
釧路川を望んで立っています。
船と言えば船ですが、色合いもあって、もっと土でできたような土着的なものに見えます。ちなみに右のモダンな建物は日本銀行の釧路支店です。

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ロビーに入ると、天井には布のドームがあります。
土や布の素材を感じさせて落ち着く空間で、私は気に入りました。

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何段にもなったエレベーターの壁。近代建築にも通じるデザインですね。
「掃除しにくそう〜」というのが最初の印象でした。

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部屋(ツインルーム)はこんな感じです。
2色に塗り分けられています。何でしょう、壁の斜めの段差は。

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天井で2つの色がぶつかる部分に小さな波頭が立っているんです。
芸が細かい。他の部屋はどうなんだろうと気になります。

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幣舞橋をはさんで斜め向かいにある釧路フィッシャーマンズワーフMOO(1989年)も毛綱建築です。
とくに夜、照明が入ると未来的な感じがします。

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丘の上にある釧路市立博物館(1984年)もまたそう。
タンチョウヅルが羽を広げたイメージだそうですが、ここも土を感じさせる(古代的なといってもいいかも)建物です。

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釧路市湿原展望資料館(1984年)も土を感じさせます。
モデルはヤチボウズという植物の塊だそうです。

私は地域に根ざした、個性によらない建物を見て回ることが多いのですが、地元出身の建築家が個性的であったがために、個性的な建物群ができてしまったというのも面白いことだなと今回思いました。

余談ながら、毛綱毅曠氏は丸亀の小学校もつくっていて、さすがバサラの丸亀と感心しました。


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初めての北海道(3)釧路の幣舞橋

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再び道東編。
釧路駅に着いた頃には、北国の長い日も既に沈んでいました。
駅前通は北大通りといい、元はメインストリートとして賑わったようですが、今は商店街という雰囲気でもなく、低い通りに銀行が残っています。

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まっすぐ歩いていくと1kmほどで、釧路川にかかる幣舞橋にたどりつきます。
読めますか? 「ぬさまいばし」です。

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釧路を代表する橋で、その存在は、新潟の萬代橋や松江の松江大橋などに似ているかもしれません。旧市街と鉄道駅のある新市街を結んでいること、古くからあり何度も架け替えられていること、近代のデザインであること、町を代表する橋であることなどが共通するためです。規模は小さいですが、存在は大きい。

大阪を代表する橋というと答えはたぶん分かれますね。
難波橋か、淀屋橋か、戎橋か、それ以外か。
幣舞橋はもっと文句なし、な気がします。

幣舞橋は、その前身である愛北橋から数えると6代目です。
順に紹介すると、

○愛北橋(明治22〜31年)
 名古屋本社の愛北物産会社により架設された有料の木橋。
 全長210m、幅3.6m。当時、北海道で一番長い橋だったそうです。明治31年に崩落しました。

○初代幣舞橋(明治33〜42年)
 これ以降、国が架設し、無料橋に。全長203.4m、幅4.2mの木橋。明治34年には橋北に鉄道が開通したそうです。明治42年に崩落。

○2代目幣舞橋(明治42〜大正3年)
 全長203.4m、幅4.5mのトラス型木橋。橋脚につけられた緩衝機能が仇となり、増水、流木・流氷の衝突、凍上で短命に終わったそうです。大正3年に崩落。

○3代目幣舞橋(大正4年〜大正13年)
 全長201.6m、幅7.2mの木橋で、橋脚部は桁橋・二重桁橋の混合橋(図解しないと分かりませんね)。
 永久橋への架け替えのため、大正13年に役割を終えます。

○4代目幣舞橋(昭和3年〜昭和50年)
 全長113m、幅18.3m。初の鉄橋です。短くなったのは、治水の進展で川が埋め立てられたから(これも萬代橋と似ています)。四隅に花崗岩の親柱、袖高欄、袖柱がつき、4基の橋脚は花崗岩で化粧され、その上にはブロンズ製の小塔が乗っていたそうです。この4代目が、札幌の豊平橋、旭川の旭橋と並ぶ北海道三大名橋のひとつでした。道路拡幅のため、昭和50年に架け替え。

○5代目幣舞橋(昭和51年〜現在)
 全長124m、幅33m。4代目の親柱を存続、高欄意匠も引き継がれました。これに加えて、初めて彫刻が載せられた橋だそうです(道東の四季像)。

 ですので、今の幣舞橋は昭和3年のデザインが基調です。

(以上は、釧路市地域史料室編『街角の百年〜北大通・幣舞橋〜』(釧路新書25)、平成20年第2版を参照しました)


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位置関係を地図で見てみましょう。
南が釧路発祥の旧市街に続く南大通りです。
北が駅からのメインストリート・北大通り。
それを結ぶのが幣舞橋です。

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これが4代目幣舞橋を引き継いだ親柱です。
アール・デコのデザインで、これはよく残してくれました。
突き詰めれば、この親柱が橋のイメージになっています。

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橋を下から見たところ。中央に立っているのが「道東の四季像」4体の1体です。
高欄は四角、円、斜線を組み合わせた幾何学模様です。

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なお、4代目の親柱の頂部は戦争時に飛ばされて川に落ちたものが後に引き上げられ、釧路市立博物館に展示されています。ついでにいうと、博物館の門柱にも幣舞橋親柱のデザインが使われていました。

こういう思い出に残る橋をもつ街は恵まれていると思います。

(追記)
この記事は、釧路新書の釧路市地域史料室編『街角の百年〜北大通・幣舞橋〜』を参照しました。
釧路新書は、1977年に第1巻『東北海道物語』が発行されて以来、現在に至るまで、28巻+別冊が発行されているそうです。
安い値段で発行できるのは、釧路市が負担しているのでしょうか。
市史以外に、こうして継続的に地域の記録に残していく取り組みがあるのは素晴らしいことだと思います。
さっぽろ文庫の例などもありますし、北海道の文化なのでしょうか。
(2009.7.9)

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