2019年10月27日 (日)

石の島・北木島の大浦(岡山県笠岡市)

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初秋の笠岡諸島の旅の続きです。
白石島から次は北木(きたぎ)島に移動します。
今度は高速船のニューかさおかに乗ります。
ニューかさおかは2012年建造の比較的新しい船です。

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すぐ隣の島で、定期旅客船でもたいして時間は変わらないので割高感がありますが、直近の便ということで高速船の利用になりました。

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北木島の大浦港に到着。
名前の通り、開けた湾です。
定期旅客船・高速船は島の東側の大浦港(と楠港)に停まり、フェリーは島の西側の豊浦港・金風呂港に停まります。

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こういう形をしています。(右上方向が北なので注意)
右上に白石島が一部見えています。
この地図で言うと下の大きく凹んだ湾の奥が大浦です。

今回の目的は花崗岩「北木石」の石材の島として有名な北木島の採石産業遺構を見ることで、それはこの地図でいうと上側の海岸に集まっています。
その前に漁業集落の大浦を歩きました。

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さっそく大浦の集落を歩き始めます。
ここにもアーケードを持つ食料品店がありました。
味噌づくり用の糀を売っているのがちょっと特色かも。

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この集落には大きめの諏訪神社があります。
漁業の神様としてでしょうか。

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ここで備前焼の狛犬一対を確認。
伊部の興楽園の刻印があります。


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戦前っぽいデザインの忠霊塔もあります。

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屋根の棟の飾り瓦は左に龍、右に二頭の虎がにらみ合うような構図で、見事です。
白石島の鯛の瓦と同様、龍は波の中に体を沈めている立体的な表現です。

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小川に架かる小橋。石柱や石を切る丸鋸刃の使用済のものが置かれていて、石材の島らしさが出ています。
この丸鋸刃は井戸の蓋とか、あちこちで鉄板代わりに使われていました。
石についても端材らしきものが、家や畑の脇にごろごろしています。
漁業集落とはいえ、石材産業は大きな産業ですので大きく影響が及んでいます。

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シュロの並木に誘われて見に行ったところ、社宅のようなものが2列に並んでいました。
どこかの石材会社のものでしょうか。
サッシは木製のようでしたので、昭和30年代とかかなと思いました。

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こういう面白いものも。
一見、普通の木製の小屋ですが、よく見ると扉の上に「操舵室」と書かれていて、船の操舵室を移築(?)したことが分かります。
陸に上がっても、海上での仕事を懐かしむ気持ちがあったのでしょうか。

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また、歩いていて目立ったのが門柱。
工夫を凝らした石の門柱が多かったのは、やはり石材の島ならではかなと思いました。

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この鉄杭もなんとなく採石場で使われるもののような。

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石塀にはめ込まれた戎・大黒さんの石のレリーフ。
見たのはここだけだったので、風習まではいかないのかな。

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海岸近くの鳥居くぐりの松。

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集落の中心部。消防倉庫のようです。
これも昭和30〜40年代の雰囲気。

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こちらは戎さんの祠です。
囲む壁が煉瓦になっています。
刻印は四弁花でした。

戎さんが多く祀られているのは漁業集落らしいといえます。

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大浦の漁港の船溜まり。正面奥に三階建ての建物が見えますでしょうか。

 

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天野屋旅館といって木造三階建の現役の旅館です。
明治初年の創業で、戦後すぐに三階建てになったらしいです。
このあたりで泊まるならここがよさそう。

だいたい見て回ったので、次の集落に移動します。

ちなみに大浦の北木中学校には、北木石記念室があり、採石産業に関する展示があるそうです。
平日のみ入れますので、平日に訪ねる方はよろしければ。

 

<関連記事>

 日常旅行日記「笠岡諸島へ」

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2019年10月23日 (水)

観光の白石島(岡山県笠岡市)

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笠岡諸島を訪ねた旅の続きです。
最初の目的地、白石島に上陸しました。

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港の前には白石島回漕店と書かれた建物があります。
中は雑然とした感じだったので写真は遠慮しましたが、右手に切符売場のようなガラス張りのスペースがあり、元々はこちらで船の切符なども売っていたのかもしれません。今は小さなプレハブ小屋が切符売場です(白石島に関する郷土史的な調べ物が貼られていますのでぜひご覧を)。

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入り口に「味附海苔と島パンツのお店」とか、「本日おすすめ 白石島特産 桑の実たっぷり マルベリー&ブルーベリーシャーベット販売中」とか書いてあって気になったのですが、誰もいなくて買えませんでした。
お土産ものなどは置いてありました。
島おこしのような活動が行われているようです。

山にほとんど木がなくて、石のごろごろしていた昔の山上での集合写真なども飾ってありました。

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その隣には島の案内地図や記念碑、「名勝白石島」の石柱があります。
とくに石柱は昭和18年と書かれていて、戦前からの観光地だったのですね。

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次の船が来るまでの間に、集落を散策します。
白石島は芸術祭「笠岡諸島アートブリッジ2019」の会場になっていて、この松浦邸のカラフルな糸は展示作品のようです。

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ここで気になったのが棟の瓦です。
瓦のタイ?が泳いでいます。水から頭と尻尾が出ている表現が面白い。

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歩いていくと下見板張りの白い建物が見えてきました。
白石島郵便局の斜め前にあって、旧白石島郵便局(昭和4年)だそうです。

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洋風の瀟洒な建物。明るい島に似合います。

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集落は漁村とはちょっと違う雰囲気の建物が並びます。
切符売場の展示の中に、白石島は江戸時代の瀬戸内海航路の中で、良質の水を産するため、水の補給地点となっていたとか、海の本陣という説明がありました。伊能忠敬も測量の旅の途中、立ち寄ったそうです。

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部活動の合宿中らしき学生とすれ違いながら歩いて行くと、あまのストアという食料品店が。

食料品店は島ではとても存在感がありますね。
食品に限らず必要なものが売られていて、卒塔婆の販売を始めましたという張り紙がありました。

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その向かいにあって心ひかれた理容院。
もう営業されていないと思います。
食料品店前の分かれ道にあって、階段を上がっていく特別感のあるアプローチです。

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腰壁のタイルとかもいいですね。
古い木製の扉も残っています。
これだけでも満足していたのに、

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その先にあった素敵な苅田理容院。
旧白石島郵便局にも似通う窓の白い桟、そして何より現役というのが驚きです。

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その先まで、船の時間まで行けるところまで進んでみました。
高台の小学校に続く道、振り返っての写真。
左手の湯気抜きのある建物は何の建物なんでしょう。

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この道は昭和6年に改修されたということで、道路改修記念碑が立っていました。

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このあたりから白石島の石がごろごろしている山が見られます。
この石が白く輝く様子が白石島の名前の由来だそうです。
時間があったら登ってみたかったところ。この日は次に北木島に行く予定があるので、眺めるだけにしました。

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その山の下に開龍寺があります。
神仏習合の跡か、境内に荒神様、四社明神様など神社も混在しています。

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この狛犬とてもシュッとしてます。お見事な腕前です。
開龍寺や神社を歩き回る時間まではありませんでした。


後ろの看板は、阿波徳島23ヶ所霊場の案内図です。
この鳥居から山上を巡ってまたお寺に降りてくるコースになっています。
四国八十八ヶ所のうちの阿波23ヶ所にちなんだ祠か石仏が配されているのだと思いますが、なぜ阿波徳島だけなんでしょうね。
大正末期1925年に建て始めて、70年の空白を経て平成8年に完成と書かれています。

船が途中に寄った神島には江戸時代に島四国八十八ヶ所霊場が開かれています。

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まだ船の時間があるので、低い峠を超えて西側の浜にも出てみました。
途中で見かけた瓦の塀。

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瀬戸内海を望む白石島の海水浴場。
この日もバーベキュー客などで賑わっていました。

あまりのんびりするわけにも行かず、海水浴場を見たら急いで港に戻りました。
白石島は笠岡諸島の中では観光客の多い島で、訪ねやすいと思います。

 

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2019年10月14日 (月)

笠岡諸島へ(岡山県笠岡市)

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6月に岡山県の笠岡に立ち寄りましたが、その時に行けなかった笠岡諸島に行くため、青春18切符の最後の一枚を使って再び笠岡にでかけました。非常に暑い日でした。

上の写真は笠岡港(住吉)です。
正面に前回訪ねた古城山(公園)が見えています。

訪問日:2019年9月8日

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笠岡駅から地下道をくぐって約5分、笠岡港の住吉のりばには、「みなと・こばなし」という名前のきれいな旅客船ターミナルが建っています。ちょっとした地域特産品売り場もありました。
笠岡諸島への定期旅客船はここから発着しています。フェリーは10分ほど離れた伏越のりばから発着しています。

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住吉のりばの横には「国立公園入口」と書かれた石柱が海に向かって建てられています。
ここが瀬戸内海国立公園の玄関口ということでしょうか。
(帰りに撮りました)

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笠岡諸島への航路図です。
船のタイプとしては3種類、定期旅客船の普通船と高速船、フェリーがあります。
定期旅客船は三洋汽船のみで、フェリーは三洋汽船、金風呂フェリー、大福フェリーの3社が運航しています。

おおまかに言って、高島・白石島・北木島・真鍋島に行く系統と、飛島・六島に行く系統(普通船のみ)があります。
今回私が乗ったのは前者のみ。

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時刻表はこちら。フェリーも含めれば結構便数はあります。
土曜日の1便ずつだけ、真鍋島から香川県の佐柳島までつながっていて、そこから多度津まで渡れることになります。

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まず普通船で白石島まで行くことにしました。

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乗るのはこの船、ぷりんす号です。定員110人。

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次に止まる島にランプが灯るようになっていて、アナログな感じが良いです。
船は1997年の建造と表示されています。

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船室はなんとなくホテルのような雰囲気。
冷房も効いていますし、ほとんどの人はこちらに座りますが、窓ガラスが曇っていたので、私はデッキの方にいました。

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こちらがデッキ。各島に運ばれる荷物などが置かれています。
「みなと・こばなし」で容器置き場を見ましたので、給食も船で運ばれたりするみたいです。

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三洋汽船は笠岡が本拠地なので、待機中のいろんな船が係留されています。
こちらは多度津から佐柳島を運航していた新なぎさ号。6年前に高見島・佐柳島に行ったので、乗ったことがあるかも。

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瀬戸内クルージングのフェリー、ゴールド・フェニックスも。

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船はしばらく静かな湾内を走り、橋のかかる瀬戸を通過します。
ここは元々島でした。

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最初の寄港地は神島外浦港。
元々は島だったのですが、広大な埋め立てによって地続きになっています。
ここに車を停めて船に乗る人も多いようです。

慣れたもので、ここはタッチ&ゴーですぐ出港。

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少し離れて見た神島。
外浦には小さな丘があって、ここに洋館があったらとても似合うと思いました。
お寺が建っています。

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次の寄港地は高島。
スパッと切られた採石跡のところに船着き場があります。

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高島港を出た船はぐるっと高島を回り込みます。
南側にも石切り場の跡が見られました。
このあたり島が密です。

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すぐに見えてくる白石島。
正面は海水浴場の砂浜なので、船は反対側に着きます。

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退屈する間もなく、35分で白石島に到着しました。

 

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2019年10月 1日 (火)

ブログ14周年御礼

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当ブログは9月10日に14周年を迎えました。
辛抱強く見ていただいている方々、たまたま検索でたどり着いた方々、ご覧いただきましてありがとうございます。
この記事は1130本目ですので、この1年で36本の記事ということになります。
これでもここ数年ぶりの本数(多い)です。

 

最近、古いものから先にとかのこだわりを捨てて、書きやすいものから書いています。
せっかく取材したのに出さなければ意味がないので。

 

最近メインにしている近代の公園の記事にしても、京都とか名古屋とかかなりたまっています。
なんとか記事にしていきます。

 

このペースで厚かましいですが、コメントいただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。

 

上の写真は、今年の9月8日に訪ねた岡山県の白石島の理容院(現役!)です。

 

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2019年9月 1日 (日)

宇多津の波千鳥再訪(香川県宇多津町)

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今年の秋に「小さな千鳥展」を開催しようとしていることもあり、2013年に訪ねてとても気に入っていた波千鳥の瓦を見に、香川県の宇多津を再訪しました。宇多津は中世以来の港町でしたが、塩田が発達してその後市街化したため、海は遥か遠くになり、古来の町は古街と呼ばれています。

訪問日:2019年7月28日

波千鳥の瓦の家はその中にあります。

が、近づいて見てみるとなんだかおかしい。
波千鳥の瓦はありますが、真新しく銀色に光っているんです。
改修された?混乱しながら見ているとちょうど家の奧さんが出てこられました。

「この瓦を見に来たんです」とお伝えするといろいろ教えていただけました。
屋根の傷みがひどくなってきて、落下すると危険ということで、3年前に改修されたそうです。ただ、この波に千鳥の瓦はとても気に入っておられたので、費用はかかったけれど、全く同じ形で焼き直してもらったそうなんです。(元の瓦は処分されたとのこと・・・)

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この写真で2階の一番下の部分、端から端までですので、10mはあります。
なかなかそこまではしませんよね。

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2013年の様子。てっぺんにあった帆掛け船の瓦は降ろされました。
隅にあった戎・大黒の瓦はそのまま残されています。

新旧の波に千鳥の瓦を比較してみます。

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<2013年>

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<2019年>

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<2013年>

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<2019年>

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<2013年>

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<2019年>

オリジナルの方がやはり良いのではとは思いましたが、よく再現されています。

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また北側の波に鯉の瓦に

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南側の松の瓦も再現されています。

仕上がりが白っぽくなったのは予想外だったそうです。
年月を経れば落ち着いてくるでしょうか。

このお宅はこれでも分家で、明治20年頃に建てられたそうです。
見せていただいた資料によれば、問屋(肥料、醤油、味噌)を営んでいたとのこと。
大学の先生が訪ねてきたり、見学会が開催されたこともあるそうです。私も見せていただきましたが、石畳の敷かれた中庭があったり、モダンなデザインの家具があったり、2階から大戸が降りてくる仕掛けがあったりと、素敵なお宅でした。

突然の訪問にも関わらず、暖かく対応していただいてありがとうございました。

また、宇多津で前回見落としていたものも今回見ましたので紹介しておきます。

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竹薮のトラ。右手を挙げて威嚇する迫力ある姿です。
竹もタケノコが混ざっていたり、生き生きした表現です。

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同じ家の鷹の瓦。こちらも威嚇してきています。
松と竹も添えられています。

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こちらは別の家ですが、天女の瓦。
香川県の瓦は細工が見事です。
高見島の瓦を思い出しました。

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こちらは坂出で見たのと同タイプの面格子。

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出窓下の持ち送り。こちらは松・竹です。

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同じ出窓のもう一方には梅。
これで松竹梅になります。

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前回も見た新町水門(昭和30年)を越えて、今回は坂出まで歩くことにしました。
そんなに距離はありません。

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途中で見かけたお風呂屋さんの跡。
うっすら宇多津温泉の文字が見えます。

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少し寄り道したところにあった消防団の車庫。

千鳥の瓦については思わぬ結果でしたが、宇多津についてはまた今後も訪ねたいと思います。

 


より大きな地図で 瀬戸内国際芸術祭2013 を表示

 

<関連記事>
 日常旅行日記「夏の香川・島めぐり(11)宇多津の旧市街」
       「夏の香川・島めぐり(12)宇多津の波千鳥」
       「夏の香川・島めぐり(13)宇多津のディテール」
 以上、2013年の記事



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2019年7月20日 (土)

西町公園・白鳥西公園(名古屋市熱田区)

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名古屋市の公園めぐりの続きです。
前回の神野公園に続き、熱田区の西町公園を訪ねました。

西町公園は、『名古屋の公園』(昭和18年)によると、西郊土地区画整理組合によって設置された公園で、昭和14年に寄附され、同年11月10日に開園しています。広さは3672.59㎡。施設にはブランコ、滑り台、国旗掲揚柱があり、桜などが植えられたそうです。

訪問日:2018年10月8日

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公園名は公園入口の真ん中に、手書き風の文字で刻まれた自然石として置かれています。
大きくはないですが。

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この公園で気になったのは「工場殉職者之碑」です。

「生前衆ノ模範トシテ職務ニ精励シ拮据産業ニ貢献スル所アリ
 不幸ニシテ終ニ其ノ職ニ殉ス
 真ニ感激痛悼ノ至ニ堪エズ
 乃チ愛知県下工場主並ニ従業員一同資ヲ醵シ碑ヲ営ミ
 以テ深ク哀弔ノ意ヲ表シ永ク英霊(ノ)冥福ヲ祈ル
 昭和十年乙亥四月               」

と書かれています。

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また裏面には、

「題 字 愛知県知事正四位勲三等 篠原英太郎
 撰 文      従五位勲六等 石田元季
 書 者         移山  佐分清之
 建設者 愛知県工場会           」

と書かれています。

工場で事故に遭った人を合同で慰霊しているのでしょうか。

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碑の横には石の橋のようなものがあってこれも気になります。
庭園のようになっていたのでしょうか。

古そうなのは以上で、後は比較的新しそうなものです。

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飛び石の遊具。

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ここにも個人的グッドデザインの水飲み場がありました。

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回転するジャングルジムもあります。

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こちらは幾何的な山型遊具。

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ベンチは木のシンプルなベンチがありました。

ここから南へ、白鳥西公園をめざします。

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途中、渋い木造アパートがありました。
成田荘と書かれています。
ネットで建築年は1963年(昭和38年)というデータが出ていました。

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玄関周り。装飾が多い訳ではないですが、直線的なデザインの中、玄関両脇に鉄平石を貼っているのがアクセントになっています。

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このあたり、和風の長屋がたくさんありました。

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白鳥西公園に着きました。
こちらも天然石に公園名が彫られています。
何となく書体が西町公園より新しく感じます。

白鳥西公園は、『名古屋の公園』によると白鳥線土地区画整理事業の際に整備されたもので、広さは2397.59㎡。昭和13年に寄附されて、同年12月12日に開園しています。公園には檜などが植えられ、施設として二人用ブランコ、滑り台、藤棚、露壇等があると記載されています。

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現在の公園はこんな感じ。置かれている遊具は新しいものです。
残念ながら古そうなものは確認できませんでした。

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公園と一体的に熱田社があります。この神社に合わせて公園を置いたのでしょう。
実はここが熱田社になったのは明治維新の時で、それ以前は三十番神だったそうです。
下記のページによると全国の有力神社から神様30柱を集めて、日替わりで1日1柱の神様に守られるという信仰だそうです。明治の神仏分離令の際にこの教えが禁止されて熱田社になったとのこと。
三十番神というのは初めて知りました。

→参照:名古屋神社ガイド「熱田社(二番町)」

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昭和●十二年(32年?)に薪炭商店に寄附されたかがり火の柱。

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公園隣の民家に公園に向けて時計が設置されていました。
こういう配慮いいですね。

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もうしばらく周囲の長屋などを見て回りました。
下見板張りの長屋です。

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こういう長屋が残っていて、周囲は落ち着いた住宅地でした。

熱田社の南側は幹線に面していて賑やかです。

 

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2019年7月17日 (水)

井笠鉄道跡(岡山県笠岡市)

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笠岡のまちを歩いていると路地と交差してゆるやかにカーブする道。
これはもしかして?と思ったらやはり線路跡でした。
隅田川とはだいたい併走しています。

大正2年に営業を開始した井笠鉄道(当初は井原笠岡軽便鉄道)の跡です。
内陸の井原と笠岡を結んでいた鉄道だそうです。
廃止されたのは昭和46年なので意外と長く走っています。
軽便鉄道なのでこんなに線路跡も細いのですね。

鉄道関係は詳しいページがたくさんあるので、ここではさらっと現況を紹介します。

訪問日:2019年6月30日

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同じ交差点を逆方向に。こちらが笠岡駅方向です。

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笠岡山の山号を持つ威徳寺の門前から見下ろす。
この横切っている道が線路跡です。
踏切があったのでしょうか。

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しばらく進むと線路は高い所を走っていきます。
線路跡脇に3階建ての民家。

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さらに進むと石碑が見えてきました。

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表にはシンプルに「記念碑」
裏面には「道路新設世話人 昭和九年一月」その下には発起人12人の名前が並んでいました。
右手前の道が県庁通りに続くので、その道のことでしょうか。

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この近くに江戸時代の郷学「敬業館の跡」というものがありました。
寛政10年(1798年)にできて、明治16年まで存続したそうです。

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その一部、塾舎の一つが復元されています。

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線路跡に戻って、このあたりはまっすぐ。
多少の盛り土の上を走っていて、元々の道と並んでいます。
他の方のページを見ると、この先、鬮場(くじば)駅というのがあって、車庫もあったらしいのですが、1980年に放火により焼失という悲しい話が出てきます。

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このあたり建物の裏側をずっと。
町外れになってきたので、ここまでとしました。

ずっと先ですが、笠岡市井笠鉄道記念館というものがあったり、笠岡駅南の西ノ浜北児童遊園地には昔の車両が展示されているそうですので、ご興味のある方はどうぞ。

HP「井笠鉄道記念館」

今回の笠岡の紹介はここまでとします。
実は今回歩く時間がなかった、駅の南側の街(港)にも見どころがたくさんあるらしいですが、それはまたの機会とします。
北木島や白石島にも行ってみたいですし。

<関連記事>

 日常旅行日記「古城山公園」

       「笠岡駅前の建物など」

       「隅田川沿いの建物など」

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2019年7月14日 (日)

隅田川沿いの建物など(岡山県笠岡市)

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笠岡の街歩きの続きです。
再び称念寺橋からです。
この下を流れるのが隅田川です。
この隅田川を上流に向かって歩いて行きます。

訪問日:2019年6月30日

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川を遡る前に少し下流側。
ちょっと変わった建物がありました。
壁面が石貼りでアールになっていて、一部タイル貼りです。
関藤建設株式会社と書いてあります。
施工技術の宣伝も兼ねてのものでしょうか。

もしかして石材は北木石?

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改めて隅田川を上流へ。
隅田川には所々石橋が架かっています。
かなり昔からありそうです。

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変わった壁面のお宅がありました。休憩所のような設えで、所々本業タイルなどもはめこまれています。
お店なのかと思って伺うとお店ではないそうで、10年ほど前に(日本)鋼管の耐火煉瓦が県北で売りに出ていると聞いて買いに行き、工務店で施工してもらったそうです。日本鋼管は今はJFEスチールになっていて、笠岡やすぐ隣の福山の埋立地に巨大な工場があります。
地元にちなんだ素材をこうして活かしてるのは良いですね。

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本業タイルは20年ほど前に入手したとのことでしたが、出所の詳細は不明です。

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隅田川の東側、少し入ったところにあった住宅。
下見板張りです。元は工場ではないでしょうか。

 

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ここは元商店でしょうか。
短いアーケードがかかっています。

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川は県道34号線を渡ってまた北上します。
このあたりからしばらく、川の両岸がきれいに修景されています。
大仙院の前に架かる大仙橋。
親柱と欄干が古くて、明治45年と書かれています。

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川沿いに祠もありました。
水神さんでしょうか。

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古そうな町家。
2階の腰の部分に漆喰で枝のような模様が描かれています。
この地域ではこの部分の装飾に凝っているのかもしれません。
鞆の浦でも各種見ました。

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ちょっと隅田川から逸れますが、こういう連続模様があったり

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こういう松皮菱の模様も見ました。
なまこ壁の変形と言えるでしょうか。

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さらに上流に進むとノコギリ屋根の工場。

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ここで旧道と隅田川がクロスして分かれます。
さらに別の道も交差しているので、欄干が双曲線を描くように配置されていて橋らしくなくなっています。

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橋の親柱や欄干は昭和初期っぽいですが、橋名の板が金属供出されたのか名前はありません。

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旧道が分かれているような場所がありました。

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石橋がそのまま使われています。
この先は町外れになっていくのでこのあたりまでで引き返しました。

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おまけ。笠岡で見かけた瓦。
菊の花が立体的な透かし彫りになっていてとても繊細です。

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 日常旅行日記「古城山公園」

       「笠岡駅前の建物など」

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2019年7月13日 (土)

笠岡駅前の建物など(岡山県笠岡市)

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笠岡の話の続きです。
JR笠岡駅を降りると駅前にあったのは区画整理された街。
どちらに行って良いものか迷います。
少し先に歩いて目についたのがこの建物。
装飾や縦長の窓が古さを感じさせます。
カフェモヨラと書かれていて、フリースペースらしいです。

訪問日:2019年6月30日

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角の装飾のアップ。装飾は洋風ですが、屋根は日本の瓦です。

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カフェモヨラの前の通りを東に向いたところ。
この通りが旧街道筋=メインストリートのようです。

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そこでその道を西に進んでみることにしました。
広幅員の県道34号線を越えるところで気になる建物が。
交差点に向かって壁面が逆アールを描いています。
ただ、傷んでいて柵に囲まれていますので、次に来たときにはないかも。

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同じく、隣の角には新しそうな建物で、やはり逆アールの壁面です。
反対側の二つの角は普通の建物でしたが、かつては円形の広場的な空間を作っていたのでしょうか。
見たところ、この県道34号線が区画整理地区の境目のようで、この先、急に細く趣きのある道になります。

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この建物は正面に何か紋章のようなものが付いていた痕跡があります。

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こちらの看板建築っぽい建物。
先ほどのカフェモヨラと共通性を感じさせる装飾が付いています。
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ただし、なんとなく和風。2羽の鶴に波、上は花菱です。
花菱は家紋でしょうか。

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さらに進むと昭和初期風の橋が現れました。
称念寺橋と書かれています。建設年は書かれていません。

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片側がぐっと開いているのが特徴的です。
こちらの道も大事ですよと示しているようです。
この川は隅田川です。大事な川のようなので、次の記事ではこの川筋をたどります。

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この先、街道はクランクして続きます。
井戸に隣接してレンガ積みの防火水槽(たぶん)。

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昔お店だったと思われる建物。
この先で旧街道はJR山陽本線をくぐり、建物もまばらになっていきますので、ここで引き返しました。

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(この間、あちこち歩き回りましたが)
カフェモヨラから旧街道を逆に東に向かうと、区画整理地区が切れたところにこの建物があります。
笠岡チボリというパン屋さん。情報が出てこないのは、営業されてないのでしょうか。

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ここも似たような洋風の装飾があります。
○の左が切れていて高というのは昔の屋号でしょうか。
「岡山県の近代化遺産」によると昭和20年の木造建築です。

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この先は東本町えびす通り商店街で、古い街並みが続きます。
こちらの池田時計店は、売り物だったのか、展示なのか、カメラがビニールに包まれて並んでいます。

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商店街の終わり近く、魚宮という魚屋さんがあります。
見方によっては古いのかもと思わせるモダンデザインです。

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商店街を振り返ったところ。
つい最近、平成30年2月まで笠岡で最後のアーケードがあったそうです。
他のアーケードは区画整理事業に伴って、平成10年前後に撤去されたといいます。

なお、この街道筋を先に進むと、前回記事の古城山公園の入口に出ます。

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街道から少し外れた所にも近代建築があって、こちらは日本基督教会笠岡教会。
「岡山県の近代化遺産」によると、明治26年建築、設計は浅野富平・小林芳太郎、施工は小林芳太郎とのことです。
たまたま通りがかりましたが、塔屋が45度ふっているのが、何これと目をひきます。
どういう意図なんでしょうね。

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最後にもう一つ気になったものを。
公園の中にぽつんと多宝塔。
実は区画整理事業で昭和52年、ここにあった遍照寺が西の浜の埋立地に移転し、多宝塔は隣のイチョウの木とともに取り残されたのだそうです。
もともとお寺は鎌倉時代末期の元弘年間にこの地に移されたと言われ、多宝塔は慶長11年(1606年)に建てられて、隣のイチョウもその時、記念に植えられたものらしいそうです。亀腹が瓦葺きなのは、明治時代の改変らしいという説明もあります。
将来的にはお寺に移される予定とのことですが、貴重なランドマークですし、周囲を整えてこの場所でも良いような気もします。

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 日常旅行日記「古城山公園」

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2019年7月12日 (金)

古城山公園(岡山県笠岡市)

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先日、尾道でトークショーを聴いた帰り、岡山県の笠岡市に立ち寄りました。
そこそこ大きな、行ったことのない街ということで、いつものように下調べせずの訪問です。

訪問日:2019年6月30日

線路の北側を一通り巡った後(その話は次回)、景色が良くて、サル舎がある古城山公園というのがあると知り、行ってみることにしました。動物舎のある公園は古い公園が多いので。

ただ地図を見てもどこが入口か分からず、とりあえず旧街道を山に向かって歩いて行くと、鳥居と山に向かう階段がありました。
この参道、JR山陽本線を越えながら高架道路をくぐるという変わったルートになっています。

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参道の手前左には手水舎。井戸もあります。
手水鉢が面白い形。

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そして、参道狛犬として岡山県らしく備前焼狛犬があります。
妙なバランスに見えますが、ひざを立てて前足を置いてます。
裏側の銘を見ると天保九年(1838年)の作です。

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参道を登っていって振り返るとこんな感じ(写真は帰りに撮りました)。
かなり急で、下りは手すりをもたないと不安です。

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古城山稲富稲荷神社の拝殿。
弘治元年(1555年)にこの山にあった笠岡城の城主・村上氏(いわゆる村上水軍の一族)によって城内の鎮守として勧請されたとのこと。
現在の拝殿は文政2年(1819年)に再建されたものだそうです。

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境内で目を引いたのがこの亀趺。
宝珠に干鰯仲買中の文字が刻まれています。
階段の登る途中にも干鰯の文字を見ました。
このあたりの有力な産業だったのでしょうか。

ここから山頂へは拝殿の右からでも左からでも登れます。
左から登った方が道が良いです。

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左の道を登っていくと、途中、芭蕉の句碑があります。
隣の案内板によると「世の中はさらに宗祇のやどりかな」と彫られています。
安永8年(1779年)に立てられたそうです。

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またその隣には、宗祇の休石というのがあります。
連歌師の宗祇が明応3年(1494年)に山口に向かう途中、笠岡の陶山一族を訪ねて「山松のかけやうきみる夏の海」と詠んだという説明があります。石碑は寛保2年(1742年)です。

それぐらい、古くから名勝だったのですね。

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さて、山頂に登ると、こんなグラウンドのような場所になっています。

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こちらの説明板を読むと、明治40年末に、なんと埋立用土砂採取のために削られて城の遺構が消滅してしまったそうです。
笠岡市のHPによれば、経緯としては明治39年に保安林として官有地が払い下げられ、明治40年に山頂部が削られ、明治42年2月18日に保安林解除、8月31日に笠岡町の公園となったという流れになります。明治42年に開園した非常に古い公園です。

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公園の一角には恐らく展望台として削り残された岩山があります。

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裏側には日本庭園があり、石橋なども架かっています。

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入口には古城山という記念碑。

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側面には「岡山縣十勝地 昭和十年十一月 山陽新報社選」という金属プレートがはまっています。
「岡山県十勝地」って何かな?と思って調べると、岡山県立図書館が質問に答えているものがありました。

岡山県立図書館「岡山県十勝地について」

山陽新報社という新聞社の企画で、昭和10年に県内の十勝十五景の投票を行ったそうで、その結果を引用しておくと下記の通り。

  10,502,570票 鹿久居島(和気)
   7,344,577票 吉備津彦神社(御津)
   5,522,521票 天王山(和気)
   5,020,922票 高松常昌院瀧(吉備)
   4,979,351票 少林寺山(岡山)
   4,861,750票 井原の櫻(後月)
   4,762,763票 笠岡古城山(小田)
   4,276,528票 福山城址(都窪)
   4,022,049票 酒津水門(都窪)
   3,617,329票 三野公園(岡山)

笠岡の古城山は第7位です。
それにしてもトップの鹿久居島は1000万票超え、古城山でも500万票近くで、投票の白熱ぶりが伺えます。

また、選ばれた十勝地には金属製記念額を贈ったということで、さっきのプレートがまさにそれですね。

以前、徳島の鳴門の小鳴門公園で、昭和3年、徳島日日新聞が主催した大典記念の徳島名所十五景の記念碑を見ましたが、この頃、各地で同様の投票が盛んに行われていたのでしょうか。

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この岩山に登るとなかなかの眺めです。パノラマで。

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もう少し拡大するとこんな感じ。
この先にも新しい展望台があります。
向こうに見えるのはJFEスチールの巨大な工場とその先には鞆の浦の仙酔島?

手前には緑の土地が広がっていますが、実はこれ埋立地なんです。

試しに戦後の埋立地をブルーに塗ってみるとこんなことに。
海辺の街だった笠岡がすっかり内陸の街になってしまっているのが分かります。
また今は地続きの神島地区が大きな島だったことが分かります。

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さて、古城山公園の探索を続けます。
こちらがサル舎。数匹のサルがいます。

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東屋は何カ所かありました。

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古城山公園でも特異なのは東側のこの一角です。
戦争の慰霊碑などが集まっています。
この門柱は紀元二千六百年記念(昭和15年)に建てられたものです。

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こちらの招魂碑は明治34年なので、日清戦争の戦没者を祀っているようです。
他に征清記念碑(明治31年)や日露戦役記念碑もあるようですが、この時は見落としていました。

明治期以来の公園らしく、石碑類がたくさんありました。
何より眺めがいいので、機会ありましたら訪ねてみて下さい。
車で上る道もあります。

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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