2020年5月26日 (火)

橘土地区画整理事業と立花駅(尼崎市)

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昨年夏から今年にかけて、以前から気になっていたJR立花駅(尼崎市)のあたりを探索しに行きました。
このあたりは昭和初期、橘土地区画整理事業によって開発された地域が、立花駅を中心に広がっています。

駅南側の広場には大きな楠(?)があり、その足元に記念碑が立っています。

訪問日:2019年8月31日、9月16日、2020年1月4日

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こちらの「土地區劃整理整理記念碑」と書かれた石碑です。

 

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 裏側には「事業の経過」として橘土地区画整理事業の経過が書かれていて、昭和15年に建てられたことが分かります。
 せっかくなので全文を記しておきます。

 


        事業之経過

昭和八年八月二十五日 立花駅設置請願採択
同  年十一月十五日 土地区画整理組合設立認可
同 九年七月一日   工事着手
同  年七月二十日  立花駅旅客取扱開始
昭和十年十月十日   工事完了
同十四年五月三日   土地区画整理換地処分認可
同  年七月二十四日 同 賃貸価格配賦済
同  年十月十一日  同 登記完了

本事業は省線立花駅の開設を主眼とし、駅の周囲部
十八万五千坪に亘り土地区画整理を施行せしものに
にして祖先伝来より耕耘し来りたる農耕の地を利用
方法を変じて宅地となす画期的事業なりしも、幸い
所期の目的を達成し得たり。茲に事業経過概要を録
して記念とす。

昭和十五年七月吉日 橘土地区画整理組合
             


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  送りがなはカタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  不正確かもしれませんので参考程度にご利用下さい。

ここに概略が書かれていますが、新駅を誘致して周辺を宅地化する開発方法を戦前に実施したということです。

Web版「図説 尼崎の歴史-近代編」の「新しい住宅地の形成」には、もう少し詳しい経緯とともに、図版などが紹介されています。

また、尼崎市立地域研究史料館の第37巻第1号(2007年)には、巻頭グラビアとして「立花駅の新設と橘土地区画整理事業」の記事があり、そこに開発当初の写真がたくさん出ています。

とくに橋の写っている写真に添えて「当時の住宅地販売パンフレット『橘案内』には「モダン小橋を架設して風致を添えた」と記されている。このとき架設されたものは現在も区画整理地区内に見ることができる。」とのキャプションがあり、実際、この橋は現地で見ることができます。

水路にかかる小橋は3タイプ確認できました。

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まず最初はこちら。道路側から見ると家形の凹みに穴が開いたデザインです。

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水路側から見ると凹みは五角形と三角の組み合わせになっていて、むしろこちらの方が正面のようです。

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2番目は分割されたアーチ型のデザインです。

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これも水路側から見ると、より凝ったデザインになっています。

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三つ目はシンプルに、四角い凹みに三角の開口部があるデザイン。
これが写真で紹介されていた小橋のデザインです。
なお、親柱のデザインは、全て同じデザインのようでした。

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ほとんどは1つの橋に1つのデザインですが、1ヶ所、水路が分岐している所で、L字に2つのデザインが併用されている所がありました(地域の北西)。

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<Web版「図説 尼崎の歴史-近代編」に引用されている『立花駅30年のあゆみ』の区画整理後の図版をもとに加工>

確認されたデザインを地図にプロットするとこんな風になります。
アーチになっているタイプ(赤丸)が最も多くて9ヶ所。五角形(青四角)が5ヶ所。三角(黄三角)が3ヶ所でした。
合計17ヶ所。

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それ以外に気になったものとして、水路脇の国旗掲揚台のようなものがあります。
地区の西南部にありました。

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地区内で見かける古い住宅では、平屋の二戸一長屋が多いように思いました。
例えばこれなど。

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これも同じく。

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これも。石張りの門柱の造りや板塀のデザインなど古いもののように思います。
それに郵便新聞受が右書きになっていました。

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こちらは小松公園南側の住宅。
平屋の一戸建てに見えますが、二戸一住宅です。
下見板張りですし、古そう。

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地区内で最も本格的な近代建築はこちら。
地区の南側にあります。元は医院ではないでしょうか。

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煉瓦塀の大きなお屋敷もあります。
住宅自体は建て替えられているようでした。

 

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駅南側にはスクラッチ風パターンのタイル貼り二階建て長屋もあります。中央に奥の住宅への門があって、大家さんでは?と思えました。

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地区南西の住宅。こちらも屋根など改修されていますが、古そうです。

 

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こちらも地区南西側の大きめの平屋一戸建て。

こんな風に、とくに地区の南側に古そうな住宅が多く思えました。

地区北側の放射状街路パターンや公園配置なども開発当初の形を引き継いでいる訳ですが、やはり小橋のデザインが最も開発時の雰囲気を感じられると思います。

 

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 目次「近代の郊外住宅地と別荘地、社宅」  

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2020年5月 3日 (日)

下鴨中川原児童公園(京都市左京区)

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京都市街北部の近代の公園めぐりの続きです。
あおい公園(旧下鴨膳部公園)の後、中川原公園(昭和12年)、正式には下鴨中川原児童公園を訪ねました。

写真は、途中で見かけた2階建て洋館付きの大きな建物です。
売り家になっていました。旅館などされていたのかななどとも思ったのですが、窓は割れていますし、かなり傷んでいます。
今はどうなっているのでしょう。

訪問日:2019年2月9日

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途中見かけた不自然な空き地。
道路予定地にこういう状態の土地があったりしますが、近年廃止された計画道路の図を見てもここは載っていませんし、どういう経緯なのかは分かりません。

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南北に帯状に続いています。

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そこを抜けて中川原公園に着きました。

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昭和12年の公園ということで期待したのですが、あまりそれっぽい雰囲気はありません。
公園の門は煉瓦タイルの新しいものです。

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訪れたのが真冬というのもありますが、すっきりした公園内です。
ネット上の情報によると、以前は鬱蒼としていたのが、2018年の台風でスズカケノキの大樹が倒れ、安全のために他の木も刈られてこの状態になったようです。

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強いていうと、藤棚下のこの分厚いコンクリートのテーブルが昔ながらのデザインかなと思います。

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砂場は縁の丸いタイプです。

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ベンチは真ん中の凹んだコンクリートベンチ。
昭和中期ぐらい?

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おなじみのお地蔵さんもあります。
ここは延命地蔵さんです。

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手洗い場は新しそうで、ビー玉を埋め込んだデザインに手作り感があります。

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コンクリートブロックを積んだようなトイレ。
青海波ブロックが窓に使われています。
この表裏どちらからも使える手洗いは他の京都の公園でも見ました。

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今は珍しくなってしまったジャングルジム。

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そして京都でおなじみの人研ぎ滑り台もあります。

公園内はこんなところで、国旗掲揚台など古そうなものは見つけられませんでした。

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近くにあった2階建て洋館付き住宅。
やはり古い公園の近くには古そうな建物があります。

この日は最後に下鴨森ガ前児童公園に行きましたが、それは既に記事にしましたのでそちらをご覧下さい。

 

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2020年4月30日 (木)

あおい公園/旧下鴨膳部公園(京都市左京区)

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京都市の近代の公園めぐりの続きです。
地蔵本児童公園の後、疎水分線沿いに進み、高野川を越えて、この日は京都工芸繊維大学や写真の松ヶ崎浄水場に寄り道しました。
松ヶ崎浄水場は昭和2年、蹴上浄水場に次いで京都で二番目にできた浄水場です。この建物は昭和2年当初の旧最高区ポンプ室(電気室)とのことです。

訪問日:2019年2月9日

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松ヶ崎浄水場の南側を流れる疎水分線にかかる橋。
煉瓦の構造物も気になります。

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住宅地に入ると焼きすぎ煉瓦の塀を持つ家がありました。
凝ってます。

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蔵と洋館付きの住宅。

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こちらも2階建て洋館付きの住宅。
窓の格子が面白い形です。

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古い住宅の眺めながら歩いて行くと正面に、あおい公園(旧下鴨膳部公園・昭和10年)がありました。
さすがにこの時期の公園は凝っていて、ここも門柱脇の壁が手前に広がるカーブになっている上に帯の模様が付いています。

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この公園前は住宅地設計上のポイントとなる場所らしく、ハの字に開く石橋が架かっています。
先ほどの住宅はこの右手にあり、住宅地の中でも重要な通りなのではないでしょうか。
ちなみに流れる川もただの川ではなくて、高野川の宝ヶ池付近で取水され、下流では下鴨神社の糺の森を流れる泉川です。
この水路が公園に沿うように折れています。

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あおい公園の南側の門も同じデザインでした。

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公園のほぼ全景。
そんなに目立つものがないように見えるかもしれませんが、面白いものがいろいろありました。

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なんといってもこれ。
大きな岩に「記念」とだけ書かれています。
一体何の記念?と疑問ですが、そういうときは裏に回ります。

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裏側に碑文がはめ込まれていました。
右側の石には関係者の名前が刻まれていました。

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そして左側の石にはこの碑文です。
書き起こしてみます。


昭和六年二月、下鴨土地区画整理組合成立
時は市長を組合長に推し、鞍馬街道以東高
野川右岸に至る下鴨学区の北部及び松ヶ崎
学区の一隅を画して、農耕地帯の市塵化を
図りしが、市当局の援助と組合員二百余家
の協戮とに因り、諸般の準備著著緒に就き
翌年二月興工十月完竣。所投の資金十七万
二千余円。所整の地面十四万七千七百余坪
街路溝渠井井縄縄居住安便、方域殷賑の基
を開けり。乃ち梗●を石に●して新開の遊
園に安し、以て永遠の記念に備う。
昭和八年三月誌す


 ※旧字体は可能な限り新字体に変更しました。
  送りがなはカタカナをひらがなに改めました。
  適宜、改行や句読点を追加しています。
  不正確かもしれませんので参考程度にご利用下さい。

 つまりは下鴨土地区画整理事業の竣工記念碑です。

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また、国旗掲揚台も残っていました。

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裏側に回るとちゃんと旗竿を固定する凹みと金具が残っています。

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また隣の葵小学校との間に石柱が立っています。
小学校と行き来できるように門があったのでしょうか。

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もう一対、南側にもありました。

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シンプルな砂場。

公園には、平成になってから設置された三等三角点などもありましたが、記事のボリュームの関係で省略します。

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公園から続く葵小学校の塀は、アーチの小窓のような装飾が付いていて古そうです。

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もう一つ、周辺の見どころとして、先ほどの泉川にかかる石橋があります。
公園沿いの住宅は泉川を石橋でまたいで正門というつくりになっていて、この石橋が立派なんです。
蔵・洋館付きの住宅自体も良いですが。

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こちらもきれいな石橋です。
下鴨土地区画整理事業の区域内には古い住宅が多数あるようですが、この日は公園メインでしたので、次の公園に向かいました。

 

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2020年4月29日 (水)

地蔵本児童公園(京都市左京区)

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一乗寺公園の後は、第二太田川・疎水分線を下ったところにある地蔵本児童公園(昭和13年)を訪ねました。
(途中、マヤルカ古書店があります)
ここはアールデコ・デザインの門がきれいに残っているようです。
手前に開くようにカーブさせた門壁に、カーブさせた花壇を組み合わせ、丸窓を2つずつ。
金属は後から付け直しているかもしれませんが、どうなんでしょう。

これは南側の入口です。全部で3ヶ所の入口がこの形でした。

訪問日:2019年2月9日

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地蔵本児童公園と縦書きの銅板っぽいプレートがはまっています。
丸窓には井の字の格子。これは北東側の門です。

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疎水分線から見るとこういう位置関係です。
奥が地蔵本児童公園。

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こちらは北東入口。全く同じデザインの門です。

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北東入口の門の左側。
この角度が形が分かりやすいでしょうか。
花壇に2本の線を入れているのがアクセントになっています。

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こちらは西側入口。同じデザインで、どれもきれいに残っています。

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間の柵はコンクリートの角柱を鉄パイプと低い壁でつないでいますが、角だけは五角形の柱でした。

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破損した柱。内部の鉄筋が露出しています。

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この公園で門以外に気になったのはこの遺構です。
今では何の役目も果たしていませんが、形からして国旗掲揚台ではないでしょうか。

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背面側から見たところです。
柱を取り付ける凹みがあれば確実なのですが、それは確認できません。

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あと謎の石柱。

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この石柱はこの場所にあります。
それ以外に気になるものは見つけられませんでした。

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京都の公園でよく見かける人研ぎの滑り台。

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円形の砂場。公園は手前(東)半分に遊具があり、奥(西)半分がベンチのある広場です。

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コンクリートのベンチ。昭和中期ぐらいか。

ネット情報では、かつて市電車両が児童館として置かれていたらしく、その状態が見られなかったのは残念です。

 

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2020年4月26日 (日)

一乗寺公園(京都市左京区)

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久しぶりの更新は、京都の近代公園編に戻ります。

現在、外出を控えているとはいえ、全く誇れることではありませんが、取材して記事にできていない写真が大量にあるので、たぶん一年以上それで記事が書けます。

ということで、今回は1年前に京都市街地北部の公園を巡った記録です。

まず最初は、京都市左京区の一乗寺公園です。
叡山電鉄のすぐ側にある公園ですので、車窓から見ている方もおられるかも。一乗寺駅の南側です。
昭和17年に防空緑地として整備された公園です。

上の写真は公園の北東角入口です。公園は西側が叡山電鉄、北・東・南は道路に接していて、北側の道沿いに、疎水分線に注ぐ第二太田川が流れています。

訪問日:2019年2月9日

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公園の表示はこんな感じ。
たどたどしく見えるのはなぞったから?
アールを描いていますが、非常にシンプルなのでアールデコなのかというとそこまで言いにくいところ。
昭和17年という時期的にそれほど凝った装飾はしていないと思います。

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公園の南東入口の公園表示は大理石に彫られているようで、こちらの方がオリジナルに近そうです。
こちらもアール。

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公園の南東入口。公園の門柱から鉄パイプでつながれて、シンプルなコンクリートの壁と柱が続いています。

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車止めに使われている花崗岩の石柱がちょっと気になります。

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公園東側の入口。門柱脇の壁に逆三角形の窓が開いているシンプルなデザインです。

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このデザインは何カ所かにあって、こちらは北西側入口です。

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公園内部はというと非常に整然としています。

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看板が立っていて、この公園の地下は第二太田川調整池として、平成27年に整備されたそうです。
写真のようなコンクリートの柱が並び、川の増水時に水を溜める空間にされたので、工事の際に公園は掘り返されて、埋め戻されたのかと思いましたが、平成21年(2009年)のGoogle streetviewの画像を見てもあまり変わりませんので、それ以前からこのようになっていたようです。

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公園の南半分は野球場になっていて、通常の公園部分とはヒマラヤ杉、隣接する一乗寺保育園との境は弧を描くケヤキ並木?で縁取られています。

 

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ベンチも古いものは確認できず、こんな木のベンチでした。

公園内部については、気になるものを見つけられずです。

 

 

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2020年3月20日 (金)

日吉公園と茶ノ木島公園(名古屋市中村区)

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名古屋市中村区の近代の公園を巡った話の続きです。
里山公園の後は南下して日吉公園(昭和10年)を訪ねました。

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公園の南西入口の門柱が独特で、橋の親柱のような形をしています。
もしかしたら当初の門柱なのかもしれません。

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公園の中はこのようになっていて、中央部に森があります。

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その実体は神社。現在の社殿はごく小さなものですが、日吉神社または日之宮といいます。

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隣に石碑があって、由緒ある神社だと分かります。
「日吉丸生母祈願乃址」とあって、つまり豊臣秀吉の母がここにあった日吉権現に、子どもが授かるようにと日参し、生まれたのが豊臣秀吉で、その感謝を込めて日吉丸という幼名を付けたという伝承があるそうです。

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公園の南側に鳥居があって、その横にも「日吉丸生母祈願の跡」という看板が立っています。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、昭和7年、名西土地区画整理組合が、敬神思想の助長・奨励と旧跡保存を目的に日の宮神社の境内を拡張して公園としたもので、昭和10年に名古屋市に寄附され、由来にちなんで日吉神社と名付けられたそうです。中村公園と似たようなルーツなのですね。
当初は設備が充実していて、公会堂(日吉会館)、四阿、公衆便所、橋梁2つ、国旗掲揚柱1基、ベンチ5ヶ所、滑り台、ブランコ、鉄棒、藤棚、芝生が整備され、吉野桜など633本の樹木があったとのことです。

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古いものとして、鳥居の前に国旗掲揚柱があります。

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裏を見ると昭和8年と書かれているようですので、これが『名古屋の公園』に記載のある国旗掲揚柱でしょうか。

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それ以外の古いものはよく分かりません。
ここにも懐かしい回転ジャングルジムがありました。
もちろん戦前ではありません。

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砂場がひょうたんの形なのはさすがに豊臣秀吉を意識していますね。

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ハードディスク型のトイレもありました。

続いて、名古屋駅に戻りながら、茶ノ木公園(昭和12年)も見に行きました。

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茶ノ木公園は防災公園の米野公園の一部になっていて、恐らくこの写真の左奥の部分がそうではないかと思います。
米野公園はこの時はまだ整備途中で、木々はまだ育っていませんでした。

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米野公園の案内板があります。
このうち「子どもの遊び場」となっているのが旧茶ノ木公園ではないでしょうか。

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なお、米野公園の案内板に「(整備中)」とあるように、実際の風景を見ると案内図のようになっていません。
右側のカーブする遊歩道が柵で囲まれた通路で分断されていて、奥には住宅まであります。2つの異なる風景がパッチワークされているようです。公園を断ち切って道が作られているようですが、もちろん逆で、整備できるところから盛り土して公園が建設されています。なんとも不思議な風景です。

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その隣に茶ノ木島公園はあります。

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ちゃんと茶ノ木島公園の表示が残っています。

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横にちゃんと茶ノ木島公園の解説板が設置されています。
こういうのはうれしいですね。

『名古屋の公園』によれば、日吉公園と同じく名西土地区画整理組合から昭和12年に寄附を受けたものです。当初の施設には、ブランコ、滑り台、鉄棒、藤棚等があり、ヒマラヤ杉など362本の樹木が植わっていたそうです。

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隣接して熊野神社があり、神社と一体的な公園だったようです。

日が沈んだこともあり、この日の名古屋市中村区の公園巡りはこれで終了しました。

 

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2020年3月 9日 (月)

里山公園(名古屋市中村区)

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名古屋の公園めぐりの記事、これも2018年です。
稲葉地公園を見た後、用事があったので一度中村区を離れ、また戻って中村日赤駅から歩き始めました。
元中村町のあたりは古い建物がよく残っていました。
こちらも洋間付きの長屋っぽい建物です。

訪問日:2018年12月8日

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正方形のタイルを埋め込んだ門柱なども。
なんとなく古そうなデザイン。

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こんな風にあちこちにあります。

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途中、遊歩道がありました。
地図を見ても分かるのですが、見るからに水路跡の遊歩道です。
庄内用水の中井筋(惣兵衛川)が暗渠化されて、中井筋緑道として整備されています。
昭和58年から整備が始まっています。

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ほどなく今回の目的地、里山公園(昭和10年開園)に着きました。
里山といいながら、平坦な街中の公園です。

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里山公園の表示は新しいもの。
昭和10年ということで期待したのですが、古いものは残っていないようです。

『名古屋の公園』(昭和18年)によると、中村土地区画整理組合が造成して寄附した公園で、滑り台や砂場があった他、檜・桜など樹木218本があったそうです。

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公園の南側から。奥行きはここから奥に見える住宅の手前まで。
小さな公園なのですぐ見終わります。

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整備工事中らしく、公園の一部が柵で囲まれていました。
この回転ジャングルジムは残ったのでしょうか。

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公園の一角にある集会所はある程度古いかもしれませんが、トタンに覆われていて分かりません。

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よく見かけるグッドデザインな水飲み場。

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何かないかと行ったり来たりするのですが、とくに気になるものはありませんでした。
むしろ奥の長屋が気になります。

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ということで、周辺の長屋などを見ていきます。
洋風の長屋というのか、四角く部屋が張り出していて、その上部の物干し台になっているベランダ柵や敷地境界の低いコンクリート柵にアーチのデザインが施されています。

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家の前がちょっとした前庭になっていて、こういうコンクリートの柵で囲まれているんです。

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玄関扉などもモールガラスを使ったすっきりしたデザインです。
昭和30年代ぐらい?

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並びには洋間付き長屋らしきものもありました。
コンクリートの柵が似ていながら少し違うデザインなのも面白いところ。

 

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次の公園に向かうため、ジグザグに南下していきます。
こちらも洋間付きの長屋のようです。

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このようなタイプが周辺には多いようです。

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とくに右端の一軒が古い姿を留めているようでした。
板塀も足元に四角い開口が並ぶ、洋風っぽいデザイン。

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こちらも下見板張りの洋間付きの長屋。

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こちらは真ん中の一棟が前に出ています。

公園自体に古さを感じ取ることはできませんでしたが、周囲の住宅に古くモダンな雰囲気を感じることができました。

 

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 日常旅行日記「近代の公園目次」

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2020年2月11日 (火)

配水塔の稲葉地公園(名古屋市中村区)

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もう少し名古屋の近代の公園の話題を続けます。
日を改めて中村区の公園をめぐりました。

以前、中村公園には行ったことがあり、それ以来です。
「中村公園のラジオ塔?」
改めて確認したら、ラジオ塔を紹介しただけで、中村公園自体はちゃんと紹介していませんでした。
いずれ機会がありましたら。

さて、地下鉄の中村公園駅から西に歩いて行くと稲葉地公園に着きます。

北側正面から見るとなんとなくギリシャ風の列柱の向こうに、列柱に囲まれた名古屋市演劇練習館アクテノンが見えます。
この建物はもともと昭和12年に建てられた稲葉地配水塔で、この改修事例は有名なので私も写真では見たことがありました。
もちろん塔の列柱にちなんで、手前の列柱を並べたのでしょうね。

訪問日:2018年12月9日

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この公園の平面図を見ると面白い形をしています。
つまり公園が南北に突き出しているんです(右が北です)。
この南北軸は稲葉地配水塔の中心を通っていて、配水塔を中心に据えた設計になっていることが分かります。
現在の配置というだけでなく、当初の図面を見てもそうなっています。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、昭和13年に稲葉地土地区画整理組合から寄附を受け、昭和17年に着工、昭和18年に完成したとのことです。当初の設備としては、配水塔の他、池、野球場、花壇、徒渉池、ブランコなどの遊具があったそうです。

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こちらが北に延びる街路。

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こちらは南側に延びる公園から見たところ。
こちらは完全に公園です。旧配水塔が真正面に見えます。

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旧稲葉地配水塔は昭和12年にできました。名古屋汎太平洋平和博覧会が開かれた年です。名古屋市西部で区画整理による都市開発が進み、水需要が増大して市街地東部・東山の配水場ではまかなえなくなったため、市内2番目の配水塔として計画されました。当初は貯水容量590立米で計画されてもっとシンプルな形だったのですが、計画中に水需要の増大が見込まれたため、改めて4000立米のタンクに変更され、大きなタンクを列柱で支えるという特徴的な形になったようです。(『愛知県の近代化遺産』(平成17年)p242〜244より。以下も主に同書による)

しかしながら、昭和19年に市内西部に大治浄水場が完成し、配水方式がポンプによる圧送に切り替わったため、わずか7年で稲葉地配水塔は役目を終えてしまいました。

その後、水道局の管理のまま約20年間放置されていましたが、名古屋の一区一図書館の施策により、改修を経て、昭和40年に中村図書館として開館しました。この時、吹き抜けだった2〜4階にスラブを打つ改修が加えられています。図書館としては26年。中村公園内に新図書館が建設されたため、平成3年(1991年)に閉館しました。

しかし演劇関係者から市民向けの演劇練習場確保の要望を受け、大小の練習室を設け、2階中央のスラブや屋根スラブ、柱の一部を撤去して鉄骨で置き換えるなどの工事を経て、平成7年(1995年)に名古屋市演劇練習館アクテノンとしてオープンし、今に至っています。今年で25年ですね。もうすぐ演劇練習館としての利用期間が一番長くなります。

この日も演劇の練習で使われていて、わずか7年で役割を終えてしまった建物がこのように使い続けられるというのはありがたいことです。
ちなみに演劇練習館への改修を決断したのは当時の西尾市長。実は水道局出身で、中村図書館への改修の際に担当課長だったというのは不思議な巡り合わせです(施設紹介パンフより)。

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勝手に見て回ってもいい感じの建物ではないので、事務所で建物の見学に来ましたと申し出ると、職員の方が案内してくださいました。
1階には図書館時代を思わせる書架が並んでいます。
そして中央にはタンクを支えていた柱。

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柱は吹き抜けになった2階、3階を突き抜けています。

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4階が一番、配水塔らしさを感じられる空間です。
タンクを支える構造が見えています。

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さらに配水塔時代の配管が今も残されています。

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タンクだった5階にはリハーサル室があります。
この日も練習が行われていましたので、外して撮っています。

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5階の平面図。
当然ながらこういう丸い形の配置です。

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4階には、配水塔時代、図書館時代など時代ごとの写真・資料が展示されていました。

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4階からの眺め。
この下にはかつてプールがありました。
水道施設にプールは付きものみたいですね。

高層ビルが建ち並んでいるのが名古屋駅のあたり。

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紅葉の季節は過ぎていましたが、きれいな並木道がありました。

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公園を歩き回って気になった遺構も少しあげておきます。
こちらは公園の西側。ここにも入口があったのでしょうか。

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敷地の北西あたり。土管のようなものが突き出しています。
水飲み場?かとも思いましたが分かりません。

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こちらは私にはなじみ深いグッドデザインな水飲み場。

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名古屋らしく、富士山型遊具もあります。
赤富士です。

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懐かしい回転ジャングルジム。

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最後に、感心したのが名古屋には遊具を寄附する「まごころ遊具事業」という制度があるのですね。
私的なメッセージを書いたプレートを取り付けることができるのですよ。

稲葉地公園は今も配水塔が主役の公園でした。

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2020年2月 5日 (水)

港北公園と博覧会(名古屋市港区)

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このところ公園ブログみたいになっています。
古い話ですみませんが、名古屋の公園めぐりをした日のラスト、港区の港北公園を訪ねました。
白鳥西公園の後です。
既に日没で画像が暗くてすみません。

名港線の港区役所駅を降りると、すぐそこが公園です。
人工の築山に設置された滑り台が興味をひきました。

港北公園は昭和17年にできた公園です。
ただし今の形とはかなり異なります。

訪問日:2018年10月8日

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港北公園はこういうかなり変則的な形です。
東園と西園に分かれていて、地図上では移動させられていますが、西園は平和橋の左(西)に続いています。

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南端の港図書館のあたりから探索を始めました。
見たことのない大がかりなシーソー?があります。
ネットで吊されるタイプ。

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北に向かって進んでいきます。

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すると平和橋というアールデコデザインの橋があります。
橋といっても現在は陸橋。

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橋のたもとに解説板が設置されていました。
昭和12年に開催された名古屋汎太平洋平和博覧会にあたって約13万円を投入して建設された橋で、博覧会の記念として残る唯一のもの、とのことです。

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振り返ると、名古屋汎太平洋平和博覧会の写真入りの解説板もあります。
この博覧会は名古屋市の主催で昭和12年3月15日から5月31日までの78日間にわたって開催され、会場は現在の港北公園周辺の50万平方m、総事業費1600万円(博覧会自体には300万円)、国内の各道府県や外国29カ国が参加、総入場者数は約480万人という戦前の名古屋で最大規模の博覧会です。

解説の写真を見ると、運河の真ん中に掛かっているのが平和橋です。
主会場の西側部分はのちに東邦ガスの工場をへて、現在はららぽーと名古屋みなとアクルスとなっています。
たまたまこの時は、ららぽーとのオープン後10日ほどで、結構な人出でした。
また港区役所もこの会場跡地に建っています。

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名古屋汎太平洋平和博覧会の栞。
その序文を読むと「日本の名古屋から世界の名古屋へ!此の大飛躍の記念として花の“なごや”の春の空にありとあらゆる太平洋文化の粋を集めて築き上げる豪華なる文化の殿堂。これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。
 熱田神宮、釈尊遺骨奉安塔、名城の金鯱は云うも更なり、百十万を突破する人口、近郊を合わせて十一億円に達する年工産額、聖世の隆運に疆りなく伸び行く大名古屋に昭和十二年からは海の玄関たる名古屋港と、陸の玄関たる名古屋駅とが世界的都市に相応しい壮麗さを以て登場して新たに世界交通の要衝となる、その他、国際飛行場、観光ホテル、さては世界屈指の大動植物園、大水族館等が相次いで竣工し、今や新興名古屋は躍進日本を表徴しつつ文化に産業に世界的都市としての新たなる発展の段階に入らんとしている。そしてこの画期的大飛躍の首途に当たって、太平洋の平和と新文化の建設を目指す一大事業、これが我が「名古屋汎太平洋平和博覧会」である。」
と当時の勢いを感じさせる非常に熱いメッセージが書かれています。

ちなみにこの時の参加国は、満州国、オランダ領インド、フィリピン、ブラジル、タイ、中華民国、オーストラリア、フランス領インドシナ、イギリス領インド、ビルマ、スリランカ、南アフリカ連邦、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、コスタリカ、サルバドル、パナマ、ヴェネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリ、アルゼンチン、マイソール(インド)、シンガポール、トラヴァンコール(インド)、カナダ、アメリカ合衆国、その他となっています。汎太平洋なので、アジアと北中南米、オセアニアということのようです。

名古屋汎太平洋平和博覧会については、あちこちに書かれているので深入りはしないことにします。
興味ある方は、下記のページなども見てみてください。

港区HP「ミナトガタリ 第10弾なごや古道・街角案内人 第7章 汎太平洋平和博覧会について」

 

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さて平和橋に戻ります。
親柱はアールデコのデザインで、ラジエーターのような形が取り込まれています。
会場のシンボルであった平和塔とも似たデザインのようです。

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昭和十一年十月竣工となっています。

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建設は名古屋市の石原鈼治郎となっています。


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現在、平和橋の下は、港北公園の東園と西園をつなぐ通路のようになっています。
橋の構造を下からも眺められるということになります。

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車止めはアールデコのデザインを踏襲しているようでした。

『名古屋の公園』(昭和18年)によれば、港北公園は、名古屋汎太平洋平和博覧会の会長から寄附を受けた8万円で、敷地のうち4207坪を買収し、それ以前に港北土地区画整理組合から寄附を受けていた5000坪を合わせて工事費6万円で昭和16年に完成させたとのことです。当初は運河を短艇場として、そこを中心に北側に緑廊、露壇、運動場、相撲場を設け、南部にはテニス場、徒渉池、藤棚、ブランコ、滑り台等運動器具を備えていたそうです。

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また、平和橋の隣には公園の由来を示すこんな石碑もあります。

「港北公園は、中川運河の支線として開さくされた港北運河の一部を埋立て、公園として整備することにより、災害時における避難場所の確保、地域住民のレクリエーションの場の確保等“ゆとりとうるおいのあるまち”を目指し整備したものである。
 昭和59年3月 名古屋市」

 港北運河の東部が埋め立てられて港北公園が完成するのは、この石碑より後、昭和61年のことだそうです。(名古屋市HPの中川運河に関する年表

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平和橋の上から埋め立てられた運河の部分を臨む(東方向)。

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さて橋をくぐって西園にも行ってみます。

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平和橋をくぐった先にも遊歩道が続いています。
ここも埋め立てられた運河です。

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その先には運河の残りと、きれいな夕焼けがありました。
ここにはみなとアクルスの船着き場があって、中川運河の水上バスが着くようになっています。

今度は船で来ても良いかもしれません。

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2020年1月31日 (金)

北白川児童公園(京都市左京区)

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白川沿いに歩いた京都の近代公園めぐり、この日最後は北白川児童公園(昭和16年)でした。
既にかなり薄暗くなっています。
この公園の変わっているのは、北白川小学校に隣接しているというより一体化していて、校舎をコの字型に囲んでいることです。
今はフェンスで区切られていますが、元はもっと一体的だったのかもしれません。

訪問日:2019年1月14日

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公園東側の入口。門柱から続くアールの低い塀が招き入れています。

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読み取りにくくなっていますが、白い石に北白川児童公園と縦書きされています。

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内側から見るとこういう形。
階段と一体的なデザインです。

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北東隅にも入口の跡がありますが、今は塞がれて、柵の一部となっています。
一種のトマソン?

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こちらは右から北白川児童公園と書かれていて、戦前のものっぽいです。
なぜ塞いでしまったのかは不明。階段になっているので自転車で突っ込むと危ないからでしょうか。

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コの字の北側は遊具エリアになっています。
砂場やベンチ、シーソー、鉄棒などがあります。

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ここにも人研ぎの滑り台があります。
そしてブランコ。

昔の一般的な遊具が並んでいます。
あとジャングルジムがあれば完璧?

この公園での収穫は公園の門柱でした。

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日が暮れたので、この日は南田児童公園あたりまで戻って銀水湯に入って帰りました。

この日はこれで終了ですが、京都の近代公園めぐりはまだまだ続きます。

 

 

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